月軍死すべし   作:生崎

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月軍死すべし ⑦ 月夜見

 月夜見はその著名さとは裏腹に神話に出てくる回数が極端に少ない。天照大神、須佐之男命、と並び呼ばれる三貴神の中で、性別すらあやふやで話にほとんど出ないのは、文献を抹消されたから、有名な二神とバランスを取るためなど諸説ある。女神と言えば天照、男神と言えば須佐之男命。だからこそその中間たる月夜見は、男女両面を持つ両性具有の神。男であり女である。バランスを取るための存在だからこそこれまで表に出なかったが、天照大神と須佐之男命の力が薄れ二神が動かない今だからこそ動くのは月の神。

 

 神として矢面に立った天照大神と須佐之男命と同じ三貴神である月夜見が、表に出たことが少ないから弱いなどということがあるはずなく、口を開き牙を覗かせた月夜見の牙の鋭さに、藤の笑みはすぐに消え、向けられた牙に目を見開く。

 

 緩く振られた月夜見の腕は三日月と同じ。暗黒に浮かぶ大型の鎌が滑る先の全てを抉る。白煙の壁を形成するように前に出していた藤の指先に、薄っすらと赤い線が走り、風に吹かれて左の薬指と中指が第二関節の先から椿の花のようにぽとりと落ちた。歪みない断面から溢れてくる血に藤は歯噛みし、止血のためにワイシャツのすそを破き強引に断面を縛りつける。

 

「ほら、休むなよ藤」

 

 日本刀のような鋭さを持って月夜見の手が続けて振られる。進行方向にある障害物など意味を成さない刃腕に藤が白煙を吹き掛けようと崩れない。止まらず迫る神の腕を紙一重で避けようと藤はぷかりと風に乗るように後ろへ動くが、肩を掠った月夜見の指の形に肉が刮ぎ落とされた。

 

 細い月夜見の指先が、拒絶するように世界を裂いている。薄皮一枚で万象を反射し振るわれる拳撃から身を守る術は人や妖には存在しない。その月夜見の姿は、存在そのものがなにかの境界線のよう。川が大岩を避けて流れるように、月夜見を避けて流れていく様を目で追って、藤は強く歯を噛み締めた。電子タバコのカートリッジにヒビが入り、漏れ出る煙にカートリッジを引き抜き月夜見目掛けて噴き出すが、ずるりと月夜見の表面を滑り月夜見の背後の地面に転がると細々と薬包は煙を上げるだけだ。

 

「さて、と……」

 

 電子タバコに新しい薬包を嵌めて藤は小さく白煙を零し、肌を覆う冷たい汗を振り払うように指の千切れた左手を振るう。能力もさる事ながら、月夜見を見れば見る程に勝ちの目が見えない。

 

 存在の強度が違い過ぎる。

 

 藤の白煙が全く聞いていないわけではない。空に僅かに響く焚き火の木々が弾けるような音は、月夜見の神力に反応して薬煙が火花を上げて弾ける音。だが、月夜見はそんなことも気にせずに飛んできた薬包が当たった場所を手で払い微笑を崩さない。薬煙は月夜見から漏れ出た神力に反応しているだけで神の体には傷一つ付くことはなく、変わらずそこに佇んでいる。黴の薬煙では削り切れない存在力。神という存在をそこまで藤も見たことがあるわけではないが、それでも格の違いを感じずにはいられない。

 

 人ならば、必ず生きている中で一度ならず見上げる夜空の月。見つめられぬ太陽の代わりに、夜に人々は月を見つめる。その視線を一身に受けて数千年以上。何もせずとも静かに変わらず居続ける神の強度は、八百万の神の中でも並ではない。

 

 武術だの技だの術だのを必要としない純粋な存在としての強さ。烏合の人間とは違う絶対的な個。月を統べる者に月夜見以外の代わりは居ない。今までもこれからも月夜見だけ。

 

 地上に浮かぶ人型の月の姿を今一度藤は見つめて拳を握る。咥え直した電子タバコから薬煙を吸い込み続け、筋力の限界を無理矢理上げた。血管の浮き上がった人の異様な姿を拒むことなく月夜見は微笑を返す。来いと指で神が招く相手は三人。笑みの消えた藤の代わりに笑みを浮かべるのは天人と妖怪。獰猛な妖怪たちの間を駆け抜けて、小さく舌を打ちながら神に向け藤は右拳を振り抜いた。

 

 

 ────ボキリッ。

 

 

「ほう、人の身でなかなかの威力だな。おかげで腕がへし折れた」

「……ッ⁉︎」

 

 ダラリと垂れ下がった己が右腕を一瞥し、藤は痛みと返って来た異様な感触に眉を顰め小さく呻く。『万象を反射する程度の能力』、月夜見の能力を実際に藤も聞いていたが、ただ知っているのと実感するのではまるで違う。殴り返されたわけでも強固な盾を殴ったわけでもなく、ただ自分の拳の威力が、月夜見にぶつかった瞬間そのまま自分の腕に流れたような感覚。砕けた骨と関節の痛みに腕が上がらないのを確認しながら、頭上に薄く雲を引きながら振り抜かれた傘を藤は見送った。

 

 激しい衝突音と共に粉々に砕け散るのは幽香の傘。パラパラと地に落ちる傘の音に耳を澄ませて楽しげに目を閉じる月夜見の姿に幽香は大きく舌を打ち、そのまま圧縮された妖力の閃光を月の神に撃ちつける。

 

 地は剥がれ空を震わせる大妖の閃光を空に跳んだ天人の風の剣尖が突き立てられ、同時に隆起した大地が神を潰す。メギリッ、と大地同士が擦り合う重音が響く中、その中からするりと盛り上がった地に手を掛けて月夜見が変わらぬ姿で滑り出る。別に服にも付いていないだろう土埃を手で払い、ふっと小さな息を零す。

 

 遠慮なく神に向けられ振るわれる攻撃。その懐かしさを少しばかり月夜見は惜しむ。

 

 依姫、豊姫、天探女、嫦娥。

 

 誰一人とっても弱くはない。どんな状況、状態だろうと、その能力の高さは間違いない。それを穿った人と妖も弱くないことは月夜見だって分かっていた。藤と幽香と天子を眺め、惜しみながらも怒りを抱く。これだけの力を持っており、そしてこの場を作った人間に。そんな人間と並ぶ妖怪に。

 

「私の力がただ反射するだけのチャチなものだと思うか? 返そう妖怪」

「コイツ──ッ‼︎」

 

 月夜見の手の内で膨れ上がった妖光に幽香の顔が強く歪んだ。月夜見が浮かべるのは幽香の妖光。身に受ける陽の光で輝く月のように、身に受けた幽香の妖光をその手に浮かべる。その姿に目を見開いた藤たちに目を流しながら、大妖の閃光を人間たちに軽く放った。動作は軽く見えようと、光に秘められているのは大妖怪の力。その光を睨みつけ、より強い輝きを幽香は手に纏う。

 

「舐めるなよ神がっ!」

 

 花開く妖気の大流が神に返された閃光を飲み込み神の身をを包み込む。空の塵と水蒸気を蒸発させ薄煙を上げるその中心に浮かぶ影は崩れず薄い笑いを零すのみ。その影に徐々に閃光は収縮し、月の神の手に収まる。受ける力はそのまま月夜見のものと言わんばかりのその姿に、幽香は強く目を顰め、天子は息を零し、藤は口を閉じ目を軽く閉じた。

 

 三者三様の姿からは好戦的な空気は消えず、静かに月夜見から目を離さない。手の中の妖気を握り潰しながら、月夜見は細いため息を吐く。

 

「それだけの力を持ち頭も悪くない。だからこそ惜しいものだ。妖怪はどうでもいい、お前だ藤。依姫を斬った北条楠、豊姫を穿った霧雨魔理沙、この発展した人の世にあって、未だにお前たちのような人間もいる。なぜお前たちのような者ばかりがここにいる? 私が忌避するのは陽の光を弱める者。そうでない者は寧ろ好ましい。だというのにお前たちはなぜ向かってくる? そうでないならお前たちを側に置きこそすれ消す理由がない。輝夜を総大将に置き、竹取物語を終わらせることがそんなに重要か?」

 

 力を抜いた月夜見に、藤は口の電子タバコを摘み手の内で回す。くるくると回る硬質の舌を見つめ、強くそれを握り込んだ。

 

「……たまたまだよ」

「なに?」

「……全部たまたま、俺が当主になったのだって、楠や櫟や菖や梓が当主になったのだって、ここに俺がいるのだって、たまたま俺たちが当主になったからそう選んだだけだよ。もし俺たちがいなくても誰かが貴女に立ち向かうさ。人は貴女が思うより多分弱くない、世界中回った俺が言うんだから間違いないさ。だからそれは心配していない。俺が心配しやるべきことは竹取物語を終わらせること。重要かって? 重要だよ。いつまでも昔のことで命を燃やしていて欲しくないだろう? 技術や技は進歩しても、俺たちは一歩足りとも進んでいない。そろそろ俺たちの一族も俺たちの物語を描いていいだろう? 趣味じゃなくて本気でヘビメタやったりさ。そういうのが俺は見たいんだ。嬉しいことに俺以外に九人が一緒にいてくれている。だからここで終わらせるんだ。俺たちの未来のために世界にはまだこのままでいて貰わなきゃ困るんだよ」

 

 普通に生きたい楠も、夢を追う梓も、未来が見たい藤も、そのためには今が壊れて貰っては困る。世界のためではなく己のため。自分たちのために世界はあれという独善的な人間性に月夜見は頭を痛めながらも、その神性よりな考えに共感もする。人は確かに神の子孫。矛盾した想いを抱えながらも月夜見はそれをどちらも否定はしない。それが月夜見の在り方だから。狭間に生きる月夜見は、だからこそ今手を出さなければならない。このままでは遠い未来に神は消え、陽の光も潰えるだろう。そうなってからでは遅いのだ。まだ神の名が生きている今だからこそ、その名すら忘れられてしまう前に動かなければならない。

 

 そう、その名すら忘れられてしまう前に……。それを胸に月夜見は強く目を開き白煙を吐く藤を見つめる。その輝きが嘘でないかを見極めるために。

 

「……未来か。平城十傑、五辻桐、袴垂椹、坊門菖、岩倉菫の四人はこの世を去った。それでもまだ未来を追うのか? それがお前の追う未来か?」

「……そうか、……桐も……菖も、か」

 

 最後に会ったのは半日前、その時の顔をはっきり覚えている。正直誰も生きて帰れるとは思っていなかった。だが勝利は信じている。電子タバコを咥え藤が吸うのは思い出、吐き出すことなく噛み締める。

 

 桐は藤が会いに行かずとも、伝令役らしく自ら藤に会いに来た。

 

 椹は黴の財宝を狙って黴の本家に侵入し、あえなく藤の白煙に包まれ御用となる。

 

 菫も面白そうだと唐橋の資料室に居た藤を訪ねひょっこりと顔を出してきて。

 

 菖は数少ない藤から会いに行こうと決めた相手だ。

 

 四人の顔を思い出しながら電子タバコのカートリッジを換装する。目を向ける先は月の神。瞳の中の光を強め、命の炎を激しく燃やす。

 

「…………なら、余計に勝つしかなくなったなぁ。相手してくれよ月夜見、で、勝ったらさ、諦めてくれ」

「それは勝ってから言え」

 

 同じ先を目指してくれた者がいる。その数が減ろうと目指す先が変わることはない。寧ろだからこそ勝つしかない。未来を見るために未来を諦める。藤は一歩前に出て後ろ手に緩く横に手を振った。

 

「天子、幽香、少し────」

「もう退かないわよ! 藤、やっと面白くなってきたじゃない! 歳月不待、退屈はさよならよ!」

「そうね……藤、せいぜい綺麗に咲きなさい。特等席で観賞させて貰うから。いいわね?」

「……なら、距離を取れよ。これは最高に苛烈だぞ」

 

 吸い込む白煙に神経が焼かれる。元からぼろぼろの神経が破裂し溶けていくような気持ち悪さに、口からポタポタと血を流しながら、藤色の煙を重く吐き出す。風に揺られても吹き流されず、地を這うように進んで来る藤煙を見下ろした月夜見は、動かず眉を顰めたまま、それが爪先に触れた瞬間大きく背後に身を翻した。

 

「これは……」

「……────魔力でも、妖力でもない、純粋に神力に最も反応し効果を及ぼす薬煙。貴女の能力は脅威だが、信仰までは反射できないだろう? それでは存在が消えるからな、これが俺の貴女の攻略法だ」

「なるほど、面白い! が、ここまで苛ついたのも久しぶりだな藤‼︎」

 

 大きく笑う月夜見に、藤も深い笑みを返す。藤色の煙で神を巻き取る。その鮮やかな煌めきに触れれば、煙に引っ張られ混ざるように歪んでしまう。ならばやることは決まっていると、天子も幽香も目配せもせずに月夜見の元へ突っ込んだ。藤色の煙の元に月夜見を叩き込む。それが勝利への条件と見定める。

 

 放つ弾幕は煙に巻かれてしまうため、叩き込むのは拳と剣。振るわれる妖怪の一撃を避けることなく月夜見はその身に受け、反射される衝撃を受け震える緋想の剣に天子は歯噛み、割れた拳も気にせずに幽香は再び拳を握る。

 

「妖怪! 影の存在が神に楯突くか! 忌々しい陰者が!」

「あら、神の歪んだ顔を見れるなんて最高だわ。でしょう?」

「全くだわ! いつも偉そうに天に浮かんで、邪魔ったらないわよね!」

「天人なら天人らしく無為に過ごせばいいものを!」

「絶対嫌よ!」

 

 脅威もなにもない生活なんて謳歌できないし、天子にはそれをする気もない。なにもせずに過ごす毎日に一体なんの意味がある。褒賞として得られたとして、与えられるものがそんなものなら投げ捨てたいのにもう投げ捨てることもできない。だが、それでも賭けられるものはある。

 

 例え死ぬことになろうとも、命を賭ける煌めきには代えられない。無限に続く平穏より、退屈がぶっ飛ぶ一瞬の必死。それが天子は欲しかった。その一瞬が今まさに目の前にある。有頂天よりなお高く、空に輝く月の主が壁として目の前にいる。遠慮も躊躇も必要ない。ただ全力を振るっても、全てを受け止めるような相手。

 

「私の欲しいものは今! 拳も握れない神に用はないわ!」

「吐いた唾は飲み込めんぞ天人風情が!」

 

 握られた月夜見の拳を見て、天人の顔が引き攣った。世界を反射する拳が迫る中歯を食い縛る天子の体がふいに横に引っ張られる。頬を掠る神の拳を見送り、その次に視界を撫ぜた緑の髪に天子は顔を向け目を瞬いた。

 

「幽香……」

「怒らせて難易度上げちゃってまあ。まあその方が面白いかしら」

 

 幽香の手から滴る血を見て慌てて天子はその場を離れる。「ありがと」と小さな声で感謝を呟く天人から目を外し、笑いながら月の神へと目を戻す。

 

 力と力のぶつかり合いによって生まれる衝撃は花と同じ、人と妖の生き様もそう。初めは小さな種であっても、芽を出し茎を伸ばしいずれ花を咲かせる。永遠に夜空に輝く大華が相手、そして今正に満開になっている華が一つある。藤色に染まったゆらゆらと揺らめく煙の華。

 

 能力で見たい花をいつでも咲かせられる幽香にも、いつでも見れない華がある。見頃を過ぎれば永遠に。そんな諸行無常を楽しむのが長く生きる幽香の楽しみ。見頃を迎えた華を視界に収め、地を覆う藤色の煙を見据える。

 

 永遠に咲き続ける華など存在しない。いずれ枯れてしまうからこそ美しい。我が物顔で咲き続ける月の花を地に落とすため、幽香は空を蹴り再び月夜見に拳を振るった。

 

 骨の砕ける音に口端を歪めながら、なおも拳を振り続ける幽香につまらなそうに月夜見は目を反らしながら風に揺れる髪を搔き上げる。

 

「拳が砕けても再生力に任せて振るうか妖怪。無駄なことを、お前たち妖怪という存在が私は嫌いだ。己が楽しむためだけに力を振るう愚か者」

「お互い様ね、私も偉ぶってる奴が嫌いなの。その鼻柱是非折りたいものだわ」

「先に私が折ってやる」

 

 血に塗れながらも笑う妖怪の顔が気に入らないと、その顔を掻き消すように振るわれる神の腕。幽香の顔の皮を引き剥がすように抉り取る。そのはずだった一撃は幽香の鼻先をほんの少し掠めるだけで終わった。ついでとばかりに満面の悪どい笑みを幽香は月夜見に贈る。

 

「好きな奴より嫌いな奴を前にする方が視野が狭くなるものだわ、だから足元を掬われるのよ」

「ッ、藤か⁉︎」

「……────掴んだよ神様」

 

 ずるりと宙へ踊った藤色の煙が月夜見の足に巻きついた。重力に従い地へと垂れる藤の色に引っ張られ、神の体が地に落ちる。大地を這う淡い青紫色に身を包まれて、月夜見は顔を歪めながら膝をついた。

 

「……────信仰心まで反射したのか」

 

 月夜見の全身を薄く覆うように弾ける火花。これまで反射しなかったものを急に反射したせいで、止まり切らなかった信仰心の流れが空間の中を暴れ狂う。それを追って腕を伸ばす藤煙に引き千切られ、神が繋がりを失い地に一人。その姿は孤独であるが、油断できる状況でもない。

 

 恐るべきは判断の速さ、信仰の消えた空間は神にとって栓の抜けたバスタブであり、息を止め潜水しているのと同じ。そんな中に身を置くことを月夜見が躊躇しなかったせいで薬煙の効果がほとんどない。月夜見の足に淡い青紫色の蔦に絡まれたような痣を残すのみに終わり、引き絞られた神の瞳が藤を射抜いた。

 

 神の目に浮かぶ絶えぬ光を見て藤の足が止まる。月夜見が窮地にいることは間違いないはずなのに拭えぬ違和感。月夜見の顔に浮かぶ二つの満月が徐々にその明るさを増す。

 

「天子! 幽香! 来るな‼︎」

 

 地に向かい飛んで来る二人に向かって藤は叫ぶ。

 

 だが、その言葉はすぐに柔らかな光に飲み込まれてあっさりと消えてしまった。

 

 深夜の大地に陽が昇る。

 

 暗闇も、自然も、生物も、万物を全て染め上げる極光が視界を潰す。月明かりは陽の光を反射した光、日ノ本の最高神の威光を唯一再現できる月の瞬き。光に触れたものを焼き尽くし大地に上った太陽はその姿を消した。

 

「ッ……、く!」

 

 強過ぎる光を受けて目が上手く機能しない。満遍なく体に細い針を突き刺されたような痛みは重度の日焼けの痛み。白く濁った視界の中、頭の中を過ぎる生きている不思議。藤は頭を振って、なんとか目を回復させようと目を瞬く。焼けるような大地に目を落とした視界の中、小さな影が地を滑った。藤の顔を上げた先に靡く青い髪は長さを失い首元まで短くなっている。体から湯気を立ち上らせた天人は、地に剣を突き立て妖怪と人間を背に背負う。

 

「──天人、お前は不死身か?」

「よ、余裕よばーか……」

 

 息が詰まるように笑いながら、天子は短くなった髪を振って地に突き立てていた剣を引き抜いた。真っ赤になった体をふらふらと揺らし、立ち上がっている月夜見に向けて天子は剣の切っ先を向ける。

 

「ほら、まだまだ勝負はこれからよ!」

「藤の煙で威力が落ちたか、なら次も防いでみせろ! 我が姉様の威光の輝きを!」

 

 周囲を吹き飛ばすためではない、前に控える三つの生命を消し飛ばすために指向性を持った光。空間を焼く閃光を前に、天子は歯を食い縛り地に剣を再び突き付けた。太陽の威光を再びその小さな体で受け止めるため。目を反らさず瞳を絞る天子の横を、スルリと緑の影が通り過ぎた。短くなった青い髪を指で掬い、両の手に有らん限りの妖力を握りしめ、陽の光を大輪が迎え撃つ。

 

「よくやったわ天子! 貴女は優雅さには欠けるけど……、天人の中なら最高だわ!」

 

 妖力と神力がぶつかり合う。空間に白い線を引いたような閃光を、向日葵のような黄色い閃光が受け止めた。バチリッ、と空間同士が擦り合う重苦しい音が場を捻る。細く吐いた吐息も吸い込むような魔と神の衝突の輝きに、藤は細く白煙を吐きながらよたよたと天子の横に歩を進めた。

 

「はっは! 最高だわ! ねえ藤、正に生きてるって感じ!」

「……────そうだな」

「私たち三人なら勝てるわ! ほら行くわよ藤!」

「……────そうだな」

 

 弾けるような天子の笑顔を横目に見つめ、獰猛に笑う幽香の横顔へと目を移し藤も小さく微笑んだ。二人の見つめる先に立つ月の神へと目を這わせ、しばらくの間見つめると小さく頷いた。隣で姿勢を落とし突っ込もうとする天子の肩に、千切れた左手の中指と薬指の血が付かないように注意を払い柔らかく手を置く。不満気な天子の顔が見上げてくるのに笑顔を返し、藤は天子の顔の横へと顔を近付けた。

 

「……────天子、月夜見の攻略法を見つけた」

「え? 本当⁉︎ なによそれ!」

 

 藤が指差すのは光の影になって良くは見えない月夜見の姿。目を凝らした天子は訳が分からず藤の方へ小首を傾げ、それに藤は左肩を小突くことで返す。目を細めた天子の先で僅かに舞う赤い飛沫。染め上げられ削れてゆく幽香の閃光の欠片が月夜見の肌に薄い朱線を引いている。

 

「あれって……」

「……────天照の光を反射するのには相当力を使うらしいな。陽光を放っている間は他のものを反射できない」

「なら今が勝機ってわけね! 流石幽香! やりましょ藤! 」

 

 駆け出そうとする天子の肩を再び藤が緩く掴む。

 

「ちょっと藤」

「……────幽香がもたない。天子、櫟か紫殿か、楠か梓、博麗の巫女、誰でもいい伝えてくれ。あいつらなら大丈夫、天子なら大丈夫だろう?」

「藤?」

「……────天子、君は良い女だ。幽香には、ハンカチは必ず黴藤が返すと」

 

 男の横顔を見て天子は眉を歪めた。

 

 藤は白煙を吸い込み続けているだけで一向に吐こうとしない。

 

 藤の体に浮き上がった筋と、握られた肩に掛かる力の強さに眉を寄せ、ふと天子の目に映った藤の左手に目を見開く。

 

 藤の千切れた指先から、一滴も血が流れていない。

 

「藤……、貴方まさかもう……ッ⁉︎」

 

 藤の微笑みを見たのを最後に天子の視界が掻き混ざった。途中重い衝撃と共に天子の視界に緑が混ざり、男の姿が遠ざかってゆく。男の名を叫ぶ天子の声に藤は笑い、口から落ちた電子タバコを途中掴もうとしたが手から滑り落ちてしまう。

 

 じゃりっと鳴る砂を踏む音が規則正しく近づいて来るのに耳を澄ませ、藤はゆっくり顔を上げた。視界に映える白い影。もう目が霞み姿を朧げにしか見ることができないが、相手が誰か分かるのは幸いだと微笑を崩さない。

 

「藤、お前嫦娥の時にはもうほとんど立っているのがやっとだったな? よくも私を前にあれだけ動き喋れたものだ」

「……────最後まで、恰好つけたいだろう?」

「……そうか、最後に言い残すことはあるか?」

 

 

 ────最後。

 

 

 その言葉を聞いて藤はまた薄く笑った。この瞬間まで今際の際の言葉など考えもしなかったことに。いざ最後と言われても、浮かんでくるのは短くも濃密な日々ばかり。幻想郷に来る前の慌ただしくも平城十傑の全員と出会い、目指す場所は同じだと知った喜びや。元気過ぎる先代や天人の顔ばかり浮かぶ。その二人のように笑えているかが気になり、また笑ってしまう。

 

 地に落ちたはずの電子タバコを手探りでなんとか掴み、上がらない腕を無理矢理動かし、口まで届かないため顔を下げて口に咥えた。小さく藤色の煙を吐きながら、

 

「……────煙はもう吸い飽きたなぁ。月夜見様、またすぐ会うことになるさ……」

「お前たちが勝ってか?」

 

 月夜見の問いに返される言葉はなかった。ただ線香の煙のように口に咥えた舌先から煙を上げる。無言で立つ男に向けて、月夜見は薄く笑いながら手をかざした。

 

 陽光に焼かれて藤が散る。

 

 陽の光が消えた先、淡い青紫色の煙だけが儚く夜空に消えていった。

 

 

 

 


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