ラウンジのとある一角にて
端末を肘あたりに抱えて歩む足並みは少しだけ早い。
その身を包む赤地に白や黒のラインが入った身なりは目立つようで、すれ違うC級隊員に頭を下げられたりB級隊員から挨拶をされるのは珍しくなく、親しい人からは愛称で呼ばれたり肩を組まれたりそのまま軽くシメられたりもして、嫌ではないが、生身でなくても痛さはなんとなく分かる。
広いラウンジに出た。
一度足を止めて人で賑わうスペースへ何度か視線を左右させると、夕暮れの陽光が射し込む一枚一枚が大きい窓ガラスの付近に立つ目当ての後ろ姿を発見した。
今日は運が良いらしい。たまに受ける良い意味での妨害も無く、歩調もスムーズだ。
「星咲」
両手を腰の後ろあたりで重ね、外の景色をぼんやり眺めていた少女が呼び声に振り向いた。
「あ、みつえだ先ぱーい」
「こんにちは。今、ちょっとだけ大丈夫?」
「ハイハイ、どうされました?」
「コレなんだけど・・・」
小脇に抱えていた薄型の端末を手に持ち直し画面を見せる。すると、覗き込んだ彼女の真剣な面持ちから一変し、途端に「ふぁ!?」と変わった高い声を挙げた。自分よりずっと明るい色の瞳を見開かせている。
その様子が面白くて、つい吹き出しそうになった笑いを瞬時に口の中で殺すと片側の頬がぷくりと膨らんだ。大丈夫、気付かれてない。・・・よね?
突然の大声に近くの人達が一瞬こちらを見たり、通りがかった足を止めたりとザワつきを見せた。特に表情は崩さず人差し指を口元に当てる。
「しー」
「うっ・・・す、すみません・・・」
「空いてる席に座ろうか」
「は、はぃぃ・・・!」
一時的に注目を浴びた事に関しての羞恥なんかよりも、画面を見せた時のほうがテンションが明らかに上回っているように見えた。
横長の鉢植えに仕切られた席を見つけて、向かい合うようにして腰を下ろす。
すると星咲は、思い出したように両手を胸の前でパチンと合わせた。
「あ!お疲れ様です」
「うん、星咲もお疲れ様。なにか飲み物買ってくるから待ってて」
「や、私が買ってきます!」
「・・・そう?じゃあ、お願いしようかな」
「30秒以内に戻りまーす」
「え、急がなくてい──あ・・・・」
下ろしたばかりの腰を上げかけて、またストンと下ろした。
凝視していた画面から顔を上げた星咲に、みつえだ、元い時枝が声をかけたのは、快活に自動販売機に向かって行く彼女の背中だった。
「もっどりました~」
「早いね、さすが」
「いえいえ恐縮です。訊きそびれちゃいましたけど、オレンジで大丈夫でしたか?」
「ありがとう、ちょうど飲みたかったんだ」
テーブルに置かれた紙コップにはポップな絵柄で描かれた果物のイラストがプリントされており、色は違うがどちらも丸々としている。
橙色と赤色、さっぱり爽やかなオレンジジュースとリンゴジュースは、ストローから喉を通って五臓六腑に癒しを与えた。過密スケジュールの中の束の間の休息である。
「は~~~・・・・」と突っ伏す星咲を眠たげな瞳が見つめる。
時枝も去年までお世話になった第三中学校の制服に身を包んでいる点と時間帯で、真っ先に彼の脳内に浮上したのは“学校帰り”の四文字。
ただ、星咲は
学び舎での生活はどちらかと言うとメンタル面を酷使させる場面が多いのだが、彼女が、特に他者にはどんなに疲弊していても自身の弱った所を見せずに隠し通すタイプである事を、ほんの数年の仲ながらも時枝は見抜いていた。
「・・・・任務?」
「はい、お昼で切り上げてからずっと・・・連チャンでした・・・」
「警報すごかったらしいしね。どのくらい倒したの?」
「ん~~~・・・全部で、じゅう・・・じゅうー・・5体以上は、たぶん。一遍ではないですよっ?一遍に十数体も来られたら白縫衣でもパニクりますし・・・!」
時枝は腕を伸ばした。
(一対複数っていうのもなかなか異例なんだけどね。星咲はいまはソロ。仕方がないと言ったらそれまでだけど・・・・)
大人しく突っ伏した姿勢から上体を起こした彼女の、国内では滅多に目にしない色の頭髪の上に手を乗せると双眸を丸くさせて固まった。
綿毛にふわふわと触れるようにゆっくり撫でる。
「単独の状態で、充分なくらいよく頑張ったと思うよ。本当にお疲れさま」
「いえ全然っ・・・先輩と比べたらまだまだ全然甘ちゃんです・・・!それにいつの間にか米屋ん先輩がいましたし」
撫でていた手が不意に止まる。
「・・・そうなの?」
「完っ全に傍観決め込んでましたけどね。ですが、きちんとこの白縫衣が、トリオン兵どもを片っ端から平らげてやりましたとも!」
誇らし気に片手を胸元に添えた星咲はそう言った。現地での応酬の中で生まれた『保険』を、隊ぐるみで事務仕事に追われていた時枝が把握しているはずも無かった。
「そ、それであの、先程のて、ててん、てん、天使はっ・・!」
「落ち着いて?」
無遠慮に脳内に流れ出した某CMを早急に取っ払い、興奮を抑えるようにソワソワと微弱且つ小刻みに震える星咲の前に、太腿の上に乗せていた薄型のノート端末をテーブルに置いた。
彼女が興奮混じりに『天使』と称したモノは、その画面にこれでもかと映っていた。
フワフワの体毛を持ち、リラックスした体勢で細かい網目状のバスケットにすっぽり収まり、画面越しにクリクリの円らな瞳で此方をジッと見つめる愛らしさMAXの────猫。
「ほわぁぁあ・・・!!」
「(わかる)」
両手で口元をマスクのように覆って声も必死に抑え、されどその蒲公英色の瞳に菱形の輝きが宿る。
基本的に眠たげでブレない無表情が通常運転な時枝でも、目の前の微笑ましい光景には敵わなかった。猫と星咲の、現在進行形で100パーセント良い成分しか含んでいないダブルパンチをモロに食らいつつも流石は時枝。
表面では仄かに柔和な雰囲気を纏うだけで、心の中では幾重にも共感し、同感した。
此処に限らず席によって設置されている緑。心や身体の疲れを癒し、疲れた目を休ませる緑。鎮静作用で緊張を緩和し、穏やかな気持ちを与える緑。
穏やかなこの一時を崩してしまいかねない事実を伝えなくてはいけない事に、時枝は静かに、画面の猫に気を取られている星咲に悟られないように目蓋を伏せた。