外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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エース破り

 

 手近な喫茶店に場所を移した二人は、一つ落ち着いたところで会話を再開した。

 最初に話したのは、雅から訊ねられた星菜の近況についての話だった。根掘り葉掘りというほどではないが、雅にこれまでの近況について聞かれた星菜は場を無駄に重苦しくしない範囲でそれらのことを話すことにした。

 

 しかし一通り話し終えた後で雅の顔色を見て、星菜は持ち前の陰気さがここでも発揮されてしまったのかと反省する。

 

「……君も、随分苦労しているんだね」

 

 同情的な視線を覗かせながら、雅が言う。その金色の瞳が涙で潤っているように見えるのは、決して気のせいではないだろう。

 しかしそれもすぐに柔和な表情に戻り、彼女は朗らかな笑みを浮かべた。

 

「でも、最近は良い時間を過ごしているみたいで安心したよ。って言うか星ちゃん、思いっきり青春しているじゃん!」

「青春?」

「ほら、その鈴姫君とのこと」

「青春……青春ですか。そうなの?」

「そうなの?って……話を聞くに、私には君達の関係が恋愛ドラマに出てくるようなカップルにしか思えないんだけど」

「………………」

「えっ、もしかして自覚してないの?」

「いや、自覚も何も……」

 

 雅は星菜の話に登場した鈴姫健太郎という男の存在に偉く興味津々の様子だったが、自分と彼は彼女の想像するような関係ではないと言って否定する。

 それは特に照れ隠しだとか、そう言った意味ではない。

 星菜としては、ただありのままの事実を話しただけだった。

 

「私達の関係は、あくまでも親友なんだと思います。アイツも、今はそれでいいって言ってくれたし……」

「男女の友情は何とやらとも言うけどね。告白までされて、君だって満更じゃないんでしょ?」

「……しつこい」

「あはは、ごめん。だけど君がそこまで特別に想っている男の子か……どんな子か興味があるね」

 

 鈴姫の気持ちは聞いた。彼の方は雅の想像する関係になることを望んでいることも、直に告白された。

 だが、高校を卒業するまでは待ってくれるとも言ってくれたのだ。それまでの間は、星菜は女で居るよりも野球人として在るつもりだった。

 そう雅に言うと、彼女は「そういうところ、昔と同じだね」と相変わらずの野球馬鹿ぶりに安堵の笑みを零した。

 

「私も会ってみたいな。その鈴姫って子と」

「……機会があればどうぞご自由に」

「やきもちは焼かないでね?」

「焼き餅? 餅のシーズンは随分先でしょ」

「なんて古いすっとぼけ……ああ、これは鈴姫君、苦労しそうだね。まあでも、君はそこのところ相変わらずで安心した」

 

 注文したコーヒーを飲みながら、星菜は雅との旧交をのんびりと温める。

 お互いに愚痴をこぼし合ったり、最近はこれが楽しかっただとか誰が何をしただとか、どこにでも広がっているような他愛の無い友人同士の会話風景であった。

 

「そう言えば、雅ちゃんはプロ野球は観てるの?」

「見てるよ、私はホークスを応援してるかな。君は?」

「ブルーウェーブ」

「えっ? バファローズじゃなくて?」

「私の中ではいつだってブルーウェーブだよ。まあ吸収合併された後は、バファローズに居る元ブルーウェーブの選手だった人を応援してるけど」

「変わった観方してるね、君」

「人それぞれの観方で観れるからプロ野球は面白いんじゃないか。でも、雅ちゃんまでパのファンだったなんて」

「昔は本当酷い扱いだったよねパ・リーグは。あっ、そうそう、そう言えばなんか最近ニュースで新しいリーグを作るとか言ってたね。数年後の話になるんだろうけど」

「レジェンド・リーグだっけ?」

「レボリューション・リーグだよ……」

 

 気付けば星菜の雅に対する言葉遣いは昔と同じ砕けたものに戻っており、雅もまたそれを指摘することなくごく自然のままに受け入れていた。

 星菜にとって思いがけない再会を果たしたこの休日は、野球をしていないにも拘らず心から有意義だと思える時間だった。

 長時間喫茶店に居座り続けることは迷惑なのではないかと思った星菜だが、店内は空いており店員も彼女らを見て注意することが無かった為、二人は思うままに談笑を続けた。

 

 そして話し込むこと数時間後、ようやく日が暮れたことに気付いた星菜と雅はお互いの連絡先を交換し合うと、普通の女子高生のように手を振りながらその場を別れた。

 いつかまた会う日のことを、その胸で楽しみにしながら――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 束の間の休日によって体力を全快させると、竹ノ子高校野球部は翌日から早速練習を再開した。

 彼らが次に目指すことになる十月開催の秋季大会まではまだ期間に余裕があるとも言えるが、逆に無いとも言える。二ヶ月という猶予は勿論それまでの間を無益に過ごせば全く意味を為さないものとなるだろうが、肉体的に育ち盛りの男子高校生達が突き詰めて鍛え上げれば夏季から掛けて大幅なレベルアップを果たすには十分な期間でもあるのだ。練習時間など、要は使い方次第なのである。

 しかし男子部員達とは違い、肉体の成長が止まり技術的にもほぼ完成されてしまっている星菜にとって、この二ヶ月間で全ての能力を大幅に向上させることは難しいだろう。星菜がそのことについて監督の茂木に相談したところ彼も概ね同意見だったようで、それならば星菜の最大の課題である体力作りにと焦点を当てた練習メニューが組まれることとなった。

 

 未だ女子選手大会出場を求める署名運動の効果が現れていないにも拘らず、すっかり秋季大会に出場する気になっている自分自身に苦笑しながら、星菜は練習着に着替えるなり軽い足取りで校庭のグラウンドへと向かっていく。

 野球部の練習スペースであるそこには星菜よりも一足先に何人かの部員が集まっており、練習開始時刻の前から何やら話し込んでいる様子だった。

 

「エース破り? なんだそりゃ」

 

 集まっているのは波輪、ほむら、矢部、六道の四人だった。

 星菜が挨拶がてら後ろから彼らの元へと近づいていくと、疑問の色が篭った波輪の声が聴こえる。

 質問を投げ掛けている様子の波輪に対して、彼にしては珍しく早めにグラウンドに出ていた矢部明雄が最初に応じた。

 

「波輪君知らないんでやんすか? 最近有名な噂でやんすよ」

「いや、今初めて聞いたぞ。六道は知ってるか?」

「俺もさっき矢部から聞いたばかりだ。どうやら最近、この地区内の高校のエースピッチャーを相手に、手当たり次第に勝負を吹っ掛けている野球少年が居るらしい」

「ふーん。あれか、倒したら看板を持っていく道場破りみたいな」

「現実にもそういう変な人が居るもんッスね」

「そこはかとなく香ばしい臭いがするでやんす!」

 

 エース破り――聞き覚えの無い単語が聞こえたことで星菜は興味を抱き、彼らの話の輪へと控えめに介入する。

 

「……皆さん、何の話をしているのですか?」

 

 幼い頃ならばいざ知らず、コミュニケーション能力に自信の無い星菜はこれが野球に関する話題でなければ進んで話に加わろうとはしなかっただろうが、その単語の響きからして何となく野球に関する話題だとイメージが浮かんだのである。

 波輪の背中から出てくる形となった星菜の姿にようやく気付いた彼らは揃って挨拶を行うと、最も喋りたがりな矢部が件の話題について説明した。

 

「最近、野球部の間に流れている噂でやんす」

「噂、ですか?」

 

 いわく、最近――丁度星菜達竹ノ子高校野球部が合宿に繰り出した辺りから、この地区内で妙な野球少年が出没しているとのこと。

 いわく、その野球少年は地区内の高校の野球部の前に神出鬼没に現れては、各チームのエース投手に勝負を挑んでいるとのこと。

 いわく、少年の服装は至って普通のジャージだが、頭部には日曜朝のテレビで放送されているような戦隊ヒーローのようなヘルメットを常時被っている為、素顔は誰も知らないのだとのこと。

 先に説明を受けた波輪は「エース破り」という単語から格闘家の道場破りのようなものを連想していたようだが、星菜もまた大体同じようなものを連想した。

 そして、矢部による説明を一通り聞いた後で星菜はばっさりと言い切る。

 

「変態ですね、その人」

 

 その野球少年は、間違いなく変態だと。

 正体を隠し、各高校のエースに手当たり次第挑戦していく野球少年――まあ、これ自体はそう聞かない話ではない。野球漫画では。

 しかし星菜はそう言った行動はフィクションにのみ許されることだと認識しており、彼女の中ではそのようなことを現実で行ってしまうような人間などは現実と空想の区別もついていない実に愚かな人間――変態以外の何者でもなかった。

 

「結構、容赦なく言うね星菜ちゃん」

「最近地味に遠慮が無くなってる気がするでやんす。まあ、オイラは大歓迎でやんすけど!」

 

 蔑んだ感情が珍しく顔に出てしまったようだが、そんな自分を見て不快な思いをしていない彼らの様子に星菜は安堵する。被っていた猫も少しずつ外していけば、こうして彼らに受け入れてもらえるのだろうか……そう思い、対人関係への不安が以前よりも和らいでいる自分にちっぽけながらも確かな成長を実感した。

 そんな星菜の胸中はさておき、会話に入っていた六道明が噂の「エース破り」について話を戻す。

 

「だが、噂によれば実力は確かなようだ。驚くことに、その打率は十割……どうやらそのエース破りとやらは、対戦した全員に完勝しているらしい」

 

 くだらない話を聞いてしまったと思っていた星菜の耳に、再び興味を引く言葉が響いた瞬間だった。

 トンチキな格好で各校のエースに勝負をふっかけ、全て勝利する――実にフィクションめいた話である。しかしそれがもしも本当ならば、噂の「エース破り」が只者でないのは間違いないだろう。

 少なくとも、野球漫画の登場人物に憧れて馬鹿をやっているだけの素人ではないようだと、星菜は再びその存在に興味を示した。

 ――しかし。

 

「単に、相手のエースが大した投手ではなかったのでは?」

「俺も最初はそう思って聞き流していたんだけどな。そいつに打たれたエースピッチャーの名前には、あの山道翔と――早川あおいも挙がっていた」

「ッ!」

 

 ――六道の口から「エース破り」によって敗れたエース投手のリストが挙げられた瞬間、星菜の興味は興味とは別の感情へと切り替わった。

 

 それは、近頃良いことが続いていた星菜の中では久しぶりに抱いた不快感であった。

 

「……六道先輩は、真面目な方だと思っていたのに」

「おい泉、そんな顔をするな。俺は冗談で言ってるわけじゃないぞ」

「やーいやーい嫌われてやんのー」

「ざまあみやがれでやんす」

「……もういい」

 

 「エース破り」という人物の噂を最初に流した人物への軽蔑心と、そのようなくだらない噂を信じている野球部の仲間達への失望、憤怒である。

 

(エース破り……? そんなふざけた奴に、あおいさんが打たれるわけない……!)

 

 パワフル高校の山道翔を打ったのが本当ならば、大いに賞賛するところだ。

 しかし、早川あおいは違う。

 星菜にとって早川あおいという人物は、ただの優秀な投手という枠に当てはまらない感情を抱いている「特別」な人間なのだ。そんな彼女がどこの馬の骨かもわからない人間に打たれたという根拠の無い噂を耳にして、面白い筈が無かった。

 

 ――あの人に限って、そんな変態に負けるわけがない。

 

 それは星菜の意地だった。例えその事実の裏付けがあろうとも、星菜には意地でも認めることが出来なかったのだ。

 そんな星菜を置いて、波輪達は話し合っていた。

 

「でも、もしそいつがウチのところにも来たらどうしようか?」

「わざわざ勝負を受けてやる義理は無いだろう。練習時間は有限、俺達は暇じゃないんだ」

「でも、本当にそのエース破りっていうのが良いバッターなら、良い経験になるんじゃないッスか?」

「絶対、勝負するべきでやんすよ! その方が面白いでやんす!」

 

 どうやら噂の人物、「エース破り」がこの竹ノ子高校に現れた場合の対処法を考えている様子だった。

 しかし現在の竹ノ子高校のエース投手が勝負を受けたくとも受けることが出来る状態にないことは、この学校に居る誰もが周知の事実だった。

 未だ波輪の右肩は、ボールを投げられる状態にないのだ。

 

「まあ、心配してもウチの野球部には来ないだろう。勝負を受けるエースがこのザマではな」

「ハハッ、ぐうの音も出ねぇよ……」

「まあ、過ぎたことをネチネチ言ってもしょうがないッス。波輪君は焦らず、じっくり肩を治すッスよ。どうせ秋には間に合わないんスから、来年までに万全にしておくッス」

「おう、来年なら俺は完全体になってるぜ」

 

 波輪の右肩の状態は学校外でも知られていることであり、彼のことで時々校内に出入りしてくるテレビ局の取材陣によって、今や地区内で知らない者はほとんど居ないだろう。

 それは恐らく、噂の「エース破り」もまた聞き及んでいる筈だ。故に可能性としてみれば、エースが現状不在である竹ノ子高校に件の人物が押しかけてくることはほぼ有り得なかった。

 しかし、それでも「エース破り」がこの学校にも来ることがあるのなら――星菜の心は決まっていた。

 

「……もしその人が来たら、私が波輪先輩に代わって投げます」

 

 静かに闘志を燃やしながら、星菜が彼らに宣言する。

 常の彼女らしからぬ気迫を受けてか彼らの表情は慄くように強張っていたが、この時の星菜がそんな彼らの様子に気付くことはなかった。

 「エース破り」にあの早川あおいが負けたという噂を、星菜は今のところ欠片すらも信じていない。

 しかし、真偽を確かめたい気持ちはあった。

 あおい本人に直接訊ねれば事足りるが、星菜はあえてそれをしない。

 この竹ノ子高校に現れた件の人物の相手を自分が行い、完膚なきまでに叩きのめす――そうすることで、早川あおいが負けたという聞くに堪えない噂話を偽りだと証明したかったのである。

 尤も、そもそも「エース破り」という人物が最初に噂を流した誰かによるくだらない妄想だったのならばそれで良い。よくある作り話だったと笑い飛ばし、数日後には頭の端から綺麗さっぱりと忘れることが出来るからだ。

 

 

 ――しかし、この時の星菜には知る由も無かった。

 

 早川あおいを破った「エース破り」の存在が、全て嘘偽りの無い事実であったこと。

 そしてその「エース破り」の正体が、昨日再会した親友の野球少女だったなどとは――。

 

 


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