『』の台詞はドイツ語で話していると解釈してください。
別段あの時に織斑一夏を助けたのは善意などではなかった。
どれだけ努力しても向上しないISの操縦技術。
日に日に追いやられる気すらする居場所。
いつ軍隊から追い出されるのかという恐怖。
鬱倔とした感情が溜まっていく毎日の中でラウラは少しずつ心が疲弊していっていた。
それでも気を抜くという当たり前のことを知らなかった彼女は常に気を張って目の前のことに全力で挑んだ。
それしか知らなかったから。
今思えばそんなラウラに気分転換でもさせようとしたのだろう。当時からラウラに声をかけていた上官がモンド・グロッソの観戦チケットを渡してきたのは。
『これを観てこい。少しは参考になるだろう』
渡されたチケット。第二回モンド・グロッソの観戦チケットだった。
休暇扱いで観に行ったモンド・グロッソ。
選手たちは皆、国の代表を名乗るに足る実力の持ち主ばかりで。中でも前回のモンド・グロッソ優勝者である織斑千冬の実力は圧倒的だった。
剣1本という冗談のような装備で銃弾を避けながら一撃で相手選手を仕留める有無を言わさずに勝敗を見せつける。
その圧倒的なまでの力の差に沈んでいたラウラの心を奮わせる程に衝撃を与えた。
しかし、その高揚もすぐに冷める。
どうすればあんな動きが出来るのか、ラウラには全く理解できなかったからだ。
参考にするどころか、頂点との力量差を思い知らされるだけだった。
“彼“を見つけたのはそんな時だった。
試合の合間の休憩時間。周りの熱気に反してどんどん沈んでいく気持ちを持て余しながら歩いていると異様な集まりがあった。
3人の屈強な男に取り囲まれた東洋人の少年。
少年は怯えた様子でいる。
そして隠れるように出されているがどう見ても
どこかに連れ去られようとする少年。
その時ラウラが思っていたのは軍人として民間人を守ろうなどという高尚な精神では断じてなかった。
屈強な男たちはどう見ても一般の人間ではなく、おそらく誰かから命令を受けて少年を誘拐しようとしている。
(失敗すればいい……)
そうすれば彼等も、そしてその上役も困るだろう。
薄暗くジメジメとした感情が過った。
自分が周りから評価されず、何をしても上手くいかない。
だからお前たちもそうなってしまえ。
そんな気持ちが沸き上がってきた。
怯えた様子で僅かに少年が抵抗の意思を示す。
それをみて、気がつけばラウラは走って少年の手を取ってその場を逃げ出していた。
その少年こと織斑一夏を助けたのは決して善意でも何でもなく、ただ単に、魔が差しただけなのだ。
少し走って人混みに紛れて男たちが追って来てないことを確認して手を離した。
「あ、君、ありがとう……助かったよ」
緊張が解けたのか日本語で話してペコペコと頭を下げる少年。
ISの誕生から世界中で日本語が学ばれるようになり始め、ラウラも既に日本語を習得している。
しかしあまりに真剣に礼を言うので逆にラウラは居たたまれなくなった。
(やめてくれ。私は、お前を善意や使命感で助けた訳じゃないんだ!)
胸にあったのはあの男たちが失敗すればいいという悪意で。決して感謝されることではない。
さっきまでの自分の感情に嫌悪感を抱き始めたラウラは少年の純粋な感謝に心苦しくなった。
何の反応も示さないラウラに少年はこちらに言葉が伝わってないと思ったのか端末からドイツ語を調べ始める。
そこで、日本人と思われる男性数名がこちらに近づいてきた。
少年がなにやら事情を説明している間に逃げるようにそこから去って行った。
その時に浮かび上がった自分の感情を軍人にあるまじき恥じとして早々に忘れることにした。
(懐かしい夢だな)
かつて助けた少年。その時のことを今更夢に見たのは今日、彼とその家族に会うからか。
寝台から上半身を起こして寝間着を着替える。
ここに住み始めた当初は軍でいたときと同じように全裸で寝ていたが義祖母に叱られてからは服を着て寝るようにしている。今ではそれが当たり前になった。
(うん。もしかしたらモニカや友人たちと旅行に行く機会もあるかもしれないし、矯正しといて正解だったな)
そんな風に考えながら今日の用事から逃避するがすぐに引き戻される。
(正直に言えば、会い辛いのだが)
向こうは悪意から会いたいと言っているわけではないので断り辛かったが、ラウラ自身あの時善意で行動したわけではないのだ。
言えば落胆されるだろうか?
それも、以前は僅かながらでも憧れの感情があった織斑千冬にも。
別段言う必要はないのだがそれも何か不誠実なような気がして悶々とするのだ。
「なにはともあれ、先ずは会ってみないとな」
言いながら脱いだ寝間着をベッドに置いた。
「おい一夏。何をそんなに緊張している。お前から礼を言いたいと言い出したんだろう?そんな様子では向こうを警戒させてしまうぞ」
「あ、あぁ。そうなんだけどさ千冬姉。いざ、今更お礼を言いに来たって言うと照れ臭いというか緊張して来ちゃってさ」
「ここに来て帰りたいなんて止めてよ?2人をドイツに入国させるのに随分と骨を折ったんだから」
ドイツの空港に着いた織斑姉弟と更識楯無。
今日会う相手。ラウラ・リットナーのことは更識楯無の協力もあり時間をかけずにすんなりと見つかった。
先方に連絡を入れた結果、一夏は殆ど何もしないまま話はスムーズに進んだ。
ただ、一夏が出国するにあたって有名人過ぎる千冬は髪型をオールバックに変えてサングラスをかけており、身近な人間でなければ判らない程度にメイクを施されている。
一夏も身だしなみを整えさせられ、日本なら新社会人と思われても違和感がない様な服装などをさせられていた。
そこで千冬がサングラスを外して息を吐くと鬱陶し気に自分たちから離れた少女たちを見ていた。
「おい更識姉。あの馬鹿どもはお前の差し金か?」
親指でクイッと指さすとそこにはIS学園2年の専用機持ち5人と布仏本音が居た。
千冬に指差されてサッと隠れる5人と本音は暢気に手を振っている。
それに楯無は困ったように苦笑いを浮かべた。
「もし黙っていくようなら帰ってきたときに一夏君にどんな危害を及ぼすかは――――予想出来ますが、全員の精神的負担を考慮すると連れて行った方がマシかと思いまして。専用機や凶器になりそうな物は学園に預けてありますし、滅多なことにはならないかと。一応、今回の話し合いには介入しないことも契約書を書かせてありますので」
楯無の言葉に千冬は再度溜め息を吐いた。
恋する乙女の行動力は凄まじいというか。わざわざ国外まで監視に来る精神に恐ろしさを覚えるべきか。
専用機を学園側に預けたのは何かの拍子で起動させた場合、ドイツ軍の世話になる可能性が在るからだ。というかまず間違いなく介入してくる。
日頃の行いから彼女たちが頭に血が上りやすく、一夏と件の少女が接触しただけでカッとなってISを起動させる事態は充分有り得る。ちなみに本音が一緒なのは専用機持ちたちへのストッパー役だ。
更識簪。ギリギリでシャルロット・デュノアは大丈夫かもしれないが、不満が出ないように5人とも没収した。
楯無は一応織斑姉弟の護衛という名目もあるためISを持っているが、どんな事態であれ起動させれば後始末が大変なことになるだろう。
しかしちょっとお国を出るだけでこの騒ぎ。一夏は自分の現状に気を引き締めながら今回の自分の我侭に付き合ってくれた2人に感謝した。
「2人もありがとう。俺ひとりだったら話が全然進まなかった」
「相手の少女に礼を言いたいのは私も同じだ。お前が頭を下げることではないさ」
「ちょっと手間暇かかった海外旅行だと思えばいいわ。それに一夏君が身悶えするほど会いたがってる娘には興味もあるしねー」
「……変な言い方はやめてください」
楯無の言い方に呆れながらも一夏は苦笑する。
過去に伝えきれなかった感謝の気持ちを伝えに、織斑一夏は再びドイツの地に立った。
その後、予め用意していた車に乗って例のお宅まで移動。
ここまで、すんなりと家に着く。
インターホンを押すと塀の向こうに建っている家からその少女は現れた。
かつて見た長い銀の髪。
数年前には付けていた左の眼帯は無くなり、代わりに金の瞳が露になっていた。
数年前より背が伸びた筈だが一夏の方がずっと背が伸びたため以前よりも小柄な印象を与える。
「あ……」
一夏が何か言う前に千冬が前に出て頭を下げた。
『初めまして。今回は突然の訪問を許していただき感謝する』
『いえ。どうぞお気になさらずに。それと私は日本語も習得していますので慣れなければそちらでも構いません。ですが、祖母は出来ませんので彼女に話しかける際にはドイツ語でお願いします』
「そうか。ではお言葉に甘えて」
そこで言葉を切る2人。千冬とラウラが会話をしている間に楯無が大まかに内容を一夏に伝えていた。
「どうぞ」
ラウラが中へと通すと家には70から80程の女性だった。
その女性は大らかな笑みを浮かべて席へと勧めた。
勧められるままに席に座ると代表して千冬が頭を下げた。
『初めまして。織斑千冬です。今回は数年前、弟が彼女に助けられた件でお礼を申し上げたく訪れました。随分と遅くなってしまいましたが』
『あらあらご丁寧にどうも。私は――――』
互いの年長が挨拶を交わすと続いて未成年同士が互いに自己紹介をしている。
「織斑一夏です。あの時、俺を助けてくれてありがとう。それと今更になってゴメン」
「ラウラ・リットナーだ。謝ることじゃないだろう。あの場を勝手に離れたのは私だし。だが正直に言えばどうして今頃なのかと困惑しているが」
「君がファッション雑誌に載っている写真を見たんだ。そこから色々と辿って……」
「あぁ、アレか……」
少し前に撮った写真。それがこうして再び巡り合わせたとはどんな可能性なのか。
そこで一夏が荷物からお礼の品を取り出した。
「これ、和菓子。日本のお菓子なんだけど、良かったら」
「これはどうも。大切に食べさせてもらう」
貰った物をラウラが義祖母にいうと彼女も喜んで手を合わせて一夏たちに礼を言う。
ちなみに渡した和菓子は更識家が贔屓している1箱数万飛ぶ高級和菓子だったりする。
「前回のモンド・グロッソで弟を助けてくれた件。本当に感謝している。おかげで弟は怪我1つ負わずに済んだ」
「あ、いえ、私は……」
ブリュンヒルデに頭を下げられてラウラは困惑したように手を振る。
そこで義祖母がこれからの予定を尋ねた。
『そちらのこれからの予定はどうなのかしら。数日は此方に?』
『いえ。私や弟は立場上長く国を離れるわけにはいきませんので。夜の便には日本に帰ります』
『そうなの?でもならまだ少し時間はあるのよね。ラウラ。良かったら彼にここら辺を案内してあげたら。せっかくドイツまで来たんですもの。ただお礼を言って帰るだけではもったいないわ。私はまだ彼女たちに話があるから』
『いや、しかし……』
『ね?』
義祖母に促されるとラウラは渋々頷いた。
『わかった』
ラウラは立ち上がると一夏に向かって話しかける。
「織斑一夏。少しの時間だが近辺を案内しよう。せっかく来たんだ。お礼を言うだけでは味気ないだろう?」
「え?でも?」
「一夏。厚意に甘えさせてもらえ。私はこの人と少し話があるから」
千冬に言われてここで意固地になって断っても失礼だと思い、町を案内してもらうことにした。それに正直に言えば外国の町というのも興味がある。
一夏がラウラに連れられて行くと楯無も立ち上がる。
「では織斑先生、私も。外に居る娘たちが何かする可能性もあるので」
「あぁ、頼む。あいつらが何かしたら容赦なく叩きのめせ」
「それ、教師の台詞じゃありませんね」
「弟の恩人に迷惑をかける馬鹿どもにはそれくらいの躾けは必要だろう?」
「確かに……」
苦笑すると楯無はこの家の主に一礼してこの場を後にした。
『善い子たちね。特に貴女の弟。とても真っ直ぐで』
『愚直さ以外に取り得がないだけです。確かに弟は私ひとりで育ててきましたが、それ故に何かを間違えたのではないかといつも不安ですが』
『そう。でもわざわざ海を渡ってラウラにお礼を言うために来たのでしょう?その真っ直ぐさは人としてとても尊いものだわ。きっとあの子にとって貴女の背中は良い見本だったのでしょう。だから卑屈になるようなことは何もないわ。胸を張って良いことよ』
相手の言葉に千冬は目も見開く。
千冬は一夏の姉であり、親代わりだった。
正直、悩むことばかりで一夏が何か問題を起こせば自分が何か間違ったのではないかと不安は常にあった。
自分のような大雑把な戦う術しか身に付かなかった姉の姿を見て育った一夏が本当に真っ当なのか。そう思い悩むことは今でもある。
それを目の前の女性は肯定してくれたのだ。一夏の存在をその証拠として。
ブリュンヒルデとして持て囃される時とは違う。むず痒いような。それでも何かが報われたような気持になる。
『ありがとう、ございます……』
そう言って千冬は頭を下げた。
次はヒロインたちに監視されながらラウラの町案内です。後編もなるべく早く書き上げます。