誤字修正、244様、名無しの通りすがり様ありがとうございます!
久方ぶりに戻った実家に天使が居た。
「俺、ブラコンかもしれん」
「唐突すぎて草なんだ」
「こら、一花! ちゃんとした言葉遣いをしなさい」
「ちょっ、私だけ!?」
キャッキャッと笑って俺の顔に小さな手を押し付けるマイブラザー、鈴木二郎を左手で抱き上げ、つい漏れ出るように言葉が出てくる。親子ほど歳が離れているのもあるかもしれないが可愛い。存在が可愛い。
「まぁ、うん。気持ちは分かるよ。私なんて昔っから周りが年上ばっかだから二郎が可愛くて可愛くて。後輩とか姫子とかとはまた違うかあいさってのがあるよね……あ、絶対私の方が二郎可愛がってるわ間違いない。お兄ちゃんは私と二郎で二等分だけど私は二郎だけに一点集中だからねカーッ! 敗北が知りたいわカーッ!」
「なんだそのマウント」
勝ち誇ってるのかうぬぼれてるのか良く分からない一花がまた母さんに雷を落とされる姿を見ながら、右手の義手で二郎のほっぺをつつく。感触が面白いのか魔鉄で出来た義手の指を握ってぶんぶんと指を動かす二郎の姿にほっこりしていると、新聞を読んでいた父さんがおっほんとわざとらしく咳払いをする。
あ、父さんも二郎を構いたいんだな、わかります。そんな父さんを見て、黙ってお茶を飲んでいた爺さんが面白そうな顔を浮かべているので、多分これは後でからかわれるだろうな。母さんが手が離せないときは爺さんが二郎の面倒を見てくれてるらしいし、其の辺で攻めると見た。
「一花!」
「ヒョエーッ!」
「父さん、そろそろ左手が疲れたからさ」
「んんっ、そ、そうか。じゃあ父さんが変わりに」
「くっくっくっ」
数年前までは当たり前にあった家族の風景。俺も父さんも諸外国を飛び回っているから、滅多なことじゃ一堂に会するなんてのは出来なくなってしまった。
それでも。暫く顔を合わせない日々が続いていても、こうやって集まると家族がいる、という安心感が胸を満たしてくれる。やっぱりここが俺の実家で、なんだかんだといろいろやっていても最終的に俺はここに帰ってくるんだろう。
二郎がおネムになるまでの間、家族と他愛もない話をする。もしダンジョンが出来なかったら、この風景がずっと続いていたのだろうか。
――それもまぁ、悪くなかったかもしれないな。
「一花の考えすぎ」
「考えすぎじゃないかしら」
「なんぞ問題があるのか?」
「ええええええええええええええぇぇぇ…………」
すやすやと寝息を立てる二郎をベビーベッドに寝かせた後。臨時で開かれた鈴木家家族会議は多数決の末、一花の訴えを棄却するという結論に達した。一花さん、今回俺に投票権はないから俺を見られても困るんだが。
「一郎が恭二くんとの約束事を破った、というのは確かに驚くべきことかもしれないが……時と状況もあるだろう?」
「まぁ、うん。約束事っていうか、冒険者はこう行動するべきってくらいのものだけどさ。行動原理のほとんどが恭二兄なお兄ちゃんが恭二兄との約束事を破るって相当ヤバいよ?」
「一花さん???」
「それはそれで親としては心配なんだがなぁ」
「父さん!??」
我が家族には俺はどう見えているのか。アレだぞ、俺別に恭二と一緒じゃないと死ぬとかそういうアカン心境になった事は一回もないからな?
「でも命預けていいって思ってるでしょ?」
「それは一緒に潜るヤマギシチーム全員に思ってる。もちろん、お前にもな」
「……おっ。素面でそう言えるのは評価高いよ?」
軽口を叩くように尋ねてくる一花にそう返答すると、面食らったのかきょとん、とした顔を浮かべた後にそっぽを向いて一花はそう口にする。照れくさいんだろう、正直カッコつけすぎたと俺も恥ずかしくなってるからな。
そんな俺と一花のやりとりをニヤニヤと眺めながら、父さんが欧州土産に買ってきたワインの封を切る。
このやり取りを肴に一杯やるつもりだ、この父親。俺は割と真剣に悩んで相談しているのに!
「いや、私ももちろんお前の相談には真剣に対応するつもりだとも」
「その手の中の赤ワインがなきゃ信じられたんだけどね」
「こういうのはな、一郎。大概酒の席で酔っ払いながらするものなんだよ。少なくとも、父さんが今まで受けてきた人生相談は駅前の居酒屋で、グラス片手にだったな」
「えええええええええぇぇぇぇ…………」
「酒をバカにしちゃいかんぞ? 素面で言えないことばかりなんだ。世の中ってのは」
そう口にしながら、父さんは慣れた手付きでワインのコルクを指でぽんっと引き抜く。ふわり、と香る芳醇な葡萄の匂いに、これ結構高いやつじゃないかなどと現金な思考を浮かべていると、母さんがいそいそと席を立つ。
「実はとても偶然なんだけれど、良いチーズを丁度買っていたのよ。本当にたまたまなんだけど」
「たまたま(確信犯)ですね、わかります」
「生ハムの原木もあるぞ」
「これもたまた――え、まじで?」
「親父のツテでな」
生ハムの原木ってあの肉の塊の、いつでも生ハムが食べられるという男の子の夢が詰まったようなアレの事だろうか。削ぎ削ぎするのか、ここで。この日本家屋の中で削ぎ削ぎしちゃっていいのか、あれを。
「鹿の燻製ならいっくらでも食わせたろうに」
「じいちゃん、それとこれとは大分違う……違うんだよ爺ちゃん」
鹿肉。あれも良いものだ。爺さんが狩猟を引退するまでは狩ってきた鹿や猪の方が普通の牛肉なんかより食卓に上がっていたし、俺の血肉を形付くったのはアレだと言っても過言ではない。
そんな思い出補正付きの代物と比べても、生ハムの原木という単語には強い魔力が宿っている。宿っているんだ!!!
「そんな強いられてるんだ、みたいに力説しなくてもね。座って、どうぞ」
「はい」
ついテンションのままにガタリと椅子から立ち上がった俺に、至極冷静な表情を浮かべて一花が苦言を呈する。冷水ぶっかけられるよりも冷たい視線だった。
「くっくっ」
「爺ちゃん、笑わないでよ」
そんな俺と一花のやり取りを見て、爺さんはさも愉快そうに笑い声を立てる。バツが悪そうな表情を浮かべる一花の言葉に爺さんはうんうんと頷きを返して俺に視線を向ける。
「一郎」
「なに?」
呼びかけられた言葉に返答を返す。爺さんは穏やかな表情のまま俺の目をじっと見つめ、少し間をおいて口を開いた。
「ワシぁ魔法だなんだは分からん。一花の言葉も、よぅ分かっとらん。学もないしな」
「うん」
「だからワシは自分が見たものだけを信じとる。無いもんばかりのワシだが、この2つの眼だけは一等もんだ。暗い森の中こちらを狙う獣も、悪ぅい人間もこの眼は見誤った事はなかった」
そこまで口にして、爺さんはだから、と一言挟んだ後。
ふっと口元に小さな笑みを浮かべる。
「お前の根っこはガキの時からなーんも変わっとらんよ。他人様に気を使いすぎる、お人好しのまんまだ」
「……お爺ちゃん!」
「一花。お前はちぃと難しいことを考えすぎだ。一郎を見習えとは言わんがもちっとな」
抗議するように声を張り上げた一花に、爺さんは諭すような口調でそう答えてちらりと俺に視線を向ける。
その言い方と視線は俺が考えなしだと言いたいんだろうか。一花さん、その意味ありげな視線はなんですか。俺に効くぞ、それは。
「ほらほら、親父も一花もそれぐらいに。親父は冷で良いかい」
「ん」
「一花はジュースね」
「……うん」
席を立っていた両親が居間に戻ってきた。手に持ったお盆には人数分の飲み物と、チーズや生ハムといったおつまみが用意されている。俺と一花が爺さんと話している間に削ぎ削ぎしてきたのだろう。俺に黙って、削ぎ削ぎしてきたのだろう。父さんに対して恨みを抱いたのは初めてかもしれない。
「やっぱり特に変わっていないように感じるぞ、一花」
「うん。私もそんな気がしてきた」
「どういうこと???」
「そういう所、かしらね」
「くっくっ」
俺を指してそう口にする父さんに、同調するようにうなずく一花と母さん。そしてそんな俺達を見て笑う爺さんの姿に納得の行かないものを感じながらグラスを受け取る。いい香りだ。酒の良し悪しはまだ分からないが、これが高級な一品だ、というのは俺にも何となく分かる。
軽く口に含み、匂いを楽しみながら飲み下す。はふぅ、と一息ついて、すっときれいに削ぎ落とされた生ハムに手を伸ばす。
塩辛い、だがそれが美味い。
「男親にとっては、夢なんだ」
そんな俺の様子をニコニコと眺めながら、父さんはそう口を開く。
「息子と酒を酌み交わすってのはな」
「……そういうもんなの?」
「ああ。思えば、ヤマギシに入社してからはこういった親子の時間は取れなかったな。私もお前も、やることが多すぎた」
ふっと苦笑を浮かべながら、父さんはグラスを傾ける。欧米での渉外を担当している父さんは、ほぼ年中他国に出張しているような状況だ。それも一箇所ではない。冒険者協会が存在するG8各国や、これから冒険者協会を発足する予定の国々にはほぼ全て足を運んでいるらしい。
「日本の本社にいるより米国のヤマギシブラスコ社に居る時間の方が長いのは、どうかと思うがね。こうして二郎の顔を見るのも久しぶりだ……はぁ」
「海外事業部もどんどん拡大してるんでしょ? 父さんの代わりだって」
「お前の父親というネームバリューがあるかないかで、担当先の対応が変わるんだよ。向こうで挨拶を交わすたびに逆七光なんて言葉が頭をよぎるんだ」
「あ、はい」
複雑そうな表情を浮かべる父親からそっと視線をそらし、目に入ったチーズに手を伸ばす。
おお、これは……凄く、チーズです。
ワインの香りに満たされた口内が瞬く間にチーズ一色に塗り替えられていく。ここまで濃厚なチーズも世の中にはあるんだな。
「……美味いか、一郎」
「あ、うん。これ凄くチーズチーズしてるけど、これを食べた後にワインを飲むと一風変わった感じがして」
「そうか」
パクパクとチーズに手を伸ばす俺の言葉に、父さんは満足げな顔を浮かべて一つ頷いて、再びグラスを傾ける。
「なぁ、一郎」
「ん?」
「私も親父ほどじゃないが、魔法に詳しいわけじゃない。一花の言う内面の変質というものが、よく飲み込めてない。少なくとも、今話しをしているお前は、中学生の頃とそれほど大きな変化は感じていない。多少大人びた、という印象を持ったくらいだ」
「あー、うん?」
「人間は変わるものだ。それが良きにしろ悪しきにしろ、1年もあれば人は別人としか思えない変化をする事がある。それを成長と呼ぶこともあれば、退化と呼ぶこともある。だから」
そこまで口にして、父さんは押し黙った。表情は笑顔を浮かべたまま、ワイングラスを片手に気楽な体勢で、けれど眼だけは強い力を放ちながら俺のことを見定めようとする視線。
その視線を真っ向から受け止めて、わずか数秒。見つめ合いの後、ふぅ、と小さく息を吐いて父さんは再び口を開いた。
「教えてくれないか、一郎。ダンジョンが出来て、ダンジョンに潜って。そして今に至るまでの、お前の歩みを」
「……まぁ、良いけど」
「なに酒もつまみもあるしな。お前はただのんびりと、気ままに思い出話をしてくれれば、それでいいさ」
そう言ってワインを継ぎ足す父さんに、ならば俺も、とワインボトルを受け取り自分のグラスにワインを注ぐ。
始まりから、というとダンジョンが出現したあの瞬間から、か。
クイッとグラスを呷り、喉を滑り落ちていくワインの香りを楽しみながらふぅ、と息を吐く。
「まずは、そう。ダンジョンが出現した瞬間だよな。山岸さん家のコンビニ――古い方ね。の品出しを手伝っていた時だった。いきなり黒い穴が――」
あの始まりの瞬間は今思い返してもが恥ずかしい。素面じゃ言えない事もある、か。確かにそうかもしれないな。