見られている。
カギを差し込んだ瞬間に感じた、全身を貫く視線。
観察ではない。値踏みとも、観賞とも違う。
出来るのか、と問いかけるように。やれるのかと尋ねてくるかのように、俺をナニかが見ている。少しだけ驚いたことに、その視線には悪意の類がなかった。むしろ思いやるような優しさを感じさせるものだった。もしかしたら、期待すら含まれていたかもしれない。
その視線がナニかはすぐに分かった。目の前に出てきたら一発殴ってやろうとすら思っていた奴が、確かに居ることを俺は知った。思う事も言いたいことも、いくらでもある。
けれどそれは、今じゃない。
――お前の相手をするのは、今じゃない。
右手に力を込める。願いを込めた、カギを回す。
カチリと世界が音を立てる。エルフの少女からあふれ出るように流れてくる、
「押し通ると、言ったろう」
曖昧になった口を動かし、言葉に出来たかも分からない呟きを口にする。
それが聞こえたかどうかは分からない。そんなものにかまけている余裕もない。あふれ出す
徐々に開かれていく扉。徐々に強くなる魔力の波。存在ごと流されそうになりながら、それでも俺は右手に力を込め。
開かれた扉と、その扉の奥で笑っている誰かの姿を見て。
俺の意識は、そこで途絶えた。
「日本政府及び日本冒険者協会並びに世界冒険者協会による連名発表」
ただ一言そう報じられた情報は、瞬く間に世界を駆け巡る。発信地である東京では、ここ1年の間に新設されたり規模を拡大した各国の報道機関が待ってましたとばかりに動き始め、第一報から1時間も立たないうちに官邸には報道陣の波が押し寄せていた。
この数年、世界を揺るがすニュースは何時だって東洋の島国の、首都の外れから発されていた。
始まりはもちろんダンジョンが出現した時だった。無謀で勇敢な少年たちが持ち帰った情報はこの世界にファンタジーが存在することを全世界に知らしめた。
次は魔法が確認された時だ。致命傷を自ら癒した少年の映像が、米国の聖女を含む数多の人間の運命を変える結果に繋がる。
そして、その後も立て続けに、東京の一部地域――奥多摩と呼ばれる山間の街を舞台に、世界はそれまでの常識を塗り替えられていった。難病を過去のものとした魔法医療の確立。化石燃料に依存していたエネルギー問題の抜本的な解決。重力からの解放――世界中が認める、現実に現れたヒーローの誕生。
それらを目にしていた世界各国の報道機関が集うのも無理からぬことだろう。今世紀が始まって十数年、それまでの歴史を過去のものとし、過去に存在したであろう何かを再び蘇らせたダンジョンという存在が世界を左右すると理解していたからだ。
官邸の会見室が溢れるほど――当然入りきれなかった会社もいる――埋め尽くされた報道陣の前で、まず舞台に上がったのは日本冒険者協会の会長であった。
「本日はお集まりいただきありがとうございました。これより、日本政府及び日本冒険者協会並びに世界冒険者協会により重大な発表を行わせていただきます」
元は防衛省の職員であり、省内の熾烈で不毛な出世争いに見切りをつけて新設された日本冒険者協会へ転身。世界冒険者協会という競争相手に箔で負けないため肩書だけは大きかった前任から会長職を引き継ぎ、それから幾度目かになるかも分からない重要な発表を前にしながらも、いつも通りの平坦な口調で開会の挨拶を行った。
彼の役割は、今回はここまでである。
彼の言葉を引き継ぐように代わりに登壇したうら若き乙女の姿に、場内の報道陣はザワりと騒ぎ声をあげた。
キャサリン・C・ブラス。知名度という意味では恐らく全冒険者でも3本の指に入る米国の聖女。世界冒険者協会の実質的な代表を務める彼女が直接、しかも日本政府が主導する会見に現れたからだ。
――これは、もしかするのではないか。
そんな漫然とした期待が、人で埋め尽くされた室内を熱していく中。
壇上に上がった彼女はにこやかな笑顔を浮かべたままマイクの前に立ち、見事な日本語で言葉を離し始めた。
「先日、私を含めたヤマギシチームは奥多摩ダンジョンの40層へ到達。これを攻略した事をここに報告いたします」
そして、前置きもなく投げつけられた爆弾に一瞬シィン、と室内が静まり返った後。
―――――――ーッ!?
叫声にも等しいざわめきが室内を瞬く間に満たしていった。
「質問を! 〇〇通信の――」
『ブラス氏は攻略において』
「ヤマギシからの公式発表はあるのですか!?」
検疫が必要というもっともな理由で長らく停滞していたダンジョン攻略。これが動き始めたという情報は、彼らもつかんでいた。けれど、それがどの階層までとなるとそれは極秘。一部関係者以外は耳にすることも出来ない情報だ。
ジャーナリストとしての信念でそれを報道しようとするもの。貴金属のインゴットや魔樹などに代表される高額なダンジョン産物品がまた増えたのではないかと考えたもの。少しでも情報を持ち帰り自国のダンジョン開発を推し進めたいもの。
それぞれの思惑を胸に秘めた熱意のこもる質問の嵐に、ケイティはそれらを押しとどめるよう右手をあげるジェスチャーをしながら「静粛に」と繰り返した。
まだ質問の時間ではない。彼らの行っていることは、はっきりと会見の進行を侵害しているからだ。
熱狂を止めるのに凡そ5分ほどの時間を費やした後、それでもまだ騒めく会場を眺めながらケイティはマイクの前から離れる。質問の時間がやってくると思い込んでいた一部の記者がガタリと席から立ち声を上げようとした瞬間、彼らは言葉を失った。
舞台袖から、3名。
新しく表れた彼らの姿に、この場に詰めかけた数百人が
その中で、先頭を歩く初老の男性が舞台の中央、マイクの前に立ち口を開く。
この国を代表する人物、内閣総理大臣である。
「この度、わが国の誇る冒険者チーム、ヤマギシチームとこちらのミス・ブラスがダンジョン40層を攻略した事により、我々は新たなる未知との遭遇を経験することとなりました」
確かにこの会見は日本政府の名前が最初に出てくるものであった。であれば彼が出てきてもおかしくはないかもしれない。過去に例がなかったわけでもない。魔法医療という存在が世に出た時も同じように日本政府は公式発表を行っていた。
「新たな未知。それは異世界。我々人類とは異なるルーツ、異なる文化の異文明とでも呼ぶべきものが存在したという事実を彼らは持ち帰ってくれたのです」
しかし、この場にいたジャーナリスト達が言葉を失ったのはそんな事ではなかった。
この場に似つかわしくない、内閣総理大臣の後ろについてきた
礼服に身を包んだ銀髪の少年と少女。凡そこのような場に立つには不釣り合いな彼らが、ジャーナリスト達から言葉を奪ったのだ。
彼らはなるほど美しかった。翠色の瞳に人形かと見まがうほどに整った容姿。透き通るような白い肌をした、恐らく13から14歳の少年少女たち。その手の趣味の人間ならば思わず手が出てしまいそうになるだろう彼らだが、ジャーナリスト達は彼らの容姿が秀でているから言葉を失ったわけではない。
フルフルと震えながら手をあげ、一人の記者らしき男性が立ち上がった。質問の時間でもなく、総理大臣が言葉を発している最中。明らかな非礼であるというのに、それを止める人間は周囲には誰も居なかった。
「それは、未知とは、それは――」
名乗ることも忘れてその記者は震える手で人差し指を立て、彼はゆっくりとそれを舞台上に向ける。壇上に立つ総理大臣を。
否。
「貴方と共に入って来た、彼らの事でしょうか?」
彼の背後に立つ、少年と少女を。特徴的な、大きく尖った耳を持つ二人を指さしていた。
「…………質問は、質疑応答の時間まで受け付ける予定はございません。が……その質問であればすぐに答えを返せるでしょう」
彼の言葉に答えるように総理大臣が口を開き、振り返って背後に立つ少女を手招いた。その仕草に呼ばれた少女はにんまりと笑顔を浮かべ、傍らに立つ少年の手を引きずるように引っ張ってマイクの前へと歩み寄る。総理大臣はマイクをスタンドから外すと、彼女が取り落とさないようにゆっくりと丁寧にマイクを手渡した。
マイクを手渡された少女は傍らの少年に何事かを尋ね、少年がそれに答えると納得したかのようにマイクを口元に近づけ、磁器のような唇を動かして話し始めた。
「――ワレワレハウチュウジンダ」
「ん? おい、イチロー。反応が薄いぞ」
「お前は第一声でボケなきゃ死ぬのか? エルフの出身は大阪か?」
シン、と別の意味で静まり返った会場内で、少年と少女の会話だけが響き渡った。