いきなり番外編みたいなのりですみません。今回は初の一郎完全抜きとなります。
誤字修正。244様、ヒロシの腹様、kuzuchi様有難うございます!
『パパ、ママ! 早く早く』
『おい、ジェシー。そんなに慌てて転ぶんじゃないぞ!』
ハロルドは落ち着きなさげに動き回る愛娘にそう声をかけ、隣を歩く妻にやれやれと肩をすくめる動作をする。娘が興奮しているのも分からないでもない。彼もこの日を心待ちにしていたのだから。
逸る気持ちを抑え込み、威厳が損なわれないように気を付けながら彼は妻の手を取って少し足早に会場へと続く廊下を歩く。今日、この日。秘密先行上映会と言われる式典に参加できる人物は映画関係者か彼らに伝手のある本当にごく一部の面々だけだった。
この先行上映会に参加する際に、彼らは一つの誓約書を書いている。それは『決してこの映画の内容を、公開日まで漏らさない事』という物だ。会場はとある豪華客船の中のVIPルーム。彼等は格安の料金で1週間ほどクルージングを楽しみながら、公開日を迎える事になる。
その徹底ぶりに期待値はどんどん高まっていった。何せ今回のMAGIC SPIDERはつい数日前にフランス国際映画祭を騒がせたKAMEN RIDERと同じく魔法技術を全面採用しているのだ。しかも完全秘匿。何かがあると推察するには十分すぎる状況だ。
『招待状をお見せいただけますか?』
『ああ、勿論』
会場の入り口だろう、大きなドアの前に立つスーツを着た男性に招待状を渡すと、中身を確認した彼は笑顔を浮かべて会場内へのドアを開けてくれた。一言礼を言い、ハロルドは妻とジェシーの手を引いて会場内へと入る。
指定されたテーブル付きの椅子に座る。この上映会に参加している人々は誰も彼も凄い面子だ。恐らく通常の椅子ならば100人を超えて入る事が出来る会場内はその半分ほどの人数しかおらず、彼ら用のテーブルや椅子はゆったりとした、長時間の上映も苦痛なく見られるように配慮されたものになっている。
時間があれば挨拶に回りたいところだったが……壇上に若い男が登っていく。少し早い気がするが、どうやら開演時間のようだ。
『お集まりの皆さま、本日は我が――』
お決まりの挨拶スピーチ。ぱちぱちと手を叩き、内容を見守る。さて、事前に渡されたプログラムではこの後に監督の挨拶と俳優の挨拶だったか。ハロルドと同じようにプログラムを眺めている人がちらほらと見える。その様子を見咎めたのか、司会を務める若い男性が笑みを深める。
『ああ、忘れておりました。皆さまのお手元にある事前配布されたプログラムですが、もう役に立たないのでどうぞ席に備え付けられているゴミ箱にお入れください』
『なに?』
スピーカーから流れる司会の男の発言に戸惑いと疑問の声が上がる。馬鹿な。確かにこの先行上映会の為に前後の予定を1週間空けてきたが、事前配布のプログラムに従ってスケジュールを立てているというのに。連絡が取れる状況でなければ仕事に差し支えが。
諸々の場所から上がる声に司会の男は笑顔で答える。
『言葉が足りませんでしたな。勿論時間に関してはスケジュール通りです。といっても監督挨拶や俳優挨拶は後回しにしてまず上映からという意味ですがね』
その言葉に周囲から安堵の吐息が聞こえる。だが、まて。先程から喋っていた若い男の声が、急にしわがれ声になったのは気のせいだろうか。いや、気のせいなどではない。どこかで聞いた事の有る声だった。間違いなく、しかもごく最近。この映画を見る為に事前に見たマーブルシリーズの映画の中で。場面場面を思い出しながらハロルドはしげしげと彼に目を向ける。
あの人好きのする満面の笑みを浮かべた男。
『スマイリー!』
ハロルドは舞台の上に立つ若い男の笑顔を見て、頭の中に思い浮かんだ彼のあだ名をつい大きな声で叫んでしまった。あちらこちらで「スマイリー! うそ!?」「馬鹿な、若すぎる」といった声が上がる中、呼びかけられた彼は悪戯が成功した子供の様に笑って右手を上げて、中指と親指を組み合わせる。
フィンガースナップ。この1月どのニュースにも登場した有名な仕草。KAMEN RIDERが行ったカンヌでのあのシーン。頭の中を様々な言葉が駆け巡り。
指が鳴らされる。
『今宵を共にする50名の素晴らしき友たちへ』
司会の青年の姿は掻き消え。そこに立つ壮年の老人はそう言って笑みを浮かべた。
『数時間後、貴方方は観客から共犯者へと姿を変える事になるでしょう。
老人……スタン・M・リードは両手を広げて高らかに開幕を宣言する。
『エクセルシオール!!』
その日。映画評論家であるハロルドは自身のブログにこのような記載の記事を書き込んだ。
【MAGIC SPIDERを見ようと思っている人々へ。もしも貴方が来週の上映当日に幸運にもこの映画を見る事が出来たなら、貴方は私と同じ衝撃を受ける事でしょう。そして、出来れば知人で映画が好きな人物に、こう誘いの言葉をかけて欲しい。『最高だった。この感覚は説明が出来ない』と。きっと見れば理解してくれる。その時、私と貴方は共犯者となれるはずです。そして、映画を見終わった後にこう叫んでほしい】
切れ味の鋭い評論を行う彼の記事に小首を傾げながらブログを見た人々は公開日を迎え、劇場へ赴き、そして、彼の言葉の真意を理解した。彼と彼らはこの時確かに共犯者として互いを認識していた。世界を騙す共犯者達として。そして、映画を見終わった後、彼らは口々にこう叫んだのだ。
『エクセルシオール!!』と。
ハロルド:映画評論家。今後出る予定はない。
エクセルシオール:本家スタンリーの代名詞。ラテン語で「優れた」、「気品のある」あるいは「常に向上する」を意味する。今回、魔法という新ジャンルを取り入れて「向上」を果たした映画の〆の言葉に相応しいと思って連呼してみました。