外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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背番号「19」

 

 

 その子は、野球が大好きな少女だった。

 

 その子が野球に興味を持ち始めた切っ掛けは何だったのか、実のところあまりよく覚えていない。

 少なくとも鈴姫健太郎のような青春ドラマめいた切っ掛けではなかった気がするし、振り返ってみればほんの些細なことに過ぎなかったような気もする。

 だが彼女が執念めいた感情を抱いて野球に打ち込むようになったのは、元来の人一倍負けず嫌いな性格に加えて女子とは思えない天性の野球センス、そして何よりも野球そのものを愛していたからなのだということは、彼女が生まれた日から共に居た「彼」にとっては既知の事実だった。

 

 「彼」が何故彼女の中に居るのか、それは「彼」自身にもわからない。無論、中学時代とある事件を切っ掛けに初めてその存在を知ったその子――泉星菜にもまだ、何もわかってはいなかった。

 

 彼女が初めて自身の中に居る「彼」と対話を行った時、「彼」は最低でも彼女から一発以上の拳骨や罵声を浴びることは重々に覚悟していたものだ。

 没年三十七歳のおっさんの魂が、生まれた時から自身の魂に寄生していたのである。それが生前の「彼」の死後、「彼」の意志とは無関係に起こってしまった出来事だったとしても、思春期も真っ盛りな女子中学生にとってはあまりにも気持ちが悪かった筈だ。

 だが実際には「彼」の存在を知ったところで彼女は拳骨も罵声も浴びせることなく、しかし「彼」の予測からは盛大に外れた一言を放った。

 

「私に、貴方の技術と技を教えてください」

 

 生前の「彼」はプロ野球選手で、それも一チームのエース投手として名を馳せたこともあった。「彼」は120キロ台の平均球速というプロの世界ではあまりに遅い球速のボールしか投げられなかったにも拘らず、卓越した投球技術とキレ味鋭い変化球を武器に通算199個もの勝ち星を上げたほどの男だった。思春期の身体の急変化によって周囲の男子との筋力差を一気に引き離されてしまった当時の彼女にとって、誰よりも柔に優れた「彼」の存在はまさに渡りに船だったのだ。

 

 元プロ投手の技術を習得する。確かにそれが出来れば、女子の身であっても中学野球以上の世界で男子とも対等に渡り合えるかもしれない。

 不本意ながらも彼女の魂に寄生していることに負い目を感じていた「彼」にとってもまた、当時野球に行き詰まっていた彼女の為に指導を行うのはやぶさかではなかった。

 ただ彼は仮に彼女が自分の技術を習得した時、彼女がそれを周囲の者を見返す為だけの手段として使ってしまうことを恐れていた。

 

 ――それは、君を馬鹿にする男の子達を見返す為かい?

 

 故に、意地悪ながらもそう問うたのである。

 幼少の頃はいじめられっ子だった子供も成長の過程で力を持ち、その方向性を誤れば容易にいじめっ子へと変わってしまう。なまじ当時の彼女はそうなってしまってもおかしくないほどに人格が歪み始めていた為に、彼女に自分の技術を教えるのは危険かと疑ったのだ。

 彼女の考えを見極めるべく「彼」が行った質問に対して、彼女はこう返した。

 

「私はこれからも、野球を好きでいたいんです……」

 

 ただ今まで打ち込んできた野球をこれからも永遠に好きでいたいから、現在行き詰まっている自分にアドバイスが欲しい。彼女が紡いだその言葉を聞いて、「彼」は安心したものだ。

 

 「彼」はずっと、彼女の中から彼女を見続けてきた。野球をやり始めた幼い頃の彼女のことも、思春期を迎えた当時の彼女のことも。

 そんな「彼」だからこそ、時は流れても昔と変わらず野球が大好きな彼女の心を知って安心したのだ。

 彼女の答えは、間違いなく「彼」が望んでいた言葉だった。

 

 ――わかった。だけど、そう簡単に覚えられるとは思わない方がいいよ? 僕の技術は僕にしか無かったものだったからこそ、プロの世界でも一定の結果を残せたんだからね。

 

「……そんなことは、貴方に言われなくてもわかってます」

 

 生前はどうにも女運が悪く結婚も出来なかった「彼」ではあるが、泉星菜という少女のことは彼女の父親には失礼だが我が子も同然に想っていた。そんな彼女に自分の技術を継承することが出来るという喜びもまた、「彼」の背中を後押ししていた。

 それから、彼女とは毎夜夢の中で野球講習を開くことになった。それによって何よりも驚いたのは、異常とも言える彼女の飲み込みの良さだ。彼女は二十年に一人という表現すらも生温い、「彼」が知る誰よりも優れた野球センスを持っていた。彼女は信じられない速度で「彼」の持つ技術を次々と自分の物にしていくと、あっという間に野球部最高の投手の座を掴んでいったのである。

 その才能は昔から知っていたつもりだったが、そんな「彼」をしても全く予想外であった。

 

 恐らく彼女ほどの才能があれば、自分が教えなくとも一線級の投手に成長することが出来たのだと思う。

 ただ彼女はその適性を伸ばすことの出来る指導者に恵まれず、そして中学時代という多感な時期に自信を喪失したことによって野球選手としてそれ以上成長することを自分から拒んでしまっていたのである。

 精神的な原因で運動の動作に支障を来たし、自分の思い通りのプレーができなくなる――スポーツ用語で「イップス」と呼ばれる運動障害を患っていた嫌いもあった。

 現在の彼女は自分の実力に対する自信自体は取り戻せているが、一部では今も同じく引き摺っている部分も見える。どれほど練習を行ってもリトル時代とストレートの球速が変わらないのもまた、彼女自身が無意識下で自分の限界を作っているからだと推測している。

 

 だがその壁の存在は、「彼」が何を言ってもこれ以上壊すことは出来ないものだ。彼女の心を変えることが出来るのは自分のような死んだ人間ではなく、他ならぬ彼女自身や鈴姫健太郎のように今を生きている人間でなければならないと――「彼」は、星園渚は思っていた。

 

『……星菜、良かった……』

 

 自分が彼女を「実力を持った野球少女」という複雑で孤独な存在にしてしまったが為に、事態を重くしてしまった。これまでの彼女を見てきて、星園は後悔もしていたのだ。自分が指導を行わなかった方が、彼女は幸せになれたかもしれないと。だが、そんなことは無いと今ならば言える気がした。

 この分なら、彼女の傍から自分が必要無くなる日もそう遠くなく訪れるだろう。今まで敬遠してきた時間を埋め尽くすように鈴姫健太郎と野球で戯れている彼女を見て、星園は改めてそう思った。

 

 ――それが本当に、心から嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺の幼馴染が可愛すぎて生きるのが楽しい。それが、再び分かり合えた日から変わった鈴姫健太郎の心理状態であった。

 鈴姫としては決して表情には出していないつもりだ。だがあの日から彼の中で何かが変わったことは、日頃学校で接しているクラスメイトにとっては共通の認識だった。

 

「……健太郎、聞いてるの?」

 

 机の上に両手を置いて彼の座席の前に立っているのは栗色の瞳の少女、泉星菜の姿だ。

 彼女はその柳眉をしかめながら、ずいっと大きな目を鈴姫の顔へと近づけてくる。

 

「ああ、聞いているよ」

 

 今手を伸ばせば、簡単に彼女の頬に触れることが出来るだろう。実際にそれを行う気は鈴姫には無いが、彼女との距離が近いという事実そのものが今の鈴姫にとって何よりも大きかった。

 後ろから突き刺さってくる悪友の其処野(そこの) 御前(おまえ)新路宋(しんろそう) (だん)達の視線が何とも心地良い。

 鈴姫は「どうだ! 俺はお前達が遠巻きに見守ることしか出来ないコイツと仲良くお喋り出来るんだぞ!」という意図を込めて彼らの姿を得意気な目で一瞥すると、鈴姫のその行動の意味がわからず首を傾げている目の前の少女へと向き直った。

 

「……それで、何の話?」

「おい、やっぱり聞いてないじゃないか。健太郎の期末試験の点数、案の定下がってたって話!」

「ああ、そうだった。でも国語の点数が90点台から80点台になったぐらい、どうってことないだろう? このぐらいなら普通に良い点数じゃないか」

「私が言いたいのはそういうことじゃなくて! ……あの時、授業をサボったせいでお前の点数が下がったからさ……」

「君が責任を感じているのか?」

「……当たり前だろ。お前は私のせいで取れた筈の点数を落としたんだから」

「皮肉か? 一緒にサボってた君は同じテストで100点だったんだ。結局は、俺が勉強不足だったってことだよ」

「いや、でも……」

「いいんだよ、俺は気にしない。君も気にするな」

 

 星菜が今抗議しているのは夏休み前日であるこの日に返却された、期末試験の結果についてのことである。

 鈴姫の机の上に広がっているのは、右上の欄に82点と書かれた答案用紙だ。休み時間、今日の部活動について鈴姫と話をしようと訪れた星菜がそれを認めた際、この抗議へと発展したのである。

 数ヵ月前に行われた鈴姫の同教科の中間テストの成績は、これよりも十点は多く取れていた。出題項目が異なるとは言え前回と比べやや成績を落としてしまった鈴姫について、彼女はあの日共に授業を放棄したことに対し負い目に感じているのである。

 

(こういうところは昔から真面目だからな。全く、コイツは……)

 

 鈴姫としては彼女のせいで成績を落としたなどとは――まあある意味ではその通りかもしれないが、今回の件について彼女に責任があるとは露ほども思っていない。

 鈴姫は野球のことならばともかく、学業の成績に関してはそれほど執着が無いのだ。赤点を取って追試の為に部活動に参加することが出来ないならばそれは大問題だが、80点以上も取れているのなら何の問題もない。最近署名運動や野球に忙しく日々の自習が疎かになっていた鈴姫としては、寧ろこの程度の点数の減少で済めば万々歳だと考えていた。

 

「君は、本当に可愛いな……」

 

 先日、彼女との関係が修復されたことで浮かれているのは間違い無いと自覚している。だがそれはあくまでも鈴姫自身の気の持ち方の問題であり、彼女には責任の無いことだ。

 にも拘らず要らぬ負い目を感じている彼女の姿が健気で、鈴姫は改めて愛おしいと思った。

 

「茶化すな、健太郎のくせに」

「ああ、本音が口に出ていたか」

「……お前はいつからプレイボーイになったんだ?」

「大丈夫だ。こんなことは君にしか言わない」

「……そういうことを言っているんじゃないんだけどさ」

 

 もはや彼女に対して何の感情も隠す必要が無くなったことで、鈴姫は自分でも不思議なほどに口が回るようになったと思う。それが彼女にとって不快に感じるのであればすぐにでも自粛するつもりだが、本人の反応を見る限り呆れてはいるが今のところ悪くは思っていない様子だった。

 

「まあ本当に成績が悪くなったら、その時はその時で俺の勉強を見てくれよ。あの時(・・・)のようにさ」

 

 教室に居る他の生徒達の耳に聴こえるように、あえて「あの時」の部分を強調して言う。

 自分は他の者が知らない時間の彼女を知っているのだと、彼女に好意を持っている男子に対する槍のように鋭い牽制であった。

 

「あの時って、中学受験の時のこと? ああ、あの時のお前は頑張っていたな」

「高校受験よりもずっと、あの時の方が勉強したと思う。君と同じ中学に行きたかったから、あそこまで必死に勉強出来たんだろうな。全部、君を追い掛ける為だから出来たことだよ」

「……お前、言うことがストレートすぎる」

「君が直球に弱いことは知っているさ。言葉でも、野球でも」

「上手いこと言ったつもりか」

「それは、まあ」

 

 何年も親友付き合いをしていれば、彼女がどういった言葉の類に弱いのかわかるものだ。

 彼女は決して鈍いわけではなく、知らないフリや気付かないフリをするのが上手いのだ。変化球のようにそれとなく好意を伝えるのではこちらも納得してしまうほどあっさりとかわされてしまう。逆に、直球による力押しの攻めの方が格段に効果が大きかった。

 尤もそれは、長い下積みを終えた鈴姫健太郎にしか出来ない攻めではあるが。

 

「ちくしょうっ……ちくしょうっ…!」

「おのれ鈴姫! 泉さんの為に祝ってやるよ、くそったれ……!」

 

 自分はようやく、彼女に直球でぶつかることを許されたのだ。その事実を改めて確認した鈴姫は、だらしなく綻びそうな口元を引き締めるのに必死だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八月も間近に迫ると学生達は一学期の修了過程を終え、待ちに待った夏休みを迎えることとなる。

 高校野球では各都道府県にて行われている全国高等学校野球選手権大会――通称甲子園大会の予選が佳境を迎え、続々と代表校が決まり始めていた。

 竹ノ子高校が出場した大会は昨夏、今春の覇者であるあかつき大附属高校を筆頭に強力な高校が集まっている激戦区である。彼らの決着もまたその評判に違わない激闘となり、地方紙に留まらず全国規模で新聞の一面を独占するものとなった。

 

《あかつき大附属敗れる! 海東学院、悲願の甲子園出場!!》

 

 高校野球に「絶対」は無い。何が起こるかわからないからこそ面白いのだと、人々にそう再認識させた一報であった。

 

 波輪風郎の負傷によって竹ノ子高校が二回戦敗退となった後も、当然だが予選は変わらず続いていた。竹ノ子高校を破ったそよ風高校は続く三回戦で優勝候補の一角である海東学院高校と激突し、死闘を繰り広げた。

 竹ノ子高校の打線を手玉に取った阿畑やすしの魔球、アバタボールとアカネボールは大会きっての強力打線である海東学院高校を相手にも猛威を振るった。

 一回から九回に掛けて奪った三振は圧巻の13個。最速153キロ左腕の海東学院エース樽本有太との両者一歩も譲らない壮絶なエース対決は、波輪との勝負と同様に場内の視線を釘付けにしたものだ。

 失った失点もまた、ラストイニングである九回に失った一点のみ。しかし惜しくもその一点によって、そよ風高校は夏の舞台から姿を消すこととなった。

 

 1対0、サヨナラパスボール――それが、そよ風高校の終幕である。

 

 たった一球の悲劇、相手の海東学院高校としてはたった一球の奇跡と言ったところか。一年生ながら巧みなキャッチング技術を持ち、竹ノ子高校戦でも一球もボールを逸らさなかったそよ風高校の捕手木崎が、0対0で迎えたサヨナラのピンチの場面で阿畑が投じたウイニングショットのアカネボールを捕り損ね、海東学院高校に対し最初で最後の一点を与えてしまったのだ。

 マネージャーとして現地で観戦していた星菜の目には敗北の責任を一身に抱えて涙する一年生の木崎の姿と、そんな彼を笑って慰めていた三年生の阿畑の姿が酷く印象に残った。

 

 そよ風高校を完封勝利で破り、勢いに乗った海東学院高校はそのまま順調に勝ち進むと、甲子園出場を賭けた決勝戦は昨年の覇者あかつき大附属高校とぶつかった。

 あかつき大附属高校は準決勝で戦ったパワフル高校以外全ての対戦校を相手にコールド勝ちを収めており、その圧倒的な実力を世間の目に知らしめていた。両校の下馬評もエースの樽本有太と猪狩守は互角の実力だが、それ以外は全てあかつき大附属が勝っているという認識で大方一致していたものだ。

 

 だが結果的に勝者は海東学院高校となり、優勝候補最有力と持て囃されていたあかつき大附属高校の夏はここで終わってしまった。

 4対3、逆転に次ぐ逆転のシーソーゲームだった。熱戦の果て高校三年目にして初の甲子園出場を決めた瞬間、ようやくマウンド上で笑顔を浮かべた樽本の姿が印象的であった。

 猪狩守というスターが出場しない甲子園大会ではあるが、実力もルックスも申し分のない彼が出場するのならば世間様も大いに満足してくれることだろうと、割とどうでも良さげに星菜は思った。

 

 今年の夏の甲子園もまた、きっと大いに盛り上がるだろう。

 しかし予選で敗退を決めている竹ノ子高校にとってそれは、全くもって遠い話であった。

 八月――甲子園球場では今夏最強の高校を決める大会が行われるこの月を、竹ノ子高校はチーム全体の強化(レベルアップ)期間として扱う。

 学校のグラウンドを離れ、それまでに無い強化練習に取り組むことを監督の茂木が決定したのだ。

 

「合宿……でやんすか?」

「そうだ。八月頭からやるぞ」

「ま、またあれが始まると言うのか……っ!」

 

 一日の練習後、茂木は星菜を含む野球部員一同を集合させるなり開口一番にそう言った。

 その言葉を聞いて期待から喜色を見せる者も居れば、反対にどんよりと顔色を悪くした者も居る。後者の反応は主に、矢部明雄ら二年生の者が多かった。星菜は噂にしか聞いていないことだが、昨年度行われた竹ノ子高校の強化合宿は胃から汗を流す非常にハードな内容だったようだ。

 だがチームが強くなる為に厳しい練習を行うのは至極当然のことだ。昨年度の合宿を実際に体験していないからとも言えるが、星菜の反応はどちらかと言えば前者寄りだった。

 

「合宿施設はパワフル高校とか、他県のときめき何たらって高校とかと共同で扱うから粗相のないようにな」

「何たらって随分適当ッスね監督」

「あー、あとついでだ。合宿中に練習試合もやるつもりだから、新しい背番号を配っておくぞ」

 

 部員達のざわめきを普段通りの軽い調子で流すと、茂木が手に持った一枚の布切れを広げる。

 その布切れ――ユニフォームに縫い付ける真新しい背番号「19」の元に、星菜達の目が集まった。

 

「……と言っても、1番から18番までは今までのままなんだけどな」

 

 薄い無精ひげを生やした口元を苦笑に歪めながら、茂木は星菜に対して(・・・・・・)それを差し出した。

 

「泉、お前の背番号だ」

「……えっ?」

 

 一瞬――この時、星菜は自分が何を言われたのかわからなかった。

 

「は……はい」

 

 無礼にも遅れて返事を返しながら、星菜は一歩前に踏み出して茂木の顔を窺う。

 苦笑の中にどこかいたずらっぽさを浮かべるその表情は、予期せぬ出来事を前にどうすれば良いかわからない星菜の反応を面白がっているようにも見えた。

 

「お前の番号は19番だ。まあ暫定の番号だから、今後の状況によっちゃ変わることもあるがな」

「……ありがとうございます、監督」

 

 茂木の手から背番号を受け取った瞬間、星菜は内から沸き上がる喜びを衆目から隠すように顔を俯かせると、一礼を行うことでそれを誤魔化す。その後一枚の布切れを大事そうに抱えて後退する星菜に対し、茂木は後頭部を掻きながら呟いた。

 

「ウチは人数少ないから背番号なら誰でも貰えるんだがなぁ。そんなに嬉しそうにされると、何か調子狂うな……」

 

 人数の関係上、部員ならば誰でも貰える背番号を貰えた。それだけの――それだけのことだからこそ、星菜には嬉しかった。星菜にとってそれは、自分がこの野球部に所属する選手として正式に認められたことと同義だったからだ。

 これがどうして、嬉しくない筈が無かった。

 

「やったッスね星菜ちゃん!」

「おめでとう、星菜ちゃん!」

「って言うか監督、渡すの遅いでやんす! 大会始まる前に渡せば良かったでやんすよ!」

 

 そして何よりも……女子である自分が監督から背番号を貰ったことに対して誰一人として不服そうな顔をしない部員達の姿に、星菜は彼らが持つ心の温かさを感じた。

 

「良かったな」

「……うん」

 

 最後に鈴姫から肩を叩かれると、星菜は喜びを込めてその言葉に頷く。

 こんなどうしようもない自分でも、彼らは受け入れてくれるのなら。

 

 ――もう、逃げ場なんてないじゃないか……。

 

 野球チームとしての実力は心許ないかもしれないが、このチームは最高だ。星菜は「らしくない」と思いながら、素直な気持ちでそう思った。

 

 


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