どれぐらい眠っていただろう。何かの気配に目を覚ますと、目の前に美しい笑みを浮かべた少女の顔があった。
「何のつもりだ?」
「うふふ、ごめんなさい。あんまり綺麗な寝顔でしたから、つい間近で見てしまいたくなってしまいまして」
「…エドガーに嫌われても知らぬぞ」
「おやまあ。ご心配なく、私達の仲はこれぐらいではびくともしませんから。でもあなたの方は、ノエルさんにヤキモチを妬かれてしまうかもしれませんね〜?」
「それはありがたいな、探す手間が省ける」
「おや。では、決めたのですね?」
相変わらず穏やかな笑みを浮かべたままのクリスに頷いてみせる。ノエルを探す。探し出して、彼女に今までずっと苦しめていた事や気づいてやれなかった事。それらの全てを詫びて、今度こそ一緒に歩いていこうと伝えるのだ。
もしかしたら、ノエルは私の申し出を拒否して再び立ち去るかもしれない。だが構わない。その時はまた探し出して、同じ事を伝えればいい。何度失敗しても、どこへ行こうと必ず見つけ出してみせる。ノエルは私のかけがえのない妹だ、絶対に諦めない。
「いやー参ったぜ。これだけ広い森なら木の実やキノコぐらい見つかるだろうと思ったのに、どこにも無いんだもんな。ああ腹減った」
心の中でそう呟いているうちに、エドガーも戻ってきていた。
「おはよう。食料なら持っているぞ、よかったら食べるといい」
「ホントか?サンキュー、助かるよ。昨日の夜からなんにも食べてなくてさ」
「ありがとうございます。私もご馳走になって良いのですか?」
「ああ。その代わり期待はしないでくれ」
「……そりゃ、贅沢言うつもりはなかったけどさあ。いくら何でもこれは」
「なんとまあ。ダイエットにはいいのかもしれませんけどね〜」
「すまない、ノエルの食事には気を使っていたのだが…」
木の実を挽いた粉と、乾燥させた薬草を水で戻したもの。どちらも普段私が食べている物だが、それを見て二人は苦い顔をした。
食事は私の人間らしからぬ点のひとつだ。肉や魚の類は一切受け付けない。野菜なら食べられない事もないが、そもそも私は空腹というものを感じたことがない。これらは滋養があるから摂っているだけで、その気になれば少量の水だけでも特に不都合はないのである。エレオノーラは私の食事を見ていつからここは鶏小屋になったのかしら、などと嘲ったものだし、ノエルでさえお姉さまは不思議な人ね、と呆れて私の食べる物は口にしようとしなかった。
私のもてなしは大いに不評だったが、さいわいノエルの為にとっておいたクッキーがあったのを思い出したので、それでどうやら二人の空腹は満たすことが出来た。
「やれやれ。あんた、よくこんなのでまともに動けるな」
「すまぬ…ところで、少し気になったのだが。お前達は血を吸った後の動物の肉はどうしている、やはり食べるのか?」
「え、何だよ急に。まあ、食べる事もあるよ。乾いてるからあんまり美味くないけど」
「鶏の場合は血を吸ってからだと干からびてしまっていて羽を毟りにくいですから、あまり食べませんね。けどそれがどうかしましたか?」
「なるほど。何、将来に備えての参考だ」
「??」
泉を離れ、死体の山のある場所を避けて森の奥に進んでいく。森を抜けると崖があり、そこを降りると街道のある場所へぶつかるはずだ。西へ向かえば帝国領へ、東に向かえば王都の北側に出る。
「この辺りで別れよう。すっかり世話になった、礼を言う」
「なあ、良かったらこのまま一緒に旅をしないか。ノエルを探すにしても、皆で探した方が見つけやすいと思うし。それにあんた、追われてるんだろ。一人旅は危険だぜ、オレ達といた方がいいよ」
「……」
エドガーと一緒にいるクリスが少しだけ羨ましくなる。純粋で真っ直ぐで、自分より他人の事を思いやれる優しさ。もしも最初から彼と旅立っていたら、私は今もノエルと旅を続けられていただろう。だが。
「ありがたい申し出だがそれは出来ない。お前の言う通り私はお尋ね者だ、一緒にいては迷惑がかかる」
「そんなの気にするなって。大丈夫、オレ達だってけっこう危ない目に遭ってきたけど、その度切り抜けてこれたんだぜ。あんたがいたって何とかなるよ」
「あの死体の山を見ただろう、私といればああいう事に巻き込まれるのだ。それでもいいと言うのか?」
エドガーも彼なりのやり方で危機を乗りこえて来たのだろうが、私は剣で切り抜ける以外の方法を知らない。そのようなやり方は彼の好むことではないだろう。それは、とエドガーが言いよどんだその場をどうぞお気をつけて、とクリスが引き取った。こうやって、この二人は生きてきたのだろう。私とノエルもまた、いつか同じように。
「ところで、どちらへ向かわれるのですか?」
「帝国領へ行こうと思う。当初からの目的だったし、それにノエルは見知らぬ土地を目指している気がするからな」
「そうですか。私達はもう少しこの国に留まろうと思います。国内をまだ、探しきっていませんからね」
「探す?そういえば尋ねなかったが、お前達も目的のある旅なのか?」
「ああ。オレ達は『約束の地』を目指しているんだ」
そう言ってエドガーが胸を張る。彼の胸元が少し膨らんで見えたが、護身用に石でもしまっているのだろうか。
「何だ、それは?」
「どこかにあるという場所さ。飢えも貧しさも存在ない、誰もが幸せに暮らしていける夢のような所だよ。オレ達はいつかきっと、そこへ辿り着いてみせる」
そう語るエドガーの口調は、夢を信じる者特有の力強いそれだった。彼からすれば、私達が何もせず簡単に諦めてしまうように見えたとしても無理はない。
「そうか…私もノエルを見つけたら、そこへ向かうのもいいかもしれないな」
「お、本当か?そうしなよ、先に見つけて待っててやるからさ。オレ達とあんた達、四人で一緒に暮らそうぜ」
「そうだな、そこでお前達に私のやりたい事を手伝ってもらうのもいいかもしれん」
「やりたいこと?」
「ああ。肉屋をやる」
「……は?」
その言葉をエドガーは理解できなかったのか、ポカンとなってしまった。クリスでさえ、驚き呆れたような顔をしている。この少女にそんな顔をさせてやった事は私に妙な満足感を与えた。そのまま二人に背を向ける。
「それではな…エドガー、尻に敷かれるのもいいがたまには男の威厳を見せておけ。エレオノーラと辺境伯のようにはなるなよ」
「あ、待てよ。肉屋って何の話だ?っておい!あのなあ、オレ達は」
「達者でな!」
別れを告げた後、私は道を降っていった。昨日受けた傷はほとんど塞がっていて、痛みは全くない。大丈夫だ、私はまだ動ける、まだ戦える。まだ私は、生きている。諦める必要はどこにもない。
「約束の地、か」
エドガーの言っていた事が頭をよぎる。彼には悪いが王国内を旅して来た限り、とてもそんな場所があるようには思えない。どんな人間でも悩むことなく幸せに暮らしていける理想郷など、この世にあるわけがない。
だが、クリスは何故旅をしているのだろう。聡明な彼女がエドガーの夢物語を信じているとは思えないのだが。
「…ああ。そういう事か」
そこまで考えた時、クリスの表情が頭に浮かんだ。エドガーの隣で幸せそうに微笑んでいるあの表情。つまりクリスにとって、エドガーと共にいる場所こそが。
ならば私にも約束の地はあるはずだ。そう。ノエルと一緒にいられるのならそこが、私にとっての-
「行っちまった。あいつ、最後までオレ達の事勘違いしたままだったな」
「うふふ。少々世間知らずのご様子でしたね〜」
「クリスが言うかそれ…けど見つかるのかな、あいつの妹。どこにいるかも分からないんだろ?」
「エドガー。あなた、約束の地が本当にあると、今でも信じておいでですか?」
「え?おい、何言い出すんだ、当たり前だろ。オレ達は絶対にそこに…あ。そういう事か」
「ええ。信じてあげましょう、彼女なら必ず見つけ出せると」
「そうだな。さて、オレ達もそろそろ行こうか」
「はい♪」
「…なあ、クリス」
「どうしました?」
「オレに隠し事は無しにしろよ?」
「まあ。うふふ、もちろんですよ。そういうエドガーの方こそ、私にまだ話してない事があるんじゃありませんか?」
「オレに?まさか、そんなものあるはずないだろ」
「そうでしたか。ところで…私のカバンに入れておいたチョコレートが無くなっているのですが、ご存知ありませんか?」
「え?さ、さあ。ネズミにでも食べられたんじゃないか」
「エドガー。隠し事はなしだって、さっき仰ったばかりですよね?」
「う、その…ゴメン!ほら、昨夜はメシ抜きだったろ。だから腹減ってしまって、つい」
「酷いですね〜、せっかく二人で食べるのを楽しみに取っておいたのに」
「悪かったってば。謝る、次の街に着いたらちゃんと弁償するから」
「それだけじゃ黙っていた事のお詫びには足りません。これはお仕置きが必要ですね〜」
「お仕置きって。まさか、おい」
「ふふっ。次の街に可愛いドレスが売っているといいのですけど」
「い、イヤだぞ。もう二度と着ないからな。だいたいそんな無駄遣いしてる余裕なんて…おい、ちゃんと聞けってば。ああもう、待てよクリス!」