外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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その名は恋々高校

 

 彼を知り、己を知れば、百戦(あや)うからず――という格言があるように、情報は戦う為に欠かせない大きな武器である。竹ノ子高校の選手達が学校で練習している間、マネージャーである星菜とほむらは他校の情報を集める為、遠征に出掛けていた。

 今回行うのは他校の練習試合の偵察である。新チームとして本格的に始動しているのは竹ノ子高校だけではなく、全国中の高校が夏の大会に向けて調整を行っているのだ。

 この日の偵察は優勝候補の一角であるパワフル高校の練習試合が本命である。プロ注目打者の三番尾崎と四番鮫島のクリーンアップを抱える打線は強力であり、最速140キロを超える二年生エース山道(やまみち) (かける)は昨秋三試合を投げて防御率一点台を記録している好投手である。守備も固く、攻守において隙の無いチームとして期待されていた。

 

「一時半……少し、遅れましたね」

「仕方ないッスよ。あかつきと激闘第一の試合があんまりにも面白かったッスからねぇ……」

 

 そのパワフル高校の練習試合はほむらが事前に集めた情報によると、場所は大会でも使われる「山の手球場」にて時刻は十三時からプレイボールとなっているらしい。しかし現在の時刻は十三時ニ十分を過ぎており、星菜とほむらは少々遅刻してしまっていた。

 その原因は、直前に行った他校の練習試合の偵察にある。

 両者とも甲子園の常連校である「あかつき大附属高校」と「激闘第一高校」の練習試合――激闘第一は他県の高校なので分析はほどほどにしたが、同地区であるあかつき大附属の分析には一番から九番まで穴の無い打線や今季春センバツの優勝投手であるエース猪狩守の実力等、あまりにも見るべき物が多過ぎた為に予定よりも時間が掛かってしまった。

 故に、多少スケジュールが狂ってしまったのは仕方のないことだった。何事にも、物事には優先順位があるのだから。

 

 

「着いたッス」

 

 山の手球場で現在行われているパワフル高校の練習試合では、全観客席が他校にどうぞ偵察してくださいとでも言っているかのように堂々と開放されていた。それはパワフル高校側がこの試合を観られたところで、何の問題も無いと判断しているからだろうか。

 いや、あえて他校の偵察員に自校の力を見せつけたいのかもしれない。球場の観客席へと続く階段を上りながら、星菜はこの練習試合におけるパワフル高校側の意図を推理した。

 

 パワフル高校の練習試合の相手は――恋々高校である。

 

 片や優勝候補の一角であることに対して、片や公式戦に出場したことすらない無名校だ。客観的に見れば、練習試合にしても釣り合いが取れていない対戦カードだった。

 このニ校が試合をすると聞けば、誰もがパワフル高校の大勝を予想するだろう。

 

 ――だが、しかし。

 

 星菜には、試合の結果が予想出来なかった。

 恋々高校のエースは早川あおいで、捕手は小波大也――ならばこの試合、一筋縄には行かないかもしれない。パワフル高校としては恋々高校を噛ませ犬にして自信を付けたいところなのだろうが、あの二人が大人しく噛まされるとは思えなかった。

 

 そしてその懸念は、当たっていた。

 

「え?」

 

 階段を先に上りきり観客席にたどり着いたほむらが、モニタースクリーン上のスコアボードに映し出されている数字を見て驚きの声を漏らす。遅れて到着した星菜も、それを認めた瞬間目を見開いた。

 

 一回表のパワフル高校の攻撃が「無失点」で終わっており、裏の恋々高校が「二点」を先制していたのだ。

 

 恋々の攻撃は今も続いているらしく、アウトカウントはゼロ。星菜がグラウンドに目を向けると二塁ベースを踏んでいる走者の姿が映り、一塁側にある恋々高校のベンチでは先ほど帰ってきた走者と思わしき二人の選手と喜び合いながらハイタッチを交わしていた。

 

「パワフル高校が先制されたんスか……?」

「………………」

 

 強豪のパワフル高校を相手に恋々高校が先制するという予想外の状況に驚いているほむらを尻目に、星菜は再度モニタースクリーンへと目を向ける。しかし今度はスコアボードではなく、その下に書かれたニ校のスターティングメンバーを注視した。

 

 一番ライト蒔田。

 二番セカンド円谷。

 三番ショート尾崎。

 四番サード鮫島。

 五番ファースト椿本。

 六番センター生木。

 七番キャッチャー片倉。

 八番ピッチャー山道。

 九番レフト松倉。

 

 先行のパワフル高校のスタメンである。

 聞き覚えのない一年生と思わしき選手が何人か居るものの、クリーンアップと先発投手の名を見る限りはおおよそ今季のベストメンバーと言っても良いだろう。

 星菜は一旦深呼吸をした後、続いて後攻の――恋々高校のスタメンへと目を移した。

 

 一番ショート佐久間。

 二番レフト球三郎。

 三番サード奥居。

 四番キャッチャー小波。

 五番セカンド陳。

 六番ライト天王寺。

 七番ファースト小豪月。

 八番センター村雨。

 九番ピッチャー早川。

 

 ……予想していた通り、そこにはあった。

 二週間前に出会った自分と同じ女性投手の名前と――かつての恩人とも言うべき中学時代の主将の名前が。

 

「四番、キャッチャー、小波君」

 

 球場のウグイス嬢が恋々高校の四番打者の名を読み上げると、背番号「2」を付けた一人の男が打席に入っていく。

 身長はパッと見ても180センチ以上はあり、筋肉質な体つきはとてもではないが高校生の物とは思えない。今星菜が居る位置からは距離の関係上顔まではっきりとは見えないが、打席での佇まいは星菜の記憶にある人物と完全に一致していた。

 

「キャッチャー小波君って……もしかして一昨年の白鳥中のキャプテンの、「あの」小波君ッスか!?」

「はい。恋々高校に入学していたようですね」

「もしかして星菜ちゃん、知ってたんスか? 知ってたならほむらにも教えてほしかったッスぅ……」

「すみません……私も話でしか聞いたことがなかったので」

 

 彼は中学時代、あのあかつき大附属高校の監督から世代ナンバーワンキャッチャーとまで評価されていたほどの男である。やはり野球マニアであるほむらも一目で気付いたようだ。

 星菜は息を抑えながら、右打席に立つ彼の姿を見据える。

 彼は投手側の足をホームベース寄りに踏み出す「クローズドスタンス」に構えると、最上段に構えたバットを大きく揺らす。その特徴的な打撃フォームは星菜の記憶にある小波大也のものと相違なかった。

 

(……本当に、居たんだ……)

 

 二週間前早川あおいが言っていた通り、彼は恋々高校で野球を続けていた。

 名門校からの推薦が取り消されてもまだ、彼は夢を諦めていないのだろう。記憶に残っているものと変わらない独自の打撃フォームを前に、星菜はどこか心地の良い懐かしさを感じた。

 

「うおおおっ!!」

 

 主審が「プレイ!」と声を掛けた次の瞬間、マウンド上の山道翔が気迫の篭った声を上げ、セットポジションから打者への一球目を投じる。

 その球種は――ストレート。豪快な腕の振りから放たれたそれは、目測でも140キロを超えているように見えた。

 

 だが、そのボールがキャッチャーミットまで到達することはなかった。

 

 ――キィンッ!!――と、目も覚めるような甲高い金属音が響き渡る。

 初球から積極的に振り抜いた四番打者の一閃が、渾身のストレートを捉えたのである。

 白球はそのまま右方向へと押し込まれ、美しい放物線を描きながら飛翔していく。

 それは、打った瞬間それとわかる当たりだった。

 もはやパワフル高校の右翼手(ライト)は、打球を追わなかった。否、追うことが出来なかったのである。

 打球はライトスタンドの最上段へと着弾し、その行方を見届けた山道は力なく崩れ落ちた。

 

「す、すごいッス……! 逆方向なのに……」

 

 たった一振りで特大のホームランを放った男はゆっくりとダイヤモンドを一周し、二塁に置いたランナー共々ベンチへと迎えられた。

 一回裏、恋々高校の攻撃中。

 得点は0対4で、恋々高校がリード。

 この練習試合を観に来た者の、誰がこんな滑り出しになると思っただろうか。

 今回もまた、長い偵察になりそうだ。驚きながらも楽しそうにメモを取っているほむらの姿を見て、星菜はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は二週間前に遡る。

 泉星菜の投球を一目見て、早川あおいは彼女が今の自分よりも上の実力者であることを即座に見抜いた。自分の方が一年先輩だというプライドはあるが、それでも力の差は素直に認めざるを得なかったのである。

 星菜の球ははっきり言って遅い。しかし、だからと言って球速表示だけで実力を判断するあおいではない。球の遅さなど大した問題にならないほど、彼女にはあおいを魅了してやまない強力な武器を持っていたのだ。

 抜群の制球力と変化球のキレ、打者にとっての「打ちづらさ」を突き詰めた投球フォーム。それはあおいにとって、女性投手として目指した理想の投手像だったのである。

 力ではどうあっても男子には敵わない。だからこそそれ以外の武器で男子を圧倒しようという思いが込められた彼女の投球スタイルには、同じ女性投手として感じるものがあまりにも多かった。

 彼女ならきっと、高校野球に革命を起こせるかもしれない――そんな大それた希望を見出している自分に、あおいは気付いていた。

 

『負けないからね』

 

 だからこその、ライバル宣言である。

 彼女はあおい達女性野球選手の希望だ。あおいはいつかそんな彼女と公式戦の舞台で投げ合い、そして勝ちたいと思った。

 そんなあおいの意思に気付いてかどうかはわからないが、彼女はその言葉を聞いた際、困ったように笑った。

 

『負けないって……何にですか?』

 

 しかし口元は笑っても、目は笑っていない。

 彼女の――星菜が見せた反応は、あおいが望んでいたものとはあまりにもかけ離れたものだった。

 

『こんな的当てだけで、投手の優劣は決められませんよ。しかし優劣を決めるには、どうすれば良いのでしょうか……』

 

 今にも泣き出しそうな悲しい目をしている癖に、強がって、無理に笑おうとしている――あおいにはその時の星菜が何を思い、何を感じているのかが痛いほどわかった。

 何度も周りから邪魔されて、何もかもが嫌になっていた一年前までの自分と、彼女は同じ目をしていたのだ。

 

 ライバルとして認識してくれるのは嬉しいが、女性選手である自分達には決着をつける場所が無い――彼女が考えていることは、そんなところだろうか。

 

 もしかしたら彼女は、野球部にすら入っていないのではないか。脳裏でかつての自分の姿と重ね合わせながら、あおいは今一度質問を行った。

 

『……君、その制服は竹ノ子高校だよね?』

『え? はい、そうですが……』

『野球部に入ってるの?』

『……いえ。今は野球部のマネージャーをやっています』

 

 思った通り――今の彼女は自分自身がマウンドに上がろうとは考えていないようだ。

 これは想像以上に、自分と似ているのかもしれない。

 

 ――これほどの実力を持った選手が、本当に自分がやりたいことも出来ないで居る。

 

 内心で、深い溜め息をつく。もし彼女が野球をすること自体が嫌になったと言うのなら、あおいはそれもまた仕方がないとして諦めるしかなかった。しかし彼女の態度を見ればマネージャーよりも選手になりたかったという思いは、口で語らずともすぐに察することが出来た。

 ピッチングコーナーで投球をしている時の彼女は、それまで纏っていた儚さが嘘のように活き活きとしていたからだ。

 

『……よし、わかった』

 

 マネージャーで満足しているのか?

 自分が試合に出たいとは思わないのか?

 マウンドに戻って、甲子園を目指してみたくはないのか?

 彼女に問いたいことは数多くある。しかし、それらのことを思うがままに問うだけでは彼女の心をいたずらに傷付けるだけだということを、あおいは他の誰よりも理解していた。

 かつての自分がそうだったという経験から、あおいは決して多くのことを問わなかった。

 だが一つだけ、彼女には「頼みたいこと」があった。

 

『再来週の土曜日、山の手球場でボク達恋々とパワフル高校が練習試合をするんだ』

『――?』

『そこでお願いなんだけど、その試合を見に来てくれないかな? マネージャーなら、パワフルの偵察に行くとか理由を付けてさ』

 

 約二週間後に行われる恋々高校対パワフル高校の練習試合には、あおいも登板する予定だ。そこで彼女には、是非ともその投球を見て貰いたいと思った。

 女性投手が優勝候補のチームの打線を抑える姿を見せれば、少しは勇気付けられるのではないか。

 そうでなくても自分が投げている姿を少しでも羨ましいと感じさせれば、彼女に選手復帰を促すことが出来るのではないか――そんな打算があおいにはあった。

 幸いにも彼女の高校は竹ノ子高校で――あおいとはシニア時代に面識のある波輪風郎が主将を務めているチームである。彼は女性選手に対しても珍しく寛容な男だった。自分が小波に頼ったように彼女も彼に頼れば、部内でもそう居心地が悪くなることはない筈だ。

 

 

 

 

(……要らないお節介かもしれない。君と投げ合いたいっていうのも、完全にボクの我が儘だ。だけど……)

 

 時は現在へと戻る。

 パワフル高校先発の山道から早くも四点を先制した恋々高校が二回表の守備につき、恋々高校先発のあおいがマウンド上にて投球練習を始める。

 何球か投じて持ち球のキレが初回と変わらないことを確認すると、あおいはチラッと見える範囲で観客席へと目を向けた。

 場所は三塁側、座席はやや手前寄り――全体の客入りが少ない為、目当ての人物はすぐに見つかった。

 竹ノ子高校のもう一人のマネージャーと思わしき少女と共に、約二週間前出会った彼女はメモ帳を片手にこちらを眺めていた。

 

「君はそのままじゃいつか絶対、後悔すると思うんだ……」

 

 今だからこそ、あおいには言える。一年前、野球を諦めなくて良かったと。

 仲間に恵まれた今のあおいは充実しており、精神的にもかつてないほどに安定していた。

 だから彼女にも、ここで野球をすることを諦めてほしくなかった。

 

「ラスト一球!」

 

 キャッチャーから掛けられたその声に、あおいは力強く頷く。

 そしてアンダースローから投じた投球練習最後の一球を、球場を訪れた一人の観客に見せつけるように外角低め(アウトロー)へと決めた。

 その球種は、ストレート。センター後方にあるモニタースクリーンに表示された球速表示は、115km/hだった――。

 

 


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