夜想令嬢~放浪の女騎士アレクサンドラ   作:平沢ヒラリー

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第二章・道中

覚悟していた以上に私達の旅は困難を極めた。

私は徒歩での旅によるノエルの身体の疲労を案じていたが、それは意外にも平気であるらしく、一日中歩き通しでも疲れた様子も見せず身体に異常も見受けられない。どうやらヴァンパイアとなった事で身体そのものが頑強になったらしい。元気になって外を駆け回りたい、と願っていたノエルの夢がこんな形で叶うのは皮肉な話であったが。

最大の悩みはやはりノエルの『渇き』をどう癒すか、という事だった。あの時出会ったヴァンパイア達に誓わせた以上、ノエルにも人の血を吸わせる訳には断じていかない。鶏や豚、牛馬などの家畜を手に入れるのが一番いいのだが、そうしたものを求める為にには当然農場などに金を払って購う必要があり、となればどうしても人里のある場所を選んで旅をする事になる。そしてそれは、私達の行方を血眼になって探し求める追っ手たちにとってまたとない痕跡となった。

 

顔に煤を塗り髪型を変え、偽名を用いる事で私同様世間慣れしていない騎士団の目はたいてい欺ける。しかし、犯罪者の追跡に長けた海千山千の賞金稼ぎ共達が相手ではその程度のごまかしではどうにもならない。私達は何度となく襲撃を受ける羽目になり、その度私は剣を抜き立ち向かっていった。

王国随一と謳われた剣の使い手である私だ、一対一の戦いなら誰であれまず遅れをとることはない。だがこれは尋常な決まりの中で行われる果し合いではない、私を捕らえるか殺すかすれば勝ちという事だけがルールの命を景品にしたゲームである。そして、そうした戦いに関しては私より賞金稼ぎや傭兵達に一日の長があった。

日中の街道等でまともに襲撃を受ける事はほとんどない。休息の為旅装を解いた時や眠ろうとしていた時に不穏な空気を感じてそこから離れた事は何度もあるし、それは殆どの場合正解だった。ノエルの為に家畜を求めて人里を訪ねた際にそこに網を貼って待ち構えていた連中に襲われた事もあれば、村人から笑顔ですすめられた飲み物や食事に毒が仕込まれていた事も、ここならば安全だろうと思った場所に予想もしないようなやり方で敵が襲い掛かってきた事もある。私は何度、思わぬ場所で彼等と渡り合っただろう。

剣をもって危機を乗り越えるという事は、すなわち人を斬る事に他ならない。何人もの騎士や賞金稼ぎ、傭兵達が私と刃を交え傷付き倒れていった。ヴァンパイアから人々を守ると誓った私が、そのヴァンパイアであるノエルを守る為に人を斬る事になるとはなんという皮肉だろう。だが今更後に引くことは出来ない。それに先に私達の命を狙ったのは彼等の方なのだ、私はただ身を守っているに過ぎない。そうだ、私はどんな事をしてもノエルを守らなくてはいけない。たとえその為に、どれだけの人間を殺す事になろうとも。

 

旅に出て以来ノエルは今まで以上に寡黙になり、必要がある時以外ほとんど口をきくことはなくなった。慣れない長旅と渇きの苦しみ、そして突然に訪れる戦いを何度も目の当たりにした緊張で、心身ともに疲れ切ってしまったのだろう。私もまた疲れていた。しかし、弱音を吐いても何にもならない。私は自分を奮い立たせてはノエルに声を掛け、僅かな時間を見つけては休息を取らせて、日に日に増える追っ手の襲撃を切り抜けながら何とか旅を続けた。

そしてとうとう、国境付近の森まで辿り着いたのである。

 

この森を抜けた先は王国と敵対する帝国の領地であり、そこに入ってしまえば少なくとも王国の軍勢は足を踏み入れる事が出来ない。帝国は近年王国からの難民の受け入れに積極的であると聞いている。ならば、私達が潜り込める隙はあるに違いない。だからこそ私はこの地を目指したのだ。

もう少しだ。もう少しで、この長く苦しい旅も終わる。

その思いが私の油断を招いた事は否定出来ない。ここが先回りして待ち受けるのに絶好の地である事ぐらい、それまでの私ならすぐに気付いたはずだというのに。

森に入って受けた襲撃は、これまでにないほど苛烈なものだった。

 

 

─逆賊アレクサンドラを捕らえよ、何としてもここを越えさせてはならない。

 

─辺境伯夫人の仇を逃すな。名を上げる絶好の機会と思え、討ち取ってその首と名誉を手に入れろ。

─行け、命を惜しむな。大金かあの世行きかのどちらかだぞ。

 

 

押し寄せて来る敵意と憎悪の群れに向かって、私は無我夢中で剣を振るい続けた。押し潰されてはならない、生きるのだ。ここで私が倒れてしまえばノエルはどうなる。命を懸けて守ると誓った、私の大切な妹。両親を失い、信頼していたじいやとばあやに裏切られ、守ろうとしていた民からも憎まれ。そんな私にたった一つ残された、かけがえのないもの。それまで失ってしまえば、私は。

 

 

 

「切り抜けた、のか………?」

 

 

 

 

どのように剣を振るいどう戦ったのか。気がつくと私を目指して襲ってくる敵の群れは姿を消しており、辺りには大量の死体だけが転がっていた。身体中至る所に返り血がこびり付き、剣を握った指は固まったまま伸ばす事が出来ない。手を口元に持っていって指を口で咥えて伸ばし、それでどうにか手から剣を引き剥がす事が出来た。よくぞもってくれたものだ、王室に代々伝わる秘蔵の名剣でなければとっくに折れていただろう。

 

「………ノエル?」

「ここよ、奥にいるわ」

 

返事がかえってきた事に、私は胸を撫で下ろした。

 

「無事だったか、良かった。さあこちらへ来るがいい。あと少しだ、この森さえ抜けてしまえば」

「お姉さま、ひどい匂いよ。どこかで身体を洗った方がいいんじゃない?」

 

その言葉に私はハッとなった。この夥しい血はヴァンパイアであるノエルにとって、とてつもなく魅力的に映るのではないか。もしそれを堪えているのだとすれば、今この場に出て来いというのは酷な話というものだろう。

 

「すまない。入ってすぐの所に泉があったな、あそこで洗い流してくるとしよう。だがノエル、お前は大丈夫なのか?その…」

「心配いらないわ、大丈夫よ」

「そうか。なら、泉の近くで待っていてくれ」

「…………ええ」

 

 

すぐ近くであれほどの激戦があったとは思えないほど、泉の周りは穏やかで落ち着いていた。返り血で赤く染った衣服を脱ぎ捨て、身体を浸す。冷たい水が受けた傷に染み込んでくるが、我慢出来ない程ではない。我ながらよくこの程度の怪我で済んだものだ。

 

「ふうっ…」

 

こびりついた返り血や泥を手で拭い落とす。旅に出て以来入浴はおろかまともに身体を拭く時間さえろくに作れなかっただけに、久々の感覚が肌に心地よい。水の中でこわばった身体をほぐしながら、私は今後の事に思いを巡らせていた。

 

帝国に入れば、少なくとも王国軍の追っ手を心配する必要は無い。帝国は王国ほど領地は広くないが栄えた国で、王都並の規模の都市が幾つかあるという。これまでのやり取りで手持ちの路銀はほとんど底をついてしまっていたが、まだ剣の鞘に嵌め込まれた宝石がある。いずれもそれ一つでひと財産になるほどの値打ち物ばかりだ、これを売れば先立つものを心配する必要はまず無いだろう。エレオノーラが英雄らしく華美な物を身に帯びなさい、とこれを押し付けてきた時にはなんという無駄な浪費をと恨んだものだが、今となっては感謝しなくてはなるまい。

厄介なのは引き続き追ってくるであろう賞金稼ぎ共だ。私がここでこれだけの活躍を見せたと分かればまともに攻めてくる事はもうあるまい、恐らくは奇襲や奸計にかけようとするだろう。その手口に気を遣いながらの旅がどれだけ神経を消耗するか、これまでの旅で嫌というほど身に染みている。これを何とかしなくてはならない。

あちこち動き回ればどうしても隙が出来るし受け身にもなる。いっその事、どこかに定着して敵が来るのに備えながら生活するというのはどうだろう。富栄えた豊かな国ならば、落ち着ける場所はきっとある。このままあてのない放浪の旅を続けるより一箇所に留まった方が、ノエルの為にもいいはずだ。

となれば何をするのがいいだろうか、出来れば家畜を手に入れやすい環境に身を置いておきたい。農場でもかまえるか。いや、私に鶏や豚の世話など出来そうもないし、ノエルは優しい子だ。育てた動物達に愛着が湧いて、殺す事が辛くなってしまうという事にでもなれば本末転倒である。

ならば家畜の肉を売り買いするのはどうだろう。これまでノエルが生き血を啜った動物たちの死骸はそこから足がつかないように埋めて処分していたが、街中で同じようにしていては不審に思われる恐れがある。だったらそれを売り捌いてしまえばいいのだ。

そうだ。私は肉を受け付けないが、普通の人間には必ず需要がある。動物の世話は無理でも、肉を切るぐらいなら私にも出来るだろう。その肉を売った金でまた新たな動物を仕入れる、これを繰り返せばいいのだ。店を開いたらノエルにも手伝ってもらおう。ノエルは美人だ、売り子に立てば人気が出るに違いない。私達の店はきっと繁盛するだろう。

 

泉から上がって身体を拭き、比較的汚れていない着替えを選んで身にまといながら、私はこの考えに夢中になっていた。この森を出たらノエルに話してみよう。私が肉屋を開きたいと言ったら、ノエルはどんな顔をするだろうか。

むろん、そんなに都合良くは行かない事ぐらい承知している。だが、いいではないか。長い間戦い続けてきたのだ、少しぐらい夢を見たって-

 

 

「ぎゃああああっ!?」

 

 

楽しい夢で緩んでいた私の頭と身体は、野太い悲鳴で現実に引き戻された。素早く傍に置いていた剣を手に取り辺りを見回す。そして、悲鳴が聞こえてきた方へと足を向けた。

先程の悲鳴は男のものだ、恐らくは追っ手の生き残 りに違いない。だが何故悲鳴を上げる必要があったのだろう。この森には熊や狼のような獣はいないはずだ。死体漁りの烏にでも襲われたのか、それとも仲間割れか。あるいは。

 

もっとも恐れていて、もっとも可能性が高いその事を、私はつとめて考えないようにした。そんな真似をするはずがない。大丈夫だ、心配要らないと言っていたではないか。そうとも、これまでだって堪えてきたのだ。だから、絶対にそのような事は-

 

 

 

 

「ノエル…………?」

 

 

 

 

男の死体が転がっている。石か何かで頭を割られたのだろう、その体は血塗れだった。そして。

 

 

 

「あらお姉さま、おかえりなさい。水浴びは気持ちよかった?」

 

 

 

返り血で赤く染った私の妹が、そこに佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

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