今日は今日の風が吹く。その事だけは何となく感じ取っていた事実であり青年はその落ち着いた荒波を立てない心地よい風を感じていた。
もちろん此処には風など吹くはずもない。
「とても楽しかったわ。」
幽々子は左手で腕で目を隠して横になっている青年の頬に風を当てるように扇子を扇いでいた。優しく風を起こしている姿は母性に溢れていて青年を包み込むような心地の良い感じだった。
青年は幽々子の思いを汲み取るように何も言わずにその場所に居続けていた。先ほどの一戦で疲れ切ったようで横になって体を休めているだけなのかもしれないがそれだけでもないような気がするのが不思議な所である。
「それは良かった。」
時間が遅く流れているからか、青年の返答は幽々子を焦らせるには十分なほど間延びしたものだった。青年の口元には笑みが溢れており何かを含んでいるようだった。珍しく幽々子としても感心したのかしていないのかはさておき、気を惹かれたのは確かであるようだ。
幽々子は何も言わずにこの時間を大事に使っていた。妖夢の茶が出来上がるまでこの時間を過ごしておきたい、と感じた。
青年が目を隠していた腕をダラリと落とした時にその時間の終わりを感じたので扇子で扇ぐのをやめてしまった。奥の方から聞こえてくる徐々に大きくなっていく音を幽々子は耳をすませて聞いていた。
パタパタと軽く音のするのを何か邪念が渦巻く内心を抑えながら待っていた。
「少し目を離している間に熱くなりすぎましたので遅れてしまいました。」
幽々子の世話役として住んでいる魂魄 妖夢は二人の後ろの方に茶菓子と共に茶の入った器を置いて自分は青年の足元の方へと座りに行く。
左足を右脚の膝の上に置いた気楽な格好をしていて頭は幽々子の太ももを枕にしている。そこで妖夢は飲みかけていた茶を吹きこぼした。
「何しているんですか!?」
驚きと奇想天外の事象に目を大きく見開いた妖夢はむせ返る茶を吐き出してからその気持ちのままに口走る。青年はだるそうに妖夢を見て、幽々子は単純にサラっ、と受け流していた。
「妖夢、体調が悪いの?」
幽々子はいつもの優しい声で手を使って妖夢を諭すように話していた。
下で見ていた青年は特に気にする事なく起き上がると何事もなかったかのように足を組んで縁側に座っていた。
「いや、待ってください。幽々子様。」
青年はまるで起こされたように頭を揺り動かしていた。完全には目は覚めていないのか適当にあしらっているかのような態度をとる。
青年としては単純に面倒になってそのような事をしているだけだと思われるが妖夢にはそのような事は通じなかった。
「山本さんも何をしているんですか?」
揺り動かすようにしようとしたがそのような事をするような必要もなくギロッとした青年の眼を妖夢はどうにかすることは出来なかった。
起きた後は機嫌の悪い人がいる、つまりはそういう事なのである。青年は妖夢を眼で退けてから猫背になってウトウトとし始めた。
「まぁまぁ、妖夢。貴方も疲れたでしょうから休みなさい。」
妖夢は幽々子の言われるがままに縁側に座って湯呑みを持って一口だけ啜った。その後に吐く息が暖かいものとなっていた。
「偶にはこういう時間もいいものよね。」
今までの鬱憤を吐き出すように気の入らないたるんだ声を出した幽々子に青年は首だけを動かしてゆっくりと縦に振った。
青年は妖夢によって変なふうに起こされたためなのか寝ているようなそうでもないようなその間をさまよっていた。妖夢はその姿など見ることはなくこの時間を過ごしていたわけだが幽々子は多少なり気にしていた。
時の流れをその身に感じながらなんとも言えない気持ちの昂りを抑えるために二人はまた茶を啜る。青年にはそんな余裕などなく首をやじろべえのように動かしては首を横に振って目を覚ますもまた同じような動きを始める。
食べたいけど眠たい時の子供のような青年に幽々子は頭を触って自分の膝へと誘導する。青年は抵抗することも無く誘われるままにそのままにしていた。
「誰?」
青年は幽々子の贅沢な膝枕から転がり落ちて地面に着地すると右腰にある剣の柄を握ると軽く抜刀してその場で構えた。
今までの堕落した姿とは打って変わって別人へと変わったので幽々子はもちろん、妖夢も驚くものであるがすぐに正体は知ることが出来た。
「あら、貴方は寝ている時でさえ油断はしないのね。」
扇子で幽々子と同じく口を隠して小さく上品に笑う様がどうも青年には気にくわないらしく油断ない殺気立った獣のような眼をその人に向けていた。
その女性はウェーブのかかった金色の髪で太極図の描かれたチャイナドレスを着込んでいた。名を八雲 紫と言う。
「こうなっては寝られないのでな。」
青年は冷静に抑揚のない気の入らない声で返答する。その様子には紫でさえ妙な感覚に襲われる、言わば相手にしていいのかと言う状態になる。
青年は単純に睡眠を邪魔されたのに怒っているだけだった。
「別のものも含まれているように感じるわね。」
流石は八雲家とも言えるが青年の読み取り辛い表情の微妙な変化を感じ取ったと思われる紫は含みのある笑顔をわざとらしく見せつけていた。
青年にとっては解決もしていない異変を成功として掲げている目の前の人物には少々腹が立っている。睡眠の邪魔をされたのも関係していると思われる。
「それは勝手に想像していればいい。が、何か用でもあるなら正面から来てくれ。」
柄に触れていた指が離れて鍔と鯉口の当たるカチン、と言う音がした。その音に支配された世界で青年はゆっくりと立ち上がる。
何か別に思惑が渦巻いていたわけではないが二人の作る空気感に慣れている幽々子は他事のようにしていたが妖夢にはそのようには映るようはことはなかった。
「次からはそうするわ。」
軽い返事だけしてゆっくりとスキマを閉じた紫に青年は何か別の視線を浴びせながら見届けていた。私怨とは違うが何かを感じ取った青年には紫と言うのが信用のない人物のように映る。青年は踵を返してゆらりと体を回転させると何か呟いてから二人に聞こえる声で話を始めた。
「此処らでお暇させてもらう。」
全力で疾走する青年の背中を幽々子は茶を啜りながら何かの思いをぶつけていた。