目的地まで行く馬車に乗ったパーティ。
妖精弓手は二日酔いで呻いている。
ガタゴト揺れる馬車の中では、かなり気持ち悪いものだろう。
「う〜ん。お水ちょうだい……」
「まったく、昨日の酒を引きずるなんぞ森人っちゅーのは情けないの」
鉱人道士が呆れ、女神官が零さないように水筒を差し出す。
コクンっと差し出された水を飲んで、しかしそれだけではあまり顔色は良くはならない。
「あ、ありがと。ってあんた達は昨日私に飲み負けたじゃない」
「なーにを寝ぼけとるんじゃ。お前さん数杯で茹で蛙みたくひっくり返っとったじゃろ」
彼女は昨日そんな夢を見たらしい。
「野伏殿は随分良い夢を見ていたようですな」
「私は昨日悪夢にうなされたがな。なんで酒の飲み比べで
「そんなに異常か?」
気楽に言う蜥蜴僧侶だが、闇女斥候は頭に手を当て、難しい顔をする。随分と負けたようだ。
ハンターは、昨日あれほど酒を飲んだのにいつも通りの表情で座っている。
「竜殺し殿は8つの首を持つ竜でさえ飲めなんだ酒の量を飲みそうな勢いでしたからな」
「それを言われちゃ、鉱人顔負けじゃったわい」
がははと笑う鉱人道士がうるさかったのか、妖精弓手が呻き声を出しながら辛そうに抗議する。
「あんまり引きずるなら
「それはちょっと……」
あんまりではないか、と女神官が呟く前に、ゴブリンスレイヤーは言った。
「冗談だ」
一瞬の沈黙。
全員が顔を見合わせる。
「オルクボルグが冗談言ったー⁉︎」
妖精弓手の叫びが馬車を揺らした。
天秤のような剣が、街の象徴として白亜の城塞に描かれている。
法と正義を象徴する、至高神を崇める神殿のお膝下。
馬車は跳ね橋を渡り、城壁を潜り抜け、石畳の道を走る。広場の停留所で馬車が止まり、冒険者達はそれぞれ降り始める。
昼時の広場には人々が行き交って、賑わっていた。
商人が遠方の果物を売っており、売店が肉や焼き菓子の匂いを漂わせている。
水の町と呼ばれ、その名の通り町中に水路が巡っており人々は移動手段に小型の船を操作していた。
「あー。やっと着いた。お尻、いったぁ〜い」
大きく背を伸ばし、身体を解す妖精弓手。
「もう大丈夫なんですか?」
「ええ!オルクボルグの冗談ですっかり酔いがさめたわ」
女神官の気遣いに、妖精弓手は先ほどまでのような様子はない。それでも、座りっぱなしで尻が未だ痛いようだ。これもゴブリンスレイヤーが冗談を言えば吹っ飛ぶのだろうか。
「胸は金床、尻は轍。へっこめば釣り合いが取れるわい」
「寸詰まりのくせに」
いつものように妖精弓手と鉱人道士の言い合いが始まる。
「……我慢、我慢だ」
しかし、言い合いに入る闇女斥候は周りをキョロキョロし、屋台から漂ってくる匂いを嗅ぎ、口から涎を垂らし腹を押さえている。
「何か買うか?」
「……いい。こんなことで仲間に借りを作りたくない」
ハンターの言葉に、パッと目が輝いた彼女は、すぐに首を振って誘惑を断ち切る。
「金と道具の扱いは仲間内でこそ、だからな」
買わぬなら、ここにずっといるわけにもいかない。
「依頼人に会いに行きませんか?」と、女神官の言葉で依頼人のいる法の神殿に向かうことになった。
「ならこっち!」
ここに来たことがある妖精弓手が、颯爽と歩き出しパーティを先導する。
広場から離れても、水の街には人の活気に溢れていた。
石畳の道を馬車が行き交い、運河に船が渡り、ドレスを着た貴族のような婦人が歩く。
宿屋、商店、住居はレンガで作られた建物が多く、きっちりと窓や建物の敷地が測られたように規則的だ。
そんな街中を歩く中、女神官が疑問を口にする。
「でも、本当にこの街にゴブリンなんているんでしょうか?」
「いるとも」
この街は活気があふれ、とてもゴブリンがいるようには思えない。
しかし、間髪入れずゴブリンスレイヤーは断言した。
「ほう、小鬼殺し殿。して、その心は?」
この街にゴブリンがいることを疑問視していたのは蜥蜴僧侶も同じだったらしく、興味心から聞いてくる。
「ゴブリンどもに狙われた村と、よく似た空気だ」
「空気? よぉ、わからんの」
鉱人道士が一応、匂いを嗅いで見るものの何かを嗅ぎ取った様子はない。
「鉱人は鈍いから」
「待て、森人だってわかるわけないだろ」
妖精弓手の意見に、闇女斥候が噛みつく。
睨んでも、彼女は意見を変える気はない。
「森人の住処は森よ?都会の匂いがわからなくても、気にならないわ」
「街中で、あまり騒がしくするものではないと思うのですがなぁ」
ふふん、と鼻を鳴らす彼女は得意げだが、シュルルと独特な舌を鳴らす蜥蜴僧侶の強面を見れば、口をつぐんでしまう。
しかし、それも一瞬のこと。
要は言い合いにならなければ良いのだ。
「匂いはわからないけどさ。流石にこんな街中には出てこないでしょ?」
「俺は一度覚えがある」
ゴブリンスレイヤーは街中にいきなりゴブリンが出てくるというのが、過去にあったのだろうか。
街中でも武装は解かない彼は、今この瞬間ゴブリンが襲ってきたとしても、慌てずにゴブリンを殺すことができるだろう。
それこそ、いつも通りに。
何せ辺境の街でも、この物珍しい街を歩いている中でも、ゴブリンの襲撃に警戒しているのだから。
証拠にずかずかとした彼の歩き方でも、足音がそんなにしていない。
しかし、街中ではゴブリンを見かけることはなく、一行は法の神殿前まで来た。
女神官が感嘆を漏らす。
白く洗礼された大理石で作られ、大きくそびえ立つ円柱の柱が並ぶ荘厳な神殿は確かに、見るものを圧倒する。
「依頼人って至高神の神官さんなのですか?」
「いや、至高神の大司教だ」とゴブリンスレイヤーがなんでもないように言った。
「え」
予想していなかった人物が依頼したことに、目が飛び出るほど驚いた女神官。
神殿の中に入る冒険者たち。
待合室にいる係付けの神官に依頼人の場所を聞き、神殿の奥へと向かう。
聖域を思わせる礼拝堂。
陽光が窓から差し込み、白いカーテンのように室内を清める。
真ん中にある祭壇に建っている白い彫像は、至高神を象ったものだろう。
その祭壇に祈りを捧げる女性がいた。
天秤のような杖を持ち、豊満な女性の体が白い法衣の上からでも分かる。
金の長髪は手入れを欠かしていないからか、艶やかな煌めきを放つ。
黒い布で目を覆っているが、美貌が損なわれることはない。邪な思いがなくとも、その布を取り素顔を見てみたいという欲求に駆られることだろう。
そんな女性がいることもあって、神秘的な光景の中にぞろぞろと入っていく冒険者たち。
足音に気づいた彼女は、振り返り笑みを浮かべる。
「まぁ、どなた?」
「ゴブリン退治に来た」
問われた声は蠱惑的で、されどもそんなことを気にしないゴブリンスレイヤーは、いつも通り淡々と言う。
「あ、あの、すいません。その、お会いできて光栄です!」
緊張して、赤面になった女神官はぺこりと頭を下げた。
「一党の同胞でありまする。恐るべき竜を奉じる身なれど、拙僧も及ばずながら力をお貸ししましょうぞ」
奇妙な合掌をする蜥蜴僧侶。
闇女斥候も交易神の作法らしきものをする。
「ようこそ冒険者の皆さん、心より歓迎いたしますわ」
大司教、剣の乙女と呼ばれる女性は、朗らかに笑い会釈して迎えた。
水の街に1か月前に殺人があった。
最初の被害者は神殿の侍祭の娘。
生きたまま切り刻まれたそうだ。
他にも窃盗、通り魔の傷害、娘への暴行、子供の誘拐などが続く。
衛士のみならず、冒険者も雇い警邏を強化した。
そうしてようやく、犯人を見つける。
女性を襲う小さな人影を斬り伏せ、その死体がゴブリンだった。
そして、ゴブリンが街に入って来る場所、下水道に冒険者を向かわせる。
ゴブリン退治に成功しているのならば、ゴブリンスレイヤーに話がくることもない。
ゴブリンが多すぎて対処できないのか、それともゴブリン以上のホブやチャンピオンなどの脅威があるのか。
「お願いします。どうか、わたくしどもの街を救っては頂けないでしょうか」
「救えるかどうか、わからん。だが、ゴブリンは殺そう」
そんなこざっぱりしたゴブリンスレイヤーの言い方に、女神官が小言を言う。
「しかし、なぜ衛士だの軍だのの類に討伐させないのか。拙僧はこの街の事情はわかりかねるが、別に管轄外というわけでもあるますまい」
「それは」
蜥蜴僧侶の疑問に、剣の乙女が言い淀んだ。
彼女も衛士なり、軍なりに陳情したのかもしれない。
「ゴブリンごときに兵隊を動かす必要はない、と言われたか?」
ゴブリンスレイヤーの問いに、剣の乙女は僅かに俯く。
街が襲われているのに、そのような対応なのか。村がゴブリンに襲われていても、軍が戦うことはなく冒険者が戦うのだけれども、街と村では規模が違う気がする。
だが、些事と言えば、些事なのかもしれない。
都を滅ぼすドラゴン、デーモン。脅威で言えば、ゴブリンとは比較にならない。
それに、軍を動かすのに動く金は如何程か。
「軍を来させるのにまず金。そして、滞在に金。怪我の手当てに金。死亡したときに家族に払う給付金やらなんやら。私では見たこともない大金になるな」
ボヤいた闇女斥候は、それをゴブリン退治に支払う気は軍には無いと断言しそうだ。
「お金お金お金って、交易神を信仰しているからって恥ずかしくないの?」
「何を恥ずかしがる?」
妖精弓主は守銭奴な闇女斥候に眉を顰めるが、問われた方の彼女も心底不思議そうに聞き返した。
そして、金の問題だけではない。
戦う場所は下水道とは名ばかりの
軍は大勢で戦う平地での訓練を積んでいるのがほとんどだろう。衛士は街を守るために警備をしている。
閉所では大勢での行動がしづらい軍は力を発揮できず、衛士が街を離れれば悪漢どもが何をしでかすか。
「まぁ、しゃあねぇわな。ゴブリン退治はそれこそわしら冒険者の仕事か」
「やれ、只人の金銭だ政だのは、面倒なものですやな」
鉱人道士と蜥蜴僧侶の言葉に、剣の乙女は申し訳なさそうだ。
「興味がない」
そう言った事情を、一切合切切り捨てんとばかりに言ったゴブリンスレイヤー。
彼の頭は、軍だの衛兵だの冒険者だのの事情はそれこそ興味がないのだ
今は、街の下水道に潜むゴブリンをどう駆逐するか考えている。
「俺たちはどこから潜れば良い?」
あまりの無頓着ぶりに唖然としたのか、剣の乙女が一瞬固まる。
呼び掛けられ再び動きだす彼女は、一枚の古い下水道の地図を広げる。
正確ではないらしいが、無いよりかはあった方がいい。
蜥蜴僧侶に地図を渡し、早速ゴブリン退治に向かい出す。
「いくぞ、時間が惜しい」
早足でも無いが、ゴブリンスレイヤーは一番に礼拝堂から出ていく。
「ま、オルクボルグはそうでなくっちゃね」
他の者たちも、歩き出した彼についていく。
ハンターはうーんと腕を組んで頭を捻りながら付いていった。
「普段使わない頭を捻ってどうした?」
そんな、ハンターにからかうように声を掛ける闇女斥候。
「言いたいことはあるけど、今は置いとく。さっきまでの話で、何か変なところがなかったか?」
「変?どこがだ?」
「どこがって言うと、わからないけど」
また、頭を捻るハンター。剣の乙女の話に違和感がある。何がと言えば、何なのかわからない。
だが、何かが違うと警告している。
ボタンを一つかけ間違えたような些細な違和感が気になってしまう。
「なんでも良いが、戦闘中はやめてくれ」
「わかってる」
ともかく、ゴブリンが出てくる場所もわかり、古いとは言え地図も貰った。
下水道に潜り、ゴブリン退治だ。
戦闘に思考を切り替えたハンターは、神殿の裏庭にある井戸からゴブリンが潜む下水道へと降りた。