「ッ────────ハァ……」
ぴちゃりと、白煙は零れず血が垂れた。
迷いの竹林の枯れた笹の葉の上に転がるのは玉兎玉兎玉兎。
月の生物的な鎧を這いずっていた光の輝きは消え失せ、蝉の抜け殻のようながらんどうに見える。が、所々内部から破裂したように覗く血溜まりが、中には肉が詰まっていることを教えてくれる。
「貴方は天国には行けないでしょうね」と嘲る幽香のクスクスとした笑い声と、ムッとした天子の荒い鼻息を背に感じ、玉兎の骸の山に胡座を組み座っていた藤はようやく薄く白煙を零す。ただ白は薄っすら朱に染まり、居心地悪そうに身を捩った。
「これも一種の極楽かしら」
「悪魔ならそう言うだろうさ天子」
誰も彼も虫の息。地を覆う落ち葉よりなお地を覆うのは月の兎。誰が死んでいて誰が生きているのか分からない。今来たばかりの天子と幽香は言わずもがな。白煙で幻想の都を覆った藤本人でさえそれは分からない。
櫟の策通り天魔と天狗の力を信じ殆どの薬煙を藤は使い切った。爆発、毒、溶解、出血、沸騰、凝固、興奮、沈鬱、どの効果が出ているのか。白煙地獄と化した幻想郷の半分は、薄く白い海に隠され静かに死に向かっていたというのに、穢れを祓う柔風と天狗の暴風との衝突に巻き込まれ隠していた地獄を引き摺り出された。
そのおかげで天子も幽香も藤の元に降りることができたのだが、見える景色は絶景とは言えない。死を呼ぶ白煙が蠢いた後、蟲の声も木々の声も煙に巻かれて生気を立ち上らせるのは人ひとり。屍の上に身を置く男の空気は、白煙に沈んだのか薄暗く、微動だにせず月明かりが照らす竹林の隙間を見つめていた。
「楽しい景色とも言えないわね。藤、なんで座ったままなのよ」
「待っているんだよ」
「待つ? 誰を?」
さて誰だろう? と待ち人の姿を思い浮かべるように藤は白煙をぷかりと浮かべる。誰などと聞かれても、藤は天子に一度その名を口にしている。大多数の玉兎が潰れた。月人のペットのような扱いを玉兎は受けているが、軍として動いているからには責任者がいる。全ての上は月夜見、将軍は依姫、後方支援の責任者が豊姫なら参謀はサグメ。残る一人こそ玉兎の司令塔。波長を繰る玉兎の波長を乗っ取る電波姫。
月の女神嫦娥。
今更わざわざその名を藤は口にしない。月夜見以外で月の神の名を冠する少女。
その到来は屍の上で待つ藤と同じく静かなものだった。
視界の端からゴキブリが迷い込んで来たような嫌悪感に幽香と天子が口を噤み思わず二度見する。少女はカツカツと兎の呻き声を踏み付けて目すら落とさない。ただひとり、久々に気に入らない人間の男だけを目に留めて、兎の耳のように頭上の二つの輪を揺らし月の少女が月下に立つ。その顔を柔らかく歪めた笑みは傾国の形。どんな男も恋に落ちるだろう笑みを藤はつまらなそうに見つめると、どっこいしょ、と腰を上げる。
「お初にお目に掛かりますわね。人間の男を見るのは久々よ、それもとびっきりの穢れをね」
「俺も貴女みたいな怖い女を見るのは二人目だよ、平城十傑、黴家第百六十四代目当主 黴藤。よろしく
「…………こちらこそ、
にっこり笑う少女に、おお怖と藤もにっこりと笑い返し口から電子たばこを引き抜いた。藤と嫦娥、お互い笑い合い顔を付き合わせる中で考えることはどちらも同じ。
『気持ち悪い野郎がいる』
人を誑かす事に長けた嫦娥の笑みや声音、物腰の柔らかさ、少なからず嫦娥を前にすれば何かしらそれを見た男は反応を返すというのに、藤にはその欠片もない。そして、藤の白煙の後に残ったものにまるで目を留めずに藤を見続ける月人。唯我独尊という言葉があるが、ここまで己をひけらかす女を藤も初めて見た。
そしてお互いがお互いを一目見れば分かる。
こいつは戦いが得意じゃない。
嫦娥の美貌と藤の生弱。
お互いがお互いを汲み取って眉を顰めた。
傷一つどころか赤切れさえないと見える嫦娥の四肢。艶やかな髪には枝毛一つなく、整えられ過ぎているその姿が戦いから遠くに身を置いている者の証。それに加えて女性的すぎる体には筋肉の姿もない。およそ戦争の前線に出る風体ではない。見た目の身体能力で言えば月人の中で最も惰弱。
そしてそれは藤も同じ。青白い顔は吹けばすぐに飛びそうで、痩身の体躯は戦士ではない。そんな男が白煙の中心にいる矛盾。最も多くの玉兎を潰した人間、玉兎が繰り返し嫦娥に送り付けてきた煙の悪魔。その俗称に見合わぬ風貌。命の小ささと穢れの大きさ。その違和感こそが薄気味悪さの証。
傾国銀蟾*1と煙の悪魔。
その意味するところが力でないのなら自ずと舌を伸ばす先は内。見た目以外に何かなければ、ここでお互い向かい合ってなどいない。ゆっくりと硬質の舌を咥え直す藤の先で、嫦娥が舌を打つように指を鳴らした。ばちりっ、ばちりっ、と打ち鳴らされる火花を見て藤もぶわりと白煙を燻らす。
「ちょっと、いつまで見つめ合ってるのよ。……ちょっと、……ちょっと!」
「藤、その子うるさいわ。
「……自分でやれ蝦蟇、できるなら」
天子と嫦娥が喧嘩すれば天子が勝つ。見た目だけで言えばそれが絶対の結果。だが、嫦娥は拳を振らずに藤を睨み付けた。月人さえ操れる嫦娥の電波ジャックが目の前の男に通用しない。嫦娥から弾ける有毒電波が、より大きな暗雲に突っ込んだように藤の中で四散した。そのいいえも知れぬ感触に口端を歪める嫦娥を見て、笑みを深めた天人が地に剣を突き付ける。
「待ってたわよこの時を! 来たれ月人! ようやっと喧嘩の時が来たの「
口をムニムニ動かす天子の口がくっ付いたように離れない。その天人の様子に満足し、薄く笑みを浮かべた嫦娥が指を弾く。それと同時に藤の横に大輪の一撃が落とされた。
──ドチャリ。
と潰れる音は幾体もの玉兎から。自分の横に振るわれた閉じた傘の凶撃と、怒気を孕んだ幽香の表情を見て藤はゆっくり嫦娥の元へ顔を戻す。浮かべられているのは笑みではなくこちらもまた怒り。怒りの向く先は幽香と嫦娥。お互いに怒りの矛先を向けている。その間に挟まれた藤は、たらりと一粒の汗をかいた。
「……幽香?」
「あの……売女! ……私の体をッ!」
「ああ……なるほど」
「なるほど? 余裕ね燃殻。それとも頑張って兎を狩ったからもう頑張る元気がないのかしら?」
「ゲコゲコうるさくて何を言ってるのか聞こえないな。悪いがもう一回言ってくれるかい?」
「死ね」
「ああそれは聞こえた」
藤の言葉を緋想の剣が斬り捨てる。鋼鉄の意思で抵抗する天子にゆるゆると振られた剣を屈むように藤は避け、振りかぶられた幽香の傘には動かない。動かずとも藤には落ちず、目の前を通り過ぎ地に向けられる幽香の一撃が地を抉るのを見届けて、藤は一歩嫦娥に向けて足を出した。天子の一撃、幽香の一撃。どれもまともに当たればただでは済まない連撃の中を散歩でもするような気軽さで藤は嫦娥に近づいてゆく。
「……なによそれ、新しい雑技? うっざい」
「俺が自ら仲間にした二人だ。これぐらいやってくれるさ、お前とは違う」
黴の白煙の中でさえ動いた鉄人たち。気合い、根性、純真、無垢、意地、なんだっていいが、藤にもよく分からない論理で己を動かし不可能を覆す二人に藤がわざわざ手を出さなくても、いや、出さないからこそ勝手にどうにかしてくれる。体を操られようと、幽香も天子も望まぬ一撃をそのまま放つような柔な精神をしていない。
「はあ? 信頼? 友情? そういうこと言う奴が一番嫌いなのよね。人のため誰のためって、結局大事なのは自分。自分さえ良ければいいじゃない」
「まあ、否定はしないよ。それで俺もここにいる。だが信じるものは人それぞれだろうに」
「あらならお前は何を信じるの藤、吐息の代わりに白煙を吹く男」
「そうだなぁ、少なくとも明日が来ると信じてる。後は、そろそろ不死身の天人が怒るって信じてる」
「もう怒ってるわよ!」
藤を避けて振られた天子の一撃が風を呼び、真空の刃が嫦娥に迫る。嫦娥が指を弾いた衝撃に叩き起こされたように半死半生の玉兎が血を垂らしながらその前へ立ち塞がった。そうして切り裂かれる盾には目も向けず、飛び散った血を払いながら次々と嫦娥は指を弾く。
死にかけだろうと関係なく立ち上がる月軍。己の意思は関係なく、嫦娥一人がいれば玉兎は動く。それも視界に入っている者ならば尚更に。千切れかけた腕を振り、足を出す玉兎たちはゾンビと変わらない。本人が望もうと望むまいと死ぬその瞬間まで動き続ける。
天子や幽香と違い虚ろな瞳の玉兎が自分を統制することができるわけもない。引き金に伸ばされる玉兎の指を見た藤は電子タバコのカートリッジを咥え引き抜き吹き出してから、換装せずに歯噛みした。
吐く薬煙がなくはないが、残っているのは藤でも使うのを躊躇うようなものばかり、玉兎に対して躊躇するようなことはないが、幽香と天子に対しては別だ。生死に関わらないだろう白煙の中でなら、何があろうと二人なら動くだろうと藤は信じている。だが、とっておきなどになると別だ。藤本人の体すら即座に蝕むようなものを使えば流石の二人もどうなるか分からない。いつもより長く荒く藤の手の中で回っていた薬煙のカートリッジのない電子たばこの動きが、藤の目の動きに合わせてぴたりと止まる。
そして普段絶対に嵌めない薬煙の薬包を電子たばこの頭に嵌めてその硬い舌先を嫦娥に向けた。
「なによそれ、新しい降参の形? 許すと思う?」
「さて、お前が許そうと許さなかろうと、関係ないんじゃないかい? 何があろうとお前を許さない者が来た」
「はあ? 誰よその命知らずは」
玉兎に囲まれ頭でもイかれたかと笑う嫦娥の鼓動が一瞬止まる。嫦娥の口は弧を描いたまま口端は痙攣し、だらりと大粒の冷や汗を一つ零す。竹林を揺さぶる絶叫が落ち、地に大きなクレーターを描いた。吹き飛びめくれ上がる大地の中をぷかりと白煙が浮いたように藤は漂い、薄く振動する空を見つめる。竹林の消えた大地に立つ人影は
急に他人事のようにそっぽを向いた藤と、笑顔のままなおも固まる嫦娥。
そしてギラギラとした霊力を花火のように瞬かせる一つの影。空を揺らし、地を揺らし、それでもなお治らぬ心があらゆるものを細かく揺らす。その始まりは、影のように黒い服を纏う少女の咆哮。
「嫦娥ァァァァァァァッ!!!!」
その短い名前、たった一言に込められた純粋な憎悪の輝きに、天子も幽香も息を飲む。
純粋過ぎる怨霊、その到来に場の空気が塗り潰された。目だけで殺せそうな空気を隠すことなく、身の内で暴れる心の熱を冷ますため、少女、純狐の口から白んだ息が零れた。
「────純狐ッ」
噛み殺すように呟かれた嫦娥の言葉に、純狐の殺気がふと消える。
忘れたことのない顔。
忘れられない声。
忘れるはずのない瞳。
どこを切り取っても純狐の頭に張り付いた影と同じ。
何年想い描いたか分からない宿敵の姿を見て、純狐の中で想いが縮小した。余分なものを削り落とし、ただ一つの感情だけが削り出されていく。より静かに。より鋭利に。それが終わってしまう前に、純狐はどこ吹く風の人間の男に向けてちらりと目を向ける。
「──約束通り。引きずり出したのね藤、本当に」
「貴女も。来たね」
「来たわ」
「貴女の前で死に掛けた甲斐があった」
嫦娥の名を藤が純狐の前で発した瞬間毒素を純化され死に掛けるを繰り返し、藤が話を聞いて貰えるまで数十回を要したが、それでもそれだけの意味はあったと藤は微笑む。嫦娥の精彩を欠いた動きを見れば明らかだ。笑う藤と薄く笑みを浮かべる純狐。その二人を見比べて、押し殺すように嫦娥は笑い出す。人間の浅はかさと復讐者への哀れみで。
「──くくっ、くっくっく。ああそう、泣き虫と燃滓が手を組んだわ、け、ね。いじめられっ子同士仲良さそうで良かったわね。ええ?」
「ああ嫦娥、嫦娥嫦娥嫦娥! 何故かしら? ようやく会えたというのに不思議と心が落ち着くわ。何故なのでしょうね?」
「今日で最後だからじゃないかなぁ」
「ああ……、納得」
だから貴方もそうなのね。という言葉を藤へ出さずに純狐は飲み込み、静かに嫦娥の方へ向き直る。それに合わせて藤はゆっくりと背後にいる天子と幽香に手を振った。離れろと口には出さないまでも、藤の態度と柔らかな笑みが言っている。その動作に天子は藤に噛みつくため手を振り上げようとしたが、幽香に頭を掴まれ遮られた。鋭く見上げられた天子の目を、同じく鋭い幽香の目が見返す。天子が口を開く前に、二つの影が天に飛んだ。
「ちょちょっと幽香⁉︎」
「……分かってるでしょ」
目に光の失くなった淀んだ藤の瞳。迷いの竹林を白煙に沈めた時と同じ、白煙で敵の生を煙に巻くと諦めた顔。そんなことは天子にだって分かっている。分かっているが、分かっているからといって離れるか離れないかは別のことだ。なぜならまだ天子は楽しくない。退屈するかと聞いて多分しないと藤は言った。だというのにどんどん藤だけが命を削り先に行く。ふと目を離せば浮き雲のように消えてしまうような儚さを持った人間の背が最後に見るものとならないように、大きな声で天子は藤の名を呼んだ。その声に藤は口に咥えた狼煙で返す。
「……約束は守るさ。まだ俺は死ぬわけにはいかないのでね。だからもう諦めたよ」
「何を諦めたんですって? 生を? 殊勝ね人間」
「それはもうとっくに。諦めたのはもっと残酷なことさ」
「どんな手を使おうと私に通じるかしら? この状況で」
嫦娥の周りで大きく稲妻が散る。
電波塔の最大出力も藤と純狐には効かず、嫦娥はそれに口を歪めるがすぐに笑みに戻した。そもそも純狐に己が能力が効かないことなど嫦娥は何百年も前から知っている。意識の純化。自分の意識を純化して毒電波の乗っ取りを防ぐ。その代わり他のものの純化を抑えられるので立場は同等。嫦娥が計算外だったのは同じく操れない人間がいることだ。
だが、それならそれで打つ手はある。藤は確かに月軍の半分に及ぶ玉兎を半死の状態にしたがまだ半数。第一派、第二波と幻想郷を踏んだ玉兎。その全てが消えたわけではない。幻想郷に散り散りになっていた玉兎たちを唯一問答無用で嫦娥は集めることができる。竹林の消え去った大地を踏む多数の兎の影。竹の代わりに自分たちを囲んでいる玉兎の姿を見て、藤は勿体ぶって電子タバコを咥えた。
「約束を守ろう純狐。奴を引きずり出し貴女は来た、梅雨払いは俺がする。奴を潰せるか?」
「何度でも。そのために来た、藤、ここから先は手出し無用よ」
「分かってるよ、ただ負けないでくれ」
「ふふっ、吹いたな煙の悪魔。その前に約束を果たしなさい」
了解と言う代わりに藤は白煙を吐く。少し吸い込んだ白煙の苛烈さに藤は眉間に眉を寄せながら、目に見える命の残り香が空を漂う。嫦娥を取り残し白い緩流が場を包んだ。
けほりっ、と藤の口から吐かれた血の塊を純狐は横目に見て、そして嫦娥に向かい一歩を踏み出す。
周りなど気にしない。純狐が目に写すのは嫦娥ただ一人。掘り出され磨き抜かれた憎悪の結晶が形となる。目の前以外不用心。隙だらけの純狐に向けて銃を構える玉兎の指先を動かすため、嫦娥が指を弾くと同時にそれは起こった。
─────パキン。
響いた陶器の砕けるような音は骨と爪が割れる音。
玉兎の指が弾け落ちる。
まだ生き生きとした玉兎たちは、言いようのない恐怖に叫び声も飲まれてしまう。宙を漂う白煙に触れた肉体、装甲服が触れた先からひび割れ剥がれ崩れてゆく。痛みはなく、血も共に剥がれ雫も垂れない。白煙から離れても玉兎たちの崩壊は止まらず、これはいけないと玉兎を受け止めた玉兎の体に崩壊の波は伝染してゆく。
煙に巻かれた相手の自由を奪う。緩りと死へ誘う煙と違い、せっかちに命へと即座に手を伸ばして来る白煙に玉兎は何もできず崩れ落ちるのみ。骨の一片すら残さずに消えるその姿に、玉兎が思い浮かべる言葉はただの一つ。
──煙に喰われるッ!
その緩やかな形なき悪魔の舌に舐められたら最後、歯のない牙に存在を噛み砕かれる。そんな不定形の怪物を吸い込む藤もまた無事なわけがなく、小さくひび割れていく指先。それを藤は少しの間見つめ、指揮者のように腕を緩く動かし続けた。
白煙の雲海ほどではないが、視界に写るのは白い糸が宙を這うような不気味な光景。それだけ多量に藤が薬煙を吸えず吐き出せないということでもあるが効果は覿面。その糸を手で手繰り漂わせる藤の動きに侵入停止の壁が築かれた。
毒電波が白煙に食い千切られる。場に残されるのは純狐と嫦娥のみ。向かって来る純狐が幻のように嫦娥の目に映り、呆けた嫦娥の意識が数瞬暗転した視界に叩き起こされた。
殴られた。
誰にと聞くまでもなく相手は分かる。特異な能力があり術もある、そんな中で純狐が取った行動はただ拳を握り殴ること。骨同士のぶつかり合う鈍い音が嫦娥の中で反響した。その音が嫦娥の意識にへばり付く。鈍く痛々しい音だが、威力は然程でもない。純狐もまた武術家ではなく術師。放たれた拳の一撃が決定打になるわけもない。嫦娥にも純狐にだってそれは分かっている。そんな中で放たれた二撃目の衝撃に嫦娥は鼻から血を噴いた。
「嫦娥ァァ!!!!」
心の叫びをそのまま垂れ流して放たれる純狐の拳の熱さに嫦娥の心が焦がされる。ただ一人、血肉を分けた子の未来を奪った女の今を奪うため。例え嫦娥を神が許しても、純狐が絶対に許さない。怨霊の熱はどろりと熱く熱を増すばかり、ただ幼稚に無骨に乱暴に嫦娥の器にヒビを入れる。
三度、四度と振られた純狐の拳を顔に受け、嫦娥の中で何かが切れた。
「純狐ォォ!!!!」
交差した嫦娥の拳が純狐の顔に突き刺さる。
額が切れ顔に垂れた血を指で掬い笑みを浮かべた純狐の拳が再び嫦娥の顔を跳ねた。歯を食いしばり顔を下げ、嫦娥もまた拳を振るう。
純狐の憎悪の炎の熱をどれだけ打ち込まれようと関係ない。
初めからだ。
幻想郷の地を足で踏むことになった初めから嫦娥の中は怒りの色で満ちている。
人間ごときに地に引きずり落とされる。それも純狐と同じ、嫦娥の能力が効かない人間に。
純狐と藤。長い人生の中で二人も嫦娥の前に平然と立つ者がいる。それが兎に角気に入らない。
振られた純狐の拳に足を踏ん張り嫦娥は額でそれを受けた。
──ピキリッ。
と割れた純狐の右拳から血が垂れるのを見て、額から垂れた血を舐め取りながら嫦娥は笑い拳を握った。純狐に電波を発しながら更に毒電波で乗っ取るのは自分。体が武術家のように強く動かないなら、そのようになるよう動かすだけのこと。リミッターは外れ、限界を易々と超えた嫦娥の一撃が純狐を殴り飛ばし、その背後にいる藤のところまで押し切った。慌てて上に向かって白煙を吐き純狐から白煙を逃す藤を睨みつけながら、嫦娥は顔の輪郭を伝う血を振りまきながら人生の中で最も気に入らない二人に中指を立て血の混じった唾を吐き捨てる。
「……マジムカつくわ。煙を吐く死体みたいな男と憎悪しか持ってない泣いてばかりいた女。そんな奴らが私の前に立っている。私の邪魔をしてくるのがなんで貴方たちみたいな奴なわけ? うざいうざいさっさと消えなさいよ」
「餓鬼っぽいことを言うのね嫦娥、自分にはもっと相応しい相手が居るとでも?」
「当たり前、貴方たちじゃ役不足もいいところよ。復讐譚? 御伽噺? そんなくだらない舞台に私を巻き込んでんじゃないよ! 虫酸が走るわ! キモいキモい‼︎」
「……巻き込んだだと? 吐かしたな嫦娥ァ! 始めたのは貴様だろうが‼︎」
「私が始めた? 寝言は寝て言え純狐ォ‼︎」
交差した拳がお互いを突き飛ばし、嫦娥と純狐の血が宙を舞う。それを見つめてより嫦娥の怒りに薪がくべられた。
嫦娥は元々さして身分の高い家の出ではない。
言ってしまえば下賤の民。月の中でも下から数えた方が早い程だ。
そしてそれは永遠に変わらぬはずだった。
それが何より嫦娥は許せない。
人間のように努力したから何かが変わるわけではない。
穢れを嫌い生から離れたということは成長もない。
永遠に偉い奴らから見下ろされ続ける生活など地獄と一緒だ。
だから嫦娥は一度自ら地上に身を落とした。
必要だったのは誰にも命令されない力と、永遠を謳いながらその実死を恐れそれから逃げた月人を嘲笑うこと。
嫦娥の目的は八意永琳が実験で作り破棄された初期の蓬莱の薬を求め、更に力をつけること。
その挑戦は全て上手くいった。
人を手玉に取り誑かし、いつしか意のままに操れるまでになった。
そして蓬莱の薬に手が届くかというところでぽっと現れた誤算が一人。蓬莱の薬を手に入れるために近づいた男が嫦娥とは別に妻を娶った。人間と触れるなど嫌だとした嫦娥より先に子を作りいつの間にか嫦娥より先へ。
そんなことは当然認められない。
たかが人ひとりに阻まれるなどあってはならないと、夫を操り子を殺し全ては万事上手くいったはずなのに、怨みを溜め込み人は怨霊にまでなった。
だがその手も届かない。
地上に降り力をつけた嫦娥は、月の玉兎を全て操れる。その有用性を買われ勝手に月が嫦娥を守ってくれるはずだったのに、また人が嫦娥の前に立ちはだかった。
その気になればころっと死ぬような人間が二度も立ちはだかるなど許して置けない。永遠を望みながら死を恐れる月人の中で数少ない死すら完璧に投げ捨てた。それでもなお嫦娥に手を伸ばしてくる者たち。そんな存在は嫦娥の人生に必要ない。
「邪魔だ! 邪魔過ぎるんだよお前たちは! 私は永遠になったのに、それでもまだ滲みが私にへばり付く! それも二つ! 永遠にもなれない塵芥が‼︎」
嫦娥に殴られ飛んで来た純狐を受け止めて、藤はスッとと白煙を零す。立ち上る白線を視界に留めながら、少し薄らいだ視界を瞬き、純狐の背に置いた手に少しだけ力を込める。
「……手を貸そうか? と、言っても貴女は断るだろうね。貴女が倒れるまで俺は手を出さないよ」
「……当然。そこでただ私の勝利を見てなさい藤。その権利をお礼としてあげてるのだから」
「分かっているよ。貴女が来てから俺は貴女の勝利を疑っていないさ純狐。命は燃やすものだ。その火を絶やした奴が勝つなんてあるわけないだろう?」
藤の熱に背を押され、純狐はそれを鼻で笑った。
人の熱を身で感じたのなどいつぶりか。
それはもう大分前だ。
ただただ純粋な命の熱。
幼き子を腕に抱いたその暖かさ。
その命の炎に煽られて、純狐の熱が激しさを増した。
「嫦娥ァァァァァァァァ!!!!」
純化を強め憎悪の炎の勢いは止まらず、リミッターの外れた嫦娥の体を純狐の拳が殴り飛ばす。不毛で美しさの欠片もない殴り合いを純狐はやめない。やめるわけがない。やめるわけにはいかないのだ。ただ己が拳で嫦娥の全てを奪うために。
奪われた未来は未来でしか取り戻せない。子の未来を奪った宿敵の未来を奪うため。野蛮な殴り合いは加速しかせず、憎悪の火花が嫦娥の頭を大きく弾く。叩き込まれるのは『嫦娥』というたったの一言。それに頭を大きく揺らして後退る嫦娥を追い、放たれた怨霊の二撃目を受け嫦娥は無様に大地に転がった。口の中で入り混じる砂と血を噛み砕き、無理矢理立ち上がった嫦娥への三撃目は見事に顔の中心を射抜き嫦娥が後方に弾かれる。
「嫦娥ァ‼︎」
会話にすらならず純狐から吐き出され続ける嫦娥の名前。耳に届くそれを打ち消す打撃音。
名前、
拳、
名前、
拳、
名前、
拳。
ごちゃ混ぜになった嫦娥の頭ではもう何発殴られたのかさえ分からない。ぐるぐると回る視界のせいで前後左右も不確かで、ただ時々視界に火花が散り見ている景色が飛ぶ。呼吸も苦しく出て行くのは薄い吐息と血の塊。ぼたりと落ちた赤い点を見下ろす嫦娥の視界が天に向けて吹き飛んだ。
(……めんどくさ)
殴られるなんて楽しくないし、痛いのだって大嫌い。ただひとり異様に熱くなっている純狐は滑稽だと薄く笑い、嫦娥は傾いてゆく景色を見送りだらりと両腕を垂れ下げた。もう今はさっさと横になって意識を投げ出したい。
そんな嫦娥の移ろう視界がピタリと止まる。
眉を傾ける嫦娥の背にへばり付いた熱。
小さくも火のように熱いそれを追って背後へと嫦娥が目を向ければ、最も気に入らない男の顔がそこにあった。
嫦娥に白煙が喰いつかないように気を使い天に向けて白線を燻らす男の顔は、やはり嫦娥にとって気に入らない。
倒れそうな嫦娥の背を支えている男を見て、嫦娥はなんの表情の浮かべずにただ一度その男の手へと目を移す。
「……何してるの貴方」
「お前が俺の方に飛んで来たから手を出しただけさ」
「……意味不明、私が飛んで来たなら殴ればいいじゃない。それともなに? 弱ってる奴は殴れないとかいう博愛主義者? ウザ、貴方はなんのために戦ってるのよ」
「俺の望む未来のために。俺に殴って欲しければまず純狐に勝つことだ。そうすれば殴ってやってもいい。まあ嫦娥が負けるだろうから俺に殴られる心配は要らないな」
「……なにそれ、殴られるために私に勝てって? 馬鹿じゃないの貴方。だいたい永遠を持つ私からすればこんなのは小事なのよ。無限ではない貴方たちなんて道端の石にもなれない宙に浮く塵。なのになんでそこまでするの? 寿命を削って、命を賭けて、これが無意味だと理解できない馬鹿ではないでしょう」
「なんでか……、なんでかなぁ。先代との約束とか、百六十五代目に大見得切っちゃったとかいろいろあるけど。賭けられた命には命しか賭けられない。俺は今生きてるだろう?」
「…………なによそれっ」
軽く藤に背を押されて数歩嫦娥は前に足を進めた。前からふらふら歩いて来る純狐と、背後で白煙を立ち上らせている男を見やり、嫦娥は強く歯を噛み締める。
「……ウザい」
背中がどうにも痒くて堪らない。べったり張り付いた命の熱が煩わしくて仕方ない。
未来のため。
我が子のため。
自分以外のために動ける意味が分からない。大事なものは己だけ。ただ自分が高みへ登るために。
それが嫦娥の生。
見下されるなど許さない。生まれで全てが決まるなど、永遠に見下され続けるなど、それを嫦娥は否定する。上へ、上へ、空より高く。そして月まで至った嫦娥だ。自ら地に堕ちようと自ら帰った。自分にはなんだってできるのだと嫦娥は自らを証明した。その自負が再び嫦娥に火を灯す。誰がためでなく己のため。息を吸い込む純狐に合わせて嫦娥も息を吸い込み心を吐き出しながら足を踏み込む。
「嫦娥ァァ‼︎」「純狐ォォ‼︎」
交差する少女たちの拳を少し離れた場に立つ藤は白煙を小さく吐き見届ける。驚きもせず、騒ぎもせずじっと見つめる先に広がる光景は、藤が思い描いていた通りのもの。
己がため、一代で誰より長い旅路を歩き切った嫦娥。その精神力は異常と言える。能力の効かぬ者を前にして苦手な拳で応戦する気概もそう。己にさえ己の毒を向け、外され底上げされた稼動力は人を超える。
ただ偏に相手が悪かった。
ただ一人嫦娥を追い続けた少女。我が子に向けるはずだった愛を怨みに変えて何百年経とうと嫦娥を追った。
自己愛と憎愛。
ただひとりを想い過ごした年月は、種類は違くとも純愛と同じ。嫦娥のことをずっと考え続けた純狐だからこそ、嫦娥の動きをここで読み切る。
純狐が放ったのは割れていようと右の拳。嫦娥の放つ左の拳を前に進みながら頬の皮薄皮一枚で受け切り、子と嫦娥に捧げる十字架を純狐は描く。
完璧な形の
あご骨の割れる音を響かせて嫦娥の体が崩れ落ちる。
ぐるりと暗転した視界の中で、嫦娥は割れた顎も気にせず歯を食い縛り、その痛みをもって意識を叩き起こす。力の入らない力を能力で無理矢理動かして、嫦娥は純狐と藤へなんとか目を合わせた。嫦娥の美しさは血と汗に塗れて失われ、残ったのは自分を信じる眼光のみ。
純狐は僅かに目を細めて薄く息を吐き出すと顔に張り付いていた血をここで拭った。血に染まった嫦娥の顔をよく見るために。今この瞬間を焼き付けるために。
「……無様ね嫦娥、ようやく……、ようやく貴女のその顔を見て笑ってやることができる」
「……あっそ。満足したわけ?」
「満足? するわけないじゃない。降参しようが許しを請おうが私はお前を許さない」
純狐の闇に染まった瞳を受けて嫦娥は息を詰まらせると、ゆっくりと押し殺したように笑い始めた。純狐に向けてではない。静かにただ自分へと向けて。
「降参? 許し? くっふっふっふ……」
そんなものを嫦娥は必要としていない。なぜなら嫦娥は悪いと思っていないから。一頻り笑い終えて嫦娥は今一度純狐を見つめた。そうすれば少しぐらいは思わないわけがない。
もし嫦娥が上を向くことをやめて地上で生きると決めていたら。もし嫦娥にも子がいれば。もし純狐ともう少し仲良くすれば。意外といい友人になったのではないか。
そこまで考えいつも最後は馬鹿らしいと嫦娥はひとり笑う。もしもなんてあり得ない。何度繰り返す事になっても嫦娥は同じことをする。永遠に上の者に媚びへつらうなど、
だってそんなの惨めだから。
「純狐ォォ‼︎」
宿敵の名を叫び足を出す。負けると、そんなことは分かっている。もう腕も上がらなければ歩くだけで嫦娥はやっとだ。それでもやめず、そして純狐も同じくやめない。分かっていたというように一歩を踏んだ嫦娥を殴り飛ばす。
意識が吹き飛び体がいうことを利かない。そんな中でも最後の力を振り絞り嫦娥は手を伸ばす。宙に漂う白糸を、静電気で無理矢理手繰り寄せ、掴んだ腕がひび割れようと膝だけは折らない。崩れ剥がれてゆく腕を見送りながら、嫦娥は最も気に入らない二人の顔を強く見つめた。
「……絶対に私は倒れない。お前たちの前でだけは絶対に膝をついてやらないし頭も下げない。私が操れないお前ら二人の思い通りにだけはなってやらない! ……認めるわ、今回は私の負けよ。ただし、こんなの私にとっては永遠の中の一欠片。次は私が勝つ。それでダメでもその次こそ勝つ。それでダメでもいつか勝つ。これから永遠に私は貴方たちの敵。純狐! 黴藤! せいぜい怯えなさい! 貴方たちの名前と顔を私は未来永劫忘れない! あっはっは! あっはっはっはっは‼︎」
崩れ去りなお高笑い。薄れる白煙の中に木霊する笑い声を聞きながら、藤と純狐は地に倒れ、ひび割れた手を天に掲げて口角を落とし藤はぷかりと煙の船を浮かべる。
「……やべえ、次代に負の遺産を残したかもしれん……。なあ純狐、うちの一族で祀ってあげるから守り神になってくれないかい?」
「……まあ、考えてあげてもいいけど」
「それは良かった。それよりいいのかい? 嫦娥をただ死なせてしまって。貴女なら半死状態で固定できたんじゃないかな?」
藤の問いに純狐は少しの間目を閉じると鼻を鳴らした。勿論できなくはない。痛みを純化するにしろ、永遠に叫び声を上げる彫像としてもよかったが、それを純狐はやめた。
「──これは終わりではなく始まりよ。久々にあの女を! ……見て殴れた。これからも何度も殴ってやる。永遠の敵? 初めから私はそのつもり。何度アレが万全を期そうがそれを全て踏み躙りまた殴ってやる! 殴って殴って殴って‼︎ ……やっとその始まりを掴んだ。……まあ、貴方のおかげね。あの腐れ穴熊をようやく引きずり出せた、約束は果たすわ」
「頼むよ」
────カチャリ。
ハァ、と小さく息を零す藤と純狐から少し離れたところで小さな音が鳴る。地から持ち上がる蛍のような淡光を浮かべる箱を横目に見て、それを持ち上げる女性的な指を追い藤は気怠い体をなんとか持ち上げた。
「天子、幽香、やっぱり来たのかい? 今の白煙には絶対に触れるなよ。いくら二人でも────……」
藤の声は次第に弱々しくなり、煙に巻かれるように完全に消え去った。その覇気のない残響を聞き純狐は勢いよく立ち上がる。
「────……依姫、サグメ、豊姫、嫦娥。さて……、大したものだと褒めればいいのか。それとも怒った方がいいかな? どう思う百六十四代目黴藤、平城十傑の陰謀家だったか? ああ私が知っているのは気にするな、見ていただけさ。ただそれも今夜からだがな。もう少し早く見ておけば良かったよ。いい暇潰しになっただろう」
宙に小さな満月が二つ並んで浮かんでいる。最初に藤が想ったのはそんななんとも言えない感想だった。ぼんやりと月光に包まれながら、それをローブのように身に纏った痩身の女性。に見えるが男と言われればそうも見える。それだけ性別も一見しただけでは分からなほどあやふやだ。
だが誰かは分かる。
ふと口から落とした電子タバコを空中で掴み、藤は薬煙の代わりにただその場の空気を深く吸い込み静かに吐いた。月は魔性と言う通りの空気に、藤は一度強く目を瞑りゆっくり電子タバコを咥えて白線を燻らす。
向かってくる白煙に月の神は手を伸ばすと、仔犬を撫でるように指を回した。手にまとわりつく白煙を神は可笑しそうに眺めて小さく笑う。その結果が分かっていたと言うように藤は薄く目を開けて、目の前の神の姿を脳裏に深く刻み付けた。
「──ようやく会えたな、俺は黴家第百六十四代目当主 黴藤。俺が最初かな月夜見殿」
神を前にして気負わず薄く笑う人間を見て、月夜見は少しだけ口端を歪めたが、それを笑みに持ち上げて白煙を口遊む人間と静かに目を合わせた。
「玉兎、嫦娥、最も多くの月の民を殺した人間よ。忌々しい煙の悪魔よ。お前に最初に会いに来てやったぞ。なにか言っておくことはあるかな? お前の話なら聞いてやってもいい」
「さて、と。なぜ今になって攻めに来たのか、なにを考えているか、戦いをやめる気はないかとか色々あるがね。どれも今ここに至っては意味はないだろう。そう、ただ終わらせるために来た。この無駄に長い物語をたたみにな」
「ふむ。…… 二人、いや、怨霊は消えたか。君の策かな?」
「さて、全て見えるなら俺から言う必要はないだろうさ。だろう?」
いつの間にか消えている純狐に藤は目も向けない。予定通りという藤の顔を月夜見は少し不機嫌な顔になって首を横に倒し身を包んでくる白煙を手で払う。笑う藤の顔が純狐の行き先を告げている。即ち外の世界。幻想郷の中なら少ない人数故にすぐに分かるが、信仰が薄れ億に上る人混みに紛れられると楽には見つからない。
「……私が見ていることに気付いていたのか?」
「保険だよ、よく言うだろう? お天道様が見てるって。ならお月様だって見てるだろうよ。そのつもりで色々考えて動いてただけさ」
幻想郷の者が戦うことはほぼ決定事項であった。だから幻想郷内で仲間を集めるのは気にすることはない。気にするのは外でやるべきこと。それが済んだから藤も幻想郷にやって来たのだ。
「甘く見たかな月夜見殿、たかが人間だとさ」
「それは認めよう、だから私がここに居る。ひとりで私と殺り合う気か? だがそれは私を甘く見ているだろう藤」
「一人じゃないわよ‼︎」
空から舞い降りてきた青い髪と共に、月明かりを塗り潰す閃光が神に突き刺さる。薄らいでいるとはいえ未だ場は白煙の中。緑の髪と青い髪を見て藤の顔は引き攣るも、少し嬉しそうに目を伏せる。新たな来訪者を降り注いだ閃光を容易く手で搔き消して月夜見は歓迎の笑みを浮かべた。
「結局来たのか。天子、幽香、ここは死地だぞ?」
「今ここでやんなきゃ私まだ一度も月の奴とやってないんだけど⁉︎ 月の神上等‼︎ さあようやっと勝負の時よ!」
「偉そうにいつも空に浮いてる奴を叩けるなんて滅多にないんだから、私にも遊ばせなさい藤!」
「人に妖怪に天人まで。あぁ、まあいいだろう思い出すがいい。天照姉様、須佐男、そして私。誰もが知ってる神々がなぜ誰もに知られるようになったのか」
薄らと月の輝きが強さを増す。蜘蛛の巣の姿すら露わにするという月光の輝きに透かされて、月夜見の瞳が全てを見透かすように透き通ってゆく。陽の光と違い優しく冷ややかに身を包む月の空気が白煙を飲み込み場を支配した。
「敬えよ、まずはそれからだ」
三日月のような鋭さを持って、月夜見が柔らかく牙を剥く。
どうでもいいおまけ ①
「俺は黴藤、力を借りたい純狐殿」
「へー、よく来たわね人間。それで?」
「月から嫦娥が「嫦娥ァァァァァァ‼︎」ゴパァ」
これで死にかけ数十回。
ようやく話を聞いてもらえた。