外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

38 / 91
勝利投手は誰の手に

 五番外川は内角のシンカーを打たされショートゴロとなり、八回裏の竹ノ子高校の攻撃は三者凡退という形であえなく終了した。

 

 

 そして、九回の表が訪れる。

 

 依然変わらぬ2対1のまま迎えた最終回のマウンドへと上がった際、星菜が感じたのはやはり重い緊張感だった。

 このイニングを無失点にさえ凌げば竹ノ子高校の勝利となる。しかし一点でも失えばたちまち同点となり、二点以上も失えば逆転されてしまうのだ。表面上ポーカーフェイスを装っているが、それは少しでも気押されれば簡単に砕かれてしまうほどの脆さだった。

 

(……大丈夫。三人で抑えれば、小波先輩には回らない)

 

 この回の恋々高校の攻撃は一番の佐久間から始まる。走者さえ出さなければ最も厄介な四番打者(小波大也)へと回ることはなく、星菜にとっては都合の良い打順だ。

 しかし問題は、一番から三番までの三人をきっちりと抑えることが出来るかというところにある。上位打線を打つ彼らは、これまで相対してきた下位打線ほど簡単には終わってくれないだろう。特に三番の奥居は左の変化球投手である星菜にとって相性の良い右打者であり、前の打席では波輪を負傷退場に追い込むクリーンヒットを放っている。小波ほどではないが、彼もまた危険な打者であった。

 

(慎重に、一人ずつ切っていこう……)

 

 投球練習を終えた星菜の耳に球審の声が響き、試合が再開する。

 左打席に立っているのは恋々高校の一番打者(リードオフマン)、佐久間だ。まだあどけない顔立ちや他の打者よりも細身な体格から察するに、星菜と同じ入学したての一年生と思える。

 尤も、相手が一年生だろうと二年生だろうと、グラウンドの中では関係無い。星菜はこれまでと同じように振りかぶると、これまでと同じように左腕を振り下ろした。

 

「ストライクッ!」

 

 球審の気持ちの良い声が耳に響く。外角一杯のゾーンに決まった高速スライダーであったが、初球はこちらの思惑通り手を出してこなかった。

 

(左対左じゃ、負けるわけにはいかない)

 

 続いて二球目に投じたのは内角低めへのツーシームファストボールだ。110キロ程度のスピードでシンカー方向に食い込んでいくその球を、打席の佐久間はスイングし、一塁方向のファールゾーンへと弾き飛ばした。

 

 そして三球目。打者の頭にスライダーとツーシームの軌道を意識付けた直後に投じたのは、左右に変化の無い真っ直ぐの軌道を辿るフォーシームファスト、即ちストレートであった。

 コースは内角のボール球であったが、打席の佐久間はそこからスライドして入ってくると思ったのか、迂闊にも手を出してくれた。

 またも一塁方向へと向かっていった打球はしかし今度はフェアゾーンを転がっていき、間もなくして一塁手の外川のグラブへと収められた。外川はそのまま一塁ベースを踏み、一塁審判から打者走者アウトの声が上がる。これでワンアウト――残る打者は二人となった。

 しかし油断をすれば、直ちに敗北へと繋がる。そのことを過去の経験から理解している星菜は気を引き締め直すと、次の二番打者との対戦に集中した。

 

《二番レフト、球三郎君》

 

 恋々高校二番の球三郎は、先ほどの佐久間と同じ左打者である。こちらも左投手の星菜にとっては料理しやすい打者であるが、彼は四回の表に二塁への盗塁を楽々成功させている俊足の持ち主だ。内野安打の可能性は頭の中にあり、そして塁に出してしまった際における危険性もまた熟知していた。

 

(三振を取れれば最高だけど)

 

 うるさい打者は三振を取るに限る。しかし、狙い過ぎた配球で長打を浴びるなどということになれば目も当てられない。捕手の六道はそう考えたのか、これまでと同じように確実性の高いボールを要求してきた。

 その構えに頷くと、星菜は球三郎への第一球――外角低めへのスローカーブを放った。

 そのボールを、ギリギリまで引きつけた球三郎のバットが金属音を鳴らして打ち返す。予め狙いすましていたのであろう、バットの芯で弾き返した打球は低い弾道で地を這い――サード池ノ川のグラブへと、ノーバウンドで収まった。

 野手の正面を突くサードライナー。その結果に安堵し、星菜は捕球した池ノ川からボールを受け捕る。鋭い打球であったが、ポジションの真正面であればそれは凡打も同然だ。とにもかくにもチームの勝利という結果を第一に求める星菜にとって、アウトの内容などは二の次だった。

 

「これでツーアウト、か……」

 

 結果的にたった四球でツーアウトを取れたわけだが、しかし気を抜くことは出来ない。寧ろここからが本番であると、星菜の頭脳が絶えず警告していた。

 

《三番、サード――奥居君》

 

 右打席に現れた男の姿を栗色の双眸に移すと、星菜は次の四番打者が待機している相手のネクストバッターズサークルへと目を移した。

 

「貴方に四打席目は与えません……」

 

 これが漫画の世界であれば、最大の強敵(ライバル)と決着を付けるべく前を打つ三番打者にわざとフォアボールを投げると言った演出がされるかもしれないが、生憎にも星菜は現実主義者である。そのように自分で自分の首を絞めるような愚かな真似は出来る筈が無かった。

 それにこれは個人的な試合ではなく、チームの勝敗が賭かったマウンドなのだ。自分の投球が竹ノ子高校の選手全員を背負っていることを思えば、とてもではないが今彼と勝負する気にはなれなかった。

 

(このバッターで終わらせる!)

 

 どんなことがあっても、自分が投げる試合で負けるわけにはいかない。

 自分のような人間は、部に選手として居るだけでも不都合な存在なのだ。せめて投球だけでも結果を出さなければ、ここに居られなくなる(・・・・・・・・・・)

 だからこそ星菜は、全力で勝ちに行きたかった。

 

「ファール!」

 

 指先に力を込めて投じた初球のツーシームを、奥居は三塁側のファールゾーンへと弾く。これまでの投球パターンから今回も初球からストライクを投げてくると読んでいたのか、そのスイングに迷いは無かった。

 

(……なら、この球で迷わせる)

 

 打者にとって邪魔になるのは、的を絞れなくさせる緩い変化球だ。その残像が頭に残るだけでも、打者は次のボールへの対応が鈍くなる。

 

(星園ほどじゃなくても!)

 

 ストレートが遅い星菜が投球の軸として何回も研究を重ねた変化球――それがこの超スローカーブだ。ストレートを投げる時と変わらないリリースで放たれた一球は空中で大きな弧を描き、ストレートの二倍近い時間を掛けてようやくキャッチャーミットへと収まった。

 

「ストライク!」

 

 球審の判定はストライクであったが、それ自体はそれほど問題ではない。

 ストライクやボールと言った判定よりも、問題は今の一球に対する打者の反応にある。その点打者奥居は見事にタイミングを崩されたらしく、スイングこそ思いとどまったものの打席上で悔しげな表情を浮かべていた。

 

(……あの反応なら、いける)

 

 捕手六道から返球を受け捕った星菜は、ボールの縫い目に指を掛けながら六道とアイコンタクトを交わす。

 遊び球は要らない。次は小波にも投げたように外角低めの際どいところにストレートを投げれば、115キロ程度の球速でも十分に打ち取ることが出来ると。

 星菜は打者が自分のボールの軌道に慣れていない今の内に勝負を決めるべきだと判断していた。六道もまた意見を同じくしたのか、三球目の選択に勝負球――外角低めへのストレートを要求した。

 その構えを見て、星菜は彼が自分の捕手で良かったと改めて思った。

 

(これで終わらせる……!)

 

 深呼吸で心を落ち着かせた後、星菜はボールを持った左手にグラブを添えながら、後頭部までゆっくりと振りかぶる。

 自然的な動作で右足を振り上げると、その両手を胸の下へと持っていく。

 そして目標のキャッチャーミットよりも一塁ベース寄りの方向に右腕を高く上げると、グラブを着けた手首を招き猫の前脚のように折り曲げた。

 ボールを持った左腕は全身を使って覆い隠し、一連のゆったりとした投球フォームから腕を振るう瞬間だけ一気に加速し、星菜は指先からボールを放った。

 波輪風郎のような剛速球とは行かないが、ボールのノビというものには自信がある。先ほど投じたスローカーブとの緩急差も相まって、打者の目からは実際の球速よりも速く感じられたことだろう。

 投げる度に、自信が付いていた。

 そして小波をライトフライに打ち取ったこのボールなら、恋々高校の三番奥居にも通用する筈であると。

 

「くっ!」

 

 その自信は、自惚れではなかった。

 打席の奥居はバットをおっつけて打ち返してみせたが、その打球に勢いは無い。

 ボールの行方を見届けるべく、星菜は後方へと振り向く。高く打ち上がった打球は星菜が思っていたよりかは飛んでいたが、センター矢部のほぼ定位置へと落下していった。

 それを見た瞬間、肩から力が抜ける。これでセンターフライとなり、アウトカウントは三つ。星菜は一点リードを守り抜くという己の役目を果たし、試合はゲームセットとなる。回数はたった三イニングで投げた球数も多くなかったが、相手打線にヒットを与えなかったという内容は大いに納得の行くものだった。

 それこそ有終の美を飾るには、十分なほどに。

 

(また試合に投げることが出来て良かった。ありがとうございます、茂木監督、ナインの皆さん)

 

 練習だけは今後も続けていくつもりだが、恐らくこれは自分にとって実質的な引退試合になるだろう。その終わりを晴れやかな気持ちで迎えられたことで、星菜はまた一つ憑き物が取れたような気がした。

 

 

 

 

 ――ただその時、センターの矢部が打球を捕り損ねなければ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……今夜は、眠れそうにない。

 

 自室のベッドの中、枕元に置いた目覚まし時計へと目を向けるが、時計の指針は夜中の九時を差していた。高校生が眠るにはまだ早い時刻であるが、かと言って星菜には、これ以上何かをする気力が沸いてこなかった。

 夏用の薄い布団で身を包むと、枕に顔を埋めて蹲る。それによって枕に涙の跡が残ることも、今の星菜にはどうでも良かった。

 

「……なに、いきがってたんだよ……」

 

 自分以外に誰も居ない部屋の中、星菜は自分自身に対して言葉を溢す。

 

「……なに、その気になってたんだよ……!」

 

 怒りで震える身体を両腕で抑えながら、星菜は孤独に吐き捨てた。

 

 何が部の役に立つ、だ。

 結局、何も出来ないじゃないか――と。

 

 

 星菜は今日行った試合を振り返る。

 その度に溢れ落ちていく大粒の涙は、しばらく止まりそうになかった。

 

 

 恋々  010 000 003

 竹ノ子 200 000 000

 

 

 それが、試合が終わった後に見上げた球場のスコアボードである。

 奥居が打ち上げたセンターフライによって試合終了かと思われた次の瞬間、竹ノ子高校のセンター矢部がまさかの落球。スリーアウトの筈がツーアウト二塁となり、星菜は思いもよらぬピンチを招くこととなった。

 次の四番打者、小波への投球は迷わず敬遠を選択した。

 ベンチからもサインが出ていたが、仮に出ていなくても星菜は勝負から逃げたことだろう。一塁ベースが空いている時点で、恋々最強の打者と勝負する意志は無かった。

 

 しかし、次の打者だった。

 

 五番陳――初球に甘く入ったど真ん中(・・・・)のストレートをフルスイングで打ち返し、レフトスタンドを越える特大の場外スリーランホームランを叩き込み、恋々高校は一挙逆転。

 その裏は早川あおいが三人でピシャリと締め、試合は4対2、恋々高校の逆転勝利となった。

 

(負けた……私のせいで負けたんだ……! 私のッ……私のせいで……!)

 

 あそこで勝ったと思って、気持ちを切らさなければ。

 あそこで意識を切り替え、集中して次の打者に向かっていくことが出来れば。

 あそこでコントロールを誤らなければ。

 あそこで六道のリードに首を振らず、要求通りチェンジアップを投げていれば……。

 

 終わってみれば試合で得た物など何も無く、ただ後悔しか残らなかった。

 自分のせいで勝ち試合を落とした。その憤りや悲しみが、星菜の胸を苦しめている。

 そして涙の理由は他にもあった。監督の茂木も竹ノ子高校の選手達も、リードを無視された六道すら、誰も星菜を責めなかったのである。ただ「君はよく頑張った」と、甘い言葉を掛けてくれたのだ。

 その対応こそが、星菜には辛かった。

 

「……悪かったのは矢部先輩じゃないのに……っ! なんで誰も、私を責めなかった……!? 打たれたのは私なのに……! 対等じゃないから……? 責める価値も無いから?」

 

 それは「始めからお前になんて期待していなかった」と、周りからそう告げられているような気がして。

 

 星菜自身、過去の経験から思い知っていたことだった。

 女子選手である自分が相手打者を抑えようが打たれようが、どちらにせよ周りの目は自分のことを対等な存在として見てくれないと。

 選手として復帰したところで本当の意味で彼らの中に入ることは出来ないのだと、星菜自身もまた元よりそのつもりであった筈だ。しかし頭ではわかっていても、心は苦しいままだった。

 心地良い夢から覚めた後に待っていたのは、やはり冷たい現実でしかなかった。

 

「……だから私は、そうやって大人しく守られていれば良いってことなの……? ……健太郎……」

 

 投げている時は怖くなくても、その後に星菜を待っていたものは全てが怖かったのだ。

 そんな自分でも甘えさせてくれる人間が近くに居たとしても、星菜は二度と甘えたくなかった。ただそれでも、その言葉にだけは誰かに答えてほしい自分が居た。

 

 

 

 一頻り涙を流して泣き疲れた後、星菜の意識はそのまま夢の世界へと落ちていった。

 

 それは、ある日の幼少時代の光景だった。

 星菜がピッチャーで、小波がキャッチャー、鈴姫がバッターで。

 投げたボールがすっぽ抜けてデッドボールとなり、鈴姫が痛みに泣いて、星菜が謝り、小波が星菜に怒って、鈴姫が大丈夫だと言って宥めて……そんな他愛もない、誰にでもあるような幼少期だ。

 今そんな夢を見るということは、心の中ではその頃の自分に戻りたいと思っているからか。

 その頃に戻って、今までの人生をやり直したいと――そう考えている自分が居るのだろうか。

 

『大丈夫、今からでも遅くない』

 

 幼少期の星菜達を背景に、早川あおいの言葉が頭に響く。

 後悔する過去はあっても、今の自分を否定する必要は無いと。

 今からでも十分に始められると、彼女は言った。

 

 そして星菜の中に存在する一人の青年が、その言葉に続いた。

 

『君まで僕の影響を受けて老いる必要は無いって言ったろ? 君はまだ十五で、生前の僕の半分も生きてないじゃないか』

 

『当たって砕けても、まだまだやり直せるさ。後は君自身にその勇気があるかだ』

 

『僕が言うのもなんだけど、野球選手として周りと対等になりたいなら、自分からもっと歩み寄りなさい。怖いから、無駄だから、苦しいからって諦めないで、最後まで挑むんだ』

 

『……説教っぽくなったけど、僕が言いたいのはこれだけだ。頑張れ、泉星菜』

 

 言いたいことだけ言った後、彼は満足げな笑みを浮かべて去っていく。その姿は不愉快にも映ったが、言っていることは間違いではないと思った。

 

 中学時代とは環境が変わり、所属するチームも変わった。

 ならば自分の頭だけで決めつけず、泉星菜は確かめなければならないのだ。

 

 周りが自分のことを本当に対等に思っていないのか。そして自分は、今後彼らと対等になることが出来るのかどうかを――。

 

 

 





 星菜の投球内容       あおいちゃんの投球内容

 投球回数 3回1/3    投球回数 4回
 失点 3          失点 0
 自責点 0         自責点 0
 奪三振 1         奪三振 8
 被安打 1         被安打 0
 被本塁打 1        被本塁打 0
 与四死球 1        与四死球 0


 波輪の投球内容       奥居の投球内容

 投球回数 5回2/3    投球回数 5回
 失点 1          失点 2
 自責点 1         自責点 2
 奪三振 10        奪三振 6
 被安打 3         被安打 5
 被本塁打 0        被本塁打 1
 与四死球 0        与四死球 3


 男矢部の覚醒フラグでお送りしました。
 試合が終わったということで各投手の投球内容を上げました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。