エレオノーラを倒し目覚めたあとに私から全てを聞いたノエルは、口に出すのも辛いその真実を嘆く事も泣きわめく事もせず、しっかり受け止めようとしていた。この世でただ一人私に触れる事の出来る、かけがえのない妹。彼女をこのような目に遭わせたエレオノーラには、その罪に相応しい裁きを与えた。これから私の為すべきは、エレオノーラの企みを見抜けずノエルに重い運命を背負わせた罪の償いである。ノエルは何としても幸せにならなければいけないし、その為であればどんなことでもする。それが私の贖罪であり、生き甲斐となるであろう。
今後の身の振り方を考える為、私達は昔の従僕の家に身を寄せる事にした。彼らはかつて我が家に仕えていたが、ノエルがあの事件を起こす少し前に職を辞して王都に移り住んでいる。私が騎士として叙勲を受けた時に再会を果たして以来何度か顔を出していたし、ノエルが眠ったままである事も知っている(むろんヴァンパイアである事は秘しておいたが)。とりあえずの隠れ家として、これほど都合のいい場所は無いであろう。
老夫婦は私達の急な到来を驚きつつもノエルが目覚めた事と、私が自分達を頼ってくれたことを喜び事情も聞かず丁寧にもてなしてくれたので、私は安心して目覚めたノエルの体力の回復を待つことが出来た。
エレオノーラがいなくなった事はすぐにでも王国全土に広まるはずだ。彼女を殺した痕跡は無くとも私が彼女の邸に入り、ノエルを連れて邸から出た後いなくなったのである。その状況からいずれ私は辺境伯夫人の殺人犯として、国から追われる身となるだろう。
もっとも。王室からすれば強大な軍事力と財産を持つ辺境伯は厄介な存在であり、目の上の瘤だったはずだ。その事実上の統治者として王室内で暗躍していた彼女が死ねば、残された辺境伯はどうにでもなる。これをまたとない好機として、王室は辺境伯の財産や領地の没収にかかるだろうし、周辺の地方貴族達もそのおこぼれにあずかろうと躍起になるに違いない。辺境伯は犯人探しの令を下すだろうが、周りはそんな物などおざなりに引き受けるだけだろう、身を隠す機会は十分にある。
私のこうした考えはあまりにも楽観的、あるいは世間知らずのそれだった。
エレオノーラはたしかに王室内ではやっかいな存在だったかもしれないが、一方で夫の辺境伯という地位と肩書きは、地位の低い貴族や土着の豪農達が多く集まる辺境の地の平定に重要な役割を果たしている。もしもその存在がなくなれば、辺境一帯はたちまち小規模な勢力同士による小競り合いの絶えない混沌とした土地と化してしまうおそれがある以上、絶対に保持しておかねばならない。またその軍事力は辺境一帯だけでなく、他国への牽制の意味でも王国にとって必要不可欠な存在だった。
つまり、辺境伯の地位は王室の目の上の瘤であったエレオノーラの存在以上に重要であり、この国にとって無くてはならないものである。私はそんな国の最重要人物の夫人を殺害したのだ、何としても捕らえて処刑しなければ辺境伯より王室の威信を問われてしまう事になりかねない。
またヴァンパイアである彼女に子供はなかったが夫の辺境伯には大勢の親族がいたし、その中には辺境伯の後釜を狙う者もいる。そうした者達が辺境伯から後継者として認められる為、私の首を彼の前にささげようと考えるのは、ごく自然な成り行きであろう。そして、人々から英雄視されていた若き女騎士が恐ろしい犯罪者であったという事件は、王室の圧政に対する民の不満を逸らすにはまたとない好材料である。
こうして私は、かつての人々を吸血鬼から守るヴァンパイアハンターという作られた英雄像から一転して、国と民とを挙げてその首級を狙うべき稀代の兇賊であると大々的に喧伝される身になってしまったのだ。
城下町は私にかけられた多額の懸賞金の話や、私に対する怒り恨みで持ちきりだ、ここに留まる事は危険極まりない。事情がどうであれとても通じるような雰囲気ではない以上、一日でも早くこの国を脱出するしかないでしょう─城下町で情報を仕入れてきた爺やからの忠告を受けた後、私はこの事をノエルに伝えた。この国を出なくてはならなくなった、辛い旅になるだろうが許して欲しいと。
目覚めた時と同じように静かなまま少し考えていたノエルは私の方を向くと「お姉さまについて行くわ」とだけ答え、また口を閉ざした。
ようやく落ち着いてきた所にまたこのような災難がかかってきた事は何としても済まない、この償いはいずれ必ず。そう詫びた後、私は大急ぎで旅の支度を始めた。と言っても剣を除けば私物と呼べるようなものはほとんど何も無い。じいやが用意してくれた地図や道中の食料に着替え、僅かながらの路銀等をまとめてしまえばそれで終わりだ。支度が済むと私たちは、婆やが拵えてくれたささやかながら真心のこもった別れの晩餐の席についた。
貧しい暮らしを送っている二人にとって、これだけの出費はかなりの痛手であろう。せめてものお礼にと私は剣の鞘に嵌まっている宝石を外して渡そうとしたが、じいやもばあやも頑として受け取らなかった。長い旅になるのに旅費の事を考えなくてどうします、これからお嬢様はそういった事も考えながら生きていかねばならないのですよ-じいやに叱られたのは何年ぶりだっただろう。
その夜の食卓で私は珍しく饒舌に振る舞い、下手な冗談を飛ばしたりして、ともすれば湿りがちになろうとする席を何とか明るくしようとする事に務めた。追っ手を振り切りながらの逃走劇は間違いなく命がけの危険なものだ。だからせめて旅立ちの前の今夜ぐらい、ノエルにとって楽しい思い出になるような物にしたい。
私のそんな考えを見抜いたのだろう。じいやは私達にわざと酒をすすめ、私がそれを断ると大仰に嘆いてみせたり酔ったフリをしておどけてみせたし、夫の醜態にばあやがあきれ返るさまもまたわざとらしい大袈裟なもので、そのやり取りのおかしさに私もノエルも思わず笑ってしまった。ノエルの笑顔を見たのはいつ以来の事だろう。一日も早く、また二人で笑える日が来ますように。そう思いながら、私は寝床に着いた。
「起きたかノエル。すぐ出発するぞ、支度は出来ているか?」
「おはよう。お姉さま、じいやとばあやを見なかった?二人ともいないのよ、こんな朝早くにどこへ行ったのかしら」
「…二人なら夜明け前にここを出ていった。お前にくれぐれもよろしくとの事だ」
「嘘!?そんな、どうして」
「ここもいずれ追っ手が来る、追っ手の連中は私達の事を聞き出そうとするに違いない。私達に迷惑をかけるわけにはいかないから今のうちに姿を消す、との事だった」
「そんな。それならせめて、ちゃんとお別れの挨拶をしたかったのに」
「ばあやが言っていたよ。もしお前に会って別れを告げれば、私達について行きたくなるかもしれない。だが自分達が行けば、必ず足でまといになる。そんな訳にはいかない、とな」
「ばあや、じいや…」
「行こう。二人の為にも、私達は何としても生きなくてはならない」
「…………分かったわ」
じいやの家から近い城門は既に開いており、さいわい私達は何者にも阻まれず街を出る事が出来た。私の少し前を行くノエルは何も言わず、黙々と歩いている。時折聞こえる鼻をすするような音でノエルが泣いているのは分かっていたが、私は何も言わなかった。口を開けば私だって涙が出そうになる。
人に触れられない私の特異体質を知っても気味悪がらず、だからこそあなたは強く生きなければなりませんと励まし、武芸や学問の手ほどきをしてくれたじいや。身体に触れないなりに何とか私の身の回りの世話をしようとあれこれやり方を考え、お嬢様に平穏な幸せが訪れますようにと朝晩神への祈りを欠かさなかったばあや。
だからこそ。
「抜かりはないだろうな、あの女とまともにやり合うつもりはないぜ」
「大丈夫ですよ、今頃は姉妹仲良く夢の中でさ」
「あの女酒は飲めませんからね。料理に薬を仕込んでおいたんですよ、朝まで目を覚ます心配がないぐらいのね」
「よし。しかしお前らも大した悪党だな、長年仕えてきたご主人様だろう?」
「冗談じゃない。散々化け物の世話をさせておいて、歳とったらあっさりクビですよ。これぐらいの見返りは貰わにゃ割に合いませんや」
「まったくですよ、おまけにお尋ね者になったくせにでかい顔して乗り込んできて。図々しいったらありゃしない」
「それはそれは。ま、せいぜい主を売った金で楽隠居でもするんだな」
「ええ、これでやっと長年の苦労が報われますよ。約束の金は大丈夫なんでしょうね」
「心配すんな、お上から報酬が出たら間違いなく払ってやるよ。さて、無駄話はここまでにしとくか」
「殺る時はひと思いに頼みますよ、せめて苦しまないようにしてやらなきゃかわいそうですからね」
「お優しいこって。任せときな、二人まとめて仲良くあの世に送ってやるよ」
……最後まで、信じていたかった。
賞金稼ぎとじいや達を斬り捨てた時、弾みでその身体が家の裏にある川へ落ちていったのは幸運だった。私は人間に触れる事が出来ない。もし地面に崩れ落ちていたなら、ノエルに辛い真相を説明しなくてはならなかっただろう。
ばあや、忘れたのか。私に薬は効かない。私が子どもの頃に熱を出して苦しんだ時、ずっと心配して神に祈り続けてくれたではないか。じいや。剣士は熟睡してはならない、どこに敵が潜んでいるか分からない。どんなに親しい仲であっても気を抜くな、たとえそれが私達であっても。そう教えてくれたのはお前だったではないか。
あのまま殺されていた方が幸せだっただろうか。いや、私はともかくノエルは死ねない体なのだ。ヴァンパイアである事が分かればどんな悲惨な目に遭うか、想像もしたくない。
生きてやる。何としても、どんな事をしても。私はノエルの為に。
空は雲に覆われて、太陽は見えない。一方でそれほど厚くもないためか、少し光が差し込んできてぼんやりと明るい。その曇りとも晴れともつかない奇妙な天気は、まるで行く末がどうなるかわからない私達の旅を暗示しているかのようだった。