外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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恵まれない身体から嘘みたいな投球

 

 泉星菜と実際に会ってみて、早川あおいには同級生の小波大也が放っておけないオーラがある――と言っていた理由がわかるような気がした。

 美しくも触れれば壊れてしまいそうな容姿は元からの物だとは思うが、あおいの目にはその儚さがただ危うく映った。

 

 ――うん、確かに、何だか放っておけないね……。

 

 あおいはこの日、早めに終わった部活動の帰りにたまたまバッティングセンターに立ち寄ったのだが、それがこうして噂に聞いた泉星菜と出会うきっかけになったことを幸運に思った。

 かつて小波が言っていた通り、彼女の纏う雰囲気は何となく自分が味方をしてあげなければならない使命感のような感情を与えてくれた。それは彼女が自分と同じ苦労をしてきたと思われる女性野球選手だからでもあるのだろうが、もしも何か悩んでいるのならば先輩として助けたいと思った。

 しかし、今回は初対面だ。出会って早々いきなりそんな関係になれるとは思えないので、あおいはまず最初に選手としての泉星菜を知ろうとした。

 

「投げるボールはあそこにあるケースの中にあって、全部で十五球だね。得点は的の端に行けば行くほど高くなるんだ」

「最も高得点が取れる場所は?」

「右バッターから見た外角低め(アウトロー)かな。内角高め(インハイ)も同じくらい稼げるよ」

「ありがとうございます」

 

 それとあおいには、「あの」小波大也が手放しで絶賛する投手がどれほどの実力か純粋に知りたいという思いがあった。

 あおいはピッチングコーナーに設置されたマウンドに上がろうとする星菜の後方へと移動する。その際、好奇心に煽られて集まってきた周囲の男性客達を目で追い払うことは忘れない。あの場で投げて欲しいと言ったのは紛れもなくあおい自身ではあるが、今の星菜は着ている服が服である。ポジショニングによっては翻ったスカートから見えてしまう恐れがあるのだ。何が、とは言わないが。――と言うか、この頼み自体それが理由で拒否されるかもしれないと思っていたのだが、平然と受けてくれた辺りこの少女はあまり気にする方ではないらしい。

 

「ケースはあそこに三百円入れないと開かないんだけど、お金はボクが払うよ。今回はボクがお願いしたことだからね」

「良いのですか? では、恐縮ですがお言葉に甘えます」

 

 準備が整ったところで、ピッチングコーナーに配置されていた専用のボールケースが開かれる。そこに並んでいる十五個のボールの中から一つを取り出すと、あおいは星菜へと手渡した。

 

「じゃあ、見せてもらうね」

「……はい。頑張ります」

 

 星菜が左手でそのボールの感触を確かめながら、マウンドのプレートに足を掛ける。あおいはこれから行われる彼女の投球の妨げにならぬようさりげなくその場を離れ、ボールの軌道が最も見やすい位置へと移動した。

 

(こうして見てみると、見た目は全く野球が出来る子には見えないんだけどね……)

 

 離れた位置から改めて星菜の姿を眺めてみると、その体型がいかに野球向きでないかがよくわかる。

 身長は160センチ少々しかなく同じ女性投手であるあおいよりも低く、肉付きも悪い。肩幅は一般女性と比べても狭いし、腰周りも細い。スラッとした細長い脚は女性としては文句のつけ所のない完璧なものなのだが、野球選手として……それも投手として見るならば、あまりにも心許なかった。あおいの方も大概華奢な体型で他人のことを言えたものではないのだが、そう思うほどに星菜の姿はか弱く映った。

 だがあおいは、だからと言ってそんな先入観だけで彼女の力量を見計ろうなどとは考えていない。

 

(でも、違うんでしょ。泉星菜は)

 

 斜めからではなく、真っ直ぐに星菜の姿を見据える。

 泉星菜の双眸は、マウンドから18.44メートル先に設置されているストライクゾーンを模した的を睨んでいた。

 そして数秒の沈黙を経て、ようやく投球動作に移る。

 ボールを持った左手に右手を添えながら、肘を折り曲げて後頭部まで振りかぶる。一般的なワインドアップのモーションである。

 そのまま流れるような動作で身体を一塁ベース方向に向けると、左足を軸に右足を振り上げ、両手を胸元の下へと持っていく。

 全体的にゆったりしているが、ここまではごく一般的な投球フォームである。

 あおいが明らかに「違う」と思ったのは、星菜がその右足を踏み出そうとする瞬間だった。

 

 招き猫投法――そんな言葉がふと脳裏に浮かぶ。

 

 ホームベースの位置よりもやや一塁ベース方向に向かって頭よりも高く振り上げた右腕は、手首が大きく曲がっており、招き猫の上げた前脚のように見えた。

 それだけでも独特なフォームではあるのだが、何よりもあおいの目を引いたのはボールを持った左腕と、それを身体全体で隠している変則的な全身の使い方だった。

 加えてさらに打者からボールの出どころを見にくくする為に、テイクバックを極端に小さくして左腕を見せないようにしている。即座にそのフォームの意図を見抜いたあおいだが、同時に疑問が浮かんだ。

 

 あんなフォームで、ちゃんとボールに力が伝わるのかと。

 

 もし自分があの投げ方をしたら、まずまともなボールは行かないだろう。星菜のフォームは、それほどまでに窮屈だったのだ。

 しかし星菜の左手から放たれたボールはそんなあおいの心配を嘲笑うかのように至って直線的な軌道を描き、的の最端である右打者から見た外角低め(アウトロー)の部分へと直撃した。

 

「――っ!」

 

 一球目から、最も得点が高いコースを捉えたのだ。

 見事なコントロールである。あおいは付近に設置された電光掲示板へと目を移し、そこに表示されていた電子の数字を確認する。

 

《107km/h》

 

 それは、たった今星菜が投じたボールの球速である。その数字は星菜の目にも映ったらしく、彼女は次のボールを取り出しながら呟いていた。

 

「この掲示板、球速表示も出るのか。……おっそ」

 

 その言葉は若干溜め息混じりであったが、星菜の表情は苦笑でもなく純粋に笑んでいた。

 しかしあおいはそこに表示されている球速表示から、しばらく目が離せなかった。

 

「……今の、107キロしか出てないの?」

 

 放たれたボールは山なりでもなく、的まで真っ直ぐな軌道で到達していた筈だ。

 しかし実際に表示された球速はたったの107キロであり、女子としては速いが高校野球基準ではあまりにも遅いストレートだった。

 

「よしっ」

 

 二球目――先程のリプレイを見ているかのように全く同じ投球フォームから放たれたボールは、糸を引くような軌道でまたも的の外角低め部分へと命中する。

 あおいが再度電光掲示板へと目を移すと、今度は109km/hと表示されていた。

 

(思ったより遅い? ……違う、思ったよりも速いんだ。初速と終速があまり変わらないから、実際の球速よりも速く見えるのかな)

 

 コントロールの良さは噂に聞いた通り――と言うかそれ以上に凄まじいようだが、あおいが何よりも気になったのはそのストレートの質である。ボールの回転数が尋常ではないのだろう。スピンの効いたストレートは投げた瞬間からストライクゾーンに到達するまで、ほぼ変わらないスピードが出ているように見えた。

 実際は110キロにも届いていないが、あおいの視点からは120キロ近いスピードが出ているように感じる。バッターボックスから見れば手元でノビを発揮し、さらに速く感じることだろう。

 

 それから五球ほど投じたストレートは、平均は109キロを、最速では111キロを計測した。いずれも的の外角低めを徹底的に捉えており、見物人であるあおいはその投球に完全に目を奪われていた。

 体格に恵まれない上にテイクバックが極端に小さいフォームでありながらこれほどのボールを投げられるのは、全身の使い方が上手いからだと見える。肩や肘の使い方が柔らかくしなやかで、下半身のスムーズな体重移動が放たれるボールに数字以上の威力を与えている。球持ちも長く、打者に対して極限まで近い位置でボールを離している。

 このフォームは彼女が体格というハンディを覆す為に、多くの試行錯誤を重ねた末に作り上げたものなのだろう。とてもではないが他人が簡単に真似出来るフォームではなかった。

 あおいからあえて指摘することがあるとすれば――派手に全身を使っている為か、想像以上にスカートが翻っていることぐらいか。何球か投げていると流石に彼女も意識し始めたのか、一球投げるごとにしきりに周囲を気にしながら裾を直していた。

 

「大丈夫、周りの人が寄って来ないように追い払ってあげるから。泉さんは気にせずに投げてて」

「あ、ありがとうございます」

 

 そんな彼女の姿を見て、自分が投球を見たいと言ったことをあおいは申し訳なく思った。

 自分がここで投げている時も、周りからはあんな感じに見えていたのかなと今更になって羞恥心が沸いてくる。今度から下にはジャージを履くように徹底しよう――とあおいは密かに心に決めた。

 

 先までよりも周囲に注意を傾けながら、あおいは星菜の投じる八球目を見届ける。

 招き猫投法という名が脳裏に浮かぶ投球フォームから放たれたストレートは、今度は的の外側へと大きく外れた。

 周りが気になって手元が狂ったか――一瞬そう考えたあおいだが、それが誤りであることを即座に思い知る。

 

 ――ストレートが、曲がったのだ。

 

 18.44メートルの間をそのまま真っ直ぐに駆け抜けていくかと思われたボールは、ホームベースの手前横から突如として大きく軌道を変え、的の外角低め部分へと命中した。

 それはこのピッチングコーナーで、星菜が初めて見せた変化球であった。

 

「スライダー?」

「一応、高速スライダーです。私のは高速と呼べる速さではありませんが」

「いやいや、106キロも出てるじゃん! あんなに曲がっているのに、真っ直ぐとほとんど変わらない速さだよ!」

 

 驚嘆に値するのは素人が見てもわかる凄まじい変化量とコントロールだが、打者がスイングするギリギリの位置で変化するキレの良さ、そしてストレートと比較した際にほとんど落差がない球速があおいをさらに驚かせた。

 

「……今日は調子が良いので、投げられる変化球を投げてみます」

 

 かつて彼女とバッテリーを組んでいたという小波大也は、球種が多すぎてサインを決めるのが大変だったと言っていた。今投げたスライダー――それもハイレベルの高速スライダーは、その内の一つなのだろう。

 そしてこれから色々な球種を使うということを、星菜は宣言してくれた。そのことにあおいは大きな好奇心と同時に畏怖を抱いた。

 

 ――この子はもしかして、ボクよりも上手いんじゃないか――と。

 

 次に投じた変化球は、左バッターボックスの背中側から緩い軌道で弧を描いた。ハエの止まるような遅いスピードだが、先程のスライダーとは比較にならないほど大きく曲がっている――スローカーブである。表示された球速は70キロしかなく、ストレートと比較した際には約40キロにまでなるその緩急差は、打者にとっては非常に対応しにくいだろう。それがストレートと全く同じ腕の振りから放たれるのだから、見分けるのは困難である。

 

「凄い……!」

 

 あおいの口から漏れた言葉は、まるで小学生のような感想だった。

 だが今は、それ以外に掛ける言葉が見つからない。オーバースローとアンダースローとで違いこそあるものの、あおいには同じ技巧派投手だからこそ泉星菜の格上の投球技術を理解出来たのだ。

 それからも星菜は、淡々と変化球を投じていった。

 

 左打者の内側へと鋭く食い込んでいく、ストレートと球速差の無い高速シュート。

 

 打者の手元で動くツーシームファストボールと、カットボール。

 

 そしてフォークボールと見間違えるほどに、縦に大きく沈むチェンジアップ。

 

 それらが全て同じ投球フォームで、同じ腕の振りから、尋常ならざるキレを持って外角低めへと吸い込まれていく。

 球速は確かに遅い。だが、彼女を見ていると球の速さに何の意味があるのかとすら思えてきた。

 

「ラス、トっ!」

 

 それから外角低めにスローカーブを一球投げた後、最後の仕上げとばかりに投じられた十五球目のボールは、外角低めの変化球ではなく内角高めへのストレートだった。

 外に遅い変化球を見せた後、内に速い球を投げる。それは投球のセオリーではあるが、セオリー故に効果は折り紙付きだ。

 的の内角高め部分へと叩き込まれたストレートの球速は、実際にはたった110キロしか出ていない。

 しかし直前に緩い変化球を見せられた為、あおいにはその球速表示がスピードガンの故障としか思えなかった。

 

(……あはは、君の言う通り、とんでもないピッチャーだよ。こんな子から偏見で野球を奪うだなんて、ボクだって殴りたくなるね)

 

 最後の一球を認めたあおいの目には、既に好奇心も畏怖もなかった。

 そこにあったのは敬意と――純粋なライバル心。あおいはこの時、泉星菜という存在をはっきりと所属野球部を脅かす強敵として認識したのである。

 

「最後の一球、もう少し内に寄せたかったな……」

「泉さん」

「あ、はい。……何でしょうか?」

 

 ちらりと電光掲示板へと目を向ける。そこには「680点!〈最高記録更新〉」という文字が点灯していた。これは今しがた彼女が叩き出した数字であり、それまであおいが所持していた最高記録の630点を大きく上回るスコアである。遠くからは、彼女の投球を眺めていた他の利用客達が盛大な拍手を送っていた。

 数字にして二人の差は50もある。コントロールには絶対の自信があったあおいが、そんな自分すらも上回っている彼女には悔しさを抱いた。

 

「負けないからね」

 

 だから、戦いたいと思う。

 試合で投げ合って、勝ちたいと思う。

 出来れば、公式戦の場で。

 自分にとって最大のライバルと呼べる存在を見付けたことが、あおいには悔しくも嬉しかった。

 

 


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