ピーター・シモンズは恵まれた人生を歩んできた。
両親は裕福な中流階級の人間で生活に困ったこともなく、運動もそこそこできて頭の出来も悪くはなく、両親の良いところをかけ合わせたような甘い顔立ちは同年代の女性に受けが良かった。学内カーストのヒエラルキーでは当然上位に位置し、また勉学に困るような事も無かったからそのままストレートで有名大学に進学。金融工学を修めた。
恩師の紹介で入社したK&Bという証券会社でそこでも優秀な成績を残し、数年キャリアを積んだ後ヘッドハンティングを受けて他社へ。幾度かのキャリアアップを積み、40代へ差し掛かろうという頃にはエネルギー関連を主に取り扱う企業で彼はそれまでの経歴を買われて原油先物を取り扱う部署の取締を任されるまでに至った。
プライベートも順風満帆だった。有望株として出世を重ねていた彼は地元の名士の娘と見合い結婚する。彼女は小中高と同じ学校に通い、かつては遠くから眺めるだけだった学校の女王的な存在だった。そんなクイーンビーと取り巻きの一人だった自分が結ばれる。娘が生まれた折、孫の顔を見せるために帰郷した際に見かけた、かつて彼女の恋人だった運動部のエースの哀れな姿――郊外のみすぼらしい小屋に住み日銭を稼いでいる姿と合わさり、彼の優越感と自尊心は際限なく肥大化していった。
まだだ。まだ私は上に登れる。いずれはこんなチンケな会社ではなくそれこそ世界経済に関与するような。いや、歴史に名を残すような大企業を率いる者として。
肥大化した自尊心を野心に焚べて燃え上がらせ、彼は彼目線で確定された栄光の未来へと歩みを進めていき、そして。
『…………解雇? 私が?』
驚くほど身近にあった破滅と向き合うことになる。
彼に解雇の報告をした人事部の人間は、彼のデスクの前で『今日中に荷物を纏めるように』と告げて部屋から出ていった。彼が現実を認識するまで、おおよそ30分程の時間が必要だった。
解雇された理由は簡単だ。彼が取り締まる原油先物が会社に大損を被せてしまったからだ。一部で聖女だなんだと持ち上げられていた魔力という存在が、全ての相場をめちゃくちゃに叩き壊した。
魔法の存在は知っていた。ペンシルバニア生まれの彼も10数年を過ごした今は立派なニューヨーカーであり、街の空をスパイダーマンが舞った日の事はよく覚えていた。なにせスパイダーマンは彼と同じ、ピーターという名前を持っているのだ。他人とは思えず、彼が好きなコミックのキャラを尋ねられた際は必ずピーター・パーカーと答える程度には、スパイダーマンを好んでいた。
また、奇跡の聖女と呼ばれるブラス家の令嬢本人と面識はないが、他のブラス家の面々とは社交界で挨拶を交わした事もある。大手メジャーのブラスコが注目している存在であり、当然彼らを金のなる木としている彼自身も魔法という存在に注目はした。
魔力が及ぼすアンチエイジング効果に魔石と呼ばれる物品を幾らか購入したこともある。その折、その効果にブラスコは化粧品業界にも喧嘩を売るのかと妻と二人で話し合ったのを覚えている。
そうして調べた結果、彼にとっては魔法とは医療や健康に影響を及ぼす新しい概念。しかしその程度の存在であった。個人的にブラスコがいずれ立ち上げるだろう新企業の株を購入する程度はしても、彼が携わる仕事とは関わりがない。そのはずだった。
その魔法によって生み出された新しいエネルギーの概念によって彼の仕事がめちゃくちゃになり、職を失うまでは。
荷物を抱えて家に戻った彼は築き上げていたコネを駆使し、新しい仕事を探した。解雇されたとはいえ、今回の件は彼にとっても、また業界全体にとっても不意打ちに近い出来事だった。彼の評価はそれほど下がっておらず、高望みをしなければ悪くないポストを手に入れることは出来るだろう。
一件目が空振りに終わった時、彼はまだそう考えていた。
二件目、三件目と続いていく内に彼の態度からは余裕が消え、やがて最後のツテが空振りに終わった時、彼は手に持ったスマートフォンを壁に叩きつけた。今回の騒動では確かに彼の評価は傷つかなかったが、彼のような立場の者もまた大量に生み出されていた。
その中から優先して取り込みたいと思えるほど、彼は優秀ではなかった。その事を彼だけが知らなかった。
彼はその事実を突き付けられ、しかし認められなかった。仕事に逃げることが出来なくなった彼は酒に溺れる事で現実から目をそらした。家族や友人に頼ることは彼の自尊心が許さなかった。妻と口論になり、手を出して、彼女と娘が故郷に帰った後も彼は酒に溺れ続けた。挫折なく人生を送ってきた彼は、そこから起き上がる方法を知らなかったのだ。
転機が訪れたのは彼が職を失ってからしばらく経った後。ニューヨークの空を舞うスパイディの姿を、目撃した時だった。
自由に空を舞う彼の姿に、目を奪われ。心を奪われて、彼はその場で立ちすくみ涙を流した。同じ名前を持った彼の雄姿に、今の自分の姿を重ね合わせて情けなくて涙を流したのだ。
スパイディの姿が消えた後。感動に揺れる街の中を急いで帰宅し、彼はPCを使って冒険者協会について調べた。冒険者になるためだ。幸いまだまだ蓄えには余裕がある。装備を整え、ダンジョンに潜り、彼と同じ魔法を手に入れる。
こうと決めた後の彼は早かった。最も手近なダンジョンを探し、その周囲にある貸家を借りて拠点を作り、冒険者協会に登録して冒険者となる。それらをまたたく間に終わらせると、彼は足繁くダンジョンに通い詰めた。
教官と呼ばれる凄腕の冒険者達は中々捕まらなかったが、運良く彼らの指導を受けられた時には魔法を習い、それ以外の時は同じような立場の冒険者たちとパーティーを組んでダンジョンに潜った。元々運動神経は悪くなかった彼は魔力の充足によりまたたく間に全盛期以上の身体能力を手に入れた。
1年が経過する頃には彼は中堅のソロ冒険者としての地位を手にいれていた。ゴーレムと戦い、かつて以上の収入を手に入れ、比べるべくもない健康で若々しい肉体を手に入れた。
このまま何事もなければ、彼はそのまま中堅冒険者として、やがて教官免許を取得し凄腕の冒険者としての人生を送ることが出来たかも知れない。
だが、そうはならなかった。
自信を取り戻し、別れた妻と娘を迎えに行った日。かつてみすぼらしい部屋に住んで日銭を稼いでいた、見下していた男がダンジョン筆頭冒険者となり彼の娘を抱きかかえ、妻と談笑している姿を目にした時。男に一撃で伸され、侮蔑の言葉を吐かれた時。愛しているはずの妻と娘からの冷たい視線を受けた時。
彼の中で何かが吹っ切れた時。
彼は、その時。終わることを、運命づけられていたのかも知れない。
『まぁ、歴史に名を残すという目標は達成できたみたいだけどね。おかげでこっちは大迷惑だけど』
軽口を叩くような口調で毒を吐き、ウィルは手に持った資料を地面にばら撒いた。ピーター・シモンズ。彼が何を思ってあの場――かつて彼が務めていたオフィスに火を放ったかは、彼が亡くなった今では想像することしか出来ない。
『とはいえ、いつかは起こると思っていたことが起きただけ。そう考えれば、君や僕があの場に居たのは僥倖と言えるだろう。其の場の被害としても、協会の立場としても』
「人死は、良いこととは言えないだろ」
『不幸中の幸いって言葉があるだろう? 良い感情はしないよ、僕だって』
俺の言葉にそう返し、ウィルは窮屈そうにしながらネクタイを緩める。体格の良さもあり、スーツ姿のウィルはまさに大企業の御曹司、という風貌なんだがどうにも本人としては違和感が強いらしい。
『……彼のことは、どこにでも誰にだって起こり得る事だった。色々な事が重なって、こうなったんだ』
「自業自得な部分も多い、みたいだしな。安心しろって、そこまで引きずられてはいないよ」
『なら』
「まぁ、それはそれとして、な」
ウィルの視線に、ひらひらと魔鉄で出来た右手の義手を振る。
魔鉄には魔力を吸収する作用がある。もちろん無尽蔵というわけではないが、無意識に漏れるくらいの魔力なら数週間は吸い込みつづけるだろう。魔鉄で作った義手で蓋をしたなら、魔力で編み上げた右手が出てくることはない筈だ。
「少し見つめ直そうと思ってな。俺も、自分について」
日本に帰国したら、一度家族と話そう。それから、自分を見つめ直すには座禅だろうか。お寺に相談したほうが良いのかね。