白色の薔薇 作:なやな
―――紗夜はこれ程までに完成された声を、今までの人生で聞いた経験がなかった。
涼風を思わせる凛とした透き通る旋律。空気を撫でる澄み切った声音。
言葉一つ一つが音に乗り、情景に、色に変化していき、それはやがて『湊友希那』という1人の人間で世界を染め上げていく。狂奔したように奮い立つ観客の声援ですら、友希那という歌姫のステージを彩る一部に他ならない。
失意を抱く形となったバンドの解散。少なからず気持ちが沈んでいた矢先に現れた友希那の実力に最初こそ疑いを持っていたが、こうしてその実力を様々と見せつけられれば紗夜にとっても文句など付けようがなかった。
「………本物、だわ………。―――やっと……見つけた」
彼女とならば、頂点へだって手が届く。
そんな確信めいた予感を、紗夜は強く胸に抱いていた。
◆
ライブ終了後、章浩と友希那と紗夜の3人は再び落ち合っていた。
用件は勿論、紗夜の意思を聞く事だ。
「……どうだった?私の歌は」
「何も……言うことはないわ。私が今まで聴いてきたどんな音楽よりもあなたの歌声は素晴らしかった。あなたとならば確かに頂点に手が届く、あなたと組ませて欲しい―――そう思わせてくれる実力です。……ですが、私はまだそちらのベースの方の実力を見たわけではありません。それまでは確定した答えを出せないわ」
「まあ、そうだな。といってもさっき言った通り、後日になるけど」
「―――なるべく、お早めにお願いします。あなたが本当に湊さんが認める程の腕を持っているのなら……私は、1秒でも時間を無駄にしたくない」
「……なるほど。こりゃ俺も下手な演奏はできないな」
章浩は再度気を引き締め直す。
紗夜が友希那に、ひいては章浩に多大な期待を抱いているのは明らかだ。
そして同時に、友希那と章浩もまた紗夜に対して強くバンドへの加入を望んでいる。
紗夜が友希那を認めた以上、後は章浩が如何に実力を示せるかに懸かっていた。
「古賀君。バンドメンバーとしてあなたの実力は信じているけれど、彼女を引き入れる為にきちんとした演奏を―――……?」
「?どうした?」
「……そこの2人、私たちに何か用ですか?」
「―――わ、わあっ!りんりん、本物の友希那だよ!凄いっ、間近で見るとカッコイイ〜〜!」
「あ、あこちゃん……。取り込み中みたいだから、その……」
友希那と紗夜の言葉に釣られ、章浩が周りを見渡してみれば、2人の少女がどうやら自分達3人を覗き見ていた事に気づく。奇しくも先ほど、紗夜の事を影から見ていた章浩達と同じようにだ。
「あのっ、さっきの話って本当ですか?友希那……さん、バンドを組んでて、メンバーを探してるって」
「ええ、その通りよ」
「……!あ、あこっ。ずっと昔から友希那さんのファンだったんです!だからお願いっ、あこも友希那さんのバンドに入れてっ!」
「!?……あこ……ちゃん……?」
あこという名前らしい紫色の髪をした小柄な少女は、矢継ぎ早に捲し立てながら何とバンドへの加入を希望してきた。
突然の出来事に、友希那も思わず目を剥いている。友希那の追っかけか何かだと思っていた章浩も同様だ。
「あこ、世界で2番目に上手いドラマーですっ!1番はおねーちゃんなんですけどっ!だから……もし、一緒に組めたら……!」
「遊びは他所でやって」
顔を紅潮させながら加入を熱望するあこに対し、友希那は氷のようにぴしゃりと言い放った。あこの表情が愕然と歪む。
「えっ……」
「私は2番である事を自慢するような人間とは組む気はないわ。そんな向上心のない人は私のバンドには必要ない」
「うぐっ……」
冷然と拒絶を叩きつける友希那の言葉に、あこの勢いはどんどんと削がれていった。紗夜は正式なバンドメンバーではない為に2人に対して言及する事はないが、友希那と同じ意見だという事は纏う雰囲気からして察せられる。
あこの発言がこうした展開を齎す事は章浩に予想できていたが、しかし章浩本人としてはそんなに突っ撥ねる事はないんじゃないか、と考えていた。
友希那の一種孤高的な演奏を目の当たりにしてもバンドを組みたいと思える胆力は稀だろうし、それに章浩個人としては、『世界で2番目に上手いドラマー』と言い張るのは寧ろ尊敬、というよりは羨望にも似た感情を禁じ得ない。
(本当に向上心に欠けた奴なら、世界で2番目―――なんて大それた事は言いやしない。寧ろ、少なからず腕に自信があっての発言だと俺は思う。……まあ、単純にそこまで深く考えてないだけかもしれんが)
少なくとも、章浩は自分を『世界で2番目に上手いベーシスト』などと嘯く事は心情的にできそうにない。
勿論今は
今現在の実力が、
「テストしてみたらいいんじゃないか。氷川のついでだ」
だから、助け舟―――というわけではないが、あこというドラマーが奏でられる音を聴ける機会というものを、章浩は作りたかった。
章浩から発せられた提案に友希那は驚愕の視線を向け、あこはやや逸ったように、それまで沈んでいた顔を上げる。
「えっ?あ、あこのドラム、聞いてくれるんですかっ?」
「……古賀君、どういうつもり。私はこの子を認めては……」
「世界で2番目に上手いドラマーなんだろ?なら、一回でも見てみればいいじゃないか。どの道ドラマーの目処は現状立ってないんだし、別にオーディションする事に不利益もないだろ。その上で湊がダメだと判断したならまあ、それで終わる話だけど」
「技術だけあっても私のバンドメンバーには不適格。バンドを結成する時にそう言ったはずよ」
「なら尚更だろう。本当に遊び気分かどうかは、実際に聴いてみないと分からないんじゃないか」
「…………」
睨み合いという程険悪ではないが、周囲に張り詰めた空気が流れる程度には真剣な眼差しが章浩と友希那の間で交わされる。
もう一押しが必要か、と考えていた章浩だが、別の場所から援護射撃は飛んできた。
他ならない、あこからだ。
「ゆ、友希那さん!あこ、遊びでバンドに入れて欲しい訳じゃありませんっ。その……昔から友希那さんの歌がカッコいいって思ってて、もし友希那さんと一緒に演奏できたらなあって想像しながらドラムを叩いたりする事もあってっ。……えっと、だから……そう!絶対絶対絶対、超凄いドラムが叩けますっ!」
拙い言葉ながらも、あこは更なる熱意を込めて友希那に詰め寄る。
友希那の仏頂面は崩れなかったが、やがて根負けしたかのようにため息を吐いた。
「……分かったわ。一回、セッションをしてみるだけよ。紗夜も、それでいいかしら?」
「!!!友希那さんっ!」
「……私は構いませんが」
「よし決まりだな。なら、全員の予定を合わせてスタジオの予約を早くしちまおう」
「―――――やったーーー!りんりんっ、あこのドラムを友希那さんが見てくれるって!」
「う、うん……よかったね……あこちゃん……」
こうして、紗夜とあこ。
2人のギタリストとドラマーと共に、セッションをしてみる事が決定したのだった。
◆
「友希那さん、章浩さん、紗夜さん、今日はよろしくお願いします!」
「こっちもよろしく。良い演奏を期待してる」
数日後。
章浩と友希那、そして紗夜とあこの4人は同じスタジオに集結していた。
これからのバンドの命運を分ける時間ともあり、4人全員分の雰囲気はいつもより引き締まったものだった。
「あこ。分かっていると思うけど、実力がなければ直ぐにでも帰ってもらうわよ」
「は、はい。分かってますっ!」
「湊さんに見合うだけの実力があるか……見せてもらいますよ、古賀さん」
「ああ。全力を尽くす」
各自がそれぞれの楽器の準備を始める中、章浩はあこが取り出したボロボロのスコアを偶然視界に入れていた。
予めセッションする曲を決めて周知していたとはいえ、このオーディションが決定してから今日までの時間は精々数日だ。途方も無い練習量を積み重ねきた事がそのスコアからは伺えた。実力のほどはまだ分からないが、バンドに入りたいという熱意は本物らしい。
(……さて、俺としてもここで氷川に認められない訳にはいかない。失敗はできないな)
紗夜の実力は高い。
そして音楽に対する姿勢も友希那が認めている程だ。バンドに加入して貰うためにも、ここで自分が足を引っ張る訳にはいかなかった。
章浩は呼吸を一息吐き、空気と共に積み重なった緊張を肺から追い出す。
あくまで平静に。適度な緊張感は必要だが、過度に気負えば指が鈍ってしまう。
「始めるわよ――――――」
友希那の言葉を皮切りに音楽が流れ出す。
常より一際真剣な表情でベースを鳴らす章浩の、バンドを始めてからの理念だ。
水面のように静謐な
あこと紗夜という今までとは違う要素を交えてなお、
場の雰囲気を汲み取り同調しながらも、ただ悪戯に流される事はせず。さりとて独り善がりの演奏はしない。複数人で一つの音を織り成す事こそがバンドの真骨頂なのだから。
(調子は良い―――このまま最後まで……!)
紗夜の腕はやはり良い。
既に知っていた事だが、改めて一緒に演奏してみれば、より一層その評価は確固たるものとなっていった。メトロノームのように正確性を追求した彼女の演奏は、バンド全体に安定感を齎している。
更に、あこのドラマーとしての実力も、章浩の想像を大きく超えたものだった。世界で2番目という事は流石にないにしろ、小柄な体に反しリズム良く豪快にスティックを振るうあこの姿は間違いなく熟練のドラマーのそれに等しい。
レベルの高い演奏だという事を実感できるのもそうだが、何よりもセッションしていて
終始、章浩が感じていたのは安らぎとも高揚感とも取れる不思議な感情だった。
◆
「あこの演奏どうでしたかっ!?練習してた時以上にうまくできましたけど……その……」
「俺は全然良いと思うけど。湊は?」
セッションが終わり。
直後にスタジオの一室内に、期待と不安をない交ぜにしたあこの声が
それに対し、間髪入れずに迷う事なく章浩は合格の意を示しつつも、友希那の反応を伺った。章浩としては最早あこの実力は疑うべくもなかったが、最終的な判断を行うのは友希那だ。
友希那が沈黙を保ち思考に耽ったのは僅か一瞬の事で、直ぐに選考の結果を伝える為に口を開いた。
「ええ。いいわ、合格よ」
「―――いやったあああああああーーーっ!!」
諸手を挙げて喜ぶあこ。
ぶんぶんと手足を振り回しながら、全身で喜びを表現していた。
「……で、氷川。俺のベースはどうだった。バンドを組むに足る実力だったか?」
「古賀さんの実力ならば問題はありません。宇田川さんも、そうですね。問題のない演奏技術でしょう。―――このバンドに加入する事に異論はありません。3人共、これからよろしくお願いします」
「えへへ……ありがとうございます。紗夜さん、一緒に頑張りましょう!」
「ああ、よろしく頼む。ともあれ、これで4人が集まったわけか。あと必要なのは…なんの楽器だ?」
「キーボードね。妥協して下手な人員を入れなければならない程ではないにしろ、いつかは見つける必要があるわ」
「音の厚みを出すには必須の楽器ですからね。……とはいえ、地道に探していく他はないでしょう。この短期間で4人も集まったのが僥倖と考えた方がいい」
「キーボードかー。……宇田川、キーボード上手い知り合いとか居たりしないか?」
「えっ?うーんと……思いつかないです。後でりんりんにも聞いてみよっかなあ」
「キーボードについての話はまた後にして、今は練習よ。バンドがそれなりに形になる人数が揃った今、全体で練習する時間を少し増やしましょう」
友希那の提案に3人は頷く。
紗夜とあこ、ギタリストとドラマーが新たに加入した、大きな一歩となる1日だった。
リサ姉がいないので原作ストーリーのように『演奏が何かに引っ張られるかのよう』な現象は発生しません。
純粋に技術の高い4人が集まって相応のレベルのセッションをしただけです。