めざせゴブリンマスター   作:葵原てぃー

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めざせゴブリンマスター

 わたしが()()に気がついたのは、物心がついたばかりの幼い頃、寝床で母の腕の中。

 

 幼子なりの体力(スタミナ)を使い果たして眠りにつこうとした折、閉じたまぶたの裏に浮かんだ小さな姿。目を開ければ途端に視界から消える、奇妙な観測対象。

 ひょっとしたら赤子の頃、あるいは母の胎内(そのまえ)から見えていたのかもしれないが、それについての是非はどうでもよい。

 とにかく、わたしが目を閉じたときに見ることができた()()が、小鬼(ゴブリン)と呼ばれる矮小、かつ混沌に属する魔物であることは母親から教えてもらえた。

 

「悪い夢を見たのね。可哀想に、怖かったでしょう」

 

 当時、幼児であったわたしの覚束ない言葉を正しく理解できていた確証はないが、寝かしつけた子が突然目を開けてまくし立てる様子に、母はわたしが何か悪い夢でも見たのだろうという結論に達したらしい。

 

「それは、ものを盗んだりする小鬼と呼ばれる魔物よ。いい子にしていればちっとも怖くないけど、悪いことをするとさらわれちゃうの」

 

 ぼんやりとした記憶を思い返してみれば、なんとも柔らかい説明ではあった。実際に小鬼の所業を見聞きした今となっては笑いぐさだが、子供のしつけに利用するには充分な脅かしであったとも言える。

 なので、それ以来わたしは、まぶたの裏の住人()()に関して言及したことは一度もない。

 

 最初はその小鬼が薄暗い洞穴らしき場所で這い回る姿が見えるばかりだったが、わたし自身が強く両親から教えられたこと──親の言いつけを守る。まずは見て覚える。危なくなったらとにかく逃げる──の3つを頭の中で幾度となく繰り返しているうちに、まぶたの裏に見えていた小鬼にもそれが伝わっていたようで。

 洞窟を襲った危機を見て覚え、即座に脱け出して森をさまよい、また別の洞窟に転がり込んで、また見て覚えて逃げ出して。

 わたしが同年代の友達と外を遊び回るようになった頃には、最初のまぶたの中の住人も逃げ続けるうちにすっかり大きくなり、ひとつの観察用の窓の中で数人の子分を従えているのが見えた。

 しかしまあ、その頃はまだ平和だったのだ。「頭の中で小鬼を飼っている」などと口にすれば正気を疑われると判断できるだけの分別が育っていたのは我がことながら褒めておきたいところである。

 

 ともあれ、でかく育った小鬼(なんでも田舎者(ホブ)と言うのだったか)が逃げた洞窟の数が二桁を越えて久しい頃。わたしが数えで十になる年。

 

 頭の中で、はじめて人が死んだ。

 

 ……の、だと思う。わたしが見ているのは一匹の小鬼とその周囲わずかな範囲であって、子分を従えていた云々もあくまで小鬼の様子を見てそう思っただけに過ぎない。

 とにかく、今までも小鬼たちが獣を狩ったり食べられそうな木の実を乱獲したり、あるいはそれで腹を壊したりしている様子はたびたび見ていたが。

(ちなみに小鬼の汚物類を見る羽目になったのは早い頃から慣れていた。匂いがしなかったので気にしなければ実害はない)

 とにかく、まぶたの裏では田舎者が巨大な石槌を降り下ろした直後に返り血で染まり、力任せにもぎ取られたであろう只人(ヒューム)のものであろう大腿部を貪り喰う様子を見て、ああ、今、人が死んだんだと直感的に理解できた。

 

 小鬼が人を殺し、食べてしまうことは知っていた。ただ、頭の中の小鬼はそれまでずっと危険な相手から逃げていたから、その機会がなかっただけだ。

 

 ただ、いくぶん慣れていたようにも見えたので、ひょっとしたらわたしが見てないうちに()ることはやっていたのかもしれないが。

 

 翌日の朝食後、わたしは吐いた。胸がむかむかしてぐったりした。頭がぐるぐるして、一日中何をどうしていたかもよく覚えていなかった。

 

 ──ただ、その日の夕食は珍しくごちそうだったことは覚えている。

 当然だけど、人肉が食卓に並んでいた、などというオチでもなかった。

 

 そして次の日。頭の中の小鬼はまた逃げた。

 襲ってきた奴を返り討ちにしてただろお前。と思わず目頭を抑えてしまったわたしは悪くないと思う。

 とにかく、子供程度の力しかないはずの肉体は、すでに田舎者(ホブ)ですらない、小鬼英雄(チャンピオン)と言ってよい体躯と剛力を兼ね備え、子供程度の悪知恵しか思いつけないはずの頭脳も、たび重なる観察と危険感知に大きく寄せた成長で()()()()生き延びることに成功していた。

 それでいて、そいつは変わらぬ臆病さを発揮し、さらにあちこちを逃げ回っていた。

 

 ある時わたしは近所を通り掛かった旅人から、小鬼についてほんの少し話を聞く機会があった。

 巣穴を出て成長する小鬼のことを『渡り』と言うらしい。それは知らなかった。頭の中の小鬼などはもうすっかりベテランの『渡り』であろう。

 それ以外のことはだいたい()()()()から知っていた。

 

 盗む。

 殺す。

 犯す。──そして、()えた。

 

 年頃のメンタルに対して実に精神的に()()映像には頭を抱えたものであるが、その()の方がもっとひどい。

 すっかり小鬼英雄としての格が板について、ようやく逃げることも少なくなってきたまぶたの裏の住人。

 その隣に、()()()()()()()()小鬼が見える窓が浮かび上がっていたのだ。

 見え始めたときにはすでに軽く這い回っていた、もしかしなくても小鬼英雄の仔だろう。……そうして一度増え始めると、成長の早い小鬼の増加は止まらない。

 わたしのまぶたの裏はあっという間に住人を増やし、さながら小鬼の展覧会の如き混沌を提供することになった。まあ幸いにも、増えた窓は六つ止まりであったが。

 

 そんな訳で、『渡り』の話を聞いた時にはもう、小鬼たちの生態について妙に慣れきってしまっていたのだ。

 

 ──奇妙な話である、と思うべきであった。

 どれだけ奇特な旅人であれば、わざわざ小鬼の話を聞かせ歩くような真似をする必要があるというのか。

 今にして思えば、どこかのお節介からの神託(ハンドアウト)でも承けていたのかもしれないと推察もできようが。

 陰惨な内容に似合わない軽妙な語り口であった旅人の、さらに似つかわしくない鋭い目。

 それがわたしだけを見つめていたと、そんな気がして無性に不安になった。

 

 一度不安になってしまえば、そこは成人すらしていない若輩の身。すねに傷こそ持たぬまま、まぶたに小鬼の群れを飼うという異端が暴かれることを恐れに恐れた。

 

 こわくてこわくて、たまらなくなって。

 たすけてくれ、たすけてくれと、こえにもだせずに。

 ずっとふるえて、おびえて、ふさぎこんでいたら。

 あるよる、ねむるまえに。

 

「マカセロ」

 

 と、耳ではなく、頭の中に声が返ってきた。

 

 まぶたの裏の一番大きな窓の中で、小鬼英雄が号令を出す。

 その周囲に浮かんだ窓の数々ではその仔たちが、さほどの年も経ず、渡りでもない小鬼にしては恵まれた体格でそれに呼応する。

 

 洞穴を出て、森を駆け抜けた。

 森を出、草原を泳ぎ、街道に沿いすらしない大暴走。

 小鬼英雄を党首とし、仔たちが血筋ではない小鬼どもを従え一党を率いる、大規模襲撃(レイド)である。

 

 そうやって件の旅人と、彼が逗留していた村が一つ、跡形もなく消え去った──ように見えた。

 その全ては、わたしのまぶたの裏で起こったことだ。

 現実ではない。理由も定かでなく、ただ怖がっていたわたしにとって都合がいいだけの妄想である。

 わたし自身にそう言い聞かせつつ、わたしは噂が届くのを待つ。そして季節がひとつ移り変わる頃に、ようやくそれを耳にする。

 

 小鬼の大襲撃で、村がひとつなくなった、という噂だ。

 

 西部辺境、開拓地では小鬼の被害に絶えず悩まされているとは聞いたが、村一つが一夜にして消滅の憂き目に逢うほどの災禍など、よほどのことである。

 

 つまり。

 まぶたの裏の小鬼たちは、現実に存在する。

 そして、わたしの願いを叶えてくれる……というのはあまりに都合のいい考え方にすぎる。

 それこそずっと見てきた小鬼のことだ。旗色が悪ければ逃げるし、高圧的に出れば反発し、下手に出れば調子に乗るというのはよく解っている。

 やってもいいと思えることならやってやってもいい、程度の依頼(クエスト)が可能な相手がいる、ぐらいの心構えでいる方が賢明だろう。

 

 ──気がつけば、何も怖くなくなっていた。

 自分の持つ能力に根拠のない全能感を覚え、()()をする他者への理解が及ばなくなる。

 ああ小鬼というものはこのような気持ちで過ごしているのかと、小鬼を見続けていた年月に比しては遅く、定命の身の寿命と比すればあまりに早く、小鬼という種の真髄を()()()

 

 危険だ。

 

 調子に乗ったらなにもかもが台無しになる、とささやく理性と、なあに、今回もなんとかしてやったんだからいつまでだって自分だけは上手くいくのさ、とがなり立てる小鬼の思考が頭の中でぶつかり合う。

 ささやく程度の理性と拮抗するがなり声というのも、小鬼の種族としての弱さを端的に表しているかもしれないが。とにかく、その衝動に身を任せれば破滅するのだということは理解した。

 

 ともあれ。

 

 その日わたしは、小鬼使い(ゴブリンマスター)を目指すべきだという宿命のようなものを感じ取ったのだ。

 

 ……数年を経て宿敵となる小鬼殺し(ゴブリンスレイヤー)の上げた産声を、見知らぬ老圃人(レーア)がとりあげたことにすら気づかずに。

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