月軍死すべし   作:生崎

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月夜見が遊びに来やがった編

 ほぅ────っ、と吐き出される吐息は澄んだ色。

 

 伸ばされた白い腕の先には、吊るされたように五つの細指に挟まれたグラスがひとつ。揺れる腕に一息遅れてグラスが揺れれば、もう一拍遅れて、水面を泳ぐ氷の小礫がカランコロン、と透明な壁を打ち付ける。透明な肌に流れる透明な雫は、覗き込まれた瞳を無数に増やして緩やかに反射し、グラスの中に瞳の色を写し込む。氷の小礫の表面で揺らぐ不確かな瞳の輪郭から顔を上げて視線を外し、目の前にいる男の顔へとグラスの持ち主は瞳を合わせた。

 

「神生とはままならないものだな……マスター」

 

 艶やかな吐息と共に吐き出された言葉を渡されて、マスターと呼ばれた人相の悪い男は、苦々しく、強く、果てしなく鬱陶しそうに歯を擦り合わせて焼き終えた焼き鳥を皿に乗せカウンターの上に置く。「俺はマスターじゃねえ」と言葉を添えて。

 

「そうか、じゃあ親父、神生とはままならないものだな……」

「俺はそんな歳食ってねえよ! おいマジかアンタ⁉︎ まさかもう酔ってんの?」

「おかしいな、間違っていたか? 姉様に聞いて漫画というやつを読み勉強したんだが。客は店員にそう言うものなのだろう? どうなんだ店主」

「色々間違え過ぎだ、それに俺は店主でもねえ。おい妹紅呼ばれてるぞ、俺に投げるな」

 

 楠は背中を向けて我関せずを貫く妹紅の首の襟を軽く引っ張ってみるが、うんともすんとも言ってくれない。なぜ月の神の相手を一人でしなければならないのか。天に輝く月の美しさが鬱陶しいと空を見上げた楠は歯を擦り合わせる。天照に引き取ってくださいと心の中で祈ってみるが、月の浮かぶ夜の世界で陽の神へと祈りが届くこともなく、ただ静かな空気が流れるだけ。

 

 そんな楠の内面を見透かしているかのように月夜見は微笑んで、グラスの中身を一口で飲み干した。カウンターに置いたグラスの中を跳ね回る氷の音を聞き、ため息を吐きながら妹紅は振り返り空になったグラスを再び満たす。酒を注ぎ追えればすぐにくるりと身を翻し神に向かって背を向ける。そんな妹紅の様子が面白いと月夜見はまた笑みを零してグラスをあっという間に空にした。

 

「妹紅出番だ」

「はいはい、どれだけ飲むのよ全く。在庫が切れるわ。月の神様は底なしみたいね」

「すまないな店主、美人に注がれるとつい酒が進む。そう思わないか楠」

「俺に聞くな未成年だ。どう思う妹紅?」

「それこそ私に聞かないでよ」

「ああ店主は注ぐより注がれる側だものな。家ではいつも楠に注いで貰っているからか」

 

 なんで知ってんだという楠と妹紅のジト目を身に受け止めて、月夜見は得意げに微笑みながら空に浮かぶ月を指差す。世界でも最高峰の覗き魔に楠は歯をギリギリと擦って重い息を吐き、妹紅も口端を苦く引っ張りそっぽを向いた。隣り合う店主と店員の姿を見比べて、月夜見は満足気にグラスの淵を指でなぞる。

 

 その一見悩まし気な月神の仕草の鬱陶しさにギザギザした歯を擦り合わせる楠の歯の音をBGNにしながら、妹紅はまた空いたグラスへと酒を注ぎ、その月夜見の隣へとついっと目を動かした。

 

 肘を突いて手を組み口元を隠した一体の亡霊。席に着いてから一言も喋らず、注がれた酒を一口も啜らず、ただなにか考えに没頭している。長い前髪が目の先に垂れても除けることなくふやけた笑みも浮かべない。白玉楼の新たな剣術指南役は、剣術指南役だというのに刀も持たず、ただ席をひとつ占領しているだけ。注文しておいて一向に焼き鳥一本食べない客にギラリと楠は鋭い目を突き刺して、男の前のカウンターを小突いた。

 

「おい桐、アンタなんでここにいるんだ。食わねえならさっさと帰れ」

 

 吐き捨てられた楠の言葉に、桐は真剣な目を返す。火星色の瞳がきらりと輝くのを見届けて、楠はウンザリと肩を落とす。桐が戦い以外で真剣な顔をする時ほど疲れることはない。「おい妹紅」と小さく助けを呼ぶ楠の視線を手で払い、妹紅は客からは見えないようにぐっと親指を立てて楠にエールを送ってやり、焼き鳥を焼くのに手一杯ですと下手な口笛を吹いた。

 

 渋々桐へ振り返った楠の顔を覗き込み、スッと桐は組んでいた手を解く。ふぅ、と胸の内に溜まった空気を吐き出して、桐は参ったと言うように額に手の甲をぶつけ天を仰いだ。

 

「楠、私は今非常に難解な困難にぶち当たっているのです」

「そうか、聞きたくねえ」

「そうですか、聞いてくれますか」

「アンタ耳ついてる?」

「私は是非聞きたいな」

 

 口を挟むんじゃねえ! と月の神を楠は睨みつけるが、突き刺さる視線を反射するかのように月夜見は楠の相手をせずに桐の方へと笑顔を向ける。その笑顔の眩しさに、桐は両目を手で覆い「あぁ」と悩まし気に呟いた。

 

「月夜見様は正に月そのもの。その美しさに限りはなく、一晩中眺めていることができましょう。そのお隣に座っていられる今は大変に素晴らしい時ではあるのですが、でも、その……」

「あぁ、男でもあるもんな」

 

「そこなんです‼︎」と叫び桐は強くカウンターを叩く。激しい桐の感情の高揚に「うわぁ……」と呻り楠は目を背ける。が、引いている楠の肩を桐は立ち上がると無理矢理掴み、桐は悲し気な瞳を楠に向けて力任せに揺さ振った。

 

「男にときめくなんて私は絶対嫌なんです! 姫様や妖夢さんの笑顔に癒されるような、そんな素晴らしい感じと同じものを男からなんてノーサンキュー! 男の笑顔なんて欲しくないです! そんなものは霧の湖の水面にでも向けときゃよろしい! でも月夜見様は女性でもあるんですよ⁉︎ 私はもう喜べばいいのか悲しめばいいのか! ねえ楠! 聞いてますか楠‼︎」

「うるせえな! どうだっていいわ!」

「ど、どうだっていい⁉︎」

 

 力なく椅子の上へと崩れ落ちる桐はもう放っておいて、楠は妹紅の横に並び、焼き鳥を焼いていますという作業に集中するふりをする。何も言わずに妹紅は楠のためのスペースを空けてやり、焼き鳥屋台の店員たちに相手をされない桐の相手をするのは残された神。

 

 桐のグラスを目の前へと差し出し握らせてやり、こつんとグラスを合わせて月夜見はまたグラスの中を空にする。そんな神様に合わせてきたもグラスをぐいっと傾けた。

 

「そう難しく考えるな愛の配達人。男だの女だの些細なことだ。そうだろう? それよりも大いなる素晴らしいものをお前は届け切った男なのだ。美しいと思うものを美しいと言ってなにが悪い? なあ桐」

「月夜見様ッ! わ、私は今大いなる一歩を踏み出したような気がします!」

「……俺には大きく一歩を踏み外したように見えるがよ、幽々子さんに言いつけるぞ」

「姫様に⁉︎ なぁんでそういうこと言うんですか⁉︎ 姫様ぁぁああああ! 今帰ります! 私は姫様一筋でぇぇす!」

「あ! こら金払えやぁぁああ⁉︎」

 

 瞬間移動でもしたかのように消え去った桐に楠の叫びは届かず、楠の肩に優しく柔らかな手が置かれる。ギギギッ、と、固い音を響かせて振り返った楠の視界に映る妹紅の良い笑顔。ぐっと親指を立てて掲げられた妹紅の手は、楠の目の前で百八十度ぐるりと回り下を向いた。今日の給金が下がった瞬間。がっくりと項垂れる楠に、今度は月夜見が楠の肩に手を置いてやりカラカラと笑った。

 

「くっくっく、なあ楠、なんなら月で仕事をやろうか? おそらくその方が給料はいいぞ」

 

 マジで? と小さく顔を上げる楠と、その背後で僅かに肩を跳ねさせる妹紅を視界に収めて、月夜見は薄っすら口角を上げた。しばらくぽかんと口を開けて楠は頭を回し、月夜見の手を払うと「別にいい」と吐き出してそっぽを向く。

 

「いいのか? お前はなんでも帰るのに五十両必要なのだろう? うちに来れば早く帰れるかもしれないぞ?」

「…………俺は北条だからな。お守りしなきゃならない相手が幻想郷には居るもんで」

「はあ? 誰よそれ、お守り? 誰のことかしらね? ねえ楠」

「こら妹紅引っ張るな! 焼き鳥が焼けん!」

 

 嬉しそうに笑いながら楠の肩を引っ張る妹紅を月夜見も笑顔で見つめながらグラスを傾けた。「誰のこと?」と繰り返す妹紅の言葉を聞き流しながら、月夜見は頬杖突いてグラスの口を指でなぞり桐が座っていた席とは反対の席へと目を移す。「残念振られてしまった」と零す月夜見に、顔の半分を火傷跡に覆われた男は僅かに口角を上げて肩を竦める。

 

「お前はどうだ梓。月に一度来てみないか?」

「月の地を踏むのは夢ではありましょうが、僕はまだ地上を離れる気はありません」

「なんだお前もか、平城十傑の男たちはあいも変わらずツれないな。私を振るのなんてお前たちくらいのものだぞ」

「ふむ、ではまだそうありたいものですね」

 

 こいつめと、月夜見は梓の肩を小突いて小さく笑った。グラスを傾ける梓の奥で、ダラダラ冷や汗を垂らしながらグラスを持つ加奈子へと月夜見は目を向けて、同じように言葉を紡いだ。

 

「お前はどうだ八坂刀売神。たまには月に来てみないか?」

「ははっ、お戯れをば……」

 

 なぜ自分はここに居るのか。たまには酒でもと守矢神社を訪ねてきた梓の誘いにほいほいと乗った挙句のこれである。楠はいい、桐も全く問題ない。だが、月夜見だけはダメである。

 

 かつて日ノ本の地を譲れと空からやって来た天津神。その天津神と戦った国津神の筆頭が八坂刀売神。幻想郷に攻めて来た月軍などお遊びだと感じるような、天照、月夜見、須佐男、八意思兼神(オモイカネ)武甕槌命(タケミカヅチ)*1、と言った神々との闘争は、思い出せば出すほどに加奈子にとって苦い記憶だ。その中でも、三貴神は特にお相手したくない者たち。敬意よりも畏怖が強い。神をして神を畏れさせる神。月夜見と隣り合って酒を飲むことだけは梓を挟み回避したが、さして意味はなかったと加奈子も投げやりに酒を喉に流し込む。

 

「なんだ加奈子もか、国津神も付き合いが悪い。なんならお前とは喧嘩の方がいいかな?」

「嬉しい申し出ではありますが、勝てぬ戦いはしないが吉。今は……」

「戦神がそう言うなら仕方ない。なぁ梓、藤や漆や梍は来ないのか? 特に藤とはもう一度話したいものだ。お前と楠と藤と霊夢が相手をしてくれればこれほど嬉しいこともないのだがな」

「自由奔放な彼らを集めるのは苦労しましょう。無論僕は呼ばれれば顔は出しますが」

「今はそれで良しとしようか。なあマスター、酒のおかわりをくれ」

 

 マスターじゃねえ! と楠が歯を擦り合わせる音に笑い声を返す月夜見のグラスへと妹紅は再び酒を注ぎ、梓のグラスにも注いでゆく。その光景を珍しそうに楠は眺めながら唸り、梓の前へと足を出した。

 

「梓さん酒が飲めるようになったんだな」

「鬼の酒盛りに付き合わされれば強くもなるさ」

「そうか……、ただ梓さん、今手に持ってるの醤油だぞ」

「ああいい色だな、濃い色の酒は強いと最近知ったよ」

「もうベロンベロンじゃねえか⁉︎ おい妹紅もう梓さんに呑ませんな! 醤油を取り上げろ!」

 

 醤油瓶を手に何食わぬ顔で口へと傾けようとする梓の手を止めようと楠は動こうとするが、それよりも早くこれ幸いと神奈子が動く。神奈子が指を弾けば空から突き出る御柱。鐘を打ったような音が屋台を揺らし、足を僅かに地に埋めながら、梓は微動だにせず静かに寝息を立てる。乱暴なショック療法に顔を痙攣らせる楠に「ではな」と料金を払い、月夜見に会釈し、梓を担いで神奈子は屋台を離れた。その背を見送って月夜見はカウンターの上に項垂れ、人相の悪い店員を見上げる。

 

「なんだよ、ていうかアンタ幻想郷に居ていいのか? なんか普通に来てるけど」

「たまには私も月から離れたくもなる。数千年以上月にいるんだ。それに私ひとりで言えば穢れも反射できるから地上を訪れるのも別に苦ではない。幻想郷には気に入った者も多いしな。妖怪は嫌いだが」

「あっそ、俺は金さえちゃんと払ってくれればなんだっていいがよ、ってか、侵略しかけた相手のとこによく気軽に来れんな」

「長い年月生きてるとあまりそういうことも気にしなくなる。不毛だからな。無論そうではない者もいるが、それにこの歳になるとな、自分を負かした相手というのは嫌いになるより気に入ってしまうよ」

「なんじゃそりゃ、俺には理解できねえ」

 

「なあ妹紅」と楠は同意を求めるが、肩を竦められるだけで妹紅の同意は得られない。姿に似合わぬ年寄りたちとはどうも感性が違うらしいと楠は首を傾げてため息を吐き、月夜見は薄く笑いグラスを置いて手を合わせる。

 

「なかなか美味だったな、月ではあまり食べない味だ。お礼に少し面白いものを見せようか」

「……おい待て、なんか果てしなく嫌な予感が」

 

 月夜見の開いた両手の間の世界が捻れる。万象を手の間同士で反射させ続けて生まれる世界の火花。バチリッ、と音を立てて弾ける度に跳ねる世界の飛沫は、虹よりも鮮やかに無限の色を垣間見せる。極彩色の線香花火に楠と妹紅が見惚れるのを満足気に眺めた後、月夜見はスッと腕を開く。反射され続ける衝撃に耐えられなくなった無限色の雫は屋台の屋根を突き破り、夜空に色彩豊かな幾千の線を引いて大輪を咲かせた。

 

 流星群のように夜空に線引く世界の雫に得意げな顔を浮かべる月夜見に楠は何も言えず、強く歯を擦り合わせる。屋台の屋根にぽっかり空いた穴を妹紅は冷笑とともに見つめ、なんとか無理矢理楠は事態を飲み込んで、穴の空いた屋根に力なく指を向ける。

 

「……おい、得意気な顔して誤魔化すなよ。なんなの? 日本の神ってなにか壊さなきゃ気が済まねえの?」

「…………これは大分長居してしまったようだな、そろそろ失礼しようか」

「天照みたいな誤魔化し方してんじゃねえ! この似た者姉妹が!」

「ば、馬鹿、急に褒めるな。照れるだろう」

「褒めてねえよ! 呆れてんだよ!」

 

 いやぁ、と朱の差した頬を指で掻きそっぽを向く月夜見に楠は歯をギリギリと擦り合わせ続け、紙を一枚取り出して月夜見と書くと「弁償だ弁償」と呟きながらツケを書き足してゆく。妹紅に肩を叩かれて固まる楠に大きく笑い、月夜見へ代金をカウンターに置き立ち上がるとうんと伸びをした。

 

「さて、もう夜も遅い。そろそろ行くとしよう」

「おお帰れ帰れ」

「ひどい店員だな全く、では行くぞ楠」

「は? 行く? 俺も?」

「今夜は博麗神社に泊まろうと思ってな。霊夢に話を付けてくれ」

「なんだそれ⁉︎ ふざけんな行くか馬鹿‼︎ おい妹紅塩を撒け塩塩‼︎」

「ではな店長、店員を借りるぞ」

 

「くそったれぇぇええ!!!!」と叫び空を飛んでゆく楠に困ったような笑顔を向けて、妹紅は今夜の晩餉は少し豪華にしてやろうと店仕舞いを始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 張り詰めた空気の中、ジトッとした紅白巫女の目が座敷に座る月の神を貫いた。微笑を浮かべたまま白黒魔法使いは壁を背に固まり、やって来て早々に霊夢に「連れてくるな!」と吹っ飛ばされ帰って行った焼き鳥屋台の店員の冥福を祈る。

 

 満面の笑みを浮かべて胡座を掻く月夜見を前に、霊夢は無表情のまま舌を打ち、魔理沙は目を泳がせ、漆は腕を組んで天井を仰いだ。

 

 三者の反応の違いを楽しみながら、やたらといい笑顔を浮かべている月夜見は鬱陶しく、霊夢は不機嫌な空気を微塵も隠さずに「で?」と一拍置いた。霊夢の言葉に「今日泊めて貰おうと思ってな」と遠慮なく返す月夜見の豪胆さに三人は呆れるばかり。どうすればそういう思考回路になるのか誰一人理解できない。

 

「なんでうちなのよ、永遠亭にでも行きなさいよね。ここは駆け込み寺じゃないんだけど」

「寺じゃなく神社だしな」

「うっさい魔理沙」

「まさか霊夢だけでなく魔理沙に漆も居るとは嬉しい誤算だ。さあ布団を敷こう、パジャマパーティーというやつだ」

「テメエ本当に月夜見か?」

 

 鼻唄混じりに勝手に布団を敷き出す月夜見に威厳は全くと言っていいほどない。漆は偽物なんじゃないかと疑いたいが、月夜見の内に詰まっている神力が本物ですと事実を突きつけてくる。面倒くさそうに頭を掻く漆に、月夜見は布団を敷き終えると目を向けて、薄く笑った。

 

「しかし漆、お前もよくここに来るのか? 守矢神社に居るのはよく見るが」

「なんで知ってんだよ……、まあスキマ妖怪に弟子入りしたからな。その関係でちょくちょく霊夢と修行してんのさ」

「ほう、なら私も歓迎して欲しいものだ」

「神社ぶっ壊したやつを歓迎するわけないでしょ」

 

 霊夢がビシッと突き出した親指の先にある継ぎ接ぎの壁。古材と新材を繋ぎ合わせたその姿は、アンバランスであるが故に、神社の清廉された空気をものの見事に台無しにしていた。それが馴染むのに必要なものは時間だけであり、「ふむ」と月夜見は顎に手を置きちょっとばかり考え手を打った。

 

「新しきものが古きものと交じる。時の流れを目で感じられる楽しみができて良かったじゃないか、なあ?」

「あんたもう一度ぶっとばすわよ」

「ものは言いよう感が半端ないな」

「しかも微妙に上手ぇのが気に食わねえ」

 

 人間の少女たちの文句が突き刺さろうとも気に留めず、月夜見は自慢気に鼻を鳴らすだけ。尊大な神は負けようとも尊大なまま変わらず、調子のいい月の神に霊夢は鋭い眼光を送るが、その気なれば万象を反射できるため月夜見は全く気にしていない。

 

「魔理沙も漆も歓迎しているなら私も歓迎してくれても構うまい?」

「漆はともかく魔理沙を歓迎した覚えはないわね」

「おい酷いな霊夢! 付き合い長い私も歓迎してくれないのかよ!」

「漆は便利だもの。雑用全部式神がやってくれるし」

「あたしは家政婦かなにかか?」

 

 使えるか使えないかで判断するな! と腕を振り上げる魔理沙を放っておき、「あんたはなにかできるわけ?」と霊夢は月夜見に問いを投げる。布団の上に腰を下ろした月夜見はしばらくの間考え込み、ゆったりと首を擡げた。

 

「ふむ、私は料理も洗濯も他の者がやってくれるからやったことがないな。月を治める以外に仕事もない。今でこそサグメや豊姫や依姫が仕事をやってくれるからそれもあってないようなものであるし」

「あんたなにもやってないじゃない……」

「おい霊夢考えてみろ。アイツは超ボンボン野郎だぞ」

 

 漆の言葉に「あぁ……」と霊夢も魔理沙も納得する。イザナミとイザナギの間に生まれた最高神の妹。生まれながらにこれほど地位の高い者も滅多にいない。それに加えて神としても類を見ないほどの類稀なる能力まで持っているとなれば、苦労する方が難しい。そんな存在が安布団の上に胡座をかいている姿は妙にシュールであり、痛む頭を霊夢は抑えた。

 

「輝夜や神子の上位互換みたいなやつね。しかも月を勝手に抜け出しても怒られないなんていい気なもんだわ」

「いやそれは違うな。今おそらく月は私が居ないとてんやわんやではないかな? 依姫あたりが捜索隊でも作ってるかもしれんなぁ。ご苦労なことだ」

「あんた月の神じゃなくてそれじゃあ疫病神じゃない! なにうちに来てんのよ! 依姫まで来たら堪ったもんじゃないわ! 出てけ!」

「はっはっは! 退かせるものなら退かしてみせろ!」

 

 涅槃のように横になり頬杖突いた月夜見の笑みを歪ませることは叶わず、月夜見が動かないと言えばテコでも動かない。霊夢を軽くあしらう月夜見は、なんだかんだ言おうが神であると魔理沙も漆も納得し、二人は早々に追い出すことを諦めて肩を竦めた。

 

「さて、布団の位置どりだが、私は真ん中がいい」

「もう寝転がってるのに真ん中がいいもクソもないと思うぜ……」

 

 苦笑しながら魔理沙はちらりと霊夢と漆の顔を眺めて静かに笑みを消した。漆も霊夢も口を引き結び、考えることは一つ。横並びの四つの布団。障子側、左から二番目が月夜見の位置。ともなれば、月夜見と唯一隣り合わない位置は壁寄りの右端だけである。さり気なく右端の布団へ向けて魔理沙は一歩を擦り出し硬直した。

 

(こいつらッ……!)

 

 同じく擦り合う二つの音。右端の布団に躙り寄る音は三つ。考えることは誰もが同じ。月夜見の隣は嫌だ! 言葉にせずとも理解する。とは言え相手は月の主、口を大にしてそれを叫べばどうなるか分からない。粗相の結果月から殺し屋がなんて事は死んでも御免だ。三つの視線が交錯し、魔理沙は小さく頷いた。

 

「なあ霊夢、来客が来るかもしれないしお前は左端の方がいいんじゃないか?」

 

 微笑みながら無理のない第一声を魔理沙は放る。事実、夜行性の妖怪も多い幻想郷では、酔っ払った鬼などが突っ込んでくることなど日常茶飯事。月夜見を退かすことがおよそ不可能な現状、幻想郷の調停役にこそ貧乏くじを引いて欲しい。そんな魔理沙の思惑は、およそ気を効かせることなどない霊夢には全く意味がなかった。

 

「いやよあいつの隣なんて、私は一番右端で寝るわ」

(このやろうぉぉぉぉ⁉︎)

 

 神だのなんだの関係なく、好き嫌いをはっきり口に出す霊夢には水面下での駆け引きなど意味をなさない。さっさと右端の布団に踏み入る霊夢を呆然と魔理沙は眺めるが、残念ながら誤算はもう一つあった。

 

「なんだ霊夢はそっちの端か、では私も一つ寄ろう」

「なんでよ⁉︎」

 

 月夜見が幻想郷の住民で頗る気に入っている人間が二人。魔理沙、藤、梓、漆と多くの月夜見のお気に入りが幻想郷にはいるが、中でも楠と霊夢は特別である。神の威光さえ超えた人間。その内面に惹かれるように、颯爽と月夜見は横にずれてさっさと布団の中に入り寝る準備を進めてゆく。言いようのない空気を滲ませる霊夢の顔を見ないようにして、魔理沙と漆は顔を見合わせる。

 

 霊夢はおよそ確定。霊夢が動けば月夜見は動く。つまりハナから月夜見の隣を回避できるのは魔理沙と漆の二人だけ。ここまで来ると、もう帰ると博麗神社を後にするのも、逃げているようで煩わしい。ふぅ、と魔理沙は息を吐き出し、漆の肩に手を置いた。

 

「私実は陽の光がないと元気が出ないんだ。陽の光が逸早く当たる障子側でもいいか?」

「テメエは植物かなにかか? あたしは寝相悪くてな、内側だと迷惑かけるかもしれねえから端がいい」

 

 両者譲らず、お互い肩に手を置いてギリギリと力を込める。いくらか言葉を交わしても、どっちも折れないのは分かりきっていること。普段のお転婆に任せ、魔理沙はパッと手を離すと左端の布団へとダイブする。

 

「私はここにするぜー!」

 

 意気揚々と、ぽふりと柔らかな音にのしかかる魔理沙だったが、魔理沙の体の下でなにかがもぞりと動くと掛け布団を大きく持ち上げた。「うわっ!」と、小さな魔理沙の叫び声を隣の布団へと払うように掛け布団の下から出てくる白い長髪を流した小さな女の子。えっへんと胸を張る幼女の頭に手を置いて、勝ち誇ったように漆は笑う。

 

「ああウルシそんなとこにいたのか。悪いな魔理沙、ウルシがこっちの布団がいいってさ。端は貰うぞ」

「汚ねえ! いつの間に仕込んだんだよ! これだから陰陽師ってやつは!」

「あぁ聞こえねえ聞こえねえなぁ。おーしウルシさっさと寝ようぜえ」

「隣は魔理沙に決まったか、いや挟まれると落ち着くな」

「あんたはもっと離れなさいよ! こっちに寄んな!」

 

 わいわい騒がしい部屋の喧騒から逃れるように、カタリと棚の上のお椀が揺れる。蓋を開けてのっそりと顔を出した針妙丸は、疲れた顔の霊夢と騒ぐ魔理沙、ほくそ笑む漆と楽しそうに笑う月夜見を順番に眺め、巻き込まれないように祈りながらそっとお椀の蓋を閉じた。

 

*1
剣と雷の神




次回、楠と桐 新たな刀を手に入れろ編

前回のアンケート結果に冷や汗を垂らしたのは内緒。

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