月軍死すべし   作:生崎

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第三夜 昼

  落ち葉を掻き分け、柔らかな土に手を差し込む。軽く掘れば出てくる筍の頭に妹紅が満足気に頷きながら、手に持った鍬を筍の根本へと振り込めば、ボコりと簡単に土の中から大きな筍が転がってくる。

 

  筍を取るのが異様に上手い貴族の娘というのはどうなんだろうか、と楠は鍬を肩に掛けて額の汗を拭っている妹紅を眺めながら、地面に転がっている取れ立ての筍を掴み背に背負った籠へと投げた。

 

  積み重なった筍の量は結構なもので、その重さに引っ張られながら楠は籠を背負い直すとまた筍を探して歩き始めた妹紅の後を追いかける。

 

  午前中、半焼の妹紅のボロ家を一日で直すことは不可能だと早々に二人とも諦め、妹紅に連れられ筍取りなんかに楠は連行された。妹紅曰く食料の調達と物売りのため。迷いの竹林で無限に取れる筍と時たま焼き鳥を売って生計を立てているらしいことを聞いた楠は、貴族の『き』の字も見受けられない妹紅の私生活に肩を竦める事しか出来なかった。

 

  また一つ地面から筍を掘り起こされた筍を背の籠に放り投げながら、楠は終わりの見えない竹林へと目を流し眉を顰める。冷たい秋風に含まれた僅かな血の匂いに鼻孔をくすぐられると、背に背負った籠の下にある刀の感触を確認して楠は妹紅へと振り向いた。

 

「おい、なんか騒がしくないか? ぞわぞわしやがる」

「……ここには妖怪が多いからそんなこともあるわよ」

「その割にはさっきから、かなり遠いが戦闘音が聞こえるぞ」

「誰かが弾幕ごっこでもしてるんじゃないの? 一々そんなので警戒しないでよ、疲れるわね。ほら、筍拾って」

 

  こんなことは日常と言わんばかりに呆れた様子で地面の筍を指差す妹紅に歯を擦り合わせながら、楠はまた一つ筍を拾う。最初会ってから、妹紅はそこまで口数は多くはないが楠が聞けば何だかんだ返事を返す。しかし、どうにも身から滲む不機嫌な空気は治まることなく、楠を見る目は尖ったままだ。

 

  遠くで響く戦いの音を首を振って放っておきながら、楠は先を行く妹紅を漠然と眺めた。文献でしか見たことのない架空の少女。心優しい娘であると北条家二代目の手記には書かれていたがそんな風には見えず、体からは火を噴くし力も強い。やさぐれた雰囲気を振りまく少女は、どの当主の手記に書かれていたものとも一致しない。そして何より少女はもう人ではない。

 

  蓬莱人。蓬莱の薬を服用し、魂が不滅となった存在。何があっても死ぬことはなく、その魂は永遠を生きる。不老不死を求めて死んだ者が世界にどれだけいるか。自らに永遠の呪いをかけた者がどんな末路を辿ることになるのかは誰にも分からない。どんな末路が来たとしても終わることがない。それを見ることのできる人間はいないのだ。

 

  目立つ容姿でありながら、陽炎のような立ち姿はそこから来るのか。別に親しいわけでもない楠は、初対面でありながら気にしてしまう少女になんと言えばいいのか分からない。擦り合わせていた歯を薄く開き、妹紅から小さく目を背ける。

 

「なあアンタ、平城京離れてからずっとこんな生活してんのか?」

「……なんで? 別にどうだっていいでしょ」

「暇つぶしだ。筍取ってるばかりじゃ退屈だろ」

「別に……この生活だって最近だし」

「最近?」

「二百年くらい前?」

「ああそう、最近ね……」

 

  全然最近じゃねえと思いつつ、それは言わずに楠は頭を掻く。こんな少ない会話でも、もう妹紅との価値観は違うのだということが十分に分かる。二百年。楠もまだ生まれておらず、北条の当主が何代変わったことか。自分には持て余す膨大な時間を思い楠は舌を打つ。

 

「で、その最近でなにか良いことあったか?」

「……はぁ、友人ができて、宿敵と喧嘩できるようになったわ」

 

  素っ気ない態度でも諦めずに口を開く楠に妹紅の方が折れ言葉を返す。「友人ね」と呟きそっぽを向いている楠を見つめながら、妹紅もまた、キリキリと歯を擦り合わせた。

 

  千三百年前からひょっこりやって来た来訪者。月の使者からかぐや姫を守れず初代の北条の当主はどこかへ何も言わずに消えた。二代目はそれを追い、妹紅が一番欲しかった時に側には誰もいなかった。蓬莱の薬を飲み戻った時、二代目も同じように戻ったが、もう妹紅に流れる時は変わっていた。二代目が生きている間は妹紅も平城京に留まったが、それも二十年に満たない。それよりも長く、遥かに長く妹紅は生きた。

 

  初代に似た男。北条 楠。不比等の隣にいつもいた男は、人相こそ悪かったが悪い男ではなかった。いざという時頼りになった。かぐや姫と喧嘩したいと言った時、喧嘩の仕方を教えてくれたのも父親ではなく楠だ。そんな楠から千三百年経った楠は、服こそ違うがまるで昔と変わらない。ぶっきらぼうで不機嫌そうで、人と接するのが嫌いそうなのにいつも藤原家のそばにいる。今もそうだ。それも今は千年以上生きている妹紅ですら見たことのない技を携えて。

 

  擦り合わせていた歯を妹紅は止めると、鍬を筍には振り下ろさず地面に下ろした。目は顰めながらも楠に向けて。

 

「お前は?」

「なにが?」

「壁を透ける変な術を身につけて、輝夜を追って、それで殴るだけ? そんなことのためにわざわざ来たの?」

「余計なお世話だ。だいたい術じゃなくて技だ。やろうと思えば誰だって覚えられるんだよ」

「技? アレが? へぇ、そんなのわざわざ覚えるなんてアンタ頭おかしいんじゃない? 便利そうではあるけどね」

「便利なもんかよ、それに頭おかしいは余計だくそ」

 

  透過するものにも限度はある。ただの家の外壁なら問題ないが、分厚い鉄板や、竹一本ならまだしも、間隔の空いた位置のズレている竹を同時に透過するのはかなり難しい。もし失敗すれば壁の中。それで終わりだ。手品に近くタネはある。無敵など存在せず、どんなものにも弱点はあるのだ。だから平城十傑などという名に頼り、今なお一人ではなく十人を揃えた。

 

  たった一つ技を納めただけで蓬莱人に頭おかしい認定の印を押され楠はため息しか吐けない。一族が頭おかしいのは認めるが、自分まで楠はそこに含まれたくはない。

 

「で? アンタは二百年で友達できて宿敵とやらと喧嘩して筍山ほど取って、他にやりたいことはないのかよ」

「またそんな話? そういうお前は」

「そりゃあるさ、たくさんな。今年はおそらく人生最後の修学旅行が控えてるから楽しみたいし、遊園地にも行ってみたい、水族館にもな。海外にだって行ってみたいし、恋人も欲しい。あと免許取ってバイクにも乗りてえな。それで日本中走ったりして、良いホテルに泊まって、好きな本読んで、好きな映画見て、たっぷり昼寝するのさ」

「それは……よく分からないけど、やりたいこと多過ぎて時間が足りないんじゃないの?」

「ああ足りない、全然足りない! だからかぐや姫どうのこうのやってる場合じゃないんだよ! そのためにはまずかぐや姫に会って殴らにゃならん! それが全ての始まりなんだ」

「なんで殴るのが始まりなのよ……アイツを殴りたい気持ちは分からなくないけどね」

 

  妹紅は小さく笑いながら笑顔でかぐや姫を殴ると断言する楠に肩を竦めた。その一点だけを楠は全く変えようとしない。

 

「アイツってかぐや姫だろ? 場所は知ってるのか?」

「知ってるけど、案内して欲しいの? まあお前が輝夜を殴るのは見てみたいけど。月軍とやらも来るそうだしね」

「月軍か……、まあ頼む。筍取り終わったらでいいから……?」

 

  急に楠の顔が顰められ、妹紅も首を傾げる。そっぽを向いたまま固まっている楠の目の向いている方へ顔を向けた。竹の間を走る白い影。頭には兎の耳を揺らし、ブレザーのような服を着て、手にはゴツい銃を持っていた。

 

  竹林の中で明らかな異物。ゆっくり妹紅の方に楠は歩を進めて近くに寄った。背に背負った籠の肩掛けを強く握る。妹紅もまた訝しみ、片眉を上げて首を小さく傾げた。

 

「ありゃなんだ? この竹林に住む妖怪か?」

「鈴仙に似てるけど……いや、見たことないやつね」

「アンタが見たことないやつってことは」

 

  そこまで言って楠は口を閉じると目を細める。血の匂いがする。先程よりも更に強く。兎の耳を揺らす少女は、楠と妹紅に気づくと足を止めた。そうすればよりよく見える。兎の少女の服についた血痕と、血走ったような赤い瞳。それが引き絞られるのと向けられた銃口が火を噴いたのはほとんど同時。

 

  筍が大地に転がり、籠が弾けて四散する。銃の弾丸は、進行方向の竹をことごとく突き破り、重い音を響かせる。舞い散った黒い髪と白銀が地面にゆっくりって触れたが、赤い雫は舞い散らない。枯葉の上で妹紅を抱えて転がった楠は、背に背負った刀へと手を伸ばしながら立ち上がる。

 

「この野郎! なんなんだてめえ!」

「……月軍だ、地上人」

「月軍⁉︎ マジか……、アンタが? 思ってたのとなんか違えな」

「ちょっとなにを呑気なこと言ってるのよ! って言うか離して!」

 

  少し呆けたが、楠の手の中で暴れた妹紅が楠から離れる。だがその目は月軍と名乗った兎に向けられ、眉を寄せたまま立ち上がった。千三百年前、かぐや姫を迎えに月からやって来た者。妹紅の父親も兵を挙げ、その最強たる北条、帝により召集された最強の十人。それでも戦いにすらならず完敗した相手。妹紅の体から薄く炎が揺れ上がる。

 

「……私もこいつらには少しムカついてるんだ。私にやらせろ」

「やらせろって何をだ? 弾幕ごっこってやつか? ルールなんだって? だがアイツらにその気はなさそうだぞ」

 

  月兎から漏れ出るものは殺気。遊ぶ気ではなく殺す気だ。見れば分かる。そんな月兎に目を向けたまま、分かっていると言うように一度大きく炎が揺らめいた。

 

「そっちの方が私は長い。それにお前と違って死なないもんでね」

 

  妹紅の手から炎が伸びる。少女の意思によって動く炎の鞭。放たれた月兎の銃弾を溶かし落としその命を燃え落とそうと揺らめいた。目も眩む爆炎が宙を走り白い世界が止んだ頃、上半身の焦げた残骸が転がっていた。悲鳴もなく、言葉もなくこの世を去った月兎を見つめ妹紅は笑顔を見せるが、その肩の端は燃え消せなかった銃弾が掠り血を垂らしている。

 

「おいくらってるぞ!」

「うるさいわよ、別にすぐに治るわ、ほら」

 

  肩の擦り傷に手を伸ばし妹紅がそこを親指で擦れば、血は一度拭われ姿を消すが、すぐにまた妹紅の白いカッターシャツにより赤い染みを作りだす。それを見た妹紅の顔が固まり、一瞬あとに眉が歪んだ。

 

「……なんで?」

「おい、塞がってないぞ。アンタ不死身なんじゃないのか?」

「いや、そのはず。なのに」

「……あいつらがなにかしたのか? 月軍ならそのくらいは……ッ⁉︎ 避けろ⁉︎」

 

  妹紅に覆い被さるように楠は転がり枯葉が舞った。その枯葉に穴が空き、重々しい音が響く。銃弾の雨が降り止むのを竹林の斜面に隠れるようにしながら耐える。腕の中でまるまる妹紅に目を落としながら、楠は歯を擦り合わせると強く噛み締め刀を抜いて立ち上がる。

 

「お、おい⁉︎」

「不死身じゃないなら隠れてろ! 俺がやる!」

「お、俺がやるって、そもそもお前は不死でもなんでもないだろ! どうせ私は死なないんだ!」

「アンタが死ぬ死なないは関係ない!」

「おいって!」

 

  妹紅の叫びを背に受けて、楠は斜面を飛び出した。銃弾の雨が止んだ合間を縫って視線を散らす。竹の間に揺れる三組の兎の耳を目に留めて、楠は強く大地を低く枯葉の中に身を隠すように突き進み、目の前の竹を避けずに透過し、目を見開いた月兎に向けて横薙ぎに振るう。

 

  刀が肉に食い込む感触。その感覚に眉を顰めながらも楠は躊躇わずに思い切り振り抜く。振り返りはしない。枯葉に落ちる首の音が耳を擽るのだけを感じ、次の獲物へと身を揺らす。ゆらり揺れる楠の体は、足を進めるごとにそのブレを大きくさせる。一歩進むごとに不確かな領域へ。一人が二人にも三人にも見える不可解な楠の動きに月兎の照準は定まらず、竹を透けて目の前に立った人間の姿に月兎は目を見開いた。

 

「こっちだあほう」

 

  傾きズレる月兎の首を、振り抜いた楠の足が捉える。飛んだ首は三人目に月兎の手から銃を弾き、驚き銃を目で追った月兎の顔が正面へと戻った時には人間の姿はもうなかった。月兎の首の後ろに冷たい風が流れ首が落ちる。

 

  とさりと落ちた月軍兵士の体を見下ろし、楠は二刀の刃を手の中で回した。滴る血は最小限。舌を鳴らして斜面から頭を覗かせる妹紅へ目を流した。

 

「頭を下げろ、まだ来るぞ。数は、三十近いなくそったれ」

「お前……なんで戦うんだ? 私は別に守ってくれなんて頼んでない! 月軍が来たならさっさと輝夜のとこに行けばいいだろ!」

 

  妹紅の叫びに楠は一度天を仰いだ。周りを取り巻く兎の耳に深いため息を吐きながら、楠は両手をダラリと下げてゆらりと揺らす。顔をゆっくり妹紅の方へ向けると、小さく口端を持ち上げて。

 

「アンタも守るしかぐや姫も殴る。アンタが守って欲しいかどうかは関係ない。守って欲しくなくても勝手に守る。そこにいてくれ、動かずに、そっちの方が楽だ」

「ッ、お前はなんで⁉︎ 私は死なないって言ってるだろ! なんでいっつも私の言うこと聞かないんだ楠‼︎」

 

  銃弾の掃射音が妹紅の声を塗り潰した。舞い散る銃弾は人ひとりを簡単に轢き潰す必殺の威力を内包しながら、四方から隙間なく迫る弾丸に楠は笑う。この時を待った、千三百年。この時間を手放しては、なにも掴めないから。視界にちらつく銀髪を時折眺めながら、両手に握った刀を振るう。

 

 

 ***

 

 

「あぁ、くそったれ。『守る』ってのはしんどいなぁ。はぁ」

「お前……馬鹿じゃないのか? ほんとに……」

 

  竹林に充満する血と肉の匂い。大地に散らばった腕や足は十や二十では足りはしない。真っ赤に染まった大地は血の池のようで、枯葉も沈んで浮いてこない。その赤い池に浮かぶ白い断片は、月兎の幾人かが着ていた装甲服の破片。ぽちゃんとそこへ新たな赤い雫が数滴垂れた。服が破け、額から伝う血を拭っても、新たな血が楠の額からは滲んでくる。体の表面に伝ういくつもの赤い筋は楠のものと月兎のもの。血に塗れた楠の赤はどこまでが楠のもので、どこからが月兎のものなのか、それは楠自身にも戦いを見ていた妹紅にも分からなかった。

 

  体に付いた血を削ぎ落としながら楠は刀を鞘に納める。荒くなっている呼吸を整えようと楠は深く息を吸い込むと、長く息を吐き切った。足を出せば枯葉の擦れる音は聞こえず、水たまりに足を落としたような重い音が竹林に響き、それに楠は口端を歪める。

 

「こんなことなら誰かを守る修行もしといてくれれば良かったのに、おかげで血濡れだ。なにかがズレてるよな」

「ズレてるのはお前だ馬鹿! なんでよ! なんで」

「なんで? ……俺のためだよ」

「意味が分からないわよ! 自分のためでそこまでする? 不死のために盾になるの? やって来てわざわざするのがそれなわけ?」

 

  例え楠が何もしなかろうと、妹紅は楠よりも長く生きる。その短な生をなぜ永遠の者に捧げるのか意味が妹紅には分からないし、命など欲しくない。妹紅は忘れないから。ただでさえ重荷だけが増えていく人生に、無理矢理重さを足していくようなことはされたくない。戦うために、血に塗れて、目の前で命を散らされては堪まったものではないのだ。それが見ず知らずの誰であろうと負の感情は積み重なる。それに耐えられなくなってしまっても、妹紅は自分を終わりにはできない。

 

  楠が何を考えているのか分からない。楠が何を感じているのか分からない。なんのために戦うのか? なんのためにここに来たのか? なんのために輝夜を殴るのか? 妹紅には楠が分からない。

 

「やっぱり似てるだけだ。お前は楠じゃない」

「当たり前だ。俺は俺だ」

「お前はなんのために生きてるのよ、力を示すため? 名誉? 使命?」

 

  名誉、麗しい言葉だ。使命、それもまた格好いい響きかもしれない。だが、そのどれもに楠は首を横に振る。何に近いと言われれば、義務が最も近いようであるが、結局それも少し違うと考えると、顔を持ち上げて妹紅の目を見る。

 

  強く輝く妹紅の紅い瞳。輝いているのは薄く心の汗が張っているからでも、周りの血の池の色が反射しているからでもない。それは妹紅が生きているから。揺らめく炎のように、永遠であるが、妹紅は確かに今を生きている。その激しく燃えるなにかが妹紅の瞳に力を与え、それを見た楠の目もまた鋭い輝きを返す。妹紅から決して目を離さずに、楠は口の中の血を一度地面に吐き出し口を拭ってから口を開いた。

 

「これからかぐや姫を殴りにいく。案内してくれ」

「はぁ、なんで今なのよ。今することじゃないでしょ! そんな体でいくつもり? 血で濡れてないところを探すのも難しいような体で」

「今しかないんだよ。今ここにいるのは俺なんだ。俺だ。俺はかぐや姫に会わなきゃならない」

「殴るために?」

「そうだ! 俺はそして言わなきゃならない、俺がいったい何代目の北条の当主なのかをな。いったい何人が同じ道を歩いたのか、かぐや姫にこれっぽっちも興味がなかろうと、俺はそれを言わなきゃダメなんだ。俺のために」

 

  俺のために。自分のために。二言目にはそういう楠の言葉に妹紅の瞳がブレる。自分のためと言いながら、楠の目は全く別のものをみているように妹紅には見えた。その瞳に映るものがなんなのか、少し妹紅は見たくなった。今の北条 楠はかぐや姫を追っているようで追っていない。妹紅の最もよく知る平城十傑の一族がいったいなにをするのか。その長い旅が終わればなにをする? 輝夜に会った時妹紅の旅も終わり、幻想郷に落ち着いた。楠は?

 

  顔の血を拭っている楠を見て、妹紅は小さく歯を擦り合わせた。たった一人の人間が気になる今が気に入らず、またどこか少し安心している自分も気に入らない。どれだけ妹紅が叫んでも目の前の男は変わらないと理性と本能の両面から理解できる。強く叫ぶ自分が負けているようで、それもまた気に入らず妹紅は静かに声を絞る。

 

「……案内して、月軍に殺されるかもしれないのにか」

「死ぬ気なんてこれっぽっちもない。言っただろ、俺にはやりたいことが沢山あるんだ」

「なら案内してやる楠。お前の答えを見せてよ」

「ああ特等席でな、行こう、なに安心していい、俺がアンタを守ってやる。俺が近くにいる間はな」

「別に守ってくれなくていいって……はぁ、もういい。なら精々守ってよ」

「ああそうするさ。良かったな、寿命が伸びるぞ」

 

  楠のクソ面白くもない冗談にため息を吐きながらも、妹紅は楠には見えないように薄く笑う。一千年以上が経ちまた何かが変わろうとしている。永遠に続く時の中でそれが大きな変化なのか小さな変化なのか、どちらにしても面白いことのような気がすると、妹紅の足取りは不思議と軽かった。

 

「行くわよ楠、はぐれて迷子にならないでよね」

「なるか、もう迷子はごめんだぜ妹紅さんよ」

 

  楠は歩く。妹紅の背を追い、かぐや姫を殴るために。握った拳は行き先を決め、どこまでも強く握られる。

 

 

 

 

 

 

 


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