外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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異次元の遊撃手

 

 気迫を込めた一球は、完璧なコースに決まった筈だった。

 

 内角から低めのボールゾーンに割れていく高速縦スライダー。右打者にとっては泣きどころのコースであり、変化のキレも制球された狙いにも狂いは無かった。

 星菜にとってそれは、決して打たれる筈の無い最高のウイニングショットだったのだ。

 

 しかし、小山雅が振り払ったバットは空を切ることなく豪快な金属音を鳴り響かせ――

 

 

 ――美しい放物線を描き、フェンスを越えて地面へと落ちていった。

 

 

 特別なことは何もない。

 ただ泉星菜が完璧に投げ切った筈のウイニングショットは、それ以上に完璧だった小山雅の打撃によって打ち砕かれたのである。

 

 レフトの彼方に消えていった打球の着弾点を打席から確認した後で、ようやく一塁方向へと歩き出した雅はそのまま二塁、三塁、と緩やかにベースを一周していき、最後はその足でホームベースを踏みしめた。

 その間、彼女は終始無表情で。

 まるでそれまでの動騒が嘘だったかのように落ち着いた表情で、彼女はマウンドの投手へと言い捨てた。

 

「言った筈だよ……こんな子供だましのピッチングじゃ、私には通用しないって」

 

 この打席でホームランを打つという予告を自らの手で実現させてみせた雅だが、その表情は自身の打撃を誇ってはいなった。

 プロの野球選手が小学生を相手にホームランを打つのと同じで、彼女にとっては星菜のボールを打つことに何の愉悦も感じなかったのだ。

 

 この打席での結果こそが、二人の間を分かつ絶対的な力の差であった。

 

 雅は哀れむような眼差しを彼女に送り、そしてベンチへと戻っていく。

 試合はこれで1対1の同点だ。戦況はまだ振り出しに戻っただけではあったが、雅の放った一撃は竹ノ子高校にとってそれ以上の傷を与える結果となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(まずいな……)

 

 今のホームランは、自分のミスだ。雅の達人的な打撃を間近で目の当たりにした捕手の六道明が、苦虫を噛みながら一旦タイムを取ってマウンドへと向かっていく。

 彼女に打たれたボールは星菜の投げミスではない。間違いなく、明が要求した通りのボールであった。

 投手が狙い通りのボールを投げたのにも拘らず打たれたのであれば、責任は投手をリードする捕手にある。ましては自分は先輩で、彼女は後輩なのだ。然るべきフォローを行わず手痛い目に遭うことは、明には以前の恋々高校との一戦で十分だった。

 

「……すまない、今のは俺の配球ミスだ」

 

 打たれたのはボール球とは言え、捕手の工夫次第では防げたかもしれないホームランである。

 今のは決してお前のボールが悪かったわけではない、だからこれからも自信を持って投げろという意味を込めて、明は励ますように星菜に告げた。

 小山雅という少女とはただでさえあのような言葉のやり取りがあった後だ。明の言葉は今の星菜の精神状態に配慮した言葉であったが、当の星菜には聞こえていないのか、彼女は俯いたまま顔を上げなかった。

 

(無理もないか……)

 

 彼女からしてみれば自分のこれまでの野球人生を全否定された挙句、それを決定づけるようなホームランを打たれたのだ。鈴姫健太郎のお陰か最近こそ以前より明るくなったように見えていたが、彼女の中で未だ燻り続けている女子選手特有のコンプレックスなど明には到底わからなかった。

 ホームランを打たれて上の空な投手など、本来ならば引っ叩いてでも立ち直らせるのが捕手の務めであろう。しかし今回の場合は状況も状況であり、相手も相手であり、明にはどうやってフォローしてやればいいものかと気の利いた言葉が見つからなかった。

 そんな時である。

 

「……先輩は」

「む?」

 

 俯いたまま、彼女は明に切り出した。

 どうやらこちらが恐れていた以上に、彼女にとって今のホームランは堪えていたようだ。重く沈んだ声に、明は彼女の受けた苦痛を察する。

 そして次の言葉を紡ぎ出す際に彼女が上げたその顔からは、「恐れ」や「迷い」と言った今にも不安に押し潰されてしまいそうな危うい感情を読み取ることが出来てしまった。

 

「先輩はこれでも……私のことを見捨てませんか……?」

 

 そんな彼女の問いを受けて、明は静かに目を瞑る。

 打たれた自分を見捨てないか……その問いに、明は泉星菜という人間の弱さを感じた。そして彼女のことになると度々普段の冷静さを失う鈴姫健太郎の気持ちが、この時の明には何となくわかるような気がした。

 放っておけない――まるで捨てられた子犬や子猫のように、彼女の落ち込んだ姿は庇護心を刺激してくるのだ。彼女自身が望もうとも望むまいとも、男である自分が守ってやらねばと考えてしまう。

 恵まれた容姿と相まって、年頃の少女が持つものとしてそれは十分に長所なのであろう。しかし、野球選手としてそれが必要かと問われれば答えは否だ。

 小山雅という少女が放った言葉は暴言ではあったが、一部分では確かに的を射ていたのだ。感情を抜きにして客観的に見れば、彼女のような人間は野球から離れた人生を送っていた方が大成する気はした。

 

 しかし。

 

「そんな顔をするな」

 

 ――そんなことを、一体誰が決めたというのか。

 

「ピッチャーを見捨てるキャッチャーなど居るものか」

「…………っ」

 

 人の野球人生を否定する権利など、例えメジャーリーガーであろうとありはしない。雅の言った言葉に対して、明はそう笑い飛ばしたい。

 彼女の人生を決めるのは、彼女だけだ。

 泉星菜があの小山雅という少女とどれほど深い繋がりがあったとしても、それは決して変わらない筈だ。

 客観的に、あくまでも「他人事」だからこそ、明は彼女の不安を吹き飛ばすように星菜に言って笑いかけた。

 そんな明の言葉に、彼女の表情から暗い色が落ち着きを見せる。こんな言い方でも、励みになってくれれば幸いである。

 明は自分も大概器用な人間だとは思っていないが、捕手としての立場から投手の心を激励することは出来る。

 そしてこの時の明には与り知らぬことであったが、そうした物言いこそが泉星菜が求めていた言葉でもあった。

 

「しかし、君もまだまだ甘いな泉。試合中にそんなくだらないことを考えているから、奴にホームランだって打たれるんだ」

「先輩……」

「自分を信じて俺のミットに投げろ。安心しろ、責任は全部俺が取る。失敗するのが俺に……俺達に申し訳ないと思うなら、そんなことを考える暇もないぐらい集中して自分のピッチングをしろ」

 

 傷心している後輩の少女に掛ける言葉としては少々手厳しいかもしれないが、明も伊達に彼女とバッテリーを組んできたわけではない。

 彼女は波輪風郎ほど強くはない。しかし泉星菜という人間は、決して弱くはないと明は信じていた。

 

「君なら出来ると思っていたんだが……買いかぶりすぎだったか?」

「……いけます。私はまだ、投げられます」

「いい返事だ」

 

 彼女のグラブにボールを渡し、明は彼女の言葉に満足する。

 今は試合中。難しいことを考える時間など、試合が終わった後ならばいくらでもある。そんな明の意図は無事に伝わったのであろう。左手でボールを握り締める彼女の目は弱々しい乙女のそれではなく、打者に立ち向かっていく力強い投手の目だった。

 

「よし、行くぞ。鈴姫、お前も戻れ」

「……はい」

 

 彼女はまだ戦える。そのことに安堵した明は、いつの間にかマウンドに寄っていた頼もしいショートストップに声を掛けてからキャッチャーボックスへと引き下がっていく。

 

 そして球審の声によって、プレーは再開した。

 

 

 

 

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

 四番鬼力が完全にタイミングを外され、相手のスローカーブによって空振りの三振に倒れる。

 小山雅のホームランによって同点に追いついたときめき青春高校であったが、それによって相手投手が投球のリズムを崩すことはなかったようだ。

 先ほど会話をしていた様子を見るに、恐らくはあの捕手が上手いこと彼女の心を立ち直らせたのだろう。

 余計なことを……とベンチから眺めていた雅が小さく、心底忌々しげに呟く。

 彼女などあのままずっと落ち込んで、諦めて野球の舞台から引っ込んでくれれば良かったのだ。

 

「私は、私以外のバッターに君が打たれる姿なんて見たくないんだけどね……」

 

 それは雅なりの、彼女に対する慈悲であった。

 あれだけ野球が大好きだった泉星菜だ。昔は彼女と特別仲の良かった雅からしてみれば、彼女が他の雑魚共と同じように叩きのめされていく光景を見るのは友達として忍びなかった。

 彼女の敗北は雅にとっての勝利であり、雅が野球を完全に諦める為には必要な条件だ。しかしその一方で、雅は彼女を傷つけることを良しとしていない。それが明らかに矛盾した考えであるということに、雅は気付いている。しかし気付いていたところで、もはや雅自身にもどうすることも出来なかった。

 実のところ、明らかに挑発の枠を超えていた先ほどの言動に関しては、雅にとっても想定外だったのだ。

 

(私がこうなったのは、私自身が招いた結果か……)

 

 あの時、雅の言葉が星菜の心を抉ったのと同じように、星菜が雅に言った言葉は雅の心をきつく抉ったのである。

 彼女の指摘は、雅にとっては最も直視したくないと思っていた自分の弱さに対するものだった。

 自分は早川あおいのように、真っ向から現実に立ち向かうことが出来なかった弱い人間であると――他でもない泉星菜から受けた言葉だからこそ、雅が受けた痛みは大きかった。

 

「……もっと早く、再会したかったな……」

 

 人は図星を突かれた時こそ大きく取り乱すものだ。

 彼女の叱責は、ときめき青春高校の一員だった頃の自分になら届いていたかもしれない。

 あわよくばこんな風に変わり果てる前に、自分を救ってくれたかもしれない。

 しかしそんなことを考えても、今となっては後の祭りだった。

 

「残念だよ、星菜」

 

 彼女との再会が遅すぎたことも。

 彼女の実力が、自分の期待に応えられるものでなかったことも。

 その全てが、雅には残念で仕方なかった。

 

 そう呟いて雅がグラウンドを眺めていると、ときめき青春高校の五番朱雀がヒットを放った。

 

「……早速打ったな」

「朱雀君のスイングスピードなら当然だよ。ちょっと頭を使えば見ての通り、ヒットは出る」

 

 ツーアウトから飛び出した朱雀の当たりは外角のボールゾーンに外れていくスライダーを意図的に引っ掛けて、サードの頭上を越してレフトの前へと落としていくテキサスヒットであったが、雅としてはそれで上出来だった。同じシングルヒットならば、ポテンもクリーンヒットと同じだというのが雅の野球論でもある。

 野球は所詮、野手の居ないところへ打球を飛ばせばいいスポーツだ。特にあの泉星菜という投手には、それこそが最も効果的であることを雅は見抜いていた。

 早速打った、とまるで予定調和のように言う青葉春人の言葉に、雅は頬杖を突きながら返す。

 

「あの手のピッチャーは鬼力君みたいなフリースインガーとの相性は良いかもしれないけど、逆は最悪だからね」

 

 先ほど、打席に鬼力が立っていた頃のことである。

 雅は自らのホームランによってベースを一周してベンチに戻った後、ときめき青春高校のチームメイト達に泉星菜の「攻略法」を伝授したのだ。

 雅は自分が打席に立った際に確信した彼女の弱点を明かし、そこを徹底的に突くように一同に仕向けたのである。

 

 

『あの子のボールは、遅すぎるんだ』

 

 雅がチームメイト達に伝えたのは、本当に見たままの情報である。

 そんな雅の発言であったが、やはりと言うべきかこれまで泉星菜の「遅い」ボールを前にノーヒットに抑え込まれていた一同にしてみれば腑に落ちていない様子だった。

 

『そりゃ、スピードガンで見たら大したことなさそうッスけど……実際打席立つと打ちにくいッスよアレは』

『ってか、言うほど遅いかね? 俺の目には思っていたよりずっと速く見えたが……』

『いや、やっぱりコントロールだろ。ああも続けて打ちづらいところに投げられると簡単には打てんぜ』

『それより変化球が厄介だYO。腕の振りも全部同じだし』

『ああもキレの良い変化球を混ぜて来て、ボールの出どころも見にくい……真っ直ぐ自体、手元でかなり伸びてくるが……』

 

 遅いボールしか来ないにも関わらず自分達がヒットを打てないのは、決して自分達の実力が低いからではないのだと……暗にそう弁明しているかのように、一同は打席で見た泉星菜の投球に対する感想を口々に述べる。

 実際、彼女は無策で勝負して連打が簡単に打てるような投手でないのことは雅もわかっている。しかし、雅からしてみれば彼らの感想はどれも失笑ものであり、既に自らの無能さを知らしめるだけの醜い言い訳にしか聞こえていなかった。

 

『良いように騙されているってことだね、それは』

 

 あの程度のボールに対して、打ちにくいと考えてしまうこと自体が彼らの実力の無さを物語っていた。

 これではヒットが出ないのも道理である。雅以外のときめき青春高校ナインは全員、泉星菜の魔法にまんまと嵌まってしまっていたようだ。

 

『確かに打席から目で感じるボールの質自体は悪くない。でも、あれはただ小手先の技術でそう見せているだけだ。どんなに頑張って速く見せようとしても、バットから感じる球威は110キロそこそこのボールに過ぎない』

 

 確かに彼女は、遅いボールを速く見せるというまるで魔法のような投球技術を持っている。

 それも、かつてプロ野球界に名を馳せた「星の大魔王」を彷彿させる投球技術である。

 

 ――「星の大魔王」の異名を持つ伝説の投手、星園渚――。

 

 一昨日の見学で彼女の投球を見た時、雅は彼女の招き猫のような投球フォームがかの大投手のそれに似ていることに思い至った。

 星園渚とは十五年前、名球会入り目前にして病に倒れた、プロ野球ファンの間では有名な悲劇のエース投手の名である。

 かの大投手は最速130キロ程度の球速でありながら、左腕の見えないボールの出どころを隠した投球フォームや緩急を織り交ぜる多彩な変化球によって、遅い直球を実際の球速表示よりも速く錯覚させていたと言う。

 没年35歳にして彼がプロ野球人生において積み重ねた勝利数は驚異の199勝である。アマチュアレベルの球速のボールしか投げられないにも拘らずプロの打者を次々と切っては勝ち進んでいく彼を、人々はいつしか広まっていた「星の大魔王様」という二つ名で讃えていたと言う。

 

 尤も雅は当然ながら、かの大投手の投球を生で見たことはない。

 彼がこの世を去ったのは十五年前のことであり、当時は雅がまだ野球に興味を持っていないどころか、一歳の赤子だったのだ。雅が彼のことを知っていたのは、何度かドキュメンタリー番組や動画サイトなどで残っていた情報を目にしたことがあったからである。

 現代のプロ野球の世界で彼のような遅い球速で活躍出来る投手は極めて稀であり、アンダースローやナックルボーラ―のような投手を除けば限りなくゼロに近い。故に雅も彼のことを知った時、彼の特異な投球スタイルに興味を抱いたものだ。

 その好奇心から、彼の関係者が書き綴った彼についての著書を読んだこともある。

 そしてその著書には、球速が遅い故に彼が苦労したことなども丁寧に書き綴られていたことが記憶に残っている。

 

『球威が無いから、多少のボール球でもタイミングを合わせれば飛んでいく。それが攻略法だよ』

 

 その内容を思い出しながら、雅は一同に泉星菜の致命的な弱点を明かした。

 伝説となった大投手、星園渚――彼の防御率は毎年安定した数値を保っており、様々な指標でもトップクラスであったが、一つだけ大きな欠点があった。

 それは「被弾」の多さである。規定投球回に乗った年はそのほとんどが二十本前後のホームランを浴びており、被本塁打王争いの常連だったと言う記録が今でも残っている。

 

 そう言った知識も手伝い、雅は打席に立つ以前から星園渚の投球フォーム、投球スタイルが驚くほど酷似している星菜もまた、彼と同様の弱点を抱えているのではないかと睨んでいたものだ。

 答えは、まさにその通りであった。

 雅は彼女のボールをフルスイングで打ち返し、会心の一撃を放った筈だが、その手には本来ならある筈の痺れるような感触が無かったのだ。

 

『……球が軽いってことか?』

『簡単に言えばそんなところかな。あの子が投げるボールは、ストレートも変化球も軽いんだ。こんなにやわっちい私の手ですら、あの子のボールを打った時は全く痺れなかった。真芯で打ったのもあるけど、それにしたって感触が弱すぎたよ』

 

 星園渚と似ている投球フォームが直接的な要因とは限らないが、性別、体重の軽さ、角度の無さ、ボールの軌道、ボールの回転、そのあらゆる点が、彼女の投げるボールの反発係数を引き上げてしまっているのだとは推測出来た。

 彼女もまたその弱点はある程度理解しているのだろう。だからこそ彼女はせめてもの小細工としてツーシームやカットボールなどと言ったバットの芯を外すボールを主体的に多く使い、綺麗な軌道で入ってくるフォーシーム――通常のストレートは見逃しのストライクを取れる自信がある時ぐらいしか使わない。

 これだけわかりやすい配球パターンと実際に打席に立った情報が頭にあれば、彼女の攻略法など誰にでも思い浮かぶというのが雅の言い分であった。

 そしてここまで言った後になって、雅には自分が打つまで彼女の情けないボールに手も足も出なかった味方ナインに対して腹が立ってきた。

 

『……君達はボールの待ち方がなっていないんだよね。まともに来もしないフォーシームばっかり狙っているから、あんな子供だましのスローカーブやチェンジアップなんかに騙されるんだ。配球の割合的に、そもそもが変化球中心のピッチャーなんだから始めからストレートは捨てるなりなんなりして、ちょっとは頭を使いなよ』

『うっ……』

『雅ちゃん、怖いぃ……』

 

 無策で打席に立ってバットを振るだけ……そんなことは、今時リトルリーグだって許されないことだ。

 ましてや彼らがやっているのは高校野球だ。泉星菜程度の投手に手こずっているようでは、甲子園出場など夢のまた夢だと雅は言ってやりたい。

 そんな彼女の棘のある言葉に、筋骨隆々な男児たる一同は全員が怯えた反応を寄越したものである。

 

『ストレートが来たところで、実際の球速よりは速く見えるだろうけど精々体感130キロがいいところだからね。変化球狙いのタイミングでも、君達ならカット出来るでしょ?』

『あ、ああ……』

『まったく……私はもういなくなるって言うのに、そんなんじゃ先が思いやられるよ』

 

 深くついた溜め息が、これでもかと言うほどに雅の気持ちを表していた。

 雅は落胆する。どいつもこいつも、ときめき青春高校の選手はセンスだけで野球をやっている者ばかりだ。

 良く言えば天才肌な選手が多いとも言えるが、頭を使ってプレーをすることが少ないという欠点を露呈していた。

 自分の野球人生は今日で終わる。故に彼らが今後どれだけ苦労することになろうと知ったことではないのだが、彼らのような無能な男達を見ると雅は無性に怒りが沸いてきた。

 それでも辛うじて苦言程度に収めているのは、この試合の間は共に泉星菜を叩き潰す為に必要な戦力だからでもあった。

 

『……とにかく、あの子を打つのに長打狙いのフルスイングは必要ない。具体的に言うと、右バッターならセカンド方向、左バッターならショート方向に小フライを打ち上げるイメージかな。そうすれば、上手く詰まったテキサスヒットを連発出来ると思うよ』

 

 チーム全体で徹底的に打ち込んでやれば、彼女も野球を続けていく自信を失うだろうか……そんなことを考えながら、雅は具体的な指示を彼らに与える。 

 要は逆転の発想。彼女の投球でバッティングを崩されないように、自分からバッティングを崩していけということだ。

 

 ――尤もそれは、雅が適当に思いついた何パターンもの攻略法の一つに過ぎない。

 

 小山雅自身が先ほどの打席で実践したのはフルスイングによるホームラン狙いの打撃であり、彼らに告げたものとは明らかに正反対なものだった。

 一同もその矛盾に気づいたのであろう。怪訝な表情を浮かべながら、一同を代表して青葉が訊ねた。

 

『……そうは言うけど、さっきのお前は、思いっきり強振していたよな? なのにどうしてあんな簡単に打てたんだ?』

 

 周りには長打狙いのフルスイングは要らないと言っておきながら、自分はその長打狙いのフルスイングで豪快に引っ張り、泉星菜からホームランを放っている。

 彼女自身の打撃が、泉星菜の攻略法を否定していると彼らは思ったのであろう。

 しかし、それは間違いである。

 攻略法は攻略法でも、雅はただ自分が出来る中で最も効果的である「別の攻略法」を実践しただけなのだから。

 

『私はマウンドからベースに届くまでのボールの回転を見て、そこから球種を見極めて打ったんだ。これも球が遅いから出来たことだけど……君達には無理でしょ?』

 

 打席でボールを見た瞬間、雅にはわかってしまったのだ。

 雅には星菜の放つボールの回転が、縫い目まではっきりと見えていた。そしてその回転から彼女が選択した球種を瞬時に見極め、同時にそれまでの配球パターンからコースと高さを計算しながらバットを振り抜いたのである。

 

 雅にとっては、全て「球が遅いから」で済まされてしまう攻略法だった。 

 

 球が遅いから、ボールがベースに到達するまでの計算を楽々クリアすることが出来る。

 球が遅いから、狙い球だけに的を絞って迷いなく振り抜くことが出来る。

 そして球が遅いから、バットにさしたる抵抗も無いままレフトスタンドに運んでいくことが出来ると言うわけである。

 

 尤も、そんなことが出来るのはほんの一握りの天才だけだ。

 ボールの回転が見えたところでバットを振る身体の反応が追いつかなければ意味はなく、コースや高さが読めていても確実に仕留められないのであれば結果は凡打の山である。

 先のホームランは高い打撃技術は勿論のこと、超人的な動体視力と反応速度の高さ、一球先の配球を読み通す未来予知染みた予測能力を併せ持つ小山雅だからこそ成し遂げることが出来た離れ業であった。

 

 

 

「……異次元だな、お前は」

「そう思うなら、君は選手として低次元だってことだよ。青葉君」

 

 あまりにも規格外な才能を目にして、十分に天才と言われる人種である筈の青葉が慄然としている。そんな彼に対する雅はもはや取り繕う気も無く、心の落胆と共に薄い冷笑を返した。

 

 そんなことを話している間に打席ではときめき青春高校の六番茶来元気が外角のボール球を詰まらせながらもセカンドの頭を越えていくライト前ヒットを放ち、その間に一塁走者の朱雀が三塁まで陥れる好走塁でツーアウト一塁三塁へと得点圏のチャンスを作っていく。

 

 ――そして、続く七番神宮寺の打席。左打ちの彼がおっつけた打球はサードの頭を越えてレフトの前へと転がっていき、ときめき青春高校のスコアボードに追加点を加える勝ち越しのタイムリーヒットとなった。

 

 これで三連打。それまでノーヒットだった打線が嘘のような活気であった。

 

(……そう、球が遅いって言うのはどんなに誤魔化しても致命的な弱点なんだよ。大振りされない限り空振りを取れないから、こうして不運な当たりが続いたりもする)

 

 こちらの狙いにあちらが気付けば、内野が後退して外野が前進するテキサスシフトを敷くなりと対策を行うことは出来る。

 しかしそうなれば今度は外野の頭を越える長打を狙いやすくなる。彼女の場合はボールの球威が無いから、尚更だ。

 かの大投手、星園渚にはそう言った弱点を補う為の絶対的なウイニングショットが――「魔球」とも言える強力な決め球があったと聞くが、これまで見た限り彼女がそのようなボールを備えている様子はない。彼女にとっては、あの縦スライダーこそが決め球のつもりだったのだろう。

 

 ――それが、泉星菜の限界だということだ。

 

 プロの大投手の真似事をしたところで、彼女はその大投手とは何もかもが違うのだ。

 フォームを似せたところで、彼女は彼より腕が短いし身長もずっと低い。何より体重なんかは彼の半分程度しかないだろう。だからどう頑張っても物真似の域を出ることはなく、雅からしてみればその程度の投手など相手ではなかった。

 器用に変化球を投げ分けてもそうだ。肝心の真っ直ぐが遅いから、打者はすぐに慣れてしまう。軽打に徹しろという雅の指示には、彼女のボールの軌道に打者の目を慣れさせるという意味も含まれていたのだ。今はまだテキサスヒットばかりであるが、回が進めばその内クリーンヒットや長打もぼちぼちと出始めるだろう。彼女にとって絶望的な未来が、この目に浮かぶようだった。

 

 ……尤も、何度も言うようにそれでも泉星菜の投球は高校野球のレベルで戦っていくには十分なものではある。

 

 彼女の投球技術なら、多くの弱点を背負いながらも試合を作ることは出来るだろう。

 打線次第では、面白いところまでチームを勝たせることが出来るかもしれない。

 しかし、雅はその程度で満足するような星菜を見たくなかった。

 野球が出来るだけで喜んでいるような志の低い泉星菜を、雅にはどうしても認めることが出来なかったのだ。

 

(プロになるって約束したのにね……そんな球じゃ、なれるわけがないよ……)

 

 今と言う時代で、最速115キロのプロ野球選手など居る筈がない。

 球が遅いと言う彼女の弱点はかつて彼女が抱いていた壮大な夢を実現不可能にしており……それが、雅には悲しかった。

 彼女はまだ一年生、将来的にはもっと速くなるかもしれないと……そんな希望的な観測を抱くにも、今度は性別が重い足枷となっていた。

 

「なんで、君は男の子に生まれなかったんだ……」

 

 性別の壁が、彼女の伸びしろを消していたのだ。彼女の球速は他の子よりも一足早く成長期を終えた小学生時代から1キロも上がっていないことを、雅は彼女自身の口からも聞いていた。

 

 だから打席に立った時、雅にはわかってしまった。

 

 彼女が野球を続けたところでかつての夢を叶えるどころか、こうして騙し騙しの投球で打者をかわしていくだけの小さな投手で終わっていく運命なのだと。

 故に、疑問を感じてしまう。

 

 

 ――どうしてそんなになってまで、いつまでも「向いていない」競技に拘り続けるのだろうかと。

 

 

 

 




 

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