月軍死すべし   作:生崎

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第二夜 朝

  朝の陽射しに煌めく二つの刃。人の背程もありそうな大太刀と長刀。激しい剣戟の音に驚き半透明の球体達が水面に立つ波紋に追いやられる木の葉のように散っていく。一流の剣士達の応酬を眺めるのは、扇を口元に当てて微笑む冥界の主人。しかし手に汗握るような事はなく、踊り子の舞を見るかのように高速の剣技を眺める。

 

「あっはっは」

「真面目にやってください!」

 

  鉄が風を切り裂く音に混じるのは男の笑い声。全く緊張感の欠片もない声に、ふにゃりと笑う男の前に立つ少女は、口の端を大きく歪めて刃のように目を鋭く細めた。音だけ聞けば激しい剣技の応酬に聞こえなくもないが、その音の発生源を一度覗けば、幽々子のように観客として落ち着いてしまう。

 

  一方的に剣を振るうのは白玉楼の庭師。一手二手と加速し続ける剣技はまるで数人が同時に刃を振るっているかのように時間を縮めて男に襲い掛かるのだが、ただ突っ立っつ案山子のように見える男の薄皮一枚に鋭い剣先が触れた瞬間に、ひとりでに離れていくように弾かれる。男の周りに散る刃同士が擦りあって花咲く火花の美しさに、ホッと幽々子は息を吐いた。

 

  主人の吐息に押されるように、更に妖夢の手の回転が上がる。長刀は一筋の帯のように隙間なく技が繋がり、桐の剣技の間を縫って首筋へと伸び、桐の首を貫いた。が、赤い飛沫が散らなければ火花も咲かない。楼観剣の僅かな揺れに引っ張られた空気が桐の残像を消したと同時に、妖夢の首にふわりと柔らかな何かが巻き付いた。

 

「捕まえましたよ妖夢さん」

「真面目にやれと言ってるでしょ!」

 

  妖夢の背から首に腕を回して抱き着いてくる桐に向かい、腰に残った白楼剣を引き抜き背後に振るう。自らの足を軸にして小さな旋風のように振るわれた妖夢の剣尖は、しかし、桐に当たる前に肘を抑えられて止まってしまう。そのまま更に桐は妖夢に体を密着させると、間に挟んでいた大太刀で妖夢をなぞるように弾き飛ばす。

 

  本来ならば真っ二つになってしまうだろう斬撃を受けても衣服には切れ目すら入らない。宙を大きく舞って体勢を立て直す妖夢が地に足をつけると同時に、「いっちまーい」と桐はふやけた笑みを浮かべながら人差し指を立てる。それを桐が大太刀を握り込み直して隠した瞬間、妖夢の緑色の上着がパサリと落ちる。服は切れてはいないのだが、大太刀でいったいどうやったのかボタンが綺麗に外されていた。

 

「女性限定脱衣式稽古、緊張感はあるでしょう? さあ続けましょうか」

「続けません‼︎ 幽々子様、コレは変態です! もうさっさと追い出しましょう!」

「あらあら、でも見てる分には面白かったわよ? はい、続けて」

「続けませんから⁉︎」

 

  幽々子と桐の口車に乗せられては自分がどうなってしまうのか分からない。素っ裸になった自分の姿を思い浮かべ、絶対イヤだと妖夢は大きく首を左右に振るう。それに幽々子は残念そうに目の端を下げ、代わりに妖夢の目の端が吊り上がる。主従のシーソーを楽しげに桐は眺め、区切りはいいかと大太刀を鞘へ納めた。

 

「はぁ、妖夢さんのきめ細やかな肌が見れないのは残念ですがコレまでですね」

「ほらー! 幽々子様もう追い出しましょうコレ! さもなくば切り捨てましょう!」

「そうねー、私も残念だわ。妖夢の素肌が見れなくて」

「ちょっと」

 

  経ったの一日で幽々子と桐は熟年夫婦バリの以心伝心を見せ、妖夢の胃に穴を開けようとしているのか果敢に挑戦してくる。この惨状を今は白玉楼に姿のない妖夢の祖父が見ればなんと言うか、なんと言っても妖夢は聞きたくない。手に持った扇を閉じパシリと幽々子は手に落とし、桐を睨む妖夢の顔を楽しそうに見つめた。

 

「それにしても妖夢を捌けるなんて桐の剣技も見事なものね」

「お褒めいただき光栄です姫様。しかしそれは私に元々二刀の使い手の友人がいるので二刀の相手は私に一日の長があるからですよ」

「あらそうなの?」

 

  可愛らしく首を傾げる幽々子の問いに桐が思い浮かべるのはギザギザした歯を擦り合わせる友人の姿。歳が同じということもあり、桐は良くその友人と外で会っていた。意気揚々と桐が会いに行けば、塩を撒かれて刃が振るわれる。そんな困った友人を思い出し、桐は少し鋭い笑みを浮かべた。

 

「はい、斬れない私と違って良く斬れる男です。多分私より強いと思いますよ」

「桐より強いなんて、その子も幻想郷に来てるのかしら? 妖夢の良い稽古相手になるんじゃない?」

 

  流された幽々子の目を受けて、妖夢は手に持った刀を握り直す。女好きのふざけた男であるが、桐の強さは妖夢も認めはする。その桐が自分より強いという者に会ってみたいと思いはしたが、そんな妖夢の気も知らずに桐は困ったように長い前髪を指先で弄る。

 

「んー、来てはいますけどそれは無理じゃないですかねー」

「なぜかしら?」

「私の友人の多くは基本やる気がないですからね。自慢じゃないですが私達の世代は歴代で最もやる気のない世代なんて言われちゃったりしてるんですよね。なぜでしょうね?」

「いやそれ絶対あなたも一枚噛んでますから」

「いやいや私の一族は代々こんな感じですから」

「もう滅んだ方がいいんじゃないですかあなたの一族」

 

  毒のある妖夢の言葉を受けても、変わらず桐は笑顔を浮かべるだけで全く芯に響いていない。むしろ綺麗な花にある棘に突っつかれるのを楽しむかのような桐の反応に、妖夢は顔を苦くしそっぽを向く。それに桐と幽々子は揃って微笑み、二つの三日月に挟まれて妖夢の三日月は逆さを向く。

 

「ふふふ、姫様、朝の稽古は終わりのようですし、次はいかが致しましょうか」

「そうねー、そうだわ妖夢、食材がもうなかったはずだし人里に買い物に行ってはどうかしら? 荷物なら持ってくれる殿方もいることだしね」

「え……? コレと二人で行くんですか?」

 

  言葉は返されず、返されたのは満開の桜のようなおおらかな笑み。その反論も全て包み込んでしまいそうな柔らかさを向けられれば、妖夢は何も言うことができなくなる。唸る妖夢の隣に音もなく桐は立ち、ふやけた顔と同じく妖夢の肩に羽のように軽く手を置く。その無駄に鬱陶しくないように調整された力使いが逆に癪に触ると、妖夢は埃を払うように桐の手を払う。

 

「さあ参りましょう妖夢さん! 楽しみだなあ人里」

「……いいですか桐さん、やたらめったら女性に触れちゃダメですよ」

「分かっておりますとも」

「本当の本当にダメですよ!」

「分かっておりますとも」

 

  強く念を押せば強く頷く桐に妖夢はそれならいいかとため息を零したのだが、冥界の空気よりも質の薄い妖夢のため息は全く意味はなかった。白玉楼の階段を降りるのには半日は掛かると言っていたくせに、空を飛ぶ妖夢以上の速度で階段を降りて行った桐。妖夢が追いつく頃には階段の下で女性の手を取り笑顔を見せた桐が待っていてくれた。

 

  そのふやけた横顔に妖夢が飛び蹴りをかませば、ゴロゴロと蹴り上げられた小石のように吹っ飛んでいく。呆気にとられた女性を残して砂煙を巻き上げながら地面を転がる男を妖夢は追い掛ける。秋風に飛ばされて砂煙が姿を消せば、その先ではふらふらとその身を揺らしながら桐が普通に立っていた。インパクトの瞬間盛大に自分から蹴られる方向に派手に吹っ飛ぶという無駄に洗練された技を披露したお陰でほとんどダメージはない。飛んで来る妖夢をその身に受け止めようと桐は大きく手を広げるが、それを真っ二つに割るように脳天に鞘入りの楼観剣が落とされる。

 

「痛いです」

「白玉楼を出てすぐに約束を破る人がありますか!」

「やたらめったら触っていません。一人一人親身に接して」

 

  その先は聞かなくていいと二度目の楼観剣による拳骨に桐は頭を回す。女性はこんな漫才には巻き込まれたくないと足早にその場を去り、桐は小さくなっていく女性の背中に、未練がましく小さく手を伸ばした。

 

「あぁ、残念です。まだ名前も聞いていなかったのに……」

「はいはい、ほら行きますよ! 人里ではほんっとうにやめてくださいよ! 一々あなたの相手をしていたら何日人里にいなければならないのか分かりませんし」

「長旅になりそうですね!」

 

  三度目の正直を頭に受けて、桐はパタリと地面の上に倒れた。

 

 

  ***

 

 

  朝の人里はそれなりに活気に満ちている。と、言うのも、人の行動範囲が制限されている場だからこそ、人里に人が集中しているが故だ。朝でさえ賑やかであるのに、これが夕方、夜と陽が傾くにつれてより活気づいていくのだから、幻想郷という決して人にとって楽園とは言いづらい場所でも、人はなかなかに逞しい。

 

  道を歩く、主に女性に目を引かれながら歩く桐の姿に妖夢はため息を零しながら目的の場所へと向かって歩く。そんな二人に向けられる人々の視線には、どこか恐々としたものがあった。

 

  妖夢はもう慣れたものではあるが、半霊という見るからに異様な物体が妖夢の周りを回っているということもあるが、何より刀を隠すこともなく背負っているからだ。斬られれば死ぬという凶器を見せつけるように歩く少女という異様さ。半霊のおかげで人外というのも見ればすぐに分かる。それに加えて少女よりも幾分も背の高い男が、少女の持つ凶器よりも長い得物を背に背負っていることもあって、二人を見つめる視線には『恐怖』の色が小さくも含まれていた。

 

  そんな視線を受けても、少しズレている二人は気にした様子もなく、気にするのは別のもの。風に流れてきた一枚の紙が妖夢の足に引っかかり、それを手にとって覗いた妖夢の顔がくしゃりと歪む。

 

「どうかしましたか?」

「どうかしたというか、コレって」

 

  そう言ってぴらりと妖夢は紙を反転させて、桐に見せる。それを見た桐の顔は、妖夢が見たこともないほどに真剣なものとなる。

 

  一枚の紙に描かれた人相書き。袴垂 椹 と書かれた名前の横に描かれている綿毛のような頭髪を一部三つ編みに編んだ男の姿。服は桐の着ているものと似たようなもので、「共に来た三人の仲間」と桐の言ったうちの一人であろうと妖夢は容易に想像できた。

 

「あなた達はいったいなにしに幻想郷に来たんですか……。窃盗って……」

「これは困りましたね」

 

  真剣味が崩れない桐を妖夢は訝しむと、今一度人相書きの紙を見る。

 

「そんなに危ない人なんですか?」

「ええ、彼は盗みのプロですからね。気をつけてください」

「白玉楼に来たら即座に叩っ斬りましょう」

「いえ、そういうことではなく」

 

  意味が分からないと眉を顰める妖夢を見て、心配そうに近寄ると、紙を握り潰すように優しく妖夢の手を握る。

 

「アレはなんでも盗みますからね。私のライバルです。いったい何人の女性が心を盗まれたことか!」

「は?」

「大丈夫です! 姫様と妖夢さんの心だけは決して譲りません! 任せてください!」

「いや私も幽々子様も別にあなたに心をあげたりしてませんから‼︎ 手を離しなさい!」

「そんなご無体な」

「うるさい!」

 

  人を超えた膂力に振り回され、妖夢の手から桐の手が離れた。悲しそうな顔をして桐は人々によって踏みしめられた地面をゴロゴロと転がっていき、死体のように動きを止めた。六尺を超える長身の男が道の上に倒れているのは激しく邪魔である。

 

  妖夢はため息を吐きながら、一応のツレであるため男の方へと足を向けたが、妖夢よりも先に男の横に立つ影があった。

 

  朝陽に煌めくのは青のメッシュが入った長い銀髪。頭の上には青い帽子を乗せ、胸元の開けた同じく青い少し変わったワンピースのような服を纏っている。「慧音さん」と妖夢が言い終わらぬうちに、なにで察したのか、桐はリビングデッドが如く勢いよく復活すると、妖夢が口を挟めぬほどに洗練された動作で上白沢 慧音 の手を取った。

 

「これは失礼を。あなたのような麗人に気づかないとは一生の不覚です。お初にお目にかかります、私は五辻 桐 と申します姫様。慧音とはまさにあなたにぴったりの美しい名だ。よろしければあなたの口からお聞きしたいのですがよろしいかでしょうか?」

「は、はあ? あー、とりあえず大丈夫か?」

「悩ましげな仕草も素敵です」

「死んでください」

 

  飛んで来た楼観剣を避けることもなく、桐は楼観剣ごと壁にめり込んだ。そんな様子にぽかんと口を開けながら、妖夢の方へ困った顔を向ける慧音に、妖夢は申し訳なさそうな顔を向けると壁に埋もれた楼観剣を引き抜き頭を下げる。

 

「申し訳ありません慧音さん。コレは一応白玉楼の客人なんですが、はぁ、本当に、はぁ、幽々子様もなんでこんなのを気に入ったのか、早く出てってくれないかなぁ、って慧音さんに言っても仕方ないんですけど」

「よく分からないが苦労しているみたいだな。しかしその男、着ている服が今話題の盗っ人と同じだが」

「ああ一応仲間だそうですよ、あ、引き渡しましょうか?」

 

  嬉しそうに笑顔になる妖夢だが、「いや」と苦笑しながら慧音は断った。

 

「昨日稗田の家にもその盗っ人が入ったそうなんだが、落書きされた壁以外阿求は満足しているそうだから別にいいだろう。あまり騒ぎを起こされれば困るが。しかし、この男たちはどこからやって来たんだ? 服装を見るに外からだと思うが」

 

  人里の守り人とも言える立ち位置である慧音は当然数多くの外来人を見ている。その中には桐や椹と同じような格好の者もおり、すぐに外来人であるということに気が付いた。とは言え大太刀を背負った外来人というのは滅多に見たことがなく、また、これだけ人里を騒がせる外来人も見たことがない。慧音の疑問に嘘をつく必要もなく、妖夢は素直に男の素性を話す。

 

「なんでも外から輝夜さんを探しにやって来たそうですよ。一千年以上前から輝夜さんを探してたそうです」

「一千年以上前からだと? それは」

「あ、そう言えば妹紅さんも元々平城京に居たんですよね? ひょっとして知ってるのかな?」

 

  そんな疑問を思い浮かべ崩れた壁に目をやった妖夢だったが、そこに桐の姿はなく、少し離れたところで女性の手を握っていた。額に青筋を浮かべた妖夢に慧音は苦笑し、何度目かも分からない楼観剣の一撃を受けた桐は雑に妖夢に引きずられて慧音の前に戻って来た。

 

「あぁ、あぁ、妹紅さんですか。不比等様の娘さんですね」

「やっぱり知ってるんですか?」

「いや私はもちろん直接お会いしたことはないですよ。ただ帝の命でかぐや姫様からの贈り物を富士の山に捧げに向かった調岩笠さんの家がうちと同じ職務の家だったんで仲良かったそうなんですが、まあそれで色々知っているだけです。その時の私の一族はかぐや姫様護衛の失敗で信用が少し落ちていましたからね。同行はできなかったそうです」

「それは……」

 

  少し気の張った慧音の顔を見て、よく分からないがこれはいけないと、ふにゃりと桐は笑顔を見せる。美人の困った顔など見ても一文の得にもならない。スルリと慧音の手をとり、優しく握った。

 

「むかしむかしのお話です。伝説に罪や罰の判子を押す者はいませんよ。ね?」

「あ、ふふ、おかしな奴だな」

「あー、それに藤原家関連なら北条の当主である一緒に来た仲間の一人の方が詳しいでしょう。なんと言っても彼の一族は藤原家の護衛だったのですから」

「え、そんな人も来てるんですか?」

「ええ、来ていますよ」

 

  まだ居るかは分かりませんが、とは言わず桐は笑った。

 

「あれ、でも桐さん。その北条という一族も輝夜さんの護衛に当てられたんですよね?」

「不比等様はかぐや姫様に求婚しましたから、まあそういうわけです」

「あー、なるほど」

 

  現代の昼ドラよりもドロドロしていそうな昔話に妖夢はげんなりした顔になり、慧音も難しい顔になる。そんな二人を見て桐は困った顔をして鬱陶しい前髪を弄ると胸を張った。

 

「なーに、昔の話です! それに『愛』とは不滅のパウワ! 悪いことになろうはずがありません!」

「いや、意味が分かりませんから!」

 

  無駄に『愛』を振りまく男にもう勝手にしてくれと呆れながら妖夢は頭を掻く。そんな二人に慧音は笑顔を見せて手を叩いた。

 

「いや面白い話を聞かせてもらった。良かったら今度うちの寺子屋にでも寄ってくれ」

「では今からでも!」

「買い出しの途中でしょうが‼︎ まずは八百屋です! 行きますよ!」

「あー、慧音さーん!」

 

  手を振り見送ってくれる慧音に大きく手を振り返して桐は妖夢に引き摺られていく。しばらく引き摺られていたが、自分で歩けと妖夢に頭を叩かれて、桐も自分の足で歩き始めた。

 

「しかし驚きました。よく知っているというか、桐さんの一族は本当に一千年も前から続いてるみたいですね」

「みたい、ではなく実際そうなんです。私を含めて他の者たちもね」

「でもよく一千年以上も続けられますね、一千年と言えば紅魔館の当主の歳より長い年月ですし、私の歳よりも」

「まあ、他の一族はどうか知りませんけれど、私の一族だけは未だに勅命の最中ですから」

「はい?」

 

  妖夢の疑問に桐が答えることはなかった。ただ普段通りの溶けたような笑みを妖夢に向けて返すのみ。それがどうにも不気味であるのだが、同時に哀愁に似た空気を滲ませるおかげで、妖夢も目を背けることが難しい。どういうことであるのか妖夢も聞こうかとも思ったが、その間に八百屋に着いてしまいそうもいかなくなった。

 

「これはまた、値段設定がよく分からないですね。これいくらなんですか?」

「桐さんは荷物持ちなんですから気にしなくていいです。それよりもあまりふらふらして遠くに行かないでくださいよ!」

「分かっておりますとも。……おやあれは」

 

  全く信用ならない男が不審な言葉を放ったので、桐の方へ顔を向けた妖夢だったが、一足もふた足も遅かった。遠くで女性の手を取る桐の姿。なによりもその相手に妖夢は非常に見覚えがあった。紅と白で武装した幻想郷最強の人間の姿を視界に納めて口の端が引き攣る。

 

  一足飛びに妖夢は桐に近寄ると、ため息を零しながらその頭に拳を落とす。だが、鳴った音は一つではなく二つ。妖夢の拳以上に大きな音をあげる拳の音を追って妖夢の見上げた先には、盗っ人の人相書き以上に人相の悪い男が立っている。気怠げな目に、鼻を横渡った一線引いたような痣と、ギザギザした歯。連続殺人鬼と言われても納得しそうな風貌の男。それも桐と似たような服を着ており、それが妖夢の顔を良くないものへと変えたことは言うまでもない。

 

「痛たたたた、酷いじゃないか楠。私は男に叩かれる趣味はないのですよ」

「うるせぇな飛脚屋。こんなところまで来てもやること変わらないっていうのはどうなんだ? あぁ、それよかちと金を貸してくれねえか? 外に帰るのに有料らしくてな。銭巫女に張り付かれてて帰れもしねえ」

「誰が銭巫女よ、誰が。そんなことより妖夢、あんたも八百屋に買い出し? 丁度いいから私の分もよろしく頼むわ」

 

  何が丁度いいのか妖夢には分からない。明らかに問題児が二人増えた。少々口調の砕けた桐が、服の汚れを払いつつ相対する男。見たところ仲が悪そうには見えない。その様子と服装で男が何者であるのか妖夢は察したが、察したくはなかったと顔を歪める。

 

「金銭の関係なら袴垂か足利にでもせびったらいいと思いますが」

「いや俺アレと仲良くねえし。当代の椹だったか? さっき初めて名前を知ったぐれえだぞ。それに足利の大将はよく分からねえし」

「幻想郷に来るまで時間があったのに何をやってたんですか? 名前ぐらいはすぐに知ることができるでしょう」

「かぐや姫を殴る算段と帰る算段しかしてなかったよ。まさか本当に殴ることになるとは思わなかったがな」

「あぁ、なら知ったわけですね楠」

「アンタもな、桐」

 

  そんな男二人の会話を聞いて、より妖夢の顔色は悪いものとなる。霊夢へ顔を移してみれば、興味がないのか八百屋で値切り交渉をしていた。それも妖夢を指で指しながら。何を喋っているのかは聞きたくないと妖夢は耳を抑えようとしたが、目の前にギザギザした歯がにゅっと伸びてきたことで阻まれる。

 

「おい、アンタのところで泊めてくれるってのは本当か?」

「いやなんでそんな話になってるんですか⁉︎ ちょっと桐さん! あなただって居候でしょうが‼︎ だいたいあなたは誰ですか!」

「俺か? 俺は楠、北条 楠だ嬢ちゃん」

 

  ギザギザした歯が弧を描くのと、ふにゃりと崩れた笑顔を同時に見て、妖夢はひどい頭痛に襲われた。

 


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