外角低め 115km/hのストレート【完結】 作:GT(EW版)
この冬休み、「クリスマスパーティーをやるでやんす!」と最初に言い出したのは、竹ノ子高校野球部副主将の矢部明雄である。
冬休みも変わらず練習漬けの日々を過ごしていた野球部員達であったが、丁度その日は翌日までオフ日となっており、催しを行うには都合が良い日程になっていた。クリスマス・イブも特に予定の無かった部員達は彼の思いつきに乗りかかり、「どうせなら監督や恋々高校の奴らも誘おうぜ!」という主将波輪の意見の下、話の規模はどんどん広がっていった。
この一年、竹ノ子高校野球部では色々なことがあった。特に恋々高校と共に行った署名運動などはその最たる例であり、良くも悪くも濃厚な一年を過ごした彼らはその一年の締めくくりとして、忘年会を兼ねた泊りがけのパーティーを企画したのである。
それが、今回開催された竹ノ子高校と恋々高校の「合同クリスマスパーティー」である。
会場はバスに揺られて数十分ほど離れた場所にある和風の旅館だ。
温泉旅行にも人気な綺麗な宿であり、一同はその宴会場を貸し切って料理やカラオケ大会、ビンゴ大会などのゲームへと賑やかに講じていた。
活発な少年達の思い付きに巻き込まれる形となった茂木や恋々高校野球部の加藤監督達であったが、二人とも教え子がこの企画を持ちだしてきたことに驚いてはいたが満更でもなさそうに引率を引き受けてくれた。彼らも彼らで家族や親しい人間を誘い、祝杯を上げて大人達の忘年会を楽しんでいた。
星菜にとっても仲間達と過ごしたその催しは、時間を忘れるほど楽しい思い出となった。
カラオケ大会では無茶ぶりをされてレトロなアニメソングを熱唱する矢部とデュエットしてみたり、とんでもない音痴ぶりを発揮して考え難い点数を記録してみせた鈴姫のことを一同と共に指差して笑ったり、恋々高校の奥居紀明が放つ予想外な美声に慄然としたりもした。
ビンゴ大会では早々にリーチを決めながらも最後の番号が一向に出ず、結局ビンゴゼロで終わると言う何とも残念な結果に終わった。そんな星菜に対してカラオケ大会の意趣返しとでも言うように得意げな顔で近づいてきた鈴姫の手には、某プロ野球チームのマスコットキャラクターを立体化したペンギンのようなツバメのぬいぐるみが握られていた。それは星菜がひそかに狙っていた景品だったのだが、そのことを知りながらもまざまざと見せつけてきた彼に対してぐぬぬと唇を噛んだものだ。
そんな平和的で、賑やかな時間。
十代の若いテンションは終始衰えることなく、パーティーが終わった後も何人かは個室の一部で二次会と洒落込んでいた。
星菜やあおい達女子組も彼らに誘われたものだが、その前に温泉に入り、一年の疲れを癒すことにした。
この旅館の最大の売りである露天風呂は見事なものであり、生まれたままの肉体を湯船に浸からせながら、心地良い温もりの中で見上げる満天の星空はどこまでも美しく、壮大だった。
雪の降りやんだ空は晴れており、無数の煌きが黒いキャンバスに広がっている。
当たり前にある、何の変哲もない景色――しかしそれは、間違いなく絶景だった。
――あれのどこかに「彼」が居るのだろうかと、そんなロマンティックな感傷に浸ってしまうほどに。
「恵まれているね、ボク達」
「え?」
白い湯気が噴き上がる露天風呂の中――しばらく漠然と空を見上げていた星菜に対して、隣から同じ空を眺めていた早川あおいが温もりに目を細めながら呟く。
恵まれている……はっきりとした実感の篭ったその言葉は、過去から今に至るまでの全てに対して向けられた言葉だった。
「……そうですね」
口元を緩めながら、星菜は彼女の言葉に同意を返す。
男の競技である高校野球に女子選手として加わり、これまでに味わってきた思い。振り返れば苦しんでばかり、泣いてばかりな一年だったと、星菜は思う。
だがそれを含めても星菜にとってこの一年は、間違いなく有意義なものだった。
「何にもなれないと思っていた……そんな風に何度も諦めかけたけど、ボク達には居場所があった。こんなにも楽しい時間を、勝ち取ることが出来た」
過去を振り返りながら語るあおいの横顔は、普段の強気な彼女とは違う儚さが見えた。
そんな彼女はふわりと力の抜けた笑みを浮かべ、感傷に打ち震えたような声で言い放つ。
「だからボクは……野球をやってて良かったって思ってる。星菜ちゃんやみんなに会えて、本当に良かった」
こちらに顔を向けてそう締めくくった彼女の表情は、普段のように快活さに満ち溢れていた。
彼女が一年の総括――自らの内面を曝け出すような言葉を語ったのは、彼女と同じ立場である星菜にはその言葉が誰よりも理解出来るからであろう。
「……私も、そう思います」
全くもって同じ心情だった星菜は、あおいの言ったその言葉に再び同意する。
そして星菜はふと彼女と出会って以後、泉星菜という捻くれた人間を最も動かした発言を思い出し――今だからこそそのことを掘り返した。
「あの時、あおいさんは私に言いましたよね。今の自分も昔の自分も嫌いだった私に、違う自分を捜そうって。自分を好きになろうって」
「……あー、うん、そんなこともあったね」
たった数か月前のことが、随分と遠い昔のように感じる。
しかし星菜は当時のことを一度として忘れていなかったし、これからも決して忘れはしないとその胸に誓っていた。
それほどまでに早川あおいと交わした言葉は、星菜にとって大切なものだったのだ。
「それで……違う自分は見つかった?」
自らが放った言葉を思い出したあおいが、改めて星菜に問い掛ける。
星菜はその言葉に迷いなく頷くことは出来なかったが……今の自分があの時とは違う自分になっていることは、強く実感していた。
「これがその自分なのかもしれない。私にも、よくわかりませんが……最近、思うことがあるんです」
「何を?」
おもむろに両手を合わせ、その手で湯船から汲み取った湯を眺めながら星菜は苦笑を浮かべる。
何と言うか――整理がつかない。この心はこれでもかというほど満たされているのに、ほんの一ピース、何かが足りないような……そんな心情だった。
だから星菜は、その口から零れ落ちるように哲学的な悩みを打ち明けた。
「幸せってなんだろう?って」
最高に幸せな人生だった。君もいつか、そう言えるようになれ――星園渚から言われた最後の言葉が、夜空に消えて良く流れ星のように脳裏に過る。
あれから時間は経ったが、今でも彼のことは時々夢に見る。完全に吹っ切るには時間がまだ足りておらず、その絆は強固過ぎた。
しかし、その言葉に引き摺られて不自由に生きているつもりは欠片として無い。死人が生きている人間を束縛することを善としないからこそ還ることを選んだのが星園渚という男であり、泉星菜はもう、その別れに引き摺られない強さを得たと思ったからこそ彼は逝ったのだ。
わかっている……ただ、星菜は、改まって自分の幸せというものを考えると、今一つ心の整理がつかなかった。
そんな星菜の言葉に、あおいが当たり前のことのように返す。
「何言ってるのよ。こうしてあったかい温泉に浸かって綺麗な空を見上げていれば、それも幸せのうちでしょ? 答えを一つに絞る必要なんてないでしょ」
「……そうですね」
君って本当に不器用だよねー、と……真面目な顔で相槌を打つ星菜を見て、あおいが呆れたように笑う。
幸せなどというものは個人の感じ方一つで、人生という壮大な旅路の中にはどこにでもあるものだ。そう思える程度にはここは平和な世界であり、自分達は恵まれた環境に居た。
――たったそれだけの、簡単な結論。しかしそれは、足りなかった一ピースを埋めるように星菜の胸へと溶け込んでいく言葉だった。
幾らでもある答えの中から、無理に一つに絞ろうとして悩む必要は無いのだ。自分の望む本当の幸せもまた、一つに拘る必要は無いのかもしれないと星菜は思った。
……そろそろ、上がろう。
長いこと湯船に浸かっていた星菜はのぼせてきた身体を適温に冷ますべく、冬の外気に肌を晒しながら脱衣所へと戻った。
脱衣所に戻った星菜は温まった身体をバスタオルで拭うと、籠に入れていた下着を湯冷めしないうちに素早く身に着ける。その上に旅館の借用品である一着の浴衣を纏い、ドライヤーで髪を乾かしながら身だしなみを整えた後で脱衣所を出た。
こういう時、坊主頭ほどではないがショートカットに切った髪の手入れは以前よりも楽だった。
脱衣所から一階のロビーに出た星菜は、長時間の入浴で渇いた喉を潤すべく自販機を探し回る。風呂上がりに飲む牛乳は、やはり幾つの年齢になっても美味しいものだ。
そうして自販機を見つけた星菜は早速目当ての瓶牛乳を購入しようとしたのだが――そこには先客が居た。
「あ、ケンちゃん」
「ん、星菜か」
考えることは一緒だったのか――風呂上がりの、同じく旅館から借用した浴衣を身に纏っている鈴姫健太郎の姿がそこにあった。
そんな彼は星菜の声に気づくと、今しがた購入した瓶牛乳を片手にこちらへ振り向いた。――途端、その目線がふらつきだす。
「お前も、風呂に入ってたんだ」
「あ、ああ……まあな」
星菜が彼の元へ近づくと、何故か挙動不審な態度を見せて応答する。
その視線は湯上りでやや日照った星菜の顔と生地の薄い浴衣の間で行ったり来たりしており――それに気づいた星菜が胸元を抑えながら眉をしかめる。
「……えっちい目だな」
「悪い……」
確かに物珍しい装いをしている今の星菜であるが、いかがわしい恰好をしているわけでもあるまいに彼の視線は思春期始まりたての中学生のように泳いでいた。
自分のことをそういう目で見ていたことを言い訳せずに謝ったのは彼の真面目な性格所以か、星菜にはそんな彼の不器用さがどこかおかしくて、くすりと笑みが漏れた。
そんな彼の横を抜けて自販機に着くと、星菜は小銭を入れて目当てのボタンを押した。
そうして自販機の口から牛乳の入った瓶を取り出した星菜に対して、鈴姫が言う。
「……やっぱり、変わったな。最近の君はなんか、内面が見た目に追いついてきたように感じる」
泉星菜という今の少女を見て、率直な感想を語ったしみじみとした物言いだった。
それを聞いた瞬間、星菜は瓶の蓋を開けようとした右手の指先を止めた。
「意識しているつもりはないんだけどね。やっぱり、そう見える?」
「……まあな」
彼が言っているのは、今の星菜の立ち振る舞いが以前よりも随分と女性らしくなったことだろう。星園渚と別れたあの日以来、明らかに変わったように感じる星菜の姿はかつてのような外行きの自分を作った礼儀正しい少女の演技ではなく、極めて自然な姿であった。
そんな自然体な星菜を見て、鈴姫が納得したように頷きながら呟いた。
「星園さんが消えたがっていた理由が、改めてわかるような気がする」
「……どっちも私だよ、ケンちゃん。昔の私も今の私も、どっちも泉星菜だ」
この立ち振る舞いが前より女性らしくなったと感じるのは、星園渚という男性の記憶が心から消えたことによる影響なのかはわからない。星菜自身としてはあの日以来も意識して変わろうとしている気は無かったし、特別なことは何もしていなかった。
ただ……今の星菜の心には、野球選手であるが故に自分が女であることを疎む感情は、もう無かった。
そんな心境の変化が何故か気恥ずかしく、星菜は照れ隠しのように語る。
「これでも迷ったりしているんだよ? 女のくせに、野球人として生きるのが本当に幸せなのかって」
「あんな活躍をしておいて、よく言う」
「手のひらを返すように持ち上げられたら、不安になるんだよ。こんなに上手くいって良いものなのかって」
「それはまあ、わかるが……」
女子選手の存在が公式の場で許された今、泉星菜が大好きな野球を諦める理由は無くなった。
だがそれと同時に、それまで野球に対して抱いていた病的な執着心が変わり始めてもいた。
我ながら贅沢すぎる悩みであるが、思うのだ。
今まで一つに打ち込んできた野球とは別に、もう一つの幸せを求めてもいいのだろうかと。
そんな星菜はぎこちない眼差しで周囲を見回すと、そこに人影がないことを確認した上で鈴姫に訊ねる。
「それでさ……あの時、お前に告白された時の私が返した言葉、まだ覚えてる?」
「ああ、一言一句覚えているよ。君は俺の一世一代の告白を受け入れる為に、「野球をやめる」と返した。あの時は本当に慌てたよ」
やや唐突気味に切り出した話に対して即座に答えてみせた彼の言葉に、星菜は感心する。
好きだと言ってくれた鈴姫の言葉に対して、「野球をやめる」という答えを返したのが当時の星菜だ。
当時よりも男らしく身体が大きくなり、身長も伸びた彼は、対照的に当時と比べて髪型程度しか変わりのない星菜の姿を真っ直ぐに見下ろしながら、かつての言われた言葉をかみ砕いて言い放った。
「恋人として俺に守られることを受け入れてしまったら、対等な野球選手としての関係が今度こそなくなってしまう。だから前提として野球を切り捨てるぐらいしなきゃ、君は俺の想いに応えられなかったんだろう?」
「……本当に覚えているんだな」
「君らしい答えだと思ったよ。ただ……君の中でも俺の存在が、野球をやめるに足るものだと聞いて少し嬉しかった。本心では野球を選んでいたんだとしても、な」
数か月前のことを懐かしそうに語る彼を見て、星菜も当時のことが懐かしくなる。
あの時の自分と、今の自分。改めて振り返ると、その考え方は随分変わってしまったものだと星菜は思う。
何を持って対等とするか、何を持って彼の気持ちと向き合うのか――当時言い放った自分自身の言葉を振り返りながら、星菜はあの時の心境を語る。
「……どうにも不器用らしいからね、私は。いつだって野球が一番だったから、その執着を無くさないと恋愛すらまともに出来ないと思っていた。そんな中途半端な心で、お前の想いに応えるわけにはいかなかった」
「だったら俺は、君の心が決まるまでいつまでも待っていると言った。その気持ちは、今でも同じだ」
俺からしてみれば生殺しもいいところだが、惚れた弱みだ。苦笑しながらそう語る彼の姿に、星菜は申し訳ない気持ちになる。
彼は今でも、こんな自分勝手で面倒くさい女を好きでいてくれているのだ。
「……うん。まあ、そのことなんだけどさ」
頃合いなのかもしれない。星菜は彼の目を見つめている今の自分が何を想っているのか自覚し、だからこそそう感じた。
星園渚から幸せになれと言われて以来、星菜はこれまでずっと傍で支えてくれた彼のことを、今までと同じように見れなくなっていたのだ。
彼にばかり苦痛を強いていては、それこそ
そう思い、星菜は語り出した。
「よくよく考えれば、何事も挑戦だと思うんだ」
こんな時、どんな顔をしてどんな言葉を言えば良いのだろうか。
不安や戸惑いを隠しきれず挙動不審な仕草をする星菜に、鈴姫が不思議そうな顔をする。
そんな彼に対して、星菜は悪いことをした子供の言い訳のように御託を並べた。
「その……私が野球を始めたのも、こうして戻ってきたのも……全部挑戦だった。出来るわけがないと馬鹿にされるようなことを、私はやってきたわけで……お前やみんなのおかげで、諦めなければ叶えられることもあるってそれなりに自信ついたりして……」
真剣に言葉を選びながら、しかしどこかたどたどしい言葉。
ポーカーフェイスも随分下手になってしまったものだと内心で自嘲する星菜に対して、鈴姫は首を捻ってこちらの意図を問い質した。
「……何が言いたい?」
「それはその……今まで私がやってきたことに比べれば、野球とそれ以外の気持ちの両立も、案外何とかなるんじゃないかって思ったんだよ」
「つまり、どういうことだ?」
「だから……それは、こう……ちょっと屈め、ケンちゃん」
「屈む?」
言葉での説明が、どうにも難しい。
どうしたものかと悩んだ星菜は、身長の高い鈴姫に自分と視線を合わせるように命じ、彼の目を間近に見据えた。
そして星菜は、上手く言葉に出来ないその気持ちを――彼の唇に押し当てた。
「――っ」
「――!」
投手の投げたボールが捕手の構えたミットに到達するように、一瞬の出来事だった。
しかしその交錯は確かな現実として、二人の唇に感触として残っていた。
一瞬の時間が通り過ぎた後、そこに残っていたのは呆けた顔で硬直している鈴姫の姿と、真っ赤に染まった顔を下に伏せている星菜の姿だった。
意識を復帰させるまでの数拍の間を置いて、鈴姫が問い掛け星菜が答える。
「いいのか?」
「……いいわけないだろ」
以前鈴姫に返した言葉を反故にするような、たった一度、一瞬の接吻。
我ながら馬鹿なことをしたと思う星菜であったが、馬鹿で良いのだと擁護する自分も居た。
これがきっと――捜していた違う自分の一つなのかもしれないと、茹で上がったような思考の隅で星菜は思った。
「今のはただ……これまでの感謝と、これからの願いとか誓いとか……私からのクリスマスプレゼントだっ!」
「星菜」
「っ……」
言い訳になっていない言い訳を早口で捲し立てながら、自分のやらかした空気に耐えられなくなった星菜は慌ただしく、その場から走り去ろうとする。
しかし、そんな星菜の腕を、鈴姫は掴んだ。
利き腕ではない右腕を掴んだのは、星菜のことを野球選手として見ているからか。
しかし今度は絶対に逃がさないという強い意志が宿った彼の眼差しは、泉星菜のことを野球選手であると同時に一人の女性としても見ていた。
――幸せというものを、一つに絞る必要は無い。
早川あおいが言っていた言葉が脳裏に過り、今この時、星菜はそれを実感する。
野球選手として野球を続けることも、野球から浮気して誰かを好きになることも――それは等しく幸せなことであり、両立出来る可能なことだった。
少女を追い掛ける過程で逞しくなった少年が、道に迷って右往左往していた少女と顔を突き合わせ、力強く宣言する。
「俺は、強くなる」
「…………」
「世界で誰よりも、君と対等な関係になる為に」
少女のことを守る為ではなく、対等に並び立って互いに切磋琢磨し合い、共に寄り添い合いながら旅を続けていく――そんな男になってみせると、鈴姫健太郎は言う。
「……それは、こっちの台詞だ」
泉星菜は笑う。
野球も恋愛も、どちらも両立させる挑戦をしてみるのもまた人生だ。
その壮大な旅がたとえ困難な道のりだとしても、この気持ちに偽りはなかった。
「愛しているよ、ケンちゃん。野球の次に、大好きだ」
かつてないほどに恥ずかしい表情を浮かべた星菜が言い放ったのは、我ながら何とも自分らしい、最低な告白だった。
――その後、そんな彼女らのやり取りを柱の陰から見守っていた恋々高校バッテリーにより、二人が盛大に茶化されつつ祝福されたのは別の話である。
――選抜高校野球選手権、通称「春の甲子園大会」。
秋の大会で優秀な成績を収め、選考委員会によって選抜された全国各地の代表校がしのぎを削り合うその舞台に、地区大会を制した竹ノ子高校野球部は出場していた。
全ての高校球児達が憧れる聖地、甲子園球場。開会式が終わった後でその第一試合が始まり、詰め掛けた満員の観客達の前で愉快な九人が各ポジションへと散らばっていく。
《キャッチャー、六道君》
場内アナウンスのウグイス嬢に紹介される竹ノ子高校の司令塔は、新三年生の捕手六道明。
堅実なフィールディングと巧みなインサイドワークは年下の投手陣を引っ張り、これまで各々の長所を引き出してきた。
校内では生徒会長も務めており、真面目な性格と整った顔立ちは女子生徒達からも人気なのだが、彼には既に中学時代から一途に想っている彼女が居り、今この時でもその恋人は「データ取りの一環」として観客席から見守っていた。
実はその恋人、昨年の夏甲子園に出場した海東学院高校のマネージャーだったりする――のだが、そんな裏話である。
《ファースト、波輪君》
一塁を守るのは都道府県大会の二回戦からスターティングメンバーに復帰した竹ノ子高校の主将、波輪風郎である。
昨年の夏まではエースとしてチームを引っ張ってきた彼だが、右肩の故障と一年生投手が台頭してきたことから背番号「1」を預け、肩の負担を減らす為にファーストへのコンバートを行っていた。
長い距離を遠投をすることはまだ出来ないが、依然その打棒は健在。秋の大会ではあかつき大附属の猪狩守からチーム唯一の得点となる逆転のツーランホームランを放ち、竹ノ子高校野球部を地区大会制覇へと導くこととなった。
右肩を負傷して以後も変わらずプロ注目選手の一人であり、チームの大黒柱が大舞台でどんな活躍を見せるのかは各方面から注目されている。
《セカンド、小山さん》
二塁を守るのは――小山雅である。地区大会から特例的な形でチームに加わり、彗星のように現れた天才的な三人目の女子選手。
そんな彼女の存在は、各方面から注目を集めた。器用に両打席をこなす神主打法から放たれる痛烈な打球は正確無比の狙いでヒットコースを突き破り、九割を超える凄まじい打率を残して春の甲子園へと乗り込んできた。
加えてプロ野球でも滅多に目に掛かれない広大な守備範囲を持ち、その超人的なプレーによってチームのピンチを幾度となく救ってきたものだ。
しかしその一方でプレー以外でのメディアへの露出は本人の頑なな意志で拒否されており、珍しく行われた試合後のインタビューへの対応も放送事故一歩手前の塩対応だったりする。そんな彼女だが同じ女子選手である泉星菜にだけは穏やかな表情を見せる為、その様子がテレビに映った際には一部の層が百合の花として扱うどうでもいい話がある。
新聞記者のインタビューに応えた数少ない発言の中には、「早川あおいのマリンボールが竹ノ子高校野球部に加わった理由です」という、何やら因縁めいた言葉が記録されている。
《サード、池ノ川君》
三塁を守るのは新三年生の池ノ川貴宏だ。
打球反応の良さと持ち前の強肩から放たれる品のある送球が持ち味の選手であり、打撃もまた秋から春に掛けて大きなレベルアップを果たした選手の一人である。
これもまたどうでも良い話であるが、甘いマスクの選手に囲まれている内野陣の中で彼だけは甘さとは無縁な顔立ちをしている為、一部の地元民からは憐れみの意味も込めて人気だったりする。しかしそんな彼にも外国に旅立った遠距離恋愛の恋人が居るということは、知る者ぞ知る話である。
《ショート、鈴姫君》
遊撃を担うのは、内野陣唯一の新二年生である鈴姫健太郎だ。
走攻守三拍子揃ったハイレベルな能力は昨年夏の時点で非凡な素質を見せていたが、秋からはさらに磨きが掛かっている。
秋季大会の通算打率は六割を超えており、その内記録したホームランは三本と激増した長打力も見せつけている。
主将の波輪を五番に添えて彼を四番に置いたクリーンアップは驚異の得点力を誇り、チームの課題であった得点力の問題を一気に解消した。
セカンドを守る小山雅との連携も抜群であり、二人がコンビを組んで以降、二遊間を抜けていくゴロヒットは未だに記録されていない。
しかし個人的な仲はあまりよろしくないらしく、時折彼女から憎々しげな目で睨まれている彼の姿がカメラに映っていたりとかなんとか。
《レフト、外川君》
左翼を守るのは外川聖二。元々はファーストを守っていたが、波輪のコンバートを受けて外野に移ることになった背番号「7」である。
ミート力の高い打力が持ち味で、夏はチームの五番を打っていた好打者だ。そんな彼も今は七番と下位打線に追いやられているが、それは彼の成長が停滞したわけではなく、チーム全体の層が底上げされている何よりの証であろう。
勝負強い打撃はチームメイトからも信頼されており、敬遠されて出塁した走者波輪を彼が帰すという展開は秋季にも何度か見られた。
《センター、矢部君》
瓶底眼鏡がトレードマークの中堅手は、外野の守りの要である矢部明雄である。
俊足を生かした広大な守備範囲とミスを恐れないダイナミックなフィールディングが持ち味であり、リードオフマンも務める副主将は攻守に渡ってチームを引っ張っていた。
細身ながらもツボに嵌まればフェンスを越える打球を放つことが出来、都道府県大会のパワフル高校戦では好投手山道翔の自己最速149キロを弾き返した先制のホームランを記録している。
そんな彼はチームでは二番を打ち、茂木監督の方針の下バントをしない攻撃的二番打者として持ち味を発揮していた。
《ライト、青山君》
フハハ!と、いつも笑顔の絶えない右翼手は新二年生の青山才人だ。
竹ノ子高校野球部はライトだけは明確なレギュラーが居ない為、最も激しいポジション争いが行われている守備位置だ。彼もまた元々のポジションは投手なのだが、監督からは外野手としての評価も高く、同学年の控え投手である丸林隆の調子が良い時などはこうしてスタメンライトに入ることがある。
一番ピッチャー泉。
二番センター矢部。
三番セカンド小山。
四番ショート鈴姫。
五番ファースト波輪。
六番サード池ノ川。
七番レフト外川。
八番ライト青山。
九番キャッチャー六道。
――以上の九人が、大金星を上げて甲子園球場に乗り込んできた竹ノ子高校のスターティングメンバーである。
良くも悪くも個性的で、一部頼りないような気がすれば頼もしくなることもある不思議な仲間達だ。
そんな仲間達に囲まれながら、「星のお姫様」あるいは「かぐや姫」などというあだ名をいつの間にかメディアから付けられた野球少女がマウンドに上がる。
プロ野球の始球式以外では史上初めて甲子園球場のマウンドに上がった野球少女は、投球練習を終わらせた後、気合いを入れ直すようにロジンパックを叩き落とした。
「よし、やるか」
自惚れでなければ全国大会の舞台に現れた世にも奇妙な女子選手の試合を観に来たのであろう、この甲子園球場には圧倒されるほど多くの観戦客が詰めかけていた。
しかしこの試合の先発マウンドに上がった野球少女――泉星菜の心は、そんな彼らの存在も決して悪いプレッシャーにはならなかった。
――ただ純粋に、この日を迎えられたことが嬉しい。野球を諦めなくて良かったと、ただ、そう思った。
「プレイボール!」
主審の号令の下、試合が開始する。対戦相手は優勝候補の一角、神帝学園高校だ。海外の血が混ざったハーフの選手を集めたこのチームは、主将のグラビトン新井を筆頭に大柄な選手が多く、その打線は下位打線まで高校野球離れした長打力を誇る。
――そんな打線を遅いボールできりきり舞いにしたら、面白いよね。
自身の投球との相性を考えながら方針を定めた星菜は帽子を締め直し、上体を前に屈めて捕手のサインを窺う。
一生一度の大舞台。その第一球に何を投じるか……実を言うとそれは事前の打ち合わせて決めており、捕手の六道もまた星菜から持ちかけられたそれを了承していた。
投球の基本であり、技巧派投手の生命線。彼女自身は本格派を自称しているが、その場所は分割されたストライクゾーンの中で最も好きなコースであり、これまでの野球人生で最も投げ込んできたところだった。
捕手が構え、投手が振りかぶり、打者がバットを揺らす。
広大なグラウンドで目に出来る動作の一つ一つが、泉星菜がこの世で最も愛する「野球」を成していた。
「
オーバースローから振り抜かれた華奢な左腕から、開幕の第一球が放たれる。
ストライクゾーンの限界に挑戦した渾身のストレートに、球審の右腕が大きく振り上がった。
――その後、竹ノ子高校野球部がどのような活躍を見せたのか……その顛末は今、ここで語られることはない。
ただ――そう遠くない未来、大人になり自らの家庭を築いた少女の住居には、栄光の旗を掲げた高校球児達の写真が、いつまでも飾られていたと言う。
そしてその部屋の奥では額縁に収められた背番号「28」のレプリカユニフォームと共に、ただ一言感謝の気持ちが書き込まれたサインボールが静かに供えられていた。
《ありがとう 鈴姫星菜より》
【外角低め 115km/hのストレート】
くぅ疲、これにて完結です。お疲れ様でした!
四年に及ぶなっがいなっがい投稿期間の中、ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました! 何度も停滞を続けてきたツッコみどころ多数な本作ですが、皆さんの温かい応援のおかげでこうしてようやく、ようやく! 完結させることが出来ました(感無量)
そんな本作でしたが、「え? これで終わり?」と思った方もいるかもしれません。
私としても書き始めた頃の予定では星菜が卒業するまでの三年間を書く予定だったのですが、この後の話になると星菜よりも雅氏やあおいちゃんが中心になる感じだったので、主人公の物語としてはここを落としどころにした方が綺麗にまとまると思い、こうして全89話で完結となりました。打ち切りというわけではありませんので、どうかご容赦くださいm(__)m
後出しジャンケンのようで申し訳ありませんが、私としては本作のことは「理屈っぽく捻くれ曲がった野球少女が周りの影響を受けながら自分の道を取り戻し、球速の遅いストレートのように前に進んでいく」という王道的な物語を一貫して書いてきた……つもりであります。なお表現力。文章力。
あおいちゃんのリベンジなど、私の至らなさによりぶん投げてしまった伏線もちらほらあるので、機会があればその辺りのことをまた一話完結の番外編か何かの形で書くことがあるかもしれません。卑劣な私を許してくれ……
再三に言いますが本作をここまでお読みいただいた方々には、本当に感謝の極みです。
後書きをあまり長くここに書き綴るのもアレなので、書きたいことがあったらまた活動報告の方に載せたいと思います。
それでは、サヨナラ!