外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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猪狩式デート申し込み

 

 五回裏のそよ風高校の攻撃が終了したことで、試合は一時中断しグラウンド整備が行われる。

 両校の応援団としては数少ないグラウンドから目を離しても問題の無い休憩時間となり、生徒達がトイレや飲料水購入の為席を外す姿があちこちに見えた。

 星菜もまた、その一人であった。

 炎天下の中大声を上げていれば、自ずと喉は渇く。手元の水筒の中身を切らしてしまった星菜にとって、この時間は水分補給用の飲料水を購入する絶好の機会だったのだ。

 しかし同じ目的で席を外す者が何人も居れば、当然販売場所が混雑してしまう。その為星菜は他に飲料水が必要な者が居るか周囲に聞き回り、要求された分を一人で販売場所へと向かって購入することにした。

 

「悪いな泉さん、まじ助かる」

「泉ちゃんが優しすぎて生きるのが辛い」

「辛い? 団長、大丈夫ですか……?」

「いやあ……はは、このぐらいへっちゃらさ!」

「なにデレデレしてんだこの野郎!」

 

 その際、最前線で応援している応援部の元にも聞きにいくことは忘れない。グラウンド内で戦っている選手達を除けば、今最も疲労しているのは彼らなのだ。そんな彼らに飲み物を届けるのは、協力している野球部のマネージャーとして必要な気遣いであった。

 幸いにも要求された数は一箱のクーラーボックスに余裕で収まる程度であり、星菜一人でも持ち運ぶことは可能だ。周りからは数人ほど手伝いに名乗り出てくれた親切な者も居たが、星菜はそれらに自分だけで大丈夫だと断って一人販売場所へと向かった。

 

 

 

「泉?」

 

 そうして一旦スタンドを離れ、十数個の飲料水を購入した星菜であったが、販売場所を後にスタンドへ戻ろうとしたところで足を止めた。道中、思いがけない人物と遭遇したのである。

 

「おお、君やっぱり泉やろ? 泉星菜!」

「……九十九(つくも)さん?」

「そや、九十九(つくも) 宇宙(そら)。いやあ、懐かしい顔に会えたなぁ」

 

 肩に掛かる長さの黒髪に、やや目つきの悪い顔立ち。180センチ前後の長身は一般人の中には溶け込めないほど引き締まった体格だが、人相の悪さから一見不良にも見える容貌。しかしその口から出てくる言葉は彼の本質である気さくさが表れており、星菜に向ける表情もまたその目つきの悪さが気にならない爽やかなものだった。

 

「ご無沙汰しています」

「おう、リトル以来やな。あの時とは偉く雰囲気が変わっとるもんやから見違えたで」

 

 それは星菜にとって、六年ぶりになる再会であった。年齢も違い、長期間会っていなかった人物であるが、星菜は彼のことをよく覚えていた。

 彼の名は九十九(つくも) 宇宙(そら)。星菜が小学四年生の頃のリトル野球チームの元チームメイトであり、二つ上の先輩に当たる。今しがた球場で投げているそよ風高校のエース阿畑やすしとは同級生であり、彼とは非常に仲が良かったことを覚えている。

 六年前に会って以来である彼のことを星菜が覚えているのは、彼が当時チームの中で重要な存在だったからというのが大きい。彼の代はチームのキャプテンこそ阿畑やすしであったが、最も優れた野球センスを持っていたのは他でもない彼、九十九宇宙だったのだ。星菜はその活躍ぶりを何度も目にしていた為、顔を見れば自然と思い出すことが出来た。

 しかし彼の方が自分のことを覚えていたのは、星菜にとって意外な事実であった。

 

「九十九さんは私のことを、覚えていたのですか?」

「ん? あー、そりゃあな。あんなにセンスのある女の子なんて君ぐらいなもんやったし、ワイらが引退した後二年連続で優勝投手になった後輩やからな。よく覚えとるで。そっちこそワイのことをちゃんと覚えてたのは意外や。逃げられるのを覚悟で声掛けたんやけど」

「……あかつき大附属のレギュラーですから、忘れていても思い出しますよ」

「ほー、調べておったんか」

「これでも竹ノ子高校のマネージャーですから」

 

 九十九は現在、今春の選抜優勝校である名門あかつき大附属高校のライトを守っている。マネージャーとして星菜は偵察に趣いたものだが、あかつき大附属高校は今大会ではシード校として出場し、前評判通りの圧倒的な実力を見せて既に三回戦進出を決めている。そんなチームのレギュラーに名を覚えてもらっているというのはそれなりに光栄なことであり、少々嬉しくもあった。

 対する九十九は星菜の言った言葉と身に纏っている制服から今の星菜の立場を理解したのか、飄々した雰囲気から一転して真剣な表情を浮かべた。

 

「なんや、マネージャーってことはもう野球はやってないのか?」

「この見かけで、野球が出来ると思いますか?」

「……そりゃまあ、野球選手には見えへんけど」

「だから今はマネージャーを務めています。結構楽しいですよ」

「そうか? ……なーんか嘘くさいなぁ」

 

 星菜はこの過去の知人との再会には喜ばしい気持ちはあったが、同時に怖くもあった。昔話に花を咲かせるのは悪くないが、彼の知らない自分の五年間を詮索されるのを恐れているからである。

 故に星菜は、その内心を微笑で誤魔化しながら言葉を紡いだ。

 

「申し訳ありませんが、そろそろコレを持って母校の応援に戻らなければなりません。お話はまた後で、今は失礼します」

 

 ここで再会したのも縁と話したいこともないではないが、話したくないことの方が遥かに多かった。元々彼とは先輩後輩の関係だけで、特別に親しかったわけではないのだ。素っ気ないと思われるかもしれないが、クーラーボックスに入れた飲料水を言い訳にその場から離れることにした。

 

「待て」

 

 だがその時、物陰から現れた一人の青年が星菜の行く手を遮った。

 完全に不意を突かれた登場に不覚にも怯えの声が漏れそうになった星菜だが、辛うじて澄ました表情だけは取り繕った。

 

「貴方は……」

 

 九十九よりも数センチ高い身長に、星菜は自然と下から見上げる形になる。天然と見受けられる茶色の髪が特徴的で、腰の高い体つきは細身ながらもがっしりと鍛え上げられたことがわかる。顔立ちはその半袖から覗く筋肉とは不釣合いな童顔だが、若い女性ならば思わず目が行ってしまいそうな甘いマスクを持っている。

 生憎にも星菜は常日頃から美青年の顔は見慣れている為全く意識しなかったが、彼の大きな青色の瞳には無意識に引き込まれていった。

 恐らくは彼の瞳が映す「意志の強さ」が、自分には持ち合わせていない為に羨ましく見えたのかもしれない。

 

「おいおい猪狩、せっかくワイが仲介してやったってのにそんな不気味な登場の仕方があるか」

「……泉星菜、野球をやめたというのは嘘だろう。だったらなんで、君はあの恋々高校との試合で登板したんだい?」

 

 青年はジト目で睨む九十九の視線を無視しながら、己の名を名乗るよりも先に問い質してきた。

 彼とはこれが初対面というわけではないが、最後に会ったのは五年前のことだ。しかし九十九に続いて彼までも自分のことを知っている様子に、星菜は内心驚いた。

 猪狩 守(いかり まもる)。二年生にして名門あかつき大附属高校のエースの座を掴み、今春の選抜でその名を全国に知らしめた天才投手――高校野球界一の大物である。

 

(猪狩守が、あの時の試合を見に来てたのか……)

 

 そんな人物がこのような場所に居ること自体が驚きであったが、深く考えてみればそれほど可笑しい話ではない。川星ほむらから聞いた話だが、彼は竹ノ子高校の波輪風郎を強くライバル視しているとのことだ。そのライバルの登板試合を直々に偵察しに来たというのは、十分納得出来る話だった。

 もちろん、恋々高校との練習試合を見に来ていたというのも可笑しな話ではない。

 

「……波輪先輩にアクシデントが起こったので、緊急的に登板しただけです」

「緊急登板は事実でも、野球をやめた人間にあんなピッチングは出来ないさ」

 

 だが、解せなかった。

 今彼がグラウンドに居るライバルの波輪ではなく、泉星菜に対し強い視線を向けていることが。

 星菜が抱いたその疑問は、彼が直後に言い放った言葉によって腑に落ちる。

 

「すまない、僕としたことが申し遅れたね。僕は猪狩守。あかつき大附属……いや、「いかりブルース」のエースだった男だ。九十九先輩のことは覚えていて、僕のことを覚えていないとは言わせないよ」

 

 あかつき大附属高校のエースではなく、「いかりブルース」のエースとして名乗った。その言葉に星菜はポーカーフェイスを崩し、驚きに目を見開く。

 いかりブルースとは、彼がリトルリーグ時代に所属していたチームの名だ。彼がエースを張っていた当時は優勝候補筆頭と呼ばれており、実際小学生とは思えないほど強力なチームだった。

 しかしそんなブルースも最終的には敗北し、大会で優勝を収めることはなかった。

 星菜と小波が率いるおげんきボンバーズが、彼らを打ち破ったからである。

 

(そうか、この人も、あの時のことを覚えているのか……)

 

 どんな天才も、常に勝ち続けているとは敵わない。横綱力士もまた幼稚園児の頃は喧嘩で泣かされたことがあるというのも、別段珍しい話ではないのだ。

 

「懐かしいですね……弟さんはお元気ですか?」

「ああ、進なら来年にはレギュラーになるだろうね。まあ、そんなことはいいんだ」

 

 だが、この時星菜は思い違いをしていた。

 星菜は猪狩守にとってのリトルリーグ時代など、所詮は幼い頃の遠い記憶に過ぎないものだろうと思っていたのだ。「そう言えばそんなこともあったな」と、久しぶりの再会の話の種にするような昔話でしかないものだと。

 しかし、それは誤りだった。

 

「……僕は五年前、君と小波との対決で初めて挫折を味わった。その屈辱は今でも忘れていない」

 

 彼は単に覚えていただけではなく、「根に持っていた」のだ。

 星菜が思っていた以上に、彼の中での当時の敗北は重いものだったのだろう。執念めいた強い感情が込められたその瞳に、星菜は気押される。

 

「君と再会する日を待っていた。是非とも、僕の挑戦を受けてほしい。あの時のリベンジをしたいんだ」

「おっ、女の子が相手だから小波相手にする時よりも紳士的やな」

「先輩は茶化さないでください」

「いやだって初めて見るからなぁ。お前が男じゃなくて女の子に絡むところ」

「……人を同性愛者みたいに言わないでください」

 

 春の甲子園優勝投手が、小学生時代の因縁を持ち出して挑戦状を叩きつけてきた。

 波輪しかり星菜の身の回りに居る才ある者は総じて負けず嫌いであったが、彼もまた同じ人種のようだ。しかし全く持って予期していなかったこの事態に、星菜は困惑した。

 

「……私は、貴方に挑戦されるほどの大物ではありませんよ」

 

 困惑しながらも返すことが出来たのは、挑戦に対する拒否の言葉だった。

 数秒胸に手を当てながら目を閉じると、心を落ち着かせてから再度猪狩の表情を上目に見上げて言う。

 

「……と言うよりも、今の私は貴方と戦うに値しません」

 

 星菜の心から告げたその言葉に、猪狩は何かを言いかけて押し黙る。

 彼にとって過去の因縁がどれほどのものか、星菜にはわからない。しかし挑戦を申し込んできた以上は、半端に浅くないことだけは理解出来る。故にこの拒否の言葉は、彼にとってショックなものだったのかもしれない。

 しかし今その言葉に最も傷付いていたのは、言葉を告げた張本人である星菜自身であった。

 

(……受けたくてしょうがない癖に、また嘘をついて……)

 

 高校ナンバーワン投手の挑戦――同じ高校球児であれば、これを受けたくない筈が無かった。しかし、今の星菜にその勇気は無かった。

 

 ――怖かったのである。

 

(また、自分に嘘をついた。挑戦を受けて負けるのが怖いから……負けてしまったら自分が唯一追い縋れる過去の栄光すら無くなってしまうから。それが怖いんだ、私は……)

 

 何とも情けない理由である。例え負けたところで過去にあったこと全てが無くなるわけではないとはわかっているのだが、それでも星菜の言葉から出てきたのは拒否の言葉だった。

 それ以前に、負けることを前提に考えている時点で今の自分に彼の相手が務まるとは思えなかった。

 

「……残念だ」

 

 猪狩はその星菜の表情に何を見たのか、意外にも呆気なく引き下がる。それから「邪魔をしたね」と時間を取ったことを謝り、潔くその場を離れていった。

 姿勢良く歩き去る彼の後ろ姿は有名人ということもあってか衆目を集めているが、星菜には心なしか肩が沈んでいるように見えた。

 

「はは、まるで告白をフラれたみたいやな。こりゃあ珍しいもんを見たわ」

 

 とは九十九の言葉である。星菜には実際に告白をフラれた男の姿など見たことないが、その表現は酷く当てはまるように思えた。

 

(……でも、私にはあの人の挑戦を受ける資格は無い)

 

 申し訳ないとは思うが、後悔はしていない。猪狩守と自分とでは、そもそも実力以前に明確な差があるのだ。

 

(……今の私は、あの人の知っている私じゃないから……)

 

 いずれにせよ挑戦を受けたところで彼の期待に応える自信が、今の星菜には無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラウンド整備が終わり、試合が再開する。

 イニングは六回表の竹ノ子高校の攻撃へと移り、阿畑やすしは気を引き締め直してマウンドへと向かった。

 

「木崎」

 

 ――と、その前に捕手の定位置に着こうとする後輩を後ろから呼び止める。

 振り返る彼の表情は常と変わらず高校生らしからぬ厳つい顔立ちであったが、彼がその顔に似合わず心根の優しい人間であることを阿畑は知っていた。

 

「何ですか先輩」

「この回から、アレ使うで」

「アレ?」

「そや、アレやアレ」

「わかりました。やりましょう」

「おっ」

 

 木崎彰――そよ風高校が誇るゴールデンルーキーは阿畑が意図して少なくした言葉の意味を理解すると、即座に了承の言葉を返す。想定していた以上に乗り気な後輩の様子が嬉しく、阿畑は深い笑みを浮かべた。

 

「なんや、てっきり「ぶっつけ本番なんて無茶や!」ぐらい言われると思ったんやけど、偉く素直やないか」

「断っても投げるでしょうからね、先輩は。それに、俺も見てみたいんです。あの波輪風郎が、先輩の「本当の魔球」に打ち破れるところを」

「……言ってくれるやないか、一年坊。頼もしい限りや」

 

 阿畑やすしは代名詞であるオリジナルナックル――アバタボールの他にも多数の球種を持っている。カーブやシュートにスライダー、いずれもキレは超高校級のそれには及ばないが、十分実戦で使える程度には優れている。

 そしてもう一種、阿畑にはこの試合で一球も投じていない変化球があった。

 

「ワイルドピッチも全部受け捕ってやりますから、先輩は思い切り投げてください」

「おう、頼りにしとるで」

 

 それはそよ風高校の一回戦が終了した後、この試合の数日前にしてようやく完成した変化球である。その威力は捕手の木崎も絶賛しているが、アバタボール以上にじゃじゃ馬な変化球の為、これまではあえて使用を控えていた球だった。

 使用せずに勝てるのなら、それに越したことはない。しかし阿畑は竹ノ子高校の打線が三巡するこの回になって、そろそろ相手打者が捉え始めてくるのではないかという懸念を抱いていた。

 阿畑はそう言った投手としての嗅覚には優れている。悪い予感を抱いた時は、ほとんどの確率で的中していた。

 

(三番の鈴姫、四番の波輪はアバタボールにタイミングが合ってたからなぁ。流れを掴む為にも、コイツらは完璧に封じておきたい。となると、やっぱりあの球の出番や)

 

 マウンドに立った阿畑は、一球一球足場を確認するように踏み込んで投球練習を行う。

 そして持ち球を無駄なく投げ終えた後、最後に自軍ベンチに腰掛けている一人の少女の姿を一瞥した。

 

(見とけ、茜。ワイがライバル全員倒して、お前を甲子園に連れて行く!)

 

 未だ0対0のまま動かない試合だが、阿畑の気の昂ぶりは序盤のそれとは比べ物にならないほど充実していた。

 

 


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