白色の薔薇 作:なやな
半分くらい勢いでバンドを結成したはいいが、まだ友希那の歌を聴いたことがないという事実に章浩は遅れて気づいた。
慌てて「湊の歌を聴かせてほしい」と頼み込みめば、元より今日は練習に来ていたので、言われずとも聴かせるつもりだった、と呆れながら返されてしまう。
「というか、私もあの場で返事が貰えるとは思ってなかったのだけれど」
「いや、その。ついな。ただ、別に軽い気持ちで受けた訳じゃないってのは信じてくれ」
「……向こう見ずね」
少し冷めた目で友希那に見られ、章浩は顔を逸らす。妙にヒートアップしすぎて結論を急いでしまったきらいは確かにあるが、あの場での言葉は全て章浩の偽らざる本心である。
章浩が利用していた一室は終了時間が訪れてしまったのでそちらの手続きを済ませた後、章浩は湊が先に向かっていた部屋に向かう。
中では友希那が既にマイクのセッティングを終えていた。
「来たわね。それじゃあ、まずは一曲―――」
流れ出し始めた音楽と共に、友希那の音色が部屋一面に満ち始めた。
「─────────♪」
それは天使の抱擁のように優しく、それでいて嵐さながらに荒々しく、独創性に富んでいて―――相反する要素を矛盾なく兼ね備えた、心を鷲掴みにする幻想的な調べ。
大海に包み込まれるかのような心地を知覚しながら、章浩は演奏中、友希那から1秒たりとも目を離すことができなかった。呼吸、或いは瞬きでさえこの数分間に行っていたのかどうか、章浩は記憶にない程に。
夢現の時間が過ぎるのは速い。
友希那は自分の実力を示すためにタイプの違う曲を複数歌っていたが、章浩にとっては僅か体感十数秒での出来事だった。
「―――以上よ。……呆けているようだけれど、ちゃんと聴いていたのかしら?」
「あ、ああ。いや……本当に凄い歌だった。悪い、褒め言葉が咄嗟に出そうにない」
「……そう。そこまで言われれば、悪い気はしないわね」
汗をタオルで拭いながら、薄く笑う友希那。
見る者が見ればドギマギしそうな光景に反応する余裕もない程に、今の章浩の頭の中は、友希那の曲で埋め尽くされていた。
冗談抜きで、今まで生きてきた中で一番良い歌声だった。何時間、何日、何年間でも聴き付けていられそうなほどに。
友希那のバンドメンバーの理想が高いのもこれなら頷ける。そして同時に、自分のベースの腕はまだまだという事実も思い知らされた。
「なあ湊、むしろ俺でいいのか?レベル、釣り合ってる気がしないんだが」
「私は古賀君の腕を認めたからこそ勧誘したの。あまり自分を卑下しない事ね。それに、腕が劣っていると感じたならば練習で巻き返してみせるくらいの覚悟を持って」
「……そうだな。いや悪い、ホントにすげえ歌声だったもんで、つい弱気が出た。バンドを組んだ以上、俺もそれに追いつく義務がある」
付いていけなければ置いていく、という言葉は脅しでも発破でもない。完全にして至上の音を望む友希那にとっては、それは至極当然の条件だ。
それを改めて痛感させられた。
「……しかし、こうなるとメンバー集めは確かに難航しそうだな。高校生の平均レベルなんて俺は知らないが、流石に湊に比肩できる腕前の奴はそういないってのはわかるぞ」
「そうね。幾つものスタジオやライブハウスを回って探してはいるけれど、中々見つからないわ。……古賀君。あなたの知り合いで楽器をやっている人はいないのかしら」
「あー、悪いがその辺りの繋がりは皆無。力にはなれないな」
(地道に探し回るしかないんだろうか)
偏見かもしれないが、学生が結成しているバンドは元々仲の良かった集団が楽器を始めて出来たものが多い、という印象が章浩にはある。
具体的な何かしらの目標をもって見ず知らずの者達がバンドを組むというのは、学生レベルではそうない気がしないでもなかった。
「こうしてバンドを組んだ以上は合同練習もしたいところではあるけど、流石に2人ではね……今はまだ、メンバー探しに多く時間を割いた方がいいかしら。もちろん、最低限の練習はするけれど」
「ベースとボーカルだけじゃあな……。そうした方がいいか」
プロならばサポートが付くだろうが、ないものをねだっても仕方がない。
楽観視するのは厳禁だが、焦って適当な人員を補充してしまうのはそれ以上に問題だ。
ひとまず、今日はそれで解散となった。
章浩と友希那は連絡先を交換した後に、それぞれの帰路に着く。
すっかり空は茜色に染められていた。
雲霞の如く広がる夕影―――見慣れた景色のはずだが、今日は何かが違って見える。
自分自身に変化があったからだろうか、と章浩は朧げに考えていた。
◆
友希那は自室で携帯を眺めている。
画面に映し出されているのは、今日、初めてできたバンドメンバーへのメッセージ画面だ。
文面には明日からの予定が所狭しと詰め込まれていて、世間話や閑話などは一切見受けられない。
バンドに馴れ合いは不要。そう考える友希那にとっては、連絡手段など事務連絡をこなすだけのもの。歓談に話を咲かせる必要はない。
(……こんなところかしら)
改めて自分が打ったメッセージを再度見直し、今度こそ送信する。
やるべき事は終わった。ネットサーフィンやスマホゲームをやらない友希那は、普段ならばこのままスマホの画面を暗くしていただろう。
しかし今日は、メッセージが送信された後の画面を、未だじっと見つめている。
少し、章浩の事について考えていたのだ。
―――音楽に全てを賭けられるかは判らない。しかし友希那が自分に期待を寄せてくれたなら、それに応えたいとは思う。
章浩はそう言っていた。
嘘偽りのない正直な気持ちだとは思うが、はっきり言って―――友希那の問いかけにしっかりと答えたかと言われれば、そうではない。
音楽に全てを賭けられるか、という質問には暈して答えているし、バンドを組みたいと言う最大の理由も『他者からの期待に応えたい』というもの。
人によっては、この返しを不誠実だと捉える人もいるのだろう。特に、友希那と章浩は会ったばかりの人間だから尚更だ。信頼関係など結ばれていないに等しい。
しかし友希那は不思議と、その言葉を悪いものだとは思わなかった。
(期待……か……)
―――自分は今、どんな理由で歌っているのだろう。
父親を潰した『FUTURE WORLD FES.』で自分の音楽を認めさせる。これはいい。
だが、何の為だろうか。
誰がそんな事を望んでいるのだろうか?
父親は―――『FUTURE WORLD FES.』に対し思うところはあるだろうが、だからといって友希那がそれに出てどうこうして欲しいとは思っていないだろう。
(―――分かっているからなんだというのかしら。それで、私のこの気持ちが収まるわけでもない)
ならば、自分が望んでいるのか。
それも今の友希那にとっては明言しかねる事だった。そもそも歌だって、本心から好きなのか―――今は、分からない。
(……羨ましいと思ったのかしら)
ニコニコと笑顔を浮かべていた訳ではないが、古賀章浩という人間は心からベースを奏でることに喜びを見出していた。ジャンルは違えど、友希那とて長く音楽に触れてきた身。それくらいは理解できる。
そして、そうした思いが何よりも人を上達させるのだということも。
(……いずれにせよ、私にとって今一番重要なのは『実力』。意欲は前提ではあるけど、それだけあれば演奏技術の低さを補える訳ではない)
章浩が付いて行けなくなるか、或いは気力を失った時は、友希那は躊躇なく章浩を切り捨てる心算だ。それは今後見定めればいい事。
友希那の期待に応えたい、友希那と共に音楽をしたいという章浩の混じり気なしの気持ちは伝わっている。
ふ、と。気付けば、僅かに口角が上がっているのを友希那は自覚した。基本的に鉄面皮の彼女にとっては、珍しい。
(……少しだけ)
友希那は再び、メッセージを打ち始める。
そしてすぐに章浩に送信した。
『明日から頑張りましょう』
文面は短い、というかたったの一言だ。
しかし彼女が、このような言葉を伝えるのはまたもや珍しい事に他ならない。
らしくない事かもしれないが、友希那は悪い気はしなかった。