【完結】ペインフル・リインカーネーション 作:さくらのみや・K
夜。
渚が馬乗りになっていた。
虚ろな目で俺を見ている。
その手には包丁が握られていた。
声を出そうにもかすれて出ない。
ヒューヒューと息だけが漏れる。
もういい…最初からこうすれば良かったんだ…
こうすれば、もう誰にも邪魔されないんだ…
両手で包丁の柄を握りしめ、ゆっくりと振り上げる。
これからの幸せに期待を寄せる、そんな顔だった。
動けないし声も出ない。
ただただ恐怖に怯えるしかなかった。
ずっとずっと、
一瞬に居ようね_________
お兄ちゃーーーーーんッッッ…
助けてくれ_________ッ
………………
……………
…………
………
……
…
「ハッ…ハッ……ハァ…」
目が覚める。
夜明け前、空は僅かに明るくなっていた。
「…クソ…まだ3時か…」
全身汗だくだった。
だが一階の風呂場でシャワーを浴びるのも気だるく、とりあえずパンツ以外を脱ぎ捨てた。
「浮気を怒って大暴れ、か…」
数週間前と同じような夢だった。
違うのは、浮気を責め立てられた挙句に、今回は刺されたという点だ。
ひどい夢だった。
制服もなんか違うし、知らない女の名前も出てくる。
夢の中だから当然といえば当然だが。
俺は心のどこかで、渚に怯えているのだろうか。
殺されるシーンは明らかに、目撃した“お仕置き”の影響だろうが、鬼の形相で実の妹に浮気を責め立てられた夢はその何週間も前の夢だ。
「まあ夢なんてそんなもんか。学校が300階建てになってたこともあるし…」
一階でシャワーの音がする。
なんでこんな時間にと思ったが、まあそんな時もあるだろうと、俺は気に留めない。
今度はいい夢を…
俺は再び眠りについた。
髪を濡らし、水滴がつたっている自分の顔は、誰が見ても分かるほどに憔悴しきっていた。
「あは……ひどい顔…」
鏡に映る自分を見て、私は力なく笑った。
私を悪夢から現実に引き戻したのは、お兄ちゃんの絶叫だった。
夢の中で殺そうする私に、必死で救いを求めるお兄ちゃん。
夢の中での一部始終と、お兄ちゃんの叫び声が重なったのだ。
何も終わってはいなかった。
お兄ちゃんと練習を始め、彩子さんを監禁し、幸せな日常を手に入れた。
今度こそ悪夢が消える…
淡い期待は、シャワーヘッドから流れてるお湯と一緒に流れていった。
だけど、どれだけ悪夢を見せつけられても私は耐え抜ける、大好きなお兄ちゃんとの日常を過ごせる限り。
もっと怖いのは、お兄ちゃんに悪夢が感染することだった_________
最後に悪夢を見たのは、恋人ごっこを始めた前夜だった。
朝、お兄ちゃんを起こした時。
『怒った私が怖かった?浮気を怒って大暴れ?』
最初は、お兄ちゃんの夢の中でそんな関係になれていることに喜んで浮かれていたが、思い返すうちに気づいた。
私が何度も見てきた悪夢…お兄ちゃんを殺す夢でも、原因は浮気だった。
勝手に決めつけたというのが正しいのかも知れないけど、とにかく他の女に目移りしたお兄ちゃんに逆上して刺し殺したのだ。
もしお兄ちゃんも同じ夢を、私に殺される夢を見ているなら。
嫌われてしまうかも知れない_________
恐怖が襲う。
「嫌だ…嫌だよ……寒いよ…お兄ちゃん…っ!」
流れ出るシャワーのお湯が、私には冷たく感じた。
………………
……………
…………
………
……
…
「サイコさんどうしてるんだろーな。」
放課後。
下校中に、一緒に歩いていた友人が口を開いた。
「え?あぁ…さあな。」
急な問いかけに、俺は曖昧に返事をした。
「なんだよそれ、お前の彼女だろ〜?」
「冗談じゃないぜ。」
友人のからかいに溜息をつく。
「でも良かったじゃん、自分から消えてくれて。」
「…行方不明になってんのに、良かったって喜ぶのもなんかな〜。」
「心配することねーって!どうせ家で引きこもってんだろ?そんな顔してんじゃん。」
真実を知らないと、こうも気楽に話せるものなのだろうか。
よもや俺達兄妹が、彩子を縛り上げていたぶっていることなど想像してないだろうが。
「本当お人好しだなお前、心配し過ぎだって。奥さんが嫉妬するゾ。」
こいつは中学からの友人。
我が家の家庭事情と知っている。
彩子のことを、渚以外で相談できた唯一の親友である。
因みにこいつのいう奥さんは、渚のことを指している。
「そんな…一応妹だぞ。」
「言わなきゃお似合いの夫婦みたく見えるんだよなぁ。」
嬉しくもあるが、あまり他人に自分の本音を知られるのは複雑だった。
「じゃ、さっさと帰って夫婦水入らずで過ごして下さい…僕はひとり寂しくPUBGでもします。」
「うるせぇ!じゃあなー。」
我が家に着いた。
今日は渚は学校帰りに買い物に行って遅れてくるという。
手伝っても良いぞとは言ったが、大した荷物もないからと断られた。
「野々原さんですか?」
鍵を開けようとしたところで声をかけられた。
振り返ると、背広を着た二人が立っていた。
どちらもにこやかで、俺はてっきりセールスマンか何かかと思ったが…
「あの〜警視庁の者なんですが、ちょっとお話しよろしいですか?」
そう言って取り出した警察手帳を見た途端、心拍数が跳ね上がる。
驚きが顔に出ないか心配だった。
「な、なんすか?」
「お隣に住んでらっしゃる朽梨さんの娘さんが行方不明になってまして、ご家族の捜索願いが出たので情報提供をお願いしている最中で…」
頭の中がぐるぐる回る。
仮初めの平穏のタイムリミットが、刻一刻と迫っていた_________
………………
……………
…………
………
……
…
今日の夕飯はカレーだった。
「おかわりもあるから、たっくさん食べてね!」
エプロンを外しながら、渚は言った。
二人でテーブルにつき、一緒に食べるカレーはいつも美味しい。
二人食べ終わった後、俺は切り出した。
「渚。」
その表情が真剣過ぎたのか、心配そうな顔をする渚。
「ど、どうしたの?もしかして、今日のカレー美味しくなかったの?」
「ああっ…いや、違うんだ!カレーは美味しかったよ!じゃなくてこれ…」
俺は一枚の紙切れを差し出した。
帰り際、何かあったら連絡しろと言って置いてった、刑事の名刺だった。
「警視庁…」
「彩子の家族が捜索願いを出したらしい。どこか行きそうなところはあるか知らないか…って。」
渚は黙り込んだ。
倫理も常識も渚には関係ない…が、無視をするほど子供ではなかった。
「…大丈夫、心配しないで。彩子さんがこの家にいる痕跡はちゃんと消してあるから。だから…」
何も考え無しに連れ込んだわけではないだろうが、警察相手となると話が違う。
向こうも本職、全力で捜索されたら足がつくかもしれない。
「何もない…と良いな。」
「私は嫌だな…お兄ちゃんと離れ離れになるなんて…」
渚は首に巻いているマフラーを両手で掴みながらそう言った。
目に涙を浮かべて。
「ずっと…ずっとこうなることを夢見て来たのに、それをまた誰かに壊されるなんて…」
俺は自分のヘタレさを憎んだ。
痣だらけで、致命傷にはならないにせよ一生消えない傷もつけているはずだ。
今更彩子を解放しても、そのまま警察に通報されれば全てが終わる。
万が一俺のことを庇ってくれても、彩子は渚を許さない。
かと言ってこのまま監禁していても、いつ警察や彩子の家族に見つかるか分からない。
もっと強い意志を、彩子を突き放せる意志を持っていれば、こんなことにはならなかったに違いない。
幼馴染だから、
子供の頃の古い約束の言い出しっぺが自分だから、
嘘つき呼ばわりされるのが嫌だから、
彩子が自分を好きでいてくれてたから_________
そんな甘えた考えが彩子を傷つけ、渚と俺は取り返しのつかない罪を犯した。
家の奥から物音がした。
「チッ……本当、懲りないよねぇー。殴り過ぎて頭悪くなっちゃったかな…」
渚が音のする方を睨みつける。
“お仕置き”が始まる合図だった。
「お皿…俺洗っとくよ。」
「あっ、ごめんねお兄ちゃん。置いといて大丈夫なのに…」
「いいさ、俺お兄ちゃんだから。」
「ありがと…じゃあ、ちょっと行ってくるね。」
渚は立ち上がると、台所に置いてある包丁を片手に物置の方へ歩いて行った。
「ハァ…」
ため息だけついて、俺はポケットから取り出したイヤホンを耳に挿れる。
音楽を再生してのそっと立ち上がった。
「?」
足元が微かに揺れている。
地震…?
そう思った刹那、けたたましいスマホのアラームと同時に、激震が野々原家を襲った。