長男くん、か。一花の声音の冷たさにヒヤリ、と肝を冷やしながらも、随分と懐かしいフレーズが出てきたことに場違いな感慨を覚える。
幼少の頃。小学生に上がって少しくらいまで、一花は俺のことを長男くんと呼んでいた。当時は兄と中々呼んでくれず、ヤキモキしていた覚えがある。
黙り込んで何かを考える一花を眺めながら、そう言えばいつからお兄ちゃんと呼んでくれたっけなぁと考えていると、一花はふっと顔を上げてこちらに視線を向け、ピッと床を指差した。
「座って」
「は?」
何をしているのか訝しんでいると、床を指差したまま一花がそう口にする。座るも何も俺は今ソファに座っているんだが。首を傾げると表情を変えないまま一花は再び口を開き――
「正座」
「hai!」
凍えるほど冷たい声。逆らえば死ぬ。物理的な意味じゃなく精神的に殺される。そう頭が理解する前に俺の体は動きだし、口で返事を返す前に床に膝を付けて正座の姿勢を取っていた。あ、フローリング固い。
「……はぁ……」
そんな俺の様子を一顧だにせず、一花は今日何度目かの深い溜め息を吐きだし、じろりと俺に視線を向ける。
「言いたいことは幾つかあるけど」
「えっと、幾つか、というと事件の件だけじゃ」
「まず、大前提なんだけど。長男くんは自分が何者なのかってのをもう一回見つめ直してほしいんだよね」
「あ、あの」
「黙れ」
「hai!」
ピン、と背筋を伸ばしてそう応える。ゆらりと一花の背後に般若の姿が浮かんだように見えてビビったとかそんなんじゃない。付き合いで飲みに行って朝帰りしてきた父さんに笑顔で詰め寄る母さんに似てたとかそんな事は思ってない。
思ってないぞ? あの、だからその見透かしてますよって視線は止め、止めてくれ。心臓に悪い。
「とりあえず1つ目はこれだ。長男くん、自分がどんだけ顔に出やすいか自覚したほうが良いね。サトラレかってくらい表情に出てるよ」
「え」
「次。さっきの大前提。自分が何者なのか、だけどさ。自分の名前を言ってみて?」
「あの」
「言ってみて」
「あ、はい。鈴木一郎だ、です……」
眼力に折れてそう名乗った俺に、一花はうんうんと頷いたあと、手に持ったリモコンを操作してチャンネルを切り替える。幾つか画面を切り替えて、お目当てのチャンネルを見つけたのかこちらに向き直った後、一花はテレビを指差して口を開いた。
「うん、じゃああの画面に映ってるのは誰? 鈴木一郎? それともピーター・パーカー?」
「えっと」
チラリ、と画面に目を向ける。映し出されていたのは恐らく通行人が撮影したのだろう、ウェブを周囲に張り巡らせていくスパイダーマン……俺の姿が映っていた。
俺じゃん、と口にしようとして、真顔のままこちらを見る一花と視線を交わす。一花が何をいいたいのか、何を伝えたいのかを考えながら、答えを返す。
「――俺だ。鈴木一郎」
「そうだね。アレがお兄ちゃんなら鈴木一郎で間違いないよね」
俺の答えに間髪入れずにそう返事を返し。
「じゃあ鈴木一郎は何者なのかを考えてみようか」
「……えっと、禅問答か哲学って事?」
「お、思考が止まってないね! 感心感心。じゃあもう少し言ってみようか」
妹の口から出た言葉の意味がわからず、口元をひくつかせながらそう尋ねると、一花は笑みを浮かべて言葉を続けた。
「鈴木一郎は日本人です」
「……ああ」
「鈴木一郎は最近成人したばかりの男性です」
「そうだな」
「鈴木一郎は冒険者です。鈴木一郎は右手を失い、代わりに魔法の右手を手に入れました」
「うん、間違いない」
指折り数えるように俺の事を口にする一花に、返事を返していく。家族構成、ヤマギシに所属している、動画配信を行っている、俳優の真似事をしている…一つ一つ、鈴木一郎を構成する事柄を上げていき、そして最後に。
「鈴木一郎は最近まで男色だと思われていた。うん、こんなものかな」
「待って」
「言葉にするだけでこれだけ要素があるなんて凄いね、最近のなろう小説でももうちょっと大人しいんじゃない?」
「お願い、ちょっとまって!」
「わ、ちょっ、お兄ちゃん!?」
縋り付くようにして制止をかけると、一瞬素を見せた一花が驚いたように声を上げる。
「あの。俺、おれ男すき、違う。それ、なに?」
「……おー、あー……口が滑ったなぁ」
感情に口が追いつかず、しどろもどろになりながら話す俺に一花はポリポリと頬をかきながら宙を見つめ。
うん、となにかに納得したかのように頷いた後、先程までの冷たい笑顔ではなく眩しいほどに輝く笑顔を浮かべて、親指を立てた。
「こないだの太郎先輩のアレで払拭したから大丈夫!」
「大丈夫じゃねぇよ! 過去の黒歴史引きずり出されたアレのお陰なんて一ミリも思いたくないわ! というか俺はホモじゃ」
「ちょ、お兄ちゃん! 足元で暴れるな!」
「へぶっ」
わーぎゃーと騒ぎ立てていると、顔に良いヒザが飛んできた。位置関係的にそこが手っ取り早いのは分かるが、せめて手でやってほしかったかな。
「全っ然堪えてないのによく言うね?」
「まぁ、頑丈が自慢ですから」
「知ってる」
右腕ぶった切れても動けるくらいには我慢強いんだぞとジョークを口にすると、笑えないよと力なく笑顔を浮かべて、一花は再び大きなため息をつく。
「そのシリアスブレイカーっぷりをさ。もっと早く発揮してほしかったかな。なにが悲しくてお兄ちゃんに説教なんかしなきゃいけないんだよ」
「……すまん」
「うん」
俺の謝罪の言葉に頷いて、一花は続きを話し始めた。
「じゃあさっき上げた事を簡単にまとめるよ。鈴木一郎は20歳の日本人。冒険者(会社員)兼動画配信者兼俳優をしてる。家族は両親と妹、生まれたばかりの弟。そこそこ裕福。趣味・特技は大食い。右手を失って変わりに魔法の右手を持っている。条件が合えば他者へほぼ完璧に変身できる。知名度が高い……」
先程は細かく挙げられていった事柄を、一花は大雑把にまとめ、簡単なプロフィールのように組み上げて言葉にする。
特に変なところはないな。間違いないと返事を返そうとした俺に、一花が険しい表情を浮かべて首を横にふる。
「今、挙げた項目に間違いはないよね」
「……ああ、間違い――」
「じゃあ、この項目のどこを見れば火事場に突撃するなんて選択肢が出てくると思う?」
俺の言葉を遮って、一花はもう一度まとめた簡易プロフィールを読み上げる。
「どこにも災害時の協力を強制する項目はない。ヤマギシの社則にも、冒険者協会のルールにもない」
言い切るようにそう口にした一花の言葉に、何かを返そうと口を開く。
「あの時、お兄ちゃんは強制されることもなく義務もあるわけじゃないのにあの火事場に向かっていったんだよね。自分の意志で」
「……ああ」
だが、意味のある言葉を口にすることが出来ず、ただ頷く事しか出来なかった。
そして、その事が一花にとっての逆鱗に触れたらしい。険しい表情のまま、一花は言葉を続ける。
「――別に人命救助に対して、怒ってるとかじゃないの。あの時お兄ちゃんが飛び出さなきゃ、犠牲者は云百人になってただろうし。あの現場に居て何もしなかったなら、多分もっと悪い状況になってただろうしそこを責めるつもりはないよ」
「……だったら」
「だけどさ。お兄ちゃん。一人で危機に気づき、一人で飛び出し、それを解決する。それは冒険者鈴木一郎の思考じゃないよね」
口を開こうとした俺を、一花は首を横に振って制止する。気圧される形で口をつぐんだ俺を一花は指差した。
「お兄ちゃんなら。冒険者鈴木一郎ならあの時、あの緊急事態で一人で飛び出すなんてしなかった。どれだけ時間がなかったとしても、時間がないならこそその場に居た私かウィルに言葉をかけてたよ。バックアップを頼む、って」
そこで一度言葉を切り。表情を悲しげに歪ませて。
「冒険者はチームワークだ。たとえ突出した個がいようとそれは変わらない。お兄ちゃんが個人でダンジョンに潜るときだって、それは絶対に安全だと確信出来る場所だけで決して無理はしなかった。ましてや緊急事態であるなら尚更。仲間に背中を預けられるから、お兄ちゃんも恭二兄も好きに動けるんだって。命をかけられるんだって。それが、お兄ちゃんと恭二兄が作り上げた鉄則じゃん……ねぇ、もう一度聞くよ」
そう口にした一花の頬を涙が伝う。
「貴方は、誰?」