「そうだよ。覚えててくれたんだな、久しぶり。元気してたか?っと、悪い。襲われて死にかけてたのに言うセリフじゃなかったな。でも驚いたぜ、まさかアンタだとは思わなかったからさ。ところであちこちで大勢死んでるけど何があったんだ?まさか、アンタがやったわけじゃ」
「落ち着きなさいエドガー、そう一気にまくし立てるものではありませんよ」
エドガー、そしてクリス。私に真相を教えてくれた、全ての始まりのきっかけをもたらしてくれたヴァンパイア達と共に、私は先ほどの泉のある場所へと移動した。
「どうやらだいぶ酷い目に遭われたようですね。事情をおたずねする前に、まずはその傷の手当をいたしましょうか?」
「…けっこうだ、お前達の手は借りぬ。強がりではない、借りたくとも出来ないのだ」
「はあ?何言ってんだよ」
「どこか、その辺りに私の荷物があるはずだ。それを持ってきてくれればいい。後は自分でやる」
「おいおい無理するなって。大丈夫、アンタとの約束はちゃんと守ってるよ。アンタの血を吸うような真似はしないから…」
「寄るなっ!」
手を伸ばそうとしたエドガーに思わず声を荒らげる。私に触れられるのは、いや、触れていいのはノエルだけだ。
「なんだよ、信用出来ないってのか?せっかく親切で言ってやってるのに」
「彼女の言う通りにしましょう、エドガー。人には色々事情があるのですから。それともこのまま放っておいた方がいいと?」
「そういう訳じゃないけどさあ…」
どうやらこのエドガーという少年は、クリスという少女に頭が上がらないようだ。男のくせに尻に敷かれるとは情けないが、それも無理はない。この少女を見ていると不思議な気持ちになる。まるで全てを見透かしているかのような、こちらの気持ちを見抜いているような。これもまた、ヴァンパイアの持つ力の一つなのだろうか。
「さあ、どうなのでしょうか。私にもよく分からないのです」
「!?」
「そんなに驚くと傷に障りますよ。あ、それともうひとつ。あなた、私達の事を勘違いなさっておいでですから、念のため」
…勘違いというのが何なのかはさておき、油断がならないのは間違いなさそうだ。
エドガーが見つけてくれた荷物の中から取り出した綿で傷口を抑え、包帯でそこを縛り付ける。自分での手当てはもう馴れたものだ。私の身体は薬も毒も効かないかわりに治りも早い、こうしておけばまず大丈夫だろう。もっとも、治ったところでもはやなんの意味もないのだが。
「さてと。手当ても済んだ事ですし、今度こそ話していただけますね?」
「そうだぜ、オレ達心配してたんだからな?道中のあちこちでアンタ達みたいな連中の話を聞いてよ、それでもしかしたら大変な思いをしてるんじゃないかって。妹さんはどうしたんだ、一緒にいたんだろ。まさか…」
「落ち着きなさいと言ったはずですよ、エドガー。彼女が話せないではありませんか」
「あ、悪い。それで?」
「……」
先を促しているエドガーには悪いが、話せるような内容ではない。それに話したところで一体何になるだろう。だが。
「いいんですよ、無理に聞こうとは思いません。ですが、口にした方が楽になる場合だってあるのですよ。たとえ、それ自体に意味がなくとも」
この少女相手に、隠し事は難しい。気づけば私はエレオノーラを倒してからの全ての事を彼女達に話していた。旅に出た理由、道中の苦労、森の中での死闘。そして。
ノエルの事を話すのは苦しかったが、ここまで話しておいて話さないわけにはいかない。口に出すとあの時の悲しみと絶望感が込み上げてきて、叱られた子供のように声が震える。感情が昂り過ぎて涙混じりになりながらも、何とか全てを話し終えた。
「…大体の話は分かったけどさ。なんでそのノエルって妹は急にそんな風になったりヘンな力を使えるようになったんだ。ずっと大人しかったんだろ、隠してたのかな?」
「いいえ。ヴァンパイアにとって、人の血は何物にも代えがたい物なのです。鶏や他の生き物の血でも渇きを癒す事は出来ます。けれど人の血はそれだけでない、ヴァンパイアの中に眠っている特別な力を呼び覚ます不思議な効力があるのです」
「では、ノエルはやはり」
「ええ。おそらく本当に偶然だったのでしょう。ですが、それで充分だった」
「…そうか。ではノエルが私から離れていったのは、人の血を吸う喜びを覚えてしまったからなのだな。私と一緒にいれば、それが出来ないから」
「そうでしょうか?私は違うと思いますよ」
「何?」
思わず身を乗り出し、クリスに迫る。この少女は何もかも分かっているというのか、私も知らないノエルの何かを。
「落ち着いて下さい、私はノエルさんではないのですよ。ですが、そうですね」
「何だ?」
「ちょっと、答えにくい事をお聞きします。ノエルさんが人の血を吸った時、あなたはどのように感じられましたでしょう。たとえば、恐怖を覚えましたか?」
「…………分からない。よく覚えていない」
偽りや誤魔化しではなく、それが本心だった。ただひたすらこれは夢だ、夢であって欲しいと思っていたような気がする。
「そうですか。ですがきっと、ノエルさんからはあなたが怯えているように見えていたのでしょう」
そう、なのだろうか。
「あなたにとって、ノエルさんはかけがえのない存在だった。だから辛い思いはさせたくなかった。そして、そんなノエルさんが変わっていくのを見る事には耐えられなかった。違いますか?」
違う、そんな事はない。どうなろうとノエルはノエルだ。
…いや。私はノエルが血を啜っている姿を見た事があっただろうか。渇きにうなされ血を欲する度、あらかじめ或いは急いで調達した生き物を渡し、その後亡骸を処分したりはしていた。しかし。
「そう、かもしれない。私はあの時、ノエルがあのような存在になった事に怯えていたのだろう」
だから、剣を抜こうとしていたのか。ノエルが変わった事を、受け入れたくなくて。
「仕方がありませんよ。誰だって、好きな物が変わるのを見るのは辛いものです。ましてや、それが恐ろしいヴァンパイアになったとあれば」
「ちょっと待てよ。そりゃノエルからすればショックだろうさ、姉さんが自分を怖がったんだから。けどそれはいきなりだったからじゃないか。そのうち慣れるはずだろ?それだけで姿を消すほどの事でもないんじゃないか」
そうだ、いつかは受け入れられるはずだ。そうするしかないと、理解さえすれば。なのにどうして。
「エドガー?何度も言いますが、私はノエルさんではありませんよ。本当の事はノエルさんにしか分からないのです。でもそうですね、たとえばですけど」
「何だよ?」
「ノエルさんもまた、自分が変わり果てた姿になった事に苦しんでいたのではないでしょうか」
「それは…あるかもしれないな。オレだって、最初は自分がヴァンパイアになった事は少しだけ辛かったから。クリスのおかげですぐ慣れたけど」
「うふふ。そのように言ってもらえて嬉しいですよ、エドガー。でもノエルさんには、その苦しみを打ち明ける場所が無かったのです」
まさか。そんなはずはない、私が側にいたのだ。ずっとお前を守る。そう誓った、この私が。
「え?でも、アレクサンドラがいたじゃないか」
「ええ、そうですね。ですがアレクサンドラにとってノエルさんは、特別な存在でした。いえ、特別過ぎたのです。少しの変化も受け入れたくないほど」
違う、私はそんな目でノエルを見た事など。
「だけど仕方ないだろう。もうヴァンパイアになっちまったんだから。どうしようも無いじゃないか」
「ええ、アレクサンドラにはそうです。今は無理でもいずれ受け入れられる日が来るかもしれない。ですがノエルさんはどうでしょう。彼女はきっと、受け入れたくなかったのです。自分がアレクサンドラの思い描く存在で無くなってしまったことに」
そんな。では、ノエルが立ち去ったのは。
「ややこしいな…結局、ノエルはどうして立ち去ったんだ?」
ああ、そんな。
「そうですね。私が想像した限りですが、おそらくノエルさんは」
ノエルは。ノエルは、私の為に。
「自分がアレクサンドラの理想像で無くなってしまった事を許せなかった。あるいは、これ以上アレクサンドラの思い描く存在からかけ離れていく姿を、見せたくなかったのです」
-お姉さまは私を見てくれなかった。私を通して、違う私を見ていたのよ。その私に戻りたいって、ずっと頑張ってきたわ。だけど。
-ごめんなさいお姉さま。私はきっと、あのまま眠っていた方が良かったんだわ。そうすればずっと、お姉さまの好きな私でいられたのに。
-このまま一緒にいても、お姉さまは私の事を守ってくれる、私はそれでもいいわ。だけどお姉さまは。
立ち去る前にノエルが言っていた言葉が頭をよぎる。あれは私を責めていたのではない、自分自身を責めていたのだ。私の中にあった、思い描いていたノエルではなくなってしまった自分を。
私はずっと孤独だった。誰からも触れられず、誰にも触れないという自分が恐ろしい化け物のように思え、周囲もまた私を人間扱いしなかった。口では神の御使いだ、天使のようだと言いながら、その実腫れ物を触るかのように扱われることは、どうしようもなく辛かった。両親から愛を受ける事も友に悩みを打ち明ける事も人に想いを寄せる事も出来ず、ただ剣の技や退魔の知識を磨き、災いに備えているだけの存在だった。
だから私はノエルにすがった。この世でたった一人、私に触れる事が出来る妹に。ノエルだけが私を人間扱いしてくれた。ノエルといる時だけが、自分を人間だと思えた。
けれど、ノエルはヴァンパイアになってしまった。人の血を求める忌まわしき存在。人間に仇をなす、私が討ち滅ぼすべき怪物に。
私はそれを受け入れられず、ノエルを人間に戻す方法を探し求めた。エレオノーラの言うがままに動いていたのは彼女を信じていたからではない。向き合いくなかったのだ、ノエルがヴァンパイアであるという事実に。エレオノーラを討ち滅ぼしノエルが目覚めてからもずっと、私は受け入れられないままだった。
そんな私を、ノエルは変わらず好きでいてくれた。私がヴァンパイアである妹が認められず苦しんでいる事に気づいて、私の求め思い描く妹のままでいようとしてくれたのだ。けれども。
「あ、ああ……」
後悔の念が私を襲い、涙が頬を伝う。私は間違っていたのだ。旅に出た事でもノエルに人の血を吸わせてしまった事でもない、ノエルがヴァンパイアになった時からずっと。あの時私は人間に戻す方法を探すのではなく、ヴァンパイアになったノエルに向き合うべきだったのだ。
目の前の大切なものを見ずに思い出の中だけにしかない理想を探し求めていたとは、なんという愚かな話だろう。私がそれを探していた間も、ノエルはずっと悩み苦しみ悲しんでいたというのに。
こんな愚かな私をどうか許して欲しい。いや、そう思う事さえ私には相応しくない。もう私には、ノエルの事を思うことさえ。
「ちょっと待て!違う、そんなのおかしい。絶対間違ってるよ」
怒気を含んだエドガーの叫び声が、私を思考の海から引きずり出した。何が間違っているというのだ、ノエルは何一つ、悪い事などしていなかったというのに。
「なんでノエルは何も言わなかったんだよ。一緒にいる相手に何も言わないでじっとガマンしてて、ある日突然さよならだなんて、ただのワガママじゃないか」
「私に言われても困りますよ、エドガー。でもそうですね、ノエルさんはきっと口に出せばアレクサンドラが自分の事で苦しむ。それさえ許せなくて」
「なんだよそれ。そんなの自己満足じゃないか、勝手すぎるよ。自分を許せるとか許せないとかじゃなくて、相手に受け入れてもらえるかどうかだろう」
違う。悪いのは私なのだ。私さえ、そこにいたノエルを見てあげていれば。
「言わなきゃ分からない事なんて、沢山あるだろ?さっきクリスだってこいつにそう言ってたじゃないか。口に出すだけでもいい時があるって」
「それは少々、意味が違う気もしますね〜。逆に、口に出すのも辛いという事だって、あるのではありませんか?」
「何も言わないで察しろってのか。ずっと一緒にいれば伝わるはずだから、言うのは辛いからそっちから気付いてくれって?」
ああ、そうとも。そうあるべきだったのだ。苦しんでいるノエルの事を思えば。
「エドガー。私を責めても仕方がありませんよ?」
「分かってるよ。でもやっぱ、おかしいと思う。側にいたのに相手に悪いから、言うのは辛いからって遠慮して、ずっと黙ってただなんて。何で、ちゃんと伝えなかったんだ。何故一人で勝手にもうどうしようもないって決め付けるんだ。やり直したい、思い切って言ってみようって、何で思えなかったんだ。身勝手すぎるよ、どうして」
エドガーという少年はよほど直情的、いや純粋なのだろう。顔も知らない存在の事を、ここまで激しく言えるだなんて。
エドガーの言う事はわかる気もする。だが今それを言ってどうなるだろう。全ては遅すぎたのだ、ノエルはもう。
「どうしてそんな簡単に、諦めようとするんだ!」
その言葉は激しく私の胸に響いた。どれほど知識のある賢人の言葉でも、徳を積んだ敬虔な僧侶の教えであっても、この時の少年の単純な言葉ほど、私の心を揺さぶる事はなかっただろう 。
諦めていたのはノエルではない、私の方だ。私はずっと諦めていた、他の人と同じような物は私の手には入らないと。だが本当にそうだったのだろうか。両親に愛していると伝えた事は一度でもあったか。友が欲しいと思う気持ちを誰かに訴えた事はあったか。想いを寄せるような相手を見つけもせず、ただ周囲を羨んでいただけではなかったのか。そして今また、ノエルの事も。
「落ち着いて下さいと言っているでしょう、エドガー?あなたが怒っても仕方がありませんよ」
「あ、そうだよな。悪い、アレクサンドラ」
「いや…少し疲れた。悪いが、そろそろ」
「そうだよな、もう遅いし。オレ達で見張っててやるから安心して休みなよ」
「すまない、そうさせてもらう…ありがとう」
「気にすんなって」
そうだ。一度手に入らなかっただけで、簡単に諦める必要がどこにある。やり直せばいいのだ。私も、ノエルも。
まだ間に合うだろうか。いや、そんな事は考えない。大丈夫、必ずやり直してみせる。そう思いながら私はその場に横たわり目を閉じた。