月軍死すべし   作:生崎

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総大将 蓬莱山輝夜

「機嫌を直してくださいよ姫様、櫟の策だったんですって」

 

  手をすり合わせる鈴仙の言葉に鼻を鳴らし輝夜はそっぽを向いた。輝夜に使者が送られれば、それが開戦が間近に迫った合図となる。地上にいる輝夜と何より永琳になんのアクションもないなどあり得ないという櫟の目論見は見事に当たった。それに伴う輝夜の意志の確認。平城十傑の理想とする答えを得られ、一夜明け事態は一気に動き出す。

 

  鈴瑚と清蘭から、月の侵攻が今夜に迫っているという情報が齎され、幻想郷はてんやわんやの大忙しだ。急遽作戦本部の設置された博麗神社は、宴会や初詣の時以上に多くの人妖で溢れかえっている。そんな中で総大将である輝夜のする事は、博麗神社の縁側に座りただ動く人妖を眺める事だ。ぶっちゃけ総大将だからと言ってやる事がない。

 

  自分から手を挙げたわけでもなく、勝手に肩書きに『総大将』が足されただけ。輝夜自身戦争の経験があるわけでもなく、将として戦さ場に立った事があるわけではない。暇を持て余す輝夜の傍に困り顔で立っている鈴仙へと輝夜は目を移し鼻で笑った。

 

「貴女今櫟の秘書みたいに動いてるのにここに居ていいわけ?」

「あー、手の空いてる時は姫様についててやれって」

 

  忙しいだろうに、櫟の気の使いように輝夜は大きく肩を竦めた。空を飛ぶ天狗たち。至る所へ走り回る河童。萃香や勇儀以外の鬼も多くが地上に出て動いている。そんな中で一人座っていても退屈で気が滅入ってくるだけなので、輝夜は一度伸びをすると縁を立った。

 

  顔を向けるのは境内の中央。櫟、藤、梓、紫、幽々子、レミリア、さとり、天魔といった多くの主、智慧者たちが石畳の上に置かれた簡素な木の机を囲み、顔を突き合わせ絶えず口を動かしている。少し気まずそうに輝夜が近寄れば、机の上に広げられているのは幻想郷の地図。重要拠点には旗が立てられ、マーカーで多くのことが書き加えられている。手に持った長い棒で地図を叩きながら、瞳のない目で地図を見つめ櫟は言葉を紡ぎ続けていた。周りの喧騒が邪魔どころか防壁のように櫟の言葉を反射しているようで、机の近くに寄った輝夜の耳に少女の言葉はスッと入ってくる。

 

「序盤は萃香さんが要です。その後は相手の動き次第ですが、藤さんが中盤の肝。この序盤、中盤の流れで全てが決まると言ってもいい。その間に敵の将をどれだけ落とせるか。萃香さん、にとりさん、進行状況はいかがですか?」

「鬼も河童も協力して急ピッチで進めてるけど量が量だよ。あたしらでもハリボテが精一杯だね」

「見た目上の形さえできれば中身はがらんどうで構いません。どうせ置物、小細工ですよ。質感などはマミゾウさんとぬえさんに任せますから出来るだけ本物っぽい雰囲気を」

 

  全てを隠した幻想郷には自然しか残らない。野山での戦闘はもってこいではあるのだが、何もなければ敵の動きも分からない。よって置くのは偽物の重要拠点。紅魔館も白玉楼も博麗神社も、突貫工事で外装だけ似せたものを同じ場所に設置する。ハリボテにマミゾウとぬえの能力でさらにハリボテを重ね、更に紫の能力で本物と偽物の境界を弄っておく。そうすれば見た目と空気感だけは全く本物と遜色のない一夜城の出来上がりだ。

 

  人の悪知恵に感心する輝夜の横に鈴仙が並び、その気配を感じた櫟の顔が鈴仙へと向いた。

 

「鈴仙さんいいところに。玉兎たちの動きを傍受する斥候役は鈴仙さん、鈴瑚さん、清蘭さんに任せます。それに椛さんとはたてさんを付けますので、連絡は術などではなく原始的ですが足で取り合います。敵の技術力を考えれば、どう傍受されるか分かりませんからね。なるべくアナログチックにやるしかないです。動きの確認をお願いしますよ」

「分かったわ」

 

  そう短く参謀へと返事を返すと鈴仙はスタスタ歩いて行ってしまう。ポツンと残された輝夜は右、左と顔を動かし辺りを眺め、真面目な顔で地図へと目を向け続けている者たちとの場違い感に大きく肩を落とした。なにかやる事はないか櫟に聞こうと輝夜は考えていたが、明らかに口を挟める雰囲気ではない。こここそが櫟にとっての戦場。平城十傑の誰より早く地図の上で月軍と戦う櫟の顔は真剣そのもので、額から垂れる一筋の汗を拭いもしない。

 

  一歩作戦会議の只中から離れ難しい顔で固まる輝夜だったが、目の前に薄い白煙が流れてきて思わず鼻を擦る。森の空気を凝縮したような自然の匂いに喉を鳴らし、白煙の流れてきた元へ顔を向ければ長い舌を口から伸ばした男がいつの間にか隣に立っている。「ご機嫌いかがか輝夜殿」と青白い顔に微笑を浮かべ、目は机上の地図から外されない。

 

「藤いいの? 私の側に居て」

「私の打てる手は全て打った。それに私のやる事はもう決まっていて後は櫟たちがタイミングを決めるだけですからね。見たところお手隙のようだ」

「ええ、とってもね」

 

  それは良かったと笑う藤に輝夜は目を半眼に絞り口元を歪めた。藤は不貞腐れた総大将の顔を横目に一瞥し、ぶわりと白煙を零すと電子タバコを口から離し、手の中でくるりと回す。

 

「輝夜殿、厨房を訪ねてみてください。そこなら輝夜殿の隙も埋まるんじゃないかな」

「それは私に料理しろってこと?」

「大事な仕事の一つです。それも総大将手ずからならば士気も上がるというものですよ」

 

  さあさあ、と藤は電子タバコの舌先で厨房の道を指し示し、ふらりと作戦会議の渦中に戻っていく。掴み所のない変な奴から輝夜は目を外すと、やる事があるわけでもなし、藤の言う通り渋々厨房を目指して足を進めた。普段参道や周りの木々の方が視界を埋める割合の多い神社の景色が肌色に埋まっている。それだけの者の食事を賄うのに博麗神社の厨房の中だけでは物足りず、野外にはいくつもの寸銅鍋が置かれ絶えず何かを煮立てていた。

 

  簡易で設置された机の上には多くの調理器具が並び、まな板の上に忙しく妖夢と咲夜が包丁を落としている。高速でリズミカルに淀みなく落とされる包丁の音は、そのまま並べられた食材を細切れにし、できた端から寸銅鍋に飲み込ませていた。お燐や美鈴、星といった輝夜の見慣れた者たちの多くが料理に従事している中、少し離れたところで楠がジャガイモの皮を剥いているのを目に留めて、そちらへと足の向きを変える。

 

  手慣れた様子で芽を取り、途中で千切ってしまうことなくジャガイモの皮を剥き続ける楠は、視界の端に夕焼け色のスカートが揺れるのを見ると顔を上げた。難しい顔で立つ輝夜を見て楠は首を傾げ、皮の向けたジャガイモを手元のボールへと放る。

 

「どうしたよ輝夜、なんか用か?」

「藤が暇なら料理手伝えって。厄介払いされたわ」

 

  そう言って鼻を鳴らした輝夜に楠は小さく笑い、また一つジャガイモを手に取って芽を抉る。

 

「料理? アンタが? できんのか?」

 

  残念ながら輝夜には料理のできる雰囲気がまるでない。あははと座敷に座りただ笑ってる姿の方が似合っている。そんな空気を散らすように「私に不得意はない」と胸を張る輝夜に楠は包丁を一本手に取って持ち手を向ければ、少しの間それを見つめた後粗雑に輝夜は包丁を手に取った。

 

  右手に包丁を、左手にジャガイモ。童歌『うさぎ』を鼻歌で奏でながらジャガイモの皮を剥く楠に目を落とし、輝夜は一息吐くと楠の隣に腰を落とした。楠の動きを見ながら、輝夜もまた同じように包丁をジャガイモの肌に添わせる。辿々しくも包丁を滑らせる輝夜を見て、楠は感心したように小さく頷いた。

 

「へぇ、意外だな。思いの外上手いもんだ」

「当たり前でしょうが。私をなんだと思ってるのよ」

「食い逃げ常習犯。ケチな金持ち。後は……お転婆姫?」

「ちょっと! なによそ、っ痛⁉︎」

 

  狂った手元がジャガイモから離れ指を切る。普段なら蓬莱人の特性ですぐに繋ぎ合うような小さな指の傷が治らず朱雫が垂れた。赤い筋を輝夜は睨みつけ指を振る。そんな不機嫌な輝夜に楠は笑うと、手を引き水をかけて消毒すると取り出したハンカチを巻き付けた。不思議な顔で目を瞬く輝夜の顔に楠はまた大きく笑う。

 

「ははっ、だっせえの。俺も小さい頃はよくやったぜ」

「う、うるさいわね! 久しぶりだったからよ……久しぶりだったから!」

「ああそうかよ、久しぶりね。いつぶりかは聞かないでおいてやんよ」

 

  にやけた楠の手を振り解き、輝夜はハンカチの包まれた手を握り締めると再びジャガイモに手を伸ばす。いそいそとジャガイモの皮を剥く月の姫の姿はシュールであり、やはり似合っていない。ぶつぶつと文句を口遊む輝夜に楠は肩を竦め、また一つジャガイモをボールに放る。

 

「総大将は嫌か、輝夜」

 

  シャリシャリと鳴り続ける包丁の音に楠の声が加わった。総大将。昨夜から何度も聞く大きな役職に、輝夜は口の端を歪めて手を止める。楠は手を止めずに包丁を動かし続け、すぐにまた一つジャガイモをボールに投げた。

 

「……似合わないでしょ私には。ジャガイモの皮一つ満足に剥けないってのに」

「別にいいだろそれは、野菜の皮剥きなんて総大将の仕事じゃないしな」

 

  ジャガイモの皮を剥くのが抜群に上手い総大将なんてなんか嫌だと笑う楠につられて輝夜も小さく笑うが、表情は暗いまま変わらない。なんとか一つ皮を剥き切りボールへと転がした輝夜は包丁を置き、緩く腕を組んでため息を零した。

 

「……周りは忙しく動いてるってのに私にはできる事がないのよ? 能力も使えなければ私にできることなんて和歌を詠むか琴を弾くか、そのくらいのものよ」

 

  戦いにはまるで向いていない。戦う気迫を見せたところで、そのための術を持ち合わせていない。ついっと楠の方へ輝夜は顔を上げ、そのまま膝を折り畳みその上に顎を乗せる。自分とは違う現代に紡がれて来た武士。戦うために人生を繋いできた者。この日のために彼らは生き、逆にどちらかと言えば輝夜はこの日が来ないことを願っていた。

 

  月に戦いの意志を叩きつけたとはいえ、想いと能力はまた別だ。嫌だと言ってもそのための力がなければただの戯言。そしてその力が輝夜には欠けている。それを理解している出来の悪くない頭が今は疎ましいと落ち込む輝夜に楠が向けるのは呆れでも怒りでもなくただ笑い。出会い頭に殴って来たとは思えない楠の郎らかさに輝夜の方が呆れてしまう。

 

「馬鹿じゃねえの。アンタはかぐや姫だろう? 俺たちはアンタの命ならまあ多少は聞いてもいい。だから私は座ってるからさっさと倒せとか言っときゃいいんだよ。どうせアンタが何もしなくたって、こっちは勝手に戦うんだ」

「でもそんなのって」

 

  無責任じゃない。と言葉を続けようとした輝夜の前にジャガイモが放られ言葉を止められる。平城十傑が今現在まで続いている原因の一端を、輝夜が持っているのは確か。千三百年前に月の使者が去った後、手紙でもなんで書いて無事を知らせておけば狂気の歯止めにはなっていた。だがそれがなかったために平城十傑は今まで輝夜を探す無駄に長い年月を過ごして来たのだ。そんな負い目が輝夜から強い言葉を出さない。平城十傑が一笑に付そうと、それが消えることはない。

 

  ジャガイモを手に目を瞬く輝夜に楠は苦笑を浮かべ、新たなジャガイモを手に取った。

 

「意味が欲しいならあるさ。梓さんなんかは立場上アンタを総大将にしたんだろうが、藤さんや櫟の思惑は別だろうよ」

 

  月出身である月軍を知る輝夜が総大将に立ち、なんの心配もないと振る舞えばそれだけで一定の安心を得ることができる。幻想郷の重鎮たちや平城十傑にとっては関係ないが、末端の関わりの薄い者には効果はある。そう楠は言うが、輝夜の表情は特には変わらず、楠も仕方なく手を止めて包丁を置く。

 

「俺たちは平城十傑だぜ。かぐや姫だって言うなら、俺たちは自分のもんだって偉そうにしとけよ。人も財産とか言うだろ? 五つの神宝より役立ってやるぜ」

「だってそんなの! そんなことでいいの? それが嫌で貴方は私を殴りに来たんじゃない!」

 

  声を荒げ立ち上がろうとした輝夜に、「それは違え」と制し楠は偉そうに足を組んだ。

 

「俺は無価値な人生が嫌なんだよ。誰もと同じように人生を生きたいのさ」

「ならここに来ずに好きにやれば良かったのよ……」

「だからそれだと先代たちの人生が無価値になっちまう。俺たちにはこれが必要なんだよ。それにアンタも必要だ。ただ居てくれるだけでいいんだよ」

「……なによそれ

 

  結婚を申し込むわけでもなく、蝶よ花よと愛でるわけでもない。ただ居てくれるだけでいいなどと輝夜が言われた数はどれほどか。それが一気に十人分だ。輝夜の前に不動で仁王立ちし、つい期待してしまうような背中ばかりを見せてくる。

 

(……本当にズルイ人間たち)

 

  座しているだけではいつまでも背中を見つめてばかり。手を伸ばしても虚空を泳ぐだけで永遠に掴めない。その背に触れるためには、顔を見るためには、その場を立って歩み寄るしかない。何人もの者が輝夜へと歩み寄って来たのに、歩いて来いと言わずとも示す人間。手に持ったジャガイモを握り締めて、輝夜は楠の顔を見つめる。

 

「……置物なんてごめんよ。料理だってなんだってするわ。なんなら月軍だって殴るわよ。戦いを決めたのは私だもの、もうただ座って月を眺める私じゃない」

「そうかよ、なら俺がアンタを守ってやるぜ。妹紅のついでにな!」

 

  笑う楠に輝夜も笑うが、妹紅のついでと聞いて顔を顰める。なんだかんだと藤原家の護衛役である男がちょっとだけ羨ましいと思いながら輝夜は口を尖らせた。そんな輝夜の顔に楠は笑い声を一段高くし、手に残ったジャガイモの皮を無駄に剣技を用いて一瞬で剥くと宙に放った。

 

「まあその前に料理だ。包丁が苦手ならアレはどうだ? 輝夜なら得意なんじゃないか?」

 

  元気になったと見える輝夜に楠が指し示すのは、白兎たちと共に餅を搗いているてゐの方。輝夜と楠の視線に首を傾げ、立ち上がった輝夜をてゐは見ると、「マジで?」と言いたげな顔で恐る恐る杵を渡した。

 

  軽く振って杵の重さを確かめながら、輝夜は両手で杵を握り締める。餅になりかけている不定形の白い餅米が形となるように。これまでの自分を叩き潰すように輝夜は思い切り杵を持ち上げ振り落とした。

 

  ────ドゴンッ!!!!

 

  響く音は臼を叩く音にあらず。空気を押し潰したような炸裂音に、博麗神社にいる者たちは一様にして肩を跳ねさせ目を向けた。神社の地に半分以上も臼は埋まり、小さな煙を上げている。恐るべきは輝夜の怪力。そんな威力で餅はできるのか。輝夜の力に耐えている杵と臼が凄いのか。疑問は尽きず固まる楠の手から新たに取ったジャガイモが零れ落ちる。肩に杵を担ぎVサインを向けてくる笑顔の輝夜に弱々しくVサインを返す楠の視界に、落ちたジャガイモの代わりに紅白の巫女が落ちてくる。青筋を立てて腕を組む霊夢を楠は呆けた顔で見上げ、その頭にペシリとお祓い棒が落とされた。

 

「このクソ忙しい時にうちの神社に今度は穴を開けたわけ?」

「……輝夜がな」

「ならあんたにツけていいわけね? 外の世界に帰す料金倍よ」

「うそォォ……、あ、輝夜が払って「頑張りなさい楠、自力でね♪」……くれねえよなあ‼︎ くそったれ‼︎ 幻想郷なんて大っ嫌いだ‼︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  数十分後。未だに耳から離れない楠の叫びに口元を緩ませながら、抜群の耐久性で一仕事耐え切った杵と臼のおかげでできた団子を携えて輝夜は境内を練り歩く。月の姫からの差し入れはなんだかんだと好評のようで、桐も椹も美味しそうに頬張っていた。椹に少しばかり多めに掠め取られたが、それでもまだまだ大量にある。「なんでおれが……」と、小さく零しながら団子の積み上げられている大皿を抱えた梍を伴い、輝夜はまた新たな集まりどころへと顔を出す。

 

  鼻を擽るのは鉄と紙の匂い。楠や桐の刀なども含めて多くの武器が立ち並び、天狗や河童の鍛治師たち、付喪神たちが武器の調整を行なっている。その中心に座るのは菫。六百年近く武器と共にあった絡繰人間の指示のもと、夜に向けて急速に武器の微調整が進められている。

 

  振るわれる金槌と砥石の上を滑る刃の音と共に流れるのは、規律正しく流れある形を描こうと蠢く霊力や妖力。藍、パチュリー、魔理沙、アリス、白蓮、青娥、漆といった術に通じた者たちが急いで仕上げているのは、弾幕ごっこ用のスペルカードを戦争用へと調整する作業。一々術式を練っていたのでは、生死を賭けた戦いの中では無駄がある。大技なら尚更だ。それを緩和すべく、発動に時間のかかる代物をすぐに使用できるようにカードに落とし込む作業。マスタースパークや夢想封印といった一種の技ともいえるものとは微妙に外れた大技を簡略化する作業は、彼らをしてなかなか面倒な作業だ。

 

  個々人の術を落とし込むには、それぞれのクセや霊力、妖力、魔力の質に合わせなければならない。小さなことだが絶対に欠かせない武器調整の詰めどころは、細かな作業ということも相まって殺気立ち、あまり踏み込みたい空気ではない。が、輝夜は気にせず庭を歩くように悠々と踏み込む。

 

  マグマの中のようなどろりとした赤い感情の中を歩く月の姫に、梍は口元を引攣らせながらも、輝夜に小さく手招きされてしまい嫌々ついていく。

 

  「ご苦労様」と輝夜に言われ誰もが最初は「んだコラ」と暴動一歩手前の決起人のような表情を浮かべるが、平城京で絶世の美女と呼ばれた輝夜の全力の才女ムーブの前にその顔も緩む。風鈴を鳴らしたような優しい澄んだ声音。人が一生のうちに見れるかどうかという最高の微笑。洗練された無駄のない優雅な動きで団子をその手に差し出す輝夜の姿は、どこを切り取っても最高の名画だ。その動きの細部までよく見えるからこそ、梍は誰より呆気にとられ、傾国の美女という単語が慌ただしく梍の頭の中を駆け巡った。

 

  カリスマで率いるレミリア、武力で率いる天魔、心を覗く恐怖で支配するさとり、決してブレない梓の誰とも違う大将の姿。男も女も性別関係なく魅了する、物ではなく血の通った至高の珠玉。近くにいて欲しい、手放したくないと思わせる魔性の色香。妖しく艶やかな大将の器の色に、梍はホッと息を吐いた。誰も持ち合わせていない、ただ美しさを磨き抜いた唯一無地の総大将に、なるほどと梍は一人納得する。

 

  殺気を振りまいていた鍛治師が、頑張ればまた輝夜が来るんじゃね? と期待して元気良く玄能を振るう姿を見て、梍は頷く代わりに目を瞬く。

 

「ふふんどうよ梍。私もやるでしょ?」

「ははっ、ええ流石ですよ総大将。流石はかぐや姫様です」

「でしょ! その目にしっかり私の勇姿を焼き付けなさい! そして言いふらしなさい!」

「……おれの目は別にカメラじゃないんだにが」

 

  楠も藤も輝夜もよく見ておけ、お前しか見れないと多くのものを勧めてくる。その景色が、本当に梍にしか見れないのだから困ってしまう。形としては残らなくても、梍の記憶には決して崩れず消えずに焼き付く。「次よ!」と歩く輝夜が視界から消えてしまわぬように追う梍を一瞥しながら、輝夜は見慣れた一つの後ろ姿に寄った。

 

「ご苦労様、私が団子を作ったのよ、漆も食べてみて!」

 

  昨夜会ったのが初めてなのだが、全く初めての気がしない少女。輝夜も漆も影のように剥がれない既視感の中顔を見合わせ動かない。輝夜の記憶の中の漆から幾分かいろいろ跳ねている漆と、漆の記憶の中の輝夜からいろいろとやんちゃな輝夜。漆は輝夜を前にどんな顔をしていいか分からず、いつもの癖で小さく舌を打ち、輝夜の顔から横へと目を外す。

 

「ちっ、大丈夫なのかよ。ちゃんと作れんのか?」

「作れるのかって、もう作っちゃったもの。ね、漆」

 

  ハンカチを巻いた手で団子を差し出してくる輝夜の姿に漆は小さく目を見開いて手を伸ばそうとしたが、その手は途中で止まり顔が俯いた。首を傾げた輝夜の微笑を見て、漆は小さな声で式神の名を呼ぶ。

 

  漆の影から手が伸びる。這いずり出てくる影の怪女が、陽の光で伸びる影法師のように現実世界へと背を伸ばした。輝夜の見慣れた姿から、遥かに離れたウルシの姿。漆黒の長い黒髪は蜘蛛の巣のように地に張り付き、紅い眼はどこを向いているのか。目の前にいるはずの探し人には向けられず明後日を向き、小さく輝夜の名を呼んだ。

 

「……ウルシ、テメエにやる。あたしはいい」

 

  顔を背けた漆はそのまま手元の札に目を落とす。少し寂しそうな漆の背から輝夜は団子を持った手をウルシへと向けると、紅い瞳が輝夜を覗いた。一分か十分か、時間感覚がズレるような感覚は十秒ほどのものだったが、その十秒ウルシは輝夜をその瞳に写し、団子を摘むと無理矢理漆の口へと団子を捩じ込んだ。

 

  咽せる漆を見もせずにウルシは輝夜の名を呼びながら影へと消えていく。睨みつける相手が居らず、あたりを見回す漆の鋭い目と輝夜の目が合わさって、どうにも漆にとって気不味い空気が流れた。顔を見合わせたまま二人は固まり、その膠着状態を輝夜の微笑みが進める。

 

「味はどうだった?」

「…………まあまあだな。これならあたしの方が美味くできるぜ」

「言ったわね漆! 次は美味いって言わせてやるわよ!」

「……そうかよ、まあ頑張りな。…………ただ包丁は気を付けろよ。あんまり危ねえこと「漆さぁぁん‼︎ 凄いスペルカードが完成してしまいました! どうですか! 封印解除(レリーズ)!」ったく!うるせえんだよ東風谷(カードキャプター)! 静かにやれ!」

 

  突っ込んできた風祝に揉みくちゃにされ、早苗にチョップを落とす漆を見て笑い輝夜はその場を離れた。漆の黄色い色に肩を竦める梍を伴い隣の武器職人の元へ。「いい音ね! ドラムやらない?」という付喪神の誘いを丁重に断り玄能を振るう菫は、月の姫を見ると目を細めて頭を下げた。

 

「どうかしたん輝夜ちゃん。漆とはもうええん?」

「ええ、今の漆を見れて満足だわ。それより菫もご苦労様、褒美をあげるわ」

 

  そう言って団子を差し出す輝夜に菫は額を指で掻き小さく目を背ける。

 

「いやあ、ぼくは別に食事せんでも」

「しっかり食べなきゃダメよ。腹が減ってはなんとやらでしょ? さあありがたく食べなさい!」

 

  食べようが食べなかろうが菫にとっては関係ない。食べなくたって生きていける。だが、分かっているのかいないのか団子を差し出し動かない輝夜の手へと歯車の音を奏でながら菫は手を伸ばすと団子を摘みしばらく見つめた。ものを食べるなどいつぶりか。口へ団子を放り込む菫に満足そうに微笑む輝夜を見ながら、菫はゆっくり団子を飲み込んだ。

 

「輝夜ちゃん強引やなあ、ぼく六百歳やで?」

「あら、私より随分若いじゃない。もっと食べて早く大きくなりなさい」

「……まだ若いか、輝夜ちゃん顔に似合わず老けとんのやね」

「なんですって⁉︎ 次言ったらぶつわよ!」

 

  腕を振り上げた輝夜に菫ほ大きく笑い声を上げた。菫の何倍も生きる少女がこれほど人間らしいことが可笑しい。菫と違い永遠の物語を書き綴る少女。終わりがないとはどういうことか。そんな中で生命溢れる少女の姿に目が離せず、菫はまた一つ団子を手に取る。

 

「輝夜ちゃんにとってはこれも永い物語の章の一つやろ? 何があっても続くのにそれでも本気でやるんやね」

「過去は無限に積み重なるけれど今は一瞬だもの。その一瞬を適当に流すと過去もつまらないものになる。過去に長さは関係ないけれど、思い返すなら良いものがいいでしょう?」

 

  口に放った団子を何度も強く噛み締めて、そして零さぬようにしっかり飲み込んだ。そりゃそうだと飲み込んだ後に湧き上がってくる笑いを我慢せず、手に持った玄能をくるりと回す。

 

「さあさ、輝夜ちゃん邪魔やー。まだ武器の調整中、手に取るのは本番でな」

「あらいやよ、私武器なんて持ったことないもの。菫が持ちなさい」

「くくっ、あっはっは! 了解やー! ぼくに任せとき!」

 

  大きく手を振って見送ってくれる菫に手を振り返し、輝夜は小さく息を吐いた。普段静かな場にしかいないせいで、戦前の熱気の中に居るのは気疲れする。それでもしっかり黄色い色を滲ませている菫に梍は感心しながら輝夜に続く。

 

  気を入れ直し輝夜が最後に向かうのは作戦本部。熱気は冷めやらず、寧ろ白熱した言葉が飛び交っている。少々輝夜の足取りが重くなるが、喧騒の中へと後ろ髪を引く想いを振り払い足を出す。

 

「だから地底に重要な拠点やら者を置けば良い。それで集まった有象無象を藤の白煙や土蜘蛛の病で沈めれば済むではないか」

「地底も隠すのに何を地底に置くのですか? だいたいそれでは一緒に重要拠点も人も妖も潰れます。それにその後の地底の洗浄はどうするのです? 勝利を得る代わりに地底を生贄にしろと? ふざけないでください。それなら天魔さんの妖怪の山を使えばいいでしょう」

「さとりも天魔も落ち着きなさいな。だいたい月からやって来る者を地底に向かわせるのがまず大変だわ。萃香の能力で無意識に敵を集めるとして、適当な場所はもう決まってるんじゃないの?」

「そうですね幽々子さん、妖怪の山を中心に右か左か、どちらかに寄って貰えればそれでいいんですが。魔法の森は藤さんの技と相性が悪いかもしれませんし、そこに集めるとしましょうか」

「文女史、伝令役の天狗の斡旋は終わったか? ならば桐も纏めて話を詰めよう。アナログに頼るのならば動きを密にしなければ話にならん」

「梓さん、ある程度ハンドサインみたいなのも決めときましょう。どこで盗み聞きされるか分かりませんし、簡単なことなら言葉で伝えなくてもいいようにした方がいいですかね」

「霊夢、それでは脆くし過ぎよ。こちらも大技が使えない。もう少し目を細かく、バランスを考えて。ただ細かくし過ぎないで、あまり細かいと豊姫に扇子を使わせる機会が増えてしまうわ」

「ああもう面倒くさい! なら紫ももう少し手伝って! 結界はお手の物でしょ! 調整がシビア過ぎんのよ!」

「ご苦労様! 摘める甘いもの持ってきたわよ! 感謝なさい!」

 

  飛び交う声に負けないように声を張り上げ梍から受け取った大皿を輝夜は机の上に置く。打ち鳴った皿の音と跳ねた団子を見て僅かに静寂が流れたが、すぐに無数の手が伸び咀嚼音と話し声が戻ってきた。もりもり減っていく団子に満足そうに腰に手を当てる輝夜の前に白煙が流れ、輝夜はまた鼻を擦った。

 

  輝夜が横へ目を流せば、いつのまにか横に立っている人影が二つ。団子をもぐもぐと食べる藤と、腕を組み静かに佇む菖。輝夜の目を受けて藤は微笑むと、一度電子タバコを咥えて白煙を燻らせた。

 

「どうも輝夜殿、隙は埋まりましたかね?」

「まあ暇じゃあなくなったわ。団子はどうよ」

「いい味してますよ。ほら、菖お食べ」

「ん、ああ悪いな。ってなにをさせるか!」

 

  菖の口へと団子を押し込み食べさせてくる藤から団子を貰い、ついつい食べてしまった菖は藤に拳骨を落とす。「食べたくせに……」と言いながら地面に転がる藤を見下ろし菖は鼻を鳴らした。少し顔を赤くして自分で団子を手に取るとまた一つ口へ運ぶ冷徹そうな暗殺者の意外な一面にクスクスと笑う輝夜は菖と目が合い、輝夜は小さく咳払いをして間を開ける。

 

「貴女でもそんな顔するのね」

「私をからかうのは藤と櫟ぐらいのものだ。お節介な奴らだよ」

「ふーん、藤と櫟だけね。ほら、菖お食べ!」

「む……むう、……どうも」

 

  輝夜の手から直接団子を口に貰い、顔を赤くして菖はそっぽを向くとスタスタと離れていってしまう。道中櫟からも菖は団子を口に放られ、そのまま歩き去ろうとしたが小石に躓き情けなく菖は地に転がった。爆笑する藤と櫟、堪らず噴き出した梍と、薄く笑う梓。遠くからも聞き慣れた楠や漆たちの笑い声が流れてきて、その声に菖は飛び起きた。チキリッ、と鳴る鍔の音に笑い声はピタリと止むと、なかったことにして全員元の作業に戻ろうとしたが、それで止まる菖ではない。

 

「貴様ら……それで誤魔化せていると思っているのか? 殺す」

「ちょ馬鹿お前シャレにならん。照れ隠しにしても酷過ぎだ! おい櫟どうにかしろ」

「ではそう言う藤さんをサンドバッグとして差し上げます。あまり張り切ってはダメですよ菖ちゃん」

「ちゃんはよせ、では行くぞ藤。戦前の準備運動だ」

 

  「死んだ……」と呟き引き摺られていく藤に櫟と輝夜は手を振って、ほとんど空になった皿を手に輝夜は厨房へと戻っていった。まだ少し笑いの治っていない楠の隣には妹紅の姿もあり、同じように笑っている。輝夜は二人の隣に腰を下ろすと、残った団子を一つづつ二人に放り投げた。

 

「最後の三つよ、一つは私が貰うけど」

「おいおい、これでツケはチャラにならないからな。ちゃんと払えよ輝夜」

「輝夜の料理なんて大丈夫なの? うちの焼き鳥の方が美味しいと思うけど」

「食べてから言いなさい! きっと屋台に並べたくなるわ!」

「え? これって商品の売り込み? どうします店長、バイト雇います?」

「んー? そうねー、別にいいわよ私は。顎で使ってやるわ」

「はぁ⁉︎ 顎で使うなら私でしょ! 貴方たちの屋台買い取ってやるわ!」

「売るわけないでしょうが」

 

  空になった大皿をてゐは拾い上げると、騒ぐ三人を一瞥して洗い場へと持っていく。遠くから見ている分には、誰も彼も昔からの友人にしか見えない。不思議な来訪者たちのおかげでいつもより明るい輝夜の笑みをてゐは眺め、千三百年前の戦前とは随分違うなあと一人笑った。

 

 

 




どうでもいい設定集 ⑤

料理できる。 楠、漆、梍。

料理できない。桐、椹、梓、菖、藤、櫟、菫。

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