空間に浮かんだゲートが消え、伸ばした右手は何もつかめずに空を切る。
『………………』
開きかけた口から、微かに漏れ出る声。少しの間の後。静かに彼は伸ばした右手を下ろす。
深い呼吸。目を閉じ、静かにその場に佇みながら。彼は震える右手を抑えつけるように握りしめる。
『…………必ず』
呼吸を繰り返しながら。唇を噛み締めながら。目を見開き、消えたゲートがあった空間に鋭い視線を向けて。絞り出すように漏れ出たその言葉が風にのる。
誰も聞くことのない宣言。誰にも届くことのないその言葉。
『――――必ず、戻る』
呟くようにそう口にして。
ハジメは何も言わずに、かつてゲートがあった場所に背を向けた。
『――我々は、復讐者だ』
決意を込めるように、アメリカの守護者はそう言った。
『報いを受けさせる。必ずだ』
弟を、親友を殺された男は静かにそう口にした。
『……やられっぱなしは性に合わん』
己の内を誤魔化すように男はそう呟いた。
生き残った者たち。生き延びてしまった者たち。ハジメの言葉を皮切りに、それぞれが言葉こそ違えど発信する”次”への言葉。失意に塗れた世界中のファンに、その言葉が染み渡るのにはそれほど時間はかからなかった。
ある評論家は言う。『MAGIC SPIDERという映画は、あのハジメの最後の言葉を持って完成したのだ』、と。
『シリーズを通して覆う絶望感。その払拭を期待されていた今作は、結果としてその期待に応えることは出来なかった。圧倒的とも呼べる出来栄えであったとしても。しかし、あのたった3分ほどの動画。あれが全ての空気を変えた。触発されるように発信されたヒーロー達の言葉もそれを後押しした』
なんども繰り返される3分の動画。デモまで引き起こし、ただの一週間で社会現象にまでなった作品は公開から1月が経った後も未だに人々の心を捉え続けている。
『だってよ10億ドルの男』
「10億言うな」
ボリボリと音を立ててスナック菓子をつまむ。ウィルがお土産として持ってきたアメリカのお菓子だが、やたらと量が凄い事を除けば程々の甘辛さが良い具合だ。右手で鷲掴みにした後、口に持っていき大きく頬張る。外では出来ないお下品な食べ方。自宅じゃなきゃ怒られちゃうね!
『正直ビックリしたよ。うちの国はまぁ、お国柄デモだとかは結構あるけどさ。映画の内容であそこまでショックを受けた人が居て、それがデモとして成立しちゃう規模にまで膨れ上がる。ニューヨークのデモ隊のニュースを見る度に胃がキリキリしたよ』
「スタンさんも今回は大変だったみたいだな。こういう事があったら大体あの人が表に出てサクッと収めちゃうイメージだったんだけど」
『下手な刺激を与えちゃいけないってのが向こうの上層部の判断だったからね。冒険者協会の方も完全にスクランブル体勢でさ。ケイティなんてデモ期間中ずっと本部に詰めっぱなしだったし』
うんざりとした、という表情で両手を広げるウィルの言葉に「ほーん」と返事を返す。
「まぁ、復讐者シリーズは冒険者協会にとっても大事な宣伝塔だしなぁ。そりゃ気が気じゃないか」
『いや、今回はどっちかというと君に対してテロだとかなにかが起きないかが怖かったんだけど』
「なにそれこわい」
『内容的に君がなにかされる可能性は低いってされてたけど、脚本家に対しての殺害予告なんて何十通来てるか分からないんだよ? 精神的に追い詰められた人間は何をするかわからない。デモなんて事が起きた段階で、世界冒険者協会本部は対テロを想定して動いていたんだ。あ、ちょっと貰うよ?』
まぁ、あの動画で全部杞憂になったけどね! ありがたいことに。と続けて、ウィルは俺の持つスナック菓子の袋に手を突っ込んだ。
「……ここ最近、奥多摩から出る用事が無かったのって」
『うん』
バリボリとスナックを齧りながら、ウィルは一つ頷いた。うん、じゃないだろ。この一ヶ月漫画見てアニメ見て木こりやってと充実した引きこもり生活が出来てたのに、裏側ではそんな事態が起きていたと……
まぁ、うん。だいたいいつもどおり、シャーリーさんが俺に影響が出ないよう尽力してくれてたんだろう。本当にあの人には足向けて寝られんな。
『僕も引きこもりたいよ。撮影にダンジョン探索。特に最近は魔樹の伐採へチャレンジしろってうるさくてね。燃やすんなら出来なくもないけどそれだと炭しか手に入らないし』
久しぶりの休暇だし、ノンビリ田舎でスローライフも良いね、と奥多摩を全力でディスるウィルに「ウィラードさんカミッカミでしたね」と返しておく。他の面々は兎も角ウィルは初心者俳優だしね。急なアドリブは難しかったんだろう。ワロス。
「まぁ、ウチも恭二がいない状況で伐採なんかやりたくないからな。あの階層、明らかにそれまでと違って階層が殺しに来てるから」
『その分の見返りも凄いけどね。アレを使って作った椅子、どうなったか聞いてる?』
「いんや。というかあんな物で家具作るとか相変わらずスケール凄いなお米の国」
あんまりにも需要と供給が合わなすぎて、結局時価でしか流通してないトンデモ材木なんだがな。魔樹。それで椅子作るのは流石にどうかと思うんだが。
『まぁ仮に値段をつけるとしたら豪邸が建つくらいの値段は付くだろうね』
「椅子で家が買える時代が来たのか。逆転現象過ぎんじゃないか?」
『それだけの価値はあるよ。だってアレ、座ってるだけで少しずつ魔力を吸収できるんだよ? 微々たる量ではあるけど、確認できる限りずっと。量が微妙すぎて魔力エネルギーとしては使いにくいけどね』
件の椅子はなんでも、大統領夫人が使用してるんだとか。ダンジョンに軽く潜るのと同じ程度の魔力吸収が出来るから、お手軽に魔力を持ちたいという層には画期的なアイテムなんだろう。座ってるだけで良いんだから。
少しでもダンジョンに挑戦する人を増やしたい世界冒険者協会としては、魔石の価値を下げかねない魔樹の存在は懸念材料なんだろうが。それ以上に夢のある素材だからね。頭痛いだろうな、偉い人は。
『夢のある素材、てのは間違いないしね。こっちも色々試してるよ。流石にヤマギシほど湯水のように消費出来る環境じゃないから、少しずつ進めてる感じだけどさ』
「否定はしない」
日本刀の柄の部分に魔樹を使用して魔力の通りを改善しようとしたり、魔樹を使用して弓を作ったり。代替できそうな素材を全て魔樹に変えて試したりしてるのは、世界中でもヤマギシ開発部だけだろう。
失敗した素材はキャンプファイヤーにして料理に使ったりしてるしね。
『ただ肉を焼くだけの調理なのに一流シェフが丹精込めて作った料理よりも金が掛かってるんだよなぁ』
「仕入れタダだから」
食ってく? と軽く誘ってみると、わざわざ翻訳魔法を切ってやたらと元気な声で「モチロン!」と日本語が返ってくる。お前もしかしてこれ狙いで今回来日してきたか? ちょっとこっちを向きなさい。