外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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野球マニア

 

 入学二日目は、元来人付き合いの苦手な星菜としては上々の滑り出しだった。

 奥居亜美、そして川星ほむら。話の合いそうな二人の友人が出来たのは、今後の高校生活においてプラスに働くことだろう。

 友人が二人とも野球好きである点は、中学時代の友人と共通点している。

 やはり野球部を辞めても、結局自分は野球から離れることは出来ないらしい。土の着いた白球を握りながら、星菜はなんだかなと苦笑を浮かべた。

 

 

 川星ほむらとの十五分に及ぶ語らいの後、竹ノ子高校の校舎を後にした星菜はバス停で亜美と別れ、そのまま自宅へと帰った。

 星菜の自宅は、山道を下った先の市街地にある一軒家である。家族には両親と弟がおり、裕福か貧窮かと聞かれれば間違いなく裕福な家庭で、庭においてはキャッチボールをするには十分な広さがあった。

 その自宅に帰るなり星菜は鞄を置くと、制服のままグラブを持って庭に出た。

 帰宅からシャワーを浴びる前に、何球かボールを投げなければ落ち着かない。それは小学時代から染み付いてしまった星菜の習慣であった。

 

(未練がましいところは本当に男らしくない。それは女として喜ぶところなんだろうか……)

 

 振りかぶり、右脚を上げ、一気に振り下ろす。

 ワインドアップのオーバースローから放たれた一投は美しい軌道を描き、グリーンのネットに突き刺さる。

 キャッチボールをする時は弟を相手に投げるのだが、このような投球練習をする時は無機物であるネットを相手に投げている。まだ小学四年生の弟はリトルリーグに所属してこそいるが、今は100キロ以上の球を受けるのは危険だと思ったからだ。

 無論、あと一年も経てば涼しい顔で取れるようになるのだろうが、今は時期尚早だ。

 いつかは弟と勝負もしてみたいな――と思いながら、星菜は二投目を投じた。

 

「速ぇ……!」

「あ、白だ」

 

 ふとその時、横合いから声が聴こえた。その方向――この庭の直近にあるベランダに目を向けると、そこには十歳ぐらいの二人の少年の姿があった。

 内一人は泉 海斗(いずみ かいと)。星菜の弟だった。

 

「海斗、帰ってたんだ。お友達もこんにちは」

「こ、こんにちは!」

「姉ちゃん、部屋にあるゲーム、使っていい?」

「どうぞご自由に。でも喧嘩しないでよ?」

「わかってるよ!」

 

 どうやら弟は友達を連れてきたらしい。星菜と違って人付き合いの上手い彼はこうやってよく家に友達を招くが、今日の友達は見ない顔だ。また新しく作ってきたのかとその手腕に感銘を受けた。

 しかし部屋にあるゲームと言えば、友情破壊ゲームと有名なあの鉄道ゲームしか思い浮かばない。そのチョイスには少し疑問が浮かぶが、弟ならきっと大丈夫だろう。

 

「お友達も、この子と仲良くやってね」

「ハイ! さあ海斗クン! 僕と仲良くやろう!」

「やめろよ気持ち悪い……じゃあ俺達、二階に居るからね」

「わかった」

 

 小さい頃の縁は、将来も大切なものになる。星菜とてたかだか十五歳の身だが、「前世」の記憶からそのことが身に染みていた。

 だからこそ、弟にはそれを大事にしてもらいたい。そう思いながら、星菜は三投目のストレートを外角低め(アウトロー)に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やらないかッス」

 

 翌日の昼休み。

 一年一組の教室に、二年生である川星ほむらが訪れた。

 やらないか――「やらないか?」ではなく「やらないか」と言うのがポイントである。その言葉は答えを訊いているのではなく、ほとんど強制しているようなものなのだ。

 

「野球部のマネージャー、一緒にやらないかッス」

 

 目的語と修飾語が抜けていたところを訂正すると、ほむらが再度言った。

 この日は朝からこんな感じである。休み時間の度にクラスに押しかけては星菜にマネージャー入りを打診し、断られても何度もめげずに立ち向かってくる。

 それをしつこいとは思わない。星菜自身優柔不断なところがあり、断り方が実に曖昧だったからだ。

 

(どうしよう……)

 

 星菜は彼女の申し出に対し、迷っていたのである。中学で野球部を辞めて以降、彼女は女らしく生きることに決め、徐々に野球から縁を切ろうと考えていた。しかしその決意も実際のところはブレブレで、これは趣味の範囲だと自分に言い訳しては昨日のように野球の練習を欠かすことはなかった。

 そこに、ほむらから来たマネージャー入りの打診である。話によると去年までは彼女一人で仕事をこなせていたのだが、今年になって新入部員が多く入った為、一人でこなすことが難しくなったのだと言う。

 昨日星菜を見つけた瞬間彼女の中で何かがビビッと来たらしく、今朝から熱烈なラブコールを受けている次第であった。

 

「頼むッス! この通りッス! 同じ野球マニアじゃないッスかぁ~」

 

 懇願の瞳は先輩らしからぬ捨てられた子犬のようで、非常に断り難い。その様子を見て、亜美他周りのクラスメイト達は同情的な視線を彼女に向けていた。

 

「……わかりました。見学はさせてもらいます」

「本当ッスか!? やった! ありがとうッス!」

 

 星菜もまた、何も悪いことをしていない彼女に頭を下げられるのは酷く罪悪感があった。

 マネージャーの仕事自体、決して興味が無いわけではない。野球は今でも好きだし、彼女の言う通り自分が野球マニアであることも否定出来なかった。

 野球部を見ることで自分の中にある「迷い」が強くなることは怖いが、見学するぐらいなら大丈夫だろう。

 その返答にほむらが大喜びすると、交渉の行方を見守っていたクラスメイト達と熱いハイタッチを交わした。いつの間に仲良くなっていたのだと星菜が軽く驚愕していると、彼女の元に一人の男が近づいてきた。

 

「大丈夫なのか?」

 

 隣の亜美が彼の接近に驚くと、すぐに納得の表情を浮かべる。一体何を納得したのかは知らないが、星菜は彼の顔を見上げるとその言葉に返した。

 

「何が?」

「何がって、それは君が……まあ、大丈夫なら良いさ」

「そろそろ授業始まるよ。席に着いた方が良いんじゃない」

「ああそう、わかったよ委員長」

 

 彼――鈴姫健太郎は腑に落ちない表情を浮かべながら自らの座席に戻っていく。

 星菜はその後ろ姿を見送ると、視線を外し、外の校庭へと向けた。

 

「本当に、大丈夫だって」

 

 彼に聴こえない声で、独り言のように呟く。

 そして程なくして、五時間目の授業が始まるチャイムが鳴り響いた。

 

「起立」

 

 昨日のHRで担任から学級委員に任命された星菜が号令を掛けると、午後の鬱々しい授業が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 波輪(はわ) 風郎(ふうろう)が竹ノ子高校に入学した理由は、二つある。

 一つは、頭が悪かったからだ。その頭の悪さと言えば赤点ギリギリの学力を差してもいるが、それ以上に際立っているのは名門海東学院高校への入学願書を返却されたテストのプリントと一緒に間違ってシュレッダーに掛けてしまったほどのアホ具合である。願書は再発行してもらうことも出来たのだが、元々海東への入学は乗り気でなかった為、本人の中では入学をやめる良い機会だったと思っている。

 それとは二つ目の理由、自分の力で名門校のライバル達を倒したかったからという目標も絡み合い、学力との兼ね合いもあって彼はこの竹ノ子高校に入学したのである。

 何とも無茶苦茶な、とは誰もが思うだろう。だがそんな漫画のような野球人生を送ることが、彼の幼い頃からの夢だったのだ。

 

 竹ノ子高校に入学してからは色々あった。

 野球部に部員がおらず、廃部寸前の状態だったり。

 野球マニアのマネージャー、川星ほむらと出会ったり。

 唯一の入部希望者である矢部(やべ) 明雄(あきお)と共に校内を駆け回り、他の部から野球経験者の一年生を引き抜いてきたり。

 その過程で、池ノ川(いけのがわ) 貴宏(たかひろ)ら気の置けない仲間と出会ったり。

 あかつき大附属高校の偵察では中学時代のライバル、猪狩(いかり) (まもる)と再会したりもした。

 ようやく試合が可能な人数を集めた頃には、夏の大会には間に合わなかった。しかし秋の大会には無事に間に合い、初めて試合が出来た時は深い感慨を味わったものだ。

 初の公式戦は惜しくも三回戦で敗退したが、それでも手応えは十分にある。今年の大会では必ずや名門校を倒し、甲子園への切符を掴んでみせる――と波輪は意気込んでいた。

 

「さあ練習だ! 練習に行こうぜ!」

 

 スーパールーキー鈴姫の加入もまた、その気力を後押ししている。今年になってさらに闘志が増したキャプテンを周囲は少々困り顔で見ていたが、波輪からは慣れてくれとしか言えない。

 燃える闘魂! 燻らない情熱! それこそが波輪風郎十六歳のアイデンティティなのだから。

 

「大変でやんすー!」

 

 その時だった。

 更衣室で練習着に着替えていた波輪ら野球部員達に向かって、慌てた形相で一人の少年が駆け寄ってきた。

 牛乳瓶の蓋のような丸眼鏡が特徴的な男――本人いわく知的な眼鏡が光る男らしいが、そんなことはないと誰もが思う少年――矢部明雄である。

 彼は頻繁に慌ただしく話題を持ち込んでくるのだが、大抵はくだらない話なのでこの時も波輪達は皆「ああ、またいつものアレか」と呆れ顔を浮かべていた。

 しかし次に彼が放った言葉に、その余裕は断ち切られた。

 

「新しいマネージャーが入ってくるでやんす! 女の子でやんす!」

 

 「なにィッ!?」と、一同が意表を突かれた悪役のような声を上げる。その中には自分の声も入っているんだろうなと思いながら、波輪はその話の詳細を求めた。

 

 

 

 

 

 放課後――鬱々しい授業が終わり、部活動の時間となった竹ノ子高校野球部員達の前に現れたのは、彼らの予想を上回るルックスの持ち主だった。

 肩先まで下ろされた癖のない黒髪に、整った長い睫毛。筋の通った鼻先に、パッチリと開いた瞳は澄んだ栗色を帯びている。肌の色は健康的ながらも白く、端正整った輪郭は触れればかすれてしまいそうな線の細い少女。

 川星ほむらが「美しい」というよりも「可愛らしい」という表現が似合う親しみやすい小動物系美少女だとすれば、こちらは何よりも先に「美しい」という表現が先に来る、どことなく幻想的な儚さを持ったお姫様系美少女という印象を受ける。

 品定めをしているわけではないのだが、波輪が抱いたその第一印象はこの場に居る全員と共通しているようだった。言葉は無いが一同の目は明らかに彼女に見とれており、矢部に至っては喜びの余りハッスルダンスを踊っていた。

 

「紹介するッス! 一年一組の泉 星菜ちゃんッス!」

「……泉 星菜です。この度はマネージャーの活動を見学させていただきありがとうございます」

 

 彼女を引っ張ってきたと思われるジャージ姿のほむらが満面の笑みで彼女を紹介すると、本人が後に続く。160センチ程度の身長は女子にしては高い方で、色々小さいほむらと並ぶとどちらが先輩なのかわからなかった。もちろん本人に直接言うのは恐ろしいので、波輪は思うだけにしたが。

 

「本入部はまだ決めていませんが……もし入部することがあれば、その時はよろしくお願いします」

 

 野球部員達の反応を気にしているのか、星菜と紹介された少女は少し不安そうなトーンで挨拶をする。

 

 そして、数拍の沈黙がこの場を支配した。

 

 それはきっと、皆が彼女の存在を拒絶しているからではない。おそらく一同の脳内がこの状況を整理するまでに時間が掛かっているのだ。

 波輪もまたその例に漏れず、現在頭の中では「ロード中……メモリーカードを外したり、電源を切らないでください」という謎の警告が繰り返し流れていた。

 そして状況の整理が完了した瞬間、歓喜の嵐が起こった。

 

「そうか、そうきたか」

「マジですか! フハハ!」

「お! 美少女ゥー!」

「我が選んだ道に、悔いはなし!」

「やんす! やんすッ! やんすウウゥゥゥッッ!!」

 

 お前ら本入部は決めてないって言葉が聴こえなかったのか? と言いたかったが、それも憚られるほどの部員達の興奮ぶりであった。

 彼女の方はと言うと、やはりそんな彼らの反応に若干引いている様子だった。マネージャーになるのならいつかは彼らの愉快さを目の当たりにすることになるのだろうが、初対面からこうも飛ばされては悪印象を抱かれかねない。そう思った波輪は、部の代表としてフォローすることにした。

 

「ま、まあこういう面白い奴らだから、不安がらなくて大丈夫だよ。わからないことはほむらちゃんに聞けばいいから」

「……はい」

「ああそうだ。一応、監督には言ってきたか?」

「ほむらから伝えたッス」

「流石」

 

 ほむらいわく、野球部のマネージャーは希望者が多いらしい。

 しかし、その誰もが現マネージャーであるほむらに入部を断られていた。波輪が何故断ったのかと訊けば、「波輪君目当てで入部してくるような素人に、この座は譲れるか!ッス」という言葉が返ってきたものだ。それは要するに、野球に詳しくない者にマネージャーをやらせたくないという意味なのだろう。ほむらがマネージャーという仕事に対してプロ意識にも勝る感情を持っていることを、野球部員達は知っていた。

 そんなほむらが自分から連れてきたのだから、この泉星菜という少女もまた彼女のお眼鏡に叶う人材(野球マニア)だということか――。

 見た目はお姫様のような女の子だが、人は見かけには寄らないものだと波輪はつくづく思った。

 

「正式にマネージャーになるかは見学してから決めれば良いけど、俺達としてもマネージャーが増えるのは本当に助かるよ。みんなこれでも良い奴らだから、よろしくな」

「こちらこそ、お願いします」

 

 彼女を安心させる為の優しいつもりの笑みを浮かべた後、波輪は部員達に練習の開始を煽った。

 六月下旬からは夏の大会が控えている。今は何よりも、練習あるのみだ。

 


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