【完結】ペインフル・リインカーネーション 作:さくらのみや・K
両親を失い、二人きりになってしまった兄妹。
まだ中学生だった彩子でも、今後の暮らしがどれほど大変になるかは想像に難くなかった。
だが、それは二人との距離を縮めるチャンスだった。
彼も渚も、慣れない生活に悪戦苦闘するだろう。
そんな二人に救いの手を差し伸べられるのは、幼馴染である自分しかいない。
彩子には料理を含めた家事は大抵こなせるスキルがあった。
それを活かせば、兄妹の家事担当になるであろう渚の「姉」として振る舞える。
消滅した彼の家族を、私の手で作り直してあげよう。
彩子は決意した。
だが_______
『ほっといてください。』
救いの手を差し伸べたつもりの彩子に、渚はそう返した。
嫌悪と憎悪を浮かべた紅い瞳が、こちらを突き放すように睨みつけられていた。
『え…?でも、一人じゃ大変でしょう?料理とか…』
『大体一人でできるので。それより今は、そっとしておいてくれませんか?』
低く抑揚のない声が、彼女の本心を表していた。
彩子は兄妹に、憧れの家族に拒絶されたのだ。
『そ……そん…な……』
『もういいですか?それじゃあ…』
くるりと背を向けると、渚は足早に立ち去った。
去り際になびかせた赤いマフラーから漂う、新品特有の香りを、彩子は死ぬまで忘れることはなかった。
『うぅ…ぐぅ…っ……うあ…ぁぁ……』
嗚咽する口を両手で押さえ、彩子はうずくまった。
彩子は泣いた_______
その後、彩子は野々原兄妹と言葉を交わすことはほとんどなかった。
それでも彩子は諦めなかった。
話す機会が全くなくても、彩子は兄妹が…特に兄がいつどこで何をしたのか、その全てを把握していた。
まるで毎日…24時間常に一緒にいたかのように。
彩子は、野々原家に30個の盗聴器を仕掛けた。
家の中にいる時はその盗聴器で、そして学校や彼が出かけた時はこっそり着いて行き、彼の行動を把握していた。
元々記憶力の良い彩子は、特に印象深い出来事は日付まで覚えていられる。
彼女の頭の中には、文字通り彼がいつどこで何をしたのか、その全てが正確に記憶されていた。
それが世間からストーカーと呼ばれる行為だとしても、彩子には関係無かった。
俺のおよめさんになったら_______
幼い頃の彼の約束が、彼女の胸に深く深く刻まれていた。
将来の夫を常に見守るのは、将来の妻の役目だから。
例え会話ができなくても、彼の声を聞けば安心できるし、いずれパートナーになる人の好みや性格を、完全に把握していなければならない。
それは決して悪い事じゃないし、お嫁さんとして当然のことだから。
約束がある限り、必ず私達は結ばれる。
約束は必ず果たされなくてはならなくて、
その約束を信じて私は、朽梨 彩子は生きてきた。
そしてその約束を守る義務は、当然彼にもある。
万に一つでも彼が約束を忘れることはないと、彩子は信じていた。
もし忘れてしまっていたら…
その時は_______
………………
……………
…………
………
……
…
ある日______
彩子は勇気を振り絞って、彼を誘った。
『明日、一緒にお昼寝…食べませんか?よかったら…』
彼は意外そうな顔を一瞬彩子に向け、そのあと素っ気なく首を縦に振った。
『別に良いけど…』
彩子は、普段は滅多に見せないくらいの笑顔でありがとうと言った。
同じクラスになって早1ヶ月。
最初の席替えで幸運にも彼の近くの席になった彩子は、遂に夢の実現に向けて行動を起こした。
これから徐々に、しかし確実に疎遠になっていた関係を修復する。
そしてかつての約束通り、将来は彼の家族に。
『あ!あそこが、空いてますよ。座りましょうか。』
その第一歩というべき、お昼のお弁当デートは成功した。
『わあ!おかずがぎっしり。さすが、男の人のお弁当ですね。』
『今日二人揃って寝坊しちまって、朝飯も詰めれるだけ詰め込まれてさ。』
『なるべく自分で作るようにはしてるんですが、うまくいかなくて…』
『ふ…太ったって…言わないでください!もう…』
『やっぱ運動しないと〜。』
お互いの近況や昔話、そして渚の様子など、いろいろな話をして盛り上がる。
『んんっ、おいしい!渚ちゃん、前よりお料理の腕があがったのでは?』
おかずを交換したりするうちに、最初はそっけなかった彼も、段々積極的に話しかけてくれるようになった。
何年振りかの人との食事。
それも、約束された運命の人と食べるお昼は、今まで感じたことの無いようなおいしさだった。
この気持ちを、もっともっと感じていたい。
明日も、明後日も、何年も何年も_____
………………
……………
…………
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……
…
その日を境に、彩子はどんどん彼との距離を縮めていった。
毎日の昼休みはもちろん、登下校も必ず一緒だった。
いつもは極めておとなしく、引っ込み思案で自分から行動することの無い彼女だったが、彼に対しては積極的だった。
怖くなんてない。
いずれ結ばれる…夫婦になる相手なのに、怖いだとか積極的過ぎだなんてありえない。
彼も、彩子との時間を楽しんでいるように見えた。
だが彼との関係を縮める度に、
彼の本物の家族…渚とは亀裂がどんどん深まっていった。
渚が実の兄に血縁関係を超えた感情を抱いているのを、彩子は薄々気づいていた。
彩子は、渚のその感情が子供の頃の延長線だと考えた。
小さい頃からお兄ちゃん子だった彼女が、今もその気持ちを捨てられずにいる。
心から彼と結ばれることを祈ってきた自分と違い、渚はただ“兄離れ”ができていないだけ。
男女の恋と家族愛の区別がついていないだけだと思っていた。
幼い頃、自分よりまだまだ子供で何かあるたびに彼に飛びついて泣いていた渚。
だから彩子は、彼女に姉のような立場で振舞っていた。
その記憶が蘇る______
渚ちゃんに正しい人生を歩んでもらうために、
彼以外の人との恋を見つけてもらうために、
そして何よりも、
彼と私との約束を果たすために_______
あの日から関係を深め、約束を果たさせる第一歩として遂に彼と恋人同士になった彩子。
家族になるための次なる作戦。
渚と兄の関係を引き裂くため、彼女は徐々にその本性を見せ始めた。
………………
……………
…………
………
……
…
彩子達が恋人同士になり、早数週間がたった。
すっかり恒例になった中庭での昼休み中、彼女は渚について触れた。
二人が付き合い始めたのを知った渚は、精神的に深いダメージを負った。
最初は部屋から出ることもできず、壁の向こうからすすり泣く声が聞こえると彼は打ち明けた。
『でも、仕方ないですよね。』
思いつめたように話す彼に、彩子はためらうことなく言い切った。
『もういい加減、兄離れをさせないといけませんから。』
平然と言い放つ彼女に、彼は一瞬驚いたような表情を浮かべ、そして俯いた。
『そんな、それじゃあ…』
『かわいそう?』
『そりゃそうだろ…だって、渚はいつも俺のために料理とか洗濯とかしてくれてんのに。』
『でも、それが渚ちゃんのためでしょう?』
諭すように、彩子は俯く彼の顔を覗き込む。
『どう頑張ったって、兄妹で結婚はできません。それに…あなたと添い遂げるのは、私なんですから。』
確かにその通りだった。
兄に恋心を抱く渚は世間から見れば異常だし、それを許容し練習という名目の“恋人ごっこ”を受け入れる兄自身も異常だった。
叶うことの無い愛。
彩子の言う通り、このまま実ることのない恋心で渚を苦しめ続けるより、いっそ捨てさせたほうが平和に収まる。
全くの正論だったが、その気持ちを失えば渚には心の拠り所がなくなってしまう。
『…私の言っていることが、間違っているっていうんですか?』
沈黙に耐えかね、彩子は首を傾げた。
長い髪が揺れる。
『そ、そんなんじゃなくてよ…でm』
『そんなことありませんよね?』
返す言葉に悩む彼に、彩子は一方的に語り始めた。
『私たちは同じ気持ちなんだから。兄としても、渚ちゃんのことをどうにかしないとって…そう思っていますよね?』
『でもあなたは優しいから、渚ちゃんを甘やかしてしまって…』
『ふふ、仕方ありませんね、私から言いましょう。このままだと、終わりそうにありませんし…』
『な!?ま、待てよおい。そもそも、そんな兄離れなんて別に…』
これ以上、妹の悲しむ姿を見たくない。
ようやく口をはさむことができた彼の言葉には、そんな思いが込められていた。
だが…
『そうしないとだめです。』
彩子は、そんな渚への想いを容赦なく拒絶した。
『いつまでも、渚ちゃんに期待を持たせてしまってはかわいそうでしょう?』
『兄として、姉として、渚ちゃんが幸せになるためには、突き放してあげることも必要なんです。』
プラスチック製のピンクの箸を握る手に、少しずつ力がこもる。
だらだらと渚への未練を引きずる彼に、わずかながら苛立ちを抱いていた。
例え血の繋がった兄妹でも、自分以外の女に気が向いていることが不愉快でならない。
『大丈夫!』
『きちんと説明すれば、分かってくれるはずですから。』
兄妹で結婚はできない、
叶わない希望は捨てて、
ちゃんと他の
『そして…私達がどれほど想い合っているかと、渚ちゃんを大切に思っているかを聞かせてあげましょう?』
『反論されるかもしれませんが、私達は間違ったことは言っていません。』
『だから、きっと大丈夫です。』
『そしたら、三人で…』
『おい…っ』
黙り続けていた彼が、口を開いた。
その声色に、彩子は一瞬怯えた。
顔を上げ、こちらを睨む彼は、彼女が初めて見た怒りの感情を湛えている。
『俺と渚は普通の兄妹じゃない。他の奴らみたいに、父さんも母さんもいる家庭の中の兄妹じゃなくて…この世にたった一人残された、唯一の家族なんだ。』
『唯一の…家族…』
その言葉に、彩子のスカイブルーの瞳がぐるぐると回り出す。
どす黒い闇が、瞳の奥から湧き出るかのように…
『わかってんだよ、普通じゃないのは。でもこの前言ったよな、なんで渚があのマフラーいっつも巻いてるのか。あのマフラーが渚の気持ちそのものなんだ。』
『俺がお前とまた仲良くなろうと思ったのは、他の女子よりは俺や渚のこと知ってて、俺達兄妹のこと受け入れてくれるって、そう信じただけだ。』
『それなのに…好き勝手、知ったようなことばっか言いやがって…』
次々飛び出す彼の気持ち。
そこに、彩子への感情はない。
箸を握る力が増していく。
『じゃあ…私とのお付き合いを受け入れてくれたのも、あの時お昼の誘いに応じてくれたのも…全部、渚ちゃんの…』
『渚に俺しかいないように、俺にも渚しかいないんだ。わかってて告白したんじゃねえのかよ。俺と渚の関係が、普通の兄妹とは違うって。』
『そんな…私は、あの時の約束を信じて…』
『知らねえよ、そんなもの…』
吐き捨てるように彼は言い放つ。
彩子にとって、それは明白な拒絶の意思表示だった。
ほっといてください______
あの日、自分を拒絶した渚と同じ表情。
今、兄妹お揃いの紅い瞳は、彼女と同じ嫌悪と憎悪の感情を湛えている。
俺のおよめさんになったら、
ずっとそばにいられるぞ____
あの頃の彼はもういない。
もう彼の瞳に、朽梨彩子は映らない。
バキ_____ッ
握り続けていた箸が折れ、手の中でバラバラに砕ける。
それは”大人になったら、必ず約束は果たされる”。
十数年もの間頑なに信じ続けた、彩子にとっての生きる意味そのものが壊された音だった。
『うああああああ_______ッッッ』
折れた箸を投げつけた彩子は、その勢いで彼に飛び掛かる。
衝撃で弁当が地面に投げ出される。
彼はベンチの上に押し倒され、彩子の細い指が首に巻かれる。
『はあ…今のは、冗談ですよね…?』
さっき箸を折った力が、彼の首に込められていく。
『ガハ…ッ』
『私、小さい時から…寂しかったから…ずっと、その約束を信じていた…』
『は…はな…して…』
『なのにそれを裏切るなんて、自分勝手過ぎませんか?』
彼の意識が遠のいていく。
視界が狭まっていく中でも、二つのスカイブルーの瞳がこちらを見つめている。
その眼に光はない。
『や…やめ…ろ…助…け…て…』
彩子の両手首を掴んで離そうとするが、その身体に似合わない力が込められていて振りほどけない。
『じゃあ…ひとつ聞いてもいいですか?ちゃんと答えて下さいね?そしたら…許してあげます。』
どんどん意識が薄れていく。
暗転していく視界と裏腹に、彩子の声がじんじんと頭の中に反響する。
このままだと、
本当に殺される_____
『私を…お嫁さんにしてくれますよね…?』
…たく……い…
『ねえ…?』
死に……た…く………
『くれますよね…?』
死にたくない_____!
『_______ッ!!!』
自分が何を口走ったのか、彼には分らなかった。
彩子は手の力を緩める。
そして彼の意識は、完全に暗転した______