奥多摩個人迷宮+   作:ぱちぱち

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第二百八十八話 映写室

 

 姫子ちゃんがカタカタとキーボードを叩く音をBGMにしながら、ペラリとページをめくる。学生だった頃はちんぷんかんぷんだった記号や数式がスイスイと頭に入ってくるのは面白いを通り越して――怖い。自分の体は、3年前とは本当に別物になってしまったんだなぁ、とこのうえなく理解してしまうからだ。

 

「だぁれが嘘松じゃぁ!!!」

 

 そんな感情とだいたい同じくらい後輩のテンションが怖かったりするが、これは表に出したら先輩の威厳が台無しになるので腹の中にしまっておこう。

 

 いちおう視線だけをそちらに向けると、姫子ちゃんは鬼気迫る表情で猛烈にキーボードを叩いているのが目に入り気まずさからそっと視線をそらす。誰にでも叫びたくなるとき位あるさ。にんげんだもの。

 

「いやぁ、姫子はかわいいなぁ」

 

 そうして視線を横にそらすと、我が妹がケラケラと笑って姫子ちゃんを眺める姿が目に入る。そうか。なんで平日まっ昼間から姫子ちゃんが居るのかと思ってたら、あれはお前の仕業か。

 

「仕業は酷いな! 私はただ姫子に良いもの見たくない? って誘っただけだよ?」

「あそこで荒ぶるダンプちゃんになってるのは」

「あれは姫子の自爆。掲示板に入り浸るのやめとけって言ってるんだけどね。ストレスにしかならないのに」

 

 まぁそういうキャラだししょうがないよね! と笑顔で宣う一花にキャラ付けなんて言ってはいけません。と注意を促して、読み進めていた本をパタリ、と閉じる。時計を見れば予定の時間まであと数分。頃合いだろう。

 

 俺がソファから立ち上がると、周辺で様子を伺っていた非番のヤマギシ社員がそれに反応して動き始める。数える感じだと十数名というところか。この為にわざわざ休みまでとった!と誇らしげに語る彼らに「お、おう」とだけ返して、未だにキーボードクラッシュを続ける姫子ちゃんに声をかける。

 

 せっかく来てくれたのに見そびれた、なんてハメになるのは可愛そうだし……

 

 制作に関わった身としては、できるだけ多くの人に見て欲しいって気持ちもあるからね。

 

 

 

 

 

 彼らは敗北した。完膚なきまでに。一切の弁論も許されないほどに、敗北を喫した。

 

『奴は宣言通り全宇宙の生命の半分を消し去った』

 

 ある仲間の一言が、全てを表していた。彼らは仲間を、誇りを、数え切れないほどの人々を失った。

 

 そう、負けたのだ。負けて、大事なものを無くして。

 

『彼らを忘れて進むのか』

 

 そうして、すべてを諦めて。今を受け入れて生きていくのがきっと楽なのだろう。賢い生き方とやらなのかもしれない。

 

『いいや』

 

 けれど、その道は。

 

『俺たちは、違う』

 

 けして彼らが選ぶことのない道だ。

 

 たとえ可能性がなくたって諦めることはない。仲間たちのために。この場に居ない仲間たちのためであるのなら、彼らは再び立ち上がる。立ち上がることができる。

 覆すことの出来ない不可能に挑むため(復讐する)に。

 

「――戦うべき時に戦えないことが、どれだけ苦しいか。どれだけ口惜しくやるせないことか」

 

 一人の青年の、怒りと苦悩に満ちた声。

 

「もう、貴方を師と呼ぶことはない――ドクター・ストレンジ」

 

 青年の言葉と共に、画面にはオーク王に刻まれた手製のマスクが映し出され。

 

 復讐者たち(アベンジャーズ)の、終わりが始まった。

 

 

 

 

「え。最後のあれそんな引きで良いんですか?」

「あれが良いってスタンさんがね。俺もちょっと抗議したんだけど」

 

 最前列で一緒に予告編を眺めていた姫子ちゃんがポップコーンを食べる手を止めてこちらにそう尋ねてくるが、俺もこの編集に対しては少し言いたいことがある。

 

 俺が登場するのは本当に終盤も終盤なんだから、もっと他の人にスポットを。特に今回は復讐者本編の締めくくり。メインスタッフと呼ぶべきBIG3にこそ締めをお願いしたかったんだが。

 

「あ、一郎先輩が締めなのは特に問題ないと思います。ほら、世論的な」

「逆にお兄ちゃんが一切出てこないと色々角がたったからこれはしょうがないのでは」

「そんな世論はいらない」

 

 うん? 何をしているのかって? ヤマギシビルにある映写室で映画を見てるんだよ。

 

 福利厚生という名目でヤマギシの本社ビルにはこういったレクリエーションルームがいくつか存在している。というのも本社ビルを立てる際、ヤマギシは内部留保がどうたらこうたらで設備投資にかなり予算を割いていたのだ。

 

 仮眠室は下手なホテルより余程上等な部屋が揃っているし、食堂は複数箇所に点在しそれぞれが和食・洋食・中華等バラエティに富んだラインナップを誇る。そして、この映写室はその中でも群を抜いて贅沢な作りになっているらしい。

 

 我らが広報のボス、シャーロットさんが(おそらく完全に趣味のために)ゴリ押ししたこの映写室はそこらの映画館が裸足で逃げ出すほどの設備を持っているのだ。ここと同格の設備がある映画館なんて本場米国にもあるかどうか、というレベルの代物らしい。

 

 この映写室に設置してある椅子にはどれも注文用のタブレットがあり、映画を見ている最中にも料理や飲物を注文できる。また座席自体も一つ一つのスペースが大きく取られており、他人に気遣うことなく足を伸ばしてゆったりと映画を見ることができる。

 

 なによりもすごいのは音響設備だ。部屋の各所に作られたスピーカーと音響を考えた部屋の造形のせいか、実際にその現場にいるかのような衝撃を体感できるのだ。いったい何億かかったんだろうか。怖くて聞けないぞ。

 

 50名は余裕を持って入れる大きさなので、ここを一度でも利用した芸能関係者は試写会のためにこの映写室を貸してくれ、と頼んできたこともある。というか実際に初代様が頼んだことがあるらしい。流石に本社ビルの中枢に部外者を入れるのは、という理由でその話は流れたそうだが。

 

「初代様、まだ諦めてないらしいよ?」

「あー。ま、まぁ気持ちはわかる」

 

 人がダメになる感じの椅子に体重を預けて、のんべんだらりと一花と雑談を交わす。姫子ちゃん? 一生懸命スマホで誰かとバトルをしているようだ。映画本編が始まったら声をかけるとして、次の予告は――バットマンの名敵役、ジョーカーが主人公か。こいつもかなり面白そうだな。

 

 来年も映画は豊作だなぁ、と一端の映画評論家のようなことを内心で呟きながら、ポップコーンを口に運ぶ。

 

 ハジメが出てくるからって声優のオファーもあったけど、ちゃんとプロを雇ってくれと断ったんだよねスパイダーバース(この映画)。ハジメを演じてくれる声優さんとは役作りのためって何度か話をしてるし、一応俺も関係者の中に名前は入ってるし台本は読んでるんだけど、こうやって実物を見るのは初めてになる。

 

 スパイダーマンたちがアニメーションだとどう動くのか。楽しみだな。

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