外角低め 115km/hのストレート【完結】 作:GT(EW版)
パワフル高校を目当てに来た筈の観客達は、試合が終わる頃には誰もが当初の目的を忘れていた。
試合は九回の表まで進むとパワフル高校の攻撃が終了した時点でゲームセットが告げられ、裏の回に恋々高校が攻撃することはなかったのである。
目の前に広がっている光景に対し、パワフル高校の監督は口をポカンと開けて「信じられない」とでも言いたげな表情を浮かべていた。
最初から一筋縄には行かないと思っていた星菜にとっても、試合の結果はあまりにも予想外なものだった。
――11対3――恋々高校の勝利――。
モニタースクリーンに映し出されたスコアボードを何度も見つめ、星菜はその度に息を呑む。
相手にリードを許すことは一度もなく、先制、中押し、ダメ押しと次々に得点を重ねていった完璧な勝利を見れば、それがまぐれの結果だとは誰も思わないだろう。
打っては四番小波が二本の特大ホームランを放ち、三番奥居と五番陳がそれぞれ三安打三打点の大暴れである。投げては先発の女性投手早川が七回を一失点に抑え、八回よりサードからクローザーとして登板した奥居はパワフル高校の四番鮫島にツーランホームランを浴びたものの、最速142キロものストレートを武器に最後まで大量リードを守り抜いてみせた。
それは間違いなく、パワフル高校ではなく恋々高校の実力を見せつけられた試合だった。星菜の隣に座っていたほむらもまた、観戦中は終始興奮しっ放しだったものである。
仮にこの試合が出来すぎの物だったとしても、恋々高校の実力は今までノーマークだったことが考えられない強さである。特に奥居、小波、陳のクリーンアップは、プロ注目打者を二人も有するパワフル高校のクリーンアップが霞むほどの大活躍を見せつけてくれた。この三人のスイングスピードは目に見えて他の選手のそれを凌駕しており、今回の活躍が偶然の物とは思えない。昨秋防御率一点台を記録した山道翔を三人揃って打ち崩していることもまた、こちらが受けるインパクトをより大きくしていた。
「恋々高校……あれは強敵ッスよ」
「警戒する必要はありますね」
試合終了と同時に星菜とほむらは球場を立ち去り、今は直近のバス停に向かって歩いているところだ。道中の話題は尽きない。恋々高校という思わぬ強敵の出現は、いかに優秀なマネージャーであるほむらと言えども全く予想していなかったようだ。
(早川あおい、か……)
クリーンアップの活躍ぶりにも驚いたが、星菜が最も驚いたのは恋々高校の先発投手早川あおいが見せた投球である。ストライクゾーンの四隅を丁寧に突く精密なコントロールを武器にランナーの居ない状況では打たせて取る投球で、逆にランナーを置いた場面では変化量が大きいシンカーやカーブを混ぜて三振の山を築いていた。
これはバッティングセンターで会った時も感じたことだが、その投球スタイルには星菜の心の中に引っ掛かる物があった。
決して球速があるわけではないが、緩急とコントロール、変化球のキレで打者を幻惑し自分のスイングをさせない投球は、かつて選手だった頃の星菜と酷似していた。
柔能く剛を制すということわざをまさに体現した投球に、星菜は親近感を抱いていたのである。
(……やっぱり、140キロなんて要らないんだな)
女性投手であることを含めて自分と似たタイプであるあおいが、夏の優勝候補の一角であるパワフル高校の打線を相手に堂々たる投球を見せたことに対して、星菜は自分事のように喜びを感じていた。
しかし、同時にこんなことを考えてしまった。
――私でも、あの打線を抑えることが出来るだろうか――と。
勝負したいと思った。
投げたいと思った。
それはあおいの投球に触発されての、実に子供じみた対抗意識であった。
趣味としてではなく、選手として野球をしたいと――あおいの見せた投球が諦めた筈の感情を刺激し、星菜の内なる「迷い」を強くしていた。
自分のせいで名門校からの推薦を取り消された小波大也が新天地で野球を続けていたという安心もまた、その思いを後押ししている。
これでは、いつかの紅白戦の時と同じである。星菜はその時と同じように、またしても胸が苦しくなった。
(……決めたのに……選んだ筈なのに……どうしてこうも……っ!)
女性投手同士共通点の多い泉星菜と早川あおいだが、二人の間には決定的に違うものがあった。
それは、それぞれの視線の先である。
いつまでも過去に縛られ続けている星菜と、今現在の自分に正直で在り続けているあおい――それこそが二人の、諦めた者と諦めなかった者の違いだった。
(早川さんは強いよ……)
投手としては似ていても、人間としてはまるで正反対だ。
星菜の心は彼女のように、強くは在れなかった――。
星菜がその「迷い」に悩まされている間にも、時間の流れは止まることなく動いていく。
順調に日付が変わっていき、もうじきに五月を迎えようとしている。その間に星菜の身の周りで起こった変化と言えば、奥居亜美以外にもクラスで気楽に話せる友人が何人か出来たことと――
「むう……」
「うわぁ……今日もあるね」
星菜が朝登校する時、不定期的に下駄箱の中に手紙を入れられるようになったことだろうか。
可愛らしいハート型のシールで封をされているそれは、俗に言うラブレターという手紙である。そんな物は漫画や小説の中にしか無い空想上の産物だと思っていたが、この学校の男子生徒達は中々にユニークな発想をしているようだ。
本日分のそれを手に取った星菜は、同じ場に居合わせた亜美に対して常々思っていた疑問を口にした。
「一体、私のどこに魅力があるのでしょうか?」
「うーん……見た目と性格、かなぁ?」
「亜美さん達が思っているほど、私は良い子ではないのですが……」
「でも、女の子もみんな星菜ちゃんのこと尊敬してるよ? 美人だし、勉強もスポーツも出来るし、おしとやかで優しいもん」
「そんな風に見えるのですか……」
自分が女として高い評価をされていることは光栄に思うが、それは学校内での星菜が周囲に対して外行きの態度を徹底し、素の自分を隠し通している結果である。学校内での星菜は、周りから嫌われぬようにとおしとやかな自分を演じているに過ぎないのだ。
そんな嘘つきな自分が人様から恋愛感情を向けられるのは、相手を騙しているようで申し訳ない気分だった。
「手紙ではすぐに謝ることが出来ないですね……直接会いに来れば良いのに」
「あはは……」
思わず、深い溜め息が漏れた。亜美ら友人達はこの下駄箱の光景を羨ましがるが、生憎今の星菜にとっては悩みの種でしかなかった。
中学時代と比べて、星菜の高校生活はあまりにも順調に行っていた。
教師や生徒からの期待に全て応えてみせる姿は、他者から見れば完璧な優等生にしか見えない。
しかし、星菜自身は今の自分に大きな不安を感じていた。
――本当に、このままで良いのかと――。
アーム式のバッティングマシンから放たれた130キロものストレートを、星菜はコンパクトなレベルスイングで打ち返していく。
星菜の打撃スタイルは実にシンプルである。マニュアル通りの面白みのない打撃フォームから、最短距離でバットを振り抜くのみ。故に目立った特徴は無いが、それこそが星菜の特徴とも言えた。
恋々高校とパワフル高校の練習試合を観てから、部活後の星菜は頻繁にバッティングセンターに通うようになった。それはやはりストレスの解消が目的であり、バットを振っている時やボールを投げている時だけは嘘偽りの無い本当の自分で居られるからである。
何事においても、結局は野球から離れられないで居る。そんな自分にもいつかは決着をつけなければならないとは思うが、今の星菜にはその勇気が足りなかった。
(……選手に戻ったって、公式戦には出られない。部員の皆に、迷惑を掛ける……)
かつて何もかもが嫌になって、その苦しみから逃れるように野球部を辞めた。そんな自分が今更選手に戻ったとしても、同じ過ちを繰り返すだけだ。星菜はそう思ったからこそ、高校では選手にならなかったのである。
この「迷い」も、いい加減に断ち切らなければならない。
泉星菜は竹ノ子高校野球部のマネージャーであり、それ以上でもそれ以下でもないのだから。
マネージャーにはマネージャーとして求められている役割があり、今のところは選手達もマネージャーとしての自分を受け入れてくれている。対して半端に実力のある女性投手など、居ても扱いに困るだけだろう。
――それに、何よりも。
(……同じ場所に立ったって、もうアイツと同じ物は見れない……だから、もういいんだ……)
ゴツン――と、ラスト三十球目のボールを捉えたバットから鈍い金属音が響く。打球は完全に死んでおり、ボテボテのピッチャーゴロだ。ミート能力には些か自信のある星菜だが、筋肉の少ない細腕故に少しでもバットの芯を外してしまうとこのように初心者並みの打球になってしまうという欠点がある。
「ううっ、痛い……」
そのような打球を打てば、当然バットのグリップを持つ両手には気持ちの悪い感触が返ってくる。バッティンググローブでも着けていればその手応えもある程度は緩和出来たのだろうが、生憎にもこの時は素手で行っていた為バットの痺れがモロに襲いかかってきた。
(……本当に、何をやってるんだろうな……)
バットを所定の位置に置いた後、星菜は両手を押さえながらその打席から離れた。
余計なことばかり考えているからあのような情けない打球を飛ばしてしまうのだと、星菜は心の中で猛省する。雑念だらけで打席に立つこと自体が間違っているのだとは理解しているが、性懲りも無く何度も同じ失敗をしてしまう。間違いだとわかっていても、それでも野球以外のことでストレスを解消する術を知らないのが泉星菜という人間だった。
そんな女性失格者が異性からそれなりに人気があるのだと言うのだから、星菜には解せなかった。
(こんな女の子、私が男だったら嫌だけどなぁ……)
星菜は自分が周りから尊敬されるような女性だとは、思っていない。
野球部を退部して以降、外ではなるべく女らしく振舞っているつもりだが、それでも今こうしてバッティングセンターに居るように、簡単にボロが出てしまう。
野球選手としても、女性としても中途半端なのだ。
高校三年間はずっとこんな感じなのだろうなと、星菜はそれをどこか他人事のように考えていた。
「……野球にしか熱中出来ない女の子なんて、普通は誰も受け入れてくれない……」
「なら、君はどうしてここに居るの?」
一人そう独語した諦めの言葉に、自分以外の者から指摘の声が入った。
それは全くの予想外だが、今の星菜が最も聴きたかった人物の声だった。
「――ッ、は、早川さん!」
「やあ、三週間ぶりぐらいだね!」
「……こんばんは」
「うん、こんばんは。ここに来れば、また会えると思ってたよ」
緑色の髪に、意志の強そうな大きな目。
星菜が声の聴こえた方向へと振り向くと、予想通りそこには早川あおいの姿があった。
今の星菜には、彼女と話したいことがたくさんあった。
先日の練習試合のことや彼女自身のこと、そして自分自身のことを。
近い立場である彼女と話をすることで、今は少しでも前に進める気がしたから――。