月軍死すべし   作:生崎

47 / 60
月軍死すべし ②

  霧雨魔理沙は乾いた喉を鳴らした。

 

  住み慣れた魔法の森の空気が、血と鉄の匂いに侵略されている。化け物茸の胞子も魔力や妖力とのぶつかり合いで摩擦によって爆ぜ、空気の中に火花を散らし舞っていた。黒い空に反射して赤い色が空気を満たし、その中で箒をくねらせる魔理沙の視界には、見慣れた木々の間に妖怪が転がり生々しい匂いを放っている。ぼんやりと見送るそれが三重に見え、魔理沙は頭を叩き意識を起こした。

 

  魔法の森の至る所で生えている幻覚作用のある茸が、火に炙られて空気を汚染していた。血の匂いに紛れて分かりづらくはあるが、少しずつ魔法の森に踏み入っている者たちの脳内へと手を伸ばしている。

 

(最悪だぜ)

 

  控えめに言ってもそうである。見慣れた住処が、本当の存在を隠しているとはいえ砕けていくことではない。弾幕ごっことは違う華麗さの欠片もない銃弾の雨。木々を穿ち、肉を食い千切り、大地を抉る。玄武の沢で普段騒いでいる河童が、妖怪の山で偉そうにしている天狗が、紅魔館の妖精メイド、地底の鬼、見知らぬ顔が多いが、何度か見た顔もある。

 

  腕が捥げ、足が取れ、人形のように転がるそれは血溜まりの中に沈み、光のない瞳はただのガラス玉。物言わぬ人形と化した妖怪たちの骸にかける言葉などなく、魔理沙はただ歯を噛み締めるのみ。

 

  戦いなどと、どこか夢物語のように思っていた。

 

  これまでえげつない異変もあったが、最後には宴で誰もが騒ぎ丸く収まる。そんな最後は訪れないと思える戦い。

 

  月軍が攻めて来る。菖のお陰でその触りは知ることができたが、渦中に巻き込まれればまた違う。生物のように這いずる死の気配に魔理沙の肌は産毛立ち、いつまで経っても治らない。不意に飛んで来た肉塊を魔理沙は頭を下げて避けるが、飛び散った血糊が顔に張り付いた。

 

  飛んで来たのは腕か、足か、それとも頭か。

 

  そんなことはどうでもよろしい。目に血が入らないように顔を擦った手に付く赤い色。そのあまりに生々しい匂いと感触に、言葉にならない想いが喉からせり上がって来るのをなんとか飲み込もうとする。

 

  そのむせ返るような匂いが、これは夢ではなく現実である。と、少女の幻想を塗り潰す。

 

  なぜこうなったのか?

 

  理不尽。葛藤。焦燥。

 

  頭の中でぽこぽこと浮き上がる言葉がどれも正解で不正解。弾幕ごっこはまだ楽しいと言える。だがこれに楽しいなど微塵もない。あるのはただ恐怖と侮蔑。早く終われ! と子供のように祈る魔理沙の肩を鉄礫が擦り、僅かに体勢が崩れた。

 

  揺れ動く視界に入り込む兎の耳。

 

  鈴仙のようなブレザーではなく、生物的な外装を引っ付けた玉兎に口端を歪め、死の足音を遠くへ追いやるように腰から魔法瓶を取り出し投げつける。

 

  閃光を上げて青い煙を立ち上げる爆風に飲まれた玉兎にホッと魔理沙は息を吐いたが、揺れる兎の耳の影が爆煙を引き裂き一歩前へと抜け出した。

 

  弾幕ごっこから大分威力を上げた魔法薬を物ともせず、目に映る標的をただ穿つための殺人マシン。目を見開いた魔理沙を追って死の口が揺れ動く。

 

  吐き出される牙になんとか魔法障壁を張り身を守ろうと腕を伸ばすが、月の牙は容易く食い破り魔理沙の足を薄く削った。痛みなく垂れた赤い跡を一瞥し、魔理沙は笑いながら目尻に雫を溜めた。

 

(もうわけ分からん)

 

  なぜこんなことをしているのか。

 

  なぜ月軍はやって来たのか。

 

  どの理由も分かっているが、理解と納得は別である。

 

  普段何気なくやっていることが、なぜかこんな時ばかり頭を過る。

 

(パチュリーに本返さなきゃな。もうちょっと霊夢の飯が食べたかったぜ。チルノとはもう少し遊んでも良かった。アリスと人形劇を一度くらいしたかった。それに親父と……)

 

  上げ出せばキリがない。歯止めの効かなくなった欲望の渦に目を瞑り、ただただ耐えることに意識が移ったが、思い出されたように身に走る痛みは足からやって来る一つだけ。

 

  薄く目を開けた魔理沙のぼやけた目の先で、玉兎の身体は真っ二つに胴から崩れ去り、その背から二刀を揺らす人影が姿を現わす。

 

  いつも擦り合わせている口は弧を描き、鋭い歯と目はギラギラと満月の月光を反射し獣のように光っている。その二つの瞳が木を背に腕を出して座っている魔理沙を見つけると、鋭い目を柔らかく曲げて立ち止まることなく歩いて来た。

 

「無事か魔法使いさんよう、腰でもやったか?」

「……楠」

 

  博麗神社に通ずる一本道で一緒に散歩をする時と同じ。

 

  いや、『博麗神社に行く』と、不機嫌にいつもは歯を擦り合わせているところが笑みのことを考えれば、いつも以上に気楽そうな様相だった。魔法障壁を張るために伸ばしている魔理沙の手を引こうとし、一度未だ消えない魔法障壁に手を弾かれると、楠は呆れたように笑い、楠の手が魔法障壁を擦り抜け魔理沙の手を掴んだ。

 

「魔法の森ってのはアレだな、なんか鼻がピリピリするな。藤さんの白煙でこういうのは慣れちゃいるんだが、こんなとこには住みたくないな」

「……ははっ、私住んでるぜ?」

「マジで? 魔法使いの嬢ちゃんて実はドMか?」

 

  いつもの調子の楠に魔理沙の肩から気が抜けるが、がさりと揺れた木々の間から兎の耳が伸びて来て、すぐに魔理沙の体が再び強張る。間髪入れずに吐き出された銃弾を、「おっと」と魔理沙を抱えながらお使いにでも行くような気楽さでふらりと楠は避け玉兎に近寄ると、躊躇することなく腕を振るい玉兎の首を両断した。

 

「鎧着たやつらが外側から来てる。苦戦したフリしてここに止まれって鼠が紙咥えて伝えに来たぜ。気を見て穴を開けるからそしたら狩っていいってさ」

「いや、狩っていいって……」

 

  追いかけているのはただの兎ではなく玉兎である。それは魔理沙も楠も分かっている。だが、敵に対する感情がまるで異なる。

 

  どこかしらから飛んで来たのは銃弾を呆れながら楠は弾き、魔理沙の肩に手を置いて身を寄せ、ふらりふらふらと歩き出す。蜃気楼のように揺らめきながら、まるで実体がないように。霞の中を歩いているようなふわふわとした浮遊感に魔理沙は包まれて、「女子と歩くならデートの方が良いよなぁ」と場違いなことを口遊んでいる楠を見上げる。

 

「……楠、恐くないのか?」

 

  異常だ。

 

  ただでさえ楠の振るう技は異常であるが、それにしたって気負わな過ぎる。戦いが苛烈であるほどに笑みを深める鬼の姿を魔理沙も知っているが、そんな姿に近い。

 

  凄惨な戦いは霊夢だって顔を顰める。咲夜だって、早苗だって、妖夢だって、元軍人の鈴仙だってそうだ。

 

  だが、楠の姿はこここそが居るべき場所と言うようで。

 

  頼りになると言うより不気味でさえある。そんな魔理沙の心配をよそに、楠は少し考えるように口端を落とすと、「恐いな」と呟いた。その言葉に少し魔理沙は安心したが、「何もできずに終わるのがな」と続けられた言葉に魔理沙は息を飲む。

 

「俺たちは千三百年待ってたんだぜ? 寧ろ少し気が張り過ぎて抑えるのに必死だ」

 

  ずっとずっと刀を振ってきた。

 

  雨の日も風の日も。

 

  何人も何年も。

 

  刹那の死より永遠の無価値が恐ろしい。

 

  それも全てこの日のため。今ここに居るために振ってきた。

 

  視界の端に揺れる兎の耳に笑みを深め、すれ違いざまに刀を振って首を落とす。狂気のドライブスルーで注文する口は必要ない。かぐや姫を守るよりも何よりも、全ては月軍を穿つため。その今に身を浸している。血溜まりに足を落としても、妖の骸が視界を掠めても、何より目に留まるのは玉兎の耳。

 

  それが揺れる度に楠の心も揺れる。その揺れが腕を揺らし刀を揺らせる。その揺れが月軍を揺らし勝利を零すと信じて。夢見た終わりのために牙城を崩す。

 

  強張った魔理沙の顔に楠は刀を握ったまま額を指で掻き、魔理沙の肩に回している手で軽く肩を叩く。安心しろなどという言葉は銃弾が四方八方から飛んでいる場で効果があるのか。困ったことに女性への気の利いた言葉など山奥の寺で楠は習っていない。厳つい爺と向かい合っていた数年間は剣術ばかりが思い出としてあり、実生活にマジで使えねえと楠は小さく肩を落とした。

 

「まあ大丈夫だって。恐いならアレだ、ほら、楽しみは後でとっとくみたいな感じで、楽しい未来に想いを馳せる的な? 俺だってこれが終わればなんだって好きなことができるんだ。やりたいことが色々あるぜ! カラオケに行ってみたいし、旅行したいし、恋人欲しいし」

「ははっ、なんだそりゃ」

 

  あまりの楠の俗っぽさについつい魔理沙は笑ってしまう。鋭い顔つきになっても結局楠は楠のままだ。やりたいことがいっぱいあるなどと、それは魔理沙も同じであり、とんがり帽子で少し顔を隠すように少し俯いた。

 

「やりたいことか、私もまだまだたくさんあるな」

「ほういいじゃんか。何したいんだ?」

 

  「そうだなぁ」と言いながら魔理沙は帽子のツバの切れ間から楠の顔を目だけ動かし少しの間から見つめると、悪戯っぽい笑みを浮かべる。楠からはそれが見えないように隠しながら、陰鬱な気を払うように一度小さく咳をして真面目そうな顔に作り変える。

 

「魔法の研究とか、霊夢にだって勝ちたいし、幻想郷は女っ気しかないから私も恋人は欲しいなぁ。今度デートしてみるか?」

「えぇぇ……魔法使いの嬢ちゃんと?」

 

  大変苦く楠の表情は歪む。思い起こされる焼き鳥屋台での数日。霊夢に奪われ、魔理沙に奪われ、ろくなことが一つもない。思った返し方と違う返され方をして、流石の魔理沙も少しムッとした。

 

「朝の散歩みたいに一日中ダラダラ歩く分ならいいだろ?」

「まあそれなら。博麗の巫女さんと人里練り歩いた時よりマシそうだ」

 

  その楠の言葉に、「あっそ」と言いながら微妙に不機嫌になる霊夢の姿を思い浮かべて魔理沙は苦笑し、目の前を銃弾が通り過ぎその顔のまま固まった。

 

「敵の数が増えてきたな。包囲が狭まって来たと見える」

 

  敵の姿以外にも楠と魔理沙の視界にちらつく見知った顔。魔理沙と同じように血を貼り付けた妖夢や、幽々子、椹や梓の姿を見て二人して少し肩の力を抜いた。

 

「魔法使いの嬢ちゃんは近接戦闘が苦手みたいだし、俺に張り付いてろ。なに、気にすることはないさ、魔法使いの嬢ちゃんが必要になる時が来るさ」

 

  魔理沙を伴いゆらりと揺れる。戦場の中を踊る炎の翼を追って、楠は妹紅の側へと戻っていった。魔理沙は懐の八卦炉を握り締め、今はただ戦場の喧騒に揉まれる。夜空を引き裂く閃光を吐き出すのはまだ先だ。その時びびって引き金を引けないことだけはないように、ただ指を掛けたまま覚悟を固める。

 

 

 

 

 

 

 

 

  鉛筆を強く握り締め、櫟は肌を撫ぜる戦火の風に集中する。時間を追うごとに間隔が短くなりやって来る切羽詰まった報告を纏め、なんとか最適解を導くために頭を回す。

 

「寅丸星負傷! 聖白蓮も軽傷です!」「紅美鈴、十六夜咲夜も同じく軽傷!」「天狗伝令役、い、に、へ、ち、死亡!」「河童迷彩部隊全滅!」「霊烏路空負傷! 火焔猫燐軽傷!」「リグル=ナイトバグとミスティア=ローレライは重症です!」「わかさぎ姫と赤蛮奇も同じく重症!」「九十九姉妹も負傷しました!」

 

「戦域を動かすわけにはいきません。紫さんと何より慧音さんの居場所がバレないように。怪我人は内にして成美さんに治療を、鬼や楠さん桐さん梓さん妖夢さん影狼さんを外側に。もう少しだけ包囲網が狭まるまで耐えて下さい」

 

  遠く離れていても櫟の耳に届く色とりどりの悲鳴。遠く赤らんでいる空を見つめなくても、そこがどれだけ死地となっているかは肌で分かる。肌にチクチクと突き刺さる叫喚と妖力、魔力の爆ぜる音に腕を擦り、ただ必要な瞬間を待つ。

 

  装備を固め送られて来た第二波に、幻想郷側の被害が一段と増した。月の装甲服をものともしない者はいい。萃香や勇儀や白蓮の怪力。隙に刃を差し込む妖夢と神子と桐と梓に菖。壁を透ける楠と青娥。問題なく技の通る漆、菫、梍、お空など。だが、そうでない者は玉兎の足を止められても一方的にやられる他ない。

 

  波長を読み姿を消そうとも追って来る玉兎の眼。時に姿を隠すことのできる能力。それに加え一定以下の攻撃は意味を成さない装甲服と、同士討ちにはならない重力を用いた重い弾丸。均一化された戦闘力。能力にバラつきのある幻想郷の者たちでは、数と数でぶつかった場合どうしても弱い方から削れてしまう。そして残った強者が今度は数で削られる。

 

  優しさは邪魔だとまでは櫟も言わないが、仲間を庇い早々に削れてきた白蓮やお空には歯噛みする。火力で言えば上から数えた方が早い二人。敵の将が出るより早くそれが削れる。

 

  だが嬉しい誤算もあった。十五夜の満月。上白沢慧音と今泉影狼の力の増大。幻想郷の隠蔽が想像以上に上手くいき、影狼のおかげで戦力としての強い手札が一枚増えた。

 

  フランケンシュタイン、吸血鬼と並ぶ三大怪物が一柱『ウェアウルフ』。狼の語源が大神であると言われるように、崇拝対象とまでさえなる怪物。人間の約百万倍と言われる嗅覚、十倍はあるという聴覚。速さと強さを兼ね備えたしなやかな肉体。影狼はあまり他人に満月の時の姿を見せたがらないが、今日ほど頼りになる時はない。桐とともに縦横無尽に戦場を駆け、負傷者の救出と敵の牽制に大きく貢献している。

 

  玉兎の中でも上位に食い込む鈴仙のおかげで姿を隠しながら、圧縮鍋の中のように煮詰まっていく魔法の森の空気に瞼を開けて、櫟は目に空いた黒穴に熱気を吸い込む。脳を直接撫で付けるような空気に口の端を大きく引っ張り櫟は清蘭の名を呼んだ。

 

  大きく兎の耳を揺らし、清蘭は喉を鳴らし銃を構える。銃口を向けるのは何もない虚空。目で標的を目視することは叶わず、肌で戦場の空気を感じる事もない。唯一分かるのは揺れ動く数多の波長。長短、高低、ごちゃごちゃと絡まった波長が重なり合い、見ているほどに目がチカチカする。

 

  冷や汗をダラダラ垂らし奥歯を噛みしめる清蘭の肩に櫟は手を置いて、やるべきことはチューニング。清蘭がどの波長へ向けて弾丸を飛ばすべきか、モールス信号のように波長の長さに合わせて清蘭の肩を指で叩き標的を合わせる。遠く波長の主は映らない生命のうねりと櫟の指の動きが同調し、清蘭の指が引き金にかかる。

 

  そして、

 

  清蘭はそのまま固まった。

 

「……清蘭さん?」

 

  櫟の静かな声が清蘭の背を撫でる。

 

  その声に一度清蘭は顔を俯き、狙撃銃を構え直して唇を舐めた。

 

  睫毛の上に乗る冷たい雫に目を擦って、引き金に指を掛ける。

 

  そのまま清蘭は指を押し込もうと手に力を入れるが、自分のものではないと思うほど動かない。

 

「清蘭さん、引き金を。時間を掛けるだけ被害が増えます」

「……わかってる」

 

  何度か呼吸を整え、清蘭はレンズを覗き波長を見る。

 

  吐き出す弾丸は重弾ではなく、敵を穿つ銀の弾丸。

 

  玉兎へと向けて銃弾を飛ばす。その意味に清蘭の歯は噛み合わず、食い縛ることで無理矢理噛み合わせる。

 

「清蘭さん、早く」

「……わかってるって」

「清蘭さん」

「……うん、おっけーおっけー」

「清蘭さん」

「あいあいさー」

「清蘭さ、っ痛!」

 

  「落ち着きなさい」と鈴仙に拳を頭に落とされ、櫟は頭を摩りながら振り向いた。叩かれる瞬間まで鈴仙に気付いていなかった櫟の様子に鈴仙は大きくため息を吐いて腰に手を当てる。そんな鈴仙の姿に櫟は瞼を瞬いて、ホッと小さく息を吐く。

 

  気が早っていたのは櫟も同じ。団子を口に放り込み、串を咥えたまま鈴瑚は櫟の肩を叩き清蘭に並ぶと、新しく団子を出して清蘭に差し出した。

 

「お疲れ。ねえ清蘭、なんだかんだ団子売り対決楽しいよね」

「……うん」

「引き金引けば流石に私たちも裏切り者だよねー。どう鈴仙、裏切り者生活は」

「最っ高ね、 私はもうこの生活は手放せないわ。本格的に永遠亭に来る?」

「それもいいかもね。それになんでも輝夜様がバイトで団子作るんだってさ、今度は私と清蘭と鈴仙で輝夜様と団子売り対決しない?」

「え? 私もなの?」

「……ふふっ、やるなら勝ちたいね」

 

  受け取った団子をほうばって、清蘭は銃を構え直す。口には串を咥え、その動きで狙う波長を示すように上下に動かし、背後に立つ櫟に一度ちらりと目をやった。

 

「大丈夫、もう波長は覚えたよ。だから大丈夫」

「……お願いします」

「こちら清蘭、月の侵略者を確認。これより殲滅を開始する!」

 

  押し込まれた引き金に連動し、火を吹き口から飛び出した弾丸は、そのまま異次元に滑り込む。大きく跳ねた狙撃銃を押さえつけ、飛び跳ねた薬莢を目で追う事もなく再び構える。引き千切れた波長にまだ少し清蘭の口端は歪んだままだが、それでも目を引き絞り再び引き金を引いた。

 

  魔法の森の包囲に穴が開く。狭まっていた包囲網は、破れた風船のように中身を吐き出した。一律ではない戦闘力がここで意味を成す。速度で勝る影狼と桐がいち早く反対まで回り込み、新しく包囲されないように動きを抑える。逆包囲までする必要はない。必要なのは拮抗状態。怪我人を離脱させつつ、強者は残る。幻想郷の重鎮たち、その存在を見せつけながら、一度に叩ける隙を見せるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、包囲網崩れた。今の感じ……、誰か玉兎が寝返った? はぁ、ふーん、誰よ。特定できたら冬の海に裸で入水自殺でもさせてやるのに。それとも万年発情兎らしく娼館にでも放り込む方がお似合いかしら? うざいうざいうざい!」

 

  がりがりと頭を掻く嫦娥に呆れながら豊姫は手に扇子を落とし、依姫の方へとちらりと目をやる。姉の目を受けて依姫は小さく息を吐き出すと、目の輝きが怪しくなって来た嫦娥を睨むように目を細め、「報告をしろ」と口を動かす。

 

「あぁ? はいはい、鬼も亡霊も巫女も魔法使いも全部魔法の森に居るわよ。スキマ妖怪とかぐや姫は見当たらないらしいけどどうするの?」

「敵の戦力の大半は集結したな、このまま一網打尽にすれば勝ちは決まる。敵のいない迷いの竹林に大部隊を下ろし挟撃すればお終いよ」

「ならもう送って構わないわね?」

 

  手に何度か扇子を落とす豊姫に依姫も嫦娥も待ったは掛けないが、唯一サグメが片手を上げ制す。もう片方を口につけたまま思考を巡らせ、その一手の危うさに一人頷いた。

 

  思惑通り行き過ぎている。特に激しい抵抗もなく魔法の森に集結している幻想郷の戦力たち。地上の者を第一次第二次月面戦争とあしらった依姫と豊姫に隙があるのも少し分かる。第二次も武力では終ぞ負けていない。罪人で長年牢獄にいた世間知らずな嫦娥が変わらず傲慢なのは放っておき、サグメは口を開こうとして閉じた。

 

  代わりに空に指を這わせて文字を書く。その手間に嫦娥は疲れたように椅子に沈み込み、依姫と豊姫だけでその動きを追う。

 

「敵戦力の確認? いや、それは一度幻想郷に手を出したサグメの方がよく分かっているんじゃないの? 敵の主要戦力、重要人物ぐらいこちらでも調べているわ。そのほとんどは確かに魔法の森にいる。読めないのは八雲紫だけれど、私がスキマ妖怪の能力を制限している今一人で全ての玉兎は倒せない。問題はないと思うけれど」

 

  サグメは少し考えて、『平城十傑』の名を指で描く。その字を見て豊姫は開いた扇子で口元を隠し、依姫は唸り腕を組んで、嫦娥はくだらなそうに手を振った。

 

「人間になにができるってのよ。千三百年前に月相手に大敗、惨敗、完敗したような奴らが」

「月に侵入し監獄を暴いたな」

「それは依姫、貴女の失態じゃない。それに奇襲みたいなもんでしょ。それとも人一人でほとんどの玉兎を殲滅できるような奴が居るとでも? 居るなら会ってみたいわね」

 

  嫦娥の言葉は間違いではない。だが、その全貌を知らないのもまた事実。イレギュラーの存在がどうしても頭から離れないサグメに、嫦娥は舌を打ち、つまらなそうに足を揺らす。

 

「ならこのまま魔法の森に送ればいいでしょうが、乱戦の中で数で潰せばいいじゃない」

「それは優雅さに欠けるわね」

 

  戦いに優雅さが必要なのかと豊姫の言葉に大きく首を回して嫦娥は呆れ返り、「だったらもうさっさと迷いの竹林に送りなさいよ!」と苛立たしげに吐き捨てた。

 

「サグメ、どちらにしろ今送らなければ第二波が崩れ戦域が変わるわ。戦力を小出しにしても敵は恐らく倒しきれない。勝利を得るならダラダラとしたものではなく完全な勝利を。そうではないの? これは外の世界への足掛かり。幻想郷を落とすのにそこまで時間も掛けられないわ」

 

  華々しい劇的な勝利。

 

  それを望む依姫と豊姫になんと声を掛けていいかサグメの頭の中に最適な言葉が浮かばない。

 

  慎重に。勝利は勝利。

 

  引き止めるための言葉は多く浮かぶが、それを口にしてなにが変わってしまうのか。それがサグメにも分からないため口を開くに開けない。ただ消費されていく時間に嫦娥が貧乏ゆらしし、目を閉じるサグメを急かす。

 

  瞼を半分開けて頷くサグメに、「どうせ送るならさっさと頷いときなさい」と毒を吐いた嫦娥に合わせて、扇を閉じた豊姫の合図で地上に玉兎の大群が足を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  短い平城十傑の参謀の呟きは月人の耳に届いたようだった。

 

  さてどうしようと手を擦り合わせる嫦娥の手の動きが次第に緩みそして固まる。

 

  ────ガタリッ。

 

  倒れた椅子も気にせずに嫦娥は立ち上がり、一滴汗を垂らして口を戦慄いた。

 

  嫦娥の様子に悪い予感が当たったとサグメが察してももう遅い。

 

  幻想郷の風を巻き込む妖怪の山の暴風ドームに分けられるように、一本の境界線が幻想郷に引かれる。澄んだ空気と煙の海。

 

  迷いの竹林を踏んだ月軍の玉兎、月軍の半数が白煙に沈む。

 

  言葉にならない叫び一色に染まった玉兎の声に嫦娥はただ拳を握り、椅子を起こしに来た玉兎を睨みつけ指を鳴らした。

 

  自分で自分の首をへし折り崩れる玉兎に暗い目を落とし、「脆い、使えない、ごみごみごみ」とぶつぶつ呟きだす。

 

  その空気を変えたのは月の神が手を合わせた小さな音。

 

  戦いが始まった時と変わらずゆったりと月夜見は椅子に座し、「豊姫、依姫、サグメ、嫦娥」と一人一人の名を静かに呼んで、その目の前に時間停止結界装置の破壊の目となる箱を滑らす。

 

  地上の者が狙いに来るだろう標的はやる。直々に潰せ。

 

  月夜見が言葉は発さずとも理解して、月の将は箱を手に席を立つ。

 

  豊姫が扇子を手に落とした音に合わせて四つの影が月から消える。ホッと肩の力を抜いた玉兎たちに月夜見は小さく笑い、レイセンに向かって手招きした。

 

「つ、月夜見様。な、なんでしょうか」

「地上に結界装置の杭をよく打ってくれたなレイセン。褒美が遅れた」

 

  垂れた兎耳を撫ぜる月夜見にレイセンは顔を赤くしてヘニャヘニャと溶けていく。玉兎の姿に笑顔を向けて、月夜見は頬杖をつきその手を握る。響く骨の音に撫でられながら首を傾げるレイセンには笑みを与え、内心は点いた火に焦げ付いていく。

 

  玉兎の毛並みでそれを落ち着け、月夜見は一人月に残った。姉、天照の浮かべた人への期待と、自身のもつ人に対する怒り。二つの想いを掻き混ぜて、月の神はまだ動かない。想いが一つに混ざるまで、まだ少しの時間が必要だ。

 

 

 

 




どうでもいい設定集 ⑥

楠が幻想郷の住人の中で妹紅と輝夜の名しか呼ばないのは、女性の扱いが分からな過ぎて気を本当に使わなくていいやと思っているのがその二人だから。

どうでもいい設定集 ⑦

月夜見は両性具有。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。