月軍死すべし   作:生崎

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千三百年前からの『』

  肩に掛かった髪を指で掬い背へと流し、永遠亭の縁に座し退屈そうに足を揺らす。日増しに寒くなる秋の夜の空気に腕を擦り、輝夜は空に浮かぶ月を見上げた。鈴虫の羽音に耳を向け、冬に向けて静かに、だが活発に動く生命の音に肌を這わせた。

 

「……暇ね」

 

  昼間焼き鳥屋台に行っても楠も妹紅も居らず、永遠亭にいれば話し相手になる櫟も今日は居ない。永琳も上の空の時が多く、幻想郷の者たちが忙しなく動いている中、輝夜の周りはとても静かだ。自分だけ取り残されているような異物感。霊夢たちがやって来る前、ただ竹林の中で流されていた時と同じ。月にいた時と同じ。既知に塗れた代わり映えのない日常。

 

  平城十傑が来てから、遊び相手が増えたおかげでここ数日はそれも変わった。屋台に行けば同じく永遠を生きる店主と、人相の悪い店員がなんだかんだと相手をしてくれる。傅くわけでもなく、仲間というわけでもない。殴ってくるような野蛮な者たちであるが、その対等性を悪いとは思わない。

 

  月にいた時も多くの者が頭を垂れ、平城京にいた時も蝶よ花よと愛でられるだけ。育ててくれた竹取の翁や婆様の愛とは違う、下心の透けて見える想い。それを持つ者の多いことよ。逆に自分のためにと、好き勝手やる者の多い幻想郷は、それこそ口には出さないが輝夜は気に入っていた。

 

  その幻想郷に危機が迫っている。月から使者がやって来る。千三百年前、輝夜を迎えに来た時と違い、幻想郷を狙って。そう梓に聞いてから、輝夜が思い出すのは、やはり千三百年前のことだ。

 

  月の使者を迎え撃とうと、慌ただしく周りが動く。輝夜はただ座すがまま、勝てないだろうことを輝夜だけが確信する中、周りの者は『勝つ』と声高に謳う。なんという喜劇。滑稽に過ぎる。だが、その無鉄砲さに、僅かばかり期待し、縋りたくなってしまった。結果は変わらず思い描いたままであっても。

 

  ホッ、と吐いた息が薄く白むのを見て、輝夜は月から目を離す。綺麗ではある。綺麗ではあるがそれだけだ。鏡に映る自分を見ているようで面白くない。

 

「……私も行けば良かったかな」

 

  対月軍議。幻想郷の総意を決するこの会議には、誰もが認める幻想郷の有力者たちが顔を突き合わせるために集まっている。永琳や櫟が永遠亭に帰って来ていないあたり、まだ会議が続いていることは明らかであり、輝夜はただただ待ち惚けだ。

 

  だが、永琳についていったところで、なんの力にもなれないことは輝夜も分かっている。なにより最近の永琳の様子では近くに輝夜が居ても気にして邪魔になるだけだ。それに月のことを聞かれたところで輝夜より永琳の方が詳しい。

 

  そうなると輝夜の役割はただの置き人形と変わりなく、居ても居なくても関係ない。それが分かるからこそついていかなかったが、どうせ暇ならついていった方がマシだったかもしれないと考え、輝夜は再びため息を吐く。

 

  ────カサリッ。

 

  と、その吐息に吹かれたように輝夜の前の竹藪が揺れた。月明かりに照らされて竹の隙間から見える白い耳。イナバと輝夜は口を動かそうとしたが、影から出て来た見慣れぬ水色の頭髪と、垂れた兎の耳、月軍の服に身を包んだ玉兎を見て口を閉じる。玉兎は恐る恐る輝夜に向けて足を出し、月光の下まで歩み出ると膝をつき頭を垂れた。

 

「……貴女前に一度来たわね」

「は、はい。その節はありがとうございました。レイセンと申します」

 

  うやうやしく言葉を紡ぐレイセンに、似た名前が永遠亭にいるせいで紛らわしいと輝夜は眉を寄せる。鈴仙も月での名は『レイセン』、そして来た玉兎もまた『レイセン』。月の民は長い年月でネーミングセンスまで失ったのかと呆れながら、結局輝夜は「月のイナバ」と月人らしくネーミングセンスの欠片もなくレイセンを呼ぶ。

 

「なにしに来たの? もう戦争は始まっているってことなのかしら?」

「ち、違います! 私はちょっと、その、豊姫様の命で」

「ああそ、永琳なら居ないわよ、どうせ永琳に伝言かなんかでしょ」

 

  だいたい月の民が気にするのは永琳であって輝夜ではない。永琳が月に齎した恩恵は数知れず、月夜見でさえ認めるところ。対して輝夜が月でやったことは、蓬莱の薬を永琳に作ってもらい、罪人として地上に流れたくらいである。誰もに惜しまれるのは、輝夜の人となりよりも、輝夜が有している能力くらいだ。

 

 『永遠と須臾を操る程度の能力』

 

 穢れを嫌い永遠を好む月人の象徴なような力。月の民にとって、あればいいがないならないで気にされないくらいの力。自分に用などないだろうと、戦前に急にやって来た玉兎に輝夜は鼻を鳴らすが、レイセンはブンブンと首を横に振った。

 

「いえ、私の用は輝夜様にです」

「私に? なによいったい」

「はい、あの……その前にお茶を頂けませんか?」

「……貴女なにしに来たのよ」

 

  肩で呼吸し、頭や服に笹の葉を貼り付けたレイセンはどうやって永遠亭まで来たのか分からないが、何やら苦労して来たらしい。「イナバ」と輝夜は永遠亭の中へと声を掛けるが、寄って来る足音は聞こえない。どういうわけか丁度よく鈴仙もてゐも居ないらしいことに肩を落とし、輝夜は自分の隣を手で叩きレイセンを呼ぶと指を鳴らす。一呼吸の間も無く茶の入った湯呑みが二つ縁に置かれ、疲れたと輝夜は肩を回した。

 

  そうして、レイセンが縁に座ってから一時間。おかわりを淹れるのは怠いため、それはもうレイセンに任せてから何杯目か。「依姫様の訓練がキツ過ぎる」だの、「豊姫様から桃を貰った」だの、「月に人が侵入した」といったレイセンの世間話が終わらない。本格的になにをしに来たのか目的が行方不明だ。ただ時間を潰しに来ただけと言うのなら輝夜も今は願ったり叶ったりだが、そうではないだろうことは分かる。月と幻想郷の戦前、それに必ず絡んでいる。

 

「それで? 私に用ってなに?」

 

  いい加減世間話も聞き飽きたために輝夜がそう切り出せば、レイセンは、そうだった! とお茶を喉に詰まらせ大きく咽せた。呆れて肩を竦める輝夜の前でひと通り呼吸を整えると、レイセンは背筋を正し輝夜へと顔を向ける。豊姫に言われたことを思い浮かべながら、間違えてしまわぬようにゆっくりと口を動かした。

 

「輝夜様、月にお戻りください」

 

  一瞬の間が空く。月の兎の言った意味を輝夜が理解するのに数秒を要した。冗談の類かと思い輝夜は苦笑を浮かべるが、玉兎の言うことは変わらず。「月にお戻りください」と同じように口を動かした。

 

「……今更?」

「罪は全てお流しになると」

 

  迷いなく言う玉兎の瞳の色から嘘かどうか輝夜には分かった。五つの難題をだまくらかそうと言い寄って来た者たちのおかげで、そういう手合いは見れば分かる。兎の瞳を覗き込み、輝夜は小さく息を吐いた。

 

  月に帰る。

 

  千三百年前にも一度やって来た月の使者。それを永琳と二人振り払い逃げ出した日が、目を瞑れば昨日の事のように思い出せる。帝の命で集まった十の英傑。そして勝負にもならない完敗。仲間を鏖にしてまで側に来てくれた永琳。長い逃避行。

 

  玉兎の持って来た話が、輝夜のためを思って言っていることではないことはすぐに輝夜も理解する。このタイミングでの月への帰還、かぐや姫を戦火に巻き込みたくないと、そんな人の帝のようなことを考える月の姫たちや神ではない。輝夜が帰れば付いて来るであろう大きな副産物を狙ってのこと。輝夜が帰ると言えば必ず永琳が付いて来る。

 

「……そう」

 

  輝夜に顔を向けたまま固まる玉兎から目を外し、取り敢えず一言挟み輝夜は場を繋ぐ。玉兎から視線を切り輝夜が臨むは夜空の月。

 

  思えば、人の一生では一攫千金のお釣りが貰えるほどに輝夜はもう地上にいる。

 

(なんで地上に来たかったのかしら)

 

  わざわざ永琳に罪となる薬を作らせ、それを口にし罪人になってまで輝夜は地上にやって来た。

 

  なぜ?

 

  地上でのことを思い起こせば、爺様と婆様の笑顔。怒りの形相で拳を振るってくる妹紅。罠にハマる鈴仙と笑うてゐ。弾幕を燻らす巫女と魔法使い。愛を運んだ桐。決意の瞳で拳を振るってくる楠。なぜ拳が二つもあると自分の記憶に歯軋りしつつも、小さく輝夜は微笑んだ。

 

  地上に来たのはそれが見たかったからだ。

 

  命に触れてみたかった。

 

  春夏秋冬、移ろう季節のように命は色々な色を滲ませる。春のように暖かく、夏のように苛烈で、秋のように哀愁を纏い、冬のように冷徹だ。人も自然も千差万別。それがいと面白い。なにも変わらぬ月の都とは違う。輝夜が月で思い描いていた通り、いやそれ以上に地上は命で溢れていた。移ろう雲のように同じ命はあり得ない。月の民が“穢れ”と呼ぶそれで輝夜の手はもう泥だらけだ。それを流してくれると言われても、その泥に塗れた手を輝夜は濯ぎたいとは思えない。その穢れ一つ一つが暖かさだから。

 

  手を握りしめ、そして輝夜は奥歯を噛みしめる。

 

  自分一人ならもう答えは決まっている。輝夜の答えは否である。だが、永琳のことを考えれば……。

 

  永琳が地上に残ったのは、偏に輝夜を想ってのこと。罪になると分かっていても、蓬莱の薬を煎じ輝夜が口にすることを止めなかった負い目。蓬莱の薬を作った永琳は罪に問われず、月に戻れば罪人として扱われる輝夜のことを考え永琳は地上に残った。永琳だけなら月に居てもなんの問題もなかったのに。輝夜はもう千三百年も永琳を地上に引き留めている。

 

  輝夜と違い永琳を慕う者は月には多い。永琳が帰れば多くの者が喜ぶだろう。永琳の憂である輝夜の処遇も今帰れば関係ない。永琳のことを考えれば、帰る方がいいに決まっている。いい加減永琳に自由をあげてもいいはずだ。

 

  そうして帰れば……。

 

  帰れば……。

 

  それでも戦いは止まらぬだろう。玉兎が持って来た案は一種の月人同士の温情で、狙いは輝夜でなく幻想郷。輝夜や永琳が居ても居なくても戦いは始まる。そして残った者は戦うのだ。

 

  妹紅も、てゐも、鈴仙も、霊夢も、魔理沙も、楠も、桐も、椹も、梓も、櫟も。誰もが戦いそしてきっと負ける。そう分かっていても彼らは引かず戦うのだ。千三百年前と同じように。

 

「……帰るのは、私と永琳だけ?」

「そうです」

 

  短な玉兎の返事に僅かな希望も撃ち抜かれる。もう引くことはない盛大な負け戦。それは絶対避けられない。

 

  手を閉じたり開いたりを繰り返し、輝夜はもう一度月を見上げた。

 

  月に居れば見ているだけだ。月の使者が来ると嘆き、ただ座して終わりを待っていたあの時と同じ。そうあの時と……。

 

  輝夜は“穢れ”に塗れた手を握りしめそして笑った。「連れ帰るのは永琳だけにして」と力強く玉兎に言って。

 

  月の民と地上の民。どちらと共に居たいかと問われれば、答えはやはり後者なのだ。永遠ではない者たちが、永遠ではないからこそ手放したくない。無くなってしまう有り難みをもう輝夜は多く知り過ぎた。月に戻っては満足できない。手にこびり付いた穢れこそ、五つの神宝にも勝る輝夜だけが持つ最高の宝。絶対口には出さないが、輝夜はそうだと知っている。

 

「か、輝夜様⁉︎ なぜですか⁉︎ 負けますよ!」

「でしょうね」

 

  そんなことは百も承知。輝夜が地上に残ったところで、勝利が手に入るわけではない。だがそれでも輝夜は決めたのだ。嘆き座すだけのか弱い姫を演じる必要は、幻想郷では必要ない。負け戦だろうと、なんだろうと、帰りたくないと駄々をこねて拳を握るだけの年月を、千三百年で重ねることはできた。「お考えは変わりませんか?」と再三しつこい玉兎に大きく胸を張り、二言はないと強く笑う。

 

「私は地上にいる。鈴仙ではないけれど、もう私は地上の姫よ! その地上に攻め入って来るのなら来てみなさい! こてんぱんにしてやるわ!」

 

  瞳を月のようにギラつかせる輝夜にレイセンは非常に困った顔を浮かべ縁を立った。地上の姫などと言っても輝夜の本質は月人と同じ。一度決めたらテコでも動かない。豊姫からの命を思い出しながら、レイセンは「どうしてもですか?」と無意味な確認をする。

 

  輝夜の答えは当然変わらず、レイセンも覚悟を決め、懐へと手を伸ばし月の姫へと振り返った。

 

「……豊姫様からの命です。輝夜様にはどうしても帰っていただきます」

「……そういうことね」

 

  玉兎が手に握る拳銃を見て、輝夜は全てを悟り肩を落とす。どうせなら初めからそうしていればいいものを、と呆れ過ぎて皮肉も言えない。輝夜の答えなど必要なく、月の者はただ永琳を敵に回したくないだけ。億に上る人に手を出そうとしているというのに、たった一人の月人を恐れる月軍など憐れむことしかできない。

 

「……月に帰ってはいただけませんか?」

「私は月には帰らない」

 

  引き金は引きたくないと、最後の注告を輝夜は一刀両断した。月の拳銃。それが普通であるはずもない。どんな結果が訪れるのか、兎に角撃たれる前に手を打ってしまおうと能力を振るおうとした輝夜は、そよぐ風が変わらないのを肌で感じ薄く笑った。全ては相手の手のひらの上。能力は既に使えない。引き絞られていく引き金を睨みつけ、輝夜は笑みだけは崩さないと胸を張る。

 

「その答えを待っていた」

 

  ────カヒュ。

 

  浅く息の詰まるような音が響いた。玉兎の拳銃に穴が空く。ポトリと地に落ちた食い千切られた鉄の欠片に輝夜とレイセンは目を落とし、その合間に輝夜の横を一つの影が通り過ぎた。ギリギリと歯を擦り合わせる不快な音。大小ふた振りの刀を背に背負い、ゆらりゆらゆらと月光の合間に揺れる人影。

 

「ようアンタ、うちの輝夜に何の用だこら」

「……楠」

 

  人影が二つに増えたように、輝夜の視界の中に人影が一つ滑り込む。スルリスルスルと摩擦なく、違和感なく輝夜の前に立つ柳。背丈六尺。その背と変わらぬ大太刀を担ぎ、ふやけたような笑みを顔に貼り付けて。

 

「輝夜様、お待たせしてしまいましたか?」

「……桐」

 

  ふわりふわふわと白い綿毛が落ちて来る。登場を告げる高笑いを上げながら、両手で全てを奪う大盗賊。輝夜の前に落ちて来た影、その背に視線を盗まれる。

 

「あっはっは! また奪いに来たぜ! なあ輝夜嬢」

「……椹」

 

  目の前に杭が打ち込まれた。絶対に折れず曲がらぬ至高の盾。脅威も期待も、良いも悪いも全てを受け止める大黒柱。決してブレないその背中についつい期待してしまう。

 

「我らが総大将に手は出させん」

「……梓」

 

  総大将って? という輝夜の疑問を死の影が塗り潰す。音もなく増える人影が一つ。頭の後ろで一纏めにした長い黒髪が秋風に揺れる。月明かりに溶けたような人影に輝夜の口端が小さく引き攣るが、その様相こそ期待の表れ。

 

「月の姫君、守りに来たぞ」

「……菖」

 

  輝夜の横を新たに通るは目を閉じたままの盲目の少女。頼りなさげなその背には、多くの叡智が詰まっている。月光も秋風も影も竹の匂いでさえ、その全てを余さず吸い込む瞳のない眼光。少女の浮かべる微笑は崩れない。

 

「輝夜様の見る景色、それ以外は私が見ましょう」

「……櫟」

 

  輝夜の視界に白煙が伸びる。流れる雲のように淀みなく、這いずるように視界に忍び込む人影が一つ。長い硬質の下を口から伸ばし、人妖神魔を煙に巻く。輝夜も櫟から話に聞いた煙の悪魔。陰謀家の影は淀みない。

 

「輝夜殿、貴女のために煙を吐こう。新たな竹取物語を語りながら」

「……藤」

 

  一つ、大きな影が視界を割った。見慣れ過ぎたその影形。並んだ背は二つ分。世に反抗するように長い金色の混じった黒髪は外側に大きく跳ねていた。平城京からやってきた変わらぬ術師。その姿に輝夜は目を見開く。

 

「かぁぁぁぐぅぅやぁぁぁさぁま!」

「呪いを解きに来てやったぜかぐや姫!」

「……漆」

 

  キリキリと歯車が鳴った。見た目は人と変わらない。だがその身は武器で出来ている。刀も槍も礫も爪も、あらゆる武器はそこにある。後必要なものは武器を振るう相手だけ。武器を握る者はそこに居る。見えないイトを断ち切るために、からくり人形が稼働した。

 

「かぐや姫ちゃん、相手を砕く武器は全部ある。どれがええ?」

「……菫」

 

  漆黒の瞳が横切った。人も妖も神も誰でも、破滅を与える瞳が二つ。その眼に映る九つの影を追い、最後の影が輝夜の前に立ち並ぶ。手に持つサングラスを人影は投げ捨て、隠す必要は既にないと、睨む相手は決まっている。

 

「おれには全てが見えている。輝夜様が見ているものも」

「……梍」

 

  十の人の背が前に立つ。輝夜の前に今一度。千三百年前の焼き直し。だが、その背は年月に削られ、より強く、頼もしく、果てしない時間を掛けて再び集まった最高の十人。口を開きそして閉じる。震えた声を聞かせたくなかった。輝夜の手にこびり付いた十の“穢れ”。その輝きから目を離さぬように。視界が薄くぼやけているのは気のせいだと一度強く目を拭って。最強の馬鹿たち。その馬鹿さ加減にまた少し期待をしてしまう。勝てないと思いながらも、もしかしたらと考えずにはいられない。彼らこそが千三百年前からの……。

 

  背後で振るえる輝夜の気配を感じながら、瞬きもせずに一歩後ずさった玉兎に櫟が口を開く。相手が聞き逃してしまわぬように大きく口を開いて流れる秋風に声を乗せた。

 

「月の使者。輝夜様の答えは出ました。そしてそれが、八意永琳の答えです。我ら平城十傑の答えです」

「……平城十傑?」

 

  玉兎の問いに十の笑みが返された。どこまでも不敵に。どこまでも傲慢に。神が相手であろうとも引かず媚びずただ笑う。月の姫をその背にして。首を傾げる玉兎に対し一歩出るのは平城十傑が大黒柱。

 

「千三百年前、輝夜様を守るため集まった十の一族。千三百年掛けて勝ちに来たぞ。八意永琳の力は借りない。我ら平城十傑。延いては幻想郷、総大将蓬莱山輝夜が相手を仕る」

「ちょ、ちょっと梓」

 

  再び零された『総大将』という言葉に、輝夜は今度こそ飛び付いた。どういうわけかいつのまにか担がれている。慌てる輝夜に梓はブレず、誰も相手をしてくれない。そんな輝夜に薄く藤は笑うと、なぜかやたらと血塗れの学ランの懐から、綺麗に三つ折りされた純白の紙を取り出し玉兎へと白煙と共に流した。

 

「月夜見に渡してくれよ。それこそ我ら全ての意志である」

 

  親書を受け取り玉兎の目が再度十の人へと向けられた。誰も彼もが不動に立つ。その姿の傍若無人さに意味が分からず、垂れた耳を揺らしながら、レイセンの姿はふっと消えた。初めからそこに居なかったように。消えた玉兎に肩の力を抜き、十の影が肩を小さく落とした。その隙を見計らい輝夜は一番話になりそうな楠に詰め寄った。

 

「ちょっとどういうことよ楠! 私が総大将⁉︎ ていうかなに渡したわけ? それよりなによこの見計らったような登場は! 貴方たち盗み見てたわね!」

「まあそうだけどよ、良い啖呵だったぜ輝夜。俺らが長年探してただけあるぜ」

「だからこそ総大将足り得る。輝夜様、我らを率いるとしたら貴女しかいない。それとも僕らでは不服ですか?」

 

  不服だ! と言おうとしたが、思ってもいないことは言葉にならない。薄く笑う梓と、にやけた楠の勝ち誇ったような顔が癪で恥ずかしく、輝夜は楠の頭を一度叩く。「なんで俺だけ⁉︎」と叫ぶ楠の声に藤は笑い、それにつられて櫟と菖も小さく笑った。

 

「輝夜殿、渡したのは我らの総意ですよ。あれだけは月夜見に言っておかなければね」

「あれ?」

 

  首を傾げる輝夜を見て、十の顔がお互いを見合わせ大きく笑った。視線を切り目を向けるのは、満月になろうかという丸い月。それをしばらく十の顔は見つめると、それに伸びる十の中指。大きく息を吸い込んで、十の呼吸がピタリと合わさる。

 

『くたばれ月夜見! 月軍死すべし‼︎』

 

  十の声の合唱が、迷いの竹林に木霊した。その声は風に乗ってスキマに乗ってどこまでも。その声に呼応し迷い家で、紅魔館で、白玉楼で、妖怪の山で、地霊殿で、命蓮寺で、はしたないなど気にせずに、至る所で中指が立つ。

 

  声の残響を聞き届け、呆けていた輝夜に意識が追いつき心の底から大きく笑った。呼吸もままならず、目尻に溜まった雫を指で払い、輝夜もまた月に向かい中指を立て息を吸い込む。それに合わさる無数の呼吸。人が、吸血鬼が、天狗が、鬼が、河童が、覚が、蓬莱人が、魔法使いが、狸が、尸解仙が、妖精が、全ての瞳が向く先は一つ。全ての心が向かうは一つ。今日、この夜の一瞬だけは一つの言葉に幻想郷が染まる。

 

『月軍死すべし‼︎』

 


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