PSYCHO-PASS VS 楪いのり   作:石神三保

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第一話

――その少女は、彼らの傍らにいた。薄い色の髪、透き通るような白い肌。腰まである長い髪は風に揺れ、妖精を思わせる、重さを感じさせない流麗な輝きを放っていた。

 

そして妖精のような少女は見ていた。車いすに乗った少女……というより、もはや大人の色香ある風格を纏った女性と、その彼女を乗せた車いすを押す青年。車いすを押す青年の視線は、虚空を見続けている。時折、愛おしそうにまばたきをする。そして、何処か定まらぬ場所へ視線を動かすのだ。青年は、盲いているようであった。

 

足の動かぬ女性と目の見えぬ青年、お互いの持たないものを相手に依存し、その姿は傍らから離れて見ると、相手を利用しあっている、とても悲しい関係に感じられる。だが、彼らはとても幸せそうに語り合っていたのだ。

 

「そう……」

 

そう少女は呟いた。その二人の傍らにある光のような空間の中で。そして、彼らを見送ると、再び両の瞼を閉じた。そのままゆっくりと踵を返し、もはや彼らとは二度と会う事はないだろうと、その時はっきりと確信したのだった。

 

瞼を閉じると、誰かの呼ぶ声が聞こえた。私を呼ぶのは誰だろう。少女は、声のする方へと歩みを向けた。その瞬間、周りの光が集合し、そして知らない町並みの風景が、少女の瞳に映し出されていた。あれは久遠の時だ――

 

 

二一一七年、東京。都市の喧噪を嫌うかのように、東京湾上に設置されたメガフロート。メガフロートは、高度に発展した東京中心部と、旧時代の廃棄された港湾区画、そのどちらからも隔離された洋上に建設されていた。人工的に作られた半陸地の巨大構造物上には、最新の副都心としての機能を有した建造物が幾重にも重ねられていた。その一つに、厚生省開発局の射撃場が設置されている。

 

厚生省公安局刑事課一係の監視官である、常守朱と霜月美佳は、通常の業務命令により、その射撃場に向かっていた。業務の記録を取るために、指揮下にある執行官二名、六合塚弥生と雛河翔を帯同して、厚生省公安局のオフィスからこのメガフロートへと、五人乗りのセダンタイプの公用車を走らせていた。以前は監視官と執行官が同じ車両に乗ることはなかったが、今は幾分か緩和され、一定の条件を満たせば同乗できるようになっていた。些細な移動のたびに、監視官と執行官が別々に移動することは非効率であった。そのため、執行官の犯罪計数が安定し、監視官との間にトラブルを起こしていなければ、簡易的な拘束装置を執行官が身につけることによって、同乗を許されるようになったのだ。捜査にあたる人員の不足を解消する、という意図もあった。

 

一行を乗せた車は、自動運転によって予定のルートに入り、新首都高速の湾岸方面へと向かう。そのルート上に、湾岸とメガフロートを結ぶハープ橋があった。そのハープ橋に向かって、高架化された首都高が上り坂になっている。その坂を上り始めた頃だった。

 

「ここは奇妙な場所ね。シヴュラで雁字搦めにされて発展を続ける新都市と、役割を失い滅び行く過去の歴史を積み重ねてきた街。その狭間にある地上でも海でもない場所」

 

目に飛び込んできた風景に郷愁を感じる様に、手錠をかけ助手席に座っていた六合塚が口を開いた。

 

「廃棄区画の再整備をするよりも、洋上にゼロから作り出す方が手っ取り早く、安上がりだったのだと思います。システムの死角が無いように、全てを計算尽くにして、街を作り出せますし」

 

そう答えたのは、後部座席右側に座っている霜月であった。霜月の手には、手錠から放たれる麻酔のスイッチが握られていた。

 

「そうね……」

 

一瞬バックミラー越しに霜月と目を合わせたあと、六合塚は再び車窓に流れる風景に目を移した。

 

都市部とメガフロートを結ぶ首都高速から見える風景は、二一○○年代に立てられた、ホログラムで虚飾された高層ビル群と、錆と埃と水たまりで溢れる、前世紀に壊滅した廃棄区画が並んで見えた。そのいずれにも属さない場所から見ると、両者のコントラストがいっそう強く浮き彫りにされて見える。この景色を見て色相を濁らす市民が増えれば、この風景もいずれ目隠しがされるだろう。代わりにホログラムが美しいベイエリアを映し出し、文化的文明的な風景に置き換えられてしまう。ここはそういった都市であった。

 

「ぼ……僕は嫌いな風景じゃない……」

 

新首都高を自動運転で走っている公用車の後部座席左側から、誰かに聞かせるつもりがあるのかわからない、独り言の様な呟きが聞こえた。六合塚と同じく、手錠を嵌められている雛河であった。

 

「こ……このごちゃごちゃした感じがデザイン的に……いい……と思う……」

 

霜月が「はぁ?」と言う様な顔をしたが、口に出して感情を表現することは無かった。その誰に向けたのか分からない言葉に応えたのが、常守であった。

 

「私はちょっと複雑な感想かな。色々な事件があそこで起こったわけだし」

 

車内の雑談に常守が応じる。昨今は常守が先頭に立って刑事課を率いており、車の運転席に座るのも常守であった。厚生省公安局刑事課は、二一一四年の鹿矛囲桐斗事件で、監視官及び執行官に大量の殉職者を出し、一時壊滅状態となった。事件後に大幅な人事改変がなされ、それ以降は結果的に常守朱が、年齢二十五歳にして監視官としては最も古株となり、事実上実働部隊のトップになっていた。多数の殉職者、サイコパスの色相悪化により転職を余儀なくされた者、そして監視官から執行官へ堕ちる者。様々な人生の破滅を目の当たりにして、常守はその位置に立っていた。今回の命令においても、先頭に立つのは常守であった。

 

刑事課一係が、今回の招集をかけられた時から遡ること二ヶ月前、シビュラシステムの更新が行われ、それに伴い新型のドミネーターが開発されていた。携帯型心理診断鎮圧執行システム・ドミネーター、かつて司法が行っていた事件受理、起訴、公判請求、裁判、刑の確定、それらの執行を全て担い、そして瞬時に行う人類の英知を形にした物体。命令を受けた業務とは、その新型ドミネーターの慣熟訓練であった。

 

ハープ橋を渡りメガフロートに上陸した所で、一行を乗せた車は首都高から一般道へ入り、厚生省開発局の射撃場のある、巨大な平屋建ての建物へと向かっていった。射撃場は完全室内になっており、建物自体は巨大倉庫とさほど変わらない風貌をしていた。

 

「着いたわね。行きましょう」

 

そう常守が一言声をかけると、全員が同時に車から降りた。刑事課一係は、チームを組んでからの時間が他の刑事課と比べ長く、いつの間にか何事においても、自然と阿吽の呼吸で同調して行動するようになっていた。そうなっていたからこそ、ここまでチーム全員が、今まで無事に生き残れてきたのかもしれない。そんな認識が、メンバー全員にあった。

 

射撃場の入り口にある、サイマティックスキャナーを通過し、認証を受ける。IDが確認されると、自動的に奥の扉が開き、現れた無機質な空間が全員を招き入れた。ここまでのパスは全てオートメーション化され、生身の人間は一人もいなかった。機密保持というストレスから、職員を遠ざけるという意味もあるのだろう。この社会では、心理的負担を及ぼす物の多くが機械化され自動化され、生身の人間を徹底的に排除していた。

 

そして、建物内での身体の保証が可能となった段階で、執行官の手錠が緩められる。

 

「二人ともお疲れ様。六合塚さんと雛河くんは初めてよね。私と美佳ちゃんは、何度か来たことがあるけれど」

 

「はい。ここは新しめの設備ですね。わたしがドミネーターの訓練を受けたのは、執行官専用の訓練施設で、ここよりもずっとオンボロでした。おそらくシビュラ導入以前からあったものかと」

 

手首をさすりながら六合塚が答えた。

 

「訓練……とは言っても適性を試されるだけで……あんまり教育的じゃなかったかな……ふるいにかけられる砂の感じがした……」

 

雛河の言うふるいとは、シビュラの適性審査を指す。シビュラが支配するこの時代、人はサイマティックスキャンによる適性審査によって、最も適した職を提示される。そのため人手は常に要事調整が基本となり、各人がバラバラの時期と場所で適性訓練を受ける。特に監視官と執行官では、まるで訓練環境が違うのである。古い時代に適応している人間には古い設備を、新時代に適応した人間には新しい設備を、という極めて合理的な割り振り方であった。

 

そんな他愛ない会話をしていると、室内にアラームが「ポーン」と鳴り、倉庫へ繋がる扉が自動的に開いて、一台の装備搬送用のドローンが入ってきた。ドローンは、刑事課のメンバーの手前に止まると、その貨物扉をゆっくりと開いた。

 

中には社会の権力の行使を具現化した物体が収められていた。漆黒に光る銃身に、ウォールナットを模した樹脂製のグリップが取り付けられ、火薬式の銃とは違う頭でっかちと言う名が相応しい新時代の銃が、専用のホルダーに固定されている。そこにあるのはドミネーターと言う、銃の形をした法の執行者であった。

 

「ようやく本題ですか」

 

霜月はドローンを見て、今日の任務が始まったことを認識した。

 

「今回は、私と霜月監視官だけがこれを使えます。六合塚さんと雛河くんは、それぞれ端末を用意して。記録の準備を」

 

「わかりました」

 

「了解……」

 

常守と霜月がドローンの貨物庫に手を伸ばすと、自動的にケースが展開し、ドミネーターが飛び出す。二人は差し出されたドミネーターのグリップを握り、銃床部にあるセンサーを目視し、網膜に情報を投影する。

 

《携帯型心理診断鎮圧執行システム、ドミネーター起動しました。ユーザー認証、常守朱監視官、公安許局刑事課所属。適正ユーザーです》

 

銃に内蔵されたスピーカーから、指向性音声で無機質なインフォメーションがシステム起動を告げ、ドミネーターは使用状態となった。霜月の方も認証が終わり、二人はこの社会において唯一の「法の執行者」の代理となった。

 

刹那、霜月は手にしたドミネーターの銃口を、常守に向けた。

 

[犯罪計数22.4、執行対象ではありません。トリガーをロックします]

 

無機質な声が、法の執行の基準となる犯罪計数を読み上げる。

 

「ふざけるのはやめてください、霜月監視官」

 

怪訝な顔をして、六合塚が霜月をたしなめる。

 

「冗談ですよ。でも、今のでデータ取りのテストができましたよね?」

 

霜月は半笑いで、六合塚の小言に答えた。事件の捜査中、仲間の精神状態を知るためにドミネーターを向け、犯罪計数を測定することは、基本的には問題とされていない。だがその銃口を向けると言うことは、シビュラが許せば仲間をも打ち抜くということであり、それは相互の不信感を植え付ける。そのため、刑事課の仲間内では、タブーに当たる行為だという考え方が一般的である。

 

執行官は捜査中、常に監視官からドミネーターで背後から撃たれる状態の、任意執行対象という立場だ。潜在犯でもある執行官に対し、トリガーを引くかどうかは、監視官の判断に任されている。執行官が少しでも間違いを犯せば監視官に撃たれ、時には肉体が文字通り灰燼に帰す。ドミネーターを握ると言うことは、相手の運命を握ると言うことである。それを、霜月が軽々しく扱ったことに対し、六合塚は嫌悪感を抱いたのだった。

 

「ええ。今までの常守監視官の犯罪計数と、違いはありませんでした」

 

六合塚は嫌悪感を一旦胸に納め、表面上は冷静を装い答えた。所詮は小娘がすることである、との諦念もあった。霜月は時折、常守に対して幼稚な振る舞いをする、その事実を何度か目にしていた。何よりその行動で色相が曇らない、それは霜月のやった行いが、シビュラの支配する社会では認められていることを意味していた。

 

一方で向けられた方の常守は、そんな霜月の行動を意に介していなかった。彼女の色相をクリアに保つためには、必要な儀礼であると考えていたからだ。悪意があるのか無いのかわからない行動に、いちいち目くじらを立てるほど幼くはなかった。半ば霜月の行動を無視するように、常守は指示を出す。

 

「六合塚さんは、このまま霜月監視官のデータ収集をしてください。事前に配布された手順書どおりに試験を行います。雛河くんは私の方をお願い」

 

「うん……わかった……おねえちゃん……」

 

雛河の言動もまた、幼稚さをにじませている。仕事上の上司と部下という関係で、実際の姉弟ではない事は明かである。常守は、それを雛河なりに色相を保つために必要な行為だと考えていた。雛河は潜在犯である。いつ犯罪計数が悪化し、即時処分になるかわからない立場の人間だ。厚生省入りした常守は、数々の事件の捜査で人がサイコパスを悪化させてゆく様を、まざまざと見てきた経験から、自分が耐えられる範囲であるならば、他人が行う多少の奇妙な行動は許容しよう、という考え方をしていた。

 

二人の監視官は、ドミネーターの試験を始めた。手順書に従い、各種パラメーターをチェックする。提示されたチェック項目を順番にクリアしていく。今のところは前システムとの齟齬は確認されない。

 

続いて、射撃場でドミネーターの試射を行う。今回は犯罪計数の測定、及びモードチェンジの確認のためシミュレーターモードになっており、さらに、安全のため内蔵バッテリーの電力は下げられていた。万が一にも事故で貴重な同じ刑事課の人間を撃ち殺さないためだった。もっとも、相手が本当に執行が必要であった場合は、この限りではないだろう。シビュラはいついかなる時でも、相手が誰であろうと審判を下す。そういう人知を越えたシステムであった。

 

射撃場では、シビュラが作り出す仮想の潜在犯がターゲットとして現れる。シビュラの本音としては、実際の潜在犯をそこに立たせたかったのだろうが、それを実行に移すほど下品なシステムではなかった。ドミネーターは、仮想の潜在犯の犯罪計数をはじき出し、同時に使用者のサイコパスもチェックしていた。何度かターゲットが変わり、それに対した新型ドミネーターの感知した情報が、シリアルパスを経由して計測者の端末へと落とし込まれる。

 

「霜月監視官の色相は安定……犯罪係数の変動値は測定限界以下ですね」

 

「ありがとう弥生さん。問題はなさそうですね」

 

六合塚に対する霜月の接し方は、常守に向けられるそれとは違い、柔和で親しみが込められている。潜在犯である執行官に、何故その様な態度で臨んでいるのかは、当の本人にしかわからないことであった。

 

「こっちも……異常なし……」

 

「それじゃ雛河くん、取得したデータを端末から指定のサーバーにアップロードしてくれる?」

 

「わかったよ……」

 

常守と雛河のペア、霜月と六合塚のペアはそれぞれ指定された試験項目をこなしていき、得られたデータを開発局のサーバーにアップデートしていった。小一時間ほど、業務的な会話をしながら、黙々と新ドミネーターの訓練をこなしていった。

 

 

 

 

「テスト終了。しかし、なぜ今更ドミネーターの試験を?二ヶ月前にシビュラシステムのアップデートとともに配備完了となっていたのでは?」

 

特に問題も無く試験が終わり、霜月は若干不満そうに、疑問を口にした。

 

「その辺りは、最近の事件との関連もあるのでしょう。人員装備を刷新した新体制が、まだスタートしたばかりだし」

 

常守には、ここに至るまでに気になることがあった。確かに慣れない人員とシステムの刷新、それに伴う新装備と数々の不安要素があるのも確かである。上層部が、あらためて「法の執行」が正しく行えるかどうか、念を入れて確認したいという考えは理解できる。

 

「それに霞ヶ関やノナタワーでは言えないこともあるでしょうし」

 

常守は小声で独白する。多くの人間がいる場所では、語る事が出来ない話の存在を感じていた。わざわざメガフロートに呼び出されたのには、慣熟訓練以外の理由もあるのだろうと。

 

――その時、常守にそう懸念させる要因の一つが、常守と霜月の背後から二人に声をかけてきた。

 

「常守監視官と霜月監視官に話がある。執行官の二人は外してくれないか」

 

声の主は禾生壌宗。厚生省公安局の局長を務め、刑事課の頂点に立つ人物であった。表向きには、である。

 

常守と霜月は後ろを振り返り、禾生に対して敬礼をする。六合塚と雛河も、記録端末を左脇に抱え敬礼をする。刑事の仕事が、警察庁から厚生省に移った時代でも、変わらぬ儀式であった。

 

「お話は何でしょう?禾生局長」

 

敬礼をしながら、常守は禾生に話しかけた。

 

「新型ドミネーターの調子はどうだね。訓練の方は順調か?」

 

禾生は返礼の代わりに軽く右手を挙げ、敬礼を解くように促す。

 

霜月が状況を報告する。

 

「はい、滞りなく終了した所です。まったく問題はありませんでした。データは、順次開発局のデータサーバーに送っています」

 

「そうか。ではこれからは新型ドミネーターを使って任務にあたってもらう。それから君たちの今後の体制についてだが」

 

禾生はちらりと執行官二人の方へ目をやり「場所を移そうか」と踵を返し、射撃場内にあるオフィスへと歩みはじめた。

 

霜月は即座に追随したが、常守は一歩歩き出したところで一回立ち止まった。

 

「六合塚さんと雛河くんは車へ戻って待機していてくれますか」

 

「了解です」

 

「了解……」

 

常守は二人の執行官に待機を言い渡し、霜月と共に禾生の後に続き、通路の奥にあるオフィスへと消えていった。

 

 

 

 

「刑事課の慣熟訓練の延長?今週中には二係、三係の新人配属が完了するはずではなかったのですか?」

 

開発局のオフィスで、霜月は思わず声を荒げた。刑事課は現在、慢性的な人手不足を解消するために、新たな人事改変を行っていた。新配属の人間が多くいるために、二係三係の練度は低く、そこへ新型ドミネーターへの装備更新が加わり、長期の慣熟訓練を行わざるを得ない状態であった。訓練は各研修施設において合宿形式で行われるために、刑事課のオフィスを離れている時間が多かった。そのためおのずと一番経験の多い一係が、空いた穴を埋める役割を担わされ、多大な負担となっていたのである。

 

そんな霜月の抗議を意に介さず、禾生は話を続ける。

 

「君たちも知っているだろうが、現在監視官の適性を持った人材を探す事は困難を極めている。監視官としての適性を持った候補が少ない中で、身体及び精神ともに戦力として投入出来る人材に仕上げるのには、それなりに時間を要するのだよ。これでも我々は急いでいる方だ」

 

「我々」とは誰のことを指すのだろう、そんな言葉が、常守の頭の中によぎっていた。一方で霜月は最初の勢いをそのままに抗議続ける。

 

「ですが、ただでさえ現場主義の独断先行的な捜査を行う常守監視官に、これ以上のオーバーワークを強いればどんな結果を招く事になるのか。新戦力投入以前に、今のような綱渡りの捜査体制では、将来深刻なアクシデントが引き起こされると思います」

 

「霜月監視官」

 

禾生は、一連の霜月の発言を塞ぐように言葉を放った。

 

「君の危機感も判らないではないが、我々厚生省公安局は、常守監視官の能力について、大いに期待しているのだよ。現にここまで、彼女は大きな失態らしい失態も起こしていない」

 

「ですが」

 

「これは厚生省の決定なのだよ。私個人の判断ではない」

 

ウッ、と呻くように言葉を飲み込み、霜月はそれ以上言葉を発しなかった。霜月は常々、監視官と執行官が同等に現場に出動し、一緒になって捜査に当たっている事に対して、不満を感じていた。「監視官」と「執行官」と言う名前が、有名無実化しているではないかと。本来は捜査に当たる執行官の監視が、監視官の役割ではないか、人材不足を理由になし崩し的に、監視官を危険な任務に当たらせているのではないかと。

 

「あの」

 

「なにかね常守監視官」

 

霜月の勢いが一旦収まった所で、常守が会話に割って入った。わざわざ残業を言い渡すためだけに、ここへ呼んだのではないだろう。何かの思惑を感じていた。その疑問を率直にぶつけてみようと思った。

 

「この慣熟訓練の期間延長には、最近連続している原因不明のサイコハザードが、何か関与しているのでしょうか?」

 

「そうだな。話を本題に戻そうか。君たちに連続勤務を命ずる理由だ。サイコハザードが頻発するようになる二ヶ月前、多様な需要に対応するため、シビュラシステムに新型の大容量の量子メモリーが実装された。目下の所、新型量子メモリー導入以前のシビュラシステムと、犯罪係数に相違が無い事が確認されている。新型量子メモリー導入以前に行ったシミュレーション、実装前の平行試験の結果も良好だった。今のところ新型量子メモリー実装によるシビュラシステムのアップデートと、サイコハザードとの間に直接的な関連性は認められていない」

 

禾生は官僚らしい、長々と責任を曖昧にした話し方をはじめた。

 

「ですが、あえてそれをおっしゃるという事は、何かがあると言う事ですか?」

 

禾生は僅かに本意を得た、と言った表情になる。はじめから常守に、何かを期待していたようであった。

 

「シビュラの判定は、常に適切で合理的だ。それは万事においてサイマティックスキャンで市民の色相をチェックし、データを取得蓄積し、そのデータを用いて常時シビュラシステムが学習しているからだ。そして演算結果を犯罪係数として算出し、最適な対処方法を提示する。だが一方で機械である故の欠点は、微細な誤差が必ず生じることだ。もし、その微細な誤差によって、判定基準が変わってくるとしたら問題になる」

 

先ほどは黙らされる格好になった、霜月が質問をする。

 

「その様な誤差があろうとも、大筋での判定は間違わないはずではないのですか?」

 

シビュラに間違いはない、これは霜月の信念である。シビュラの意思を読み取り、シビュラの望む行動をする、それこそ市民が幸福となるための義務であると考えていた。

 

「無論、学習によって生じた微細な誤差は表面上切り捨てられ、結果には反映されない。反映などしようものなら昨日の健常者が今日の潜在犯になる。昨日と全く同じ精神状態なのに、だ」

 

霜月の顔色が、そこで変わる。彼女は、常にシビュラと共に生きんとしていたからだ。シビュラが望み期待する最も優良な市民になるために、あらゆる手段を用いることに躊躇わない。その生存戦略の根幹であるシビュラの判定が覆るなど、想像する事すらおぞましかったからだ。

 

「些末な誤差による判断の間違いは存在しない、がこの社会シビュラの原理原則である」

 

「存在はしない、ですか」

 

常守は、相手の真意を問い糾すかのように、最も重要な点について言葉を繰り返す。

 

「そうだ。間違いは存在しない。故に昨今のサイコハザード事件との関連性を洗わねばならない。洗い尽くして間違いが存在しないことを確認しなくてはならない」

 

「悪魔の証明ですか?」

 

存在しないことの証明、それは、どれだけ行っても消えることはない地獄の道。神託を受ける巫女は、自らが潔白であることの証を望んでいた。

 

「こう事件が連続すると、シビュラシステムのアップデートとの関連性を疑う人間も出てくるだろう。その疑いが、杞憂であることを示さねばならない。我々の役割は、シビュラの健全性の証明だ。その杞憂を晴らすため、連続サイコハザード事件の原因を調べ尽くせ。以上だ」

 

禾生はそう言って話を切り上げ、監視官二人を退出させた。二人をメガフロートまで呼び出したのは、シビュラシステムに疑いがかけられているという、センシティブな話をするためであったようだ。その時は極限られた人間を完全にコントロール下に置き、情報が外部へ漏れることを嫌ったのだと思われた。

 

その後、監視官二人は会話を交わすこともなく車に戻り、執行官二人と合流して、霞ヶ関にある刑事課のオフィスへと向かう帰途へ着いた。

 

 

 

 

常守は、刑事課一係のオフィスに戻ると早々に内線を繋いだ。

 

「唐之杜さん、お願いがあるのですが」

 

『なぁに?デートのお誘い?とうとうその気になってくれたのかしら?』

 

電話の相手は、分析官の唐之杜志恩である。デートの誘いというのは冗談ではあるが、半分は本気であった。常守もそれを理解しているので、軽口が入ることに対しては半ば諦めながら、一応その意図はないと断りを入れる。

 

「いえそういったことではなくてですね……」

 

『冗談よ。ひょっとして、今絶賛炎上中の連続するサイコハザードについて?』

 

「やはり唐之杜さんは、マークしていたんですね。実は、上から原因を洗い直す様に言われました」

 

『よほどのボンクラでもない限り、そろそろ本格的な捜査をしなければいけないと思うでしょうね』

 

唐之杜は、医師免許も持つ才女である。それ故に観察力は鋭く、相手の思考を先読みし、問いに対する答えを的確に選んでくる。

 

「何か気付いたことでも?」

 

常守は、その唐之杜の鋭利な観察力が、今回の事件で頼りになると考えていたため、単刀直入に唐之杜の意見を聞くことにした。

 

『気付くも何も、シビュラのアップデートと呼応するようにサイコハザードが連発してるのよ?この商売やっていて、関連性を疑わない人間なんて、いると思う?』

 

「薄々疑問には……しかし、確証にいたる線が何も無かったですから」

 

常守には、シビュラが間違いを犯すであろう様を、まさに目にした経験がある。この国、この世界においてそれを知るものは、両手の指の数よりも少ないはずだ。最初から、シビュラ自体の欠陥が引き起こした事件である可能性が、常に常守の脳裏に浮かんでいた。それがある程度確証に変わったのは、禾生直々にメガフロートへ招集命令が出されたことからだった。霞ヶ関やノナタワーでは、大きな声では話せない何かが存在する、その「存在」がぼんやりとした疑いを、「確証」として浮かび上がらせてきたのである。

 

『シビュラに疑いあり、なんて考えたら、それだけで潜在犯として判定されても仕方がないものね。まあ、シビュラの判定基準なんて、私達の及びもつかない方法ではじき出されるんだから、考えるだけでも無駄ってものかも知れないわね』

 

唐之杜は、さらりと社会の理不尽さを、軽快な言葉で述べた。自分自身が、潜在犯として社会からはじき出されているにもかかわらず、このようにして社会の歯車として機能している。ある種の自嘲も込められているように思えた。

 

「じゃあ、すぐにでも一連の事件に関する、被疑者と目される人物と、サイコハザードに巻き込まれた人物のプロファイリングが出来ますか?」

 

『ええ、趣味でコツコツとデータの洗い出しをやっていたところよ。簡単なことなら、今すぐにでも出せるわよ。バレないようにやるの、大変だったのよ?』

 

悪びれもせずにシビュラの埒外で、独自の行動をしていることを明かす。唐之杜は気心の知れた人間には、そういったことを隠さない正直さも持ち合わせていた。おそらくは、その奔放さが、シビュラにとっては脅威であると、判定されたのであろう。唐之杜もまた、シビュラシステムから見れば、存在するに値しない、イレギュラーな存在であった。

 

「わかりました。公安局一係の全員を、ラボラトリーに招集します。アドバイスをよろしくお願いします」

 

そう言って常守は内線を切り、一係の全員、監視官霜月美佳、執行官宜野座伸元、六合塚弥生、雛河翔、須郷徹平に対し分析官のラボへ行くように指示を出した。

 

 

 

 

分析官のラボにあるゲスト用のソファーに、各々が勝手に座る。一行の目線の先には、分析官の大型モニターがあった。

 

「唐之杜さん、それでは始めて下さい」

 

「それじゃあ」

 

唐之杜はデスクにあるキーボードを叩き、全員が注視している大型モニターに、一連の事件の概要を示し始めた。

 

「この二ヶ月で、街頭スキャンの情報からエリアストレス警報が発令されて出動に至ったケースは、全部で二十四件。三日に一度は出動する事になってるわね。このうちサイコハザードにまで及んだ事件が六件あるわ。サイコハザードに至った経緯は不明。被疑者不詳のまま、捜査は暗礁に乗り上げているって所ね」

 

常守が基本的な情報を尋ねる。

 

「エリアストレスが発生した場所の共通点は?サイコハザードを起こした人物に、偏りはありませんでしたか?」

 

「現場の気象条件、発生時刻、環境的要素は全てバラバラ。サイコハザードを起こした現場にいた群衆は、述べ一万三千百四名。対象者の年齢、性別、色相、思想信条にいたるまで可能な限り洗ってみたけれど、プロフィール上で全員に共通する項目は無かったわ。いわゆる『善良な』一般市民そのものね。犯罪係数は、執行対象になるほど上昇した人物はいない」

 

唐之杜の説明を捕捉するように、宜野座が事件の報告の現状を語りはじめた。

 

「そうだ。だから、その際に色相の濁った人物は、全員サイコセラピーの受診を告げられ、あとはセラピストの手で対処がなされた。刑事課はハシゴを外され、結局原因不明被疑者不詳、非特異的に発生したエリアストレスが、偶然にサイコハザードにまで至ったという線でまとめられている」

 

宜野座はさらに続けて、事件の見解を述べる。

 

「エリアストレス警報の連発も、確率的にはあり得ない話ではない。街頭の検査精度を上げた結果、小規模のエリアストレスとして今まで見過ごされていた物が検出され、警報に至った可能性がある。実際にサイコハザードに至ったケースは六件で、これも多いと言えるほどではない」

 

「やっぱり問題ないんじゃ?」

 

霜月は一連の事件が、一本の線で繋がっていることに、懐疑的であった。

 

常守は頭の奥底にあった違和感を口にしはじめる。

 

「常に事件を扱っている刑事課公安局なら、事件件数もたいしたことはない、あり得る数字だとそう考えるかもしれない。でも事件が今までと違い不可解です。六件のサイコハザード全てで、執行対象者がいない。なのに、起こっている現象はよく似ている。それが連続して起こるのには、何かがある」

 

「刑事の勘ってやつかしらね?」

 

漠然とした常守の違和感を「刑事の勘」と唐之杜は言い表し、思考の整理を促した。それは、分析官ならではの気遣いであった。

 

六合塚は顎に右手を当て、考え込むようにして疑問を口にした。

 

「本当に、原因が不明なのでしょうか?やはり、周囲にエリアストレスの原因が何かあったのでは?」

 

須郷が分析室のモニターを見ながら、推理に必要な材料を得ようと唐之杜に尋ねた。

 

「唐之杜分析官、他にモニターされている現場のデータから分かったことはありませんか?」

 

「エリアストレス警報が発令される直前の街頭スキャン、カメラ、マイクの記録からは不審な点は無いわ。見えるのは日常の風景。ただ、エリアストレスが上がり始めると同時に」

 

唐之杜は一瞬間を作り、重要な事実を告げた。

 

「人々は、ある一点の方を注視するのよ」

 

「一点?」

 

何人かが、同時に声を上げ、思いがけずに発言が同調してしまった。

 

「ただ一点、を見つめるの。そして一点に、群集の視点が集まったその直後に、乱痴気騒ぎが起こって、エリアストレスが警報レベルに引き上げられたわ」

 

唐之杜は、記録されていた街頭カメラから撮影された、当時の状況を映し出す。

 

「見られる範囲では、それぞれが勝手気ままに騒動を起こしていて、首謀者らしき者の影は見えない。だけど、現場には、いずれも必ずある特徴を持った人物が、中心付近にいたのよ」

 

「特徴?ですか」

 

洗い出される一筋の共通点、それが事件を繋げる物かはわからなかったが、手掛かりとなる可能性があると感じ、常守は聞き返した。

 

宜野座もまた、自分の見解とは異なる結果を生むかもしれない、その「特徴」を持つ人物に興味を持った。

 

「どんな人物だそれは?」

 

「『サイマティックスキャン消耗症候群』サイマティックスキャンによって色相の濁りを何度も矯正され、結果として考えること自体をやめた人がなる精神症状よ」

 

「サイマティックスキャン消耗症候群……」

 

その言葉を常守は復唱し、記憶の扉を開こうとした。聞いたことがある。かつて分析官だった、雑賀穣治からだ。いつかははっきりと覚えていないが、常守はしばしば事件のアドバイスを得るために、雑賀の元へ訪れており、その際に行われた、精神分析の「講義」中に話を聞いたことがあったのを、思い出したのだ。

 

「その精神症状の特徴を教えて下さい」

 

須郷が基本的な質問をする。須郷は元々、刑事課二係の執行官であった。それゆえに何年経過しても、自分は余所者であるという自覚があり、一係内では外から俯瞰して物事を考える人物であった。その性格のため、ブリーフィングでは進行役に回ることが多かった。

 

「彼らは、サイマティクスの定期検診をやるたびに色相の濁りが指摘され、その都度セラピーを受け精神を安定化させる薬が処方される。指定されたセラピーを受けている間だけは、色相の濁りが解消しているわ。でも、色相がクリアになった後、治療を終えてから何かしらの行動を起こすと、色相が濁る。その行動は特別なことではなく、ごくごく日常的な社会活動、外を出歩いたり買い物をしたり食事をしたり、そういった誰しもが行う行動で、色相が濁る人達なの」

 

「つまり、生きているだけで色相が濁ると」

 

宜野座は、過去の自分を思い出していた。些細なことで色相が濁り、何度もサイコセラピーを受けていた。色相を濁らせないために、仲間と反目する場面も度々あった。それらは非常に苦い記憶であったが、それが病状の理解をを促してくれた。

 

「そう。だから、何度も何度もサイマティックスキャンを受け治療を繰り返し、結果色相をクリアにする残された手段は『何もしない』こと。何も動かず何も考えない。繰り返す治療によって、精神活動そのものが消耗されつくし、その消耗した状態が、最も安定している。そういう状態の症状よ。皮肉よね、シヴュラの言う通りにしていたら、お前は何もするな考えるなって、言われてしまったのだから」

 

「サイマティックスキャン消耗症候群、シヴュラが生み出した生きる屍か」

 

自身の経験から、宜野座はそれを「生ける屍」と表現した。過去の自分もまた、生ける屍であったとの思いから出た言葉である。

 

須郷がその話を聞いて、感じた疑問を口にした。

 

「しかし捜査対象者一万数千人中の六名では、偶然病歴が一致しただけなのでは?」

 

「そうかもしれないわね。でもね、サイマティックスキャン消耗症候群の罹患者はそれほど多くはないわ。それが過去二ヶ月間の事件で、サイコハザードまでに至ったケースでは一○○%の確率で存在する。この事実を軽く考えて、見過ごすことは出来ないわ」

 

 各々がブリーフィングで話し合っている中で、雛河だけが端末をぱたぱたといじり回しており、厚生省の管轄するデータベースから、サイマティックスキャン消耗症候群の疫学データを探し当てていた。

 

 それを表示した端末を、無言で全員に見せた。

 

 須郷がその数字を見て、今回の対象者の人数を弾き出し口にする。

 

 「発症率は五十万人に一人、東京だけだと三十人弱か」

 

 これが事件に対し多いのか少ないのか、一言では言い表しづらかった。

 

 一瞬、場の空気が停滞する。それを感じ取ったのか、宜野座が澱んだ空気を払う様に発言をする。

 

「しかし、なぜそんな何も動けず何も考えることが出来ない人物が、この事件の中心にいるんだ?そしてなぜ事件の中心にいて色相が濁らず、執行対象にならなかった?そんな脆いサイコパスの人間が、サイコハザードのまっただ中にいて。サイコセラピーでどうにかなる程度の精神汚染しかされないとは、とても考えにくい」

 

霜月がその問いに対し、簡潔な答を出した。

 

「色相を濁らすほど、何かを考えてはいなかったからでは?」

 

次に須郷が、ここまでの話で類推できたことを口にする。

 

「何らかの原因で現場では色相が濁りが進まない現象が起こり、我々は、執行対象者を誰一人として確認出来ず、事件は刑事課の捜査対象外となってしまったと言うわけだ。根本的に、原因を見落としていた可能性が高いと言うことか」

 

事件の概要が掴めてきた所で、常守がその解決法について話す。

 

「本当の原因を知るには、現場にいた何人かに参考人として、任意で事情を聴取するしかないですね。ただ任意の聴取は慎重にやらないと、参考人の色相を濁らすだけになってしまう。それだけは避けないと」

 

常守は、今回の事件で参考人となる人物に直接会って、話を聞きたいと考えた。だがそれは同時に疑いのない人間に、疑いをかけてしまう危険性を孕んでいた。疑われたことに対するショックで、参考人の色相が濁る恐れがあるのだ。果たして実行出来るのか。

 

それに対し、須郷が具体的な提案を示す。

 

「もしサイマティックスキャン消耗症候群が、事件の要因だとしたら、現在罹患している患者をピックアップして監視してみるのは?もしかするとマークした患者から、次の事件が起こるかもしれません」

 

「それ、良いアイデアかも」

 

怪しき者に目星を付け、先んじて捜査する、須郷の提案に霜月は共感を覚え、いち早く同意を示す。

 

「とりあえず、そいつらを参考人として事情を聴取しましょうよ。そうすれば、事件が一気に解決ですよ」

 

霜月は、事件を楽観的に考えているようであった。

 

それに対し、常守はあくまでも慎重な姿勢を崩さなかった。

 

「そうは言っても、犯罪計数が上昇していない市民から任意で事情を聴取することになるのだから、色相の濁りが起きない様に慎重に捜査をしないと。難しい捜査になる」

 

思い詰めた様子の常守に対して、唐之杜が助け船を出した。

 

「そうね、私のサジェストは、まずはこの六名から事情聴取することね。それから、サイマティックスキャン消耗症候群の罹患者のピックアップと追跡、私が各種データの洗い直しを本格的にやるとして、みんなはもう一度現場検証をお願い。モニターやセンサーでは拾えていない情報があるかもしれないから」

 

唐之杜が事件の分析官として、ここまでの話をまとめ、案を提示した。

 

常守はその提案を受け、捜査課一係の責任者として決断を下す。

 

「わかりました。その線で捜査を進めましょう」

 

決断が下れば、後は実行に移すだけであった。厚生省公安局刑事課には、絶大な権限が与えられており、それを駆使することによって、あらゆる方向あらゆる性質の情報を集める能力がある。適時権限を行使し、事件の解明をしていくだけである。

 

――その時であった。

 

館内放送で、エリアストレス警報が発令されたことが告げられた。街頭スキャンの情報から、システムが警報を発令すると判断した際には、自動的に無機質なアナウンスで放送がなされる。

 

[[エリアストレス上昇警報、大田区南蒲田一丁目付近で、規定値超過サイコパスを確認、当直監視官は執行官を伴い現場に急行して下さい。繰り返します……]]

 

「言っているそばからこれだ!」

 

宜野座は愚痴りながら、即座に立ち上がり廊下へ向かう。

 

同時に、常守が全員に命令を下す。

 

「刑事課一係全員出動します!」

 

全員が分析官のラボから駆け出し、地下の駐車場へと向かった。背後で唐之杜が「いってらっしゃい」とひらひらと手を振っていた。

 

駐車場にたどり着くと、監視官二人はセダンタイプの覆面PC、執行官は護送車に乗り込んで現場へと急行したのである。

 

 

 

 

現場に到着した一係の一行は、異様な光景を目の当たりにしていた。そこは町の商店街を抜けて、旧東海道である国道に接した場所に位置する、商業展示場であった。その展示場の敷地では群集が一点を見つめながら、渦を巻くように集まる。まるで一つの巨大な生物が、そこにいるようであった。

 

――そしてその中心に、「彼女」はいた。

 

群集の目線の先に、人々の注目を一身に集める、目立つ姿をした少女が立っていた。少女は、ピンク色のグラデーションがかかった髪を二つ分けに結わえ、オレンジと黒を基調とした色彩の衣装は、首元から下腹部まで大胆に開いており、着用者の若々しい肉体も露わにしている。見る物を釘付けにする、とても特徴的な装いであった。そんな装いの少女が、群集の中心でひらりひらりと舞い踊っている。

 

エリアストレスが上昇する際に、初動で出動する厚生省のドローンは、サイコセラピーの推奨を繰り返しながら、誰からも相手にされず、人の渦の中でもみくちゃにされていて、見向きもされない向精神薬の広告ホロが、まるでコンサートの照明演出の様に明滅していた。

 

唖然とするしかない光景である。

 

一係が、事件が起こっている真っ最中の現場に到着し、その少女が舞い踊る光景を認識した刹那、歌声が聞こえてきた。

 

 

――「ソー」

 

ファルセットの歌い出しとともに、中心にいる少女が歌い出す。特徴的な装いは、少女が声を発するたびにゆらりゆらりとはためき、場を支配している音の奔流に身を踊らしている。その姿は、水槽の中を優雅に泳ぐ金魚を想起させた。

 

歌声と共に届く曲は、葬送を想起させるプレリュードから始まった後、魂が復活するかのようにアップテンポに転調、聴衆を鼓舞し、人の渦が瞬時に熱気を帯びた。

 

その歌声と、揺らめく少女を目の当たりにした六合塚弥生の脳内では、重大な記憶の扉が開く音がした。それに気付いた時、思わず目を見開いて、その記憶を口に出して叫んでいた。

 

「あれは!耽美な歌声と甘い容姿に似つかない全身に張り付くようなダークネスで痛切で壮大な想いが込められている楽曲で相手を魅了させる歌う革命家!二○三○年代末期に現れた音楽グループEGOISTのボーカリスト『楪いのり』だわ!間違いないわ!」

 

「……六合塚さん……音楽の話になると早口になるの気持ち悪い……」

 

隣にいた雛河が、じっとりと六合塚の語り口を見て本音を口に出してしまった。

 

六合塚の口ぶりを同じく聞いていた霜月が、驚きながら尋ねる。

 

「知っているんですか!弥生さん?」

 

「でも……あれは二○三九年の曲で、聞くと色相が悪化するために公開禁止処分になったはず。裏で流通しているものを聞いた人間は限られているはずだわ……ましてや、公衆の面前で歌うなんて……」

 

六合塚は次々と記憶を呼び覚まされ、その記憶と目の当たりにした現状との矛盾点で、思考にかなりの混乱をきたしていた。

 

須郷が、率直な疑問を口にした。

 

「八十年近く前の歌が、何故事件現場に!」

 

その隣で宜野座は片耳を押さえ、周囲の状況を確かめようと端末を操作していた。

 

「それよりもこの歌は、一体何処から聞こえて来るんだ!」

 

歌声は一定方向からではなく、まるで耳元で囁かれているかのようで、全く音源の方向が判らなかった。全方位から音が聞こえる、そんな異様な状況であった。

 

情報端末を見ていた宜野座は、あることに気付く。

 

「街頭のマイクは、音を拾っていないぞ」

 

捜査のために、端末上に街頭のスキャナーやセンサーの情報を、リアルタイムで表示させていたが、街頭に設置されたマイクは、全くこの歌を捕らえていなかったのだ。

 

「何が起こっている!」

 

監視官、執行官全員が、自分が置かれている状況に困惑していた。常守はその状況から、混沌が刑事課のメンバーにおよびはじめたと判断し、一声を上げた。

 

「急いで全員ドミネーターの認証を!」

 

この混乱の中で正確な情報を示す唯一の道具が、ドミネーターであった。人の感情など意に介さず、混乱する人々の中で、冷静冷徹に指示を出す道具。

 

全員がふと我に返ると、既に装備搬送用のドローンが到着し、ドミネーターのユーザー認証を待っていた。ドミネーターの存在に気付き、メンバーは冷静さを取り戻す。

 

「宜野座さんと須郷さんは強襲型ドミネーターを使って下さい!この状況では何が起こるかわかりません。一気に多数の人を鎮圧しなければいけなくなるかも知れませんので」

 

そして全員が一斉にユーザー認証を行った。

 

「全員認証は終わりましたか?では状況を開始します。コードはいつもどおり」

 

常守は矢継ぎ早に指示を出す。

 

「ハウンド1とハウンド4はシェパード1に、ハウンド2とハウンド3はシェパード2に付いて下さい。二手に分かれてあの中心部に近付きます」

 

コールサインは監視官がシェパード、執行官がハウンド、常守朱シェパード1、霜月美佳シェパード2、宜野座伸元ハウンド1、六合塚弥生ハウンド2、須郷徹平ハウンド3、雛河翔ハウンド4、と言う並びである。

 

即座に常守の指示どおりに二つのチームに分かれ、常守のチームは国道を跨ぐ歩道橋へ、霜月はそのまま国道を横切る。それぞれ上下から挟み撃ちにするように、群集の中へ突入していった。

 

「シェパード2先行して」

 

『了解。シェパード1』

 

常守の現場主義を、あまり快く思っていない霜月であったが、鉄火場ではそれに慣れている人間に、指示を任せた方が上手く行くことを、この何年かで学習していた。効率を重視することこそ、色相を悪化させない極意であり、その前では些末なプライドや懸念は、押さえておくべきだとも考えていた。

 

霜月は、群集の合間を縫って、中心と思われる方向へ向かう。

 

人の合間合間から時折、一段高いお立ち台に立っている少女の姿が見える。

 

そして、ドミネーターの有効範囲に入ったと思われる距離で、少女に向けてドミネーターの銃口を向けた。

 

《犯罪計数18.5。執行対象ではありません。トリガーをロックします》

 

「犯罪計数が低い?低すぎるでしょ?」

 

霜月は想像していたよりも、遙かに低い犯罪係数に驚いた。

 

「それにこのIDはいったい誰よ!」

 

シビュラシステムがフェイスレコグニションで感知したIDは、目の前にいる人物とはまるで別人のIDを示していた。

 

霜月は、一瞬シビュラが間違ったのではないかと考えたが、すぐに頭の中から消し去った。シビュラは絶対だ、これは真実なんだと。

 

別行動をしていた常守が、すぐにその霜月の異変に気付いた。

 

『シェパード2、どうしたの?』

 

「犯罪計数18.5で非常に低いレベルです!本当にエリアストレスが上がっているんですか!?」

 

『こちらハウンド4……エリアストレスはなおも上昇中……サイコハザードの危険がある……』

 

「本当なの?ハウンド4!張本人よりも周りの聴衆の犯罪計数の方が高いくらいよ!」

 

ドミネーターが示す数字は、確かに群衆の方が高い。こうなると、そもそもあの中心で歌っている少女が原因であるかも判らなくなってきた。

 

「シェパード2は下がって!このままでは群集に押しつぶされてしまう」

 

六合塚が霜月の襟首を掴み、半ば強引に群集から引きはがす。

 

「こういう荒れた現場に突入するのが、執行官の役割ですよ」

 

「弥生さん……」

 

六合塚は、熱狂の渦となる群集から霜月を遠ざけ、その代わりに自身が突入していった。須郷もそれに続く。本来の監視官と執行官の役割どおり、監視官を外に置き、自分たちが猟犬となって相手に迫っていったのだ。

 

少女は歌い続ける。アップテンポに転調した曲は、さら に観客を煽り、サビを繰り返すクライマックスに達していた。

 

六合塚は強引に前に進み、少女にあと数メートルと肉薄する所まで来た。接近し近くで改めて少女の顔を眺め確認する。

 

「やはり楪いのり……しかし、本人であるわけがない。コピーバンド?」

 

顔を確認したが、やはりは八十年前のPVで見た、EGOISTの「楪いのり」によく似ていた。ドミネーターの有効範囲まで近付いた六合塚は、その銃口を向け楪いのりのサイコパスを計測した。

 

「犯罪計数18.5、同じだ。IDは別人?楪いのりが原因じゃない?ハウンド3、強襲型ドミネーターで周囲の犯罪計数を測定して」

 

『やっている!だが誰も彼もが犯罪計数は100以下!係数は上昇していくが上限前で失速している。なんなんだこの状況は!』

 

須郷は有効範囲が広く、同時に多目標のサイコパスを測定出来る強襲型ドミネーターで、群集ごと「楪いのり」のサイコパスを計測した。しかし、網膜に映し出される犯罪計数は、執行基準である100を超えたものが、一人もいないことを示していた。

 

この混乱の状況に、何一つ有効な手段を講じる事ができない二人の執行官は、群衆の流れに押し流され、排除しようにも、ドミネーターが全く執行状態にならない。鉄の重しを手に持ちながら、激流の川に翻弄されている様な状態であった。

 

『こちらシェパード1。ハウンド2、ハウンド3、私達のチームが到着するまでに、対象へ接触できそうですか?』

 

「こちらハウンド3。どうにも人が多くて、接近が難しいです。どうにかして群衆を散らさないと」

 

『こちらシェパード1。今歩道橋の上にいます。ここからなら手薄な場所を見つけられそうです。ハウンド2とハウンド3は指示に従って下さい』

 

「ハウンド3了解」

 

『ハウンド2、後もう少しで届きます!ドミネーターを使わず直接確保します!』

 

上から見渡すと、人の流れにもムラが出来ている。ちょっとした障害物の影などで、人の流れが遮られるからだ。それでも最前列は人が全く動かず、突入した六合塚が、ほとんど身動きが取れずにいた。

 

『ハウンド3の真後ろに空間があります。そこまで一旦そこまで戻ってきて下さい。シェパード2場所がわかりますか?』

 

「シェパード2、だいぶ後方に後退しました。今、国道上にいます」

 

『シェパード2は、私達と合流して下さい。今から歩道橋の階段を下ります。合流後、後方からハウンド2、ハウンド3を支援します』

 

「シェパード2了解。ったく」

 

一時群集にもみくちゃにされた霜月は、セットしたスーツが滅茶苦茶な状態になって、襟や裾が乱れていた。それを一旦整え、常守の指示どおり国道を横切り歩道橋の袂まで向かう。

 

国道を渡り追えた所で霜月と、常守のチームが合流した。

 

群集の外周から、六合塚を支援すべく、突入体制を取ろうとしていた。

 

その時、六合塚はもうあと何歩かで、「楪いのり」に手が届く距離になっていた。そして「楪いのり」に手を伸ばす。

 

六合塚の手が「楪いのり」に届いた、その瞬間であった。

 

「きゃっ」

 

六合塚は悲鳴を上げた。突然「楪いのり」は激しく輝き、六合塚の視界を奪ったのだ。

 

一瞬目がくらんだが、すぐに爆発の閃光ではないと判断できたため、再び「楪いのりが」いた場所を見る。

 

「消えた……」

 

忽然とその少女、「楪いのり」は消えていたのである。

 

やや後方からその様子を見ていた須郷も、突然さっきまで歌っていた少女が消えたことを目撃ていた。

 

『ハウンド2、ハウンド3、状況説明して下さい』

 

「き、消えました。目の前から突然」

 

 

――「消えたですって?」

 

それは、常守が霜月と合流し、突入しようとしていた群集に、視線を遮られた一瞬に起こったことである。すぐに記録されていたデータを、照合しなければならなかった。

 

常守は、状況をラボでモニターしていた分析官へ連絡を入れ、問い合わせを行った。

 

「LABOへ、先ほどのまで歌を歌っていた少女の照会をお願いします」

 

『現場の状況をリアルタイムで見ていたけれど、そんな歌う少女は写っていなかったわよ?』

 

「えっ?」

 

常守は、唐之杜の言葉に耳を疑った。そんなはずはない、さっきまでそこにいたのだから。

 

実際には、目の前で起こっていた現象が、現場にいない第三者の目には、何も写っていなかったのだ。後に判明するが、端末に録画録音されていた記録にも全く写っていない、ただ、一斉に狂乱状態に陥った群集が写っているだけである。システムの網に全くかかることもなく、忽然と少女は消えたのだ。

 

出動した一係全員の脳裏に困惑と混沌が渦巻く中、事件は終息を迎えていった。

 

「いったいあれ誰なの?何が起こったの?」

 

常守は、騒動を収めるべく近隣から応援で集まった公安局のドローンが群集に群がっていく中で、一人呟いていた。

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