【完結】ペインフル・リインカーネーション 作:さくらのみや・K
私は体育館を飛び出した。
たくさんの避難者をかき分けながら、訳も分からず、校舎の中を走り抜ける。
「やめて!来ないで!!」
どす黒い何かが、強烈な寒気と共に私を飲み込もうとしてくる。
「嫌だ!嫌ぁッ!!」
聞き取れない幻聴に耳を塞ぎ、廊下を走る。
毛布の上に座り込み、生気を失ったように項垂れる人。
家族と肩を寄せ合い、涙を流しながら誰かの名を唱え続ける人。
明るく振る舞いながらも、隠せない疲れを滲ませている人。
絶望、
悲しみ、
疲労、
どこに行っても、眼に映るのはそんな表情ばかり。
家族を失い、
友達を失い、
想い焦がれた人を失い、
みんな大切な人を失くしている。
それがどれほどつらくて悲しいことか、私はそんなことすら忘れてしまっていた。
寒い___
マフラーを巻いているのに、寒気が止まらない。
何もかもを失った、人々の視線。
その全てが私に向いて、私を責めているように感じた。
人殺し______
「分かってる!分かってるよ!でも…」
その視線達からも逃げるように、私は無我夢中で走り続けた。
………………
……………
…………
………
……
…
私は幼い頃から、兄妹で愛し合うことを嫌うこの世界を憎んで来た。
物心がついた時からお兄ちゃんが好きで、それを邪魔する全てが嫌い。
常識とか倫理とか世間体…それらに対するやり場の無い憎しみ。
今まで何度も何度も見続けた血みどろの悪夢が、それに拍車をかけた。
それでも私は耐えていた。
例えお兄ちゃんが私に振り向いてくれなくても、
兄妹で結ばれることが許されなくても、
お父さん、お母さん、お兄ちゃん、そして私___
家族4人のささやかな幸せ。
例え本音が明かせなくても、お父さんもお母さんも苦しむ私を慰めて、励まして、いけないことは叱ってくれた。
もしあのまま大人になれたなら、悪夢も憎しみも、お兄ちゃんへの恋心も忘れて成長していったと思う。
だけどそれは叶わなかった___
私は12歳で、お父さんとお母さんを失った。
お兄ちゃん以外に縋ることができる、心の拠り所を失ってしまった。
幼い感情は幼いまま、
危険な想いは危険なまま、
私のお兄ちゃんへの想いは止まらない。
お兄ちゃんに愛されたい、
お兄ちゃんと結ばれたい、
お兄ちゃんを盗られたくない、
お兄ちゃんがいればいい、
お兄ちゃんは私だけを見てくれればそれでいい、
お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん___
それ以外はどうでもいい。
常識も倫理も世間体も、
お兄ちゃんと私以外のこの世の全てがどうでもいい。
そして邪魔するものは許さない。
全て消えてしまえばいい。
そんな感情に囚われた私は、人として大切なものを失ってしまっていた。
それでもなんとか理性を保てたのは、お兄ちゃんのおかげだった。
少しづつ、お兄ちゃんが私に振り向いてくれるようになった。
行動に移すようになったのはずっと後だけれど、だんだん私への視線が家族に対する愛から、1人の女性へのものへと変わっていくのが分かった。
遠い遠い星を掴もうとするような虚しさは消え、届きそうで届かないもどかしさに入れ替わる。
その感情は甘酸っぱく、これこそが恋なのだと私は改めて実感できた。
それを確信させた、お兄ちゃんがくれたマフラーを首に巻き続け、私はその恋心が逃げないように閉じ込めた。
決して言葉にはできない想い。
でもきっといつか、
私の気持ちを分かってくれる___
悪夢の中の“私”が言っていた時とは違う、明確な確信を持って、私はそれを信じ続けた。
それが、狂気に支配されてしまった私を、何とか1人の少女に留めおいてくれていた。
だけれど、それすら打ち砕かれた。
それが彩子さんという存在だった。
私とお兄ちゃんの間に割って入り、お兄ちゃんと私を引き離そうとした彩子さん。
私達の家に盗聴器をしかけたり、お兄ちゃんを脅したりして、強引にお兄ちゃんを私から奪おうとした。
だけどその強引さは、お兄ちゃん自身にも避けられた。
涙を流し、私に泣きついたお兄ちゃん。
その姿を見て、私の口許は緩んだ。
お兄ちゃんは私を選んだ。
彩子さんではなく私を____!
そしてその事実は、同時に私の人としての最後の理性を破壊した。
お兄ちゃんと私を引き裂こうとする奴は、誰であろうと許さない。
私だけのお兄ちゃんを、
騙して、
脅して、
傷つけた、
あの女は絶対に許さない____ッ
そこからはズルズルと、狂気の渦へと飲まれていった。
彩子さんを拉致して、監禁して、お仕置きし続けた。
もはや、元の生活を送れるかどうかすら分からないほどに痛めつけたのに、私には寸分の罪悪感すら沸かなかった。
お兄ちゃんが愛してくれた、
お兄ちゃんと結ばれた、
お兄ちゃんが私だけを見てくれた。
その喜びに何もかもを塗りつぶされた私は、善悪を区別する僅かな理性すら残っていなかった。
挙げ句の果てには、私を庇って罪を被ろうとしたお兄ちゃんにすら刃を向け、私自身のお兄ちゃんへの感情を守る為に、私はお兄ちゃんとの死を選ぼうとした。
そしてその全てを、兄妹で結ばれることを許してくれないこの世界のせいにした。
『愛していたよ、お兄ちゃん。』
幸せと狂気の頂点_____
あのデパートの屋上で、流され、押し潰され、燃え盛る街を見下ろしながら、恍惚な笑みを浮かべる私…
それは人としてたいせつなものを失った、
バケモノだった____
………………
……………
…………
………
……
…
「ハア…ハア…」
気が付くと私は、体育館とは反対側の中庭にいた。
中庭と言っても、今は何もない。
花壇も、いつも園芸部が一生懸命お世話していた花々も、何もかも流されてしまった。
代わりに津波は、泥と瓦礫を置き去りにしていった。
「ハァ…こ、ここって…」
よく覚えている。
お兄ちゃんと彩子さんが、ここでお昼を共にしていた。
私の作ったお弁当で。
校舎の方を見上げる。
1番上の階に、私のクラスの教室がある。
2人は知らなかったのか、それとも知ってて気に留めなかったのか。
ここは、教室からはっきり見下ろせる場所だった。
もう2人が座っていたベンチは無い。
「また…」
私は両腕を交差させて、二の腕をさする。
立ち止まった途端、悪寒がまた私を襲う。
汗が冷えたせいではなかった。
ものすごい勢いで、寒気が全身にまわる。
「寒い…寒い…ッ!」
カタカタと震え出す。
寒気が止まらない。
どんどん体温が下がっていくような感覚が襲う。
「嫌だ…寒い…寒いよぉ…」
たまらず疼くまる。
視界が狭まる。
「ハァ…ハァ…ッ」
心の底から、どす黒い何かが全身を包んでいく。
悪夢の始まり。
眠る時、いつもこの黒い何かが噴き出して全身を包んだ。
「ごめんなさい…っ」
寒さが消えない。
涙が溢れてくる。
「寒い寒い寒い寒い_____ッ」
たまらず叫ぶ。
自分のせいでしょう______?
その声の方へ、おそるおそる顔を上げた。
見知らぬ女がこちらを見下ろしていた。
大きなリボンで、髪を後ろに纏めていた。
いや、私は知ってる。
お兄ちゃんと“私”の幼馴染。
“私”より料理が上手で、明るくて、ピアノが弾ける。
そして夢の中で、“私”を釘付けにした女。
自分がしたこと、分かってるでしょう?
今更後悔して、泣き喚いたって…
誰も許してなんかくれないよ____
「分かってる!わざわざ言わないでよ!」
本当に分かっていますか_____?
振り返ると、また別の女が立っていた。
髪が長い。
彩子のような声と外見をした人。
お兄ちゃんの同級生で、確かお兄ちゃんに助けられて好きになったんだっけ。
そして、この人はお兄ちゃんを殺し、花の養分にした。
あなた達は人を殺したんですよ?
あんなに暴力を振るって、それで幸せになれるはずがないでしょう?
人の死を望んで、人々の嘆きを見下ろして笑って…
あなたはそれで本当に、幸せになれると思ったんですか?
「うるさい!うるさい!!私は…私は…!!!!」
ただ、
お兄ちゃんが好きなだけ______?
疼くまる私の目の前に、“私”がいた。
お兄ちゃんに愛されたくて、
お兄ちゃんに気持ちをわかって欲しくて、
自分の気持ちを押し付けようとして、とうとうお兄ちゃんを殺してしまった。
あの悪夢で見続けた、悪魔のような表情ではない。
悲しみと、沢山の罪を背負った表情。
きっと私も、こんな顔をしているのかな…
愛されたくて、
受け入れて欲しくて、
願いを叶えたくて、
でも私はそのために、たいせつなものを失くしたの。
幸せも、平和も、お兄ちゃんも、私自身の命も…
傷付け合って、
殺し合って、
それで得られる幸せなんて何もない_____
“私”は手を差し延べた。
私はその手を掴む。
3人の少女。
悪夢の中で殺し殺され合った彼女達の素顔は、普通の女の子。
微笑みを浮かべたその表情からは、あの血みどろの悪夢で見せたものとは似ても似つかない。
「彩子さん_____」
彩子さんもそうだった。
あの人も、私やお兄ちゃんに向ける表情は優しかった。
きっと彩子さんは本気で、私のお姉ちゃんになりたかったのかもしれない。
「ごめんなさい。」
私は、3人の少女に謝った。
なぜ私は幼い頃から、あんな怖くて恐ろしい悪夢を見せられ続けたのか。
ようやく理解した。
そして、だからこそ私は、それを活かせなかった自分の愚かさに気づいた。
「ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…っ!」
涙が止まらない。
拭っても拭っても流れ出し、視界が歪み、嗚咽が漏れ出す。
「ごめ…んなざ…うぅ…ひぐっ」
暗闇の中で、私は泣き続ける。
泣く権利なんてないのに。
謝る相手は私じゃないでしょう_____?
あなたが謝るべき人は他にいるはずです_____
自分がこれから何をすべきか______
それが大事でしょう_____?
「うん。」
まだ寒さも震えも止まらない。
でも歯を噛み締めて耐えた。
3人の幻が消えていく。
これからは1人で、自分の罪と向き合わなくちゃいけない。
もうお兄ちゃんにばかり、甘えてはいられない。
この災害で、裁かれる機会すら永遠に失った。
私は自分自身で、罪を償っていなくてはならないから。
「ありがとう____」
消えていく少女達に、私はそう言った。
私に罪を犯させないように警告し続けてくれた、夢の中の彼女達に_______