外角低め 115km/hのストレート【完結】 作:GT(EW版)
二回裏の竹ノ子高校の攻撃は、何とも煮え切らないものだった。
まずはこの回先頭の六番池ノ川が制球の定まらない奥居の高めに抜けたカーブを叩き、見事左中間を破るツーベースヒットを放った。先頭打者が出塁しノーアウト二塁。簡単に得点の好機を作った状況は先ほどの恋々高校と同じだったが、その後に続く攻撃があまりにも正反対だったのである。
七番小島が、初球を打ち上げピッチャーフライに倒れる。ここは恋々高校の五番陳のように最低限走者を進塁させる打撃をしなければならない場面だったのだが、あろうことか初球のボール球を打ち上げてしまったのだ。
(野球脳が無いなぁ……)
彼とてフライを打ち上げたくて打ち上げたわけではないのだろうが、せめてもう少し頭を使って打席に入ってほしかったものである。
星菜は呆れながらそんなことを考える自分を、我ながら何様かとは思う。しかしこの時の星菜は、さながら球場で野次を飛ばす観客のような心理状態だった。
「ストライク! バッターアウト!」
「くそっ……」
そして少し目を離した隙に、また一つとアウトカウントが増えていく。ワンアウト二塁と続くチャンスに八番の義村が低めに外れたカーブを空振りし、呆気なく三球三振に倒れたのである。
(……ここは闇雲に振り回す場面じゃないでしょうに。完全に先輩のリードに遊ばれたな)
ノーアウト二塁から、あっという間にツーアウト二塁に変わってしまった。既に恋々高校のバッテリーは、下位打線になってからこちらの打者のレベルが急激に落ちたことに気付いているだろう。以降奥居は余計な遊び球を一切使うことなく、多少甘く入っても打たれないだろうと踏んでアバウトな制球ながらも堂々と投げ込んできた。
「ストライク、アウトッ!」
「え? 入ってた?」
ラストバッターである九番の石田は奥居の140キロ前後に及ぶストレートを前に手も足も出ず、最後はゾーンの外側から入ってきたカーブを見逃し、あえなく三振に切られた。
結局この回の竹ノ子高校の攻撃はノーアウトで出した二塁走者を本塁に返すどころか、進塁すらさせられないままスリーアウトになったのだ。
「……ったく、せっかく俺様が打ったツーベースが無駄になっちまったな」
「池ノ川先輩、グラブをどうぞ」
「おう、わざわざサンキューな」
塁上から駆け足でベンチへと戻ってきた池ノ川が下位打線の雑な攻撃に対し小声でぼやいていたが、彼もまた星菜と同じようなことを考えているのであろう。やれやれと言わんばかりの呆れ顔を浮かべていた。
(……チームとしては、まだまだ弱いか)
池ノ川のような気の強い男がそのことを声を大にして言わないのは、彼ら下位打線の弱さが今に始まったことではないからであろう。もちろん課題を放ったらかしにしたままには出来ないが、こればかりは選手層の薄い竹ノ子高校野球部の中では致し方ない問題だった。
(私なら、あのランナーを返せたのだろうか……)
故に星菜には、そう思わずには居られなかった。
なまじ中途半端な自信があるだけに、歯痒くて仕方が無い。
彼らが不甲斐なければ不甲斐ないほど、その思いは強まっていくのだ。
試合に出たくとも自分にはその資格が無いと考えている一方で――それでも星菜は、この試合に出たがっている自分に気付いていた。
いつものことながら矛盾してばかりだと、星菜はまるで一貫性の無い己の気持ちを自嘲した。
イニングが替わり、三回の表。竹ノ子高校が守備を行う時間は、非常に短かった。
唸る波輪風郎の剛速球は恋々高校の下位打線を相手に尚も冴え渡り、八番の村雨、九番の茂武と続けざまに連続三振を奪う。
一巡して打席が回ってきた一番の佐久間を相手にも、竹ノ子高校のエースはバッティングらしいバッティングを一切許さなかった。
「ナイスショート!」
打者佐久間がバットに当てただけの力無い打球をショートの鈴姫が軽快に捌き、危なげなく一塁へ送ってスリーアウトとなる。前のイニングは犠牲フライによって失点してしまった波輪だが、たったそれだけのことで投球が崩れる心配など皆無だと、星菜達を安心させてくれる投球だった。
三回裏の竹ノ子高校の攻撃は、一番矢部の二打席目から始まる。彼から三番の鈴姫までの間に一人でも塁に出れば四番の波輪へと打席が回る為、このイニングは得点の好機であった。
「ストライク!」
140キロとモニターに表示されたストレートが、気持ちの良い音を立ててストライクゾーンの外角に決まる。先の回でこちらの下位打線を相手にしたことで自信がついたのか、投手の奥居は球速表示こそ変わらないが初回よりも腕の振りに勢いがあり、依然アバウトながらも制球が安定し始めていた。
(だからさっきの回に点を取っておきたかったのに……)
制球さえ多少まとまれば、奥居は元々威力のあるボールを投げれるのだ。鈴姫や波輪を除けば、非力な自軍の打者陣が彼の速球を捉えるのは難しいだろう。
冷静な心の中で失礼にもそう思った星菜であるが、残念ながらその分析は当たっていた。
「しまったでやんす!」
奥居の力のある投球を前にツーストライクへと追い込まれた矢部が、高めに外れたボール球に手を出し、あえなくセカンドフライに倒れる。
奥居は回の先頭を切ったことでさらに勢い付いたのか、続く二番六道の打席ではこの試合で初めて落ちる球――フォークボールを投げ、六道から空振りの三振を奪った。
「おっしゃあ!」
バシッ!と右手でグラブを叩き、奥居が雄叫びを上げる。波輪と比べればストレートの速さもフォークの落差も見劣りするが、それでも無名校で背番号5を付けているとは思えないほどに優秀な投手であった。
個人的には彼のような技巧の無い力任せな投球はまさしく嫌悪の対象であったが、それだけで投手自身の実力を見誤るほど星菜は盲目的ではない。
しかしその一方で、彼が優秀な投手で居られるのは精々が地区大会レベルまでだとも思っていた。
《三番、ショート――鈴姫君》
鈴姫健太郎――彼ら全国レベルの好打者からしてみれば、奥居の速球もまた凡百あるそれと大差ないだろう。
随分と遠くへ行ってしまったものだと、星菜は左打席に立つ元ライバルの背中を眺めた。
その打席の決着は、一瞬でついた。
鈴姫は初球――外角低めに決まった140キロのストレートを逆らわずに打ち返すと、鮮やかにレフト前へと運んでいった。
決してコースが甘かったわけではない為、奥居の投球を責めることは出来ない。星菜をしても脱帽し、打った鈴姫を褒めるしかない打席だった。
「あの球を打ち返すか!」
「すげぇなアイツ……」
彼の打撃を目の前に、チームメイトの誰かが呟く。
真に恐ろしいのは彼はまだ入学してから一ヶ月程度しか経っていない一年生部員だということだ。中学時代は軟式の野球部に所属していた彼にとって高校野球は扱うボールから何まで全く異なる環境の筈なのだが、彼はここまで一切戸惑うことなく誰にも文句を言わせない活躍を見せている。
「入学して初めての試合なのに……」
「キャプテンにも言えるけど、才能がある奴はやっぱ違うよなぁ」
「ああ、俺達とは住む世界が違うよ」
天才――彼の適応力の高さ、野球センスの高さを見れば誰もがその二文字を思い浮かべるだろう。
才能に恵まれた、自分達とは違う世界の生き物――竹ノ子高校の補欠部員達が彼のことをそう認識するのは、至極当然の話だった。
(……アイツは、そんなんじゃない)
リトル時代の彼はチームで下から数えた方が早い実力しかなく、三年間補欠だったことを知れば、ここに居る連中は驚くだろうか。それとも、誰も信じないだろうか。
このベンチに居る者は高校からの彼しか知らない為に誤解しているようだが、昔の彼のことを知っている星菜からしてみれば、鈴姫が彼らの言うような特別な人間だとは思えなかった。
彼はただ、人よりも頑張り屋だっただけだ。
(……アイツは昔から覚えが悪くて、だからその分、人の何倍も努力して……時間を掛けて、苦労して、やっとここまで成長したんだ)
星菜の知る限り、鈴姫よりも努力家な人間は見たことがない。誰よりもがむしゃらに練習に打ち込んできたからこそ、一流の選手になったのだと知っている。
「……天才とか、たった一言でアイツのことをわかった気になるな」
「え? どうしたッスか星菜ちゃん」
「……いえ、何でもありません」
自分が苛立っても仕方が無いとは思うが、どうにも彼を才能ありきの人間だと思われるのは不愉快である。確かに彼らよりも素養はあったのかもしれないが、それでも彼が選手として開花出来たのはこれまでの努力があったからなのだ。
……尤も今の星菜は、そのことを周囲の人間に伝えられるほど勇敢ではなかった。
(だけど本当に……よくここまで育ったよ)
しかし彼が人から天才と称されるほどの選手になったという事実は、一時は彼のライバルとして競い合った過去のある星菜には嬉しいことだった。決して自分が育てたなどとは思わないが、彼の成長を間近で見てきた者として、彼の実力を認めてもらえることは自分事のように誇らしかったのである。
(なんて……そうやって今更幼馴染ぶっても、滑稽なだけか)
何とも都合の良い己の思考に苦笑を浮かべると、星菜は目の前の試合へと意識を切り替える。
アウトカウントは二つ。走者鈴姫を一塁に置いた場面で、打席には一打席目でホームランを打った波輪風郎。相対する投手奥居は目に見えて萎縮しており、打たせたくない余り投球が窮屈になり、際どいコースを狙った結果ワンエンドスリーとボール球が先行していた。
そんな投手の姿を見かねた恋々高校の捕手がキャッチャーボックスを立つと、その場から大声を出して呼び掛けた。
「ピッチャー、もっと自信を持って腕を振ろう! 全力で投げた君の球なら、多少甘くなっても簡単には飛ばないよ」
「お、おう……うし! やってやるぜ!」
こう言った場面で捕手から掛けられる言葉は、投手にとって助けになるものだ。
特に彼――小波大也は人の緊張を和らげることに関しては他の追随を許さない天才である。これはかつて彼とバッテリーを組んでいた星菜の実体験だが、彼の言葉には不思議とこちらの心を安心させる何かがあるのだ。
恐らく、現在マウンドに居る奥居もそれを感じているのだろう。その顔には先ほどまでの萎縮は見えず、鈴姫に打たれる前の落ち着きを取り戻していた。
セットポジションから、奥居が右腕を振り下ろす。
そして放たれたボールは、この試合で最も威力のあるストレートだった。
――次の瞬間、ストライクゾーンの真ん中に入ってきたそれを、波輪のバットが捉えた。
小波の言った通り自信を持って腕を振り下ろした奥居は、打球の行方を祈るように見送っていた。
大きな放物線を描いて打ち上がった打球は左中間へと向かっていき、逆風に煽られながら徐々に落下していく。
落下が予想出来る地点には、まだ誰も居ない。
二打席連続のホームランとはならなかったが、そのまま地に落ちればツーベース以上は免れない当たりだった。
――しかし。
「アウトッ!」
今まさにボールが落ちようとする刹那、間一髪で到着した
その瞬間恋々高校の選手達から歓喜の声が、竹ノ子高校のベンチからは落胆の声が上がった。
「ナイス村雨君!」
「ふう、助かったぜー」
「なに、拙者にはこれしか無いのだ。奥居殿には、もう少し後ろを信用してほしいですな」
「面目ない……」
皆が間違いなくヒットになると思っていたところで起こった、芸術的とすら言えるファインプレーである。まるでプロの一流外野手のような好守に星菜は思わず拍手を送りそうになり、成し遂げた村雨という男には敵ながら賞賛の声を浴びせたいところだった。
(恋々高校……やっぱり良いチームだ)
味方があのような守備を見せてくれれば、投手はさぞ投げやすいことだろう。既に星菜は彼らが一般的には無名校と呼ばれているチームだということを、完全に忘れていた。
「お前らも頼むぞ矢部君、池ノ川」
「フッ、当然だ。どんどん俺のところに打たせるがいい」
「恋々高校にオイラの華麗な守備を見せるでやんす!」
惜しくも長打をアウトにされる結果となった波輪は苦々しい顔でベンチに戻ると、ほむらからグラブを受け取るなりマウンドへと向かっていく。
次は四回の表、二番の球三郎から始まる恋々高校の攻撃だ。それは打順が波輪から唯一ヒットを打っている四番打者へと回ることを差しており、彼との二回目の対戦を期待する波輪の横顔は非常に楽しそうにだった。
(それは、楽しみに決まっているか。私だって……)
監督の茂木には練習さえ出来れば良いと言ったが、そんなものは嘘だ。自分の心に対する誤魔化しだ。
目の前で波輪の投球や鈴姫や小波の打撃、そして先ほどの村雨の守備を見て、根っからの野球馬鹿である自分がベンチに座ったまま我慢出来るわけがない。
(……自分で自分を誤魔化すから、こんな気持ちになる。自業自得だな……)
早川あおいと六道聖に諭されてからは弱い自分を肯定して、弱いなりに戦っているつもりだが……どうにも。
どうにも自分はまだ、心の奥底では強い気で居るらしい。星菜は静かに俯くと、痛み出したその胸を押さえた。
ao;eth様からパワプロ風星菜のイラストを頂きました! 許可が頂けたのでこちらに掲載します。
【挿絵表示】
【挿絵表示】
絵心が皆無な私にとって、こうして可愛く描いて頂いた自分のキャラのイラストを見ることは、SSを書いている中での目標の一つでもありました。まさか実現するとは思わなかったのでびっくり、そして超感動。嬉しさのあまり即保存させて頂きました。今この時を持って、悲願は達成されました……。ao;eth様、本当にありがとうございます。
感動し過ぎたので、竹ノ子の七番打者以降のステータスは載せません。主力以外はみんな原作で言うところのザコプロ君みたいなものなので、能力に大分差があります。その弱さは今後作中で明かしていく予定です。