聖グロリアーナのシャーロキアン   作:Dimbla

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第六十三回戦車道全国大会後、聖グロリアーナ女学院で事件は起きた。学校の校章のモデルになった紅茶が一夜にして姿を消したのだ。この紛失事件を聖グロリアーナのシャーロキアンが暴こうとする。




消える校章

一章 号外

 聖グロリアーナ女学院は私の母校であり、英国式の格式や作法を学ぶには実に申し分ない女子高と言える。世間からは恐らく典型的なお嬢様学校と思われているが、実際そうなのである。しかし一つ付け加えることがあるとすれば、すべての生徒が生まれ持ってのお嬢様気質というわけではなく、自らをお嬢様に成長させようと思い入学してきた生徒もいる。私の履修している必修選択科目授業である戦車道にも何人かいるが、皆決して悪い生徒ではなく一生懸命なのも伝わってくる。

 この学校で欠かせない話題としてイギリスに因んで紅茶が挙げられる。日々のティータイムでは勿論のこと、学園艦内でもわずかではあるが栽培されており、戦車道ではライバル校と認めた学校には紅茶とティーセットを送る風習がある。今回私が日記とは別の形でこの文章を書き綴った理由には、この紅茶を巡るある不可解な出来事を少しでも多くの方、この場では読者と呼ばせていただきたいが、その方々に読んでいただきたいからである。

 大洗女子学園が第六十三回戦車道全国大会において優勝し、廃校を逃れたと知って私たち聖グロリアーナ女学院戦車道から優勝のお祝いとして何かを贈ろうと言い出したのは、やはりこの人であった。

「やはりここは、聖グロリアーナらしく紅茶を送るべきじゃないかしら?」

「お茶菓子になるようなものもいいと思われますが」

 真夏の日差しが差し込む部屋のテーブルには水出しのアイスティーとキュウリだけを挟んだサンドイッチ、見事なまでに形が整えられたスコーンなどが並べられており、そのテーブルを三人の女子生徒が囲んでいる。

「貴女はどんな贈り物がいいかしら。オレンジペコ?」

 紅茶、お菓子、隊長が書き綴った格言集、様々な意見が飛び交う中で私は一つだけ案を出してみた。

「ダージリン様の格言集も喜ばれると思いますが、やはり聖グロリアーナならではのオリジナルブレンドティーでよろしいのではないかと」

 聖グロリアーナの紅茶は実際とてもおいしく、年中様々な飲み方で楽しめるため贈り物としては申し分ないに違いないと私は常々思っているが、果たしてこの場にいるダージリン隊長とアッサム様はどう反応するか。

「なら、オリジナルブレンドでも今度はアールグレイにしてみてはどうでしょう?」

流石は参謀役を務めるアッサム様らしい提案と私は感心したが、ダージリン様はしぶしぶ頷いたように見える。よほど格言集を大洗に贈りたかったのだろうか。

 事あるごとに有名どころから誰が言ったかわからないような格言を口にするこの方は私をいつも傍に置いている。特に戦車道の試合観戦には熱心にも私のために解説までしてくれる。しかし稀にではあるが、格言による観戦妨害を受けることもある。

聖グロリアーナの戦車道受講者の中にはお茶に関する名称をニックネームとして付けられる者もおり、私は別で本名があるが『オレンジペコ』と呼ばれている。隊長であるダージリン様にも本名があるが、ここでは全員をニックネームで呼ぶことを許していただきたい。

当たり前のように戦車道のことを書き綴っているが、少し私なりの言葉で極めて簡単に紹介しておきたい。戦車道とは古来より『乙女の嗜み』として文字通り戦車に搭乗し勝敗を競い合う武道である。この聖グロリアーナ女学院戦車道は日本国内で4つある強豪校の一角に数えられている。しかしその輝かしい栄誉とは裏腹に、優勝経験は一度もない。そして直前の全国大会では準決勝で去年まで9回連続優勝していた黒森峰女学園に敗れ、その黒森峰は無名の大洗女子学園に敗れた。私は正直この大番狂わせを期待していたため、どこか爽快感にも似た感情を覚えたことを覚えている。

話もまとまり、大洗女子学園には我が校の校章のモデルにもなった紅茶であるオリジナルブレンドのアールグレイとメッセージを送るという方向で早速準備に取り掛かろうと立ち上がった私とアッサム様だったが、この気品ある学校の廊下をはしたなく足音を立てて走ってくるのを聞いて扉の方を向いた。すると足音が止まると同時に扉が壊れるかと思うような音と風が入り込んできた。

「一大事でございますですわ!」

 私たち三人は同時に頭を抱えた。息を切らせて廊下を走ってきたであろう女性、ローズヒップさんが私たちの目の前に飛び込んできた。

「ローズヒップ、廊下は走らないでって何度も……」

 注意をしようとしたダージリン様の台詞を遮るかのように彼女は叫んだ。

「おっ紅茶がございませんわ!」

 再び私たちは頭を抱えた。テーブルの上のアイスティーを三人で指差し彼女を見ると首を横に振っており、よく見ると同じように息を切らせて後から遅れてきたであろう別の生徒がおり、右手には新聞を持っていた。

「ダージリン隊長、この新聞をお読みになりましたか?」

それは号外と大きく書かれた新聞で、見出しにはこう書かれている。

 

当学園艦内の紅茶の茶葉は生徒や教員を始め、一般人にも人気があることは聖グロリアーナの生徒であれば周知の事実であろう。神奈川県横浜市の一部商業施設で定期的に販売をしているが、その量は限られているものであり、膨大な数の茶葉を紛失したという今回の事件は極めて不可解なことと考えられる。管理していた生徒たちの話によると、紛失した紅茶は当校で加工されたばかりのオリジナルブレンドだけではなく、アールグレイをはじめとする様々なフレーバーティーと一部のハーブである。昨日までは倉庫にあったのは管理している生徒たちの証言から間違いないと思われる。確かに今年の生産量は悪天候や異常気象のため昨年の約7割程度しか栽培されてはいなかったが、それでも一夜にして消えたという謎は残ってしまう。今回の事件を生徒会と風紀委員は盗難事件と見て捜査を開始している。

「ルクリリ? これは今さっき出回った新聞かしら?」

「はい」

「これをどちらで?」

 ダージリン様が受け取った新聞を私も横から見せてもらい、そのまま受け取るとアッサム様は興味を持たれたようで手招きして寄こすように合図した。そしてやっと息を整えたローズヒップさんが答えた。

「わたくしの教室がある校舎の前でございますわ! 他にもこちらへ来る途中、何人も同じ新聞を配っているのを見かけましたわ!」

 確かに一大事ではある。名物である紅茶が盗まれたとなると、学園中を挙げての大捜索ともなろうが、しかし一夜にして何トンもあろう茶葉が消えるという事件。管理していた生徒たちの気持ちを考えると胸が痛むというものだ。

「ダージリン。私は少し外しますわ。今日の戦車道には間に合うようにします」

 アッサム様はそう言って部屋を出ようとした。それと見送るかのようにダージリン様は、

「Without haste,but without rest.」

 そんなドイツの詩人の格言を投げかけた。

二章 二つの香り

次の日私は前日話し合いをしていた部屋へ行く前に図書館を訪れていた。私の日課は詩集を読むことで、部屋にもたくさんの詩集を本棚に収めているが、この学園の図書館の蔵書数がすさまじいため珍しい詩集が見つかることがある。そんな素敵な出会いを期待していたのだが、今日はどうやら運が良かったようだ。私は分厚い表紙で少し背表紙も傷ついているため決して状態が良いものではないその詩集を手にした。中を開くとすべて英語で書かれているため、英語の勉強にもなる。これを借りよう。そう思って本を持ってその場を去ろうとしたとき、この本が挟まっていた場所には全く関係ないどころか、ジャンルも作者名も全く異なる一冊の本が刺さっていることに気が付いた。昨日の号外のことをその時思い出し、私はその本を咄嗟に引き抜いて詩集を脇に挟んで適当なページを開いてみた。かなり古い本に違いないが、中身は日本語で翻訳されている。そのページの台詞はこうだ。

『探偵学のうちでも、この足跡の研究くらい大切でありながら、忘れられているものはあるまい。』

「足跡……」

 静かな図書館で自分も聞こえないくらいの小声で私は呟いた。後から聞かされた事件の情報だが、紅茶が保管されていた倉庫の内にも外にも変わった足跡はなく、防犯カメラはそもそも取り付けられていなかったらしい。そのため生徒による倉庫の鍵閉めを行われた夜二十三時から事件発覚の時間である翌朝六時半の間に茶葉は盗まれたということになる。しかし盗難対策をしていなかったわけではない。鍵や窓を破壊された場合には警報が風紀委員や学園艦警備部隊に送られるし、勿論事件の晩はそのような警報は起きなかった。すなわち盗難事件ならば犯人は鍵を壊すことなく、窓を破ることもなく、誰にも気づかれることなく足跡を残すことなく倉庫の中から茶葉を盗み出したという結論に至る。

そんなことを思い出しながらふとその小説に刺さっている一枚の栞があるのに気が付いた。そのページを開くと微かにベルガモットの香りが漂った。恐らく栞に香りづけしていたのだろう。とても素敵な趣味の方だと私は思い、図書館の本の一番後ろに必ずある読書カードを調べてみた。この時の私の顔はどんなだったろう。とにかく私はボロボロの詩集と栞を挟んだ小説を持って図書館を後にした。

できる限り私は急いで先輩方のいる部屋を目指した。途中走ろうかとも思ったが、流石に周りの目を気にしてしまったのでそれはできなかった。走ってもいないのに息が上がってしまった私の鼻には、普段嗅ぎなれない香りが近づいてくることに気づいた。香りの発生源こそ昨日号外の新聞に目を通したあの部屋である。部屋の前ではアッサム様が扉を少しだけ開けて部屋を覗いている様子が見えた。私は声をかけようか躊躇したが、先に気づかれた。

「今は入らない方がいいわ。というより、入りづらいわね……」

「何かあったのですか?それにこの香り……」

 私は香りの正体を知っている。勿論アッサム様も知っているはずだが、これは異常だとも気づいているはずだ。

「アッサム様。ラプサンスーチョンってこんな香りでしたっけ?」

 ラプサンスーチョンとはフレーバーティーの起源とも言われる紅茶の一種で、中国発祥のこの独特な燻香の紅茶は漢字で正山小種とも呼ばれる。正直私はこの紅茶の香りが苦手である。

「いいえ。私もこれほど強い正山小種の香りを嗅いだことはないわ。一体どんな抽出をしたらこんなことに……?それに、ダージリンは先程から何を?」

アッサム様が覗いていた隙間から私も部屋の様子を伺った。中には一人で自分の椅子に座って机には地図を広げ、その上に恐らく正山小種を注いだティーカップを3つ並べてある。

「アッサム? オレンジペコ? 覗き見は淑女の嗜みとは言えないんじゃなくて?」

 既に私たちの行動は見通されていたみたいだ。しかしこの香りのせいで部屋に入りにくくなっているとは言えない。そんな中アッサム様は観念したかのような溜息を一つ漏らして恐る恐る部屋に入っていったので、私もそれに続いた。

「何をしているのですか? それにこの香りは一体……?」

「ローズヒップに特別に正山小種を淹れてもらったのよ。しかも茶葉の割合を増やしてね。あまり好まれない香りでしょうけど、このスモーキーな香りのおかげで私の推理が捗っているわ♪」

 私はあからさまに驚いた声を出してしまったが、隣にいるアッサム様は微笑みを見せて自分の持っているノートパソコンの画面を開いてダージリンに見せて解説を始めた。

「勝手に貴女の名前を使ってしまって申し訳ありません。おかげで発見がありましたわ。まず例の倉庫ですが、情報通り怪しい足跡は確かにありませんでした。風紀委員と管理部に承諾を得て証拠写真を撮らせて貰いました。さらに通常学園艦内の施設や商店に紅茶を卸すための運搬に使う車なんですが、私の調べたところ不審な車も見当たらなかったようです。もちろんタイヤを調べさせてもらい、倉庫付近のタイヤの跡とも一致することがわかりました」

 流石データ収集のプロとも呼べるアッサム様だと私は心から敬服し、またしても驚いてしまった。お二人は今回の茶葉紛失事件を独自で捜査しているようだ。しかしその顔は戦車道をしているときの真剣で優雅な表情のままである。

「ありがとうアッサム。これで一つ確信に近付いたわ。そう、そうなのね。うふふ……」 

 全く私には理解できなかった。何も不審な点が見当たらなかったということは改めて知れたが、結局謎は解けてはいないのに、ダージリン様は少しずつ紐を解いているらしい。

「オレンジペコ? 今日の戦車道の後、時間はあるかしら?」

「あ、はい。これといって用事はありませんので……」

「じゃあ終わったら一度いつも通り寮に戻って、目立たないような私服に着替えて時計塔の下にいらっしゃい。もし誰かに呼び止められて外出理由を聞かれると、戦車道の緊急作戦会議と伝えて頂戴」

 またしても理解できなかった。何故そんな遅くに時計塔の下で待ち合わせるのだろう?それにこの事件にお二人が関わる理由がわからない。他にも色々と聞きたいことがあったのだが、それを遮るかのようにアッサム様は大きな声をあげた。

「待ってくださいダージリン! 何があるかわからないのに、オレンジペコを同行させるつもりですか?」

「ええ。少なくとも今夜必ず何かが起こるはずよ。鼠を捕まえる猫は、猫なで声を出さないのよ? 心配なら貴女もいらしては?」

「……いいえ。非情に申し訳ないけど、私は別行動をとらせていただきます。この捜査は未だ完璧ではないので。オレンジペコが心配なのは事実ですが、こちらも時間がありません」

そういってアッサム様は私に「ごめんなさい」と申し訳なさそうに軽く頭を下げたので、彼女を安心させるためにも「いえいえ、大丈夫ですよ」と伝えた。

「でもダージリン様? 私が同行して不都合にはなりませんか? それに危険が伴うのであれば、私たちじゃなくて先生方に事情を説明して動いてもらうという方法も……」

 今私の精いっぱいの疑問である。いくら学園艦内とはいえ、完全に安全という保障はなく、この事件は間違いなく犯罪の類に属する事件だ。高校生が関わってもいいものなのか、それすら危ういものだ。そしてどことなくダージリン様はこの展開を楽しんでいるようにも見える。それは戦車道においても私はこの方の笑顔を見たことがしばしばあるのだ。例えば追い詰められた状態から予期せぬ事態が転がり込んできて、一気に形勢逆転する。このような展開を待っている時の表情に似ていると私は思う。

「詳しいことは時計塔を出てから目的地に着くまでに話すわ。だから今は私を信じることに一生懸命になりなさい。」

 そう言ってダージリン様は一杯の正山小種をソーサーごと手に持って口に運んだ。その様子を見ていた私は、部屋に充満しているこの香りから味の想像がついた。おそらく隣にいるアッサム様は想像どころか答えを知っているだろう。そして実際に口にしたダージリン様の最初の一言はこうだった。

「ローズヒップは本当に良い仕事をするわね……」

三章 目立たぬ服装

 その日の戦車道もいつも通り一糸乱れぬ見事なまでの隊列行進を見せ、その状態からの行進間射撃による砲撃練習。各隊による連携強化等、今後の戦車道大会を目標としたチームの成長を目指した練習であった。いつも通りの練習だったことが私にとってはある意味不自然であった。それは部屋での出来事が未だに集中の邪魔をしてくる。自分では割り切っているつもりだったが、2度程装填速度を落としてしまい、アッサム様からの指摘を受けてしまった。いかなる時でも優雅。それが聖グロリアーナの戦車道である。私は未熟であるということを知れたことは、今日の収穫の中で最も大きかったことだろう。

 練習が終わり、タンクジャケットから制服に着替えて私は帰路を歩いた。夕方を通り過ぎた時間だというのに空は未だ少し明るく、今こそ夕方ではないかと思わせるくらいだった。ダージリン様のお傍にいる私は寮に帰るのが少々遅く、同じ戦車道受講者はいつも先に帰ってしまう。正直同じ1年生や2年生の先輩方は私の立場をどう思っているのだろう。たまに気にして今思うことがある。今夜の件もそうだ。幸い時計塔での待ち合わせを知っているのはダージリン様とアッサム様、そして私の三人だけである。

寮の私の部屋に入ると鞄を置いて、昼間にダージリン様に言われた通りの私服を探し始めた。夏の始まりにも関わらず少々肌寒くも感じたため、スカートではなく薄手のロングパンツに穿き替え、紺色のデニムジャケットを羽織った。着替えてから思い出したのだが、ダージリン様は目立たない服装で来るように言っていたため、今の服装を部屋の姿見で確認してみた。暗闇でも見つけにくいであろう今の服装は、張り込みをする者さながらではないだろうか。しかしここまでくると、私の明るい髪が目立ってしまう。そう思って普段使っていないベレー帽を被り、ダージリン様の待つ時計塔の下へと向かった。

部屋を出るとすっかり夜になっていた。私の部屋から時計塔はわりと近い位置にあるため、そこまで急ぐ必要はなかろうと、夜風を楽しみながら待ち合わせの場所を目指した。やはり少し肌寒く、今の恰好で丁度良かったと少し笑みを溢してしまう。時計塔の時刻を見るともうすぐ二十時になろうとしていた。夕食を食べる暇も無く出てきてしまったのでお腹がすいてしまった。もしダージリン様が先に着いていたら夕食を先に取れるように促してみようと思っていると、時計塔の真下に近い公園まで出てきた。こんな時間でも生徒たちは談笑に花を咲かせていたり、ベンチに座って夜風に当たっていたり、飼っているペットの散歩をしていたりと自由に過ごしている。恐らく戦車道受講者もいるだろう。というか何人かいることが確認できたが、この服装のおかげで私が戦車道のオレンジペコだということを気付かれずに済んだ。公園から出るとすぐに名物の二階建てバスや大小の馬車、レトロで可愛らしい車が行き来する大通りと煌びやかな街並みが並んでいる。学園艦ということもあり、生徒は普通に街を歩いているし、店の半分以上の客が生徒とその家族のようだ。ゆえに陸の街とは違い、安全が保たれているのではないかと私は思う。

 この学園艦のシンボルとも言える時計塔は一般の生徒の立ち入りができないため、私もよくわかっていない。わかっていることといえば、この学園艦の基礎ができてからの建物であることと、いくつもの謎や噂があること、そして私たち一般の生徒の待ち合わせ場所ランキング堂々の一位をずっと所持しているということだ。

時計塔の入り口は一つしかなく、そこを待ち合わせ場所にしているのは暗黙の了解というものだ。恐らくダージリン様が指定した待ち合わせ場所もここだろう。私服の生徒は他にもおり、これから食事をする人たちが大半だろう。私がこの場所に着いて数分後には人波は半分くらいになり、遂に二十時を過ぎてしまった。まだかまだかと少し心配していると、自分の真後ろから自分を呼ぶ声がした。振り返ると紺色のハンチング帽を深く被っているが自慢の金髪が漏れている頭に、服装は涼しげなブラウスを着てサスペンダーの付いたスカートを穿いている。イメージで言えば、一昔前のイギリスの裏路地にいるような男の子だった。このボーイッシュな方がダージリン様と気が付くのにはそれほど時間は掛からなかった。

「お待たせして申し訳なかったわね。夕食は食べたかしら? そう、丁度私もまだ食べてないから、そこで軽く何か食べていきましょうか」

そう言って時計塔の斜め向かいにあるテラスが付いた照明が明るく雰囲気も良いカフェレストランに向かうのだった。

四章 観察眼

 食事中の会話はいつも通りで、ほとんどが戦車道の話だった。優勝した大洗女子の話、大洗に敗れた黒森峰の話、サンダースやプラウダをはじめとした各強豪校の話。おそらく今夜起こるであろう事件についてはふれてはいないのだろう。もしかするとダージリン様は私が切り出してくるのを待っているのではないだろうかと思っていると、食後の紅茶が運ばれてきた。その時ダージリン様はこう言った。

「ベイカー・ストリート・イレギュラーズはご存知?」

 私はこの問いかけに返事はしなかった。理由は確証がなかったからだ。後で調べて分かったことなのだが、『ベイカー・ストリート・イレギュラーズ』とはかの推理小説家で有名なコナン・ドイルが生み出した世界唯一の顧問探偵シャーロック・ホームズが捜査の際に使っていた浮浪児集団のことを指すらしい。物語では警察よりも有能でより広く、子供であるから大人では入れない視野を探ることができるためホームズは重宝していた。ダージリン様曰く、今日の服装のイメージはその『ベイカー・ストリート・イレギュラーズ』だそうだ。

「目立たない服装で来てほしかったのは事実よ。流石はオレンジペコね。私が言った通り、いえ、それ以上の出来栄えよ」

 正直褒められているのかどうかわからなかったが、とりあえず「ありがとうございます」とだけ答えた。

「こういった格好を着てみて気付いているでしょうが、私たちはこれからあの大量の茶葉を盗んだと思われる犯人に会いに行くの。何かは起きるでしょうけど、恐らく危険はないと思うわ。アッサムのデータ主義からくる心配性は仕方のないことね」 

 ダージリン様のこの言葉はいつもの冗談と受け取るには目の色が違っていた。それでも私には疑問がいくつかあった。

「でもダージリン様? どうして私も一緒に? いえ、決して嫌だとか怖いとかではなくてですね……」

「『大切なことは、疑問を持ち続けることだ。神聖な好奇心を失ってはならない。』」

 アインシュタインの格言を用いたダージリン様は紅茶を口にして私の反応を楽しんでいる。

「……とはいえ、何の理由で連れてきたのかくらいは少しぐらい教えてあげてもよくてよ? 戦車道以外の面で私という人間を知って、今後に生かしてもらうためよ。貴女は私が戦車道隊長ということは重々承知でしょうけど、それだけでこの船の進路や設備を自由にできると思っていて?」

 私は聖グロリアーナの学園艦しか詳しくは知らないが、船舶科という学科が存在し学園艦という巨大な船はその学科によって動かされると言っても過言ではない。動かしているのは船舶科の生徒ということは私も知っている。事実知り合いの何人かは船舶科に属しているからだ。しかしダージリン様の質問によって、これまで見向きもしなかった疑問に初めて光を当ててみた。するとどうだろう。誰が船の行き先を指示しているのだろうか。別の学科、生徒会長、そして今目の前にいる先輩が候補として挙がった。

「貴女の考えている推理の殆どが正解ではないと言っておきましょうか。あまり多くを語るとつまらないもの。『多くの言葉で少しを語らず、少しの言葉で多くを語れ。』」

  数学者であり哲学者、ピタゴラスの格言である。しかしお陰で推理の材料はあの部屋の中で得たことよりもはるかに多く得た気がする。

 つまりこういうことだ。ダージリン様は今回の学校全体を巻き込んだ事件のあらすじをすべて理解したうえで犯人を捕らえ、その場に私を同行させる。そうすることでダージリン様をよく理解し自身を成長させる。この意図の裏側にはきっと何かがあるはずだ。しかし私にはそこまではわからない。自分で答えを見つけるにはおそらくこれから起こることをしっかりと理解し覚えておく必要があるのだろう。

「流石ねオレンジペコ。やはり貴女は将来有望よ。では、貴女の今回の事件についてどう考えているかしら?」

 私の考えは大きく分けて二つある。一つは号外に書かれていたように何者かに盗まれた。しかし動機が分からないためこちらの考えはないと思っている。しかし二つ目の考えはもっと考えにくいが、投棄されたということだ。もし真実だったらこれは聖グロリアーナの生徒であれば誰でも激怒し許されざる事件となる。ダージリン様がどのような推理をされているかわからないが、わざわざ自ら犯人を捕らえに行こうとしている姿勢から、私は二つの憶測を考えてみたのだ。

「そう。ありがとう。参考にはなったけど、貴女の推理は貴女のものよ」

 私の話をダージリン様は黙って眼を瞑りながら紅茶片手に聞いてくれた。その表情は私が言葉を述べるにつれて口角をおろしていった。

ダージリン様が紅茶のカップを下した時、テラスの真横に一台のハンサムと呼ばれる二輪馬車が止まった。

「お待たせしました。ダージリン様、こちらの馬車でよかったんですか?」

 夜に紛れ込むような黒くまだ幼いだろう馬に見とれていた私だったが、馭者の声を聞いてはっとした。その馭者の顔をよく見ると、同じ戦車道受講者でマチルダⅡの車長のルクリリ様だった。革のハンチングを被っており、ワイシャツとベストを着ているため、馭者を本業としている人みたいだった。

「ええ。服装もそれっぽくていいわ。事前に渡した地図のルートをこの馬車で廻ってきてくれたかしら?」

「はい。それにしても、なぜあんな遠回りを?」

 ルクリリ様もわかっていないらしいが、一緒に行ってくれるみたいだから私としては心強かった。しかしダージリン様はルクリリ様の質問には無言で笑みだけ見せて返事をし、私たちはカフェレストランを出て、ルクリリ様の走らせる馬車に乗り込んだ。

「ところでダージリン様? 今からどちらへ向かうのですか?」

「この学園艦の顔であり、今回の事件の発端でもある、聖グロリアーナの紅茶保管倉庫の近くまでよ」

 ルクリリ様が「はっ!」と声をかけて馬に一鞭与えると馬車はゆっくりと動き始めた。

 

 

五章 馬車にて

 私たちを乗せた馬車はまもなく紅茶倉庫の近くまでやってきた。馬がまだ幼く歩幅が狭いためそこまでスピードが出ていなかった。もう倉庫まで目視で確認できるくらいまで近づいたが、周囲はお祭りでもやっているかの如く眩しい。隣に座っているダージリン様はそれを見て、風紀委員と生徒会が合同で捜査をしていると言っていた。そして馭者役のルクリリ様にこう言った。

「そろそろ例の場所ね。行きましょうか」

 私にはわからなかったが、ルクリリ様は返事をして馬車のランプを消して倉庫へ向かう道を逸れて広いが人気が全くない道へ馬車を向けた。両端を深い林で挟まれているため道は暗く不気味である。唯一の救いは雲一つ無い晴れ渡った夜で、空には無数の星々と大きな満月が顔を出していたことだ。

「さてオレンジペコ。今度は私の推理を少し聞いてもらえるかしら?」

 月の光で照らされたダージリン様の横顔は怪しく笑っており、私にはそれがどこか美しくも見えた。

「貴女は先ほどのお店で投棄されたって推理を持ち掛けたけど、『ボストン茶会事件』って知っていて?」

 ボストン茶会事件とはアメリカ独立革命の象徴的とも言える事件の一つで、当時イギリスは今のアメリカのマサチューセッツ州のボストンをも植民地としており、植民地人はイギリスの植民地政策に対して憤慨し、停泊中のイギリス東インド会社の船に忍び込んで積荷の紅茶が入った箱を海に投棄したという事件である。

「待ってくださいダージリン様! 確かに聖グロリアーナ女学院は系列校がいくつもありますが、その学校の方たちもそんなことをするとどうなるかくらいわかっているはずでは?」

 ボストン茶会事件の話を聞いた私は驚きのあまり声を大きくしてしまった。しかしダージリン様は驚く様子を見せず、代わりにルクリリ様が驚いた声を出したようだ。

「あら。貴女の推理の一つはあくまで想像上のものだったのかしら? それに話は最後まで聞くべきよ。何も誰かが学校を独立させるために紅茶を投棄しにわざわざこの学園艦に潜入したとは言ってもないし思ってもいないわ。貴女の言う通りそんなことをしても独立どころか廃校問題になるでしょうし。それよりも盗まれたという推理のほうが確率的にも圧倒的に高いはずよ。そして盗んだ犯人は未だ茶葉を傍に置いているはず」

「やはり教員に知らせるべきでは?」

「いいえ。茶葉を盗んだ犯人はこの学園の生徒よ」

 驚きで声が出なかった。ルクリリ様は馬蹄が地面に触れる音で聞こえなかったようだ。しかしダージリン様ははっきりと犯人は生徒と言っている。それだけは明らかだ。

「正確には一部の生徒たちね。動機は彼女たちに直接聞いてみるのがいいでしょう。オレンジペコ、倉庫の周りには怪しい足跡や車の跡はなかったって聞いたわよね?」

 確かにアッサム様の情報では間違いなく怪しい点は見つからなかったと聞いた。

「それはね、学校指定の靴を皆が履いていてその場には生徒しかいなかったことを意味するわ。倉庫で車を使うのは運搬時よ。その犯人とも呼べる生徒たちは堂々と運搬用の車を使って、茶葉をある場所に隠した。貴女も見たことがあるでしょう?クレーンが付いた倉庫にある車を」

 確かに見たことはある。実際に動かしているところも。丁度この道をぎりぎり通れるくらいの大きさで、倉庫には同じ車が何台かあったが、他の種類の車は無かった気がする。そして何より、事件直後の倉庫にも全ての車がちゃんと倉庫の駐車場にあった。  

「実はね、あのクレーン車。同じ車両が別の場所にもあるのよ? オレンジペコ、聖グロリアーナの学園艦では紅茶の栽培は確かに数も少なく希少で有名よね? でも、もう一つ栽培しているものがあるわ」

「キュウリですね」

「ご名答! 英国では貴族の間で古来よりキュウリを愛していたわ。そして聖グロリアーナでは年中新鮮で上質なキュウリを栽培しているわ」

 あまり知られていないが、聖グロリアーナの名物の一つにキュウリが挙げられる。ダージリン様がおっしゃる通りイギリスでキュウリといえば貴族だけが口にすることができる云わば一つのステータスだ。とはいえ栽培している量は紅茶ほど多くなく、一般的に流通することは少ないため生徒たちくらいしか食べたことはないらしい。

「茶葉を盗んだ犯人たちはキュウリも盗むはず。そして茶葉とキュウリの両方をこの学園艦から別の場所へ移すでしょうね」

「でもダージリン様? それがわかっているなら、なんでこんな暗い道を馬車で通るんですか? 確かに歩くよりも速くて楽ではありますが、車で明るい道を通った方がキュウリの栽培場へ早く着きますよ?」

 カフェレストランを出てからどれくらい経ったかわからなかったが、もしも目的地がキュウリを栽培している学園艦船尾の方向であれば明らかに遠回りである。

「気付かないのかしら? この道を通っていて貴女はすれ違う人を見かけた?」

「そういえば見てませんね。一般道からは少し離れていますし、そもそもこんな道を通る理由なんて……」

 私は言葉を文字通り飲み込んだように声を出して言いかけた言葉を止めた。するとダージリン様はこう述べる。

「そう! 茶葉は車に乗せられここを通ったのよ。この道なら滅多に人に出会うことはないし、見つかる心配も殆どない。ただここを馬車で通っている理由は全く別でね。車のエンジン音よりも馬車の音のほうが小さいでしょう? もし誰かに見つかってキュウリ畑に行けなかったら台無しよ。静かに、そして少しでも早く着くための手段ということ」

 こんなことまでして茶葉を盗む理由が私にはわからない。ダージリン様は予想できているのだろうが私はそれを聞けなかった。

 その後ダージリン様は暗いながらも周囲に人や怪しいものがないか探していた。私もそれを真似てみたが、結局それらしいものは見つけられなかった。すると突然ダージリン様の携帯電話が小さく鳴る音がした。

「もしもし。ええ、一緒よ」

 電話の向こうにいるのはアッサム様だとすぐに気付いた。確かアッサム様は外せない用事があると言っていたが、緊急の用事だろうか。

「そう。わかったわ。生徒会への報告、お願いね。それから……」

 何か言ってからダージリン様は通話を切った。そして電話の内容はこうだった。

「GI6からのお知らせよ。明日の明朝来る輸送船はこの学園艦で荷物を下した後北九州に行くらしいわ」

 やはりアッサム様からだったようだ。電話を切ってからのダージリン様の顔は上機嫌で、知らない歌を口ずさんでいたが、私には理由が分からなかった。

 

 

六章 御覧じろ

 キュウリを栽培して保管している場所に着いたのは22時を過ぎたくらいだった。それはルクリリ様が教えてくれたので間違いない。馬車を降りてダージリン様は周囲を見渡してルクリリ様にこう言った。

「ご苦労様。馬車はちゃんと返して頂戴ね。それから明日の早朝の練習は中止にするから家に帰ってゆっくりなさい。それじゃおやすみ」

 ダージリン様は倉庫近くの車に向かって真っすぐ歩いていく。

「じゃあペコ、気を付けて」

「ルクリリ様、ありがとうございました」

 そう言って私は頭を下げて馬車で帰っていくルクリリ様を見送り、ダージリン様の後を追った。

キュウリは学園艦の外にある特殊なビニールハウスの中で育てられている。そのため今私たちの目の前にはいくつものビニールハウスが並んでおり、その先に見える建物が栽培されたキュウリを保管する倉庫になっているのだ。そしてその横にクレーン車が四台停まっている。

クレーン車の荷台に乗り込んでダージリン様はポケットからペンライトを出して四つん這いになって何かを探し始め、「オレンジペコは誰か来るかもしれないから見張ってて頂戴」と言って私に見張りを命じた。とはいえ周囲が暗く、見張りの意味があるかどうか少し疑ってしまった。そんな中で気が付けばダージリン様は他の車の荷台に入り込んでいた。一体何を探しているのだろう。そんなことを思っているとダージリン様は叫んだ。

「見つけたわ! これこそ動かぬ証拠!」

 荷台から飛び降りたダージリン様は嬉しそうに私に掌を見せてきた。そこには運搬中に零れたのであろう、ほんの一摘まみ程度の茶葉があった。それを拾い上げて香りを確かめると確かにいつも入れている紅茶の香りがした。すなわちこの車は本来茶葉を栽培している場所のクレーン車ということだ。

「じゃあここに消えた茶葉が?」

「倉庫の中のようね。アッサムの話だと、すでにキュウリを栽培している生徒は帰宅しているようだけど」

 ダージリン様は倉庫の入り口を離れて周囲に何かないかと探し始めた。するとまもなく何かエンジンのような音が聞こえた。ビニールハウスの向こうに何台かのバイクが停まったようだ。

「お出ましのようね。オレンジペコ、見つからないようにしっかりと身を屈めなさい。そう、そして合図で飛び出すわよ」

 私は息を殺して見つからないように身を屈め、ダージリン様は物陰に隠れてバイクから降りた複数の相手を見極めようと覗き見る。足音が近づくにつれて心臓の音が大きくなるようにも思えた。別に悪いことをしているわけではないのに、変な緊張感のせいで少し汗もかいてくる。

 暗闇の中で倉庫の大きな扉が開く音が聞こえた。他にも車に乗り込む音や何かを転がしている音、走る音、さまざまな音の中で私は聞きなれない声も聞くこともできた。そして車が動き出す。ダージリン様はどうやら一部始終を見ることができているのだろう。私と同じように息を殺して飛び出すタイミングを見ているのだろう。車のクレーンが動く音が聞こえた。まだだろうか。ダージリン様の後ろにいる私には何が起きているのか音だけで判断するしかなかった。車の荷台に何かが乗せられる鈍い音がした。恐らく茶葉とキュウリを受け渡しの場所まで運ぼうとしているのだ。まだだろうか。相手が車に物資を乗せるまでの時間は短く、手際がかなり良かったため手練れともいうべきだった。徐々にダージリン様にも焦りが見えてきたようだ。このままでは逃げられてしまう。再びエンジン音が聞こえた。今度は車の音のようだ。咄嗟にダージリン様はその場を走って離れ、そうかと思うとすぐに戻ってきた。そしてそのまま車が4台とも茶葉とキュウリを乗せてどこかへ行ってしまう。

「ダージリン様、どうしましょう?」

 車が行ってしまったのを確認してダージリン様は堂々とその場で立ち上がり体を伸ばす。何だか気分がよさそうにも見える。

「さて、今日の捜査はこれで終わりね。付き合ってもらってばかりで悪いけど、明日の明朝5時にまた時計塔まで来てもらえるかしら? 服装はそのまま当校できるように制服でね」

「ではダージリン様、先程立ち上がった時に何かしたのですか?」

 ダージリン様は笑いながらこう答えた。

「細工は流々仕上げを御覧じろ、よ」

 

 

七章 明朝の時計塔

 私が部屋に帰ったのは二十三時前だったのは覚えている。ダージリン様と先のキュウリ栽培場での出来事のすぐに車通りのある道に出て、バスが来るのを待っていた。と言ってもバスは五分くらいで私たちの前に現れ、そのままそのバスに乗ったので待っている時間はとても短く感じた。バスの乗客にはさすがに生徒は少なく、お店や施設の職員たちが帰宅のために乗っていたのだろう。最初の待ち合わせ場所の時計塔の前でバスは停止し、ダージリン様は立ち上がって、「私はここで降りるわ。それじゃあさっき言った通り、明日の朝またここで」と言ってバスを降りた。私は返事とおやすみなさいの挨拶をして帰路に向かうダージリン様を見送った。しかし部屋に帰ってから気付いたのだが、ダージリン様の部屋は確か時計塔から少し離れてり、最寄りのバス停も違ったはず。どこかに寄るつもりだろうか。しかし時間はもう遅い。不思議だ。私はというと寄り道をせず自分の部屋に向かった。幸い私の部屋から最寄りのバス停までさほど距離はないため今帰ってこられたというわけだ。

 今日一日は正直戦車道の訓練よりも疲れた気がする。私は部屋についてすぐにシャワーを浴びるため浴室に向かった。いつもならシャワーではなく浴槽にお湯をためてゆっくり一日の疲れを癒すのだが、今日は時間が惜しい。というのも図書館で借りてきた詩集を読みたいためである。一日の日課として宿題と予習を終えてから就寝前に詩集を読むようにしているのだ。たまに小説など読みたくなるのだが、読み始めると睡眠時間を削ってしまうこともしばしばあるので今日のような日は絶対に読まないようにしている。

浴槽から出て気付いたことがある。今日は詩集ともう一つ小説を借りてきてしまったのだ。きっかけはあのベルガモットの香りが付いた栞と読書カードに記載されていた最後の名前だ。まあそのことは明日学校で話すとして、今は借りてきた詩集を読むことを選んだのだった。

翌朝私は眠る直前にかけた目覚まし時計に起こされた。時刻は4時過ぎだったため、まだ外は薄暗く、周囲の音は何も聞こえないくらいだった。顔を洗い、歯を磨き、身支度を整えて私は朝食をとらずに部屋を出た。日の出よりも早い時間の外は涼しく夏とは思えないくらいだった。時計塔へ向かう道も誰もいなくて、公園にも人影が見当たらない。昨日の夜の輝きはどこへ行ってしまったのかと思うほどの寂しさを出す大通りを抜けて、昨日ダージリン様と待ち合わせしていた場所に着いた時間は4時50分になったところだ。ここから見ても人影もバスも馬車も一般車も見えない。などと思っていると聞きなれた音が聞こえてきたのでそちらを向いた。車道に響く履帯の回る音。こちらに近づいてくる私にとって身近な乗り物とも言える戦車の影が見えた。姿を見せたのはローズヒップさんが搭乗するクルセイダーだった。しかし誰が操縦しているのだろう。クルセイダーは聖グロリアーナが所有する戦車の中で最もスピードが出る戦車だ。因みに私が好きな戦車堂々の一位である。

「おはようオレンジペコ。さあ乗り込みなさい。現行犯で捕らえに行くわよ」

 キューポラから姿を見せたのはダージリン様だった。私は軽い挨拶を済ませてクルセイダーに乗り込み、操縦席にはアッサム様が座っていた。

「オレンジペコ、おはようございます。昨日は大丈夫だった?」

「はい。ちょっと驚きの連続で疲れが残っていますが、大丈夫です。操縦代わります」

 戦車の中では昨日のお互いの出来事を報告した。私はダージリン様と同行していたため、アッサム様の別行動を聞く形になっていた。やはりGI6、情報処理学部第六課として動いてくれていたそうだ。しかし今回はアッサム様だけで動いていたらしく、部長のグリーンさんも同じ一年生のフレミングさんも別の諜報捜査のためそもそも学園艦にはいなかったそうだ。今は目的地に向かうため、アッサム様からはそこまで詳しく聞けなかったのでその話はまた後日ということになった。

「ダージリンの指示通り生徒会と風紀委員にはすでに連絡を入れています。恐らく現場は今……」

 アッサム様の説明の途中だったが、ダージリン様は叫んだ。

「ペコ! 速度を上げなさい! Hurry up! どうやらもうすぐ始まりそうよ!」

 ダージリン様は私を急かした。それもそうだろう。聞けば水平線にはすでに朝来る予定の輸送船が光を浴びて現れたようだ。私はあまり慣れていない操縦で精いっぱい急いだ。すると向かっていた輸送物資の受け渡し場所が見えてきた。

 

 

八章 光あたる

 目的地である普段通り輸送船から物資を受け取る港のような作りの施設に着いたのは、ダージリン様が叫び始めて三分くらい経ってからだった。クルセイダーでそのまま突っ込むように言われたのでそうしたのだが、横でアッサム様は必死に止めていたのを覚えている。そしてついに犯人と私たちは対面したのだ。しかしすでにどうやら別の生徒たちが何人かその場を収めているのに気が付いた。よく見ると生徒会と風紀委員だ。どうやら先を越されたらしい。これでは今までの我々の捜査が無駄になったようなものだとこの時は思った。

「ご苦労様。ちゃんと張り込みをしていてくれたようね」

 キューポラからダージリン様は戦車を降りて、朝日に照らされる生徒たちの前に歩み出る。思っていたより犯人と思われる生徒は多く、一クラス弱くらいはその場にいて全員がダージリン様を険しい目つきで見ている。そしてその中の一人が一歩出て私たちの前で声を聞かせてくれた。

「私たちはここであの輸送船から荷物を受け取るためにここにいるのですが、なんだって生徒会や風紀委員がいるのでしょう? しかも貴方方戦車道受講者は朝練があるのではなくて?」

 この時私は目が覚めた。私はこの声の主を知っている。恐らくここにいるすべての人間が知っているはずだ。何故なら――

「貴女の言葉にはいくつか足りていない言葉があるようね。確かに受け取る役目もあるでしょうが、貴女の真の目的はそこに箱詰めされた盗まれた紅茶やキュウリをあの輸送船に渡すことでしょう? 紅茶管理部部長さん」

 声の主はこの学園艦で栽培、加工された茶葉を管理する部署の総括である紅茶管理部の部長だった。そして周囲の生徒はその部長の下で同じく紅茶を管理している生徒たちだ。

「ご冗談を。この箱は私たちが来る前からすでに置いてあった箱ですわよ? 私たちが到着したのは生徒会たちが来るほんの直前で、私たちはこんな箱の中身なんて存じませんわ」

 箱の数は全部で八つあり、それぞれ大きさは異なっている。一番大きな箱で恐らく一辺が2メートルくらいの正方形の箱で、小さいものでも人が一人入れるくらいの大きさの箱だ。どちらも頑丈そうな木でできており、天地無用や取扱注意などの表示が大きく張られている。開けるにはバールのようなものが必要だろう。

「いいえ。貴女方はこの箱をご存知のはずよ。昨日夜遅くまで紅茶やキュウリをこの箱に詰めていたようですし。その証拠に貴女方全員の服装は制服なのにセーターのしわがいくつもある。きちんと身だしなみを整えているのであれば、畳むか干すかするでしょう。恐らくセーターのままこの近辺の布団のない部屋で雑魚寝でもしたのね。貴女のセーターの袖に赤い糸くずが付いているわ。それに淑女たるもの朝目が覚めると顔を洗い、歯を磨き、髪を整えるのが常識というのに、貴女方の髪は乱れ目の下に薄いクマが見えるわ。十分な睡眠をとれなかった証拠よ」

 全員が返す言葉がなかったのか、その場は一気に静まり返って鳥の鳴き声くらいしか聞こえなかった。

「見事な観察能力をお持ちのようね。流石は聖グロリアーナ女学院戦車道隊長ダージリン様。ですが、あの箱の中身が紅茶という証拠はどこにあるのでしょう?」

 素直なのか皮肉なのかわからないくらい自然な笑みを見せた首謀者を見てダージリン様はそれ以上の笑みを見せた。まさにこの時を待っていたかのように。

「実は私、昨日の晩キュウリを栽培しているビニールハウスに行きましたの。ここにいる優秀な後輩と二人でね。その時貴女方がキュウリ倉庫から茶葉とキュウリをクレーン車に乗せて持ち去る姿を見てしまいましたわ。ここにそのまま持ってくると確信は持っていましたし。そしてその時一瞬の隙を見て茶葉の入っている袋に私の携帯電話を忍ばせましてね。」

 相手は一瞬たじろいだように見えた。確かにダージリン様の言葉は事実で私も証人として声を上げた。するとダージリン様は私の携帯電話からダージリン様の携帯電話に電話をかけるように命じた。私はすぐに言われた通りにすると、大きい方の箱の中からブリッテッシュ・グレナディアーズが微かに聞こえた。ダージリン様の着信音だ。音が聞こえる箱を開けようと風紀委員が開けようとするが、素手では全く開く気配もなく、ダージリン様は一言「お待ちなさい」と言って止めた。

「無くなった紅茶が見つかって本当によかったわ。でもダージリン様? こんなことをした犯人が私たちだって証拠はどこにあるのでしょう? もしかして私たちの服装がそうだとおっしゃるのなら、それは勘違いですわ。確かに乱れておりますが、こんな状況ですので私たちは独自で捜査しておりましたの。夜遅くまでしていたので家に帰る暇もなかったので、丁度輸送船の荷物を受け取るこの場所の倉庫の部屋で仮眠を取っていたのですわ。ここにいる紅茶管理部の生徒全員が証人です」

 どうやらこの人は最後まで嘘を通そうとしているようにも聞こえた。周りの反応もどちらが正しいのかわからなくなったようだ。勿論私はダージリン様を信用している。そのダージリン様はしばらく目を瞑って相手の話を聞いていたが、突然乗ってきたクルセイダーにコンコンとノックした。

「アッサム、砲撃用意」

 私を含めた周囲がざわついた。

「何をするおつもりですか!?」

 一歩前にできていた首謀者も流石に一歩引いた。うねりを上げて砲塔が旋回し始める。照準は先程携帯電話の音が鳴った箱のようだ。操縦席からアッサム様の表情を見ると、戦車道をしている時の聖グロリアーナが誇る名砲手の顔だった。

「発射!」

 ダージリン様の声で轟音と共に砲弾が発射された。勿論砲弾は戦車道で使用されている実弾である。弾道は確かに照準通りダージリン様の携帯電話が入っている箱に当たった。しかも上部分を狙ったようで、丁度蓋となっている部分を綺麗に吹き飛ばしていた。すぐにダージリン様はその箱の中を確認しようと小さい箱によじ登り、大きい箱の上を歩いて蓋の空いた箱を覗きこんだ。風紀委員の生徒の一人が、中身が盗まれた茶葉であることを大きな声で報告し、箱の中に入り込んでダージリン様に携帯電話を手渡ししたのを確認できた。

「アッサム。次弾装填」

「な!? 気は確かですの!?」

 箱から降りて首につけている無線を通してダージリン様は声を送ってきた。戦車内に戦車の中ではアッサム様は無言で次の実弾を装填している。そしてすぐまた砲塔を回転させ、今度は一番端の小さいほうの箱に照準を合わせた。

「いくら対人用センサーが施されている実弾だったとしても、これだけの至近距離で人に当たれば……」

「わかった! わかりましたから! どうかその箱には撃たないでください!」

 ダージリン様の冷ややかな台詞を遮るように部長は泣き叫びダージリン様の足にしがみついた。その時全ての小さな箱の内側から箱を叩く音と人の叫び声が聞こえた。

「生徒会と風紀委員のみなさん。これが証拠で犯人はここにいらっしゃる紅茶管理部の方々ですわ!」

 

 

九章 ワン・フォア・オール

 近くの倉庫の備品のバールを拝借して何とかすべての小さい方の箱を開けると、中から聖グロリアーナの生徒が出てきた。出てきた生徒は涙目でこちらを見ており、主犯とも言える部長殿も涙目だったが箱の中にいた生徒とは違った涙目で、なんというか悔しささえ感じられた。

「貴女方は九州出身だそうね?」

 ダージリン様は部長殿に尋ねる。問われた相手は驚いてダージリン様を見たがすぐに目線を反らした。

「オレンジペコ。聖グロリアーナ女学院の有名な校風を上げるとすると、どんなものかしら?」

 アッサム様と私はクルセイダーから降りてダージリン様の横に立っていた。そして私はその場でこう答える。

「はい。学業はもちろん、スポーツや芸術、ボランティア活動に邁進することが奨励されています。そのため多才で気品ある淑女を要請することに特化していると……」

「その通りよ。特にこの人はね、ボランティア活動に熱心で学校側から賞賛されるほどなのよ。アッサムが調べてくれたわ」

 それを聞いたわたしはアッサム様のほうを向いた。アッサム様は何も言わず目を瞑って肯定の意を表すとダージリン様は話を進める。

「貴女は近年の異常気象で起こった大雨と洪水による影響で自衛隊が派遣されるほどの大災害があった北九州地方の支援物資として茶葉とキュウリを送ろうとした。理由はボランティアであることは確かだけど、貴女がその地方の出身者であるから。違うかしら?」

 再びダージリン様は尋ねた。相手は歯を食いしばりながら頷きこう答えた。

「お願いします。あの輸送船にこの物資と私を乗せてください。無理は承知の上でございます。

 確かにダージリン様のおっしゃる通り、私は北九州出身で数週間前にあの大洪水で被害を受けた町には家族がいます。幸い身内は皆無事でしたが、死者も少なくはなく行方不明者も未だ何人も見つかっておりません。そんな災害を知ったのは母からの知らせで、私はすぐに生徒会を通して支援物資をおくるようにしました。その時は紅茶やお菓子を送ることができました。それは皆さんもご存じでしょう。他の学校や企業、有数のボランティア団体も物資を提供してくださったそうです。しかし災害の被害は広かったのです。すぐに復興できたと世間では公表されていますが、私の生まれ育った町の復興はまだ追いついておらず、ごく少数の町や村ではまだ苦しむ人がいると思うと黙っていられませんでした。復興が完了すると物資の提供は減る一方です。そのため私は今回このように独自で動きました。勿論最初は生徒会に何度かに分けて支援物資を送れるように相談を持ち掛けました。しかし許可は下りられず、管轄外の食べ物の入手も困難になりました。幸い学友がこの学校のキュウリの管理をしているため、何かと理由をつけて二度鍵を借りました。そして同じ北九州出身の後輩たちならばわかってもらえると思い今回の件を打ち明けました。ですので彼女たちに罪は一切ありません。先輩という立場を利用した私にすべて責任があります」

「生徒会と風紀委員に今回の事件の始まりを知らせたのは貴女自身ですね?」

「はい。疑いの目を他に向けさせるための情報操作のつもりでしたが、どうやらそれが仇となってしまったようですね」

 彼女の話は決して私的なものではないと私は言いたい。しかしこれは立派な横領とも言える行為ではないだろうか。決して許されることではない。しかし残された被災者たちのことを考えると同情はしたいし、彼女たちが可哀そうにも思えてきた。

「どうかお願いします。このまま行かせてください」

 歎願する紅茶管理部部長に向けて、ダージリン様はこう言った。

「残念だけど見過ごすわけにはいかないわ。生徒会と風紀委員の皆さん、この茶葉とキュウリを元あった場所に戻しておいてくださるかしら?」

 生徒会はどこかへ連絡するためにその場を離れた。風紀委員は運搬用の例のクレーン車を動かそうと紅茶管理部の生徒から車の鍵を借りたようだ。その表情は青ざめており、中には泣き出してしまう生徒もいた。部長殿は唇を噛み締めて涙をこらえていた。そしてダージリン様はこう続ける。

「オレンジペコ。戦車道受講者用に保管している紅茶とお茶菓子は、あとどれくらいの備蓄があるのかしら?」

「昨日の時点では約二か月分あります。次の納品は明後日に一週間分入る手筈になっています」

「ではその二か月分全て北九州に空輸するようにして頂戴」

 誰もが驚いた。というより耳を疑ったようにも思える。私は一瞬沈黙を置いてダージリン様に質問を投げかけた。

「ダージリン様? 空輸するといっても、空輸用の飛行機を手配するのは……」

「サンダース大学付属高校のケイさんにお願いしてみては? 佐世保は北九州のはずよ。恐らく北九州の現状は理解しているはずでしょうし、サンダースなら今も物資を送っているはず。それに便乗させてもらいましょう」

 ダージリン様の返答は的確で素早かった。さらにあの方なら間違いなく承諾してくれるだろうと私も思ったくらいだ。

「というわけで、今回はあきらめて頂戴。では後のことは生徒会の皆さんにお任せして、私たちは少し早いけど学校へ向かいましょうか。朝食をとっていなかったのでそろそろお腹も空いてきたところよ」

 先程までの緊迫した状況からはかけ離れたようなのんきなことを言って私たちは戦車に乗り込んだ。

「そうそう紅茶管理部部長さん。貴女にこの言葉を送るわ」

 その場で膝を付いて項垂れていた今回の事件の主犯にダージリン様はこう言った。

「不正は何人をも真に利せず、正義は何人をも真に害せず」

 

十章 もう一人の捜査

 かくして無事に今回の事件は解決したが、私としては今回の犯人がどうなったのか、盗まれた紅茶がどうなったのかをお伝えするより前に読者の皆様には是非お伝えしておきたいことがある。それは私たちとは別行動をとっていたアッサム様のことについてである。ダージリン様はアッサム様の電話がなければ犯人の動機はおろか、人相さえも捕まえることができなかったと後に語る。この章は私が後にアッサム様から直接語ってもらった同じ夜のもう一つの物語である。

時刻は丁度私が自分の寮の部屋に戻ったのと同時刻くらいだったそうだ。アッサム様は未だ校舎に残っており、GI6の自分の机でノートパソコンを開いて現場の写真を入念に調べていたそうだ。倉庫付近の足跡のことで気になったことがあったらしい。足跡の大きさはほとんど皆同じで、間違いなく学校指定の靴の底だったためこの時点でアッサム様は足跡の主が生徒ということを知っていたのだろう。さらに足跡の作りが浅かったり深かったり、踵だけ深かったり内側、外側に足跡が入り込んでいる様子から、足跡の主が複数人いることにも着眼していたらしい。このことからアッサム様は、容疑者は生徒ではないかと絞り込んだ。次に車のタイヤについてもおなじように入念に調べていたらしい。倉庫周辺のタイヤの跡が運搬用のクレーン車のものということを改めて確認できたが、逆に他のタイヤの跡がなかったのだ。ダージリン様は最初から車の所有箇所を知っていたため、キュウリ倉庫のクレーン車と入れ替えたというトリックを見抜いていたが、アッサム様は逆に使用された車がそのクレーン車のみという点から運搬方法は間違いなくクレーン車によるものだと判断したらしい。しかし次の動きは完全にアッサム様の単独行動となる。生徒が何のためにクレーン車で茶葉をどこかに運んだのかという動機と運んだ場所を中心に推理していたらしい。

 アッサム様が次に調べたのは紅茶の具体的な価値や流通先についてである。このことは生徒会が詳しいと判断し、ノートパソコンを持って自分の席を離れ生徒会役員が集まる教室を訪れたそうだ。そこで生徒会の生徒に紅茶の価値を問うと、号外にも書かれていたように異常気象の影響で去年の七割程度しか作られなかったため、特級の紅茶には値段も付けられるはずもなく、唯一流通されたのはボランティアによる被災地である北九州に焼き菓子と共に特級を一部含んだ完全オリジナルブレンドの茶葉約百㎏を二回だった。そして聞き込みの中でこんな言葉を聞いたらしい。

「ある生徒が支援物資の配送をもっと増やし頻繁に行いたいと言っていました。」

 アッサム様はこの些細な言葉で、犯人は紅茶を被災地に送るために今回の騒動を起こしたという可能性を見出した。半ばギャンブルのような推理ではあったそうだが、ついでに生徒会に直近で寄港する港の場所と日時と、この学園艦に来る輸送船の情報を提供するように持ち掛けた。即答で明日の明朝に輸送船が来るということを聞けた。そしてその船の行き先が北九州ということも知ることができたので、犯人はその輸送船に紅茶を乗せるという推理を立てたのだ。

生徒会室を後にして、アッサム様は風紀委員の委員会室を訪ねたそうだ。アッサム様はそこでここ七週間以内に起きた他の盗難事件がなかったかを風紀委員に調べてもらった。しかしこちらが空振ってしまい、初め犯人は日持ちのするお菓子も盗んだのではないだろうかと考えていたがその推理は大きく外れた。しばらく風紀委員のところにいて他の事件性の高いものがないかということを訪ねていると時間は経ってしまい、委員の一人が「キュウリ倉庫の鍵がまだなんですが……」という会話が聞こえたそうだ。紅茶が紛失したということで、学園艦内で栽培しているものの倉庫の鍵は風紀委員が預かるということになったそうだが、キュウリ倉庫の鍵が未だに届いていないらしい。

「きっと管理している生徒が間違えて持って帰ったのでしょう。校舎に残っている生徒はまだいますか?」

 そうアッサム様は尋ねたそうだが、風紀委員は先程校舎の見回りをしたそうだが、生徒は全員帰宅したそうだった。

風紀委員の下を退散して自分の机に再び着いたアッサム様は一件の電話を掛けたそうだ。

「もしもし、ダージリンですか? 進展です。オレンジペコも一緒ですか? 明日の明朝この船に輸送船が来るそうですが、犯人は恐らくその船に茶葉を乗せると思われます。それから、キュウリ管理の生徒が帰宅したにも関わらず鍵が行方不明となっています。私のデータでは茶葉とキュウリが抱き合わせで輸送船に乗せられる可能性が非常に高いかと。恐らくダージリンはすでに動いていると思っていますので、生徒会にはダージリンはすでに捜査を始めていると伝えておきます」

「そう、わかったわ。生徒会への報告お願いね。それから明日の明朝、いえ夜明け前から生徒会と風紀委員を輸送船が物資を渡す場所に隠すよう手配してくださるかしら? あと明日の朝五時にクルセイダーで時計塔前に集合で。問題が解き明かされる瞬間を三人で楽しみましょう?」

「わかりました。どうか無茶はなさらないように。特にオレンジペコには無茶をさせないように!」

 電話を先に切ったのはダージリン様からだったそうだ。

 以上が、私が直接アッサム様からお聞きした今回の事件のもう一つのあらすじである。私はあくまで聞いた話をここに書き記したわけだが、事実は少し変わるのかもしれないことをご了承いただきたい。

 

十一章 消える校章の解決

 事件からまだ半日しか経っていないというのに、我が校の新聞部の号外は非常に的確で理解しやすい内容のものとなっていた。これがその一文である。

 今回学園艦内を騒がせた茶葉紛失事件は紅茶管理をしていた生徒の確認ミスということが発覚した。倉庫内清掃のため渦中にあった茶葉を動かしてそのままにしていたことから紛失事件のようにも思われたが、本日明朝生徒会の生徒が登校途中に偶然発見したらしい。これにより管理部部長は責任を取る形で少し早い引退を取ることとなった。また、その日清掃を行っていた生徒たちについては後に何らかの責任を取るつもりでいるようだが、その詳細は不明。今後は倉庫により高いセキュリティを配備させこのようなミスを起こさないように検討している。

私はこの号外を読んで流石に腹を立てた。私たちの名前が出ていないのだ。今回の事件を解決したのは間違いなくダージリン様とアッサム様だというのに、何者かがそれをもみ消したのだ。

「そんな怒った顔をしないで。これが私たちなんですもの」

 いつもの部屋でアッサム様と紅茶を楽しんでいたにも関わらず、改めて号外に目を通していた私はいつのまにか怒りを顔に出していたようだ。

「でもアッサム様。これは明らかに誰かが情報を改ざんしています。確かに今回の活躍には生徒会と風紀委員の協力が不可欠でしたが、これでは全部生徒会のお手柄ということになっています!」

 号外にしわが付くぐらい手に力を入れていた私はあまりに落ち着いているアッサム様が不思議に思えた。普段のティータイムを楽しむかのように紅茶を飲むその姿はあまりに俯瞰し関心というか、事件のことを忘れてしまったのかと思えるくらいだった。

「これでいいの。これが私とダージリンのやり方。なぜダージリンが学園艦の進路を変えるほどの力があるか考えたことはある?それはねオレンジペコ、こうやって聖グロリアーナで起きた事件を解決して、生徒会に恩を着せて権限を得る。あまり良いやり方とは言えないかもしれないけど、これで戦車道は割と自由にできるし、生徒会としても名誉を守ることができる」

 アッサム様はそう言ってカップに口をつける。私は内心未だに納得がいかなかったが、本人たちが良いのならそれでも良いのかもしれないとも思った。それと同時に私は今回の出来事を忘れないようにするために何かをしたいとも思った。その時あることを思い出したのだ。

「そういえばアッサム様。この本の栞なんですが……」

 私は図書館で借りた一冊の本とそれに挟まっていたアールグレイの香りが付いた栞をテーブルの上に置いて見せた。

「あら、この栞……」

「読書カードの最後の氏名がアッサム様の名前になっていました。それでこの栞の持ち主がアッサム様だと思って借りてきたのですが……」

 アッサム様は栞を抜き取っていろんな角度から見て香りも確かめたが、本には一切触れることはなかった。確認が済むとそれをテーブルの上に置いてまた紅茶を飲みこう切り出した。

「確かにこの本は私が借りたわ。『緋色の研究』。あのシャーロック・ホームズが初めて世間の目に触れた小説よ。一応ホームズの話は全て読んだのだけど、また読み返したくなるような事件もあるのよ。今回の事件が始まる少し前に借りたのだけれど、この栞の存在は知っているけど私のじゃないわ」

 どうゆうことだろう。栞は挟んであったのに最後に借りた人のものではなかったということなのだろうか。私は不思議に思っていたが、アッサム様は少し微笑んで栞を見つめていた。するとそこにダージリン様が生徒会室から帰ってきた。

「生徒会の面目は保たれたようね。キュウリが盗まれたことも気づかれる前に処理して何事もなかったかのように見せかけたそうよ?紅茶管理部部長、ああ元が付くのかしら。その方は2週間の謹慎処分と部から除籍になったわ。表向きはとても聞こえのいいものにしたそうだけど、今回の事件の真相を知るのは学園艦広しと言えど数は少なそうよ」

 事件の末路を話してくださるダージリン様は私たちが囲んでいたテーブルに腰掛け、すぐに緋色の研究と栞に気が付いた。

「栞の持ち主の登場ですね」

 アッサム様はそう言ってダージリン様の表情を伺う。ダージリン様はというと、くすくすと笑いながらその栞と小説を手に取った。

「思った通り借りたのね、オレンジペコ」

「じゃあ本をあの位置に置いたのもダージリン様なのですか? 一体なぜ……」

「初歩的なことよ。貴女が借りたのはこの小説と古びた詩集。図書館には近々行くことを知っていた私は、敢えて見つけやすいところに古びた詩集と全く関係のない小説を隣に入れておいたの。この栞を添えてね。事件のことを知っていた貴女にとって何か引っかかるものがあったんじゃなくて?そして中を見ると借りた人の中に知っている名前があった。もっと早くこの本の話題を出してくれると思っていたけど、まあいいわ。お互いおかげで今回貴重な体験ができたはずよ?」

 確かに今回の事件は私にとってても新鮮で不思議なものだった。この小説は未だ読んでいないが、少なくとも私が今回の事件に対する関心を持つことができたきっかけにもなったのだ。

「でも残念。この栞、本当は私のものじゃないのよ」

「えっ?」

 驚いたのは私だけじゃなくアッサム様もだった。

「私はこの栞を譲り受けたのよ。ほら、この小説の裏表紙の裏を開いてみて。この名前、アッサムならわかるんじゃないかしら。」

 そこには小さな文字で人の名前が書かれており、寄贈という言葉も付けられている。すなわちこの本はこの人物が図書館に寄贈した本であることがわかった。そしてダージリン様もアッサム様も知っている人物だという。

「……アールグレイ様?」

「ええ。聖グロリアーナ戦車道先代隊長、アールグレイ様の本だったのよ。そしてこの栞はアールグレイ様のものだった。卒業前にいくつかの本を図書館に寄贈し、私はこの栞を譲り受けたわ。アッサムの何かいただいたんじゃなくて?」

「ええ。本を一冊。エドガー・アラン・ポーを」

 私も何度かその名前を聞いたことはあるが、面識はない。私がこの聖グロリアーナ女学院に入学する前に卒業した先代戦車道隊長、それこそアールグレイ様だそうだ。

「あの人もこうやって生徒会とコネクションを作っていたわ。あまり知られていないけど、これも伝統のようなものよ。」

「そういえばダージリン様。大洗女子に贈る紅茶の件ですが…」

 伝統という言葉でふと私は思い出した。我が校の校章のモデルにもなった紅茶を大洗女子に贈るという話は昨日一日中触れていなかったのだ。しかもその間に戦車道受講者のティータイムに使う紅茶の分以外は被災地に送ってしまったため、手元にある紅茶は明日の分だけ。しかも不運なことに、大洗女子が優勝記念祝賀会を執り行うのは明日の夜だそうだ。

「……私のデータによると、他にも祝賀会に贈呈品を贈る高校もあるそうですが、祝電だけという高校もあるそうです」

 すかさずアッサム様が状況を伝えてくださった。そして隊長のダージリン様は少し沈黙を置いてからこう答える。

「オレンジペコ、祝電の用意を。それとさっきOG会から連絡が入って、もう一件祝電を送らなきゃならないみたいなの。先日我が校の戦車道のOGの方が結婚なされたそうで、そちらにも祝電を送らなければいけないそうなのよ。お願いできるかしら?」

 聖グロリアーナ戦車道には三つのOG会が存在しており、それぞれ戦車の名前に因んでチャーチル、マチルダ、クルセイダーと命名されている。今回のOG会はどうやらチャーチル会の方らしく、噂ではどこかの企業の社長令嬢で聖グロリアーナに相応しいお嬢様だったそうだ。

私は二つ返事で引き受けた。とはいえダージリン様の代理としての大役であるため、簡単な言葉を選ぶことができず、やはり格言を色々と調べてみることにした。そしてある格言を見つけた。

後にわかったことなのだが、OGの方にはちゃんと私が選んだ『夫婦とはお互いに見つめ合う存在でなく、ひとつの星を二人で眺めるものである』というドイツの作家ヘルマン・ヘッセの名言を送ったのだが、こちらの名言を大洗女子にも祝電として送ってしまったようだ。それを聞いたダージリン様は怒るわけでもなく、なんと笑いをこらえるのに必死だった様子を今でも覚えている。

「私たちは失敗はしない。勉強しているだけだ」




今回初めてミステリーと言い切れないような小説を書こうとしたきっかけは、私がとあるゲーム内にてシャーロック・ホームズと出会い、かつてイギリスを訪れた際に何げなく撮った写真にホームズがあり、ガールズ&パンツァーを知ってからはイギリスをモチーフとした聖グロリアーナ女学院を推すという偶然とうか運命というか、そういったものの重なり合いでした。実際にシャーロック・ホームズシリーズを読んでみて、ワトスン博士の伝記のような文体が私にとってとても分かりやすかったのでより興味を持つことができた。特にシャーロック・ホームズの冒険は短編集でありながら、とても面白いミステリーが収録されていて、何度も読み返しています。
この短編を書くにあたって、やはりドイル氏のような書き方をしてみたいと思ったのはいいですが、誰の目線の話にするかで迷いました。特に後輩であるオレンジペコか副隊長のアッサムかで迷いましたが、探偵の立ち位置をダージリンだけでなくアッサムと二人で別個の探偵とすることで、必然的にオレンジペコの目線という形にしてみました。が、文体を敬語にするか普通の文体にするかでさらに迷ったのも事実です。オレンジペコの話口調はいつも敬語であるためそうすべきかと思いましたが、ここで『16歳ではないオレンジペコ』を作り上げることで標準語でも違和感を軽減させようと考えたので、読者の皆様にはその点をご理解いただきたく思います。
『消える校章』は私の処女作であるため誤字脱字も多いと思います。正直に言えば勢いで書いた小説なので、今後の改善を目標に次の物語も2か月以内に書き上げるつもりです。そのため読者の皆様の力を常に必要としていますので、気が付いたことや工夫するところなどがあれば教えていただきたく思っております。

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