風もなく妖精が遊んでいる霧の湖。
今日の仕事を終えて大好きな遊びをして大きな声で騒いでいるところで静かに舟の上で眠っている人がいた。その男は両手で二本の剣を大事に持っており、灰色の暗い着物で左足をあげて仮眠を取っていた。
そもそも妖精の声で騒がしくなった霧の湖で眠ることができるのかと言われると難しいのだろうが、青年はその事だけに集中してぐっすりと眠っていた。来るのであろう客を招き入れるために青年は此処で舟を浮かばせていた。
雲もなくカラッとした夏の日差しが照りつけているが青年には気にならないようでまるで何も音がないかのようにしていた。霊夢と魔理沙には先に話を通しておいてもらっている。紅魔館の主人が急な来客に驚かないためだ。それに妹と遊んでくれると言うのならば何も拒む事はないだろう。其処に先ほど会った小さな少女が居た。人里から一番近くに停めていたのでその人には見つけやすかったようだ。
「それで此処に待っていたのか。嬉しいよ。」
一連の流れを説明した青年はその人を舟の上に乗せた。青年は櫂を持って船を漕ぎ始めた。ゆったりと水を切っていく様がキラキラと夏の日差しを照り返していてとても幻想的だった。その人はその水を触ろうとするが少し舟が揺れたので直ぐに手を引っ込めてしまった。
「ところで名前は何と言う?」
「今更だね。私は伊吹萃香だよ。私も昔は妖怪の山で四天王の一人として君臨していたんだ。あの時はとても楽しかったよ。」
「やはりその四人と酒を酌み交わしたいわけだな。別に分からないわけでもない。」
「そうか。嬉しいよ。」
萃香は青年のその言葉がこの時に思った嘘だとしても嬉しかった。この幻想郷では人攫いをして真剣勝負をしていた鬼たちは人間の罠に引っかかりことごとく粛清されたので一気に鬼はこの場所から逃げてしまった。その時の生き残りのうちの一人が目の前にいる伊吹萃香である。孤独で生き続け、否定されて御伽噺の中での登場人物として劇をしていたが青年の一言によってその場所からは抜け出せたように感じる。
青年は案の定少しだけ話を合わせていた。パチュリーのいる図書室の膨大な本の中の一冊に種族について青年はその場で読んでいたことがある。軽く飛ばすように読んでいたが要所だけは覚えていると言う感じである。
「だが、異変を起こすのは少し強引ではなかったか。俺が聞くのも可笑しいかもしれないがこの幻想郷の中に萃香と同じ種族は誰も居なかったのか。」
青年はキラキラとした水面を望みながら萃香と話をしていく。何処を見ているかもわからない青年の目は萃香から見るとそれは澄んで見えていた。淀みのない素直な目をしている青年は言葉も真っ直ぐで良い事悪い事を率直に述べるのでろうと感じていた。子供のような見た目だがこれでも何百年も生きているわけである。
「確かに言われてみればそうだな。私も少しだけ暇を持て余していたんだ。それで私の元へ来る人と一勝負しようとしていたのさ。私と対等であるのは中々見たことがないのでね。」
手に持っている瓢から飲めるだけのものを飲むと萃香は湖の水を掬い始めた。青年は静かに櫂で漕ぎながらその様子を見ていた。瓢の大きさから想像も出来ないほどの少量を掬うと蓋をしていた。後で飲むのだろうがそれで足りるのだろうとふと感じていた。青年の目測で十分の一も入っていなさそうだった。しかし目の前にいる鬼はそれなりの実力を持っていることが此処で証明された。それだけ暇を持て余しているのならば確かに会わせてみても良いのかもしれない。
「それで俺の話にのってみたというわけか。変な事を聞くもしれないが貴方と対等となるのは誰なんだ?」
「四天王のみんなだよ。多分まだ幻想郷の中にいるはずなんだ。そうでもないと本当に死にたくなるよ。」
「そんな寂しい事は言うものでもないよ。生きていれば楽しい事もあるんじゃないか。別に酒を飲むだけが人生というわけでもないだろう。」
「お前もそこそこ面白そうな奴だな。気に入った。ちょっと遊んでから酒に付き合ってくれよ。」
「拒否させてもらおう。鬼の酒は人間の飲んで良いい代物ではない事はよく知っている。殺す気しかないだろう、と言うのは今の俺の心境だ。」
萃香は子供のようににこやかに笑った。青年の言いたい事はよく分かったのだろう。萃香などの鬼はとても度数の高い酒を飲んでいる。それだけ酒が好きだと言われればそれまでだが別に理由があった。それだけ身体が丈夫だったのだ。
人里で売られているのような弱い度数のものでは全くと言って酔う事はなかった。ただ腹に溜まって満足出来ずに止めるだけである。そのような理由で鬼は度数の高い酒を好んで飲んでいる。それは嗅いだだけで弱い人は倒れそうなほどの臭いを放っている。青年はそんな事を思い出して考えながら目の前の鬼から漂う臭いを嗅いでいた。
「お前は人間だったのか。てっきり何かの妖怪だと思っていた。幻想郷にはこんな奴も偶に居るものなんだな。」
萃香は嬉しそうにはしゃいでいた。丁度上を通り過ぎている妖精のようである。青年はそんな事を思いながら湖の中腹まできた。何せ端から端まで漕ぐようなものなので致し方がないものである。青年はその発言を真に受けているわけではないが妖怪と間違えられるのはそれだけ力が強いのかと思った。自分は人間だよな?なんて言う疑問まで浮かんでくる。もちろん人間であるはずだ。
「少し魔力も持ち合わせているのでそうらしい。俺も偶に人間で合っているのか疑問に思えてくる事もある。もちろん人間なので少し傲慢になっているだけかもしれない。」
青年は櫂でゆっくりと漕ぎながら水面を切り続けていた。その途中で萃香とも話をしていく青年には何か目的があるのかさえ分からないが速度を少しずつ落としていた。萃香は舟に初めて乗るので此処では何となくそう言うものだと思っていた。密と疎を操る萃香にとっては気楽にこの湖など歩いていく事も可能ではある。しかし青年の気遣いを無駄にするのは良くないと感じて舟に乗って移動することに決めたのだ。特別急ぐ事もないので萃香はそのゆったりとした音の中で肌に触れる風を感じながら落ち着いた様子でいた。青年としては此処で少しだけ疲れさせておく為にしている。別に素早く着くのもいいが、わざと遅めのペースで進める事で此方は休憩出来るのでその辺も兼ねている。
「人間である事には間違いないだろう。しかし人生を達観したかのような視点が私には妖怪に見えたんだよ。私の事もちゃんと理解しているみたいだしね。鬼なんて意外と脆い種族なのさ。」
萃香は先ほど掬っていた瓢の蓋を開けて口につけていた。ゴクゴクと喉で良い音を立てて飲んでいる姿は青年も飲みたいと思えるほどだった。しかしそのような事はしようとは思わない。どれだけ度数の高い酒なのだろうかとふと考えてしまう。それに瓢の中に入っている水はもう酒へと変わっている。萃香の飲み終えた顔を見て赤い顔が更に赤くなっているのが見えた。青年は多分この風が心地よいのだろうと思っていた。
「それでも頂点に君臨するだけの実力は持っているんだろう。それなら別に此処から取りに行ってみても良いんじゃないか?」
「いいや、出来るだけ四天王が集まってからそのような事はしたいね。今しても面白くないよ。」
「それはしてみないと分からないもんだ。」
青年はそこから一気にこぐ速度を早めた。青年には何か急ぐような理由など無いのだがそれでも何となくそうしているところがないわけでもない。萃香もその強くなった風や音を楽しんでいた。ゆっくりとした静かな時間を過ごす二人を横目に妖精は空中で戯れていた。青年は一旦漕ぐのをやめて上を見てから直ぐに漕ぎ始める。其処には沢山の妖精が笑って遊んでいる姿だ。そしてその先には大きな太陽が青年の目を突き刺していた。少しだけ眩しそうにしていた青年はすぐに漕ぐのを再開したわけである。
「お前にはつくづく驚かされる。本当に人間とは思えないよ。」
萃香はそんな事を言うがちゃんと人間しては見てくれているらしい。青年は岸に舟をつけて地上へと上げた。その事から先に青年が降りて萃香の手を握るとすんなりと持ち上げて同じく地上へ足をつけさせてあげる。
「美鈴、話は通っているのか?」
しばらく歩いた頃だろうと思う。青年は門番に話しかけていた。その様子からかなり慣れた間柄であるのは萃香の目でもすんなりと分かった。それが何を意味しているのかはどうしても分からないらしい。青年としてはさらっと終わらせたいのだろう。
「はい、話は分かっておりますので何分通したくはないのですがどうぞ。」
美鈴と呼ばれていた門番はゆっくりと門の方へと案内する。とは言えその場にあるので特別何かする必要は何もなかったりする。門番の仕事はちゃんと全うしていると言えばそれで済むところもある。
「今は我慢してくれ。フランドールが楽しめそうなんだ。両者に利があるからな。」
青年は手で謝ると門番の横を通って庭へと入っていた。その場所には萃香には異国とも言える姿を見せていた。色とりどりの花が咲き綺麗に手入れされているので誰が見ても見惚れる作品となっていた。萃香は元々興味などなかったが少しだけ立ち止まって見ていた。
青年も偶にここに来ては煙草を咥えていたりする。萃香がその場で座り込むとちょんちょんと花びらを触っていた。青年はその場面を見て口角を静かに上げると其処から少しだけ離れていた。一人の時間を楽しんでほしいからだ。花の色や香り、形に至るまでの全てを見て欲しかった。萃香はその場から立ち上がるとゆっくりと青年に近づいた。青年は意識の体の外にしていたが萃香の行動を見てからゆっくりと歩き始めた。
「此処の庭は綺麗だろう。」
「私はあまり気にした事はなかったが偶には良いかもしれない。」
萃香としてはとても満足しているらしい。それはそれで良いのだろうか、青年は何となく手伝っている身として気になっていた。萃香はその目の前にあった館にゆっくりと見上げながら青年の歩いたところの後ろを歩いていた。別に横に行く事もましてや前に出る事もなさそうだった。そんなに考えている必要もないように思われる。
「もうそろそろ広間へと着く。もしかしたら待っているかもしれないな。」
青年は紅魔館の中へと入る為の扉を開けてから中を見ていた。萃香には見えないようにしておいてちゃんと中を確認してから萃香を中に入るように促していた。萃香はゆっくりと近づいて青年の後ろから中を見ていた。
「本当に連れて来たのね。ようこそ、紅魔館へ。私はレミリア・スカーレットこの紅魔館の主人よ。」
全体的に白いドレスを身に纏っているレミリアはスカートの裾を上げて恭しく二人をこの館へと歓迎した。霊夢と魔理沙は横で静かにその様子を見ていた。其処にはそのレミリアが居た。
他の人はと言うとレミリアの右斜め後ろに咲夜がいてその反対側にフランドール・スカーレットが居た。咲夜はいつも通りのメイドの服装をしていた。青で統一された服に腰あたりに巻いている白のエプロンが印象的である。少し不都合のあったかのような表情を浮かべているが客として萃香は歓迎する気であるらしい。しかしその短いスカートは何とかならないものなのだろうかと青年は思った。フランドールはボブのウエーブのかかった金髪を揺らしながら行儀良くしていた。最初に青年と会った時とは見違えるほど変わっていた。此方も姉と同じく白なのだが紅色のベストを着用している。
「それでフランドール。今日は存分に暴れても良いぞ。それなりに付き合えそうな客を連れて来た。」
「待ちなさい、私を無視しない。」
レミリアは激昂して青年に怒りを露わにしていた。それがどうしても青年には鬱陶しく思えて来たのだろう。どうしても面倒になる事になると思っている青年は素早く合わせたいと思っていた。青年は頭を抱えそうになったがすぐに機転を利かせた。
「ならば後で愚痴を聞こう。」
青年はゆっくりと声を出して弱々しいわけでもなかったが何か感情がこもっているとも思えない感じだった。生きているのかさえよくわからない。
「お姉さまの事は後でお願いしますね。私は主人の妹のフランドール・スカーレットです。今日は私の相手をしてくれると聞いております。」
青年は一切そのようなところを見た事はなかったので青年は表情が変えられなかった。あまりの変わり様に驚いたためである。その事は三人には見たら分かるかもしれないがその後優しい顔をし始めたのでとても嬉しいのかもしれないと感じた。
「この人が今日の相手だ。」
「伊吹萃香だ。今日は急に訪れてしまってすまなかった。でも楽しみだな。」
萃香にはもう伝わっているのだろう。青年はそんな事を思いつつある事を考えていた。それはここで戦ってしまっても良いのだろうか。拳一発で館を壊してしまいそうな威力を持つ二人の決闘を無事で見れる気はしなかった青年は場所を変えようとしてみる。
「楽しみね、伊吹萃香さん。」
フランドールでさえ言い知れぬ狂気を持ち合わせた紅色の目を萃香へと向けていた。青年はその間に入りながら決闘が始まるのを止めていた。理由は簡単だ。それだけ恐怖の念を隠しきれないと言う事である。言うまでもなく青年は不安でしかなかった。
「二人とも。最初に主人に聞きたい事がある。返答次第では場所を移動せざるを得なくなる。それでレミリア、此処で戦わせて良いのか。何だったら外でやろうと思うのだが。」
青年はフランドールの能力を知っていた。何らかの弾みで誤って紅魔館を破壊する事になったらと思うと何と言って謝罪すれば良いかわからない。それだけの力を引き出すほどの人物であるのは青年の目でも明らかだった。レミリアは高貴に小さめに笑った。
「私の扱いひどくないかしら。まぁ、良いわ。別に良いわよ。此処でやらせてあげなさい。」
レミリアは此処で戦う事を許可した。それで良いのかと思ったがそれは上に立つ者として見定めないといけないものである。そんな事を知らずに紅魔館の主人は名乗らないで妹に任せて欲しいと思っていた。
「よし、それじゃあ始めようか。」
青年はその場所から歩いて壁の方へと向かっていた。その速度はいつでも始めても良いようにかなりの早足だった。少しだけフランドールのあの一撃の事を考えるとふと背筋に悪寒の走る青年はその背を壁に任せていた。そして静観を決め込むらしくその場所で腕を組んで久し振りに煙草を咥えていた。その姿は場違いとも言える程変なものである。