1868年
東洋の、誠に小さな島が開化期を迎えようとしていた。
旧体制を強いてきた「幕府」を打ち倒し、西洋の進んだものを多く取り入れた「新政府」が樹立した。
その、「新政府」のトップに「伊藤博文」という政治家がいた。
彼は「富国強兵」の先駆けのエンジンとして、「憲法」を打ち立てた。
ドイツのそれを参考にした「大日本帝国憲法」は大筋、全ての政治家が同意した。
しかし、「国民ノ権利」の項目において、女性に対して十分の人権が確保されていないことに気がついた伊藤は、すぐさま項目を追加。
「特筆ナヒ限リ、女性臣民モ軍人官吏医者ソノ他、職業ニツクコトヲ認ムル」
これにより、「職業女性」が増えた。最初こそ女性の活躍などに文句を言う連中がいたが、元々男しかいなかった職場などでは女性が来たことにより華ができたようだった。
「六六艦隊」という、イギリスからの戦艦6隻と、装甲巡洋艦6隻の大艦隊である。
それに加え、巡洋艦や、水雷艇など、多くの艦隊を保有することにした。
軍人の多くがこの艦隊があれば我が国は安泰だと信じていた。
また、国民もがそう思っていた。
実際、そのあと大陸の大国と戦争することになったが、この艦隊があったおかげで「完全勝利」と表現できるものを収めることができた。
それから月日が流れ、イギリスで「ドレッドノート」という、「六六艦隊」をも旧式化させる戦艦が竣工した。
これにより東洋の島国「日本」の作っていた最初の国産戦艦「薩摩」「安芸」は竣工当時から旧式艦となってしまった。
帝国審議会にて時の海軍大臣斉藤実が言った。
「戦艦を、世界の列強に負けない戦艦を、その艦隊を。」
もちろん艦隊を整備するには多くの「金(カネ)」がかかり、国を圧迫する。最初こそ渋った議員たちだったが、最終的に海軍の軍費は大幅に大きくされた。
1914年
イギリスに発注していた金剛型巡洋戦艦「金剛」が回航。
同型国産巡洋戦艦「比叡」「榛名」「霧島」が続々竣工した。
ここで金剛に初の女性副長が誕生。「金剛デース」などといった金剛の帰国子女を思わせる真似で乗員を沸かせたと言う。
比叡はメシマズだったと言う。
1916年
「金剛型」で飽きたらなかった日本は自国の旧名『扶桑』の名を冠した世界最大級の戦艦「扶桑」「山城」を建造する。
しかしこの艦には致命的な欠点があった。
金剛型とほとんど同じ大きさの船体に金剛型の5割増しの砲力を搭載したのはよかったが、各所に分散配置した結果、装甲配置が大きくなり、防弾力が落ちた。加えて弾薬庫で船内が圧迫されたために居住性は劣悪、機関室も狭くなり、当然、速力が落ちた。
1918年
これを受け、設計陣は急遽3番艦、4番艦の設計を変更、船体を一回り大型化させ、砲塔配置も大幅に変更し、攻防速ともに「扶桑型」を上回る性能となった。
「両舷前進原速〜ッ」
「両舷前進原速、宜候ォ」
乾いた声が艦橋に響く。
「ふむ、前級の扶桑型に比べ、性能が大幅に改善されたと聞いたが、ここまでとは…」
「居住性も抜群、速力も先ほどの全速演習にて28knotを叩き出し、申し分ありません。」
艦長がつぶやき、副長が返す。
ここで全ての砲塔が旋回し、沖合の方を指す。
「一斉射撃演習、用意!」
「全砲門、方位45、撃ち方用意。弾種演習弾、一斉射。」
「各部配置よし、撃ち方始め、発砲‼︎!」
刹那、甲板上から閃光が迸り、12発の砲弾が飛翔する。
これが初の女性戦艦艦長をのせた
改扶桑型戦艦、もとい新型戦艦「伊勢」の始まりだった。
ここから日本の躍進が始まると言うことなど、艦長を始め「伊勢」乗員、日本海軍、日本全体が知る由もなかった。