…なんということだろう。校内暴力…?いやいや、そんなものでは無いだろう。前に写真で見たことがあるが、澄百合学園はもっと、まるで新築のような綺麗な校舎だった気がするのだが、もはや見る影もない。いや、見る影もない、というのは少し言い過ぎだ。せめて、台無しだ、くらいだろう。ま、戯言だけど。
グラウンドにはなぜか人っ子一人おらず、校舎の窓ガラスは割れ、破片が周りにちらばっている。内側から割られたようだ。校舎の壁にも、所々傷が入っている。刺されたような傷から、引っ掻いたようなものまで。
…これは、中も酷そうだ。何があったのかわからないけれど、僕は今からこの校舎の中に入って、紫木一姫という女子高生を探さねばならない。一応、ポケットに写真が入れられていたので、探すことは出来る。…5年前の写真らしいが。さあ、どうやって探したものかーーーー当然だが、僕はこの学校の地図を知らない。何回まであるのかくらいなら目測で分かるが、それだけだ。
こんどは堂々と扉から中に入る。制服を着ていて、学校の敷地内にいるのだから、コソコソと動いていては逆に目立つ。まあ、少し顔を伏せる程度に留めておこう。別に感じがいるという訳でもないし。
校舎内には人は居るようだった。授業中では無いようで、同じ制服を着た女の子達がわらわらとそこらじゅうを歩いている。…何だろう、空気が張りつめているように感じるのは、気の所為だろうか。それとも、お嬢様高校というのはこんな物なんだろうか…流石にそうとは思えないけれど。もしくは校舎がボロボロなのと関係があるのか。僕の事を見ている訳では無いから、侵入に気づかれたという訳では無さそうだけど。…女子校に女装して侵入とか、字面が酷い。本当に酷い。恨むぞ、哀川さん。そして黄色の超生物。
まあ、今は誰かを恨んでも仕方が無いーーー恨まないとやっていられないけれど、それは後でいい。まずは紫木一姫を見つけ出さないといけないのだが、勿論場所なんてわからない。生徒が沢山いるとはいえ、否、いるからこそ、僕が生徒に変装して校舎内に入ってきている以上、地図を見るだとか、生徒に場所を聞くだとか、そんな馬鹿みたいな真似はできない。僕は部外者の侵入者ですよと、言い触らしながら歩き回るのと大差がない。端からしらみつぶしに行くしかないか。
順番に、ただし怪しまれない程度に、教室の扉を開けていく。一階から二階、二階から三階、と滅茶苦茶ながらにもなんとか階を上げていくと、三階に怪しい部屋があった。普通の教室のはずなのだが、窓に布がかけられており、外から鍵がかかっている。怪しいといえばこれ以上ないくらい怪しかった。何故なら、ここ以外の部屋は、全て鍵がかかっていなかったのだ。…それはそれで、誘導されているような気がしなくも無いけれど、今は考えないことにする。後で考えよう。
「救出…だったよな」
少し考えた後、どんどんどん、と軽めに扉を叩くと、中から小さな悲鳴が聞こえた。高くて可愛いらしい悲鳴。
「ええと、一姫…ちゃん?助けに来たよ」
「…!ほんとですか?誰です?」
僕はしばし迷って、こう言った。
「哀川さんのお友達」
「…分かりました。た、助けてください!」
「うん。そっちから鍵は開けられない?」
「開けられないです」
「そっか」
まあ、当たり前だけど、壊すしかないかな。鍵なんて取りに行けないし…。ただ、あまり派手に音を立てると、誰かが気づいてしまうだろう。残念ながら、音もなく鍵を開けられるだなんていう素敵ツールは持っていない。というか、携帯電話以外、持っていない。
「一応駄目元で…一姫ちゃん、そっちから静かに鍵を壊せたりする?」
「はい、壊せるです」
「だよね…え?」
カシャン、と小さな音がして、鍵穴が…いや、鍵穴が周りともどもそっくり地面に落ちた。落ちると音が鳴るので、慌ててキャッチする。…断面が綺麗だ。一体、何で切ったらこうなるんだ?
そっと扉が開けられる。入ってくれ、ということだろう。急いで中に入り、扉を閉める。少し扉から距離をとると、今しがた中にいた人物、つまり、紫木一姫の姿を見た。
青みがかったショートカットの髪、黄色いリボン、低い身長。…5年前の写真じゃ分からないんじゃないかと思っていたけれど、その心配は無かった。写真そのままの…可愛い少女だった。手には大きめのナイフを持っている。これで扉を切ったんだろう。
「初めまして、紫木一姫です。姫ちゃんって読んで欲しいです」
「分かった。僕は好きに呼んでくれて構わない。哀川さんはいーたんって呼んでいるし、後はいーちゃんいっくんいー兄いーくんいー先生に戯言遣いとか、まあなんでもいいよ。姫ちゃん、いきなりで悪いけど、どうなっているのか教えて貰える?」
「はいです。姫ちゃんは、この学校に閉じ込められてるです。ついこの間、別の人が姫ちゃんを助けに来てくれたですけど、失敗して潤さんが連れて帰ったです」
「ああ…」
例の知らない人か。というか、哀川さんもいたってことか?それで失敗って…一体何をしでかしたんだ、そいつ。
「それで、姫ちゃんが捕まって、今ここに監禁されてたです」
「なるほど、何となくは分かったよ」
逆にいえば何となくしかわからなかったが。要するに、逃げようとしたら捕まって、ここに閉じ込められていた、そういう事だろう。あまり長く話していると見つかる可能性が上がる。そろそろこの教室から出るべきだろう。外に出ないことには始まらない。
「よし、じゃあ行こう。下まで案内してもらえる?」
「わかったです、ついてきてください、師匠」
「し…え?」
「潤さんのお友達なら師匠みたいなもんです」
「う、うん…?まあ、いいか…。うん、着いていくよ」
釈然としないけれど、うん、取り敢えず一階に向かおう。後で訂正すればいい。どうやらこの学校はまるっきり敵地らしいし、急いで抜けなければ。まず外へ、話はそれからだーーーいや、話自体はそこまでなんだろうけれど。言葉のあやだ。戯言だけどね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「止まってください」
「…え?」
二階から一階への階段を駆け下りた僕達は、あと少しで校舎から出られる、と言うその瞬間に女子高生達に包囲された。手に各々獲物を持っていて、殺気を放ちながら全員こっちを睨んでいる。その中央ーーーつまり、僕たちの正面には、長い髪の少女がボウガンを構えて立っている。
「手を挙げて、大人しく紫木一姫を渡しなさい」
「…」
ぱっ、と手を上げる。明白な、力関係に置ける脅迫だった。
「…君は?どうして姫ちゃんを捕まえようとするのかな」
「名乗る必要性も、答える必要性も感じませんね。分かっていますか?見れば分かることなので明言こそしませんでしたが、あえて口にするなら、あなた達は完全に包囲されています。抵抗をやめ、彼女を渡しなさい」
「それは出来ないね。なにも知らないくせにはいはいと言うことを聞く人間は、人間としての尊厳を自分から捨てに行っているとしか思えない。その癖人権だけは声高に主張するって言うんだから笑えるよな。まずは姫ちゃんを捕まえる理由を教えてよ。勿論、僕はただの馬鹿じゃないし、今の状況については理解している。とはいえ、僕だって姫ちゃんをただで渡す訳には行かない、というか渡す訳には行かないんだよ。勿論、理由も無く渡すなんて言語道断だ」
「し、師匠」
「…随分と口が上手いんですね」
「ま、それが僕の唯一の取り柄だからね」
「分かりました。最低限はお答えします。私は策士、萩原子荻。彼女はこの学校で指名手配をされています。ついこの間も、外出禁止のここから協力者を呼んで逃げようとしています。…彼は、随分と滅茶苦茶をしてくれましたが」
「…そもそも、どうしてこんな、お嬢様高校の澄百合学園で指名手配なんて起きるのかな」
「澄百合学園…ええ。そうでしたね。…私達はそんな名称で呼んでいません。『首吊高校』と呼んでいます」
「首吊高校…」
「これ以上はお話出来ません。それで?時間稼ぎは終わりましたか?」
後ろ手で触っていた携帯電話の送信ボタンを押す。姫ちゃんが不安そうに僕の腕を掴んだ。
「うん、終わったよ。ありがとう、子荻ちゃん」
「…随分と馴れ馴れしいですねーーーなんですか。また、死色の真紅でも呼ぶおつもりですか?」
「いいや。僕が呼んだのは赤色じゃない」
「…そうですか。まあ、何でもいいですけど、そろそろこちらもお喋りに飽きてきましたので、無理矢理でも渡して頂きますよ」
「嫌だね」
「無理矢理にでも、と言ったでしょう」
悪いのはあなたですよ、と呟き、萩原子荻はボウガンの引き金を引く。その動作は、体は動かないというのに、何故かとてもゆっくりと見えた。ボウガンの先端をしっかりとこちらに向け直し、引き金にかけられている指に力を込める。それを見て。
(…ああ、ここで死ぬんだな)
と。他人事のように、世界から隔離された頭で、ぼんやりと考えた。考えたと言うにはあまりに朧気に。朧気と言うにはあまりに明確に。明確と言うにはあまりに致命的に。致命的過ぎるほどに。
バァンっ、と矢が発射され、ゆっくりとこちらへ飛んでくる。腕を掴んでいる手が、怯えたようにさらに強く僕の腕を掴む。
あと少しで。
あと少しでーーー
死ねる?
「いいえ、いー先生。貴方はここで死ぬにはまだ早い」
ゆっくりだった僕の世界は、黄色によって、壊された。