「ん・・・・・・」
最強の武人に敗れ気を失っていた百代は意識を呼び戻した。それは、大戦が終了して2時間が経とうかという時である。
「よお。気が付いたか?」
声の方向に顔を向けると、そこにいたのは自分に初めて土をつけた男子生徒だった。
「・・・・・・大戦はどうなった?」
黄昏に染まりつつある太陽に向かって顔を戻すと、彼女は至って冷静な口調で彼に聞いた。その表情は、すでに悟っているかのように穏やかなものだったという。
「お前の舎弟である直江大和がS軍総大将九鬼英雄を討ち取った。F軍の勝利で終わったよ」
男子生徒———進藤龍二は淡々と事実だけを告げる。
「そうか・・・・・・」
百代はふぅとため息をついてむくりと起き上がった。その顔は、憑き物が落ちたかのように晴れやかだった。いい顔だと彼は正直思った。
「どうだい? 気は晴れたか」
「あぁ。負けたのに、とても清々しい」
花の笑顔でそう答えた。それを聞いた龍二は安堵の息を漏らす。
彼女は確かにトップクラスの強者だ。しかし、その力は既に極みに近い場所にまで達していた為、彼女を満足させるほどの実力を持った武人がこの世界にはいなかった。それが彼女の不満となりそれがやがて表情にまで現れるようになっていたようだ。それはさながら悪鬼羅刹又は鬼神の如きものだった。そんな負の思いが彼女を狂気に走らせた。
一方で、彼女は心のどこかで誰かに負けることを切望していたのかもしれない。弱者しかいないこの世のどこかにいるであろう最強の武闘家に敗れることを。
そんな時に、百代は一つ質問したいと言い出した。今更何だろうと思いつつも、いいぞと許可した。
「何でそれなんだ?」
百代は何げなく言った。それ、とは彼の右側に置かれた得物のことだ。通称『龍雲』、銘を『藤朝臣相模守龍彦』と切る、祖父が鍛えた“太刀”である。太刀は白兵戦に移行した室町後期頃から打刀(現代で言う刀)に代られるまで主要武器だったものである。刀より長いので馬上戦では有利であるが白兵戦には不利なのである。
「じいさまが俺の為に鍛えたものだし、これのほうがしっくりくるんだ」
はにかんだ彼の言葉は答えのような答えじゃないような曖昧なものだったが、百代はそれを聞いて納得したようだ。
「少しは、大和を認めてやれよ」
龍二は話を逸らすように言った。この作戦を考えたのは間違いなく直江大和である。村重友代の手助けを得たとはいえ、この大戦に勝つ為に自身の全てを注いだ。
百代は言われるまでもなく、彼を舎弟から一人の男として認識を改めている。形はどうであれ、この自分を止めたのだ。認めないわけがない。
満足している百代のそばで龍二は思考する。ひとまず彼女の不満は解消されたが、今後彼女と同等程度の力を有したものが相手をしないとまたフラストレーションを貯めて元に戻りかねない。
現状で彼女に対する力を持つは、自分と理事長を含めて数人知っている。一番の適任者は風の噂でどこぞの離島で“高校生活”を満喫している祖父であるが・・・・・・。
「百代。明日、うちの道場に来な。良い相手紹介してやるよ」
それを聞いた百代は犬のように飛び上がって食いついた。最強の一族が仕切る道場なら強者がいると本能的に察したのだろう。事実ではあるが。
彼女の表情を見て、龍二は嘆息した。
「主役がこんなところで何やってんだい?」
戦場に程近い丘で寝そべっていた龍二の側に腰を下ろした大和は、持ってきた食料を彼に渡した。
「・・・・・・お前らの平和を守ってんだよ」
めんどくさそうに答える龍二は食料を受け取ると早速食した。
話は少し前に戻る。
勝利の余韻に浸っていたF軍の所に数十台のバンが止まり、中からどかどかと人が下りて来るや何かの設置を始めた。
「姐さん。派手にやっていいんですよね」
「ええ。皆様の勝利を祝うために盛大にやってください」
大和はそこに風龍がいることを認め駆け寄ろうとした時、どこからともなく歓声が聞こえた。設置されたテントに掲げ得られた簡易看板を見て納得した。
彼らは龍二のバイト先である『風月庵』の人達なのだ。若者の間でその名を知らぬ者はいない大人気店だ。
「皆様、川神大戦での大勝利、誠におめでとうございます。細やかではございますが、我が主より、皆様に宴会場をご用意しました」
「おう、ガキ共。食いたいものがあれば何でも言ってくれ。龍二が世話になっているみたいだから腕によりをかけるぜ」
それを聞いた生徒達は歓喜の声を上げテントに突撃しようとしたが、風龍が短く忠告した。
「マナーは、守ってくださいね?」
鋭い視線に恐れをなした面々はしっかりと列をなして注文を始めたのを見ていた大和。
その光景を思い出した彼は、途端に真っ青になった。龍二があの場に行けば、以前彼に料理を振舞われた級友達は間違いなく彼に料理を作ってくれというだろう。
彼は断ることなく嬉々として作るだろう。だが、それを彼の付き人である風龍を見逃すはずがない。その場は他の眼があるから笑って終わらせるだろうが、その後きっと自分達は地獄を見ることになるのは目に見えていた。
「怒り狂った風龍は俺でも止められない」
そう言っていたことを思い出してなおさら身震いした。彼は秘かに龍二に感謝した。
「んで。これ渡しに来たわけじゃ、ねぇだろ?」
鋭いと思った。
「S軍をどうしようかとね」
お前らで決めて構わない、と龍二なら言うだろうが、彼の当事者の一人であるには変わりない。個人的にはS組には誠心誠意な対応をお願いしたいが、彼らに加担した面々は何事もなく済ませたいと思っている。それを彼がどう思うか気になった。
「んなの、お前の差配に任せるよ」
案の定、龍二はそう回答した。そこで彼は、相談という形をとりこれからの彼らの処遇について述べた。それを聞いた彼は、俺の考えていた内容と同じだと即答した。虚を突かれた大和であったが、同時に彼と同じ考えでよかったと思っている。処置を間違わずに済みそうだからだ。
「連中には一度奈落の底まで落ちてもらってそこからどう這い上がるか見ものだ」
呟くように聞こえたその言葉に今回の件で龍二が如何に怒っているかわかる気がした。連中は彼の顔を完全に潰したのだ。しかも二度も。無理もない。
「馬鹿どもに加担した奴らは、こっちの事情を知らないからな。それで明日の朝日を拝めなくするほど鬼じゃねぇし」
龍二は事前にSに加担した者達を秘かに集めてお前えらにはこちらからの一切の罰はないことを伝えていた。
その時の喜びようは死地から奇跡が起きて生還した者達のそれと同じようだったそうだ。
二言三言確認して大和は去った。そのすぐ後に彼の元に近づく三つの人影が現れた。そのほうに顔を向けると、沈痛な面持ちで向かってくる三人の男女の姿を確認した。
「ごめんなさい!」
彼の前に来るやそう言って思いっきり頭を下げたのだ。
「・・・・・・謝る相手が、違うんじゃないか?」
「違わない」
「彼女達には、さっきちゃんと謝ってきた」
「君が最後なんだ」
三人はそう口々に言い、再度頭を下げた。
「……分かった。お前らの誠意は良く分かった。だから、頭を上げてくれ」
気圧された龍二だったが、初めに見た時から彼はこの三人の性格を見抜いていた。
来島澪、眞岡咲来、八洲貴久。S組在籍のこの三人は、所謂中流階級で優しい根の持ち主だ。あの時も彼が怒りを爆発させた時に咄嗟に委員長を後ろ手に引いて被害に合わないように守ってくれたのを知っていたし、大戦時も彼ら三人はこちらに協力的だった。
「逆に感謝したいくらいだ。協力してくれたしな」
S軍の動向は龍二や大和達に伝えられていたし、寝返り工作にも一役買ってくれたのだ。澪には少し怖い思いをしてもらったが、事前に打ち合わせ済みの演技だったのだ。
「お前ら、この後どうするんだ?」
「Sに残るか踏まえて、これから三人でゆっくり考えるよ」
爽やかに答えた三人の後ろ姿に、龍二は輝かしい未来を見た。あの者達なら、この先どんなことがあってもやっていけるだろう。
眼を覚ました龍二はゆっくりと身体を起こした。いつの間にか眠っていたらしい。疲れが溜まっていたのだろう。
陽はすっかりと沈み、冷気を纏った風が弱く吹き抜ける。勝利者達の宴は続いているらしく、歓喜の叫びが聞こえてくる。この分だと暫くは続くと感じた彼はもう少し休むかと眼を閉じようとした。
その時、彼の耳に多数の足音が聞こえてきた。その中に数名知っている気配があるので、思わずため息が出た。
やれやれ、最後に一仕事か。
「龍二。すまなかった!」
「ごめんなさい!!」
彼が薄目を開けると、英雄をはじめとしたS組の者たちが全員土下座している。流石に表情を伺い知れないが・・・・・・。
「・・・・・・言葉はいらねぇ、態度で示しやがれ蛆虫共」
少し語気を込めて言うが、ひるまずある生徒が口を開く。
「本当にもう懲りたんだ。もう二度とやらない。だから————」
ヒュン
上体を上げた龍二は、遮るように『龍雲』を払い絶対零度の視線を向ける。
「人のことを二度も裏切り泥を塗った犬畜生以下の外道共の言葉を信じるほど、俺は人ができていないんでな」
「けどな———」
「くどい!」
話は終わりだといわんばかりに彼は立ち上がりその場を去ろうとした。それに待ったをかけたのは英雄であった。
「今回の件は我の甘えが原因だ! 我がもう少ししっかりしていればこうはならなかった! こやつらに罪はない! 罰するなら我だけにしてくれ!」
「龍二君。今回の件で、自分の見識の甘さと未熟さを思い知りました。どうか僕達にもう一度、チャンスを頂けないでしょうか?」
「進藤。俺からも頼む」
英雄に続いて葵冬馬と井上準もそう言った。
龍二は冷え切った眼で彼らを見た。こいつらは信じるに値するが、他の連中はどう思っているか分かったものじゃない。本来なら全員切り捨てるつもりであったが・・・・・・。
まぁこいつらの顔を立てて最後に一回だけ許してやるとするか。今回はしっかりと保険をかけてな。
龍二は深く深くため息をついた。
「・・・・・・半年だ」
「ん?」
聞き取れなかった英雄が聞き返すと、龍二は彼らに正対して冷え固まった視線を向け同じ言葉を告げた。
「半年間、てめぇらがF組と貴様らが蔑むその他一般市民にちょっかいを出さなかったら少しは許してやろう。だが、もし一人でも守れなかった奴がいたら、俺はてめぇらの一族諸共地獄に叩き落す」
英雄が苦々しい顔をした。しかし、これが今の精一杯と思い弱々しく分かったとだけ言った。
「いいな? 今回だけだ。次はないからそのつもりでいろ」
それだけ言って彼は去った。
後に残ったS組の面々は悲痛な面持ちだったという。
「お前も大変だな」
「・・・・・・この野郎見ていたのか」
「君があの場にいないのが気になってな。悪いがちょっとつけさせてもらったよ」
茂みに入って早々、不敵に笑う友人の姿を見るや、嘆息をする。この女、勘は野生動物並みに鋭い。
「あれで終わり、てわけないだろう?」
「今回は流石に腹に来たんでな。数人犠牲になってもらう」
「ふふ。流石の龍の字も腹に据えかねたか」
「当然だ。力の使いどころを勘違いしている糞共は消す。それが俺達の仕事だしな」
それ以上は何も言わず、彼女は話題を変えた。
「龍の字。以前話した交換留学の件だがな、私はこの二人を派遣しようと思うのだが君の意見を聞きたい」
彼女は小さなメモ紙を手渡し、それを見た瞬間彼の眼は点になった。
「いやいやお前正気か?」
それはそうだ。記載された二人のうち、その一人は超がつくほどの人見知りなのだ。とてもこの個性豊かすぎる学校に馴染めるとは思えない。
「大丈夫だ。ああ見えて彼女は溶け込むのが早いからな」
それはそうだろうが、それはマスコットとしての意味だろという言葉をグッと堪えた。
「それに、彼女にはうってつけの御守役がいるからね」
「あ? 御守役??」
面白おかしく笑う友代を見て何故か龍二の背中に悪寒が走った。何かとてつもなく嫌な予感しかしない。
そんな気概を見た友代は苦笑いするしかなかった。本当は別の人物を派遣する予定であったが、当人が乗り込んできてここに行きたいと直談判して実現したとはとても口が裂けても言えない。その時の必死の形相はさしもの友代も驚いた。
「君のクラスにしてもらうよう、総長には話はつけてあるんだ」
そう言われて龍二はほっとした。彼女を別のクラスに投げたら間違いなく大混乱に陥る。
「私としても、祐実恵嬢にはもう少し社交的になってほしいからね。よく言うだろ?若い子には旅をさせろと」
「お前はあいつの母親か」
「自称保護者だよ」
そうかい、と嘆息する。そんな彼を見て微笑むのは友代ただ一人である。また後でといって彼女は立ち去った。
彼女がいなくなってから彼はスマホを取り出し誰かに電話をかけた。
「あぁ、俺だ。今大丈夫か? そうか。それでな、例の奴、早速やってくれないか? うん、そうそうそれ。頼むよ」
電話を切ると彼はふぅっと疲れた表情をする。
連中が這い上がるかそのまま奈落に堕ちるかは連中次第だ。これまでぬくぬくとぬるま湯で育ってきたツケが来たのだ。連中の親にも少しは反省してもらおうか。
やれやれと首を振りながら彼は宴の場に行くことにした。いつまでも主役がいないのは忍びなかったのだ。
翌日。こってり姉に絞られた英雄は、同じくこってりヒュームに絞られたあずみと共にいつも通りに登校したが、クラスの空気がおかしい。教室に入ると一部を除きクラスメイトが恐怖に顔を引きつらせていた。
「い、一体何があったのだ?」
英雄が近くにいた冬馬達に尋ねると、彼は何も言わずに新聞を差し出した。読めば分かるという意味か。
言われたように、彼は自分の席に着座すると丁寧に読み始めた。たっぷり時間をかけて読み終えた彼は、冬馬が言いたかったことと、このクラスがどん底に陥っている理由が分かった。
『病院理事長ら逮捕』
『川神市議。贈収賄で逮捕』
『与党議員幹事長の息子恐喝容疑で逮捕。幹事長辞職へ』
政治面、総合面、社会面の殆ど全てがそのような記事で埋め尽くされていた。冬馬と準の両親も逮捕されていたのには正直驚いた。
そんな彼の眼の前に一枚の紙が投げられた。手に取った彼はそれを読んで全てを悟った。
『やぁ諸君。私のノートはお気に召したかな? ここには君達の全てを蹂躙レベルで書き記している。君達が、我が友人を裏切るからだよ? これが最後の警告だ。もし、君達が彼との約束を違えたならば、私は君達のそれを公表して全てを破壊する。追伸:それはコピーだから、焼こうが何をしようが無駄だよ。それともう一つ。これがない仲間に対して何か加害行為を加えた場合これを即公表するからそのつもりで 闇の探偵』
これは、彼からの最終警告だ。それ以上の何物でもない。
「本気だな」
「あぁ、それもかなりマジだ」
準が頷く。恐らくクラスメイトは今回本気で彼を怒らせたことを大いに後悔していることだろう。だが、自分を含め、今更遅い。
「ここからは、我の責務、か」
生まれながらの王として、彼らを纏め導く責務がある。一度は堕ちたが、二度と堕ちない。堕ちてたまるか。真の王として、必ず返り咲く。それが、我が親友から科せられた罰だ。
英雄は堅く決心した。