奥多摩個人迷宮+   作:ぱちぱち

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第二百八十一話 妹

 

 兄が倒れた。その一報を受けた時、鈴木一花は自分でも驚くほどに冷静だった。少なくとも本人はそう信じていた。電話口の住職から状況を確認、齟齬や漏れがないかをヤマギシに連絡し、最短で兄が担ぎ込まれた病院までのルートを確認。道筋を頭に叩き込むと自身の車に乗り込み、アクセルを踏む。

 

 約2時間ほどの車での道のり。決して速度違反も起こさず、法定基準に則った速度で車を走らせる。冷静だ、間違いなく。そう自身の頭の中で繰り返しながら、そう考えていること事態が冷静ではないのだが――そんな思考の片隅に浮かぶ自身の声を故意に無視し、一花は兄が担ぎ込まれた病院にたどり着いた。

 

 受付に声をかけ、面会の可否を確認。どうやら兄は目を覚ましており、命にも別状はないという情報を手に入れ。そこで、大きな安堵とソレ以上の怒りを感じながら。グツグツと煮え返る内面を仮面で隠しながら、病院の廊下を進む。

 

 怒りの矛先は、まず自分。そして兄。ああ、後はまぁ住職も、だろうか。あのまま自身もあの場に残るべきだった。2時間の旅路のあいだ何度も何度も考えたが、あの場で兄を残して帰るのがどれだけの悪手だったのかが頭に浮かぶだけの結果に終わった。

 

 兄も兄だ。住職からの報告によれば、兄の右手に嵌めていた義手が壊れた瞬間に兄は急激にやせ細ったという。であればそれが魔法的な部分での衰弱であることは間違いがない。あの義手は一花にとって必要な措置であったと思っているが、それが原因で兄に大きな影響が出るのはまた違う問題だ。何かしらの予兆が無かったのか、もしあったのなら何故黙っていたのか。それを問いただして。

 

 ――問いただして、どうするのだ。

 

 止まりそうになる足。それを奮い立たせて、一歩前へと進む。なぜか、この先に進むのが怖いと思ってしまっている。

 

 あの兄が。病気とは無縁な、それこそ冒険者となってからは風邪すらひいた事もない兄が倒れた。しかも尋常な倒れ方ではない。いきなりミイラのようにやせ細り、倒れたのだ。

 

 自分たちは一体なにに手を出してしまったのだ。魔法とは、一体どんな代物なんだ。

 

 自身の手を見る。この手から当たり前のように使っていたそれらが、今はたまらなく怖い。そして、その答えをこれから見てしまうかもしれない。それが……

 

 いいや、違う。自分が怖いのは、そんなものではない。

 

 倒れた兄を――やせ細った兄を見るのが怖い。

 

 たまらなく、怖い。

 

 そうして、迷いを感じながらも足は前へ前へと進んで。

 

 やがて、その時は訪れる。

 

「……334号室」

 

 兄の運び込まれた病室。そのドアの前で、一花は立ちすくんだ。

 

 何かを探すように周辺に目を配る。病室前には沢山のトレイ。配食中だろうか、今は昼どきを過ぎていると思うが。いや、もしかしたらトレイの回収に来たのかもしれない。どうにもタイミングが悪い。出直そうか、と出来るはずもない事柄が頭をよぎり。

 

 それを無視して、一花は病室のドアに指をかける。

 

 ドアを開ける前に、自分の仮面をもう一度しっかりとかぶり直す。動揺を見せてはいけない。まずはいつもの調子で――いや、開口一番に叱り飛ばすのが良いだろう。そして涙を流す。そうすれば私に甘いところのある兄は素直に言葉を聞いてくれるだろう。そうした後になぜこんな状況になったのかを探って。事情が事情だ。今現在、進行している仕事を全てキャンセルしてでも兄には休みを取らせるべきだろう。幸いブラス家との仲も修好したと言っていいし、久しぶりにヴァージン諸島へバカンスに行っても良い。もしくはどこか全く行ったことのない場所にでも。ああ、そういえば室内には住職も居るだろう。彼にも詳しく話を聞かなければ。苛立ちを感じてはいるがそれとこれとは話が――

 

 頭の中でこれからの算段を弾きながら、ドアを開ける。大丈夫、どんな状況でも完璧に鈴木一花でいれる。覚悟を決めて、前に。

 

 そう、心のなかで呟き。

 

 たった数瞬もしない間にその決意を粉々に打ち砕かれ、一花は呆然と立ち尽くした。

 

 ハムッ、ハフハフ、ハフッ!!

 

 視界の隅から隅までが食べ物で埋め尽くされた空間。一種異様とも言える光景に時が止まったかのように立ち尽くす一花の目に、唯一動く部屋の主の姿が映る。

 

 兄だ。倒れたと聞かされた兄がそこにいる。視界に入ったそれを頭脳が認識し、一花は再起動を果たす。

 

「おにいちゃ」

 

 声をかけようとして、再度動きが止まる。

 

 なんと声をかければいい? この状況、全くの想定外。いや、ただ食事をしていただけなら対応できた。だが、一度も想定したことがないような環境、この瞬間、自分は何を言葉として兄にかければ良いのか。

 

 そういった、余計な思考が邪魔をする。ただ、兄に声をかけるという事すら邪魔をしてしまう。

 

 考えすぎる。昨日あの住職に言われた言葉が頭をよぎり、奥歯を噛み締めながら頭をフル回転させて次に繋げる言葉を紡ぎ出――

 

「一花」

 

 その声は、いつもと同じ調子だった。朝起きた時、出かける時、ご飯を食べる時、一緒に遊ぶ時、寝る前に声をかけた時。

 

 いつもと同じ、兄の声が、まとめようとした思考を吹き飛ばす。

 

「すまね、心配かけた」

「…………おにいちゃん」

 

 何を言いたいのか。何が言われたかったのか。なんと言葉にすればいいのか、なんて言葉をかけられたかったのか。

 

 そんな、余計な考えが頭を流れ去って。そして、気づけば一花は涙を流していた。

 

 無事であったことの安堵。そして、心配したという意思表示。

 

 涙で滲む視界の中。慌てたような兄の姿に、内心でほくそ笑む。散々心配をかけたのだ、せいぜい慌ててくれ。涙にくれる自分をどこか客観的に眺めながら、そんな意地の悪い考えを……涙を見せてしまった照れ隠しに考え、一花はポロポロと涙を流した。

 

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