月軍死すべし   作:生崎

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月軍対幻想戦前軍議

  月の重力は地上の六分の一と言われているが、それでもなお重い体に、少女は重苦しい息を吐く。目の前で真っ白く細長い指が滑らかに動くのを目に留めて、少女は口を怪しく引き結んだ。

 

  稚児髷と呼ばれるような、頭上に黒髪で結った輪を二つ揺らしながら少女、嫦娥は月の都の大広間、その円卓の前に並んだ者たちを見る。

 

  嫦娥の正面。椅子に座るは、薄紫色の長い髪を頭の後ろで黄色いリボンを使い纏めた武人然とした少女。

 

  綿月依姫(わたつきのよりひめ)

 

  月の使者のリーダーの一人。第一次、第二次月面戦争の際に乗り込んできた人妖のことごとくをこてんぱんにあしらった月の武の筆頭。体術、剣技もさることながら、あらゆる神をその身に降ろすことができる。天照から名もなき道祖神まで。その能力は無限と言えるが、今回に限って言えばそうではない。天照が参戦しないことを表明したため、依姫に残されたのは、祇園様の刀とその武力。そのためかどこか不機嫌な様子で、ムッとした表情を浮かべている。

 

  その依姫の隣にいるのは、長い金髪と瞳を持った少女。普段被っている帽子は目の前の大きな円卓の上に綺麗に置かれていた。

 

  綿月豊姫(わたつきのとよひめ)

 

  同じく月の使者のリーダーの一人。月と地上という遠い距離をものともしない規格外の転移者(テレポーター)。地上侵攻の要とも言える人物。その能力と併用し、最も恐ろしいのは、今も豊姫が手で弄っている一つの扇子。一度煽げば、森を素粒子レベルで浄化する風を起こすことができる月の最新兵器。浄化とは穢れを。穢れとは生命。生きている者を例外なく塵と化す滅びの風。普段暇しているからか、今回はそれなりに乗り気のようで少々頬が緩んでいる。そんな姉の様子に妹は少々呆れ気味だが、地上の者からすれば堪ったものではない。

 

  そして嫦娥の右に座るのは舌禍をもたらす女神。片翼を綺麗に折り畳み、目を閉じ静かに座っている。

 

  稀神(きしん)サグメ。

 

  月の賢者が一人。前回の月での神霊騒動の功績として、月の神の勅命とも言える今回の戦の将として選ばれた。永琳からも“聡い”と言われるだけの頭のキレと、望外の能力を有している。『口に出すと事態を逆転させる程度の能力』、良いこと悪いこと関係なく、ある事象に対してサグメが口を出せば、流れが逆転してしまう人型ポロロッカ。一種の運命兵器とも言える彼女は、当然口を開くことなくただ席に座し、手慣れた様子で口を片手で隠している。

 

  そして残る最後の一人へと嫦娥は目を向けようとしたが、「久々の人の姿はどう嫦娥」と、豊姫に言葉を投げかけられ、顔の動きは途中で止まる。そんな嫦娥の様子を楽しそうに豊姫は眺めた。

 

  嫦娥(じょうが)

 

  玉兎たちの支配者。神霊騒動の原因とも言える罪人。強大な能力を有しているが、蓬莱の薬を飲んだ罪によって蝦蟇へと姿を変えられていた。が、今は人の姿。全体的に白っぽい袍服に身を包み、闇のような黒髪を稚児髷として頭の上で二つの輪として纏め、残りを背へと流している。頭上の輪を二つうさぎの耳のように揺らし、嫦娥は豊姫の言葉に眠たげな目を歪ませた。

 

「蝦蟇のままじゃ、兎たちの前に出た途端(きね)でタコ殴りでしょうしね。それじゃあ恰好もつかないわね」

「よく喋るじゃないの豊姫。私と話せてそんなに嬉しいわけ? それとも構って欲しいのかしら? 普段暇してるものねぇ、羨ましいわほんっとう」

「罪人風情が姉様を愚弄するか」

「罪人? それって八意永琳と蓬莱山輝夜のこと?」

 

  にやける嫦娥に牙を剥き依姫は立ち上がろうとしたが、豊姫に閉じた扇子でパシリと肩を叩かれ諌められ、渋々浮かせていた腰を落とした。とはいえ、豊姫も尊敬する師を愚弄され平静でいられるはずもなく、浮かべた笑顔に影が帯びる。

 

「馬鹿なこと言わないで頂ける? 電波女」

「あらまあ、私の機嫌損ねていいの? 誰が玉兎を動かすと思ってるのよ」

 

  嫦娥が手を掲げれば、指先にバチリッ、と紫電が舞った。それに合わせて壁際に控えていた玉兎の一人が銃を構える。瞳は大きく泳ぎ、体は震え、冷や汗を流し、何かの意思に抵抗しようと抗っているがその動きは止まらない。引き金を引こうと動く玉兎の指に合わせて、石の床から伸びた刃が銃を貫いた。地に祇園の剣を突き刺したまま、依姫がより深く剣を押し込めば、嫦娥の周りに白刃が伸びる。背後でヘタリ込む玉兎の気配に嫦娥はつまらなそうに呆れながら、目の前の白刃を指でなぞった。

 

「怖いわぁ、私が死んだらどうするのよ。()()()()()()()()依姫」

 

  僅かに剣を引き抜いていく自分の腕を依姫は強く睨みつけ、振り払うように思い切り剣を突き下げた。首元の薄皮一枚残して伸びた刃に嫦娥は冷や汗を流しながら笑う。怒りの色を顔に貼り付けている依姫と嫦娥の顔を見比べて、呆れたようにサグメは肩を竦めると笑う嫦娥へと目を流した。

 

「貴方は死なないでしょうに、悪い冗談ね」

「ちょ、サグメ貴女‼︎」

「……そうでは無い。口が滑ったというやつよ」

 

  意図的に死を願ってないとサグメは言うが、それこそ悪い冗談である。舌禍の冗談に豊姫は笑い、依姫も肩の力が抜けた。少し緩んだ空気の中、四人とは毛色の違う笑い声が流れ空気が引き絞られる。へたり込んでいた玉兎も、ここで座ったままだと死ぬと本能で察知し、力の入らぬ足に火事場の馬鹿力を総動員して立ち上がった。

 

  依姫は背を正し、豊姫の微笑みの中に緊張が見え、サグメは口を閉じ、嫦娥は笑みを消した。

 

  円卓を囲む五つの影。その内の一つは四つの影より影は濃く見え、ただ周りの空気は薄く輝いて見えた。誰が周りにいても、ただ一人その者がいるだけで場はその者のものになる。夜空に無数に浮かぶ星々よりもなおも目を惹く月のように。ただ優しく輝きそこにいる。太陽と同じだが同じではない。どれだけ近づいても身を焼かれることはない。だが、それこそ魔性。一度目にすれば脳裏から離れない。

 

  月明かりを流したような透き通った白い髪。白い上衣の下に黒い服を着込み、薄手のスカートを履いている。ゆったりと椅子に座す姿は自然体で、笑い声は鈴虫のよう。中性的な月の神の優美な姿に、玉兎たちは息を飲み、呼吸さえ忘れてただ突っ立つ。一頻り月の神は笑い終えると、楽にしろよと緩く手を振った。

 

「そう殺気立つなお前たち。嫦娥も久々の人型で舞い上がっているだけだ。なあ?」

「ええそうですわ月夜見様。できればずっとこの姿でいたいものです」

「それはお前の働き次第だ。そうだろう?」

 

  今は戦前、能力を加味し温情で人の姿に戻っているだけ。笑顔のまま嫦娥は固まり、月夜見はそのまま視線を切る。

 

「永琳のことは残念だが、あやつは今地上だ。敵になる可能性もないわけではない。それは理解しているな?」

 

  依姫と豊姫、サグメの頭が軽く下げられ、月夜見も小さく頷いた。その様子に満足し、「首尾は?」と月夜見が聞けば顔を上げた依姫が口を開く。

 

「逃亡していた罪人は全て捕らえ処刑しました。これで月を離れても仔細ありません。どこぞの蝦蟇がもっと早く動いていればもっと早く終わるはずでしたが」

 

  蝦蟇の時は喋れないから無理だと言わんばかりに、「ゲコゲコ」口遊む嫦娥を見て依姫は青筋を立てるが、月夜見の前ということもあり、再度刃を抜く事は控え、ただ手を握り締める。それに加え、失態を思えば、更に手に力が入るというものだ。

 

「まさか人間一人に月に侵入され、かつ監獄に侵入されるとは。迷いなく進み、月の罪人たちが立ちはだかったお陰で取り逃がしてしまい申し訳ありません」

 

  これまでにない失態だ。神霊の騒動もひと段落し、気の抜けたところで起こった失態。人一人と侮った。前回神霊、純狐の辿った道筋が閉じぬままその道を辿られ、一直線に監獄を目指された。更に月人の抵抗と。どこで情報が漏れたのか、考えれば、依姫が思いつく原因は一つしかない。

 

「恐らく前回人妖が攻めて来た際、月の都を好き勝手に歩いてくれた亡霊、あれに月の都の詳細を取られたのでしょうが」

「それだけではないでしょう。だいぶ前に表の月に来た人間。やたら歩き回っていたと報告にありましたが、その時に漠然とした情報を抜き取られていたかと」

 

  依姫の言葉にサグメが付け足す。五十年程前に何度か月に来た外来の者。ただ月の大地に立ち喜んでいた者と違い、喜びはなく確かめるようにウロウロと月面を歩いていた者がいたという報告があったのをサグメは思い出していた。そしてそれはサグメが打った手と似たようなもの。神霊に攻められたという大義名分の元に軽く幻想郷に手を出し、今回のために情報を抜き取る。お陰で幻想郷の重要施設の場所は既に手の内。地上の者もなかなかに馬鹿にはできないと考えるサグメの顔を見ながら、月夜見は薄く笑った。

 

「どこで話が漏れたのか分からないが、少しくらい手強くなければ、張り合いもないだろう。少しくらいはあちらに華を持たせてやってもいいさ。それで、どう攻めるつもりだ豊姫」

「天照大神様がどちらにも手を貸されないという事で、こちらの戦力も幾分か落ちますがそれは地上の者も同じ。気にしなくても良いでしょう。広域殲滅兵器の使用を考えていますが、いかが致します?」

 

  使えと言われれば、即座に豊姫の能力で穢れを祓う爆弾を雨のように振らせてお終いだ。拳を合わせることもなく、月の民にとってはただ静かに戦いは終わる。豊姫の問いにしばし月夜見は考え、「それもいいが」と口にした後依姫に目を向けた。

 

「依姫、お前の意見はどうだ? この中で純粋な武人はお前だけだ。お前の意見を聞きたい」

 

  そう言われて依姫は考える。そして軽く右肩を摩った。菖が侵入して来た際、侵入者の目前まで依姫は迫った。多くの月人たちが立ちはだかったが故に取り逃がしたが、その際に地上の民から受けた一太刀。掠っただけであったが、その鋭さは偽物ではなかった。それを兵器で吹き飛ばすのかと問われれば、迷いがある。目の泳いだ依姫を見て月夜見は微笑んだ。

 

「技を競いたいのか依姫」

「……できれば」

「それもいいだろう。この戦いは要は狩だ。だがそれならアレを使うのがいいだろうな。何度でもというのは無粋だろうし」

 

  アレとは時間固定結界装置。誰もがそれを察し、中でも嫦娥が苦い顔をする。時間の固定された中では蓬莱の薬の効果が意味をなさない。「負けると思っているの?」と言いたげな豊姫の目を嫦娥は受けて、鼻を鳴らしそっぽを向く。

 

「そう気負うな。ここにいる者たち誰もが神としての側面を持っている。死んだところで蘇るのだし、遊びだとでも思えばいい」

 

  不遜な月夜見の発言は、間違ったものではない。負ける可能性など僅かもない。たとえ誰が相手でも、永琳さえ敵であろうと月夜見に負けはないのだ。月夜見に勝てるのは天照だけ。ゆったり椅子に座す月夜見の姿は揺らがない。四つの月人の顔を視界に収め、月夜見はホッと息を吐いた。

 

「あの結界装置の核はお前たち四人で持てばいい。気付かれれば向こうの方から寄って来てくれるだろうし、私も安心で一石二鳥だ」

 

  言葉の裏を読みサグメは少しだけ眉を寄せた。やるからには手柄を立てろということ。依姫などは口元を緩ませるが、サグメからすれば悩みの種だ。なぜなら、敵の総戦力が分からない。どちらかと言えば豊姫の案に乗り、爆弾で一切合切を吹き飛ばし終わりにしたいところであるが、それをサグメが口にすれば何が逆転するか分からない。故に閉口。逆に嫦娥は口を尖らせ、疲れたように椅子に深く沈み込んだ。

 

「兵で攻めるって事は私の出番てわけね。疲れるなぁ。幻想郷なんて行ったことないし、どう攻めるか決めてるの依姫」

「敵の大将は恐らく八雲紫だろう。吸血鬼、亡霊等いるが差して問題ではないでしょうから、重要拠点を囲って叩けば済む筈よ」

「スキマ妖怪の能力は私が抑えるわ。向こうも同じことをしてくるとは思うけど、問題はスキマ妖怪ではなく我らが師よ」

 

  八意永琳。その名に豊姫は依姫と二人唸った。罪人として流刑扱いされてはいるが、月の頭脳と呼ばれ月の使者の元リーダー。蓬莱の薬の開発者。永琳一人で戦局がひっくり返ることもないわけではない。豊姫と依姫よりも永琳と付き合いの長い月夜見がそれを分かっていないはずもなく、同じように少しの間顔をうつむかせたが、すぐに顔を上げた。

 

「今更永琳が敵になったからと言って止めるわけにもいかないのだ」

 

  長らく手をこ招いてきた。日に日に輝きの弱まる太陽の光と、人口の明かりの強まる青い星を月からただ眺める毎日。文明に沈む地上の民を嘲笑うことは簡単だ。だが、陽の光を敬うことを辞め、人口の明かりを敬う姿など見るに耐えない。技術を称え神を嘲る。神など幻だとそこに居るのに見もしない。そんな痴呆者たちを放っておくのにも飽いた。誰のおかげで今があるのか。それを思い出させなければならない。

 

  想いこそが神の力。普段祈らず、必要になった時だけ漠然と捧げられる祈りになんの意味がある? 空っぽの想いなどなにも生まない。その空っぽを今一度満たそう。畏れと敬意で満たすのだ。いつも照らしてくれている太陽への感謝と恐怖。青い星が自ら光らず陽の光で青く光るのを今一度見るために。そのための一歩をついに踏む。幻想郷など最初に足を落とした先にある石ころに過ぎない。それをせいぜい高く蹴飛ばすために。

 

  その一歩を踏む一抹の不安が八意永琳。小石を踏んで足を挫くかもしれない。月夜見のことも依姫のことも豊姫のこともよく知る相手。そんな永琳がどう動くか。そんな不安を豊姫が手に持った扇子でポンと叩く。

 

「月夜見様、一応私の方で八意様への手は打っております」

「ほう、手が早いな豊姫」

「暇だったからでしょ」

 

  嫦娥の軽口を澄ました顔で流し、豊姫は月夜見へと顔を向けた。一々子供っぽい罪人の相手などしているだけ時間の無駄だ。

 

「蓬莱山輝夜の元に使者を送りました。今なら罪を流し月に戻っても良いと」

「蓬莱山輝夜ぁ? なんでよ」

「世間知らずさんは黙っててくれる?」

 

  牢獄で何百何千年も蝦蟇として鳴いていた者など知らないと豊姫は軽く手を振り、嫦娥を遇らう。

 

  永琳がその昔、他の月の使者と共に輝夜を迎えに行った際裏切ったのは輝夜が月に帰るのを拒んだため。であればこそ、輝夜さえ月に戻ってくれば永琳が地上に残る理由がなくなる。永琳を説得したところで得られる結果は分かっている。だからこそ、たった一つの最も深い外堀を埋めれば、それだけで月へと通ずる道となる。最短で最高の一手。それが成功すればそれで済む。

 

  使者を送ってもう数時間。そろそろ返事があってもよいはずだと軍議が始まってから、気にしていた豊姫だったが、頭の中で呼び声が掛かり小さく口角を上げた。

 

「丁度良かった。軍議中に来るか不安でしたが、返事が来ました」

「へぇ、なんて」

「さっきから煩いですね嫦娥、それは直接聞けばよろしい」

 

  また一つ扇子を手の中に豊姫が落とせば、円卓から少し離れた空間に玉兎が一匹放り出される。水色のショートヘアーに、垂れた兎の耳が特徴的な玉兎は、急な視界の転換に目を白黒させて辺りを見回した。「レイセン」と呆れたように豊姫に名を呼ばれ肩を跳ねさせると、月夜見、豊姫、依姫、サグメ、嫦娥という月の重鎮たちに気付き慌てて立ち上がり敬礼を捧げる。

 

  あわあわと口を動かし言葉にならない声を上げるレイセンからはなんの返事も聞く事はできず、軽く舌を打ちながら嫦娥が腕を振ると、縮こまっていたレイセンの震えがピタリと止まった。それでも月の神の視線に思い切り背筋を伸ばし、小さな玉兎は荒く呼吸を繰り返す。

 

「さて、どうだったかしらレイセン。口を開いてくれなければ分からないわ」

「あ、あの、そのですね、えぇと」

 

  豊姫の優しい言葉を受けてもレイセンの緊張は和らがず、言葉はただたどしい。全員の呆れたような目にこれはマズイとレイセンは覚悟を決めて大きく息を吸い込んだ。

 

「輝夜様はお断りになられました」

「……そう」

「ダメじゃない」

 

  レイセンの様子で豊姫も依姫も察してはいたが、言葉で聞けばまた違う。鼻を鳴らす嫦娥を睨みつけながら依姫は腕を組み瞼を閉じ、豊姫も小さく肩を落とす。そんな主人たちの様子にレイセンは慌て言葉を続ける。

 

「あの、ただ八意様は参戦しないと」

「は?」

 

  呆けた綿月姉妹の声が重なった。八意永琳が参戦しない。その意味を図りかね、ついつい声に出てしまう。「そう地上の者が決めたと言っておりました」と続く言葉に、本格的に意味が分からないと、依姫は顳顬を抑え、豊姫は笑顔のまま固まり、サグメは思考を巡らす。自ら強いカードを捨てることになんの意味があるのか。神にも永琳にも頼らない。「思い上がりか」と小さく呟いた月夜見の言葉の鋭さにレイセンは呼吸を殺し、弱々しく服の内ポケットから綺麗に三つ折りされた紙を取り出す。

 

「あのですね、地上の者から親書だと」

 

  そうレイセンが言い差し出した手紙を依姫が受け取り机の上に広げる。書かれていたのはたったの一行。その短い文に込められた想いに、五つの顔が激しく歪んだ。立ち上る怒気を見てレイセンの耳がより垂れる。

 

「……それが意志だと、平城十傑なる者たちが申しておりました。それに、敵の総大将は蓬莱山輝夜様です」

「平城十傑? 誰よそれ」

「千三百年前、八意様たちが輝夜様を迎えに行った際にかぐや姫を守るために集った十の一族という事です」

 

  嫦娥の問いへのレイセンの答えに、声にならず嫦娥は間抜けに口を開けた。総大将が輝夜というだけでもおかしな話であるが、そんなことも後半の言葉で吹き飛んでしまう。依姫も目を見開き、豊姫も呆れたように首を傾げる。笑ったような怒ったような表情を嫦娥は浮かべ、サグメはただ黙り目を閉じた。ただ一人、月夜見だけが静かに笑い、その声は次第に大きくなると広間の中に木霊する。

 

「くっはっは! かつて惨敗した人と妖、罪人だけで我らに挑むか! その心意気やよし! ……だが愚かだ」

 

  カチリッ、と歯をカチ鳴らし月夜見は笑みを消し口を閉じた。その透明な瞳の中に灯った火の明かりに、レイセンは呼吸を止め足が崩れる。席を立った月夜見は周りの目も気にすることなく足音を立て窓辺に寄ると、人工光に包まれた青い星と、その先に輝く太陽を見つめた。

 

「人の強さを知りなさい」

 

  かつて天照が言った言葉が思い出される。だが、人の強さが何だというのか。恩を忘れ、ただ青い星に蠢く寄生虫のような連中の強さなど知らない。輝く太陽を瞳に写し、ゆっくりと月夜見は口を開いた。

 

「……明日の夜は十五夜か、縁起のいいことだ。豊姫、依姫、サグメ、嫦娥。最後の準備を始めろ。明日の夜、幻想郷を獲る」

 

  四つの気配が同時に席を立ち離れていった。もう後戻りは許されない。ノアの大洪水のように、神の怒りが地上に落ちる。方舟のように箱庭は浮くのか。浮いたところで沈めればいいと月の神は薄く笑った。

 


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