月軍死すべし   作:生崎

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第二幕 終章

 薄く息を吐き瞼を開ける。

 

 月夜見の淡い瞳に映るのは青い地球と眩い太陽。何度見たかも分からない月からの景色。一番最後に体を失っても一番に再生した自身に神は苦笑する。霊夢と楠に斬られてからどれだけ日が経ったのかは分からないが、そこまで長くないのは確か。見事に人は神を退けたが、本当の意味の終わりではない。何度でもやり直そうと思えばやり直せる。玉兎の数は減ったが、実質月の将は一人も減ってはいない。

 

 ────依姫、豊姫、嫦娥。

 

 戦線を勝手に離脱したサグメはすぐに戻るとして、四人さえ揃えば何度だって繰り返せる。幻想郷を覗こうかと、瞼を閉じようとした月夜見の耳に、ぱさりと羽の擦れる音が聞こえ、途中で目を開けた。向く先は太陽と地球。目を向けずとも誰かは分かる。「サグメか」とため息と共に吐き出した言葉に、小さな返事が返された。

 

「今更なんだ、私は斬られてしまったぞ。くふふ、人に斬られた! 初めてだったよ……。それで? 弁明でも?」

「お叱りは後で、今は、お客様が居ります」

「客?」

 

 首を傾げて振り向いた先には二つの影があった。一人はサグメ、勝手に戦線を離れた割に悪びれた様子は薄く、軽く頭を下げると部屋から出て行ってしまう。もう一つの人影に月夜見は本格的に首を傾げる。

 

 外の世界でいうセーラー服に身を纏った少女。平城十傑とも違う彼らより幾分か幼く見える少女は、長いツインテールを揺らしながら、口に含んでいる棒突きキャンディーを転がして、月夜見の目が自分に向いたのを確認すると急いで噛み砕き飲み込んだ。残った棒を手で潰し、ポケットへと放ってから数歩前へと出る。

 

 神を前にしてなかなかに失礼な少女から感じるのは人の気配。人がなぜ月にいるのか、幻想郷での戦いと無関係でないだろうことは月夜見にも予想がつくが、少女が誰であるのかはまるで分からない。「誰だ?」と突き出された鋭い声に、少女は額に汗を浮かべながら大きくなるべく優雅に見えるように神へと一礼する。

 

「お初にお目にかかります月夜見様」

「だろうな、で?」

「私は平城十傑、黴家第百六十五代目当主 黴藤。月でお会いできたこと、感無量と言っておきましょう」

「……藤か」

 

 黴藤を名乗る少女に、ようやく月夜見は納得がいった。「またすぐ会うことになるさ」と言った藤の言葉。だが、蘇ってすぐに目にすることになるとは予想外だ。なぜ? という疑問は、すぐに頭に浮かんだ予想が答えとなる。百六十四代目と純狐の約束。嫦娥を討ち、すぐに外の世界へ純狐が姿を移したわけ。予想外の贈り物に月夜見は一人小さく笑った。

 

「私をここで討ちに来たか? 用意周到だなあいつは」

「……違います」

 

 藤はばっさりと月夜見の言葉を斬り払い、一度深呼吸をして神の淡い瞳を覗き込んだ。

 

「ならなにをしに来た煙の悪魔」

「停戦協定を結びに、……それと私は煙の悪魔ではないです」

 

 月夜見の言葉にそっぽを向き、口が寂しいのか、藤はポケットから棒突きキャンディーを取り出し舐めた。神の前で豪胆な少女に、ああやっぱり黴藤らしいと月夜見は椅子に深く腰掛けて、「停戦ね」と口遊む。その呟きに少女は月夜見へと顔を戻し頷いた。

 

「そうです」

「見返りは? 戦いをやめて私はいったいなにを得る?」

「私の信じる最高の十の一族の信仰を一族が続く限り」

 

 北条。

 五辻。

 袴垂。

 足利。

 坊門。

 唐橋。

 黴。

 蘆屋。

 岩倉。

 六角。

 

 千三百年前からやって来た十の一族。その名を並べ、また強く藤はキャンディーを噛み砕く。ゆっくりそれを飲み込んで、藤はようやく口を開いた。

 

「十の一族の信仰を一族が潰えるまで。それまで手を出さないと約束いただきたい」

「たった十の一族か?」

「神さえ退けた十の一族です。名もない千人や一億人より価値があると思いますが?」

 

 少し険しくなった少女の目を少しの間見つめ続け、月夜見はふと外の景色へ目を流す。藤に絡まれた足を組み、梓に砕かれた鎖骨をなぞり、ばっさりと斬られた胸に手を置いた。人の強さを信じなさい。姉から言われた言葉が今なら分かる。絶対だと思っていた天照の手からすらも離れる人間。一人ではなく、それも二人。博麗霊夢と北条楠。浮く女と透ける男。少年少女の顔を思い浮かべて、一度目を閉じ大きく笑った。

 

 目を開いた月夜見は再び少女へと向き直り、まあいいだろうと諦めたように口から零す。

 

「……本当に?」

「ああ、約束してやる。お前たち十の一族が信仰を失くすまで手は出さない。藤にも勝ったら諦めてくれと言われたしな。だからそう緊張するな藤」

 

 小刻みに震えている少女の足を一瞥し、頬杖をつきながら月夜見は困ったように小さく笑った。「お兄様……っ」と小さく震えた声で呟く少女から身を背け、再び宇宙へと目を戻した月夜見の背に、話は終えたつもりだったが、また少女の声が流れてきた。

 

「……なんだ? 話は終わりだ。月の観光でもしたいならサグメに言え、お前ならまあいいだろう」

「ああいえ……、そうではなく、その」

 

 なんとも歯切れの悪い少女に、言うならさっさとしろと月夜見が手を振れば、意を決したように少女は拳を握り三つ目となら棒突きキャンディーを口に押し込んだ。黴藤は口になにか含まなければ落ち着かないのかと呆れながらも、月夜見は耳を澄ます。

 

「お兄様……ッ、いえ、先代が気にしていたことなのですが、なぜ月夜見様が行動を起こしたのが今なのかと」

「……なに?」

「人々も神の名を未だ覚えており、文明レベルも月に追いついていない今という好機は分かるが、それでも分からないことがあると。信仰は別に人からでなくても集められる。人の信仰を取り戻す必要がなぜあるのか、天照の力が落ちると困ることがあるのかと気にしておりました。月夜見様が動いた真意を知りたいと」

「真意? ……愛する姉のためでは不満か?」

 

 くるくると椅子を回してそう言い切った月夜見を見て、「……いえ」と藤は小さく頭を下げた。失礼しますと出て行こうとする少女の背を見つめ、月夜見は重い息を吐き出した。

 

「────もし」

「はい?」

「もしの話だ。天照大神の力が落ち、闇の世界から神さえ恐れる相手が出てくるとしたらどうする? 遥か昔、唯一高天原にさえ手を掛けた存在が蘇る可能性があったとしたら? お前たちはどうする?」

 

 冗談?

 

 月夜見の瞳を覗き込み、一切揺れ動かないのを見て藤は口に咥えていたキャンディーを引き抜き大きく息を吸い込む。本気なのか、冗談なのか。どちらにしても言う言葉は決まっている。そのために百六十五代目 黴藤は月にいる。月夜見の目から目を離さぬように見返して、強く手を握り締めた。

 

「闘います。再び我らが必ず」

「────そうか」

 

 満足したように微笑んだ月夜見の顔を見て、藤は口へとキャンディーを咥え直し扉へと手を掛けた。少し扉を押した後、足を止めた藤に首を傾げる月夜見へと顔だけ振り返り、藤は口の中でキャンディーを転がし、ただ一つ、先代の気にしていたことではなく、己が気になった疑問を零す。

 

「その時は……月夜見様も一緒でしょう?」

 

 少女の問いに返事は返されず、頬杖をついたまま月夜見の笑みがゆっくりと深まるのを確認し、藤は静かに部屋を出る。

 

 

 

 

 ***

 

「よお、繁盛してるみたいだな」

「魔法使いの嬢ちゃんが来なきゃもっとしてるぜ」

 

 楠の皮肉に両手を上げて、魔理沙は焼き鳥屋屋台のカウンターの上で腕を枕に頭を乗せて人相の悪い店員を見上げた。

 

 月軍が幻想郷を侵略しに来てから既に二週間が過ぎている。偽りの幻想郷のおかげで元の幻想郷に被害はほとんどなく、大変だったのは死体処理だ。火焔猫燐やルーミアは喜んでいたが、ほとんどはうんざりとその作業を手伝った。幻想郷を包んでいた血の匂いはすっかり落ち、今では壊れた博麗神社ぐらいしか戦争の爪痕を見ることはできない。

 

 それがいいことなのか悪いことなのかと問われれば、良いことだろうと楠は断言する。賑わっていた方が焼き鳥が売れる。とは言え、二週間前から増え続けている出禁の張り紙を見ると歯を擦り合わせるしかない。死神、天人、天狗と、勝手に焼き鳥を取ってゆく者が増えたせいで、売り上げはいつも雀の涙。今も焼き鳥に手を伸ばそうとする魔理沙の手をはたき落とし、手を摩る魔理沙に歯を擦り合わせる。

 

「諦めて幻想郷に骨を埋めたらどうだ? 二十両なんて夢のまた夢だろ? それに楠、おまえ輝夜が立て替えてくれるって言ったの断ったんだろ? 私はてっきりここに居つく気になったのかって」

「お恵みで帰るなんてごめんだぜ。しかも二十両じゃねえ、今じゃ神社を壊したからとか難癖つけられて五十両だよ‼︎ ふざけんなよマジで! ぼったくりとかそういうレベルじゃねえだろうが!」

 

 楠を外に返す気がないなと、霊夢が決めたのか紫の策なのか知らないが、魔理沙は楠の冥福を祈るも、それも悪くはないと一人笑う。ぶつぶつ文句を言いながら焼き鳥をひっくり返す楠と空に高く上った太陽を見て、魔理沙は慌てて席を立つ。

 

「なんだよ、用事でもあるのか?」

「まあな、昼にこころと梍が第一回のスーパー能楽やるんだってさ。演目はこの前の戦いで! 私の活躍が見れるぜ! 楠も来るか?」

「あー、やめとくよ。まあ感想今度聞かせてくれ」

「分かったぜ! じゃあな!」

「あぁ⁉︎ じゃあなって焼き鳥取ってくんじゃねえ‼︎ 泥棒だぁ‼︎」

 

 楠は周りに訴えるが、いつものことかと相手にされない。犯罪を黙認する幻想郷にやっぱり嫌いだと愚痴を言い、魔理沙の出禁の紙にツケを足す。こころと梍のスーパー能楽。お試し版なら楠も見たが、なかなかに禍々しく出来上がっていた。が、楠からすれば自分の出る演目など恥ずかしいので見たくはない。嬉々として見に行く魔理沙も魔理沙だとため息を吐きながら、店先に新たにたった人影に楠は歯を擦り合わせた。大きな鎌を肩に掛けた影は、最近よく見る死神の姿。歓迎せずにさっさと帰れと手を振る楠の姿に小町は苦笑し席に座る。

 

「座んな、帰れ、ここはアンタのおサボりスポットじゃねえ」

「おいおい、第一声が帰れとは穏やかじゃないね。それにあたいは良心的なお客だろう? ちゃんと代金は払うし、持ち帰り用まで買うんだからさ」

「死神が居ると客足が死ぬんだよ。アンタが居る内はほとんど客が来なくなるんだ! 長居禁止だ禁止‼︎」

「酷い店員だね全く。まああたいも今日は用があって来たのさ。それ、まだ貼ってるんだね、もうこの屋台にしか貼ってないのに」

 

 盗賊注意の張り紙を指差す死神に、楠は肩を竦めて返した。剥がしてしまってもいいのだが、小町の言う通り人里に貼られて残っている大盗賊の人相書きは、焼き鳥屋の屋台に貼られた一枚きり。一枚ぐらい残っててもいいだろうと小町の話を聞き流す楠に、死神は薄く笑うとそれを破り懐から一枚の紙を取り出した。

 

「おい‼︎」

「まあ待ちなって。そろそろ張り替えの時期だろう? 実は最近になってこんな奴が出没しててね、危ないからここに貼っといとくれ」

 

 そう言って小町から渡された悪霊注意の張り紙を見て楠は固まる。

 

「どこぞの小ちゃな盗賊二人が裁かれる前の罪人を盗んじまってね。まさか繋いどいた鎖が壊されるなんて思わなくて地獄は大騒ぎ。危ないから人里にも報せにね」

「……ふーん、まあ貼っといていいけど、なんでそうなったんだ?」

 

 不敵な笑みを浮かべた綿毛のような髪の男の人相書きを屋台に貼り付ける楠に笑い声を返して、小町は困ったように大袈裟に肩を竦める。

 

「実は二人ほど死神に新人が入ったんだよ、罪が大き過ぎて刑期が凄いんでそのままじゃもったいないってさ。なかなか優秀な新人で、鎌じゃなくて西洋剣使ったり煙ばっかり吹いてる変わり者たちだけど使えると思って任せたらってわけ。まあ新人ならミスもするさね」

「……あっそ、ほら、持ち帰り用オマケしてやるからさっさと帰れ、新人教育でも頑張りな」

「へいへい、酷い店員だね全く」

 

 大量に焼き鳥と焼き筍をオマケしてやり死神を追い返す。ただでさえ死神が常連ということで、死神まで気に入る! と死神が居座ってる! という二つの良い噂と悪い噂が人里に流れているのは宜しくない。不機嫌そうな嬉しそうな楠にまた来ると小町が手を振れば、楠も怠そうに手を振り返した。

 

 そんな楠の頭上から、「あややや」と聞きたくない声が流れて来て再び楠は小さく歯を擦り合わせた。もう連日嫌な常連客ばかりで頭痛の種だ。黒い翼をはためかせて店先に足を下ろす新聞記者に摘んだ塩を楠が投げつければ、にやけた笑みを返されて楠は若干引いた。

 

「いやいや見てしまいましたよ! 人里で知る人ぞ知る焼き鳥屋台の店員が死神とまで知り合いだとは! 最近天人や仙人に死神がよくちょっかいを出しているのと関係でも?」

「帰れゴシップ記者! 知るかそんなの!」

「まあまあここは情報交換といきましょう!」

 

 逞しい記者根性で椅子に座る烏天狗に口端を引攣らせながら、楠は仕方なく追い返すことを諦める。天狗に本気で動かれれば、それを追うのは徒労でしかない。嫌々焼き鳥をひっくり返す楠を見て懐から手帳を取り出した文は、ページをパラパラと捲り手に取ったペンの先をペロリと舐めた。

 

「ではまずそうですねえ、あのスキマ妖怪が弟子を取ったのをご存知ですか?」

「ああ、漆だろ、式神の修行で。日本一の陰陽師になるってさ」

「やはりご存知でしたか、スキマ妖怪の考えはなんなんでしょうね」

「知るか」

 

 漆のやっていることなど楠は知らない。早苗と菫子とよく屋台に顔を出しに来るくらいだ。数少ないしっかり代金を払っていく三人なので、楠も上客と記憶している。ただ代金をちゃんと払うだけで上客なのが悲しいとため息を吐く楠を一瞥し、文はページを一枚捲った。

 

「では月軍襲来で見事な策を打ち立てた櫟さんが天人や仙人に修行をつけて貰っているのは?」

「……よくやるよなあ、それより梓さんは? どうしてる?」

「梓さんは療養のために地底ですよ。リハビリで鬼と喧嘩しているとか」

 

 うげえ、と楠は肩を大きく上げて首を振った。鬼とリハビリで喧嘩なんて絶対に楠はごめんだ。楠を見てなにが分かるのか、手帳にペンを滑るように走らせる文を見て楠は手を止めると、一度妖怪の山へと顔を向けた。少し気まずそうに「そう言えば」と適当に間をとって新聞記者に向き直る。

 

「次の天魔は決まったのか?」

「いえ全く。話し合いが長引いて妖怪の山はてんやわんやですよ。天魔様の遺言状のせいというのもありますけど、天狗も減って今妖怪の山は結構他の妖怪も好き勝手やってますしね。にとりさんなんかは月のナノマシンでなにかを集めてるそうですよ?」

「そうかい、まあ……どうだっていいけど」

「貴方から聞いて来たのに酷いですねー、それよりまだ店長さんは帰って来ないんですか?」

 

 文の中言葉に楠は苦笑しながら見ての通りと両手を上げて答えた。神の火に焼かれてから未だに妹紅は姿を現さない。輝夜の失くなった手足が永琳の治療で生えたもののまだうまく動かないように、神の力はやはり甘くはない。妹紅がいないことで減給される心配はないが、食い逃げ犯が増えたせいでプラマイゼロだ。二週間も一人で焼き鳥屋台を切り盛りしている楠は、すっかり平城十傑の中では一番幻想郷に馴染んでいる。一番帰りたがっている男が一番馴染んでいるという矛盾に文は悪い笑みを浮かべた。

 

「それで楠さん、霊夢さんと付き合ってるって本当ですか?」

「はあ⁉︎ その噂まだ生きてるの⁉︎ んなわけねえだろ! 魔法使いの嬢ちゃんだな‼︎ クソが!」

「おお怖い怖い、鬼の居ぬ間に帰りましょう」

「ああこら待て‼︎」

 

 さり気なく焼き筍を一本奪いながらあっという間に文は風に溶ける。幻想郷最速の食い逃げ犯を掴むことは叶わず、屋台から身を乗り出した楠の目にもう文の姿は映らない。歯を擦り合わせる楠の頭に、ペシリともうすっかり慣れた感触が落とされ、顔を上げた楠の前にいつの間にか紅白巫女が立っている。

 

「また来たのか巫女さん」

「……逃げないように監視よ監視」

「どこに逃げるんだよ……」

 

 そっぽを向いて勝手にカウンターの席に腰を落とす霊夢に、楠は苦い顔を向けるだけでなにも言わない。連日やって来ては特になにか言うわけでもなく居座る霊夢は暇なのか、楠の知ったことではないが、博麗の巫女が常連というのは、評判としては悪くない。ただ、霊夢が好き勝手売り物を食べるせいで売り上げには貢献していない。困った常連客にため息を零し、楠は焼けた焼き鳥を一本霊夢に差し出す。

 

「ほら、一本やるから帰れ帰れ」

「客商売舐めすぎでしょ、どこに客を追い返す店員がいるのよ」

「食い逃げ常習犯がなに言いやがる! ったく……」

「捕まってないから犯罪じゃないわね」

 

 酷い屁理屈にため息も出ない。鼻を鳴らす楠の顔を頬杖つきながら霊夢は見上げ、呆けたように瞬きを繰り返す。

 

「──あんたがねぇ」

「なんだよ」

「……別に、……ねえ、戦争は終わったのに、あんたがやりたいことってこれなの? カラオケ? 行きたいとか恋人欲しいとか言ってたのに」

「うっせ、余計なお世話だよ」

 

 顔の前で手を振って、楠は自分に向けられている少女の視線を散らす。普通の生活は大変に魅力的だ。だが、楠はまだその生活に行くわけにもいかない。初代からこれまで、藤原家から離れてかぐや姫を追った。長い長い時間放っておき、ようやく目的を果たせたのだ。長い間離れていた藤原家の最後の少女。これまで妹紅を待たせて来たのだから今度待つのは北条の番。

 

 決して口には出さず、誰に言うことなく楠は手慣れた様子で焼き鳥をひっくり返す。そんな楠に呆れたように霊夢は首を回し、うんと小さく伸びをする。

 

「で? 楠、明日は神社の修繕に来るんでしょ?」

「うへぇ、おい月夜見はどうしたんだよ! 顎で使うとか言ってたろ!」

「だって来ないんだから仕方ないでしょ」

「天照大神に呼ばせろ! きっと来るぞ!」

「なかなかエグいこと考えるわねあんた……」

 

 だがいい手だろう? と悪い顔をする楠に、霊夢も悪い顔を返す。天照を伝書鳩のように使う二人の会話を加奈子あたりが聞けば口の端を一気に落とすだろう。

 

「ま、やってみましょ。苦労した分神にも働いて貰わなきゃね」

「それがいい、だから俺には頼むな」

「なに言ってんの楠、あんたもよ。明日は来なさい、いいわね」

 

 ふわりと飛んで行く博麗の巫女の背を見送り、楠はまた焼き筍をひっくり返す。パチパチと弾ける炭を見つめながら、額を伝う汗を払う。ひっきりなしに来る困った常連客たちは暇なのか。それとも月軍さえ来なければこんなものか。

 

 月軍との戦いは終わった。

 

 が、どうにもその実感が湧かない。もう戦わなくてもいいはずなのに、朝起きれば楠は刀を振っている。結局刀を振っていなければ落ち着かない。こんなことで普通の生活が送れるのか。それは楠自身にも分からない。ただこうして屋台に立っていれば、馬鹿やってるんじゃないと頭を小突いてくれる少女が、いつか必ず帰って来ると信じるから。

 

 暖簾を掻き分けてまた一人新しく席に座った人影に、楠は歯を擦り合わせ顔を上げた。

 

 席に座った人影を見つめ、楠の歯軋りは萎んでゆく。

 

 陽の光を反射して輝く銀色の川を目で追って、楠は一度顔を伏せる。顔を上げた時、少女がまだいるのなら、それはきっと幻ではないから。

 

「──遅いじゃないか、爺さんになっても来ないんじゃないかって少し思い始めてたところだ」

 

 呆れたように息を零す少女の笑みに、楠は微笑みを返し少女が口を開くよりも早く言葉を吐き出す。

 

 先に言いたい。

 

 きっと素敵な明日のために。

 

 その言葉が新たな竹取物語の終わり。

 

 新たな物語の始まりだから──。

 

 

 

 

 

 

 

「おかえり」

 

 

 ────────月軍死すべし 完

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『北条 楠』

 妹紅と屋台を続けながら帰りの資金を貯めているがいつ貯まるか分からない。博麗神社を修繕しながら、霊夢や魔理沙や輝夜にからかわれている。刀はもう振らなくてもいいはずなのだが、月から剣豪が手合わせに来るようになったせいで、手を抜くとガチで斬りに来るため鍛錬をやめることもできない。八雲紫が絶対外の世界に帰さないように画策中。

 

 

『五辻 桐』

 春になり桜の舞う季節、白玉楼に亡霊が一体訪れた。ふやけた笑みを浮かべる亡霊の姿に、半人半霊の庭師は涙目になりながら思い切り楼観剣の鞘を亡霊の頭へ落とし、亡霊の姫は顔を扇子で隠しあらあらと笑った。新しく増えた亡霊が剣術指南役を引き継ぎ、白玉楼では毎朝剣戟の音が、毎夜琴の音色が響いているとかいないとか。

 

 

『袴垂 椹』

 地獄で二人の小さな盗賊が、大盗賊の亡者を盗んだ。死神に追い掛けられることになったのだが、大盗賊の悪霊は不敵な笑みを崩さずに小さな盗賊二人と幻想郷を飛び回っている。新しく悪霊注意の張り紙が人里の至る所に貼られ、物が突然なくなるのはこの悪霊のせいだとか。死神だけでなくたまに紅魔のメイドにまで追い掛けられているらしい。

 

 

『足利 梓』

 全身火傷の痕が残ったが、それを隠すこともなく堂々と晒している。地底の温泉で療養しつつ、リハビリと称して怪力乱神とよく喧嘩をしては地底の主に怒られている。だいたい罰として地底の主とよく将棋を指すのだが、梓が勝てた試しがない。のに、楽しそうに将棋を指している。次はどんな夢を追おうか、たまに平城十傑と話すのが彼の楽しみ。

 

 

『坊門 菖』

 偽月軍を率い多くの者を死地へと扇動した罪で、果てしなく長い刑期を課せられる。だが、ある死神の口添えで、刑期を終えるまで死神として働くことになった。閻魔様とサボリ魔の死神に挟まれて気苦労の絶えぬ日々を送っている。暇な時は片腕有角の仙人にちょっかいを出しに地上に出ている。そのせいで幻想郷中の仙人から恐れられているのだが、本人は気付いていない。

 

 

『唐橋 櫟』

 月との戦いが終わり、その記録を纏めて本を出版した。貸本屋の少女や、稗田の娘と仲良くなり、幻想郷の情報を纏めるのを手伝ったりしている。ある死神の新人二人の噂を聞き、片腕有角の仙人と非想非非想天の娘に弟子入りした。やたらと気合いと根性を押し売りされるのが師への悩み。そのせいで少し脳筋になった。

 

 

『黴 藤』

 膨大な数の死者を出した罪により、果てしなく長い刑期を課せられる。だが、ある死神の口添えで、刑期を終えるまで死神として働くことになった。裏で勝手に動くせいで、閻魔様に目をつけられている。早速大盗賊の亡者を逃した間抜け。暇な時は天界に上り非想非非想天の娘をからかいに行っている。天界に上るたびに天界は阿鼻叫喚となるが、不良天人だけは歓迎してくれる。

 

 

『蘆屋 漆』

 八雲紫に弟子入りした。ウルシがいなければ何もできないと言われないため、自分を磨くために。橙を早速陰陽術で抜いたため、姉弟子としての威厳がないと橙は頭を抱えた。早苗と菫子と共に探検隊を結成し不思議を追うのが漆の休日。ウルシという名の小さな白い女の子をよく傍に連れている姿が目撃される。

 

 

『岩倉 菫』

 現天魔が亡くなったおかげで妖怪の山はてんやわんや。にとりは間欠泉センターの所長を押し付けられ、そのボディーガードを作るために月のナノマシンでヒヒイロカネを集め一体の絡繰人形を組み立てた。どうも絡繰人形はいくつか記憶が抜け落ちているらしいが、にとりの側は悪くないと思っているので、ボディーガードを快く引き受けている。

 

 

『六角 梍』

 片目を眼帯で覆うようになり、余計に見た目が悪くなった。残った邪眼をもう隠すことはなく、秦こころと共にスーパー能楽とやらを幻想郷中で繰り広げている。月の使者との戦いの演目が何より人気であるのだが、恥ずかしがって平城十傑の者たちが全く見に来てくれないのが一番の悩み。ぬえやマミゾウも一緒に四人で演目をやることもあり、その際は人妖問わず多くの者が見に来る。こころは新しく劇団を作ろうと画策中。梍は勝手に副団長にされた。

 

 

 ────────またいつかどこかで。つづく。

 

 

 

 




皆様ここまで読んでいただき本当にありがとうございました!
これにてかぐや姫と月と平城十傑の物語はひとまずお終いとさせていただきます!
物語は目的ありきのものだと思うので、月の話は一旦完結です。
東方の二次創作は自由度が高くて楽しいですね。
私はどうしてもオリキャラをてんこ盛りにしてしまうタイプなので、もうオリジナル書けよと思われてたりするかもしれませんが、東方Projectで書きたかったんだよ……。
死んだ者たちをどうするか悩みましたが、幻想郷は人妖のバランスをとらなければならないので、丁度半分でバランスとれたかな?
一応次回作も考えているのですが詳しくは割烹で。
いただけた感想が本当に励みになりました!
本当の本当にありがとうございます!
もう感謝が尽きませんがこの辺で、またどこかでお会いしましょう。

皆様ここまでありがとうございます! 特典というわけではないですが、一応後日談というか番外編をちょっとだけ考えています。これまで血生臭い話が多かったので、あまり血生臭くない(多分)話。どうせなら皆さんが見てみたいと思う話をここでは書きたいのでアンケートを。全部一話完結です。どこかで書きます。別にいいやって方は放っておいてください。

  • VS妖忌 剣術指南役を手に入れろ編
  • 北条楠、強制お見合い編
  • 東方と言えば、宴会編
  • レミリア、さとり、椹、たった一度の盗賊編
  • 人間たちで女死会編

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