外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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マネージャーになろう

 

 川星ほむらによる簡単なガイダンスを受けた後、星菜は実際に仕事をしてみることになった。

 仕事の内容は練習機材の管理が主で、他には部員の体調管理やドリンクの調合なども行っている。

 時々敵情視察として他校の練習を見に行くこともあり――と言うか、ほむらが星菜を勧誘したのはその仕事を効率良く行いたかったというのが一番の理由らしい。

 確かに短期決戦において敵チームの情報は欠かせないものだ。加えて今年に関して言えば名門あかつき大附属や海東学院高校以外の中堅校も力を付けているらしく、他校の偵察は念入りに、抜かりなく行いたいのだそうだ。

 それらの話を聞いて、星菜は改めて再確認した。

 この先輩は真正の野球マニアで、マネージャーの仕事に対して凄まじい熱意を持っていることを。

 

「おー、やってるなぁ」

「あっ、監督。こんにちはッス」

「茂木先生、今日はよろしくお願いします」

「おうよろしく」

 

 星菜が仕事の実践としてほむらと二人でボールを磨いていると、無精髭を生やした気だるげな目つきの男がその場に現れ、よっこらせと二人が腰掛けているベンチの端に腰を下ろした。

 彼の名は茂木(もぎ) 林太郎(りんたろう)。竹ノ子高校の理科教師であり、野球部の監督である。外見は何かとやる気が無く無気力に見える男だが、実際も概ね見た目通りの人間である。

 その姿はとても野球部の監督を務めるような男には見えない為、星菜が初めて対面した時は言葉を失ったものだ。

 だが野球部の練習風景を見れば、この監督があってこの野球部があるのだと納得も出来た。

 

「一年共っ! 俺様の華麗なるバックホームを見よ!」

「お! ノーバンゥー!」

「フハハ! いいバックが居るな、と改めて感じました」

「流石池ノ川君、肩だけは凄いでやんす」

 

 磨き終えたボールから、グラウンド内に居る部員達へと目を移す。

 何とも和気あいあいと談笑しながら、彼らはキャッチボールをしていた。

 

(……ヌルい雰囲気だなぁ)

 

 その光景に、星菜は心の中で失礼な発言を吐く。

 まだ彼らの練習は始まったばかりであり、この感想を抱くのはまだ早過ぎるのかもしれない。

 だがそれでも、大目に見ても彼らの練習風景が甲子園を目指す高校のそれとは思えなかった。胃から汗が流れるような猛練習の果てにようやく甲子園に出場した「前世」の記憶を持っているだけに、尚更そう感じてしまうのだ。

 だがその中で、一年の鈴姫と二年生と思われる一組だけが黙々と力強いボールを投げ合い、肩を温めている姿が目を引いた。

 

(でも鈴姫は、流石だな)

 

 選手として正しい筈の姿が、ここでは場違いに見える。星菜は既にそんな悪印象をこの野球部に抱いていた。

 ほむらも似たようなことを考えていたのか、深く溜息をついた。

 

「はぁ……キャッチボール一つで選手の程度が知れるってもんスね……」

「先輩から注意しなくていいんですか?」

「アレは一応新入部員との親交を深める意味もあるから、今は黙認するッス。これが数日続くようなら、ほむらのげんこつが飛ぶッスけど」

「そういうものなんですか……」

「まあ、俺としてはサボったり怪我さえしなきゃいいんだけどな」

「監督はもっとスパルタにやるべきッス!」

 

 軽い練習でも、態度を見れば選手の意識がわかる。

 見回したところ、練習に対して上を目指すような強い意識を感じたのは、鈴姫とその相方だけだった。おそらくあの場には、厳しい環境に浸ってきた野球経験者はあの二人しか居ないのだろう。

 所詮は波輪風郎の為の数合わせ要員か。星菜は己の身分もわきまえず上から目線でそんなことを考えている自分を、相変わらず腐った性格だなと自嘲した。

 だがこの時、星菜はそんな苛立ちの中でも他の感情を抱いている自分に気付いていた。

 

 それは、羨望である。楽しそうに野球をしている彼らのことを、羨ましいと思う気持ちだった。

 

「……そう言えば、波輪先輩の姿が見えないのですが」

 

 その気持ちから目を背けるように、星菜は現実世界でほむらに話を振った。

 キャッチボールをしている部員達の中に、キャプテンの姿が見えなかったのである。

 

「波輪君は別メニューで、今は屋外を走ってるッスね」

「別メニュー? ……そんなことをして、大丈夫なんですか?」

 

 波輪風郎の力はあまりにも突出している為、他の部員達と同じ練習メニューではどうしても支障を来してしまう。そのことは理解出来るのだが、個人の特別扱いを周りが認めているのかという疑問が星菜にはあった。

 星菜自身、過去にそう言ったものの「経験」があり、あまり良い思いはしなかったことを思い出す。

 不安に思って質してみたが、返すほむらの表情は明るかった。

 

「別にチームメイトからの反発はないッスよ。波輪君そこのところ上手だから、孤立することもないッス」

「それは……凄いですね」

 

 あまりにも呆気ない返答に、星菜は拍子抜けする。だが、そうでなければいくら実力があるからと言ってキャプテンには任命されないだろう。

 やはり、彼と自分とでは人としての器が違うようだ。星菜は改めて彼に敬意を抱いた。

 

 

「お、もうキャッチボールしてるのか」

 

 噂をすれば影がなんとやら、別メニューである長距離ランニングを終えた波輪が星菜達の元に姿を現した。近くで目にするその姿は自分よりも何回りも大きく、初めて顔を合わせた時も思ったが、プロ野球選手になるような男はこうもオーラが違うものなのかと星菜は驚いた。

 

「お疲れ様です」

「お疲れ様ッス。今日は随分早かったッスね~」

「ははは、俺は日々加速する男だからな」

「なるほど、わからないッス」

 

 星菜達は汗の滴る好青年という出で立ちの彼に労いの言葉を掛けるが、その時、彼の隣に立っている見慣れない男の存在に気付いた。

 顔は少し俯いているのでわからないが、身長は170センチ後半ぐらいか。180センチ以上もある波輪よりは小さいが、大柄で、ふくよかな体型をしている。

 星菜がそちらに興味を向けると、ほむらが波輪に訊ねた。

 

「ところで、そこに居る人は誰ッスか?」

 

 その質問を待っていたかのように、波輪が明るい口調で応えた。

 

「おう、新しい入部希望者だ。さっき校門の前で拾ってきた」

「ま、丸林(まるばやし) (たかし)です!」

「拾ってきたって子犬じゃないんスから……え? ちょっと待つッス! 丸林隆って、確か……」

 

 新しい入部希望者――本人から紹介された「丸林隆」という名前に、ほむらが強い反応を見せる。

 その名前には、星菜も聞き覚えがあった。

 そう古くない記憶の為、すぐに思い出した。この男は――

 

「丸林隆、去年の大会で、全国準優勝になった野球部のエースです」

 

 この時何を思っていたのかはわからないが、気付けば星菜は、放っておけばほむらが説明してくれたであろう彼の経歴を紹介していた。

 

「やっぱりあの丸林君ッスか! いやぁ、この学校に来てくれたとは思わなかったッス!」

「全国準優勝!? マジか!」

「は、はい。そう……ですけど……」

 

 ただの大きめの太っちょにしか見えない外見にすっかり騙されていたらしく、波輪は星菜の言葉に大層驚いているようだった。その声にはほむら同様、多分な喜色が含まれていた。

 当の本人である丸林少年は顔を上げると、自身の経歴を語った星菜の顔を訝しげに見つめてきた。

 

 ――そして数秒後、丸林は何かを思い出したように顔色を変えた。

 

「もしかして! い、泉さんですか!?」

「そうですが何か?」

「な、なんでここに……」

「その言葉はそっくりそのままお返しします」

「ひっ」

「なんだなんだ? 君達知り合いか?」

「詳しくッス!」

 

 中学ではチームのエースにまでなっていた筈だが、気が弱いところは昔と変わらないようだ。そんな彼を見て、星菜は自分も昔に戻ったような気分になった。

 それはともかくこの丸林という男は、学校で星菜にとって数少ない顔見知りだった。興味津々な様子である波輪とほむらに向かって、星菜は彼との関係を説明した。

 

「彼とはリトルリーグ時代、同じチームに所属していたんですよ」

 

 特に隠す理由もないので、星菜は躊躇わずに教えた。

 それは自分がかつて野球をしていたことを話すことにもなるのだが、それだけなら何ら不都合はない。彼の名誉を傷付けない程度で、簡単に話せるところまでは話すことにした。

 

「中学の試合も見てましたが、既に140キロ近い球を投げられる素晴らしいピッチャーですよ。変化球も多く、実力は私が保証します」

「そいつはすげぇや、即戦力じゃん! いやあ、俺以外投げられる奴が居なかったから助かったよ。よろしくな、丸林君!」

 

 真実のみを語ったその言葉に波輪が喜ぶと、友好の印として右手を差し出した。

 しかしそれに対する丸林の反応は、星菜にも予想出来なかった。

 

「やっぱり僕、野球部に入らないです! テニス部にしますっ!」

「えっ?」

「すみませぇぇぇん!!」

「ちょ待っ……おおーい!」

 

 彼は波輪の手を取ることなく、後方に向かって謝りながら走り去っていった。

 野球部に入りたいと言う人を快く迎えようとしたら、最後の最後でやっぱり入らないと言われ、逃げられた。

 あっという間に見えなくなる彼の後ろ姿に呆気に取られ、唖然としてその場に立ちすくむ三人。

 その沈黙を破ったのは、冷ややかな視線を波輪に向けたほむらの言葉だった。

 

「なに有望なルーキーに逃げられてるんッスか、波輪君」

「え、なに、今の俺のせい?」

「はぁ……逆指名制度があった頃のカープファンの心境ッス……」

「それは……ごめん」

 

 波輪は目に見えて肩を落とすが、ほむらはもちろん冗談で言ったのだろう。少なくとも星菜の見た限り、丸林に対する波輪の態度に落ち度は無かった。

 きっと丸林には、色々(・・)と入部出来ない理由があるのだろう。

 そもそもこの竹ノ子高校は、全中二位の投手がわざわざ入学してくるような学校ではない。鈴姫のような例外も居るが、彼ほど実力のある選手は順当に推薦された中堅校以上の学校に入学するものなのだ。

 彼がこの学校に入学したのは、怪我などが理由で名門校に行けなかったと考えるのが妥当なところだろう。

 もしそうなら、先程の発言はあまりにも無神経だったか。責任を感じた星菜は、今度会った時は謝ろうと心に誓う。そして、出来ることなら話を訊いてみたい。

 

(それとも……君はプレッシャーの無い環境で、ひっそりと野球を続けたかったのか?)

 

 いずれにせよ本人に直接訊かねば何もわからないが、何となくそんな仮説を立ててしまう。

 もしそれが本当なら、この環境はまさに打って付けの場だろうと星菜は思った。

 


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